「エンペディア (3)」の版間の差分
提供: Yourpedia
細 (スタイル) |
細 (追記) |
||
22行目: | 22行目: | ||
:Enpediaにおいては、[[2020年]]10月24日以降は約1年に渡り活動がみられないのはWikipeiaと連動しているようだ。しかし、なぜか解任されていない。 | :Enpediaにおいては、[[2020年]]10月24日以降は約1年に渡り活動がみられないのはWikipeiaと連動しているようだ。しかし、なぜか解任されていない。 | ||
− | + | *篠田陽司 | |
+ | :管理者を超える強大な権限をもっているため、事実上の独裁者である。まともな反論は一切受け付けない「問答無用」が多いし、反論すれば無期限ブロックの制裁がある。つまり、利用者に耳を貸そうとする意思はないようだ。 | ||
+ | :そもそもどのようなビジョンを持つかは明確でないから、出る釘を叩くだけの行動になる。良い記事を集めるという気はないから、良質記事への利用者/執筆者への敬意や育成策もない。したがって、気に入らないことがあれば、即座に(前触れも、意見徴収の機会も与えず)無期限停止ブロックを乱発することになる。エンペディアの運営に際して篠田が気を付けていることは「法的リスクの回避と、運営資金の持続可能性」であるという。「法的紛争が発生した場合、投稿者に全責任を負っていただくスタンス」だというが、現実は法的紛争が起きないものまで削除しているから、逆に利用者/執筆者から訴訟を起こされるリスクを考えていないようなので、まったく無邪気である。 | ||
2021年10月14日 (木) 21:17時点における版
エンペディア(Enpdia)はあらゆる事柄・言葉を解説する「謎の百科事典もどき」サイトと自称するWikiサイトのひとつである。「過疎ペディア」とも言われる。
概要
あらゆる事柄・言葉を解説するというが、実際には記事は解説だけではない。
削除依頼対象
「Enpedia:方針」には「執筆者の主観、主張があまりに多すぎる記事」は削除対象とするが、ほとんどが主観でも削除されない記事と削除される記事があり、一貫性がみられない。どうやら「全力で不真面目に書いた」と「自白」している記事は、主観が大半でも免責されるらしい。
著作権の解釈
「Enpedia:著作権」には「パブリックドメイン(PD)は著作権は発生していないので移入が可能」と言っている。ところが「日本国法においては著作権が発生している場合がある」といっているが、これは著作権を理解していないことを露呈している。なぜなら、パブリックドメインとは「日本国内におけるパブリックドメイン」でなければならないから、正しく日本国法におけるパブリックドメインであるなら、著作権自体が存在しないはずである。パブリックドメインにも関わらず「日本国法においては著作権が発生している場合」があるはずがない。
運営者
運営者は「スタッフ」と呼ばれる。スタッフには3区分がある。
- 最上位スタッフ
- 上位スタッフ
- 一般スタッフ
自称「最上位スタッフ」
最上位スタッフはコミュニティの承認と合意を経ずに上位スタッフの任命と解任を行えるとされている。要するに絶対権限を持つ。
- Rxy
- 大阪市在住らしい。2007年5月1日にHosiryuhosi名でWikipediaにアカウント登録。Wikipediaで「スチュワード」となったが、2020年に不信任となり失脚した。さらに投稿ブロック依頼により、2020年6月9日 (火) 09:59 Yapparina から半年のブロックを受ける。Wikipediaでは、2021年3月7日に活動休眠状態となった。
- Enpediaにおいては、2020年10月24日以降は約1年に渡り活動がみられないのはWikipeiaと連動しているようだ。しかし、なぜか解任されていない。
- 篠田陽司
- 管理者を超える強大な権限をもっているため、事実上の独裁者である。まともな反論は一切受け付けない「問答無用」が多いし、反論すれば無期限ブロックの制裁がある。つまり、利用者に耳を貸そうとする意思はないようだ。
- そもそもどのようなビジョンを持つかは明確でないから、出る釘を叩くだけの行動になる。良い記事を集めるという気はないから、良質記事への利用者/執筆者への敬意や育成策もない。したがって、気に入らないことがあれば、即座に(前触れも、意見徴収の機会も与えず)無期限停止ブロックを乱発することになる。エンペディアの運営に際して篠田が気を付けていることは「法的リスクの回避と、運営資金の持続可能性」であるという。「法的紛争が発生した場合、投稿者に全責任を負っていただくスタンス」だというが、現実は法的紛争が起きないものまで削除しているから、逆に利用者/執筆者から訴訟を起こされるリスクを考えていないようなので、まったく無邪気である。