「武蔵中学校・高等学校」の版間の差分
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2018年6月27日 (水) 19:19時点における最新版
この項目では、東京都練馬区の私立中高一貫校について説明しています。東京都武蔵野市の都立高校および併設中学校については「東京都立武蔵高等学校・附属中学校」をご覧ください。 |
武蔵中学校・高等学校 | |
---|---|
画像募集中 | |
過去の名称 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人根津育英会 |
学区 | |
併合学校 | |
理念 | |
校訓 | |
設立年月日 | 1922年 中学設立は1949年 |
創立記念日 | 4月17日 |
創立者 | 根津嘉一郎 |
閉校年月日 | |
共学・別学 | 男子校 |
高大一貫教育 | |
中高大一貫教育 | |
中高一貫教育 | 併設型 完全中高一貫型 |
小中高一貫教育 | |
幼小中高一貫教育 | |
分校 | |
課程 | 全日制課程 |
二部以上の授業 | |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | |
専攻科 | |
別科 | |
学期 | |
高校コード | 13705H |
中学校コード | |
所在地 | 〒176-8535 東京都練馬区豊玉上一丁目26番1号 |
外部リンク | 公式サイト |
公式サイト | |
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武蔵中学校・高等学校(むさしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都練馬区豊玉上にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。
概観[編集]
根津育英会が設置した旧制武蔵高等学校を前身とする進学校。都立全盛の頃より、筑波大駒場などと共に、東大への高い合格率を誇る学校として知られた。1990年代初頭までは、合格率で上位を争っていたが、他の私立進学校が台頭することに伴い、徐々に人気が低下・東大合格者数の減少と、相対的な地位が低下していることは否定できない。とはいえ、独特の校風に加えて、1学年が4クラスという小規模でありながら、緑豊かで広大なキャンパスも有する環境などは根強い人気を保っている。学界・官界に多くの卒業生を送り出している。
教育目標[編集]
三理想という、事実上の校訓ないし校是があり、その内容は、
- 東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物
- 世界に雄飛するにたえる人物
- 自ら調べ自ら考える力ある人物
である。これは、開校初年度の入学式で一木が述べたものについて、1929年に表現上の変更をしたものである。
沿革[編集]
1922年、第二次高等学校令に基き七年制の旧制高等学校「武蔵高等学校」として創立されたのがはじまり。創立者は根津財閥初代総帥の根津嘉一郎で、賛同した宮島清次郎、正田貞一郎らは理事となった。初代校長には一木喜徳郎、さらに評議員として北条時敬、平田東助、岡田良平、山川健次郎などを教育界から迎えた。官立の東京高等学校と並んで日本最初の七年制高校であり、日本で最初の私立高校[1]でもあった。後に七年制高校としては府立高等学校も設立され、七年制高校は、当時の府立一中 - 一高 - 東大ラインに代わりうる新たなエリートラインとして台頭しつつある存在でもあったが、太平洋戦争に突入し人気が急落、道半ばとなってしまった。そのため、七年制高校の評価は定まっていない。1948年に学校教育法に基き新制高校「武蔵高等学校」が発足、1949年に新制中学「武蔵中学校」が発足し、2000年には高校からの募集を停止し、完全な中高一貫校となり現在に至る。
旧制武蔵高校は、山本良吉教頭(当初)の主導のもと、英国のパブリックスクールを模範とし、一学年の定員80人で純粋培養・少数精鋭の知的スパルタ教育を掲げ、当時流行していた野球を禁じ、ガリ勉を推奨した。それゆえ 東京帝国大学合格者数では及ばないまでも進学率で旧制第一高校、旧制東京高校等と首位の座を争ったこともあった。しかし、厳格な成績評価による留年、スパルタ教育に嫌気の差した生徒の退学が相次ぎ、当初の入学者数が卒業時には半数以下の38人になる年もあった。
もともとは「東京高等学校」という名称になる予定だったが、官立で東京高等学校を設立することが決定され、名称を譲渡して欲しいとの申し入れを受け、東京府の旧国名から「武蔵」と命名された。
施設[編集]
