スーパークイズスペシャル
4時間クイズスーパースペシャル ↓ スーパークイズスペシャル | |
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放送局 | 日本 |
ジャンル | バラエティ・クイズ |
放送期間 | 1990年春 - 1999年秋 20 |
放送時間 | 毎年春と秋の 1990年春 - 1991年春 水曜日 19:00 - 20:54 (2時間) 1991年秋 - 1993年春 水曜日 19:00 - 22:46 (4時間) 1993年秋 水曜日 19:00 - 22:48 (4時間) 1994年春 - 1995年春 水曜日 19:00 - 22:54 (4時間) 1995年秋 木曜日 19:00 - 22:54 (4時間) 1996年春 木曜日 19:00 - 22:24 (3時間30分) 1996年秋 - 1997年春 木曜日 19:00 - 21:54 (3時間) 1997年秋 - 1999年春 木曜日 19:00 - 21:24 (2時間30分) 1999年秋 水曜日 19:00 - 21:24 (2時間30分) |
制作局 | 日本テレビ放送網 |
企画/PD | 渡辺弘 小杉善信ほか |
監督/総指揮 | |
演出 | |
原作 | |
脚本 | |
出演者 | 歴代司会者 逸見政孝 (1990年春 - 1993年春) 渡辺正行 (1990年春 - 1996年春) 板東英二 (1991年秋 - 1999年秋) 木村優子(NTVアナウンサー) (1991年秋 - 1992年秋) 永井美奈子(NTVアナウンサー) (1993年春 - 1999年秋) ビートたけし (1991年秋 - 1994年春、 1995年春 - 1997年春、 1998年春) 所ジョージ 島田紳助 ウッチャンナンチャン ナインティナイン 楠田枝里子 久本雅美 福澤朗(NTVアナウンサー) ほか |
ナレーション | |
音声 | |
字幕 | |
データ放送 | |
オープニング | |
エンディング | |
公式サイト | [ ] |
特記事項: | |
『スーパークイズスペシャル』は、日本テレビ系列で毎年、春と秋の番組改編期に、1990年春から1999年秋に放送されていた、様々なタイプのクイズと主に各バラエティ番組のゲーム等を中心とした、日本テレビの各番組のレギュラー・司会者等が総出演したバラエティ番組の別称である。1991年秋から1996年秋までは『4時間クイズスーパースペシャル』または『クイズスーパースペシャル』と呼ばれていたが、『スーパースペシャル』と間違えやすいことから1997年春からこのタイトルに変更された。タイトルは『4月(10月・秋)は人気番組で』や『春(秋)は人気番組で!!』、そして『春(秋)は超人気番組大集合!!』である。
目次
概要[編集]
「スーパークイズスペシャル」の直接的な前身企画は『笑ってヨロシクSHOW by ショーバイ!!』(1989年12月27日放送)で、これは『どちら様も!!笑ってヨロシク』と『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』が合体したものであり、所ジョージと逸見政孝の2人が司会を担当した。
1990年春から1991年春までは、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のクイズのみで構成された。そのため、番組タイトルも『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』、『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』等と題された。1991年秋の放送以降は『SHOW by ショーバイ』に限らず様々な番組のクイズが出題された。この番組の特徴は、クイズ番組ではない番組からもその番組にちなんだクイズも出題されるというところである(「世界まる見え!世界のCMクイズ」、「特ホウ王国 4択クイズ」、「夜もヒッパレ・クイズ!サビからヒッパレ!!」等)。
放送日は1995年春までは『SHOW by ショーバイ』に合わせて水曜日であったが、1995年秋からは『マジカル』に合わせて木曜日に変更された(ただし、最終回となった1999年秋は『マジカル』の最終回との兼ね合いからか水曜日に戻っている)。
番組タイトルの歴史[編集]
番組タイトルも日本テレビの人気番組を継ぎ接ぎしたものとなった。基本的に番組タイトルに入っている番組は、その放送回でクイズを出題している。ただし、『お笑いウルトラクイズ』や『EXテレビ』のように、クイズを出題したが番組タイトルに入っていない番組も存在する。
当初はクイズ番組のみが番組タイトルに入っていたが、1994年秋以降はクイズ番組以外の番組も番組タイトルに入るようになり、さらに1996年秋以降はクイズを出題していない番組も入るようになった。
- 1990年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1990年秋『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1991年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1991年秋『10月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
- 1992年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
- 1992年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1993年春『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1993年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1994年春『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク』
- 1994年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!』
- 1995年春『春は人気番組で!!笑ってヨロシク世界まる見えマジカル頭脳で特ホウ王国!SHOW by ショーバイ!!』
- 1995年秋『秋は人気番組で!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国SHOWby笑ってヨロシク!バラ珍もヒッパレ!!』
- 1996年春『春は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国ショーバイ笑ってヨロシクバラ珍ウリナリもヒッパレ!!』
- 1996年秋『秋は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え笑ってコラえてバラ珍特ホウ王国ウリナリもヒッパレ!!』
- 1997年春『春は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて特ホウ特命おしゃれに大辞テンもヒッパレ!!』
