利用者:208.43.195.106
野田 憲太郎(のだ けんたろう、1976年2月24日 -)は三重県四日市市生まれの自称作曲家・自称演奏家・自称著作家。社会に認められるようなたいした実績はない。よって社会的にはNEETと見るのが正しい。
目次
略歴
自称京都市立芸術大学音楽学部にてピアノを専攻後、アメリカのワイオミング大学音楽学部やノースフロリダ大学音楽学部に在学中にピアノ、作曲等を学んだ。自称ノースフロリダ大学在学中まで、学生による個展ボイコットなどのトラブルのために要出典、目立った作品を発表していない。日本へ帰国後、自称若手作曲家の集い第一位を含むいくつかの作曲コンクールに入賞。ただしこれらの賞は、いわば「参加賞」のようなもので、ステイタスは無い。
作曲
自称代表作品にフルートとヴァイオリンの為の「最も大切なこと」、弦楽四重奏の為の「希望なき自由」、ピアノ、チェレスタ、グロッケンシュピール、クロタレスの為の「五つの精霊」、5人の歌手と14人の楽器奏者の為の「ツンデレラ」などがある。
これまでの一般的な形式としては、ある一定の素材を始めに長時間にわたって集中して提示し、その作品への印象を深ませる点、そして最後のコーダに至ってそれを 180 度場面転換または開放しさらに新しい世界を求めていく事が第一の特徴としてあげる事ができる要出典。A-B の A の部分が長いバール形式の一種と考えられ、近年では A の部分が 95% を占める作品も作曲している。譜面はモートン・フェルドマン風の書き方だが、出てくる音響は別物に近い。
演奏
自称ピアニストとしては国内外の無名や新作の初演を行うことが多い。演奏スタイルは、前衛的というよりも発狂した人物のそれに近く、とても聞くに堪えないものである。したがって演奏途中で気分が悪くなって退席する観客も多い。
著作
自称フランコ・ドナトーニが作曲したピアノ独奏の為の「フランソワーズ変奏曲」の、第一変奏から第二八変奏までの校訂報告を作成した。但し日本語版のみ。
自著は存在しない。
ネット上の言動について
野田憲太郎は、自称・音楽家。ユアペディアをはじめとするネット上に頻繁に出没する。少なくともネット上の素行を見る限りでは、一般社会常識はゼロに等しく、Wikipediaをはじめとする複数のコミュニティで永久追放処分を受けている。追放処分の緩やかなサイトでのみ、追放されたサイト管理者の誹謗・中傷を中心とする投稿活動を行っている。
ウィキペディア日本語版の利用者として
現代音楽関連の記事に関して、出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、2ちゃんねる[1]とmixi[2]でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者(管理者を含む)を敵視し、自分のウェブサイトやYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが、悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える。[3]余談ではあるが、この利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい。[4]
ネット上で彼のピアノの演奏(と称するもの)を聴いたもののある者であれば、誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは、幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを目指すのであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。
状況
- あからさまにウィキペディアの中毒者(もしくは依存者)であり、無期限ブロックを無視して多数の靴下人形を操り、何度でもウィキペディアへの参加を強行している。しかしながらウィキペディアのルールや、言論上のマナーを遵守しようという意思はまったく持ち合わせていない。そのため、ウィキペディア日本語版やその参加者に対して、自分の思い込みや憶測に基づき様々な流言蜚語と誹謗中傷の限りをネット上に並べ立てることにより、自己正当化が図れると確信し、なおかつ自分の恥ずべき言動に酔い痴れている。しかも、周囲からの顰蹙や失笑を買っていることにはお構いなしである。
- 私怨を基にした行動パターンが見出される。また、たいていの靴下人形が、野田の出没する領域と共通の分野やジャンルで投稿・加筆を行う上、「自分は野田さんの知り合いであり、その人柄や作品の優秀さは知り尽くしている」式の擁護を行い、あるいは野田が攻撃した他ユーザーを名指しでおちょくる……というように、統一された行動様式を見せている。
