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2009年12月14日 (月) 12:24時点における最新版
佐藤 雄能(さとう ゆうのう、慶応元年5月3日(1865年5月27日) - 昭和14年(1939年)10月30日)は、山形県東田川郡櫛引町(現・鶴岡市)出身の、日本の教育者。鉄道省事務官。幼名は雄之助。
経歴[編集]
- 1865年(和暦??年)5月27日 - 庄内藩士・辻新右衛門の4男として鶴岡に生れる。
- 1884年(和暦??年) - 神職・佐藤正孝の養嗣子となる。
- 1886年(和暦??年) - 山形県師範学校を卒業し天童小学校訓導となる。
- 1888年(和暦??年) - 上京し東京専門学校(現・早稲田大学)行政科に入学する。
- 1890年(和暦??年) - 同校を卒業する。
- 1892年(和暦??年) - 山添小学校に勤務する。
- 1894年(和暦??年) - 鶴岡・酒田間の鉄道布設計画の実地調査に従事する。
- 1896年(和暦??年) - 有志の資金援助を得て東京に荘内館(現・財団法人やまがた育英会・駒込学生会館)を設立する。
- 以後、東京鉱山監督署、農商務省特許局、逓信省鉄道局、鉄道省に務める。
- 1933年(和暦??年) - 鉄道省事務官を退官する。日本通運(株)の監事となる。
- 1939年(和暦??年) - 日本通運(株)の監事を退任する。
- 10月30日、死去する。享年75。
著書[編集]
- 1917年(和暦??年) - 「鉄道会計」同文館
- 1918年(和暦??年) - 「株式会社会計」同文館
- 1922年(和暦??年) - 「実用鉄道会計」同文館
- 1925年(和暦??年) - 「株式会社」岩波書店
- 1929年(和暦??年) - 「鉄道経営の理論と実際」同文館
- 1937年(和暦??年) - 「鉄道会計研究」森山書店
- 1943年(和暦??年) - 「鉄道評価の諸問題」春秋社
家族親族[編集]
参考資料[編集]
- 『庄内人名辞典』 編纂・出版:庄内人名辞典刊行会