- 1997年秋『秋は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて200Xウリナリぐるぐる大辞テンもヒッパレ!!』
- 1998年春『春は超人気番組大集合マジカル特命まる見えバラ珍DASHコラえて大辞テンGyu!っとメレンゲぐるぐる快傑おしゃれにヒッパレ!!』
- 1998年秋『秋は超人気番組大集合!!特命まる見え大辞10バラ珍ウリナリGyu!ぐるナイマジカル御殿コラえて!おしゃれにメレンゲ龍DASHでヒッパレ!!』
- 1999年春『春は超人気番組大集合!!電波ウリナリまる見えぐるナイDASH御殿伊東家バラ珍マジカルGyu!メレンゲ大辞10特命笑って龍ヒッパレ』
- 1999年秋『秋は超人気番組大集合おもいッきりまる見え伊東家コラえて大辞10バラ珍マジでぐるナイ電波ピカイチDASHヒッパレ200X!!』
司会者[編集]
- 1990年春 - 1991年春:逸見政孝、渡辺正行
- 1991年秋 - 1992年春:逸見、渡辺、板東英二、ビートたけし、所ジョージ、木村優子
- 1992年秋:逸見、渡辺、板東、たけし、所、木村、島田紳助
- 1993年春:逸見、渡辺、板東、たけし、所、紳助、永井美奈子
- 1993年秋:板東、渡辺、たけし、所、紳助、永井
- 1994年春:板東、渡辺、たけし、所、楠田枝里子、紳助、永井、福澤朗
- 1994年秋:板東、渡辺、所、楠田、紳助、笑福亭鶴瓶、ウッチャンナンチャン、永井、福澤
- 1995年春:板東、渡辺、所、紳助、鶴瓶、ウンナン、久本雅美、永井、福澤
- 1995年秋:板東、渡辺、たけし、所、楠田、紳助、鶴瓶、ウンナン、永井、福澤
- 1996年以降:事実上、板東英二と福澤朗が総合司会者的役割を担い全体をまとめた。
番組ルール[編集]
得点単位は『SHOW by ショーバイ』で使用しているショーバイマネーの「萬」である。ルールは放送のたびに大幅な違いがあったが、得点の単位(ショーバイマネー)である「萬」は1999年秋の番組最終回まで受け継がれていた。
- オープニングで席決め早押しクイズに挑戦し、正解順によりこれらの席を決める。1軍席争奪は『SHOW by ショーバイ』から『何を作っているのでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題し、1991年秋~1994年秋の2軍席争奪は『マジカル』から『マジカルスキャナ』(1991年秋~1992年春)→『早押しエラーを探せ!』(1992年秋~)が出題される。1軍に関しては正解後に司会者席のミリオンスロットでショーバイマネーを獲得して正解順に着席する(1990年の2回はミリオンスロット叩かず、すぐに1軍席へ)。2軍に関しては1992年秋までは前述の1軍の席決めと同様で、1993年春以降はエラーの難易度によって5萬から50萬のショーバイマネーを獲得し、1軍の顔ぶれを見て好きな色の座席に着席する。それでも席が決まらないチームは『3軍席決め抽選』(これは『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃の『2軍席決め抽選』から続行するルール)で席が決定する。
- 本戦は基本的にはクイズに正解すると1軍はミリオンスロットのショーバイマネーを獲得することが出来、2軍は一律10萬、3軍は一律5萬しか獲得出来ない(『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃は2軍には解答権が無く、1軍不正解を待つのみであった。1991年春から3回は自チームの前列の1軍チームが正解しているかを○×で予想する方式に、1992年秋以降は同上のルールに変更された。)。1軍が不正解すると2軍、3軍と入れ替わる。早押しクイズの場合に限り、1軍の出したミリオンスロットの金額が得点になり、正解すれば、2軍・3軍のチームでも一気に1軍へ進行した。また、ミリオンスロットは使用せず、予めショーバイマネーが定められているクイズや縦列連帯で行われるクイズも存在した[1]。
- 1992年春までは「SHOW by ショーバイ」の通常の「書き問題」があったが、1992年秋と1993年春の2回は通常の書き問題のルールで「ウソつき4択」を行なった。1993年秋の回では「世界まる見え!」からの書き問題もあった。
- マジカル頭脳パワー!!の「恐怖の居残り早押しクイズ」ではショーバイマネーが初期は一律100萬~-50萬となり正解した者のいるチーム・VTR終了までに残った人のいるチームに得点・減点する。92年秋に前半を-50萬から0萬に変更され、93年春に後半も同様に-50萬から0萬に変更された。また、前半ではスタート時の得点が異なり(3軍・30萬、2軍・50萬、1軍・100萬)、半年後、後半も同様のシステムをとった。(3軍・50萬、2軍・80萬、1軍・100萬)
- その後、後半が「マジカルシャウト」導入で廃止し、前半のみとなったが、半年後、「笑ってヨロシク」の「時限爆弾クイズ」に代わったが、3軍・2軍・1軍での順位によってのショーバイマネーが異なっていた。同様に1994年の2回「くっつきバトルロイヤル」→「仲間でバトル」も同様だった。
- 本戦ラストクイズで『SHOW by ショーバイ』から『いっつみいのウソつき4択』(1993年秋~1994年春は『ホンモノいくつ!?クイズ』)を出題し、正解チームは司会者席のミリオンスロットに挑戦出来る。「ショーバイ」のレギュラー回では得点の低い人から挑戦したが、「スーパークイズ~」では得点の高いチームから挑戦し、終了時点で上位数チーム[2]が決勝進出となる。[3]1993年秋以降は敗者復活戦[4]を実施し、最後まで残った1チームも決勝に進出する。復活したチームは、決勝進出したチームの一番低得点のチームと同額の得点からスタート出来る。決勝戦は全て早押しクイズで、『マジカル』から『エラーを探せ』(1992年秋~1994年春)、『世界まる見え』から『世界のCM早押しクイズ』、『SHOW by ショーバイ』から『何を作ってるのでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題される。『エラーを探せ』はエラーの難易度により5萬から100萬、それ以外は正解すると司会者席のミリオンスロットに挑戦することが出来る。優勝チームは、獲得したショーバイマネーと同額の純金が授与された。1992年秋までは準優勝チームは最終売り上げの半額分の純金を贈呈された[5]。また、1994年春は香港旅行が贈呈されている。決勝に進出出来なかったチームは、優勝チームを予想し、応援していた。的中すれば、ゴールドバーが贈呈される様になっていた。1991年春までは優勝チームが獲得した金額の1割が贈呈されていた。
- 1992年春まで、優勝チーム決定後の余興として『SHOW by ショーバイ』の特製・時価100万円相当の「ゴールドプレート」争奪戦を実施していた。ルールは各チームが一回ミリオンスロットに挑戦し、最高額を出したチームに贈呈された。最高額チームが複数の場合は、勝ち抜き方式で1チーム決定までスロットを続行する。
