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+ | なお、会話ページにおいて「過半数には達しなくてもまとまった解任票が集まれば解任基準に達しなくても辞める」と公言していたが、2016年5月に行われた解任投票では、49%の解任票が集まったが辞めず。それより以前に45%の解任票が集まった解任投票時に、これはまとまった解任票じゃないのか?と会話ページで問い詰められるが、飄々と話をはぐらかすだけであった。近年は信任率はギリギリなのが通常であり、解任はどの道時間の問題であったと見る事もできるだろう。この信任率では、特にアンチ山田などはいないと見た方が良いかもしれない。すなわち、近年ではウィキペディア参加者の半数弱はアンチ山田だったのだから特筆する必要すらないわけだ。単なる嫌われ者である。最後の解任投票ではアンチ率が79%に跳ね上がった点は、特筆すべきか。「ウィキペディアにおいて正義が実行された、きわめて、まれな例である」。 | ||
==プロフィール== | ==プロフィール== |
2016年12月20日 (火) 18:44時点における版
山田晴通(やまだ はるみち、1958年10月-)は福岡県出身の社会地理学者、東京経済大学コミュニケーション学部教授。東京経済大学労働組合委員長。元松商学園短大講師。顔写真も公開している。ウィキペディア日本語版の元管理者であり、もっとも問題のある独裁的管理者の一人であった。
独裁的管理者としての問題行動
ウィキペディア日本語版の管理者の中でも、もっとも悪質な管理をしている人物の一人であった。ウィキペディアの管理者としての独裁的問題行動は、「パンク」の項目に上から下まで大量に「要出典」を貼るなどの、ページ私物化行為があげられる。以前は「カウンターカルチャー」の項目においても、ジョン・レノンその他に要出典のタグを貼るなど、無知とデタラメな管理ぶりを示していた。ほかの音楽項目についても同様の行為をおこなって権力欲を露呈しているが、もちろん音楽的な知識はまったく不足している。自身がウィキペディアの問題点を挙げたりしているが、その問題点が自分自身に最もよくあてはまっている。「昭和ノスタルジー」の内容を独自研究であると主張して削除させたのは、正気の沙汰ではない。
管理者解任
かねてから山田の問題の多い管理活動(要出典の大量貼り付けや、即時削除)を嫌っていた、管理者のアルトクール(山田を編集合戦の罪で1日ブロックの刑に処した)や巻き戻し者のぱたごんを中心とする「アンチ山田」らによって、解任投票が提出され、2016年10月28日、管理者の座から引きずり下ろされた。管理者が解任されるのは、Vigorous action以来4年ぶりのことである。 なお、会話ページにおいて「過半数には達しなくてもまとまった解任票が集まれば解任基準に達しなくても辞める」と公言していたが、2016年5月に行われた解任投票では、49%の解任票が集まったが辞めず。それより以前に45%の解任票が集まった解任投票時に、これはまとまった解任票じゃないのか?と会話ページで問い詰められるが、飄々と話をはぐらかすだけであった。近年は信任率はギリギリなのが通常であり、解任はどの道時間の問題であったと見る事もできるだろう。この信任率では、特にアンチ山田などはいないと見た方が良いかもしれない。すなわち、近年ではウィキペディア参加者の半数弱はアンチ山田だったのだから特筆する必要すらないわけだ。単なる嫌われ者である。最後の解任投票ではアンチ率が79%に跳ね上がった点は、特筆すべきか。「ウィキペディアにおいて正義が実行された、きわめて、まれな例である」。
プロフィール
1977年栄光学園高等学校卒業、東京大学教養学部文科二類入学。 1981年、東京大学教養学部教養学科卒業、東京大学大学院理学系研究科修士課程入学。 1983年、東京大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程進学。 1986年、東京大学大学院博士課程単位取得退学。 その後松商学園短期大学講師・助教授を経て、1995年東京経済大学コミュニケーション学部助教授に就任。 2006年4月より現職。 研究分野は、社会経済地理学、地域メディア論、ポピュラー音楽など大衆文化。理学博士(東京大学)。
著書
- 単著
- 共著
東谷 護,編『ポピュラー音楽へのまなざし』勁草書房
- 翻訳
- 『メディア空間文化論―メディアと大衆文化の地理学』(著者:ジャクリン・バージェス (古今書院)1992年 ISBN 4772214380
エピソード
- インターネット上の掲示板に実名を用いて書き込みをしている。(下記山田晴通研究室参照)