- 以前は日本語版ウィキペディアンの間では、音楽家の野田憲太郎とウィキペディアンのNoda,Kentaroが同一人物であるかは断言できないとする見解が優勢であったが、2007年7月下旬において野田が自分のHPで、「ウィキペディアの中国人・韓国人投稿者について日本語版Wikitruthに論文(を発表)」と自ら暴露したことにより、野田憲太郎 = Noda,Kentaroであることは動かしがたい事実となった。
- 一連の幼稚な言動の執着において、病的なエゴイズムや人格障害(偏執病および自己愛性人格障害)の気味が見られる。
- 日本の音楽学会や作曲界について毒づいているが、以下の3点から、野田が学位請求論文の書き方についてまともな指導をろくに受けていないことや、しかるべき学術機関に論文を作成して受理された経験がほとんどないことは明らかである(少なくとも、「野田憲太郎+音楽学」「Kentaro Noda + Acta Musicologica」などとネット検索で入力しても、論文関係の項目がヒットしない)。
編集傾向
- 主としてクラシック音楽、とりわけ現代音楽関係の記事に出現し、検証可能性に問題のある投稿を繰り返す。
- ブロック中であることを意に介さず、多重アカウントやIPで編集活動を強行しようとする。
- ウィキペディアの慣行やモラルに毒づきながらも、ウィキペディアを自分の学習発表の場として濫用している。
- 出典の明記を要求されることを極度に毛嫌いし、要求する側がおかしいとか、要求する側が読んで調べるべきとかといった類いの言葉で応戦する。
- 出典タグに過敏に反応し、明記できない場合に沈黙ないしは放置するということができない。
- 「出典を要求するくせに調べられないのは、外国人だからだ(あるいは日本語がろくにできないからだ、もしくは日本にいないからだ)」といった妄言で相手に反撃しようとする。
- 要約欄などに、「○○に載ってる」「文献は○○でいいよ」といった杜撰かつ投げ遣りな“明記”をすることもある。
- 余談や逸話(それも、どちらかと言えば読者の心証を害するようなアネクドートやゴシップ、スキャンダルの類い)、個人的印象にもとづくエピソードを書き加える。ともすれば本文よりも長々と書き込む。
- バランス感覚を欠いているうえ批判と非難の峻別ができないために、攻撃的・他罰的な文章を平然と書き連ねる。そのため主張や論旨が客観的(または中立的)でないと指摘されると、改めるどころか憤慨する。
- 編集合戦を仕掛け、自分が加筆した状態こそが最善であるとして、何度でも執拗に戻す。
- かつて自分が関わった記事を熱心に注察しており、自分の記述を変更・削除等されるとその都度ソックパペットで舞い戻って自分が書いた状態に差し戻す。
- なおかつノートページや会話ページで厭味を言う。
- さらには自分のブログを始めとする外部のウェブサイトで悪口雑言を並べ陰謀論を喚き散らす等、一連の行動から共同作業に全く向かない利用者であることが窺える。
- 自分の発言や文章を他人が批判し、改訂することを許さないが、他人の発言やミスについては、自分の気が済むまで執拗に追及し、あるいは罵倒するというダブルスタンダードの持ち主。
- 「アホか貴様」([1])「どあほ」([2])など、要約欄での暴言・恫喝・罵詈雑言。
- 他ユーザーの会話ページに、しつこく言いがかりや揚げ足とりを書き連ねる。あるいは、他ユーザーを自分の攻撃の仲間に引き入れようとして、会話ページを濫用(悪用)する。
- Wikipedia:投稿ブロック依頼/Noda,Kentaroに賛成票を投じた利用者たちへの個人攻撃。
- 民族的な出自に対して異常な拘りを示す。自らと対立する利用者たちを在日韓国人や在日中国人に対する蔑称で呼びならわす。(ホームページ('07年7月21日改訂版)に以下の一文あり。"Some articles about Korean and Chinese Administers of Japanese Wikipedia in Japanese Language Wikitruth"(対訳:ウィキトゥルース日本語版に、ウィキペディア日本語版における韓国人・中国人投稿者について論文数点。)
- 批判されると、「お前の日本語は機械翻訳で中国語や韓国語から即席に訳したものだ」あるいは「BOTによる自動応答だ」と決めつける。
- 自分の乏しい語彙や拙い表現力、でたらめなテニヲハ、ねじれた主-述関係を棚に上げて、他人については「日本語がおかしい」「日本語が読めない」といった類の攻撃をする。
- 「管理ユーザー」「査読ユーザー」「攻撃ユーザー」など独特の造語(もしくは意味を自己流にねじ曲げた語)を多用する。「仮想アカウント」など既成の語を使う場合もあるが、独自の意味である。
