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2024年2月10日 (土) 23:02時点における最新版

写真(しゃしん、 photograph、photography )は、狭義には、穴やレンズを通して対象物を結像させ、物体で反射した及び物体が発した光を、感光剤に焼き付けたのち、現像処理をして可視化したもの。基本的には、この行程にカメラを用いる。

"Photograph" という語は、イギリス天文学者ジョン・ハーシェルが創案した。 ちなみに「photo-」は「光の」、「-graph」は「かく(書く、描く)装置」、「かかれたもの」という意味であり、合わせて「光の画」と訳せるという意見を、必ずしも否定できない。 略してフォトと言うこともある。 また、デジタル写真は写真とは呼ばず画像と呼ぶこともある。 ちなみに、「写真」という語は、「真を写す」という意味に基づくものではないらしい。

写真の原理[編集]

銀塩写真の原理[編集]

ハロゲン化銀は光を与えると、銀イオンが還元され、イオン化されない銀ができる。感光して銀になってもそのままでは画像にはならない。感光した部分にある銀はごく少量のため、適当な量まで銀を増やす必要がある。これは現像液で行なう。又、感光しなかった部分はそれ以上感光しては困るため、不要な部分の銀分子は取り除く必要がある。これは定着処理で行なう。

ハロゲン化銀は感光するとき、波長を吸収する領域は青色に依っている。そこで、可視領域にわたって感光させるために、感光色素を用いて本来の吸収波長以外にも反応が起こるように設定する。まず、感光色素が光に反応し、色素の電子がハロゲン化銀へ移動そることによって、ハロゲン化銀の直接の感光と同様の変化が成立する。可視的な電磁波の特定の波長領域にのみ感光するようにし、三原色に対応するように感光層を重ねるとカラーフィルムになる。

相反則と相反則不軌[編集]

基本的に写真の感光量は、光の量(単位時間あたりの光の量×光が当たった時間)によって決まる。これを相反則という。

ただし、感光量は入射した光の量にどこまでも比例しはしない。未露光部はベースフィルム以上淡色にはならないし、感光するハロゲン化銀は限られているから一定以上の光を当ててもそれ以上濃くならない。従って、光の入射量と画像の濃さをグラフにすると、シグモイド関数のようになる。変化の中間部は直線的であり、この部分の傾きの事をガンマという。

更に、非常に暗い場合や非常に短時間の露光の場合には相反則が成立しない場合がある。これを相反則不軌という。相反則不軌は天体写真を取る時などに大きな問題となる。相反則不軌は、カラーフィルムでは、さらに問題になる。色ごとに相反則不軌の状態が異なるからである。

写真の撮影[編集]

カメラ及びカメラ・オブスクラは、撮影機器である。 写真フィルムまたは電子的記録カードが記録媒体であるが、ほかの方法が採られることもある。例えば、光学コピーや乾式コピー(ゼロコピー)は永続的な画像を作るが、写真フィルムではなく静電気の移動を使っているので、電子複写(静電複写)という。 マン・レイの刊行したレイヨグラフなどのフォトグラムは、印画紙に投影された影でできた画像であり、カメラを用いない。 スキャナのガラス面に直接撮影対象を置くことによって、電子複写を行うことも可能である。

撮影者は記録媒体を必要な量の光に露出する目的で、カメラとレンズを選択・操作できる。 (記録媒体として通常は、写真フィルムかCCDCMOSを使う。)

選択・操作の対象には以下のものなどがあるだろう。

  • レンズの焦点
  • レンズの絞り(アパーチャ)。:レンズを通過する光の量を制御する
  • レンズの焦点距離(超広角、広角、標準、望遠、超望遠)
  • レンズの種類(単焦点、ズーム、バリフォーカス||一般撮影用、高倍率撮影用、ティルト&シフト、ソフトフォーカスなど)
  • フィルターや覆い、ディフェーザー
  • シャッタースピード
  • 感度
  • 記録画質など(デジタルカメラ)

