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総合格闘技(そうごうかくとうぎ)は、打撃(打ち技、蹴り技、突き技)、投げ技、固め技(抑込技・関節技・絞め技)などの攻撃法を駆使して勝負する格闘技である。略して「総合」と呼ばれることもある。
ボクシングや空手などの相手と一定の距離をおき立った状態から打ち技で戦う打撃(立ち技)系格闘技や、レスリングや柔道など相手と組んだ状態で固め技や投げ技を繰り出して戦う組技系格闘技と対比される。
打撃系格闘技の多くでは固め技・投げ技が、組技系格闘技の多くでは打撃がルールで禁止されているのに対し、総合格闘技ではその両方を認めることから、何でもありの格闘技とも呼ばれる(目突きや噛みつき・頭突き等の特に危険な攻撃は禁止している場合が多い)。
英語ではMMA(Mixed Martial Arts、「混合格闘技」の意)、NHB(No Holds Barred、「禁じ手無し」の意)、Free Fight、ポルトガル語ではVT(Vale Tudo、「全てが有効」の意 バーリトゥード)などと呼ばれる。最近ではMMAという名称が定着している。
狭義ではこれらのうち、日本でも各種大会が開催されるようになった初期の頃、マスコミやファンの間で「NHB」「バーリトゥード」と呼んでいた格闘技のことを「総合格闘技」という。最近はこの名称が定着している。なお、寝た状態での顔面打撃が禁じられているルールは、総合格闘技・MMAとしては認められても、「何でもあり」を意味するNHBやバーリトゥードと呼ばれることは一般的ではない。
目次
ルール[編集]
総合格闘技は世界的に統一されたルールが存在せず、団体により様々なルールが規定されている。米国の多くのプロモーションではネバダ州アスレチック・コミッションの定める統一ルールを採用している。ここでは現在主流となっているルールについて記述する。
試合場[編集]
Ultimate Fighting Championship(UFC)・World Extreme Cagefighting(WEC)・Elite Xtreme Combat(EliteXC)・Strikeforce等、北米を中心としたプロモーションにおいては金網(ケイジ)が使用されるが、プロモーションによって大きさや形(八角形・五角形など)が異なる。日本では一部のイベントを除き四角形でロープを張ったリングが使用されている。
試合形式[編集]
北米を中心としたプロモーションにおいては、試合時間は通常5分3ラウンドとし、タイトルマッチのみ5分5ラウンドとするものが一般的である。日本でも戦極・パンクラス・CAGE FORCEなどはこれに準ずる形となっているが、PRIDEでは1ラウンド10分、2・3ラウンドを5分とする変則3ラウンド制が採用され、DREAMにおいても1ラウンド10分・2ラウンドを5分とする変則2ラウンド制が採用されている。
選手の服装[編集]
多くのイベントの場合、オープンフィンガーグローブの着用が義務付けられ、上半身は裸、下半身には短いスパッツかトランクスを着用して試合を行う。日本ではイベントによって様々であるが、シューズ・道着・レスリングタイツ・ロングスパッツなどの着用が認められる場合もある。また、ZSTのようにオープンフィンガーグローブの着用の有無を出場選手の任意とするものもある。
主な反則[編集]
目潰し・金的・頭突きなど、急所のうち特に人体に危険を及ぼしうる部位への攻撃については、安全性への観点からほぼ全ての大会で禁止されている。他の反則についてはイベント毎に違いがあり、UFC等の北米地域を中心とするイベントの多くでは肘打ちは有効(下方向へ突き落とすものを除く)とされており、またPRIDEやパンクラスのようにグラウンド状態の相手の頭部・顔面への蹴りによる攻撃が全て認められている場合もある。また、リングスのようにグラウンドでの顔面へのパンチを禁止しているものもあった。
勝敗[編集]
