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それでも当初はごく普通の投稿にいそしんでいたが、そのうちに彼は野望を持つようになる。そう、権力欲である。このため、だんだんと記事の執筆はおざなりになり、記事を書かない割にやたらと運営に口を出すようになる。しかしもともと社会性に欠ける彼は、受け入れられる事はなく、それぞれのコミュニティから疎まれるようになる。 | それでも当初はごく普通の投稿にいそしんでいたが、そのうちに彼は野望を持つようになる。そう、権力欲である。このため、だんだんと記事の執筆はおざなりになり、記事を書かない割にやたらと運営に口を出すようになる。しかしもともと社会性に欠ける彼は、受け入れられる事はなく、それぞれのコミュニティから疎まれるようになる。 | ||
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+ | 2007年4月、当時管理者の公選制のなかったアンサイクロペディアにおいて、彼はまんまと管理者権限(以下Admin権限)とビューロクラット権限(同BC権限)の獲得に成功する。しかしその後、チェックユーザ権限(CU権限)が実装されると自らCU権限を付与したばかりか、当時「CU権限付与はBC権限にのみ可」というコンセンサスを破ったばかりか、あろうことか平管理者の{{UCP|獲加多支鹵大王}}に対し「私、本日CU権限をいただきました。獲加多支鹵さんもいります?」として実際に付与してしまった。当時はまだアンサイクロペディアのルールが緩かったとはいえ、彼がMediaWiki権限をあまりに軽く考えている事を示す発言であった。この発言が後の全権はく奪の一因となる。 | ||
− | そしてついにチャクウィキにチェックユーザー機能が配備されるに至って彼の運命は決することになる。チェックユーザーの配備が決まった際、彼は全く技術力のない利用者をチェックユーザに指名しようとするも失敗、結局チェックユーザー権限は1月3日に{{CWuser|Muttley}} | + | 2007年5月、アンサイクロペディアでは「BC権限者は自分で自分のアカウント名を変更してはいけない」という決まりがあったにも関わらず、またもルールを無視して自分で自分のアカウント名を変更してしまう。しかもその事を本人は全く悪いこととは思っておらず「え、まずかった?じゃあ戻してもいいよ」的な対応をしたためにコミュニティの怒りを買って{{UCP|Forum:七星氏の懲戒処分について}}を発議され、5月31日に全権をはく奪された。 |
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+ | 2007年12月、チャクウィキにLTAが出没、アカウントを作っては荒らす(主に白紙化)という手口であった。荒らしは何度か繰り返され、当初はその正体が不明であったが、そのうちにある時利用者が「{{CWuser|七星}}が怪しい」という事に気づき、その情報はじきに共有されていった。 | ||
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+ | そしてついにチャクウィキにチェックユーザー機能が配備されるに至って彼の運命は決することになる。チェックユーザーの配備が決まった際、彼は全く技術力のない利用者をチェックユーザに指名しようとするも失敗、結局チェックユーザー権限は1月3日に{{CWuser|Muttley}}に付与され、その5日後の1月8日に七星アカウントは無期限ブロックを受けた。ここから彼の、Muttleyに対する敵視が始まることとなった。ちなみに無期限ブロックの原因を作ったのは他ならぬ自分自身であり、Muttleyこそ被害者である。 |
2017年9月1日 (金) 13:36時点における版
本項目「rxy」は、先編集権が主張されています。「同意を得ないリバート」「記事の置き換え・白紙化」等の不正改竄は荒らしとみなされブロックされますので、ご注意ください。また、このテンプレートを剥す行為も荒らしとみなされますのでご注意下さい。どうしても自分の意に沿う編集をされたい場合は「rxy (2)」という様な感じでフォークを立てて下さい。
rxyは重度のウィキホリック患者。
MediaWikiとの出会い
MediaWikiにおける、現在確認できる最古の投稿はアンサイクロペディアにおける2006年12月16日七星(会話/履歴)名義で行っている。その4日後にはウィキペディアにも同名のアカウントを作成(のちに七星~jawiki(会話/履歴)に改名)、当時は香港在住であった。
その後2007年2月15日にはチャクウィキにもアカウントを作成、以後MediaWikiに魅せられる。……とここまでは全く問題ないのであるが、もともと記事の執筆能力は乏しく、特にユーモアが必要とされるアンサイクロペディアにおいては壊滅的、ウィキペディアにおいてもネット上に散在する情報を適当にまとめるぐらいの事しかできないなど、記事で貢献することは彼にはどだい不可能な事であった。アンサクロペディアで彼が最初に投稿した利用者:七星/広東糸瓜共和国などはその最たる例である。
それでも当初はごく普通の投稿にいそしんでいたが、そのうちに彼は野望を持つようになる。そう、権力欲である。このため、だんだんと記事の執筆はおざなりになり、記事を書かない割にやたらと運営に口を出すようになる。しかしもともと社会性に欠ける彼は、受け入れられる事はなく、それぞれのコミュニティから疎まれるようになる。
最初の転落
2007年4月、当時管理者の公選制のなかったアンサイクロペディアにおいて、彼はまんまと管理者権限(以下Admin権限)とビューロクラット権限(同BC権限)の獲得に成功する。しかしその後、チェックユーザ権限(CU権限)が実装されると自らCU権限を付与したばかりか、当時「CU権限付与はBC権限にのみ可」というコンセンサスを破ったばかりか、あろうことか平管理者の獲加多支鹵大王に対し「私、本日CU権限をいただきました。獲加多支鹵さんもいります?」として実際に付与してしまった。当時はまだアンサイクロペディアのルールが緩かったとはいえ、彼がMediaWiki権限をあまりに軽く考えている事を示す発言であった。この発言が後の全権はく奪の一因となる。
2007年5月、アンサイクロペディアでは「BC権限者は自分で自分のアカウント名を変更してはいけない」という決まりがあったにも関わらず、またもルールを無視して自分で自分のアカウント名を変更してしまう。しかもその事を本人は全く悪いこととは思っておらず「え、まずかった?じゃあ戻してもいいよ」的な対応をしたためにコミュニティの怒りを買ってForum:七星氏の懲戒処分についてを発議され、5月31日に全権をはく奪された。
2回目の転落
2007年12月、チャクウィキにLTAが出没、アカウントを作っては荒らす(主に白紙化)という手口であった。荒らしは何度か繰り返され、当初はその正体が不明であったが、そのうちにある時利用者が「七星(会話/履歴)が怪しい」という事に気づき、その情報はじきに共有されていった。
そしてついにチャクウィキにチェックユーザー機能が配備されるに至って彼の運命は決することになる。チェックユーザーの配備が決まった際、彼は全く技術力のない利用者をチェックユーザに指名しようとするも失敗、結局チェックユーザー権限は1月3日にMuttley(会話/履歴)に付与され、その5日後の1月8日に七星アカウントは無期限ブロックを受けた。ここから彼の、Muttleyに対する敵視が始まることとなった。ちなみに無期限ブロックの原因を作ったのは他ならぬ自分自身であり、Muttleyこそ被害者である。