- 1994年春からは、司会者席のミリオンスロットがスーパーミリオンスロットになり、25萬と200萬の出目が追加され、更に1994年秋からは、解答者席のミリオンスロットもスーパーミリオンスロットになり、25萬と100萬の出目が追加された[6]。
- 1995年春からは、予選・決勝のシステムが廃止された。司会者席のミリオンスロットは使用しなくなり、解答席のミリオンスロットのみ使用していた。スロット回転場面や席の入れ替わり、リアルタイムの得点発表(得点ボードの位置は席の正面でなく、解答席から見て右側の遠い位置に移された。その後、デジタルの電光の色も白から赤に変更された)や40萬の横取り行為の場面を放送カット、もしくは使用しなくなった(1996年以降は、得点ボードを映すことは全く無かった)。この回から『SHOW by ショーバイ』をメインとした内容では無くなり、クイズよりゲームコーナーの割合が多くなっていった。また、同じく1995年春からは、最後に全員参加で「スーパージャックポットクイズ」が行われた。これにピタリ正解すれば最下位のチームでも一気に優勝に立てるルールだった(『SHOW by ショーバイ』終了後の1996年秋以降はそれに代わって「体重ピタリ当てましょう」になり、美女3人+松村邦洋の合計体重を当てるというものだった)。1995年秋からはミリオンスロットが廃止された。この様に、この番組は1995年春の放送から内容が大幅に変更していくこととなるのである。
番組セット[編集]
- 司会者席
- 1991年秋 - 1993年秋 「笑ってヨロシクSHOW by ショーバイ」や 「SHOW by ショーバイvsマジカル頭脳パワー」で使用された通常版の司会者席のミリオンスロットを大きくしたもの。
- 1994年春 - 1995年春 司会者席のミリオンスロットが更新され、この代からスーパーミリオンスロットとなり、ショーバイマネーに25萬と200萬の出目が追加された(なお司会者席のスーパーミリオンスロットを番組内で使用したのは1994年秋まで)。1994年秋からモニターセットに変更。
- 1995年秋 - 最終回 ミリオンスロットが廃止。モニターセットは『SHOW by ショーバイ』のモニターセットと同じものを使用。
- 色別解答者席
- 解答者席は『SHOW by ショーバイ』のミリオンスロットが設置されている1軍、その上段に2軍・3軍(1991年春までは3軍が無い)となっている。1994年秋からはスーパーミリオンスロットとなり、25萬と100萬の出目が追加された。1995年秋からはミリオンスロットが廃止され、これにより、「1軍・2軍・3軍」が「上段・中段・下段」となって入れ替わりがなくなり、番組名の書かれている札は番組タイトルを固定するものへと変更した(後述のように一部の番組が勝手にチーム名を変えることが多かったため)。
- 1991年秋 - 1992年春 赤・緑・黄色・紫
- 1992年秋 - 1993年春+1996年春 赤・緑・黄色・紫・青
- 1993年秋 - 最終回(1996年春を除く) 赤・緑・橙色・黄色・紫・青
- 早押しのお手付きについて
- 1992年秋まで - 一律してお手付きしたチームのみ一回休み。
- 1993年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」2問目までは上記の通りだが、3問目と「スペシャルゲストクイズ」はお手付きしたチームの同色の3チームが一回休み。
- 1993年秋・1994年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」まではお手付きしたチームの同色の3チームが一回休み。「スペシャルゲストクイズ」以降はお手付きしたチームの横一列の6チームが一回休み。
- 1994年秋 - 一律してお手付きしたチームの横一列の6チームが一回休み(なおこのルールは番組内では説明が無かった)。
1991年春までの「ショーバイ」単独時代は正解チームの判別が判らなかったのだったが、この番組になってからは視聴者の視点から判るようになった。「ショーバイ」単独時代はクイズを正解しないと番宣が流せなかったが、最後までクイズの正解できなかった場合は予想後に番組紹介をした。この番組になってからはオープニングの紹介時に番組名と放送時間を紹介し、メンバーの紹介の形になったが、1995年秋以後殆どなかった。
主なオリジナルクイズ[編集]
元々クイズ番組ではない番組も多いため、『スーパークイズスペシャル』のためにクイズを作って出題する場合もあった。殆どは番組制作のVTRを見て、そこからクイズを出題する。
また、『マジカル頭脳パワー!!』の「恐怖の居残り早押しクイズ」や「仲間でバトル」は『スーパークイズスペシャル』で初登場したクイズである。
- 100人に聞いたら1人しか答えませんでした
- 1993年春に『EXテレビ』からの出題クイズとして初登場した。『EXテレビ』が終了した1994年春以降も人気コーナーだったため、1999年春まで実施された。『EXテレビ』参照。このクイズ自体は島田紳助司会の『芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』でも実施された。
- 11PM世界ダービーNo.1クイズ
- 1994年春に往年の深夜番組『11PM』からのクイズとして登場。司会は大橋巨泉と永井美奈子。世界のNo.1にまつわるクイズを出題し、「イレブンダービー」のルールで展開された。なお、巨泉の司会はすべての放送回を通じてこのコーナーのみであった。
- 日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ
- 1995年春から1996年秋まで実施された。「ウルトラクイズ」司会はたけしと所。『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「バラマキクイズ」が基本ルールである。日本テレビ本社屋(現・麹町分室)内に問題内容が収納されている用紙があり、それを探し出し、スタジオに戻ってくる。1995年春はスカを引いた場合(スカが存在したのはこの回のみ)、1995年秋からはクイズに間違えると、着包みや被り物を着用して走行しなければいけないというルールだった。1995年には18チーム全員参加で9チーム毎2回戦実施された。1996年春には4チームに付き2人の割合で参加し、勝ち抜けると4チームに得点が加算されるというルールで、1996年秋には2チームに付き1人の割合で参加し、勝ちぬけると2チームに得点が加算されるというルールに変更された[7]。1995年春は先着4チームに30萬加算され、1995年秋は1位抜けで30萬、以下20萬・10萬・5萬加算された。1996年春は1位抜け50萬、2位抜け:40萬(横取り無し)、以下30萬、20萬、10萬と加算され、1996年秋は1位抜けで40萬(横取りなし)、以下30萬・20萬・10萬・5萬が加算された。
- なお、1997年春には背負った風船が爆発するまでに面白いギャグを披露する「お笑い風船爆発バトル」、1997年秋には選んだ物を使ってダジャレを披露する「ダジャレバトル」として行われた。この時は「スカ」を引いた場合及び不正解の場合の着包み・被り物着用は無くなった。
- 一流芸能人トップは誰だ!?
