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環境問題(かんきょうもんだい、英:Environmental threats, Environmental issues, Environmental problems)とは、人類活動に由来する周囲の環境の変化により発生した問題の総称である。

環境問題の歴史[編集]

昔から、人類は自然環境を資本として利用しながら文明を発展させてきた。そのおかげで、原始的狩猟採集生活に比較してはるかに高い生産力を実現し、21世紀を迎えた現在まで文化的な生活を保つことができたのである。しかし、自然環境を利用することで、否応無しに自然環境に負担をかけることになる。時にそれは過大なものとなり、逆に人類の生活を脅かす結果となる事態もみられるようになった。

多くの文化は自然に手を加え生産に活用してきたが、自然の持つ自己修復性を超えて過剰に負担をかけることは稀だった。紀元前に存在した古代エジプト文明やインダス文明などは、森林の過伐採による砂漠化が文明衰退の原因とする説もあるが異論も多く、環境問題との関連性は定かではないので、これを人類最初の本格的な環境問題とすることは少ない。

このバランスが崩れ、本格的に悪化し始めたのは1819世紀でほぼ産業革命工業化期にあたり、直接的には利潤の追求を基本的な価値観とする資本主義(利潤追求的資本主義)が原因であるとみられている。学者の中には背景に大航海時代(金、香辛料などへの欲求)に遡るヨーロッパの拡張主義プランテーションの拡大、文明を広め「野蛮」を開くという帝国主義の一面としての啓蒙主義やそれと裏表をなす「オリエンタリズム」的観念を指摘する者もいる。もともとのエコロジー(生態学)は植物研究とも関係が深いが、海外に植民地を持っていた当時のヨーロッパ情勢とも無関係ではない。

古くより、人間活動と自然に関する記述が書物に残されてきたものの、長い間、これが世間で広く認知されることは無かった。人間活動と自然に関する問題が、初めて一般に取り上げられるようになったのが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年)だとされている。同書は産業界からは激しい非難を浴びたが、DDTの全面禁止など、その後の米国の環境行政に大きな影響を与えた。このころから、環境問題が世間に認知され始め、学問的に環境問題を調査研究する動きが本格化する。

1972年ローマクラブが取りまとめた報告書『成長の限界』が出版された。現在のまま人口増加や環境破壊が続けば、21世紀半ばには資源の枯渇や環境の悪化によって、人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしており、破局を回避するためには、地球無限であるということを前提とした経済のあり方を見直し、世界的な均衡を目指す必要があると論じている。

その後酸性雨オゾンホール異常気象地球温暖化など全地球規模の環境の変化が顕著になってくるにつれ、人々の環境問題に対する関心は徐々に高まってきた。

日本には、主に産業活動に起因する公害という概念がある。もともとあった「公害」の概念に植物や動物などの自然環境の汚染が加わって「環境汚染」となり、次に自然の許容限界を超えた負荷によって起こる諸問題への概念が広がった上、オゾン層地球温暖化などの地球環境問題が加わって「環境問題」へ、環境問題の考え方は次第に展開していった。また、これらの問題を地球環境の破壊と考え、「環境破壊」と呼ぶこともある。

2006年国際連合食糧農業機関(FAO)は畜産が環境破壊への主な脅威となっているので生産方法を改善する必要があるという報告をしている[1]。畜産は温室効果ガスの排出量が多く、ガスは酸性雨の原因であり、飼料を作るために多くの森林が伐採され、水の浪費や水質汚染の主要な原因であるという統計結果が得られたためである。これは、アジアなどで急速にライフスタイルの変化が起きており、乳製品の消費が急増することに伴う環境問題などが顕在化していることが背景にある。

このようなライフスタイルの変化は新興国や途上国の経済発展によるものであり、巨大な人口を抱えるこれらの国民が先進国のような生活をすることになれば、環境問題に加えて資源や食料などの供給不足は深刻を極めることが予想されている。こういったことを踏まえ、先進国に対して自らのライフスタイルの大幅な見直し、途上国に対して経済発展に頼らない生活の向上をそれぞれ求める声が高まってきている。しかし、意見の相違はいまだに大きい。

環境問題の基礎[編集]

環境問題の根本的な考え方として、環境に負担をかける要因のことを表す環境負荷という言葉がある。人類が何らかの活動を行った場合、必ずといっていいほど自然に何らかの負担(環境負荷)を与える。しかし、自然には自浄作用や修復作用といった作用があり、小規模な負担であれば自然に解消することができ、環境問題として影響が出てくることはない。しかし、自然が持つ作用の「閾値」を超えた負担がかかると、解消しきれなかった負担が環境問題となって周囲に影響を及ぼし始める。

問題を解決するためには、まず環境負荷をこれ以上増やさないようにし、次に環境負荷を減らしていくような段階を経て、環境負荷を自然の許容範囲にまで落とし、これを長く継続させていくような流れをとるのが普通である。

環境問題では、環境負荷をかけている当事者がそれ相応の影響を受けることは少ない。大気汚染や水質汚染が大気や水を通して周囲に広がっていくことから分かるように、影響は広範囲に広がり、負荷をかけていない他人にも影響が及ぶというのが大きな特徴である。そのため、当事者は環境に負荷をかけているという意識が薄くなりがちで、影響が出始めてから気付くことが多い。

環境問題では、負荷をかけていない他人への影響を含めて、当事者が全ての責任を取るという汚染者負担原則という考え方がある。ただ、汚染などの悪影響が小さければ問題はないが、悪影響が大きい場合や、環境に負荷をかけている当事者が判明していない場合は、当事者の負担が重過ぎて対策がままならないことがある。その場合、社会全体でも責任を負い、例えば税金を使って汚染による被害の補償を行うなど、当事者や影響を被っている者への支援を行う。

また、当事者の自発的な対策が行われない場合や、当事者が多数おり協力が難しい場合などもあるため、地域社会行政などの社会全体が中心となって対策を行う必要がある。法学的には、人間の生存にかかわるような環境問題は生存権人格権の侵害として当事者の責任が法的に規定されている。また近年は、環境権についても認める動きが出始めているが、国により差がある。

環境問題対策の方法は、大きく2種類に分けられる。環境汚染の影響が健康に及ばないよう基準(環境基準など)を定め、これに基づいて計画を立てたり、汚染の監視や規制を行ったりする手法は、トップダウン型対策の代表的な方法である。組織が自発的に環境に関して方針や目標を定め、それに沿って活動し評価などを行っていくことを環境マネジメント(環境管理)といい、ボトムアップ型対策の代表的な方法である。

ただ、環境問題への対策は政治的組織(国、都道府県、市町村など)単位になってしまうため、対策の効力が及ばない他地域の汚染が自地域に及んでしまう、越境汚染(特に国家間の越境を言う)という問題もある。これについては民間の活動では追いつかず、政治的な働きかけ、国際的な議論や協議が必要となってくる。

環境問題の解決を目的として、あるいは思想などを背景にして、環境を保護することを環境保護といい、これを継続的に行っていくのが(市民活動としてみた場合)環境保護活動や(社会運動としてみた場合)環境保護運動である。環境保護のうち、特に自然を対象とするものを自然保護と呼ぶ。環境保護を推進したり啓発したりする団体を環境保護団体といい、自然を対象にするものを特に自然保護団体と呼ぶ。

環境保護に類似する言葉として環境保全がある。ほぼ同義であるが、使い分けることもある。

環境分野の問題を統括する国際組織には、全世界を対象とする国際連合国連環境計画(UNEP)をはじめとして、欧州連合(EU)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)などの地域連合、専門分野を扱う組織として気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などがある。

環境問題を対象とする学術分野が環境学である。環境化学環境社会学環境経済学環境倫理学環境政策学などを始め、環境とその影響、それを取り巻く問題などを扱う。

環境に関する思想にはエコロジーガイア理論などがある。一部は一般的にも広く浸透しているが、独自の思想もみられる。こういった思想を踏まえて環境保護を推進していこうとするのが環境保護主義であり、環境保護団体のほとんどがこの主義を掲げている。

環境問題への取り組み[編集]

全般[編集]

環境問題への対策を考えるに当たって重要な考え方がある。持続可能性は、ある物や活動が、人間活動を維持し持続させていけるのかどうかという可能性について指す言葉である。持続可能な開発(持続可能な発展、持続可能な社会)は持続可能性を最大限尊重した開発を進めていくことである。持続可能性を保持しながら資源エネルギーなどを利用していく社会を循環型社会といい、省資源省エネルギーゼロ・エミッション3Rなどさまざまな形がある。

環境問題は、産業活動も主原因であることに間違いはないが、個人などの民生活動がもう1つの主原因でもある。産業活動については、その組織的な特徴を生かして一律な対策をとり、罰則などを定めるのも容易である。しかし、個人については、多種多様な考え方や生活様式(ライフスタイル)があるため一律な対策をとるのが難しく、罰則を定めるのも容易ではないため、一人一人の考え方や行動に委ねられている部分が大きい。そのため、民間による活動が盛んになる傾向にある。

営利を目的としない市民活動をNPOとして優遇する体制が整備されてきている。また、カーシェアリングレジ袋の使用自粛など草の根レベルでの環境に対する取り組み(草の根民活)も盛んになってきている。

市民の環境意識の高まりを受けて、環境モニタリングなどの監視制度も生まれた。交通分野でのモビリティ・マネジメントのように、自発的な環境対策を推進しようとする動きもある。

また、非政府組織という形での市民活動のほか、国家的な取り組み(排出規制環境基準、研究)や、企業による取り組み(環境技術の開発、ゼロ・エミッションの追求、リサイクルなど)といった様々な形で、環境対策や環境保護運動は推進されている。

環境保全・環境負荷低減全般に関する活動などについては、グリーン購入やそれを補助する環境ラベリング制度3Rなどがあり、制度化されたり行政や民間による支援が行われたりしている。

制度化に関しては、この分野全般を対象とする環境法という分野があり、環境基準環境税などの手法がある。環境コンサルタント環境カウンセラーなどは、環境対策全般について扱う専門家であるが、制度化などには国によってばらつきがある。

企業や団体などに関しては、環境会計の運用や環境マネジメントシステムの導入を行うことが、総合的な対策につながる。また、環境問題への対策を好機と捉える企業・団体も多く、「環境先進国」を中心に環境ビジネスや環境市場といったものが生まれつつある。

草の根活動、善意による地道な活動、危機意識による活動などが拡大してきている一方、環境問題の解決のためには、貧困人口問題への対策、利益主義や自己の繁栄のみを追及する考えなどの思想の転換といった、大規模な対策が必要であるという指摘もある。

生活環境の革新[編集]

環境問題全般への対策として、都市への人口集中や過疎を軽減し、地域単位でローカル・コモンズを利用していくことが挙げられる。これにより物やエネルギーの輸送は最小限で済み、環境汚染に対する責任がとりやすくなるなどの効果があるとされる。日本では、古くからの「生活の知恵」を再考し、循環型社会の実現や里山保全などが行われている。スローライフ自給自足も、環境負荷の軽減は大きいとされる。

大気汚染・水質汚染・土壌汚染[編集]

窒素酸化物等による大気汚染、水の富栄養化に伴う様々な現象、重金属や農薬などによる土壌及び水系の汚染といった問題は、環境問題の典型的なものであり、健康などに与える影響も大きかった。

18世紀に始まった産業革命は、効率性や経済的利益の追求を重んじるものであり、鉱山開発を通した水質汚染や土壌汚染を世界各地で発生させ、工場の排気が多くの住民の健康を脅かす結果となった。こういった悪影響は、産業界への反発や圧力となり、経済が外部不経済内部化を考え始めるきっかけとなった。産業界や政治に対して一定の権利や力を持つ住民は、汚染への実効性ある対策を強く要求し次第に解決されていくものの、そうした権利を持たない住民は、汚染を強いられたままであった。

19世紀から20世紀にかけて人権に関する考え方が変わってくると、環境汚染への対策は社会の中でも大きな課題となる一方、汚染の規模も拡大していった。ロンドンスモッグ水俣病ボパール化学工場事故など、多数の死者を出す公害が続発し、産業界への圧力はいっそう高まった。

20世紀末になると、先進国の多くは環境汚染を法的規制によって抑えることに成功したが、新興国や開発途上国では、法的規制さえままならない地域もいまだに存在する。こういった地域間での対策の差異によって、越境汚染の問題も深刻化している。

