「オペラグローブ」の版間の差分
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この肩を出したドレスには肘上まである長い丈の手袋をつける。この正装用の手袋を英語でOpere Gloves(オペラ手袋)・・・つまり正装してオペラや音楽会の劇場又は舞踏会へ行く時の長手袋という。芝居やオペラは夜に開演するので夜用のドレスであり、女性にとってはエレガントと同時にセクシーさも演出できる服飾小物である。 | この肩を出したドレスには肘上まである長い丈の手袋をつける。この正装用の手袋を英語でOpere Gloves(オペラ手袋)・・・つまり正装してオペラや音楽会の劇場又は舞踏会へ行く時の長手袋という。芝居やオペラは夜に開演するので夜用のドレスであり、女性にとってはエレガントと同時にセクシーさも演出できる服飾小物である。 |
2014年11月18日 (火) 22:32時点における版
この項目では、グローブや手袋全体について説明しています。そのほかのグローブについては「グローブ」をご覧ください。 |
概要
手袋(てぶくろ)は、保護や装飾のために手(形態によっては腕やその一部を含む)を覆う衣服[1]。
親指と他の指が分かれているものは特にミトンと呼ぶ[1]。また、指を解放しているタイプのものもある[1](オープンフィンガーグローブ)。
手袋の素材には多くの素材が使われており、綿やウール・ポリエステル・ナイロン・アクリル繊維の布、毛糸、フェルト、牛や羊の革・人造皮革、 ゴム、ラテックス、金属、耐熱手袋にはアラミド繊維やシリコン樹脂も使われている。柔らかい布地で作られたウォッシンググローブ (英:washing glove) というものがあり、体を洗うのに使う。
数量単位は双。10双をデカ、12双をダースとして取引に用いられる。
なお、日本では「革又は合成皮革を製品の全部又は一部に使用して製造した手袋」について家庭用品品質表示法の適用対象となっており雑貨工業品品質表示規程に定めがある[2]。
長手袋 Opere Gloves
女性の夜の正装といえばイブニング・ドレスだが、その中でも最も正式なのはローブ・デコルテである。ローブとはドレスのことで、デコルテとは胸元が大きく開いたラインのことである。肩や背中が出ることもある。
この肩を出したドレスには肘上まである長い丈の手袋をつける。この正装用の手袋を英語でOpere Gloves(オペラ手袋)・・・つまり正装してオペラや音楽会の劇場又は舞踏会へ行く時の長手袋という。芝居やオペラは夜に開演するので夜用のドレスであり、女性にとってはエレガントと同時にセクシーさも演出できる服飾小物である。
その起源は19世紀のナポレオン時代からといわれ、アメリカにはフランス人の演劇女優であるSarah Bernhardt(サラ・ベルナール)がもたらしたといわれている。この手袋はKid(子山羊)などの皮製が正式とされるがドレスに合わせてサテンやオーガンジー、レースなどもある。日本では皇室の晩餐会や儀式、又は一般の結婚式の花嫁で馴染みがある。
歴史
手袋の歴史は少なくとも古代ギリシア時代に遡る。ホメロスの『オデュッセイア』のいくつかの翻訳によると、オデュッセウスの父ラーエルテースは庭を歩く時に手袋をしていたとしている。しかし、他の翻訳によると、ただ袖で手を覆っただけである。紀元前440年に書かれたヘロドトスの著書『歴史』の中にレオテュキデスという人物が手袋、あるいはガントレット一杯の銀貨を賄賂として受け取った罪に問われていることが記述されている。古代ローマ人の記述の中にも、度々手袋が登場する。西暦100年前後に活躍した小プリニウスによると、大プリニウスは馬車に乗車中に口述筆記させていた速記者に冬の間は手袋を着用させ寒さの中でも文章を書けるようにしていたという。
ファッション、儀式、それに宗教のために手袋は用いられる。13世紀ごろからヨーロッパでは女性の間でファッションとして手袋を着用するようになった。リネンや絹でできており、時には肘まである手袋が広まっていた。16世紀にエリザベス1世が宝石や刺繍、レースで豪華に装飾されたものを着用した時に手袋の流行は頂点に達した。アーム・ロングと呼ばれるパーティー用長手袋の場合、食事や握手の時にいちいち外さずに済むよう、手首内側に手を出す為の穴が空けられている。
刺繍と宝石で装飾された手袋は皇帝や王の徽章の一部となっている。1189年にヘンリー2世が埋葬された時には、戴冠式のときに着用したローブと王冠、それに手袋とも共に埋められたと、マシュー・ペリーは記録している。1797年にイングランド王のジョンの墓を開いた時、それに1774年にエドワード1世の墓を開いた時にも、手袋が発見されている。
祭服としての手袋は、主に教皇や枢機卿、僧侶たちが着用している。教義によりミサを祝う時にのみ着用を許されている。手袋はこの習慣は10世紀に遡り、儀式の際に手をきれいにしておきたいという単純な欲求が始まりかもしれないが、特権階級として豊かになった聖職者たちが己の身を飾るためにつけたものが始まりかもしれない。フランク王国からローマにこの習慣は広まり、11世紀の前半にはローマでも一般的になった。
日本では、鎌倉時代に鎧の篭手として発達した。当時は手覆(ておおい)とも呼ばれた。15~16世紀に南蛮貿易によって西洋式の手袋が輸入され、珍重された。やがて国内生産も始まり、手袋づくりは貧乏武士の内職として盛んになっていく。手袋は俳句における冬の季語でもある。
女性皇族は常に白の手袋を携帯しているが、これは帽子と共にその貴族性を象徴する為の物である。
礼装用手袋(ドレスグローブ)
モーニングコート等の礼服に用いられたり、警備員が手旗の代わりに用いたり、タクシー等の運転手が礼装をアピールしたり手やハンドルを汚さない為に用いる。なお、礼服ではドレスグローブという言い方をし、ボタンかスナップで留めるのが特徴。材質は革か布、色は白か灰色である。礼装は白・灰共に用いられ、ピンタックという三ツ山の装飾が外側に付いている。女性向けの礼装用ドレスグローブには、二の腕あたりまですっぽりと覆うロンググローブタイプのものもある。
作業用は白が多い。一部の警備会社では略して「白手」(しろて)と呼ぶ。本来は燕尾服やタキシードなど夜の正装に用いて、モーニングコートなど昼には用いなかったが現在は関係なく用いられている。色は白が幅広く用いられているが厳密には燕尾服には白、モーニングコート・フロックコートには灰色、タキシードは黒となっている(背広で代用した場合も同じ)が現在は気にせず白や灰色を用いることも多い。弔事には服装を問わず灰色や黒を用いる。
用語
- ラテックス (語源:英:latex)
- 編み手袋
- 掌
- 甲
- マチ
- 手首
- 手首広がり
- ベンツ (語源:英:vents)
- ゲージ (語源:英:gauge、gage)
- 内縫い
- まつり
- ピケ (語源:英:pique)
- 半ピケ
- ガンカット (語源:英:guncut)
- 指下(親指最下部から手首までの長さ:一般に日本で売られる物は短い)
- 裏地
- 三本飾り