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'''大西 覚'''(おおにし さとる、[[1903年]] - 没年不詳)は、日本の[[軍人]]。最終階級は[[憲兵]][[少佐]]。1941年に[[第2野戦憲兵隊]]の分隊長として[[マレー作戦]]に参加、1942年2月、[[シンガポール]]占領後の[[シンガポール華僑粛清事件]]で市内の粛清を指揮したことで知られる。同年、[[昭南憲兵隊#第25軍憲兵隊|特別警察隊]]長となり、[[マラヤ共産党]]対策と防諜を担当。1947年4月、[[イギリス軍シンガポール裁判]]で、[[シンガポール華僑粛清事件]]の責任を問われ、終身刑判決を受ける。戦後、『日本憲兵正史』編集委員。著書に『秘録昭南華僑粛清事件』。
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'''大西 覚'''(おおにし さとる)は、日本の[[軍人]]。最終階級は[[憲兵]][[少佐]]。1941年に[[第2野戦憲兵隊]]の分隊長として[[マレー作戦]]に参加、1942年2月、[[シンガポール]]占領後の[[シンガポール華僑粛清事件]]で市内の粛清を指揮したことで知られる。同年、[[昭南憲兵隊#第25軍憲兵隊|特別警察隊]]長となり、[[マラヤ共産党]]対策と防諜を担当。1947年4月、同事件の戦犯裁判で終身刑判決を受ける。戦後、『日本憲兵正史』編集委員、著書『秘録昭南華僑粛清事件』執筆。<ref>この記事の主な出典は{{Harvtxt|茶園|1989|p=209}}および{{Harvtxt|大西|1977|p=112-114,124,奥付}}</ref>
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* 1945年 代理解任少佐
 
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2020年4月28日 (火) 21:10時点における最新版

大西 覚(おおにし さとる、1903年 - 没年不詳)は、日本の軍人。最終階級は憲兵少佐。1941年に第2野戦憲兵隊の分隊長としてマレー作戦に参加、1942年2月、シンガポール占領後のシンガポール華僑粛清事件で市内の粛清を指揮したことで知られる。同年、特別警察隊長となり、マラヤ共産党対策と防諜を担当。1947年4月、イギリス軍シンガポール裁判で、シンガポール華僑粛清事件の責任を問われ、終身刑判決を受ける。戦後、『日本憲兵正史』編集委員。著書に『秘録昭南華僑粛清事件』。

経歴[編集]

以下、特に断わりのない場合の出典は、大西 (1977 124)。

著書[編集]

単著[編集]

  • 大西 (1977) 大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版、JPNO 77032906

共著[編集]

  • 全国憲友会 (1976) 全国憲友会連合会編纂委員会(編)『日本憲兵正史』全国憲友会連合会本部、JPNO 72007299

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 大西の著書については大西覚#著書を参照。
  • 茶園 (1995) 茶園義男(編)『シンガポール英軍法廷・華僑虐殺事件起訴詳報』不二出版、JPNO 96014396
  • 茶園 (1989) 茶園義男(編)『BC級戦犯英軍裁判資料 下』不二出版、JPNO 89052289