「あめぞう」の版間の差分
Mario Yonezawa (トーク | 投稿記録) 細 (報復のための実験。どうせウェブ廃墟だし。) |
細 (Mario Yonezawa (トーク) による版 363105 を取り消し) |
||
1行目: | 1行目: | ||
− | + | '''あめぞう''' | |
+ | #[[あめぞう (人物)]]は、[[スレッドフロート型掲示板]]の[[発明]]者。 | ||
#前条の人物が開設した[[電子掲示板|掲示板]]群サイト「あめぞう掲示板」の略称。本項で詳述。 | #前条の人物が開設した[[電子掲示板|掲示板]]群サイト「あめぞう掲示板」の略称。本項で詳述。 | ||
---- | ---- | ||
19行目: | 20行目: | ||
*[http://www.amezor.to/ あめざーねっとIII] | *[http://www.amezor.to/ あめざーねっとIII] | ||
*[http://www.mikawaban.com/ 三河版りんく] | *[http://www.mikawaban.com/ 三河版りんく] | ||
+ | *[[wiki:あめぞう]] | ||
[[Category:あめぞう|あめそうけいしはん]] | [[Category:あめぞう|あめそうけいしはん]] | ||
− | |||
− |
2019年2月5日 (火) 00:31時点における最新版
あめぞう
- あめぞう (人物)は、スレッドフロート型掲示板の発明者。
- 前条の人物が開設した掲示板群サイト「あめぞう掲示板」の略称。本項で詳述。
あめぞう掲示板はあめぞうが開設した、世界で最初要出典のスレッドフロート型掲示板の集合体から成る電子掲示板群サイトである。1997年8月5日に「あめぞうリンク」という掲示板リンク集として開設された。スレッドフロート型掲示板が設置されたのは1998年9月6日である。
「あめぞう掲示板」以前の大型有力掲示板サイトは、多くのアクセスが集中し、多大な記事が投稿されるため、たいへん利用しづらいものであった。例えば、記事ツリーが縦方向に長くなってしまい、古い記事ほど下へ下へと押し出され、目当ての記事を探し出すのも一苦労だった。また個人運営のサイトは、有名になってアクセスが殺到すると、たちまちレスポンスが重くなってしまい、使い物にならなくなった。
そういった常識を覆したのが、スレッドフロート型掲示板を採用した「あめぞう掲示板」であった。これが当時としてはたいへん画期的な操作性、利便性を持っており、使いやすさが利用者間のコミュニケーションをそれまでより容易にした。そして、非商用レベルながら、人材や労力を投入して安定運営に努め要出典、公益性のある本格的掲示板の先駆けであった。
あめぞう掲示板が1999年12月下旬(1999年12月24日という説もあり)に閉鎖されるまで、多くの人が訪問した。開設当時の情勢としては、パソコンが高額であり、インターネットがまだ広く認知されておらず、ISDN回線が普及し始めた頃であり、商用ADSLも立ち上がっていなかったため、ユーザはコア層、好事家層の割合が高かった。従って、コンテンツとしてはアンダーグラウンドな話題が中心であったが、議論の水準は比較的高かったと考えられる。雑談のほか、株式・経済・社会情勢・コンピュータ関連、さらにはワレズと呼ばれたソフトウェアの違法コピーをはじめとした、様々な違法な話題も活発に語られていた。だが、1999年に入りサーバー不調や荒らしが増え始め、また1999年5月30日に開設された2ちゃんねるに利用客を奪われ、徐々にあめぞうは衰退していった。それに追い打ちをかけるように1999年12月中旬から、あめぞうウイルスといわれるスタイルシートを利用した荒らしが発生、あめぞう掲示板は壊滅し、二度と復旧することはなかった。2006年現在ある「あめぞう」「あめざーねっとIII」「三河版」などは、この後継を称する掲示板である。あめぞう氏自身は後に1ch.tvの立ち上げに協力した。
この「あめぞう掲示板」の基本スタイルをそっくり流用して生まれたのが2ちゃんねるである。当時の中核的存在であった「あめぞう掲示板」を集中攻撃し、一方で「2ちゃんねる」においてはアンダーグラウンド臭を消し、身近な話題やお気楽なノリを掲げて広く一般向けにアピールした。この結果、あめぞう陣営では反撃の機会を模索したが、大衆的に受け入れられた「2ちゃんねる」が覇権を奪取した。