- 1994年秋から1995年秋まで実施された。出演者の中から選ばれた3人が「ウ冠の付く漢字」等のテーマが出題され、それに合うものを制限時間内にどれだけ書けるかを競合し、各チームは優勝者を予想した。
- イス取りクイズ
- 1996年春から1999年秋まで実施された。司会は島田紳助と永井美奈子である。椅子取りゲームの要領で出場者が椅子の周りを回るが、着席出来なかった出場者は敗者復活クイズに臨むことになる。クイズに正解すれば再びゲームに参加できるが、その場合、椅子に着席している出場者からターゲットを一人絞り「○○(呼び捨て)、どけ!」と発言しなければならない(発言された出場者は失格となる)。必ず安岡力也や中尾彬等のコワモテ芸能人が着席しており、司会の紳助が若手芸能人をコワモテなベテラン芸能人の前に連行した。このクイズは後に『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』の特番の1コーナーとして、同様に島田紳助司会で行われた。
- 覆面クイズ正解は多数決!!
- 1997年秋から1999年秋まで実施された。最終問題の前の問題で芸能人にまつわる問題が出題される。9人の解答者は目の部分を摺りガラスで隠され、声も加工して(とは言いつつ、自ら持ちネタを披露する等、誰が書いているのかがバレバレ)、その問いに対し、被った解答だと得点が加算されるクイズ形式である。「正直に答えない場合は-10萬」というルールもあったが、余り適用されなかった。アンダーグラウンドな話ばかり飛び出し、解答にモザイクを入れなければいけないことも多々あったため、別名「アングラクイズ」とも呼ばれる。司会は今田耕司と東野幸治で出題は松永二三男(当時日本テレビアナウンサー)だった(1999年秋のみ藤井恒久)。『スーパークイズスペシャル』終了後の2001年10月に1度だけ特番枠[8]でこのコーナーの2時間拡大版が放送され、浅草キッドはこのクイズを機に日本テレビから2年間出入り禁止になったというネタを引っさげて「復帰」した。
- また、番組スタッフが解答者となって出題されたこともあり、解答が被った場合にそのスタッフが特定されない様、スタッフが担当している番組にひっそりと得点が入ることになっていたが、全員解答がばらばらであった。
- 人間すごろく
- 1996年秋から1997年秋まで実施された。司会は島田紳助である。サイコロを振り、止まったマスの指示に従う。指示は「網タイツを被る」「爆竹100本付き帽子を被る」「子供にくすぐられる」等があり、成功すると更に進行することが出来る[9]。
- 芸能人秘密のイエスを探せ!
- 末期の1998年秋から1999年秋まで実施された。司会は最初の2回はナインティナインの矢部浩之で、1999年秋のみ島田紳助と楠田枝里子が担当した。ある質問にイエスを挙げるパネラーを的中するクイズで、予想したパネラーが「イエス」を挙げればそのチームメイトがいるチームに10萬が加算される。初回は予想屋の岡村隆史がイエスを挙げるパネラーの予想を参考にして解答したが、2回目は岡村が全問を通して解答者として参加した。
- 顔面!にらめっこバトル
- 1997年春から1997年秋まで実施された。司会は1997年春の回は今田耕司・東野幸治で、1997年秋の回は所ジョージと楠田枝里子が担当した。代表者の顔をチームメイトがメイクし、相手チームの代表者が牛乳を吐き出したらそのチームが勝ちとなり、そのチームの代表者とチームメイトがいるチームに20萬が加算される。
- 今夜だけOK!カンニングクイズ
- 1998年春に1回だけ実施された。司会は今田耕司と東野幸治。ある問題に対して解答するのだが、仕切りの壁には穴が2つ開いており、解答者は隣の解答者が書いた解答を覗き見ることが出来る上に、隣の解答者と同じ解答をカンニングして書き、隣の解答者の答えが正解だった場合、同じ解答を書いた解答者も正解となる。隣の相手への妨害(穴をふさいだり、不正解を書いておいて、相手がその答えを書いたら自分は正解を書くなど)もOKである。
出場番組[編集]
1990年 - 1999年の間に参加し、現在は終了した番組[編集]
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!→新装開店!SHOW by ショーバイ!!→新装開店!SHOW by ショーバイ2(1990年春 - 1996年春。1990年春・秋は、『クイズ世界は』チームと『SHOW by ショーバイ!!』チームの2チームに分けて出場)
- マジカル頭脳パワー!!(1991年春 - 1999年秋)
- 速報!歌の大辞テン(1997年春 - 1999年秋)
- 夜も一生けんめい。→夜もヒッパレ一生けんめい。→THE夜もヒッパレ(1990年春、1991年春 - 1999年秋)
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(1994年秋 - 1999年秋)
- 知ってるつもり?!(1990年秋 - 1991年秋、1992年秋)
- いろもん(1998年秋 - 最終回)[10]
- ウンナン世界征服宣言→ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!![11]→ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(1993年秋 - 1999年秋)[12]
- EXテレビ(1990年秋 - 1991年春、1992年春、1993年春 - 1993年秋)
- ザ・ラスベガス(1991年秋 - 1992年春)
- 投稿!特ホウ王国→1億3000万人の投稿!特ホウ王国2(1994年春 - 1997年春)[13]
- クイズ どんなMONだい?!(1992年秋 - 1993年秋)
- スーパーJOCKEY(1992年春 - 1998年秋)
- 進め!電波少年→進ぬ!電波少年(1992年秋 - 1999年秋)
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!→超天才・たけしの元気が出るテレビ!!(1990年春 - 1996年春)
- どちら様も!!笑ってヨロシク(1990年秋 - 1996年春)
- 特命リサーチ200X(1996年秋 - 1999年秋)
- モグモグGOMBO(1993年秋 - 1995年秋)
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(1993年春 - 1996年春)
- スーパースペシャル(1994年春)
- 伊東家の食卓(1997年秋 - 1999年秋)
- おしゃれカンケイ
- ザ・ワイド
- 午後は○○おもいッきりテレビ
- ルックルックこんにちは
- 長七郎江戸日記
- 八百八町夢日記
- 刑事貴族→刑事貴族2(1990年秋 - 1991年春)
- あしたP-KAN気分(1992年秋 - 1993年秋)
- それ行けKinKi大冒険→それ行けKinKi大放送→キンキキッズのGyu!→ピカイチ(1996年春 - 1999年秋)
- TVおじゃマンボウ(1994年春 - 1996年春)
- TVおじゃマンモス(1994年秋 - 1996年春)ほか
※アニメは1番組とも出場せず、情報番組の一部の出演者は出演しなかった。 後続の世界一受けたいではアンパンマンとばいきんまんとハンターのゴンとキルアとコナンのコナンと木原と空二郎も出た
現在も放送している番組[編集]
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(1990年春 - 1991年秋)
- 世界まる見え!テレビ特捜部(1991年秋 - 最終回)[14]
- ぐるぐるナインティナイン(1995年秋 - 最終回)
- メレンゲの気持ち(1996年秋 - 1999年春)[15]
- 笑点(1996年春・1997年春)
- 1億人の大質問!?笑ってコラえて!(1996年秋 - 最終回)[16]
- 踊る!さんま御殿!!(1998年秋 - 最終回)
- ザ!鉄腕!DASH!!(1996年春 - 最終回)
優勝チーム[編集]
- (1990年春)クイズ世界は(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は1990年春と秋は「クイズ世界は」と「SHOW by ショーバイ!!」の2チームで参加)
- (1990年秋)知ってるつもり?!