カメラの制御は互いに関係し合っている。 フィルム面に到達する光の総量は、露出時間、レンズの絞りによって変わる。このうちのひとつでも変えれば、露出が変わる。

露光時間はシャッタースピードで表される(物理的なシャッターがないカメラであっても)。それは、秒の逆数で表示される場合が多い。 絞りはf値で表示されているが、これはレンズの明るさを表している。fは焦点比(focal ratio)のfである。f値がルート2分の1倍になる毎に、絞りの直径はルート2倍大きくなり、絞りの面積は2倍になる。 典型的なMFレンズに刻まれたf値は、2.8、4、5.6、8、11、16、22、32などであるが、これは数字が小さくなる毎に、光の量が2倍になることを意味する。

特定の露出の、シャッタースピードと絞り値は、さまざまな組み合わせ成立する。 例えば、125分の1秒でF 8と、500分の1秒でF 4では、同じ量の光が得られる。 当然ながら、どの組み合わせ選んだかは最終的な仕上がりに影響する。 シャッタースピードの変化は、対象とカメラの動きの反映の度合いを変える。絞りの変化は被写界深度を変える。 被写界深度は、焦点の前後に広がるピントがあっているように見える範囲のことである。 例えば、大口径の長焦点レンズを使用した場合、対象の目には鋭い焦点が合うとき、鼻の頭はピントが合っているように見えない、ということが起こる。 反対に、小口径の短焦点レンズを使えば、対象の目にも鼻にもピントが合って見える写真を撮影することは容易である。 ピンホールのように、非常に小さい絞りを使うと、ごく広い範囲にピントを合わせることができる。これはパンフォーカスと呼ばれる。

写真の出力[編集]

材質に関わらず、カメラが捕らえた像を最終的な写真作品にするには、何らかの工程が必要である。 この工程には現像焼き付けなどがある。

焼きつけ工程では、いくつかの調整によって、結果を変えることができる。 こうした調整の多くはイメージキャプチャーなどで行われる調整に似ているが、引き伸ばし機を用いた焼きつけ工程に固有のものもある。 大部分はデジタルによく似た調整であるが、大きく異なる効果をもたらすものもある。

調整には次のものなどがある。

  • フィルム現像の内容
  • 印画紙の種類(光沢の程度や質感など)
  • 引き伸ばし機の方式や性能
  • 露光時間
  • レンズの絞り
  • コントラスト
  • 覆い焼き(焼きつけの一部だけ露出を減らす)
  • 焼き込み(一部だけ露出を増やす)

アスペクト比[編集]

デジタルカメラ写真のアスペクト比については次のものが主である。長辺が短辺に比してより長いものから、挙げる。以前は、パソコンとの整合性から「4:3」の機種が多かった。

DPE店などで、「フロンティア」や「QSS」によって印刷される写真の用紙の規格は以下のものなどがある。 DPE店の店頭でフィルムから印刷された写真が銀塩写真の限界ではないこと、多くのDPE店の(恣意的な)色補正や濃度決定が不適切であることを、付言しておく。

  • Lサイズ(89mm×127mm)…フィルムカメラの大衆的なプリントサイズ。
  • DSCサイズ(89mm×119mm)…デジタルカメラの大衆的なプリントサイズ。Digital Still Cameraの略。Lサイズに相当。
  • KGサイズ(102mm×152mm)…はがきサイズ。
  • HVサイズ(89mm×158mm)…DSCサイズの横幅を伸ばしたもの。16:9比の写真のプリントなどに使う。
  • 2Lサイズ(127mm×178mm)…Lサイズの面積を倍にしたサイズ。
  • DSCWサイズ(127mm×169mm)…2Lサイズに相当。デジタルカメラで利用される。

写真の種類[編集]

モノクロ写真[編集]

モノクロフィルムを参照

カラー写真[編集]