パンチ・キック等の打撃によるKO(ノックアウト)、レフェリーストップ・ドクターストップ・セコンドによるタオル投入などによるTKO(テクニカルノックアウト)、関節技や絞め技によるタップアウトおよびレフェリーによる見込み一本・口頭でのギブアップ(サブミッション、一本勝ち)もしくは判定により勝敗を決する。判定時の採点に関しては多くのプロモーションでは第三者機関管轄の下でラウンド毎に採点が行われる一方、PRIDEでは試合全体を通じて一つの採点がつけられる。判定基準についてもイベント毎に様々である。
世界の総合格闘技事情[編集]
プロフェッショナルの総合格闘技は主催者・マスコミ・協賛企業などの協力関係のもと、大会運営勢力(プロモーション)によって開催、運営される。これらのプロモーションは、高額なファイトマネーないし優勝賞金を用意した大規模な興行を開催し、日本・アメリカ・ヨーロッパの各国・ブラジル等の格闘技の盛んな世界中の強豪選手を参加させている。総合格闘技の一部のトップ選手はファイトマネーや賞金などによりプロの選手として生計が成り立つことを既に立証している。
しかし一方では、ボクシングのWBA、WBCに相当するような世界的統括組織が存在しないため、プロ・アマ問わずの小規模な各種大会がそれぞれ独立して世界王者・ランキングを認定し、世界中の各国・各地で多数開催されている。日本では統括組織となるべく日本総合格闘技協会が2007年に設立されたが、機能してるとは言えない。
アメリカでは最大規模のUFC以外にKing of the Cage(KOTC)、Extreme Challenge、Hook 'n' Shoot、International Fighting Championship(IFC)、International Fight League(IFL)などの大会がある。
日本では最大手のPRIDEは2007年に消滅。
総合格闘技のプロモーションは日米以外でもブラジル・オランダ・ロシア・カナダ・リトアニアなどにも存在し、近年アジアでもモンゴル・インドネシア・韓国などで大会が開催されている。
各国の総合格闘技の隆盛[編集]
以下の内容は著者独自の見解で根拠がないのではないかと言っていた人がいたようです。 |
- アメリカ
- レスリングの普及度、体格的な優位、UFCを中心とした強いプロモーションの存在により、1993年のUFC発足以来の総合格闘技はアメリカを中心に回っている。一時期暴力性の強い試合内容にバッシングが起こり、コミッションの認可を受けられず、興行面での主導権を日本に奪われかけたこともあったが、2001年にUFCの運営母体がズッファLLC社となってからは各州で合法化され、2006年からUFCの人気が爆発。UFCのPPVの売り上げに大資本による追随する大会が続出し、2000年代後半はMMAバブルとも言われる活況を呈した。2008年にはEliteXCによって初めて地上波のネットワークで総合格闘技が放送されることになった。
- ブラジル
- バーリトゥード発祥の地であり、1960年代から1970年代にかけては、地上波で放送が行われていた[1]。ブラジリアン柔術からの転向者を中心として競技者も多い。難点は大規模なプロモーションが存在しないこと。このため、ブラジルの有力選手はアメリカに移住するケースが多い。
- ロシア
- ソビエト連邦時代から、サンボ、レスリングが普及しており、体格にも恵まれている。しかし、それ以外の空手、テコンドー、柔術などの格闘技は1989年まで禁止されていた。1994年からリングス・ロシアがパウンドのない大会の自主興行を行い[2]、UFCの影響を受けた世界標準の総合格闘技の各種の大会が開催された。中でも1997年から始まったM-1が最も回数を重ねている。リングス・ロシアを前身とするロシアン・トップチームやレッドデビル所属の選手が世界的に活動している。
- 日本
- 総合格闘技の発祥の地といえるが、世界標準となった総合格闘技ルールでは当初苦戦を強いられた[3]。2000年代以降、PRIDEを中心としたテレビの地上波放送により大衆レベルでは世界でも最も総合格闘技が受容されていた国の一つだった。しかし2007年のPRIDEの崩壊による停滞は否めない。アメリカを中心に総合格闘技の人気が高まるにつれ、他国の選手層が飛躍的に厚くなり、かつてのアドバンテージはなくなりつつある。