- (1991年春)ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
- (1991年秋)世界まる見え!テレビ特捜部
- (1992年春)(日本テレビが)お世話になってます
- (1992年秋)クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
- (1993年春)ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- (1993年秋)大人のキス(TVドラマ)
- (1994年春)家なき子(TVドラマ)
- (1994年秋)ウンナン世界征服宣言&投稿!特ホウ王国(合体チーム)
- (1995年春)家なき子2(TVドラマ)
- (1995年秋)THE夜もヒッパレ
- (1996年春)それ行けKinKi大冒険
- (1996年秋)鉄腕!DASH!!
- (1997年春)それ行けKinKi大放送
- (1997年秋)快傑!コウジ園
- (1998年春)スーパーJOCKEY
- (1998年秋)P.A. プライベート・アクトレス(TVドラマ)
- (1999年春)特命リサーチ200X!
- (1999年秋)マジカル頭脳パワー!!
エピソード[編集]
- この番組(『スーパークイズスペシャル』)では板東英二・所ジョージが全ての回に出演した。
- また、「スーパークイズスペシャル」での解答者として多く出演したのは、間寛平[17]で1995年秋を除き全ての回に出演した。
- 番組開始当初から1995年春と秋のスペシャルまでは『SHOW by ショーバイ』の山城新伍、『マジカル』の千堂あきほ、俵孝太郎といったレギュラー陣が登場したが、山城・千堂・俵等が降板した1996年春のスペシャル以降は加藤紀子、北野大、久本雅美、ガダルカナル・タカ、ダンカン等の常連メンバーが出演した。また、『SHOW by ショーバイ!!』のレギュラー出演者だった高田純次は1996年春まで一貫して『SHOW by ショーバイ!!』チームに所属せず、同じく高田がレギュラー出演していた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』→『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』チームの一員として出演した。また、「ショーバイ」が決勝進出・「元気」が予選敗退した場合、高田は「ショーバイ」に参加せず「元気」の席に座り、余談だが必ず「ショーバイ」を優勝チーム予想した。
- また『SHOW by ショーバイ』チームではジャイアント馬場が1995年春のスペシャルまで5回出演した。また1993年春と秋のスペシャルは出演しなかったが、春の回では『SHOW by ショーバイ』チームが再び1軍に戻ったことでたけしは「馬場さんは?」と話し「大道具倉庫に馬場さんの人形置いていた」と話した。その年の秋のスペシャルでたけしは、オープニングで馬場と戦っているレスラーに扮した衣装で登場した。
- 1991年秋のスペシャルの「何を作っているのでしょうか?」でタバコを生産しているVTRが出題された際、解答権を得た『八百八町夢日記』チームの里見浩太朗が「マッチ」と解答して不正解でお手付きの1回休みになったが、直後に中田喜子が「タバコ!タバコ!タバコ!」と訂正したが認められなかった。その後解答権を得た『スポーツも一生けんめい。』(「独占SPORTS情報」と「夜も一生けんめい。」の合同)チームは当然タバコと解答すると思いきや、そのチームにいた川合俊一が「マッチ棒!」と解答してこちらもお手付きの1回休みになりスタジオは大爆笑となった[18]。
- 1991年春のスペシャルの「決勝早押しクイズ」で、ダウンタウンの浜田雅功が自分より先に早押しボタンを押した関口宏や賀来千香子に対して、クイズ台の上に乗っては鬼の形相で睨み付けた。しかもその後同じく自分より先に早押しボタンを押した山城新伍に対しては「殺すぞ!オラ!」と胸ぐらをつかんで脅した[19]。
- この番組の前身である『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のスペシャル時代から司会の逸見とダウンタウンとの掛け合いが毎回お約束になっており、逸見が「お前らしっかりしろや!」、「何でお前らいるんや!」、「関東ローカル番組が!(当時「ガキの使い』は関東ローカルだった)」などといじり、浜田は「いつみ~!」、「逸見のオッサンだけは!あのガキは!」、「逸見、後で(楽屋)裏来い!」と大暴走するといった場面が見られた[21]。
- 同じく1991年秋のスペシャルの決勝早押しクイズで、『何を作っているのでしょうか?』の問題の際(正解はシャンプー)に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チームで浜田雅功が「飲み水」と解答して1回休みになり、司会の逸見から「真面目にやれよ!真面目に!飲み水をわざわざタイ(出題VTR収録国)から『何を作っているのでしょうか?』に出すか!」と突っ込まれているが、浜田は「逸見、お前なんでそんな態度やねんさっきから!!」「貴様ー!」と司会の逸見へ抗議。板東英二は「逸見さん疲れてきましたよ~。真っ赤になってきましたよ。」と逸見をたしなめながら、所は「飲めない水ですからね」と冷静になる傍ら、たけしは「司会が怒ったってしょうがないよな」と浜田をかばった。
- たけし関連のチーム、特に『スーパーJOCKEY』チームは、勝手にチーム名を変えることがよくあった。番組名が表記されている札の裏に『笑点』、『クイズハンター』、『プレイガールQ』、『渡る世間はバカばかり』等と手書きし、裏面を表に出して置くことがよくあり、それでも司会の逸見は「笑点」、「クイズハンターチーム」と呼んでいた。
- 1991年秋のスペシャルでは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』も『笑点』と変更した。また、1992年秋のスペシャルでは『スーパーJOCKEY』が点いた後、逸見が「プレイガールQ」と発言してしまい、翌1993年春のスペシャル以後、書き換えはなかった。