ファイル:Prokudin-Gorskii-09.jpg
セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキーによるカラー写真、1910年代にロシア帝国各地で撮られたもののひとつ

カラー写真は1800年代に開発が始まった。 初期のカラー実験では、画像を固定させることができず、更に、退色し易かった。 最初の永続的カラー写真は1861年に物理学者ジェームズ・クラーク・マックスウェルによって撮影された。

初期のカラー写真の撮影方法は、三つのカメラを使うものだった。それぞれのカメラがレンズの前にカラーフィルターを持っていた。この技法は暗室や画像処理工程に三系統の処理設備を必要とした。

ロシア人写真家セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキーは、別の技法を開発した。 三枚のカラー乾板を素早く連続して撮影する技法である。

この技法が実際に用いられた背景として、当時は必要な色に対する適当な感度をもつ乳剤が知られていなかったため、カラーフィルムを製造することができなかったことが挙げられる。 しかし1900年代に入ると、H.W.フォーゲルのような光化学者たちの活躍により、ついに緑と赤に適当な感度を持つ乳剤が発売された。

フランス人のリュミエール兄弟によって発明された最初のカラーフィルムであるオートクロームは、1907年に市場に現れた。これは染料で染めたジャガイモでんぷんで作られた「スクリーン板」フィルターに基づいたもので、ドイツのアグファ1932年に類似のアグファカラーを発売するまでは市場における唯一のカラーフィルムだった。 1935年アメリカのコダックが三色乳剤を採用した最初の近代的なカラーフィルム(integrated tri-pack)であるコダクロームを発売し、1936年にはアグファのアグファカラーノイエが追従した。 アグファカラーノイエのカラーカプラは、コダクロームのトライパック方式とは異なり、乳剤が層状になっており、フィルムの処理が大幅に簡略化されていた。 コダクロームを除くほとんどの近代的カラーフィルムは、アグファカラーノイエの技術に基づいている。 インスタントカラーフィルムは1963年にポラロイドから発売された。

興味深い注釈として、コダクロームの開発者だったレオポルド・マンネスとレオポルド・ゴドウスキ・ジュニアは、どちらも熟達した音楽家だった。また、ゴドウスキーはジョージ・ガーシュウィンの従兄弟であり、彼の父レオポルド・ゴドウスキーは偉大なピアニストだった。

カラー写真は、スライドプロジェクタで使うための陽画の透過フィルムとして像を撮ることもできるし、陽画の焼き付けを作るためのカラー陰画を作ることもできる。 自動プリント機器の登場によって、現在では後者が最も大衆的なフィルムである。

デジタル写真[編集]

写真処理施設の遠隔地で仕事をする新聞記者などのカメラマンにとって、伝統的な写真は少なからず荷物だった。 テレビジョンとの競争が激化するにつれ、新聞に載せる画像をより短時間で送付しなければならないという圧力が生まれてきた。 そこで遠隔地で仕事をする新聞記者達は、小型の写真現像セットと、電話線で画像を送るための道具を持ち歩くのが当たり前な時代があった。

1981年ソニーが、画像撮影にCCDを使い、フィルムを用いない最初のコンシューマ用カメ「マビカ」を発表した。マビカは画像をディスクに保存し、画像自体はテレビに表示するものであった。 1990年コダックが初の市販デジタルカメラDCS100を発表した。 その価格は、業務用でもなければ手が出ないものであった。しかし、商業的なデジタル写真がこのとき生まれたのである。

デジタル写真は画像を電子データとして記録するために、CCDCMOSといった撮像素子を用いる。 携帯電話などにも、デジタル写真機が付いているものがある。(カメラ付き携帯電話を参照)

デジタル写真を写真と認めない人もいる。しかし、デジタル写真は写真の要件を満たしているようにも思る。 デジタルカメラで捉えた像は、見ることもプリントすることもできる。 この10年で、デジタルの自動露出・自動焦点カメラは広く行き渡った。 現在 デジタルカメラは、フィルムカメラよりも売れており、動画撮影や録音などフィルムカメラにはない機能を持っている機種も多い。

