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  ずぼん 洋袴 【名】 『幕末の頃、幕臣大久保誠知といふ人のこれを穿けば、 ずぼんと足のはいるとて言い初めたる語なりといふ』  洋服の下部。足に穿つもの。形、股引に似たり。
 
  ずぼん 洋袴 【名】 『幕末の頃、幕臣大久保誠知といふ人のこれを穿けば、 ずぼんと足のはいるとて言い初めたる語なりといふ』  洋服の下部。足に穿つもの。形、股引に似たり。
 
とある。
 
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== 歴史 ==
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構造は単純であり、古代から存在した。世界最古のズボンは、中国[[タリム盆地]]の墳墓から見つかった3,300年前のもので、[[遊牧民]]が馬に騎乗する際に着用していたものと考えられている。同様のズボンは、[[イラン人]]や[[スキタイ]]人([[アケメネス朝]]の[[ペルシア人]]も含む)のような[[ユーラシア大陸]]の放牧民が着用し、後に[[ハンガリー人]]や[[オスマン帝国|オスマン]]人によって近代[[ヨーロッパ]]に伝達されることになる。
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古代[[中華人民共和国|中国]]では[[騎兵]]だけが着用していた。紀元前307年に[[趙 (戦国)|趙]]の[[武霊王]]が、北方の[[遊牧民族]]の習慣をまねする形で乗馬に適したズボン式の服装を初めて取り入れた。
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[[日本]]でも3世紀頃より[[直垂]]というズボンと同じ形式の着物が存在した。
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古代からヨーロッパの文化に歴史上の要所で紹介されたが、用いるのは貴族階級に限られ、一般人にまで普及したのは16世紀以降の近世からである。
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ズボンの英名である''Trousers''という単語は中世アイルランドの''triubhas''(体にぴったりとしたショートパンツ)から来た[[ゲール語]]を起源としている。
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=== 男性のズボン ===
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英語のTrousersが単数形ではなく複数形なのは、15世紀に男性たちが着用していた別々のホース(hose:中世貴族が着ていたタイツ)がその起源だからである。ホースは作成が容易で、上部にあるポイントと呼ばれる[[ダブレット]](Doublet)に紐で固定しやすかったが、時を経るにつれ2つのホースは結合されていった。最初は後ろが結合され、表側も結合されていったが、[[排尿|衛生的な機能]]のために大きな開放部がまだ残されていた。元々はダブレットがほぼ膝まで届く長さとなっており、陰部を効果的に覆い隠すことができたが、流行が変化してダブレットが短くなり、男性は生殖器を[[コッドピース]](codpiece)で覆う必要が出てきた。
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16世紀末になるとコッドピースはホースと一体化していた。この筒は現在では通常ブリーチ(breeches)と呼んでおり、だいたい膝までの長さがあり、[[フライフロント]](比翼)や[[フォールフロント]]といった開閉機能を有していた。
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フランスの男性は[[フランス革命]]当時、上流階級の膝丈のブリーチの代わりに、足首までの長さのあるズボンやパンタロン、今日では登山などの時にはく[[ニッカーボッカー]]のような[[キュロット]]という膝丈あたりまでの衣服といった、労働者階級の衣装を着ていた。
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このスタイルは19世紀初期に[[イングランド]]へと伝わった。伝えたのは[[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]と推測されている。19世紀中頃までファッションストリートの流行服としてブリーチに取って代わった。ブリーチは若い学生により[[プラスフォアーズ]](plus-fours)や運動着とするための[[ニッカーボッカーズ|ニッカーズ]](knickers)として1930年代を生き延びた。
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水兵は世界中のファッションとしてのズボンを普及させる役割を担ったと推測される。17世紀から18世紀にかけて、水兵はガリガスキンズ(galligaskins)と呼ばれるだぶだぶのズボンを着用していた。水兵はまた[[デニム]]で作られたズボンである[[ジーンズ]]を最初に着用した人々でもあった。これらはがっしりとしていて頑丈だったため、19世紀後半にアメリカ西部でさらに一般的になった。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2019年11月30日 (土) 11:18時点における版

ズボン(洋袴)とは衣服ボトムスの一種で、2本に分かれた筒に片脚ずつを入れて穿く形のものを指す。 片仮名で表記されるが、日本語である。 下半身の下着を身に着けたその上に穿くものである。着用中にずり落ちてこないように、ベルトサスペンダーなどで留められる。

