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日本における'''SM誌'''の歴史は古く、[[戦後]]まもない[[1945年]]に創刊が確認されている。7年後の[[1952年]]には[[奇譚クラブ]]が創刊された。 | 日本における'''SM誌'''の歴史は古く、[[戦後]]まもない[[1945年]]に創刊が確認されている。7年後の[[1952年]]には[[奇譚クラブ]]が創刊された。 |
2011年9月23日 (金) 07:17時点における版
SM誌(えすえむし)とは、SMの専門雑誌のこと。
日本におけるSM誌の歴史は古く、戦後まもない1945年に創刊が確認されている。7年後の1952年には奇譚クラブが創刊された。
その後、SM誌は1971年に日活がポルノ路線に方向転換した直後、最初のブームを迎える(第1次SMブーム)。SM誌の2度目のブームは9年後の1981年であった(第2次SMブーム)。これは女子大生ブームとノーパン喫茶の影響によるところが大きい。1986年頃からSM誌の内容が変質し、第3次SMブームを迎えた。
SM誌のメインはSM小説であり、SM誌一冊の分量割合でもSM小説が大半を占める。しかし事実上の“目玉”はSM写真であり、SM写真を目当てにSM誌を買う読者が多い。
SMブームが起こった時代はヘア解禁前であった。ところが、SM誌のSM写真に登場するSMモデルはほとんどが陰毛を剃っており、警察による陰毛露出のチェックとはほぼ無関係であった。極端な例をあげれば、SM誌のSM写真は“パイパンの女性性器に股縄が一本食い込んでいる”という状態であった。
SM誌のSM写真でも、SMモデルへの本番セックス(膣へのペニスの挿入)は行われた。しかし、AVでの本番セックス・シーンとは異なり、SM誌では“挿入ポーズの撮影”にとどまった。ただし“体験コーナー”のような企画では、実際に通常のハメ撮りが行われた。
SM誌におけるSM写真のメインは緊縛写真であり、縄師が活躍した。代表的な縄師に露木痴夢男がいる。なお、縄師は通常SMモデルとハメ撮りを行い、露木のようにSMモデルとハメ撮りをしないタイプは少数派である。ちなみに露木はハメ撮りをするSMを「ライトSM」と呼んで見下している。