- 韓国
- 元々柔道、レスリングでは日本に迫る強さがあり、日本での総合格闘技人気に刺激され人気、競技人口が爆発に増加しつつある。地上波で日本のK-1やPRIDEの放送がされていたが、格闘技の放送は2000年代半ばに国会で問題になりケーブルテレビへ移行[4]。ケーブルテレビやインターネットでは制限が少なく、世界中の興行を視聴しやすい環境である。難点は2年間の徴兵制度がある為、選手の活動、成長が阻害されてしまうケースが見られる。
- 中国
- 2007年度に初めて総合格闘技の興行が行われた。しかし観客、興行サイド、選手は総合格闘技を競技として昇華する前の段階の残虐的なショー意識が強いのは否めないだろう。まだ手探り状態といえる。
- オランダ
- 1991年にクリス・ドールマンが日本のリングスに参戦し、1995年にはオランダで初となる総合格闘技の大会を開催。格闘技はキックボクシングが主流であり、K-1選手は多いものの総合の選手は少なく、寝技のレベルの低さが指摘されている[5]。総合格闘技の大会としては、2000年からToo Hot To Handle(2H2H)が開かれている。
- イギリス
- 2002年より定期的な大会として、Cage Rageを開催[6]。
- フランス
- 総合格闘技は2008年になって合法化された[7]。柔道の普及度は日本を凌駕しているが、総合格闘技の選手は少ない。
- ノルウェー
- 総合格闘技不毛の地といえるが、ヨアキム・ハンセン、ユノラフ・エイネモ等の優秀な選手が生まれた。
- スウェーデン
- 2008年4月に総合格闘技が解禁された。
- リトアニア
- ZSTに選手を送り込んでおり、自国でもリトアニア・ブシドー協会の興行が行われ、日本のZSTの選手を来日させ試合を行っている。
- 欧州は総合格闘技自体が禁止されている国が多い。
- アフリカ
- 欧州よりもさらに総合不毛の地であるが、純粋なアフリカンファイター、ソクジュが生まれた。身体的に優位な民族であるのは間違いなく要出典、総合に本腰を入れてくると、三大大国をおびやかす脅威の選手が現れる可能性は高い。
総合格闘技の歴史[編集]
黎明期[編集]
打ち技、投げ技、固め技の三つの技体型を総合的に教える武道は日本拳法など日本にも古くから存在するが、現在のような総合格闘技には、ブラジルのバーリトゥードが深く関わっていると考えられる。 たとえば、日本の異種格闘技戦の魁となったアントニオ猪木もブラジルに渡航した経験をもつ。
日本では1984年4月、新日本プロレスから離脱したプロレスラーによって興された第1次UWF(Universal Wrestling Federation:ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)がプロ格闘技団体の先駆とされている。UWFは佐山聡(初代タイガーマスク)が加入後、自身が当時考案していたシューティングという現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念をUWFに持ち込み、従来のプロレス界のタブーであったショー的要素を公然と排除した「真剣勝負」路線を打ち出すようになり、前田日明・藤原喜明・高田延彦らの選手を擁し人気を博した。
UWF以前にも、新日本プロレスのアントニオ猪木がプロレスのリングにおいて「異種格闘技戦」をモハメド・アリ(ボクシング)、ウイリー・ウイリアムス(空手)、ウィルヘルム・ルスカ(柔道)らを相手に行っている。猪木の異種格闘技路線もUWFも結局「プロレス」の域を出ることは無かったものの、これが今日の総合格闘技の「萌芽」となったと言われている(しかし、今日のこれと無関係な世界的総合格闘技の隆盛からむしろ「障害」・「迂路」となったとする意見もある)。UWFでもまた異種格闘技戦を何度か行っており、後述の初期UFC同様、総合格闘技の黎明期は一つのスポーツ格闘競技というよりも「UWF戦士はサンボ、ムエタイより強いのか?」「どの格闘技が最強なのか?」という関心を駆り立てる異種格闘技戦としての側面が強かった。
