「三郷町立三郷中学校」の版間の差分
細 (「三郷町立三郷中学校」を保護しました: 度重なる荒らし ([編集=管理者のみに許可] (2015年11月12日 (木) 14:46(UTC)で自動的に解除) [移動=管理者のみに許可] (無期限))) |
|
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |
(相違点なし)
|
2015年8月12日 (水) 22:46時点における最新版
三郷町立三郷中学校(さんごうちょうりつさんごうちゅうがっこう)は、奈良県三郷町の中学校である。
帰宅途中にパチンコ3時間半。生徒1169人の個人情報盗まれる[編集]
奈良県三郷町教委は2014年9月16日、町立三郷中学校の男性教諭(54)が帰宅中、在校生や卒業生計1169人分の氏名や成績などの個人情報が入ったUSBメモリーを入れたかばんを盗まれたと発表した。
現時点で個人情報の流出に関する相談はないといい、教諭は12日の全校集会で生徒らに謝罪。町教委は文書による訓告処分を行った。
同町教委によると、教諭は全学年の技術科を担当。8月27日午後6時ごろ、帰宅途中に同県天理市内のパチンコ店に入り、約3時間半後に車に戻ると、助手席の窓ガラスが割られ、足元に置いていたかばんなどが盗まれていたという。
かばんに入れていたUSBメモリーには、195人分のクラス名簿などのデータも入っていた。また、生徒の課外活動の様子を記録したデジタルカメラ1台も盗まれたという。
教諭は県警天理署へ被害届を提出。「USBメモリーなどは日常的にかばんに入れていた。情報を持ち出している意識が低かった」と話しているという。
沿革[編集]
- 昭和22年4月22日 - 生駒郡三郷村三郷中学校開校
- 昭和41年4月2日 - 町制施行により三郷町立三郷中学校と改称
- 昭和42年10月15日 - 完全給食開始
- 昭和48年1月29日 - 新校舎(A・B・C棟)落成
- 昭和51年3月15日 - 体育館落成
- 昭和52年7月4日 - プール完成
- 昭和53年6月5日 - 運動場完成
- 昭和58年5月1日 - 校舎増築(D棟)
- 昭和61年4月1日 - 校舎増築(E棟)
- 平成4年10月1日 - 校訓『自主 敬愛 創造』制定 碑の建立
自然的・地理的な特色[編集]
三郷町は奈良県の北西部、生駒郡の南西端にあり、奈良盆地を南東に臨んで展開している。東経135度37分~45分の位置にあって総面積は8.62k㎡、北西部には、高安山、信貴山などがあり、地形は全体として約8度の傾斜をなし、標高は最高487m、最低35mで、100m以下は台地となって、住宅地または耕作地となっている。
本町の西側は、生駒山脈の山懐を焼に、大阪府八尾市、柏原市に接し、南側は大和川を境に北葛城郡王寺町に、東測は生駒郡斑鳩町に、北側は生駒郡平群町に隣接している。
こうした立地条件の影響で、昭和30年代半ばから台地を利用した宅地開発が徐々に進み、近年では信貴山中腹に迫る勢いである。もともと勢野、立野、南畑の三村合併(明治22年)で出発した三郷村も、昭和和41年の町制施行以後、農村的環境は大きく変化し、人口密度は県下でも上位を示すに至っている。更に全国的に例を見ない農住団地構想による宅地が造成され、住宅地としての環境が整備される中で、一層の人口増が進んできた。
文化的・歴史的な特色[編集]
歴史に現れている竜川越えの古道や風神を祭神とする竜田大社、古代及び中世の宮人たちが紅葉の竜田川や三室山を賞でて詠んだ古歌の地、加えて聖徳太子ゆかりの史跡や、豊かな物語を秘めた信貴山など飛鳥文化を代表する多くの史跡が散在している。
叉、県立信貴ケ丘高校(現、西和清陵高校)の誘致、奈良産業大学の誘致等が行われ『幼稚園|から大学まで』と教育の町として発展してきている。
産業的・経済的な特色[編集]
奈良県の西玄関としての交通の要衝であって、JR線(大和路線・桜井線)の分岐点、私鉄(近鉄生駒線・田原本線)や国道25号線を中心とする自動車線(奈交バス)の発着の激しい王寺町に隣接しており、農業のかたわら交通機関に勤務する人達、商業開発をすすめる人達、地場産業の履物製造業に従事する人達が多かったが、近年では宅地開発が進み、商都大阪に職場をもつ人達のベッドタウンとして発展してきている。
人権教育[編集]
差部の現実から学び、差別を科学的とらえるとともに、「基本的人権の尊重」という立場からもそれを認識し、不合理、矛盾を許さない実践力と人間性を育てる。