デジタル写真について、倫理面で問題が浮上してきている。 多くのフォトジャーナリストは、写真を改変してはいけないという道徳感を持っており、複数の写真を組み合わせて一枚の写真を装うことに強い抵抗を感じている。 多くの裁判所では、デジタル写真は容易に改変しうるという理由で、証拠として採用されない。 現在では、初心者でも容易に写真を加工できる。 Adobe Photoshopなどの画像処理ソフトウェアは、かつては厖大な時間を費やす必要があった画像加工さも、即座にできる。コントラストシャープネスなどを、初心者であっても「クリック一つで」調整できるのである。

フィルム写真とデジタル写真[編集]

フィルムとデジタル、二つのフォーマットのどちらが優れているかという議論がある。 全ての観点において、一方がもう一方よりも優れているとは言えない。 つまり、どちらのフォーマットもそれぞれ良さがあると言うべきだろう。 以下、観点を幾つか紹介する。

再現性[編集]

ここで再現性は、画質とほぼ同義であると考えていただきたい。写真の画質に関しては、解像度とコントラスト(そして色再現性)が格子と考えられる。

写真の写りを判断する基準は多数あるが、分解能を挙げる。取り敢えず、写真を分解する点の個数と考えてよいだろう。 これは、その写真が何個の画像セル(ピクセル)で構築されるかで計れる。

フィルムとデジタルで分解能を比較をするのは容易でない。分解能の測定は、さまざまな条件に依存する。 フィルムの場合、フィルムのサイズ、フィルムの粒状性、用いたレンズの性能に依存する。更に、フィルムにはピクセルとが存在しないから、ピクセルで計った分解能は目安に過ぎない。 デジタルカメラでは、センサー画像の補間に用いる画像処理アルゴリズム、記録画質、センサフィルタのベイヤーパターン(Bayer pattern)の効果、などが関係する。 加えて、普通、デジタルセンサーは長方形パターンで敷き詰められおり、画素情報も碁盤の目のように表示する。このためにモアレ模様の影響を受るが、フィルムでは粒子が不規則に並んでおり、このような現象はない。

35mmフィルムカメラで撮影した写真の解像度評価は、まちまちであるが、概ね12メガピクセルといった評価が多い。 例えば、より粒子の細かいフィルムを使うとこの数字は上がるし、低品質の光学系の使用や劣悪な照明がこの数字を下げることもあり得る。 R.N.クラークの解析の結果は次の通り。 「フィルムのデジタルメガピクセル等価数は非常に変わりやすく、また大まかに言ってフィルムスピードに依存する。ISO 50から100の低速で微粒子の35mmフィルムなら8から16メガピクセルに等価である。ISO 400フィルムはおよそ4メガピクセルしかない。」 この評価は、2006年の最新鋭デジタルカメラは35mmフィルムカメラよりも優れているという評価を含意している。

しかし、35mmフィルムは一般消費者向けのフォーマットである。プロ向けフィルムカメラとして、中判カメラ大判カメラがある。 これらに先の計算を単純にあてがうと、2006年現在の最新鋭デジタルカメラより数倍優れた分解能を持つことになる。具体的には、中判カメラのフィルム写真は約50メガピクセル、4×5インチは約200メガピクセルである。そして、8×10インチは約800メガピクセルになる。

第一級の高性能レンズを用い理想的な露出で撮影した現代の超微粒子白黒フィルムの分解能は、30メガピクセル以上のファイルサイズにおいて、適当な細かさが得られる。 一般消費者向け35mmカラーフィルムでは12メガピクセル以上の有効分解能が得られ、安価な35mmフィルムカメラ(コンパクトカメラ)でも8メガピクセル以上の解像度は出せる。

