「清水行之助」の版間の差分

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*1919年に、[[大川周明]]が上海にいた北を日本に連れ戻しに来た際に、北と共に日本に帰国した{{Sfn|小田部|1988|p=70}}{{Sfn|徳川|1973|p=60-61}}。帰国後、北や[[岩田富美夫]]ともに[[老壮会]]に出席{{Sfn|中野|1977|p=73}}。この頃、[[八代六郎]]を通じて[[徳川義親]]と面識を得る{{Sfn|小田部|1988|p=70}}{{Sfn|徳川|1973|p=60-61}}。
 
*1919年に、[[大川周明]]が上海にいた北を日本に連れ戻しに来た際に、北と共に日本に帰国した{{Sfn|小田部|1988|p=70}}{{Sfn|徳川|1973|p=60-61}}。帰国後、北や[[岩田富美夫]]ともに[[老壮会]]に出席{{Sfn|中野|1977|p=73}}。この頃、[[八代六郎]]を通じて[[徳川義親]]と面識を得る{{Sfn|小田部|1988|p=70}}{{Sfn|徳川|1973|p=60-61}}。
 
*1920年 北や[[大川周明]]、[[辻嘉六]]の後援で[[大化会]]を設立{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
 
*1920年 北や[[大川周明]]、[[辻嘉六]]の後援で[[大化会]]を設立{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
*1923年 [[大化会]]を岩田富美夫に譲る。
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*1923年 大化会を岩田富美夫に譲る。
 
*1924年 [[山本唯三郎]]・[[後藤新平]]・八代・徳川・大川・北らの支援により[[大行社]]を創立し、会長となる{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
 
*1924年 [[山本唯三郎]]・[[後藤新平]]・八代・徳川・大川・北らの支援により[[大行社]]を創立し、会長となる{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
 
*1925年 大川の[[行地社]]に参加{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。[[安田共済事件]]で大川と北が対立した後、大川についた{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
 
*1925年 大川の[[行地社]]に参加{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。[[安田共済事件]]で大川と北が対立した後、大川についた{{Sfn|小田部|1988|p=70}}。
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*1931年3月 [[三月事件]]では、大川と清水が、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]の[[橋本欣五郎]]中佐から提供を受けた擬砲弾300発を使い、[[社会民衆党]]の[[赤松克麿]]らとも連携して、東京で騒乱を起こす計画だったが、陸軍首脳部の反対と[[宇垣一成]]の変心により、計画は中止された{{Sfn|小田部|1988|p=64}}。大川と清水は単独でも計画を実行すると主張したが、徳川に説得されて中止を受け入れた{{Sfn|小田部|1988|pp=64-65}}。
 
*1931年3月 [[三月事件]]では、大川と清水が、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]の[[橋本欣五郎]]中佐から提供を受けた擬砲弾300発を使い、[[社会民衆党]]の[[赤松克麿]]らとも連携して、東京で騒乱を起こす計画だったが、陸軍首脳部の反対と[[宇垣一成]]の変心により、計画は中止された{{Sfn|小田部|1988|p=64}}。大川と清水は単独でも計画を実行すると主張したが、徳川に説得されて中止を受け入れた{{Sfn|小田部|1988|pp=64-65}}。
 
**清水は計画中止後もしばらく擬砲弾の陸軍への返還を拒否し、同年12月に徳川からの依頼を受けて参謀本部・[[根本博]]中佐に擬砲弾を返還した{{Sfn|小田部|1988|p=71}}。
 
**清水は計画中止後もしばらく擬砲弾の陸軍への返還を拒否し、同年12月に徳川からの依頼を受けて参謀本部・[[根本博]]中佐に擬砲弾を返還した{{Sfn|小田部|1988|p=71}}。
*1932年 [[日本相撲協会|大日本相撲協会]]分裂に関与。[[大行社]]は休眠状態に。[[河本大作]]と[[甘粕正彦]]の満州での活動を援助した見返りとして[[満州]]の[[延和金鉱公司]]の株式を取得し、開発・経営に従事{{Sfn|小田部|1988|pp=71-72}}。
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*1932年 [[日本相撲協会|大日本相撲協会]]分裂に関与。大行社は休眠状態に。[[河本大作]]と[[甘粕正彦]]の満州での活動を援助した見返りとして[[満州]]の[[延和金鉱|延和金鉱公司]]の株式を取得し、開発・経営に従事{{Sfn|小田部|1988|pp=71-72}}。
 
*1945年 徳川義親と共に、[[日本社会党]]結成のための資金を提供。
 
*1945年 徳川義親と共に、[[日本社会党]]結成のための資金を提供。
 
*1950年 [[東京都競馬]]株式会社を設立、[[大井競馬場]]を造る。
 
*1950年 [[東京都競馬]]株式会社を設立、[[大井競馬場]]を造る。
*1973年 [[西パプア]][[独立運動]]に協力。
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*1973年 [[西パプア独立運動]]に協力。
*1979年 [[天誅会]][[最高顧問]]。
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*1979年 [[天誅会]]最高顧問。
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==人物==
 
==人物==
 
八代六郎は、清水を「[[弁天小僧菊之助]]のような男だ」「[[清水次郎長]]と[[小金井小次郎]]をつきまぜたような人物だ」と評し、清水自身も"清水小次郎"と名乗っていた。{{Sfn|徳川|1973|p=61}}
 
八代六郎は、清水を「[[弁天小僧菊之助]]のような男だ」「[[清水次郎長]]と[[小金井小次郎]]をつきまぜたような人物だ」と評し、清水自身も"清水小次郎"と名乗っていた。{{Sfn|徳川|1973|p=61}}

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清水 行之助(しみず こうのすけ、1895年1月24日-1980年6月22日)は、大正昭和期に活動した右翼活動家

略歴[編集]

人物[編集]

八代六郎は、清水を「弁天小僧菊之助のような男だ」「清水次郎長小金井小次郎をつきまぜたような人物だ」と評し、清水自身も"清水小次郎"と名乗っていた。[13]

著書[編集]

  • 清水行之助回想録刊行会『大行‐清水行之助回想録』原書房、1982年

付録[編集]

関連文献[編集]

  • 中野 (1973) 中野雅夫 [ 昭和史の原点‐2 満州事変と10月事件 ] 講談社 1973 JPNO 73023190
  • 中野 (1972) 中野雅夫 [ 昭和史の原点‐1 幻の反乱・三月事件 ] 講談社 1972 JPNO 73004214

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 堀幸雄『戦前の国家主義運動史』三嶺書房、1997年。
  • 小田部 (1988) 小田部雄次 [ 徳川義親の十五年戦争 ] 青木書店 1988 ISBN 4250880192
  • 中野 (1977) 中野雅夫 [ 革命は芸術なり‐徳川義親の生涯 ] 学芸書林 1977 JPNO 78013751
  • 中野 (1974) 中野雅夫 [ 昭和史の原点‐3 五・一五事件消された真実 ] 講談社 1974 JPNO 73023191
  • 徳川 (1973) 徳川義親 [ 最後の殿様 徳川義親自伝 ] 講談社 1973 JPNO 73011083