ユーリー・ドロズドフ
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ユーリー・ドロズドフ(Юрий Иванович Дроздов)は、ソ連の軍人、チェキスト、スパイ。退役少将。12年間(1979年 - 1991年)に渡って、ソ連国家保安委員会(KGB)の非合法諜報部門、「S」局長を務め、特殊部隊ヴィンペル部隊を創設した。
経歴[編集]
1945年、砲兵としてベルリンの戦いに参加。その後、KGBに移り、1957年から1963年までイリーガルとして、クライネルト、ユルゲン・ドリヴス、ルドルフ・アベルの従兄弟等の偽名でドイツで活動した。グリニケ橋でのルドルフ・アベルとゲーリー・パワーズの交換に立ち会っている。
1964年~1968年、在北京KGB支局長。1970年代初め、フォン・ホーエンシュタインの名前で西ドイツのBNDを撹乱した。1975年~1979年、在ニューヨークKGB支局長。
アフガニスタン侵攻時、KGB「S」局長となり、「グロム」、「ゼニート」部隊の特殊作戦を指導した。アフガニスタンでの戦訓に基づき、1981年8月、ヴィンペル部隊を創設した。
ソ連末期、アナリスト、イリーガル、外交官の役割を演じ、対外防諜に従事した。
現在、情報分析会社「ナマコン」社長。諜報・特殊部隊ベテラン協会「ヴィンペル-ソユーズ」名誉総裁。
関連項目[編集]
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