フィルム写真とデジタル写真を比較する場合フィルムは何画素に相当するかと考えがちだが、ないよりも先ず、両者はあまりに異なる。最終的なプリントを鑑賞する場合、近接時の鑑賞に耐え得るのはフィルム写真ではないだろうか(実際そう判断した写真家もいる)。「大伸ばしのプリントは近寄って眺めるものでない」と言う者もいるが、たとえば絵画を鑑賞する場合を考えると、古典絵画などは特に、大型のものでも、近接時の精細感のある描画に驚く場合もある。少なくとも、作品が大型であることが直接に、鑑賞において接近してはいけないことを意味することはない。

画像の表示に用いる媒体も考慮に入れる必要がある。 例えば、(せいぜい2メガピクセル程度のものしかない)テレビやコンピュータのディスプレイで写真を表示するのみであれば、ローエンドのデジタルカメラで出せる解像度で十分と言える。 4×6インチのプリントに出力する場合に限っても、デジタルとフィルムの間に知覚できる差はある。 出力媒体が大きな広告版なのであれば、より高い解像度をもった媒体か、大きな判が必要になるだろう。

因みに、デジタルカメラの撮像素子はフィルムカメラよりも小さいものが多いことから、同じ画角でも被写界深度が深くなる傾向があり、背景を大きくぼかして被写体を目立たせるような写真は撮りづらいともいえる。 (反対にこれは、絞りを開いて撮影しても広い領域にピントが合うことであり、必ずしも欠点でない。)

長時間露出写真については、例外がある。 現在利用可能なデジタルカメラでは、画像に熱雑音と製作不良から発生するランダムノイズが乗る。一部のデジタルカメラでは、長時間露出する際のノイズを軽減する機能が付いている。 非常に長い時間露光する場合、ノイズが最終的な画像に影響しないように、ディテクターを低温で動作させる必要がある。 フィルムの長時間露光では、粒状性は変化しないものの、見かけのフィルムスピードが変わり(相反則不軌)、カラーバランスが崩れる。

融通性[編集]

現在ではまだ、融通性に関してはフィルムがデジタルに勝ると言える。 露出寛容度とゴミ・埃に対してのありかたをあげる。

露出寛容度は、露出過多または露出不足のネガから良い画像を得る能力のことである。 デジタル画像ではわずかでも露出過多になると、ハイライトが飛んでしまう。露出不足では陰影の細部が失われがちである。反対に、フィルム特にネガフィルムであれば、露出過多、露出不足のフィルムを使っても、正常な画像が得られ易い。

結像面に乗った塵は、撮影者につきまとう問題である。 デジタルカメラのセンサーは固定であり、デジタル一眼レフでは塵を除くのが困難である。ただし、一部のデジタル一眼レフには、イメージセンサーの塵を検知して、センサー上のゴミ・埃をある程度無視する機構が付いている。 フィルムカメラでは画像ごとにフィルムを交換するので、塵に対処するのは容易である。また、正しい手順で清潔に扱えばほとんど問題は起きない。

利便性[編集]

利便性は、デジタルカメラが普及した要因の一つである。 フィルムカメラでは、一連のフィルムを撮影した上で、現像しなければならい。そして現像を終えて初めて、写真を見ることができる。 他方、殆どのデジタルカメラは液晶ディスプレイを備えており、撮った直後に写真を見ることができる。この機能を用いれば、不要な写真の削除が可能である。

また、デジタルカメラは、写真をパソコンで加工することが容易である。 多くのデジタルカメラは画像を、センサーからの出力を画像に変換せずそのまま保存するRAWフォーマットで保存することができる。 適当なソフトウェアと組み合わせれば、最終的な画像に「現像」する前に、撮った写真のパラメータ(シャープネスなど)を調整することができる。洗練されたユーザーには、記録された画像自体を加工したり書き換えるという選択肢も存在する。

ちなみに、フィルムもスキャニングという工程を経てデジタル化できる。つまり、銀塩写真をデジタル写真に加工することはできる。

経済性[編集]

