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2007年4月11日 (水) 12:14時点における版
黒川紀章(くろかわ きしょう、1934年4月8日 - )は、愛知県海部郡蟹江町生まれの建築家。日本芸術院会員。黒川紀章建築都市設計事務所所長。妻は、女優の若尾文子。弟は建築家の黒川雅之で、その妻は加藤タキ。
来歴
1953年(昭和28年)、東海高校卒業。1957年(昭和32年)、京都大学工学部建築学科卒業。1964年(昭和39年)、東京大学大学院建築学科専攻博士課程(丹下健三研究室)修了。
槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に、丹下研出身の世界的建築家である。1960年代、メタボリズムなどの建築理論を構築し、これに基づいて増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービルなどを設計した。
日本会議代表委員。他にアメリカ建築家協会名誉会員、英国王立建築家協会名誉会員、日本景観学会会長、ブルガリア建築家協会名誉会員、フランス建築家協会正会員、カザフスタン建築家協会名誉会員、ロシア建築アカデミー外国人会員など。
かつては現東京都知事の石原慎太郎と蜜月関係にあったが、東京オリンピックの招致や首都機能移転などをめぐり対立。2007年2月21日に「2016年の東京オリンピック招致活動の白紙撤回」を公約に掲げて、同年4月の東京都知事選挙に出馬することを表明した。同日の記者会見では自らの政治思想について反金儲け主義・共生主義と表現し、社会主義に近いとも発言した[1]。政治団体共生新党を設立して代表に就任し、共生新党公認候補として立候補した。マスコミには有力候補として取り扱われ、多くの露出機会を得たが、落選した(確定得票数159,126票)。
東京都知事選挙の二日後には共生新党として参院選に挑戦する意志があることを明らかにした。
マニフェスト
- 任期中の給与は1円
- 東京都庁舎や、江戸東京博物館、東京国際フォーラムの民間売却
- オリンピック招致中止
- 日の丸・君が代の強制を改める
- 築地市場の豊洲移転には反対
- 東京23区の市昇格を行ない、行財政権力を強化する
- 首都機能の一部を移転し、霞が関に緑地を増やす
とした。
主な受賞歴
- 1965年 - 高村光太郎賞
- 1978年 - 毎日芸術賞
- 1986年 - フランス建築アカデミーゴールドメダル
- 1988年 - リチャード・ノイトラ賞(米国)
- 1989年 - 世界建築ビエンナーレ・グランプリ・ゴールドメダル、フランス芸術文化勲章
- 1990年 - 日本建築学会賞
- 1992年 - 日本芸術院賞
- 2002年 - 国際都市賞(スペイン:メトロポリス協会)
- 2006年 - 文化功労者
主な作品(年代順)
- 寒河江市役所庁舎(山形県寒河江市)1967年(完成年、以下同じ)
- 大阪万博のパビリオン数点(東芝IHI館、タカラビューティリオン、空中テーマ館)1970年
- 佐倉市役所庁舎(千葉県佐倉市)1971年
- 中銀カプセルタワービル(東京都中央区銀座)1972年
- 福岡銀行本店(福岡市中央区天神)1975年
- ソニータワー(大阪市中央区心斎橋筋/現存せず)1976年
- 国立民族学博物館(大阪府吹田市千里万博公園)1977年
- 日本赤十字社本社(東京都港区芝大門)1977年
- 長崎新聞本社ビル(長崎県長崎市)1980年
- 埼玉県立近代美術館(埼玉県さいたま市浦和区)1982年
- 国立文楽劇場(大阪市中央区日本橋)1983年
- ベルリン日独センター(ドイツ・ベルリン)1988年
- 広島市現代美術館(広島県広島市)1989年
- 沖縄県庁舎(沖縄県那覇市泉崎)1990年
- 三起商行本社(大阪府八尾市)1991年
- 奈良市写真美術館(奈良県奈良市)1991年
- パシフィック・タワー(フランス・ラ・デファンス)1992年
- 和歌山県立近代美術館(和歌山県和歌山市)1994年
- 和歌山県立博物館(和歌山県和歌山市)1994年
- 愛媛県総合科学博物館(愛媛県新居浜市大生院)1994年
- 福井市美術館(アートラボふくい)(福井県福井市)1996年
- ソフトピアジャパンセンタービル(岐阜県大垣市)1996年
- クアラルンプール国際空港(マレーシア クアラルンプール)1998年
- 大阪府立国際会議場(大阪市北区中之島)2000年
- 福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)2000年
- 豊田スタジアム(愛知県豊田市)2001年
- 九州石油ドーム(大分県大分市)2001年
- 世知原温泉くにみの湯 山暖簾(長崎県佐世保市)2004年
- 長崎歴史文化博物館(長崎県長崎市)2005年
- 国立新美術館(東京都港区)2006年
以下年代不明
備考
1979年に開業した日本初のカプセルホテルを設計したのも、黒川である。
設計思想・評価
- 他の丹下研出身建築家と同様、「都市」について意識的な建築家である。実際、カザフスタン新首都計画なども手がけている。
- ポンピドゥ・センターコンペではドミノ1971を提案し、大阪府立国際会議場ではスーパードミノ2000を提案した。(GA JAPAN44)
主な著作
- 「日本まさに荒れなんとす」(C.W.ニコルと共著:2001年、致知出版社)
- 「Each One A Hero」(1997年、講談社インターナショナル)
- 「黒川紀章 - 都市デザインの思想と手法」(1996年、彰国社)
- 「新・共生の思想」(1996年、徳間書店)
- 「黒川紀章ノート」(1994年、同文書院)
- 「都市デザイン」(1994年、紀伊國屋書店)
- 「建築の詩」(1993年、毎日新聞社)
- 「黒川紀章作品集」(1992年、美術出版社)
- 「共生の思想 増補改訂」(1991年、徳間書店)
- 「花数寄」(1991年、彰国社)
- 「黒川紀章2 1978 - 1989」(1991年、鹿島出版会)
- 「建築論2」(1990年、鹿島出版会)
- 「新遊牧騎馬民族ノマドの時代 情報化社会のライフスタイル」(1989年、徳間書店)
- 「TOKYO大改造」(グループ2025と共著:1988年、徳間書店)
- 「共生の思想」(1987年、徳間書店)