第1次UWFは結局1年半で崩壊することになるが、佐山聡によって1984年に修斗(当初は「シューティング」と呼ばれた)が創設されている。
第1次UWF崩壊後、所属主要選手は新日本プロレスとの業務提携を経て、第2次UWF(新生UWF)を興し再出発する。1988年5月、後楽園ホールでの旗揚げ興行はわずか15分でチケットが完売。今や伝説となった1988年8月13日の「真夏の格闘技戦」を経て、第二次UWFは格闘技界に一大ムーブメントを起こした。後にパンクラスを立ち上げる船木誠勝も新日から移籍、そしてUWFの新弟子1期生として現U-FILE CAMP主宰の田村潔司が入団している。
しかし、この第2次UWFもまた数年後には分裂という形で崩壊の憂き目に遭う。前田日明がリングス、高田延彦・安生洋二・宮戸優光らがUWFインターナショナル、藤原喜明・船木誠勝・鈴木みのるらが藤原組を創設。藤原組からは更に船木、鈴木らが後に独立してパンクラスを創設する。しかし、リングス、UWFインターナショナル、パンクラスもプロレスの域を脱することはなかった。
同時期のUWF以外の総合格闘技の流れとしては、UWFムーブメントに影響を受けて1985年に元日本キックボクシング・ウェルター級チャンピオン、シーザー武志が「立技総合格闘技」・シュートボクシングを創設している。
そして1993年4月30日、それまでリングスなどとも提携しプロの格闘技興行にも進出してきていた正道会館が第1回K-1グランプリを開催する。今日ではK-1はキックボクシングの世界大会として認識されているが、設立当時はその名称の理念にもあるように、「空手、カンフー、キック、ムエタイ他、様々な打撃系格闘技の選手が戦ったら誰が一番強いか?」という異種格闘技系のテーマを全面に出していた。また、同じ打撃系格闘技でも、蹴りや素手の打撃を禁止したり(ボクシング)、拳による顔面への直接打突を禁止したり(フルコンタクト空手)、ローキックや肘、膝蹴りを禁止したり(アメリカの一部のキックボクシング)と、ルールに大きな相違があった。これらを全て統合ルールでまとめて打撃系最強を決めようと言うアイデアは異種格闘技の発想とも言える。実際、リングス他との提携に見られるように、正道会館もまた前述のシュートボクシングと同じくUWF系総合格闘技の流れに呼応する形で発展してきた(無論、正道会館の発展には極真空手のムエタイ挑戦などフルコン空手系自体における流れの影響も大きい要出典)。そして、皮肉にもK-1は本家の総合格闘技より先に大きな発展をとげ、後の日本総合格闘技発展に逆に影響を与える事になる要出典。
UWF系3団体はそれぞれ大きな興行も幾つか成功させ、格闘技界では注目を集めたが、後発のK-1が民放主要局のゴールデンタイムで試合が放映されるほどの人気を博するようになったのに比べると、まだまだ一部のコアなファンが楽しむだけのマイナースポーツの域を脱していなかった。ここにアメリカから更に大きな衝撃が日本を襲うことになる。米総合格闘技大会UFCとブラジリアン柔術のグレイシー柔術である。
UFC開催[編集]
アメリカでは、1993年11月12日に開催された第1回Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ:UFC)大会が総合格闘技(MMA)ブームのきっかけになった。グレイシー一族の一人、ホイス・グレイシーが、第1回大会から小兵ながらも巧みな柔術技で空手やカンフーなど様々な分野の格闘家を破り優勝。この出来事はいわゆる「グレイシーショック」として日本にも伝播することになる。