- 記事においても、公式の用語でなく、「前衛イディオム」「中華アカデミズム」のような造語(もしくは生硬な翻訳調)を用いる。また、「作曲様式」「演奏様式」といった用語を使わず、「スタイル」のような外来語や多義語を好む。
- 独自概念や造語で項目名を立てる。
- 自らの語学力や海外渡航歴を喧伝している割には、ドミトリ・コゥリャンスキやフランチェス・マリエ・ウィッティなど、先行資料の表記やネイティブの発音を確認して項目名を立てているのかどうか、すこぶる怪しい例がある。
- 論文の文体の何たるかを理解していない。そのため鄙語・俗語を交えたり、「スタイル」「レヴェル」などのように横文字をカタカナにしただけで済ませたり(あるいは補足説明なしに横文字をそのまま引用したり)、また、印象批評をそのまま表現したりする。
- 「ウィキペディアはナレッジスペースではない」ということが理解できないため、字数が増えることが内容の充実であると言い切って憚らない。そのため内容が希薄になったり散漫になったりすることにもお構いなく、どんどん長文にする(偏執狂的な性格に関連)。
- 第三者には理解不能な、意味不明な「美文調」を弄ぶ。ナルシシズム的な性格ゆえにか、自分の「立派な日本語」が通用しないことを読者の能力のせいだと責任転嫁する。
- 携帯電話で連絡を取り合う管理者たちの指令によって集団攻撃されている等の妄想を書き散らす。
- 自分が「専門家」であることをことさら誇大に訴え、それによりかかった暴論を繰り返す。「ど素人は、難しい現代音楽を専門的に理解できるはずないのだから、それに関する記事を起草・加筆・編集する資格はない。ど素人が専門家先生に楯突くのは生意気だ」といった発想が根底にある(同様の見解を菅野茂と共有している)。
- 根拠がないことを確信ありげに断言することが非常に多い(出典の明記を極度に嫌う態度と通底)。思いついたことは何でもダメモトでとりあえず言ってみる、それを本気にする人間が一人でも現れれば儲けものという姿勢が透けて見える。
- 「~と言われている」「~であることは非常に有名」などの表現によって、個人的妄想に一般性や信頼性があるかの如く偽装することも多い。
- 「これは常識でありもはや定説のレヴェルです。」は、高橋弘二の定説語を連想させずにおかない。
- 矛盾点等を深く突っ込まれると話を逸らすか、曖昧なほのめかしでお茶を濁し、自らの誤りを絶対に認めない。
- 発言や文脈の前後で自家撞着が生じるようなことも平然と書き連ねる。「アナトリー・アレクサンドロフの作品をピアノで練習していると/ロマンというよりも古典といったほうが良いくらいです」。ならば、アレクサンドロフが新ロマン主義者ですらない(従って、新ロマン主義音楽の項目でアレクサンドロフの名に言及した自分の加筆[3]はおかしい)ということには気づいていない。
- 「~と言われている」「~であることは非常に有名」などの表現によって、個人的妄想に一般性や信頼性があるかの如く偽装することも多い。
- 「~に報告しますからそのつもりで」(「~」の部分には何らかの公的機関や権威者などの名が入る)など、他者の権威を笠に着た発言や、人の褌で相撲を取る物言いも多い。
- 下記のように自身が無数のソックパペットを操っているため、他人も同じことをしていると決めつける傾向が顕著である。
ユアペディアの利用者として
Wikipediaを中心とした、自分を追放したコミュニティを逆恨みし、管理者の誹謗・中傷を中心とした記述を行っている。その素行は「負け犬の遠吠え」と高く評価されている。
2ちゃんねる
2ちゃんねるでは、野田犬の名で蔑まれ親しまれ、バカにされている尊敬されているようである。
脚注
- ↑ 野田憲太郎応援スレッド
- ↑ ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制 閲覧にはmixiへの参加が必要。
- ↑ Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro
- ↑ ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴
外部リンク
- 野田憲太郎応援スレッド(2ちゃんねる)
- 公式サイト (上位サイトこそが野田本人であると見られる)
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・利用者:208.43.195.106を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaroを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |