「美術モデル」の版間の差分

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モデルの需要としては、現在ではモデルを使用するのが絵画系の美大や絵画教室だけでなく、デザイン系、マンガ系、服飾系など様々な学校から個人的なサークル、事業所まである。ヌードモデルから、民族衣装・バレエ衣装などの舞踊衣装・職業制服・ドレス・平服(カジュアルな服装)等の様々な衣装を着用する着衣モデルまで、業務内容も多様である。
 
モデルの需要としては、現在ではモデルを使用するのが絵画系の美大や絵画教室だけでなく、デザイン系、マンガ系、服飾系など様々な学校から個人的なサークル、事業所まである。ヌードモデルから、民族衣装・バレエ衣装などの舞踊衣装・職業制服・ドレス・平服(カジュアルな服装)等の様々な衣装を着用する着衣モデルまで、業務内容も多様である。
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プロの美術モデルの場合は、ヌードモデルのみを専門にしているモデルも、着衣モデルのみを専門にしているモデルも存在しているが、女性[[ヌードモデル]]の需要が圧倒的に多い。着衣のモデルの場合、自前の民族衣装やバレエの衣装を用いることも多い。
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美術モデルの需要について見ると、男性はきわめて少なく、女性モデルの比率が圧倒的に高い。学校によっては、女性モデルしか使用しないが、男性を雇用する施設もあり、要は講師の考え方しだいである。
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美術モデル事務所に所属していない人物を美術モデルとして起用の場合には、謝礼報酬は、1時間3000円程度の謝礼に交通費を加えた額を支払う場合が多い。美術モデル事務所等に所属している美術モデルの場合には、各々の事務所規定の報酬となる。
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[[クロッキー会]]や絵画教室、美術大学では、裸婦モデルがポーズ中は室内へ入らないことがルールである。エチケットを守って、裸婦モデルに気持ち良く仕事をしてもらうことを心掛けたい。また、ヌードモデル・着衣モデルに関わらず、モデルへのプライベートな質問をしない、というのが暗黙の了解である。
  
 
==著名な美術モデル==
 
==著名な美術モデル==

2019年12月3日 (火) 10:58時点における最新版

美術モデルとは、絵画彫刻版画素描、クロッキーなど、あらゆる美術作品に資するための人体モデルである。絵のモデルについては絵画モデルとも呼ばれる。

概要[編集]

日本では、明治時代には芸用モデルといわれていたが、戦後外来語が多用される時代に至りデッサンモデル、クロッキーモデル、美術モデルなどと、用途や使命によって呼ばれ方が変わる。“写真起こし”では得られない、生身の立体モチーフでの練習などでは必要である。

美術モデルは、フリー・モデル(美術モデルの派遣事務所等に所属していないモデル)もいれば、専業としている美術モデル(美術モデルの派遣事務所に所属しているモデル)もいる。またダンサー、美術、舞踏、バレエ、現代舞踊、演劇、音楽系の仕事をしていて(あるいは目指しながら)兼業として美術モデルをしている人も多い。主婦やOL、パート、アルバイトのモデルもいる。

美術モデルは、立ち・座り・寝ポーズの基本的ポーズをとるのが普通である。ポーズは通常、毎回同じポーズをとる場合と、毎回違うポーズをとる場合がある。前者は「固定ポーズ」、後者は「クロッキー」と呼ばれることが多い。クロッキーの場合は短時間でモチーフの形状をつかむことを主眼に行われる。そのため、5分以下で順次ポーズを変えることもしばしば行われる。その他に、静止せずにずっと動き続けている、「ムービング」と呼ばれるものもある。

20分間ポーズをとり、5分間から10分間の休憩を挟むのが一般的である。20分ポーズを6回とし、ポーズと休憩の合計時間は、2~3時間というケースが多い。

美術モデルとして求められるのは、ポーズ中動かないこととされている。固定ポーズの場合は、休憩をはさんでも同じポーズを取る。その場その場での要望に応じたポーズが取れる者は、優れたモデルとされる。また、ポーズはモデルに任せられることも多い。画学生や画家の要望に応じ、ポージングしていく能力があれば、さらに評価が高くなる。未経験者を起用する場合もあれば、モデル紹介所に所属している、経験豊富なプロのモデルを起用する場合もある。裸婦モデルをつとめられるモデルは、モデル経験がなくても需要が多いので、難しく考えず問い合わせることが第一歩となる。