グラウンドでの馬乗り状態から素手での顔面攻撃を認めるその過激なルールは、日本格闘技界にとってはUWFがプロレスのショー的要素を廃し真剣勝負・スポーツ格闘競技路線を提唱したこと以来の衝撃的な出来事だった。U系では、グラウンド状態はもとより素手での顔面打突も当然禁止されていた。今日のようにオープンフィンガーグローブが存在しなかったため、拳による顔面への打突にはボクシングにおけるようなグローブが着用必須となる。しかしグラウンドでの関節技の攻防が中心のUWF系団体の試合ではボクシンググローブを着用することは大きな不利となり、またカール・ゴッチ直伝のサブミッション・レスリングを売りにしていたことからも、UWF系団体ではルールで一律に禁止されていた(ただ、異種格闘技戦においては、相手の打撃系格闘家はグローブを着用した)。
また、同大会にはUWF「真夏の格闘技戦」で前田日明と対戦したジェラルド・ゴルドー、パンクラスのケン・シャムロックら、日本でも馴染みのある選手も参加し、UFCの第2回大会には大道塾の市原海樹が参戦。これら日本でトップクラスの実力者と見なされてきた者たちが全てホイス・グレイシーに易々と負けてしまったことは大きな衝撃だった。
当初、UWF系のリーダーたちはUFCに拒絶反応をしめしていたものの、マスコミやファンの声を無視することができなくなり、徐々にバーリトゥードに団体を近づけていった(リングスのKOK、Uインター後のキングダム等)。
第1回UFC開催の翌年の1994年にはさっそく日本で「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994」が開催され、ホイスの兄でありグレイシー一族最強とされていたヒクソン・グレイシーが優勝。その翌年開催の同大会にもヒクソンが参加し二連覇を果たす。
PRIDE[編集]
1997年10月11日、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の第1回大会が開催される。メインイベントでは高田延彦とヒクソン・グレイシーが対戦し、ヒクソンが腕ひしぎ十字固めで勝利すると、ヒクソンの名声とともにPRIDEは格闘技イベントとしての地位を確立していく。
過去にTV放映されていた格闘技といえばボクシング、次いでK-1などがメインであったが、日本人選手を次々と破っていくグレイシー一族との抗争が人気を呼び、PRIDEは徐々に地上波での放送が行われるようになる。
2001年のINOKI BOM-BA-YEの成功以来、大晦日に格闘技の興行が行われることが多くなり、2003年の大晦日では同時刻帯に3つの興行が開催され、テレビでも主要局で中継放送された。著名な日本人格闘家やタレント兼格闘家の試合は話題性・注目度が高く、老若男女問わず多くの視聴者を引きつける。総合格闘技は現在では有名な娯楽観戦の一つとして地位を築きつつある。なお、PRIDEは全米でのPPV放送のみならず南米やヨーロッパの一部の国などでも放送されており、世界的知名度はUFCと変わらない高さになっていた。
試合においては、1990年代後半よりレスリング出身のマーク・コールマンやドン・フライ、マーク・ケアー、ランディ・クートゥアといった選手が活躍するようになる。かつてのUFC、あるいは他のバーリトゥード大会でブラジリアン柔術のベテラン選手達が柔術旋風を巻き起こしたように、1990年代後半からはレスリング出身者が優位を占めるようになっていく。
2000年代に入ると、今度は柔術・レスリングなどの寝技(グラウンド)・組み技を研究しつつ、あくまで打撃にこだわるスタイルの選手が活躍するようになる。シュートボクセ・アカデミー(ムエタイ系打撃)のヴァンダレイ・シウバや、K-1グランプリで準優勝したこともあるミルコ・クロコップなどがそれである。第2代PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルもベースにあるのは、豪快な投げと強力な関節技が特徴のサンボだが、得意とするのは(特長的なのは)パンチであり、立った状態はもちろん、グラウンド状態でも強烈なパンチ(これをパウンドと呼ぶ)を放つ技術を持っている。多彩な柔術技を駆使する初代王者"ミノタウロ"ことアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとは好対照をなしている。 現在の打撃系選手の活躍には、シュートボクセなどのブラジル出身者の他に、元キックボクシング世界王者モーリス・スミスの恩恵が大きい。長年王者に君臨していたスミスは、現役晩年に総合ブームが起こり参戦するも、他の打撃系選手と同様に寝技系選手に敗退する。しかし、かつての名声を犠牲にしてでもモーリスは総合に参戦しつづけ、敗退を繰り返す中で打撃系選手の総合での対応策を見出していった(モーリスが目指したのは、寝技は防御のみを徹底的にマスターし、打撃で攻撃するスタイル)。その後、モーリスに教えを乞いにいった打撃系選手は数知れない。