- また、1994年春のスペシャルで、この回の『スペシャルゲストクイズ』のゲストだった大橋巨泉が『スーパースペシャル'94』チームに入って以降、島田紳助が『紳助のこんな巨泉いらない?』や『巨泉のクイズダービー』、『前武ハゲハゲ90分!!』、『11PM』[22]とチーム名を勝手に変更し、優勝チーム予想クイズ時では『巨泉の友なき子』になった。
- 1992年秋のスペシャルでは『おもいッきりテレビ』が決勝進出チームを決定するスロットで横取り40萬を出し、現在7位『進め!電波少年』から奪取すると8位の『どちら様も!!笑ってヨロシク』が7位に浮上するとのことで、『笑ってヨロシク』『電波少年』の両チーム関係者が司会者席へ駆け寄り、場内大騒ぎに発展した。結局『おもいッきりテレビ』は『電波少年』から40萬を横取りし、『笑ってヨロシク』が7位に浮上し決勝進出に至った。
- 同じ1992年秋のスペシャルではたけしのお笑いウルトラクイズの近似値クイズで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』チームが一番近い値を解答したものの、3軍席にいたため5萬しか獲得出来なかったこと[23]に対して高田純次らが延々と司会陣に抗議をしていた。
- 1992年秋のスペシャルで、たけしは休憩中に客用の弁当を食事したことを「アナウンサー早押しクイズ」前やエンディングで話した。
- さらに、1992年秋のスペシャル内『マジカル頭脳パワー!!』の「イラツキ早押しマジカルスキャナ」で、『スーパーJOCKEY』チームにいたたけしは、「砂時計」という答えを答える際に「ドモホルンリンクル(再春館製薬所の基礎化粧品)」「シャンポンS」「ケーシー高峰」と珍解答を連発し、共演者でたけしの弟子であるガダルカナル・タカはたけしがヘッドホンをして聞こえないのを良い事に「ナメてんのかこのバカ!この野郎!何が『ドモホルンリンクル』だよ!」と思いっきりつっ込んでいた。
- 1992年秋ではラスト問題前で「マジカル」と「ショーバイ」との差が5萬、「まる見え」との差が50萬になり、通常の金額では逆転が不可能になってしまったことでラスト問題に正解すればスロットで出した商売マネーの2倍が加算されることになった。
- 1992年秋のスペシャルと1993年の春のスペシャルでは、「アナウンサー早押しクイズ」で放送禁止を言った解答者の後、たけしは「こんばんわ、俵孝太郎です」と(『FNNニュースレポート23:00』で俵がキャスターを担当していた時の挨拶のマネを)本人がいながらも発言していた。
- 『世界まる見え!テレビ特捜部』名物のたけしのピコハン攻撃では珍解答をした渡辺正行・高嶋政伸・北野大・松本明子や席決めクイズで正解したのにスロットで破産を出した松村邦洋も叩いた。
- ほぼ全てのコーナーに参加し、番組中殆ど休憩する時間が無かった所とたけしであるが、おふざけも多く、たけしは担当司会者である際にも解答を知らないことが多かった。1992年秋の決勝戦では逸見・板東等と一緒にいる司会席の所にいなく解答席に着席した。また、所の担当コーナー『どちら様も!!笑ってヨロシク』の「スペシャルゲストクイズ」では、スペシャルゲストが入っているべきボックスの中にたけしが入っていたこともあり、このことが本来のスペシャルゲストが登場した後にボーナス問題として出題されたこともあった[24]。
- 1993年秋のスペシャルでは、オープニングで席順を決めるための「何を作っているのでしょうか?」の解答の際[25]、『どちら様も!!笑ってヨロシク』チームの加賀まりこが「ダッチワイフ!」と解答して1回休みになってしまい、スタジオの大失笑を買った。
- 1994年春のスペシャルでは「くっつきバトルロイヤル」で「真ん中に『か』がくっついている言葉」を出題され、飯島直子は「ムカつく」と答えたところ、「真ん中にくっついている言葉でないとだめ」と訂正させられ、解答することが出来ず、時間切れでアウトなった。しばらくして安達祐実が「味覚」と解答したところ、司会の板東から「偉いね~」と褒められたのに対し、解答出来なかった飯島は司会の渡辺から「飯島しっかりしろよ!あんなに頑張ってんのよ!」とつっ込まれた。
- 1994年春のスペシャルで2軍席を獲得した『マジカル頭脳パワー!!』チームは、「弱そうだから」という理由で、1軍席の『家なき子』チームの後ろに着席した。その後、決勝進出を賭けた「ホンモノいくつ!?クイズ」でピタリ正解をしたため、ミリオンスロットを2回叩くことが出来るダブルチャンスの権利を獲得した。しかし、2回目のミリオンスロットで破産を叩き出してしまい、寛平は板東に叩かれていた。皮肉にもこの回で『家なき子』チームは優勝、『マジカル頭脳パワー!!』チームは最下位という完全に明暗が分かれる形となった。
- 1994年春のスペシャルで、「マジカルシャウト」の「似たもの三択」で「電池、磁石、ねじ回し、プラス・マイナスが無いのは?」という問題が出題され、『SHOW by ショーバイ』チームのジャイアント馬場が「ねじ回し!」と珍解答してしまったものの、幸い馬場が高身長でマイクに向かってなかったのでマイクのセンサーがそれに反応しなかった。だが皮肉にも、『どちら様も!!笑ってヨロシク』チームの江川卓はそれを解答だと思ったのか、「ねじ回し!」と珍解答してしまい、相手が間違えるまでの休みになりスタジオの大失笑を買った。また、『スーパースペシャル'94』チーム代表者の大橋巨泉に対し、島田紳助が後ろから「はよ行こ!はよ!」と叫んだところそれがセンサーが反応してしまいお手つきとなってしまった。
- 1994年春、番組のラスト直前で最後のミリオンスロットをやろうと盛り上がった際、たけしが現れて「その前にCMをどうぞ」と発言してCMとなった(この後CM明けでは、たけしが「いよいよ盛り上がって参りました!ここでちょっと休憩です」とボケた)。さらに同年秋のスペシャルでも、やはりラストで盛り上がった際、今度は板東が現れて「ちょっと待ったァ!決勝です、いよいよ、これがラストでございます。それはCMの後に決勝スロットを行います」と発言してCMとなった。今では当たり前となっている「クライマックスの前のCM」は、この番組が最初ではないかと思われる。