従来から知られてきたものの他、21世紀に入ってからは新たな海洋汚染である海洋酸性化に関する話題が出始めている。これは二酸化炭素が海洋に溶けこむ事により海水が酸性化するというもので、進行すると有孔虫翼足目等の石灰質の殻を持った海洋プランクトンの殻が溶けて減少するというものである。まだ科学的に詳しく解明されているわけではないが、溶解が起こるとすれば、深刻な場合そこから全生態系が総崩れになる可能性があるほどの脅威だとされる。

騒音・振動・快適性問題[編集]

航空機の離着陸の際に出る大きな音は、空港基地などの周辺では生活に支障が出るほどのレベルに達することがある。空港の用地取得問題との関連などから、空港で夜間の離着陸を制限するなどの対策は採られているが、基地周辺での騒音問題は沖縄などではいまだに深刻である。

また、地盤が弱く交通量が多い道路などの周辺では振動によって生活に影響が出たりすることがある。廃棄物の不適切な処理などによって悪臭の問題が発生することもある。

廃棄物問題・循環型社会[編集]

古くから、人類の活動に伴って、食料の余りやし尿をはじめとした廃棄物が発生し、その処分もさまざまな方法が試みられてきた。放置された廃棄物は悪臭などの衛生環境悪化を招くため、焼却埋め立てといった衛生的な処理方法が次第に確立されていった。また、し尿などを処理して肥料として利用する手法も考え出された。

一方、資源の利用に伴う問題も古くから発生してきた。費用や労力の削減につながることから、建材の再利用などが比較的古くから行われ、生活の中で使用する物品を循環利用する試みも行われた。こういった循環利用の試みは、限られた資源を利用することを余儀なくされ、資源の不足が生活などに影響を与えないよう工夫されたものであった。

こういった中で、廃棄物処理や物品の循環利用が経済的な利益などと合致して成功を収める例もあれば、指導者の失策や非効率性などから廃棄物処理が軽んじられ、伝染病の流行を招く事態となった例もあった。

18世紀に始まった産業革命が世界中に波及すると、人口が急増し、生活様式も大幅に変化、廃棄物は増加し、資源の需要も増加する一方となった。廃棄物処理や資源の循環利用は規模が大きくなり、大型化による弊害も出始めた。また、放射性廃棄物電子ごみなどの有害な廃棄物の問題が浮上、ごみ処分場の用地不足、不法投棄、ごみの海外輸出といった諸問題が表面化した。一方で、環境保護の観点から、ごみの削減や資源の循環利用を見直す動きも出始め、循環型社会を構築しようとする試みも行われるようになった。

近年になり、ごみの削減やさまざまな形態での再利用は、環境対策の筆頭に挙げられるようになった。ごみの排出量をゼロとするゼロ・エミッションは循環型社会の究極目標とされる。

開発問題・自然保護・生態系問題[編集]

自然保護については、世界自然保護基金国際自然保護連合を始め大小さまざまな自然保護団体、個人の活動家などが活動を行っている。

開発前に環境アセスメントを行う手法や、自然保護区の設定などが積極的に進む一方、政治的あるいは経済的な理由などにより十分な保護が行われていないところもある。ただ、生きるのが精一杯で経済的な余裕がない貧困国アフリカ地域など多くあり、それらの国からは環境保護以前に開発、国民生活の向上が必要との主張も根強い。

個人を中心として、ナショナルトラスト運動が展開されている地域もある。

一方で、ある特定の生物や自然だけを保護することによる問題が発生したり、エコテロリストなどの過剰な保護活動が問題となったりしている側面もある。

地球温暖化・気候変動問題[編集]

詳細は 地球温暖化#地球温暖化対策 を参照

1997年京都にて「気候変動枠組条約第3回締結国会議」が開催された。ここでは京都議定書により二酸化炭素メタンフロンガスといった温室効果ガスの総排出量を削減することが取り決められた。削減目標は国ごとに割り当てられ、先進国全体で2012年までに1990年の総排出量から5.2%削減することが求められている。これは2050年までに総排出量を半減させるという長期目標に比べて微々たる量であるが、排出削減で合意したこと自体に一定の意味がある。京都議定書については、ロシアはいわゆる「ホットエア」の問題がある他、EUは東欧への技術導入でCO2削減が比較的容易であり、日本などは他国に比べて追加的にCO2を削減するのに大変費用がかかるとされる。

