「会津小鉄会」の版間の差分
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六代目会津小鉄会(ろくだいめ あいづこてつかい)は、京都府京都市下京区に本拠を置く日本の指定暴力団。構成員は、平成19年(2007年)12月17日で、約660人[1]。
目次
略歴[編集]
初代会津小鉄[編集]
慶応4年(1868年)、上坂仙吉は、博徒の上坂音吉から盃をもらい、京都市白川に一家を構えた詳細は 上坂仙吉 を参照
二代目会津小鉄[編集]
明治19年(1886年)、上坂仙吉が病気で死亡した。上坂仙吉の実子・上坂卯之松が、会津小鉄二代目を継いだ。
三代目会津小鉄会[編集]
昭和10年(1935年)、上坂卯之松が死亡した。
昭和50年(1975年)3月、中島連合会会長・図越利一が、会津小鉄の名跡を復活させ、中島連合会の代紋を改め、三代目会津小鉄会とした。詳細は 図越利一 を参照
四代目会津小鉄会・四代目会津小鉄[編集]
昭和61年(1986年)7月、三代目会津小鉄会総裁代行兼理事長・高山登久太郎(本名は姜 外秀)が四代目会津小鉄会会長に就任した。後に四代目会津小鉄に改称した。詳細は 高山登久太郎 を参照
五代目会津小鉄・五代目会津小鉄会[編集]
平成9年(1997年)2月、高山登久太郎がヤクザから引退した。図越利一の実子・図越利次が五代目を継承した。
平成10年(1998年)12月、図越利次は、五代目会津小鉄を五代目会津小鉄会と改称した。
六代目会津小鉄会[編集]
2008年11月、図越利次が引退し、理事長・馬場美次(四代目中川組組長)が六代目を継承した。
歴代会長[編集]
- 初代:上坂仙吉
- 二代目:上坂卯之松
- 三代目(1975年3月~1986年7月):図越利一(元中島連合会会長)
- 四代目(1986年7月~1997年2月):高山登久太郎(本名: 姜 外秀、元二代目中川組組長)
- 五代目(1997年2月~):図越利次(元四代目中島会会長)
- 六代目(2008年11月~):馬場美次(元四代目中川組組長)
最高幹部[編集]
- 会長 - 馬場美次
- 最高顧問 - 伊藤 護(伊藤組組長)
- 若頭 - 金子利典(四代目いろは会会長)
- 舎弟頭 - 臼井昭夫(臼井組組長)
- 相談役 - 河崎貞夫(三代目篠原会会長)
- 相談役 - 大西晴春(三代目小梅組組長)
- 相談役 - 小川喜久男
- 相談役 - 岩田末吉
- 相談役 - 安田幸雄
- 本部長 - 道原利光(三代目寺村組組長)
- 懲罰委員長 - 原田 昇
- 組織委員長 - 岡山 満
- 若頭補佐 - 中村治夫
- 若頭補佐 - 山岡敏雄
- 若頭補佐 - 岡田 満
- 若頭補佐 - 斉藤正勝
- 若頭補佐 - 横山金太郎
- 若頭補佐 - 大上一郎(二代目馬場組組長)
- 舎弟 - 北村富士雄
- 舎弟 - 丸山清文
- 舎弟 - 曽我 速
- 会長室室長 - 石本省三(二代目馬場組副長、石本組組長)
- 会長秘書 - 結城照臣
- 会長秘書 - 奥村直樹
- 会長秘書 - 沖田龍治
- 事務長 - 吉川栄大
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 松江八束建設業暴力追放対策協議会「暴力団ミニ講座」の「39)五代目会津小鉄会」
- 『週刊実話』2008年12月4日ガッツいちばん特大号、2008年12月18日号
- 『週刊アサヒ芸能』2008年11月27日号
- 『実話時報』 2009年1月号、2009年3月号、2009年4月号(竹書房)
- 『実話マッドマックス』2008年2月号