デジタルカメラは概して、似たカテゴリーのフィルムカメラより、高価である。これは、撮影自体には殆ど全くコストが掛からないという事実で相殺され得る。(長期的に多数の画像を保存するなら、記録メディアに関するの費用は馬鹿にならない) これに対してフィルム写真は、フィルム自体と画像処理にコストが掛かり続ける。 フィルムは、撮影直後に画像を見ることができないので、最終的な写真を知ることなく撮影した全てのフィルムを処理するのが通例である。(つまり、写真の出来に応じて現像するか否かを、コマごと決めることは出来ない。)

デジタル写真にもランニングコストはある。 デジタルカメラにフィルムは不要だが、画像を記録するSDメモリーカードメモリースティックなどを必要とする。それらは限定的な寿命しかない。そして、デジタル画像を保存する機具を用意しなければならない。更に、デジタルカメラはバッテリーを使う。バッテリーは使うごとに劣化するものであり、定期的に買い替える必要がある。 プリントが欲しいなら、自分で印刷するか業者に依頼しなければならない。当然だが、ここにもコストがかかる。

二つのフォーマットにおける経済的優越性は撮影のスタイルによって大きく変化するので、一概にどちらがより経済的だとは言えない。

保存性[編集]

フィルムが作るのは一次画像であり、これは撮影レンズを通った情報をこそ、含んでいる。 オルソクロマチックのように特定の周波数領域に限られた感度、またはパンクロマチックの幅広い感度といった違いはあっても、色(波長)に頼って対象を捉える点は同様である。 現像方法の違いにより最終的なネガやポジに差は出るが、現像が終われば画像はほとんど変化しない。理想的な状態で処理され保存されたフィルムは、実質的に100年以上変わらず性能を発揮する。 金またはプラチナの色調を持つプリントは、基本的にベースの寿命に制限されるのみである。それは数百年持つであろう。

2007年時点で、コンピュータを中心としたデジタル媒体が登場してから50年しか経っていないので、デジタル写真の保存性はフィルムほどには分かっていない。 しかし、保存に関して乗り越えなければならない観点が、少なくとも三つ存在する。記録媒体の物理的耐久性、記録媒体の将来的な可読性、保存に使ったファイルフォーマットの将来的な可読性である。

多くのデジタル媒体は長期的にデータを保管する能力はない。 例えば、磁気ディスク磁気テープは20年でデータを失う。フラッシュメモリーカードはそれよりやや短い。高品位の光学メディア(光磁気ディスク = MOなど)は、それらより耐久性のある記録媒体だろう。

記録媒体の将来の可読性も重要である。 記録媒体が長期間データを保持できたとしても、デジタル技術のライフスパンは短いので、メディアを読み取るドライブが無くなることがある。 例えば、5.25インチフロッピーディスク(FD)は1976年に初めて発売されたものであるが、それを読めるドライブは、1990年代後半には既に珍品となっている。後継の3.5インチFDにしても、ドライブを装備するパソコンは減少している。Zipに至っては、1994年の発売開始後数年で売れ行きが落ち、2007年時点ではメディア・ドライブとも入手困難になっている。

また、データをデコードできるソフトウェアの存続も関係する。 例えば、現代のデジタルカメラは画像をJPEGフォーマットで保存するが、このフォーマットは十数年前に登場した。(国際標準化機構(ISO)・国際電気標準会議(IEC)で規格化されたのが1994年) 現在、厖大な数のJPEG画像が生み出されているが、JPEGは100年後も読めるのだろか。 RAWフォーマットの将来も不確定である。これらのフォーマットの一部は、暗号化されたデータまたは特許で保護された専用データが含まれているが、突然メーカーが放棄する可能性がある。カメラメーカーがRAWフォーマットの情報を開示しないならば、この事情は継続される。