- 1996年春のスペシャルでは、「スペシャルバナナ」時に「たばこといったら吸う」というお題に対し解答者の飯島愛が放送禁止用語を発言した。発言時には飯島の発言に代わり爆発音がなり、飯島の口元は「(秘)(秘)(秘)」の表示になっていた。そのため、番組史上初となる前代未聞の途中退場となった。テロップには「本人だけの思い込み!退場!!」と表記されていた。それまでは仕事のスケジュールの都合等で中抜け・途中退席する出演者もいたが、このことは最初で最後である。
- 1996年秋のスペシャルでは、「オープニングバナナ」で「かぎといったらまわす」というお題に対し松本明子が放送禁止用語を発言し、言葉が「ドキューン」という音で潰されたうえにアウトになり、隣のチームの川合俊一らからツッコミを受けた。テロップには「放送できない!アウト!!」と表記されていた。
- 1996年秋のスペシャルでは、この番組の応援団[26]として明石家さんま、ラサール石井[27]、村上ショージ、松尾伴内の「さんまファミリー」が登場した。チアガール姿で応援したが、全然応援になっていない歌「ビバ日テレ」を歌った(下記参照)。また、1995年の『番組をブッ飛ばせ!!大晦日スペシャル』、1996年の『紅白なんてブッ飛ばせ!!』にも乱入した。
- ビバ・ビバ・ビバ日テレ
- たけし・たけし・家帰れ
- ジョージ・ジョージ・CM出すぎ
- 板東・板東・バブルで弾けた
- ウッチャン・ナンチャン・仲悪い
- 楠田・枝里子・背が高い
- 永井・美奈子・フリーになった
- ギバ・ギバ・酒癖悪い
- 川合・俊一・男好き
- 1995年秋の「アクション伝言バトル」でビートたけしが出演した際、お題は「ソフトクリーム」[28]であったが、たけしが故意に卑猥なアクションに変えてしまい、そのせいで彼以降の全員が不正解になったことがある。その際、司会者に事前注意を何度も受けていたにもかかわらず、その行為と思われる解答をした(「ナイショ」で処理)が、訂正を入れ正解となった。
- 1996年秋の「アート伝言バトル」でたけしが出演した際、お題は「みのむし」であったが、同様に卑猥な絵に変えてしまい、放送時に「禁」マークで絵の上部が隠された(次の役のリサ・ステッグマイヤーはたけしの描いた絵を見た瞬間、「キャー!!」と悲鳴を上げ、絵を描いている時呆れながら「もーっ!」と言っていた)。当然、リサから以降の解答者は不正解。たけしが解答する際、板東英二が鬼の形相で、「コレは全国ネットですよ!非常に多くのお子さんも見てるんですよ!たけしさん、あなた何描いたんですか!言いなさいよ!!」とたけしに詰め寄った。しかし、たけしは「×××(放送禁止用語)!」(たけしが発言した際に爆発音が鳴った)と発言。その瞬間、板東は逃げるたけしを追い掛け回した。二人がその場を離れた後、最初の解答者である所ジョージがたけしの描いた絵と前の解答者の楠田枝里子のものを見て、「これがおじさんの絵心をくすぐっちゃたんだね」と冷静に状況を分析していた。
- 別の回の「アクション伝言バトル」でもたけしはふざけてブリーフ姿で出場し、彼に対しアクションを行い内容を必死に伝えようとしている実兄の北野大に対してピコハンで叩いたこともある。
- 1997年春のスペシャルでは、「オープニングチェンジ」でたけしが出演した際、「まいご(迷子)という字を1文字変えて」というお題に対し、たけしが下ネタを発言したのか、言葉が「ドキューン、ドキューン、ドキューン」という音で潰されたうえにアウトになり、チームメート全員に批判を浴び袋叩きにあった。テロップには「放送できない!アウト!!」と表記されていた。
- 1997年秋のスペシャルにビートたけしが出演しなかったのは、ヴェネチア国際映画祭に出席したためである。なお、理由は不明だが、たけしは1998年秋のスペシャル以降この番組に出演しなくなった。
- 1998年秋のスペシャルでは、優勝決定バトルで巨大水槽に潜って正解の物をとってくるという余りにも無謀な企画が実施された。しかも、衣装着用のまま水槽に入るというルールだった。その中で榎本加奈子、堂本剛、研ナオコの3人が巨大水槽に潜りスタジオ内が大パニックになり、しかも榎本は『P.A. プライベート・アクトレス』の衣装であるセーラー服姿であったため、スカートの中から黒の見せパン(黒パン)[29]が見えてしまった。最後は榎本が正解の物を手にし『P.A. プライベート・アクトレス』チームが優勝した。
- 1999年秋のスペシャルでは、『マジカル頭脳パワー!!』の『大逆転!優勝決定バトル』に間寛平が『マジカル頭脳パワー!!』チームの代表として出演し、10000g(10kg)に最も近い記録である10017gという記録を出し、50萬を獲得した[30]。これにより、『マジカル頭脳パワー!!』チームの獲得ショーバイマネーが338萬となり、見事に最初で最後の優勝となった。なお、『マジカル』は翌日の番組自体の最終回直前にこの番組の最終回で有終の美を飾ることが出来たといえる。
2012年10月までは世界一受けたいベースで放送された。問題も世界一受けたいの者になっていた
- 2013年4月には『スーパークイズスペシャル』を踏襲した『日テレ系人気番組No.1決定戦』が放送される。
スタッフ[編集]
初期は構成に伊藤輝夫(現・テリー伊藤)、監修に菅原正豊の名前があった。
- 制作:金谷勲夫
- プロデューサー:渡辺弘、小杉善信、桜田和之、佐野譲顕、吉田真ほか
- 総合演出:五味一男、吉川圭三、雨宮秀彦
- 構成:豊村剛以下出題クイズ番組放送作家陣
- 制作協力:ハウフルス、日企、NCV、ZIPPY、オン・エアー
テーマ曲[編集]
(オープニング)
- 史上最大の作戦のテーマ(ミッチー・ミラー合唱団、エンディング)
脚注[編集]
- ↑ 『SHOW by ショーバイ』からの『順金クイズ』・『世界年齢順クイズ』や『どんなMONだい?!』からの『対決ドボン』では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じ縦列の2・3軍にも入った。但し、減点となる場合でも連帯責任となった為、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、『マジカル』からの『エラーを探せ』では正解したチームと同じ縦列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
