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'''佐川 一政'''(さがわ いっせい、[[1949年]][[6月11日]] - )は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、76年[[関西学院大学]]大学院英文学専攻修士課程修了、80年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院修士課程修了。
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'''佐川 一政'''(さがわ いっせい、[[1949年]][[4月26日]] - [[2022年]][[11月24日]])は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、76年[[関西学院大学]]大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、80年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。
  
 
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2023年2月14日 (火) 12:22時点における最新版

佐川 一政(さがわ いっせい、1949年4月26日 - 2022年11月24日)は、パリ人肉事件の元被疑者の日本人小説家神戸市出身。和光大学人文学部文学科卒業、76年関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、80年パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了。

祖父は朝日新聞論説委員、父は伊藤忠商事から出向の栗田工業元社長、佐川明

経歴[編集]

生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの未熟児だった。出生1年後には腸炎を患い、カリウムカルシウムの静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『嵐が丘』『戦争と平和』などのほか、シェークスピアに興味を示し、音楽ではベートーベンヘンデルを愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。

こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年のドイツ人女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。

1977年フランスに留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の1981年6月11日、佐川は同大学の女性留学生(当時25歳)を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、そのを貪った(パリ人肉事件)。佐川は犯行を自供したが、精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。その後、アンリ・コラン精神病院措置入院されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の唐十郎に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」(『文藝』1982年11月号)で第88回芥川賞を受賞する。

1984年に帰国。東京都立松沢病院に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている(Tokyo Journal1992年9月号)。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。

15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた(週刊マーダーケースブック2号)。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。

修士号を持っており[1]、修士論文のテーマは「川端康成ヨーロッパ20世紀前衛芸術運動の比較研究」であったという。

エピソード[編集]

  • ローリングストーンズが佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の12インチシングル「Too Much Blood」がそれである(12インチシングルとしては日本では未発売)。事件発覚時にミック・ジャガーはパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『アンダーカバー』B面1曲目にも収録されている(のちにCD化)。発売はいずれもローリング・ストーンズ・レコードから。
  • 松沢病院退院後、ある落語会にゲストとして出席した。大喜利に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。
    この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の川柳川柳(六代目圓生の二番弟子)が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「よぉ! 食道楽(くいどうらく)!!」
  • 特殊漫画家の根本敬が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。

著書[編集]

  • 『霧の中』話の特集、1984(彩流社、2002年5月)、ISBN 4882027461
  • 『生きていてすみません-僕が本を書く理由』北宋社 1990
  • サンテ 角川書店, 1990
  • カニバリズム幻想 北宋社, 1991
  • 蜃気楼 河出書房新社, 1991
  • 喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993
  • 華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994
  • 少年A ポケットブック社, 1997
  • 殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997
  • まんがサガワさん オークラ出版, 2000
  • 霧の中の真実 鹿砦社, 2002
  • 業火 作品社, 2006
  • 極私的美女幻想 ごま書房, 2008

共著

出演作品

  • 『実録SEX犯罪ファイル』(1998-05-12・宇宙企画)
  • 『エロのから騒ぎ ~Much Ado About Eros~ 第2期生』(2003-08-24・V&R) 

脚注[編集]

  1. 多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは不起訴処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。

関連項目[編集]