しかし、デジタルにおけるこれらの障害にも対策がある。 例えば、オープンでよく知られたファイルフォーマットを選ぶこと。こうすることで、将来ソフトウェアがそのファイルを解読できる可能性が増す。 また、将来読めなくなる、またはサポートされなくなる可能性があるフォーマットでデータを保存するのをやめ、品質を低下させることなく新しいメディアにコピーすること。これはデジタルメディアの特徴である。 但し反対に、劣化を愉しむ文化があるのも事実ではある。

像の真正性[編集]

フィルム画像の合成は難しい。それゆえ、像の真正性を重視する場合(パスポートや査証の写真など)、フィルムはデジタルよりも安全かも知れない。 デジタル画像は簡単に改変できてしまうからである。

歴史[編集]

ファイル:Camera obscura box.jpg
カメラ・オブスクラの原理

詳しくは写真史世界写真史日本写真史を参照

写真が発明される19世紀以前にも、光を平面に投影する試みは行われていた。 画家達は、16世紀頃には立体の風景を平面に投影するために、カメラ・オブスクラカメラ・ルシダと呼ばれる装置を用い、その中に投影された影をなぞって本物そっくりの絵を描いた。 これらの初期の「カメラ」は像を焼き付けて固定化することはできず、単に壁に開いた開口部を通して、像を暗くした部屋の壁に投影するだけのもの、つまり、部屋を大きなピンホールカメラにしたものだった。 カメラ・オブスクラ とは暗い部屋といった意味である。 18世紀には、銀とチョークの混合物(塩化銀)は光に当てると黒くなるという1724年ヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明をはじめ、塩化銀ハロゲン化銀など化合物の一部は感光すると色が変わることが知られており遊戯などに用いられていたものの、これとカメラ・オブスクラなどを組み合わせる発想はなかった。

カメラ・オブスクラの映像と感光剤とを組み合わせ、映像を定着させる写真術の発明は、19世紀初めにほぼ同時に複数なされた。このとき美術は、新古典主義からロマン主義への移行期であった。また、大勢誕生した中産階級によって、肖像画の需要が高まっていた。そして、石版画が新聞図版や複製画などに活用され、大衆化しつつあった。

究極的には、現代の写真処理は、1840年から最初の20年の一連の改良に基づく。ニセフォール・ニエプスによる最初の写真の後、1839年にはダゲレオタイプが発表され、直後にカロタイプも発表された。写真の普及は肖像写真ブームと、1850年代の湿式コロジオン法の発明、1871年のゼラチン乾板の発明へと続いた。

1884年、ニューヨークのジョージ・イーストマンは紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発し、もはや写真家は乾板の箱や有毒な化学物質を持ち歩かなくて済むようになった。 1888年7月、イーストマンの設立したコダックカメラが「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」との触れ込みで市場に参入した。 こうして現像サービス企業が登場し、誰でも写真撮影が可能な時代となり、複雑な画像処理の道具を自前で持つ必要はなくなった。 1901年にはコダック・ブラウニーの登場により写真は大量生産市場に乗った。1925年の35mmライカカメラの登場で大衆性、カメラの持ち運びやすさ、フィルム交換の手軽さは高まり、機動性が更に高まりスナップ写真が一般化するなどした。

20世紀以降、カラーフィルムやオートフォーカスやオートエキスポーズが広まった。 画像の電子記録も広まっている。 現在では、デジタルカメラの液晶画面に依るインスタントプレビューが可能であり、高画質機種の解像度は高品質の35mmフィルムのそれを越えているとも言われるようになった。コンパクトデジタルカメラの価格は随分低下し、写真を撮ることの敷居はより下がってっている。 しかしながら、専らME・MFのカメラと白黒フィルムを使う撮影者にとって、1925年に35mmライカカメラが登場して以来変わった点はほとんどない、とも言えるのである。

