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2017年9月11日 (月) 20:46時点における版
笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年5月18日 – 1976年2月13日)は、大正・昭和期の政治家(元国務大臣)、教育者、武道家(小野派一刀流第16代宗家)。正三位勲一等瑞宝章。
来歴・人物
青森県弘前若党町(現・弘前市)に、旧弘前藩士・笹森要蔵の六男として生まれる。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。1907年早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て、1911年に渡米。コロラド州デンバー大学大学院を終了し、南加州日本人会書記長を務める。
1922年、再興された東奥義塾塾長に迎えられ、18年間務める。1939年からは4年間青山学院長も務めた。
戦後の1946年、第22回衆議院議員総選挙に青森全県区から無所属で出馬しトップ当選を果たす。以後連続当選4回。院内交渉団体の「新政会」をまとめ国民党を結成する。同党は1947年協同民主党と合併し国民協同党となり、笹森は代議士会長となる。同年発足の片山内閣に国務大臣として入閣、復員庁総裁(1947年)、賠償庁長官(1948年)を務め、ソ連抑留日本人の早期返還や、米国の賠償請求権問題などの解決のため尽力した。
その後は改進党→自由民主党 に所属。1953年の総選挙に落選するが、同年の参議院補欠選挙にて返り咲く。以後参院当選3回。自民党では両院議員総会長や党紀委員長等を歴任した。1968年の参院選で新人の山崎竜男に敗れ、政界を引退する。
剣道の達人としても知られ、弘前藩に伝わっていた小野派一刀流剣術(第16代宗家)、神夢想林崎流居合、直元流大長刀を伝えた。
また、世界連邦運動の推進団体・世界連邦日本国会委員会第4代会長である。
関連項目
外部リンク
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