UWF、UFCの負の遺産[編集]
以下の内容は著者独自の見解で根拠がないのではないかと言っていた人がいたようです。 |
今日の総合格闘技を語るにおいて、日本のUWF、アメリカのUFCの貢献は欠かすことが出来ない。しかし、これらはその一方で幾つかの負の遺産を残している点も否めない。まず、UWFはプロレスから派生してきたという経緯から、常に八百長、ヤラセ疑惑がつきまとってきた。現在では実際に初期UWFなどは完全なプロレスで、それ以降は過渡期として真剣勝負、プロレスが混在する状態にあったことが判明している。真剣勝負、プロレスの比率については意見の分かれるところであり、またそれぞれの団体のファンは自分の支持する団体に関してだけは擁護する傾向にある、またそれについて関係者の殆どは口を閉ざしている。しかし、第1次UWFの試合の多くが今日の総合格闘技とは異質なものであることは誰の目にも明らかであるし、それ以降のU系団体における試合にも、全てではないにしろ、幾つか疑わしい試合が散見されるのは事実である。選手からのプロレスであったことを示唆する証言も幾つかリークされている。
一方、アメリカのUFCは、初期の大会は真のノールール(素手、金的、肘の垂直での打ち下ろしありなど)で開催されたため、大変な衝撃を与え、PPV契約は順調に伸びていた。しかし、「過激過ぎる」という意見がアメリカの共和党の上院議員ジョン・マケインから出され、UFCバッシングが始まってしまいPPV契約は一気に落ちてしまった。これにより一般人にはボクシングに類するスポーツ格闘競技としてではなく、単に荒くれ者が素手で馬乗りになって殴り合う血みどろで残酷な暴力ショーというネガティブなイメージを強く焼き付けてしまった。だがその後はルールを改正し、地道に活動を続け、選手が出演するリアリティー番組・The Ultimate Fighter(ジ・アルティメット・ファイター)の人気も手伝った結果広く人気を博している。
関連項目[編集]
世界の総合格闘技団体 |
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日本 |
外部リンク[編集]
- 総合格闘技boutholic!!(総合格闘技ニュースサイト)
- 総合格闘技ニュースブログ NHBnews PRO(総合格闘技の話題が中心の投稿型ニュースブログ)
- 総合格闘技を極める!!(総合格闘技の技を解説しているサイト)
- 格信犯ウェブ(総合格闘技・プロレス関連フリーペーパー)
- Mixed Martial Arts MMA CANADA
脚注[編集]
- ↑ 近藤隆夫『すべては敬愛するエリオのために グレイシー一族の真実』毎日コミュニケーションズ、2001年、p6。
- ↑ 布施鋼治「ロシア 知られざる格闘都市、牙を研ぐ精鋭たち」『Sports Graphic Number』No.569、2002年、文藝春秋
- ↑ 修斗のバーリトゥードジャパンオープン96を速報する『格闘技通信』1996年8月11日増刊号の表紙に掲載されたのが「日本最弱」という見出しだった。
- ↑ 『kamipro』No.120、2008年。
- ↑ 松井孝夫「オランダ 彼らが拳を信じる理由」『Sports Graphic Number』No.569、2002年、文藝春秋
- ↑ ATAQUE「新格闘世界情勢」『Sports Graphic Number』No.658、2006年、文藝春秋
- ↑ THE LEGALIZATION OF MMA IN FRANCE 日