女子大生AV嬢
女子大生AV女優(じょしだいせいエーブイじょゆう)とは、女子大生の身分でアダルトビデオ(AV)に出演した女性のこと。
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「女子大生ブーム」・「ノーパン喫茶ブーム」・「アダルトビデオブーム」の同時発生[編集]
1980年、フジテレビの“軽チャー路線”から女子大生ブームが発生した。さらに翌年の1981年、ノーパン喫茶が東京を制覇し、全国的ブームとなった。同じく81年、アダルトビデオが誕生し、大ブームとなった。
「女子大生の拝金主義」[編集]
この相次ぐムーブメントに影響されたのが、女子大生である。当時の女子大生は、ボートハウスのトレーナーに代表される“女子大生ファッション”を手に入れるために、より時給の高いアルバイトをすることに熱中していた。女子大生の側に、拝金主義の風潮が蔓延していたのである。
「女子大生ノーパン嬢」の誕生[編集]
ノーパン喫茶のアルバイトは時給が非常に高く、また風俗の仕事とはいっても“客と非接触”の仕事であったため、大量の女子大生がノーパン嬢となった。女子大生ノーパン女優の誕生である。これは1970年代前半には学生運動に熱中していたお堅い女子大生にとって、初めての経験であった。ノーパン喫茶は女子大生にとって、“風俗の入り口”になったのである。
「女子大生AV女優」の誕生[編集]
ノーパン喫茶で働き始めた女子大生は、高額の時給に味を占めた。そして女子大生ノーパン嬢が次のアルバイトとして選んだのが、アダルトビデオであった。当時、アダルトビデオはまだAVとは呼ばれておらず、男優との“本番”セックスのない“擬似セックス”の作品が多かった。つまり、“やらせ”のAVである。アダルトビデオの多くが擬似セックスだったこともあり、多くの女子大生ノーパン嬢がアダルトビデオに出演した。もちろん、ノーパン喫茶でアルバイトをしていない女子大生も、アダルトビデオに多数出演した。
しかし、アダルトビデオでは“本番”セックスをする作品も多く、その場合は女子大生AV女優は、本番のハメ撮りを披露しなければならなかった。
「女子大生AV女優」の影響[編集]
80年代前半当時は、アダルトビデオで“本番”のセックスが行われているというだけで、強烈なインパクトがあった。ましてやアダルトビデオに現役の女子大生が出演することなど、世の男たちにとっては考えられないことであった。
この時代の代表的な女子大生AV女優に、早稲田大学法学部の杉田かおりがいる。彼女は“元祖AV女優”の一人でもあった。
「その後の女子大生AV女優」[編集]
90年代になると女子大生がAVに出演することはもはや“当たり前”のこととなり、“女子大生AV女優”という概念は徐々に消滅していった。しかし今日でもなお、“名門大学”や“国立大学”に通う女子大生AV女優を特別扱いするなど、“高学歴なAV女優”はもてはやされ続けている。