温暖化問題に理解のあったクリントン政権のアル・ゴア副大統領が選挙で敗れ、京都議定書から米国ブッシュ政権が離脱し、議定書の発効自体が危ぶまれた時期もあったが、ロシアが枠組みに入ることにより発効した。その後、米国は大排出国のみの多国間技術協力パートナーシップを進め、独自路線で国際的温暖化対策を進めている。

環境問題の本質的課題である地球温暖化問題の解決には、アメリカ中国インドの排出削減義務が必須であり、途上国である中国・インドを説得するには、まず米国の京都議定書が必須とする意見もある。その一方で、各国目標値を恣意的に決めるのではなく排出量取引を活用して効率的に削減を行うべきだという議論や、技術協力を主軸としたインセンティブを主とした手法をポスト京都議定書では採用すべきだとの声もある。

問題点[編集]

産業に効率化・能率化が図られると、機械の導入などによってエネルギーの消費が増えるように、産業の発展・生活水準の向上・環境負荷の増加は切っても切り離せない関係にある。環境負荷を軽減しようとすれば、産業の発展や生活水準の向上が妨げられるとの考えは根強く、現在の環境問題対策の大きな足かせとなっている。

環境市場や環境ビジネスは拡大し続けており、環境保護をテーマにした商品や企業も増え続けている。自らの損失を省みない献身的な環境保護活動・環境対策が民間を中心に行われている一方、利益のための環境保護活動・環境対策も行われている。利益が生まれ、かつ実効性のあるものもあるが、中には実効性が無く環境負荷が増えるものを「地球にやさしい」などと称しているものもあり、それらはグリーンウォッシングとも呼ばれる。

これについては、環境保護や「エコ」を前面に押し出したり、スポンサー企業との関係が絡むマスコミメディアの影響も大きい。これに対して環境教育の推進が行われているが、これ自体も環境保護を前面に押し出したものであり、環境リテラシーの向上を求める声がある。ヨーロッパでは、オーフス条約により多くの国で環境に関する情報入手や意思決定などへの市民参加が推進されている。

例としてハイブリッドカーを挙げると、ハイブリッドカーは環境に優しいと宣伝されるているものの、その開発、製造、廃棄処分などには多大なエネルギーを使うため環境負荷は大きい。従って、実用化や普及、更なる技術革新を行わなければ環境負荷の低減は望めない。また、軽自動車、電車、自転車、徒歩などのほうがはるかに環境負荷は少ない。そこに大きな矛盾を指摘する声もあるが、生活水準の維持やライフスタイルとの折り合いの関係で、難しい部分もある。

環境問題全体の対策を考える上で、ある問題への対策が他の問題に悪影響を与えたり、それぞれの環境問題への対策が互いに相容れないものであることもある。例えば、温室効果ガスの排出量が少ないためヨーロッパではディーゼル自動車の利用が推進されているが、大気汚染物質の排出量が多いため日本では規制対象となるなど、対応が分かれている。資源の節約のために再生紙の古紙配合率を高めると、製品化にかかるエネルギーや資源が増大するといった問題もあるが、両方の解決のためには更なる作業の工夫や技術開発などが必要となる。

また、消費者の視点として、環境に優しい製品などの環境負荷低減効果(環境効果)を正しく見極める必要があるとされる。例えば、電気自動車は排気ガス温室効果ガスが出ないとされているが、動力源の電気を発電する過程で、ガソリン自動車よりは少ないものの、温室効果ガスなどが排出されている。一般的な認識では、全く排気ガスを出さないといった誤解も生まれており、環境効果の適切な表示や、環境リテラシーを求める声がある。

環境に関する考え方[編集]

持続可能性[編集]

比較的新しい概念として、環境負荷を低くして文明を永続させるための持続可能な発展持続可能性ということが国際的に盛んに言われている。これは「将来世代の利益を損なわずに、私たちが発展できるレベル」で経済発展をするというコンセプトで、特に途上国の開発の問題では頻繁に使われている。