2004年1月、コダックは「2004年末をもって35mmリローダブルカメラの生産を打ち切る」と発表した。 これはフィルム写真術の終焉と受け止められたが、当時のコダックはフィルムカメラ市場での役割は小さなものであった。 2006年1月、ニコンも同様に、2つのモデルを除いたフィルムカメラの生産を打ち切ると発表した。 生産を続けるのはハイエンド機F6とローエンド機FM10である。 2006年5月25日、キヤノンは新しいフィルムSLRカメラの開発を中止すると発表したものの、現在でも、4種のフィルムSLRを販売している。 35mmカメラおよびAPSコンパクトカメラの値段は下落してきた。 恐らく、直接的なデジタルカメラとの競争と、中古フィルムカメラ市場が拡大が原因である。

写真の使用[編集]

ザ・ブルー・マーブルと呼ばれる、もっとも有名な地球の写真。1972年12月7日アポロ17号のミッション中にハッセルブラッド製カメラで撮影された

写真が誕生したときより、自然科学者などの多くの学者や、芸術家が写真に関心を示してきた。

学者は写真を記録と研究に利用した。 例えば、エドワード・マイブリッジの、連続写真を使った人間の動きに関する研究(1887年)などである。これはそれまで人の目が捉えることができなかった一瞬の動きを写し出しており、人々に与えた影響は大きかった。また19世紀後半以降撮影された世界各地での探検や人類学的調査や遺跡調査などの記録写真、あるいは天体写真顕微鏡写真は、人類の知識に変化を与えた。

芸術家もこれらの側面に関心を持ったが、現実を光学機械的に写し取ること以外の面をも探究した。 ピクトリアリスム運動など、絵画を思わせる写真を作ろうという動きがある。他方で、写真本来の持ち味を生かして鮮明な物の形を撮ろうというストレートフォトグラフィの動きが現れた。

ジャーナリストは写真を使って事件や戦争、人の暮らしぶりなどを記録して来た。報道写真の萌芽は写真発明直後のクリミア戦争の戦場記録写真などに現れている。 軍隊警察も、偵察、調査、捜査、裁判などのデータ記録に写真を利用する。 また、スナップ写真を撮ったり、行事や日常の場面を撮影する人も多い。 写真は商業目的でも撮影される。写真を必要とする団体における、写真の利用法には選択肢がある。その団体の誰かが撮影を担当する、外部のカメラマンを雇う、写真を公募する、写真を利用する権利を取得する、などである。

写真と芸術[編集]

20世紀の間に、芸術写真とドキュメンタリー写真の両方が、英語圏の美術界とギャラリー業界に受け入れられてきた。 米国では、少数の学芸員が、写真をそうした業界に取り込ませるために生涯を掛けた。 中でも傑出した学芸員・編集者は、アルフレッド・スティーグリッツエドワード・スタイケンジョン・シャーカフスキー、およびヒュー・エドワードである。

写真が美術かどうかは、しばしば議論されるところである。こうした議論は、初期から存在していた。 写真はしばしば「ただの記録技術であり、芸術ではない」という攻撃を受けてきた。写真は単なる画像の機械的生産に過ぎないと主張するひともいる。 しかし、写真は対象の選択、対象と撮影者との物理的距離、撮影するタイミングなどによって、撮影者の心や、世界に対する態度を反映する。写真は、少なくともこの意味で確かに、表現の手段であり、芸術である。

関連情報[編集]

機材[編集]

ファイル:Large format camera lens.jpg
ラージフォーマットのレンズとマウント

技法[編集]

写真に強い美術館[編集]

写真関連のギャラリー[編集]

詳しくはCategory:写真のギャラリー自主ギャラリーを参照。

写真の学校[編集]

写真の雑誌[編集]

現在刊行されているもの。(廃刊されたもの、海外のものなどCategory:カメラ・写真の雑誌を参照)

  • アパチュア (aperture)

写真の賞[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 飯沢耕太郎 『世界写真史』 美術出版社

外部リンク[編集]