「グヌン・ポーテン」の版間の差分
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'''グヌン・ポーテン'''({{Lang-id|Gunung Poteng}})は、[[西カリマンタン]]・[[シンカワン市]]にある[[山]]。遠くから見ると親指の形にみえる山容で、ジャングルの中に高く聳えており、山麓から山頂までは徒歩で約2km、海抜は500 - 600m。山中に谷や滝のある深い山で、1942年頃、山上に[[パッサングラハン]]があり、宿泊して朝、山頂から[[シンカワン平野]]と[[プマンカット]]の海岸線を見下ろすと、パノラマ状で[[志賀高原]]のような情緒だったという。山の中腹に、オランダ統治時代からの谷水を利用した25 - 50mの[[プール]]があった。またシンカワン市水道局が1,000戸に提供する冷水の取水地でもあった。{{Sfn|赤道会|1975|p=22}} | '''グヌン・ポーテン'''({{Lang-id|Gunung Poteng}})は、[[西カリマンタン]]・[[シンカワン市]]にある[[山]]。遠くから見ると親指の形にみえる山容で、ジャングルの中に高く聳えており、山麓から山頂までは徒歩で約2km、海抜は500 - 600m。山中に谷や滝のある深い山で、1942年頃、山上に[[パッサングラハン]]があり、宿泊して朝、山頂から[[シンカワン平野]]と[[プマンカット]]の海岸線を見下ろすと、パノラマ状で[[志賀高原]]のような情緒だったという。山の中腹に、オランダ統治時代からの谷水を利用した25 - 50mの[[プール]]があった。またシンカワン市水道局が1,000戸に提供する冷水の取水地でもあった。{{Sfn|赤道会|1975|p=22}} | ||
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+ | 1943年11月頃、[[第22特別根拠地隊]]司令官の[[醍醐忠重|醍醐中将]]がシンカワンを巡視に訪れた際に、中腹350m地点のパッサングラハンに2泊した{{Sfn|赤道会|1976|p=43}}。 | ||
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+ | *{{Aya|赤道会|year=1976}} ポンチアナク赤道会『続赤道標』{{JPNO|73015036}} | ||
*{{Aya|赤道会|year=1975}} ポンチアナク赤道会『赤道標』{{JPNO|73012073}} | *{{Aya|赤道会|year=1975}} ポンチアナク赤道会『赤道標』{{JPNO|73012073}} | ||
+ | {{Coord|0.3447250|S|111.747473|E|format=dms|display=title|name=ナンガピノ}} | ||
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2020年6月23日 (火) 00:45時点における版
グヌン・ポーテン(インドネシア語:Gunung Poteng)は、西カリマンタン・シンカワン市にある山。遠くから見ると親指の形にみえる山容で、ジャングルの中に高く聳えており、山麓から山頂までは徒歩で約2km、海抜は500 - 600m。山中に谷や滝のある深い山で、1942年頃、山上にパッサングラハンがあり、宿泊して朝、山頂からシンカワン平野とプマンカットの海岸線を見下ろすと、パノラマ状で志賀高原のような情緒だったという。山の中腹に、オランダ統治時代からの谷水を利用した25 - 50mのプールがあった。またシンカワン市水道局が1,000戸に提供する冷水の取水地でもあった。[1]
1943年11月頃、第22特別根拠地隊司令官の醍醐中将がシンカワンを巡視に訪れた際に、中腹350m地点のパッサングラハンに2泊した[2]。