- ↑ 1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活戦前に先に7チーム)が決勝進出すること。
- ↑ 終了時点でも決勝進出チーム数より多い場合、司会者席のスロットを使って「同点スロット」でショーバイマネーを高いチームを決めた。
- ↑ 福澤が司会を担当し、全て○×クイズで、1問目は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から出題し、2問目以降は『日本テレビネット局縦断○×クイズ』を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。
- ↑ 但し、1991年秋のみドイツ旅行が贈呈される。
- ↑ この回から本番中に盛り上がりに欠けたと思われる問題やコーナーを丸々カットする編集を実施する様になった。また、1996年頃から収録したコーナーを順番通りに放送せず、バラバラに編集した物を放送する様になった。『マジカル頭脳パワー!!』でも同様な傾向にあった。
- ↑ ただし、1996年春には勝ち抜けるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。
- ↑ 『スーパースペシャル2001』
- ↑ その際、進行した先のマスの指示は受けない。失敗すると戻るという指示があるマスも存在する。
- ↑ 同時期にウンナンから今田・東野に代わる形での参加。今田・東野は「怪傑!コウジ園」が終了した為の受け皿番組となった。
- ↑ 初参加の1995年春の収録時点ではまだタイトルが決まってなかったため、解答席の札や得点ボードには『ウンナン新番組(仮)』と表示されていた。だが放送当日はタイトルが決定されたため、札などの表示はそのままに、テロップでは『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』と表示された。
- ↑ 1997年春は不参加。その当時レギュラー陣だったキャイ~ンは「笑ってコラえて!」チームでの参加。
- ↑ 1994年春・秋と1996年秋は「ウンナン世界征服宣言」→「ウリウリ!ナリナリ!!」→「ウリナリ!!」といったウッチャンナンチャンがメインとした番組の合体チームとして参加。最後の回は「世界まる見え!」と合体チームとして参加
- ↑ 番組は1991年春に開始。1998年春は「進ぬ!電波少年」と合体チームとして参加。1999年春は「笑ってコラえて!」と合同チームとして参加。
- ↑ 番組は1996年春に開始。1998年秋は「マジカル頭脳パワー!!」と合体チームとして参加。ただ、最終回は参加せず、現在も司会を務めている久本雅美は「嗚呼!バラ色の珍生!!」チームでの参加
- ↑ 番組は1996年夏に開始。初登場回と1997年秋は同年秋に開始した「特命リサーチ200X!」と合体チームとして参加。
- ↑ ただし、第1回のみ「マジカルミステリー劇場」でのVTR出演。
- ↑ ちなみにこの問題を正解したのは『マジカル頭脳パワー!!』チームだった。
- ↑ この一部始終は後年の2011年12月11日放送のフジテレビ系の『爆笑 大日本アカン警察』で事件として取り上げられた。
- ↑ 司会の板東英二に「お前たばこ吸うな!こんなところで」と突っ込まれた。
- ↑ その後、次の回以後スタジオに参加できなかったが、1993年秋の『発明将軍ダウンタウン』からのVTR出題で出演した。
- ↑ いずれも巨泉が司会者として出演していた。
- ↑ この時は書き問題を基準にした得点だったが入れ替え無しだった。また1軍のショーバイマネーが50萬だったため。
- ↑ 後にたけしは1995年春の「スペシャルゲストクイズ」でスペシャルゲストとして登場した。
- ↑ 正解はフォトスタンプで『大人のキス』チームが解答。
- ↑ 団名はピーチーズ。
- ↑ その後、『世界まる見え!テレビ特捜部』チームに参加。
- ↑ 舌でクリームをなめる。
- ↑ 下着が見えるのを防ぐために穿いていた。
- ↑ 寛平は『マジカル』最終回前の1999年9月9日放送分の『マジカルぴったり』でも100000g(100kg)ぴったりという記録を出し、ボーナス500点を獲得し、更に自身の合計点数が1000点を突破した為、最初で最後のマジカルミステリーツアーを獲得している。
2024年10月現在放送中のバラエティ番組 |
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ビートたけしのTVタックル - 世界まる見え!テレビ特捜部 - たけしの誰でもピカソ - 奇跡体験!アンビリバボー - 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 - たけしのコマネチ大学数学科 |
放送終了した主なバラエティ番組 |
オレたちひょうきん族 - スーパージョッキー - ビートたけしのスポーツ大将 - 天才・たけしの元気が出るテレビ!! - 風雲!たけし城 - たけしのここだけの話 - 平成教育委員会 - たけし・所のドラキュラが狙ってる - たけしの万物創世紀 - ここがヘンだよ日本人 |
映画監督作品 |
その男、凶暴につき - 3-4X10月 - あの夏、いちばん静かな海。 - ソナチネ - みんな〜やってるか! - キッズ・リターン - HANA-BI - 菊次郎の夏 - BROTHER - Dolls - 座頭市 - TAKESHIS' - 監督・ばんざい! |
BIG3 |
タモリ - 明石家さんま |
関連項目 |
オフィス北野 - ツービート(ビートキヨシ) - たけし軍団 - 横山やすし - 大橋巨泉- 島田洋七 - 笑福亭鶴瓶 - 所ジョージ - 高田文夫 - やしきたかじん - 逸見政孝 - 東国原英夫 - 岸本加世子- 北野大 - 北野井子 - 深見千三郎 - 黒澤明 |