パーマカルチャーという永続可能な農業・生活設計やそれを実践したエコビレッジなどが各地にあり、なかでもオーストラリアにあるクリスタルウォーターズが有名である。

エコロジー[編集]

原義は「生態学」であったが、意味が拡大して現在は「環境に優しい」「環境に配慮した」「環境負荷が少ない」という意味で用いる。略してエコと呼ぶことも多い。意味や定義が曖昧であるため、「健康にいい」「自然な」といったところにまで意味が拡大されることもあり、環境問題とはかけ離れた意味で使われることもある。

ガイア理論[編集]

地球と、そこにすむすべての生物や海洋・大気・地圏などの自然環境は1つの生命体あるいはシステムのようなものだとする考え方。生物と自然環境の相互作用や恒常性に関しては、「ガイア理論」という形ではないながらも広く理解されている。また、この1つの生命体あるいはシステムに生じた障害が環境問題であるという地球免疫説はガイア理論から発展したもの。地球免疫説からは、障害を回復しようとする過程で起こるのが気候変動などの災害であるという考え方、何もせずとも自然に回復可能であるという考え方の2つが派生している。

自然回帰・文明否定[編集]

発展や利便性追及の流れから、もともとの自然に回帰することで、環境問題を解決しようとする考え方がある。また、文明と環境問題が密接な関係を持つことから、文明を回避あるいは後退させることで解決しようとする考え方もある。この流れは、ラッダイト運動や日本では環境負荷の低い精進料理江戸時代の生活様式など伝統を見直そうという動きに窺うことが出来る。自然を理想とする考え方もアナーキズムルソーなど一部のロマン主義に見ることが出来、アスコーナではその種の共同体が試みられることもあった。

ライフスタイルの革新[編集]

生活の中に自然を取り入れる、環境に配慮した生活を行うといった、ライフスタイルに踏み込んだ環境問題への取り組みもある。「エコライフ」や「LOHAS」などさまざまなものがある。環境負荷の低減に貢献しているものもあるが、単に自然を取り入れただけであって環境負荷低減の効果は無いものもあり、根強い批判がある。

さまざまな環境問題[編集]

分野
種類
ここに挙げているものは、人為的な要因によって発生しうる環境問題であり、人為的な要因がなくても発生することがある問題も含まれる。
環境問題と関連の深いもの

各国・各地域の環境問題と取り組み[編集]

アジア[編集]

日本では、四大公害病が表面化に拡大したことに伴い社会的関心が高まった。1967年の公害対策基本法、1993年の環境基本法、1997年の環境影響評価法により法的規制は少しずつながらも拡大している。1990年代後半にはダイオキシン問題が大きくクローズアップされ、規制が進んだ。


ヨーロッパ[編集]

ヨーロッパでは、酸性雨の影響が広範囲に及んだことなどから対策が進んだ。水・大気汚染規制、ごみに関する規制などが比較的早期に始まり、ドイツスウェーデンデンマークをはじめ多くの国では市民の環境に関する意識も高いとされている。また、EUという広域的な枠組みによる規制や政策も行われている。

北アメリカ[編集]


脚注[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

(出版年順)

  • 米本 昌平『地球環境問題とは何か』岩波書店, 1994, ISBN 4004303311
  • 鬼頭 秀一『自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク』筑摩書房, 1996, ISBN 4480056688
  • エルンスト・ウルリッヒ『ファクター4―豊かさを2倍に、資源消費を半分に』省エネルギーセンター, 1998, ISBN 4879731846
  • デイヴィッド・アーノルド『環境と人間の歴史』新評論,1999, ISBN 479480458X
  • 富山和子『環境問題とは何か』PHP研究所, 2001,ISBN 4569618464
  • ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』文藝春秋, 2003, ISBN 4163650806
  • デニス・メドウズ『成長の限界 人類の選択』ダイヤモンド社, 2005, ISBN 4478871051
  • 武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』洋泉社, 2007, ISBN 4862481221
  • アル・ゴア『不都合な真実 ECO入門編 地球温暖化の危機』ランダムハウス講談社, 2007, ISBN 4270002263
  • クリストファー・フレイヴィン『地球白書』ワールドウォッチジャパン, 2007, ISBN 4948754285
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