なお、美術モデルとは、「芸術の分野に於ける創作活動に従事するモデル」であり、芸能関係やファッション関係のモデルとは異なる職業である。外国の例についていえば、熱心なキリスト教徒の場合、ヌードを嫌い着衣モデルを起用することもあるが、裸体がアートの起訴であることを理解している寛容なクリスチャンは、ヌード・モデルを起用することもある。

歴史[編集]

ルーブル美術館の入館案内書の記述によれば、美術モデルは紀元前からその存在は確認されているとあり、モデルと名のつく物の中では最古の存在であるとの説もある。日本では、江戸時代の浮世絵春画にも裸婦像がみられる。春画の場合、上半身には着物を着ている場合も多い。明治時代、1889年に東京美術学校が開校し、1896年には黒田清輝の帰国により、西洋画科を設置した。ヌード・モデルを必要としたが、モデルの女性がなかなか見つからない。その際、学校に勤めていた女性が私ではいかがでしょう、ともうし出て、美術学校初のヌード・モデル・デッサンが実現した。宮崎菊という女性が裸婦モデルをしたのが最初とされるが、彼女はその後「宮崎モデル屋」を開設し、運営したという。この間の経緯は、戦後美術モデルに関わった浅尾丁策の著書に詳しい。

現在は、美術モデルの斡旋を専門にしているモデル事務所に所属する、プロの美術モデルも存在する。プロの美術モデルには、ヌードのみを専門にするモデル(ヌードモデル・裸婦モデル)だけでなく、衣装を装った仕事のみを専門にするモデル(コスチュームモデル・着衣モデル)、ヌードと衣装の両方の仕事をするモデルなど、様々なモデルがいる。

詳細[編集]

著名な美術モデルとしては、オードリー・マンソンやモンパルナスのキキなどがいた。オードリー・マンソンは美術モデルの他に女優や作家も兼業していた。オードリーは映画「インスピレーション」で、映像作品で初めてヌードになった女優とも言われている。美術モデル、裸婦モデルは、構図や採寸の基本となる骨格や筋肉のつき方を習得するのに最適である。また人体そのものが曲線を含むため、モチーフとしてもきわめて追求しがいのあるものである。体型や年齢としてはさまざまな体型、年齢のモデルを描くのが理想であるが、モデルを確保するのは大都市部の美術系大学や絵画教室以外の地方都市では、かなり困難である。中高年のモデル希望者も減っていることから、標準体型か痩せ型の若いモデルが増加している。

モデルの需要としては、現在ではモデルを使用するのが絵画系の美大や絵画教室だけでなく、デザイン系、マンガ系、服飾系など様々な学校から個人的なサークル、事業所まである。ヌードモデルから、民族衣装・バレエ衣装などの舞踊衣装・職業制服・ドレス・平服(カジュアルな服装)等の様々な衣装を着用する着衣モデルまで、業務内容も多様である。

プロの美術モデルの場合は、ヌードモデルのみを専門にしているモデルも、着衣モデルのみを専門にしているモデルも存在しているが、女性ヌードモデルの需要が圧倒的に多い。着衣のモデルの場合、自前の民族衣装やバレエの衣装を用いることも多い。

美術モデルの需要について見ると、男性はきわめて少なく、女性モデルの比率が圧倒的に高い。学校によっては、女性モデルしか使用しないが、男性を雇用する施設もあり、要は講師の考え方しだいである。

美術モデル事務所に所属していない人物を美術モデルとして起用の場合には、謝礼報酬は、1時間3000円程度の謝礼に交通費を加えた額を支払う場合が多い。美術モデル事務所等に所属している美術モデルの場合には、各々の事務所規定の報酬となる。

クロッキー会や絵画教室、美術大学では、裸婦モデルがポーズ中は室内へ入らないことがルールである。エチケットを守って、裸婦モデルに気持ち良く仕事をしてもらうことを心掛けたい。また、ヌードモデル・着衣モデルに関わらず、モデルへのプライベートな質問をしない、というのが暗黙の了解である。

著名な美術モデル[編集]

脚注[編集]

  1. 1915年映画「Purity」1916年「inspiration」に女優として出演
  2. ユトリロら多くの画家と友人に。
  3. クールベの「眠り」でヌード・モデルをつとめた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]