所在地は東京都練馬区豊玉上一丁目26番地。西武池袋線江古田駅徒歩7分、西武有楽町線新桜台駅徒歩11分。都営大江戸線新江古田駅徒歩8分。
環状七号線沿いに位置しながら、中学・高校としては都内でも最大規模のキャンパスを持つ。キャンパス内の自然の多さが特徴で、緑の多さは武蔵野の面影を今に残し、今では人工河川となったもののキャンパス内にすすぎ川という名称の川が流れる。以前はニワトリやアヒルが敷地内に放し飼いにされていたが現在では、愛好会であった「豊作会」の消滅とともに姿を消した。
運動設備は、バスケットボールコート2面とプールを備える体育館の他、合わせて5面のテニスコートや2面のグラウンドなどを備える。これらは中高専用設備である。グラウンドは2007年に人工芝化された。
2004年に完成した図書館棟には中高図書館があり、蔵書は6万冊。また、大学図書館も中高生が利用可能で、蔵書は65万冊。
1928年に作られた大講堂は、大隈講堂・日比谷公会堂などを手掛けた佐藤功一により設計された。ときどきテレビドラマの撮影などに使われることがある[2]。
その他、学校外に学校山林、赤城の青山寮、外房の鵜原寮などを有する。
校風[編集]
非常に自由な校風を特色とする。服装や所持品を定める規則はなく、私服校である。校則で定められている禁止事項はバイク通学や校舎内での下駄履きなどごく限られているが、校内での麻雀、学校に出前を注文する、教室で焼肉を焼く、上半身裸で通学する、部室でゲームキューブをするなど、重大な問題と認められる生徒の行動には指導が行われた例もある。
- 水投げ
- かつて、上級生が「歓迎」と称して、水を入れたビニール袋を新入生の教室に向けて投げこむいたずらが、4月の恒例となっていた時期があった。水投げの被害によって授業が中断したこともあり、現在では事実上禁止されている。その様子は大岡玲の芥川賞受賞作「表層生活」の中にも登場する。
教育[編集]
ユニークな教育を行なっている。授業では文科省指定教科書はほとんど用いず、プリントや文庫本等を教材にする。一部科目では高校レベルを大きく超えた内容も扱うなど、教養教育が大きな特徴。理科は実験を重んじており、膨大な量のレポートが課される。また、夏期休暇前に行なわれる「特別授業」や、高校1年の「総合講座」では科目編成にとらわれない実習や講演が開かれる。[3]
語学教育は、英語ではCALL(en:Computer-assisted_language_learning)を取り入れるなど、先進的手法の導入に積極的である。また、中学3年より全員(高校からは選択者のみ)が週2時間の第二外国語を学んでおり、英国のイートン校をはじめ、ドイツ・オーストリア・フランス・中国・韓国の各校と提携し、交換留学を行っており、武蔵からは毎年十数名の生徒を派遣している。
生徒の自主研究活動に授与される、山川賞・山本賞という表彰制度があり、それぞれ理科的研究・文化的研究に与えられる。
中学入試問題は創立当初から記述力・発想力を問う独特の形式で、一般的な入試問題とは一線を画している。応用問題のみで構成される算数、字数制限なしの論述問題が出題される国語、高いテーマ性を持った社会、「観察問題」の出る理科など、全ての科目が特徴的。高校からの募集は2000年に停止され、以後実施されていない。
学校行事[編集]
- 記念祭
- 4月末。他の学校の文化祭に相当する。この時期に文化祭を行う学校が少ないこともあり、毎年かなりの来客で賑わう。2006年には小柴昌俊が講演を行った。
- 山上学校
- 中学一年生全員を対象として赤城の青山寮にて開かれる夏期学校(林間学校)。
- 海浜学校
- 中学二年生全員を対象として外房の鵜原寮にて開かれる夏期学校(臨海学校)。遠泳や着衣泳、サーフィンを行う。全員が白の六尺褌を着用。
- 体育祭
- 9月末。例年、球技のトーナメント+組対抗の大会+予備日1日の3日間で構成される。天候により日程が変動するので、見学を希望する場合は事前に問い合わせるのがよい。
- 強歩大会
- 2月中旬。小委員会が山地や住宅地に設けたコース(20~30km)を歩く。開催地は毎年異なる。教職員には人気があるが、生徒からの支持は必ずしも高くない。
記念祭・体育祭・強歩大会の3行事は「武蔵三大行事」と呼ばれ、いずれも選挙で選ばれた小委員長を中心として生徒が主体となり計画・実行される。
その他天文実習等、校外学習はいくつか行われているが、修学旅行は1978年に廃止されている。
学校関係者一覧[編集]
武蔵中学校・高等学校人物一覧を参照。
関連学校[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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