名称

同様のものは、場合によって、スラックストラウザーズパンツなどと呼ばれることも多い。また、種類ごとにジーンズチノパンカーゴパンツなどとも呼ばれる。

現在は、ファッション業界を主として、英語圏内で現在主に流通している「pants」(「pant」の複数形 )に即してパンツという呼び方も勢力を増しつつあるが、一般的な日本語としては「ズボン」という呼び方のほうが今なお根強い。例えば、「パジャマのズボン」、「スウェットズボン」、「子供用ズボン」、「半ズボン」などという使い方が主となっている。

「ズボン」の語は、フランス語で「ペチコート」の意味の「jupon」から来ているといわれる。ほかに、江戸時代末期に、穿く時に鳴る音の擬音「ズボン」から名称ができたという説もあり、これは『トリビアの泉』にて取り上げられた。ただし、正確な由来はまだ分かっていない。 日本での当て字は洋袴である。

国語辞典 『言泉』国文学者 落合直文 (おちあい なおぶみ) ・編纂によれば、

ずぼん 洋袴 【名】 『幕末の頃、幕臣大久保誠知といふ人のこれを穿けば、 ずぼんと足のはいるとて言い初めたる語なりといふ』  洋服の下部。足に穿つもの。形、股引に似たり。

とある。

歴史

構造は単純であり、古代から存在した。世界最古のズボンは、中国タリム盆地の墳墓から見つかった3,300年前のもので、遊牧民が馬に騎乗する際に着用していたものと考えられている。同様のズボンは、イラン人スキタイ人(アケメネス朝ペルシア人も含む)のようなユーラシア大陸の放牧民が着用し、後にハンガリー人オスマン人によって近代ヨーロッパに伝達されることになる。

古代中国では騎兵だけが着用していた。紀元前307年に武霊王が、北方の遊牧民族の習慣をまねする形で乗馬に適したズボン式の服装を初めて取り入れた。

日本でも3世紀頃より直垂というズボンと同じ形式の着物が存在した。

古代からヨーロッパの文化に歴史上の要所で紹介されたが、用いるのは貴族階級に限られ、一般人にまで普及したのは16世紀以降の近世からである。

ズボンの英名であるTrousersという単語は中世アイルランドのtriubhas(体にぴったりとしたショートパンツ)から来たゲール語を起源としている。

男性のズボン

英語のTrousersが単数形ではなく複数形なのは、15世紀に男性たちが着用していた別々のホース(hose:中世貴族が着ていたタイツ)がその起源だからである。ホースは作成が容易で、上部にあるポイントと呼ばれるダブレット(Doublet)に紐で固定しやすかったが、時を経るにつれ2つのホースは結合されていった。最初は後ろが結合され、表側も結合されていったが、衛生的な機能のために大きな開放部がまだ残されていた。元々はダブレットがほぼ膝まで届く長さとなっており、陰部を効果的に覆い隠すことができたが、流行が変化してダブレットが短くなり、男性は生殖器をコッドピース(codpiece)で覆う必要が出てきた。

16世紀末になるとコッドピースはホースと一体化していた。この筒は現在では通常ブリーチ(breeches)と呼んでおり、だいたい膝までの長さがあり、フライフロント(比翼)やフォールフロントといった開閉機能を有していた。

フランスの男性はフランス革命当時、上流階級の膝丈のブリーチの代わりに、足首までの長さのあるズボンやパンタロン、今日では登山などの時にはくニッカーボッカーのようなキュロットという膝丈あたりまでの衣服といった、労働者階級の衣装を着ていた。

このスタイルは19世紀初期にイングランドへと伝わった。伝えたのはジョージ・ブライアン・ブランメルと推測されている。19世紀中頃までファッションストリートの流行服としてブリーチに取って代わった。ブリーチは若い学生によりプラスフォアーズ(plus-fours)や運動着とするためのニッカーズ(knickers)として1930年代を生き延びた。

水兵は世界中のファッションとしてのズボンを普及させる役割を担ったと推測される。17世紀から18世紀にかけて、水兵はガリガスキンズ(galligaskins)と呼ばれるだぶだぶのズボンを着用していた。水兵はまたデニムで作られたズボンであるジーンズを最初に着用した人々でもあった。これらはがっしりとしていて頑丈だったため、19世紀後半にアメリカ西部でさらに一般的になった。

脚注

関連項目