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'''ウィキペディア'''('''Wikipedia''')とは[[インターネット]]上で作成、公開されている[[オープンコンテント]]方式の「多言語[[百科事典]]」を自称する[[ウェブサイト]]である。[[ウィキメディア財団]]の展開する最初の多言語[[プロジェクト]]である。
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{{WikipediaPage|ウィキペディアの簡単な紹介は[[Wikipedia:ウィキペディアについて]]を、新規参加者への総合案内は[[Wikipedia:ウィキペディアへようこそ]]をご覧ください。}}
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{{半保護}}
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{{移動保護}}
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{{Infobox オンライン情報源
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| サイト名=ウィキペディア
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| 画像=[[ファイル:Wikipedia-logo-v2.svg|100px|ウィキペディアのロゴマーク]]<br/>[[Wikipedia:ロゴとスローガン|ウィキペディアのロゴマーク]]
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| URL=全体のトップページ<br/>http://wikipedia.org/<br/>日本語版のトップページ<br/>http://ja.wikipedia.org/
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| タイプ=[[オンライン]]参加型[[百科事典]]
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| 分野=限定なし
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| 使用言語=282[[言語]]<ref name="List">[{{fullurl:Wikipedia:全言語版の統計|oldid=39428732}} Wikipedia:全言語版の統計(データ取得時刻:2011年10月1日)]より。</ref>
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| 項目数=全言語総計 (2011/11/12)<ref name="List"/><br/> 20,204,510記事<br/>日本語版(ほぼ最新)<br/> {{Srlink|Special:Statistics|{{NUMBEROFARTICLES}}}}記事
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| 閲覧=無料
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| 登録=任意
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| ライセンス=[[GFDL]] および [[クリエイティブ・コモンズ|CC]]-BY-SA
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| 運営=[[ウィキメディア財団]]
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| 資金=人々からの[[寄付]](''詳しくは「[http://wikimediafoundation.org/wiki/%E5%AF%84%E4%BB%98 寄付のページ]」を参照'')
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| 営利性=[[非営利]]
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| 設立=[[2001年]][[1月15日]]([[英語版ウィキペディア|英語版]])<!--日本語版などは諸説ありはっきりしない-->
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| 設立者=[[ジミー・ウェールズ]]<br/>[[ラリー・サンガー]]
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| 現代表=[[マイケル・スノウ]](2008年7月より)
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| 執筆者=不特定多数の[[匿名]]の執筆者
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| 編集委員=なし
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| 査読=なし
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| 現状=記事数増加中<ref name="New">[http://ja.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Newpages&limit=500&offset=0 新しいページ]では、日本語版に投稿される新着記事の一覧を見ることができる。一時間に何本、というペースで新規記事が投稿されている。</ref>
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}}
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[[ファイル:Www.wikipedia.org screenshot.png|多言語百科事典ウィキペディア|right|thumb|200px|ウィキペディアのトップページ。]]
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'''ウィキペディア'''('''Wikipedia''')は、[[ウィキメディア財団]]が運営する[[インターネット百科事典]]。すなわち、今閲覧しているこの百科事典のこと。[[コピーレフト]][[ライセンス#著作物全般の利用許諾のライセンス|ライセンス]]の下、誰もが無料で自由に[[編集]]に参加できる。世界各地の[[言語]]で展開されている。
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「ウィキペディア (Wikipedia)」という名前は、ウェブブラウザ上でウェブページを編集することができる「[[ウィキ]]」(wiki) というシステムを使用した「[[百科事典]]」(encyclopedia) であることに由来する造語。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
Wikipedia(ウィキペディア)という名前はウィキペディアが使用している[[ソフトウェア]]である「'''Wiki''' ([[ウィキ]])」と、[[百科事典]]を意味する英語「'''encyclopedia'''(エンサイクロペディア)」から合成されたものである。執筆・編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点に特徴がある。
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専門家によるオンライン百科事典プロジェクト[[Nupedia]](ヌーペディア)を前身として[[2001年]]1月、[[ラリー・サンガー]] (Larry Sanger) と[[ジミー・ウェールズ]](Jimmy Donal "Jimbo" Wales)により英語でプロジェクトが開始された。ウェブサイトには[[広告]]は一切掲載せず、資金的には個人や団体などからの[[寄付]]により運営している。
  
しかし誰もが自由に参加できるため、情報の精度・[[信憑性]]は必ずしも保証されるものではない。特に政治や宗教、価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいては[[編集合戦]]がしばしば起こる。また、時には個人や団体に対する[[名誉毀損]]を目的としたゴシップや根も葉もない嘘の投稿が見過ごされ、しばらく訂正されないこともある。そしてそれとは逆に、その対象項目にとって都合の悪いファクターを不当に排除してしまうという事も同様にある。そんな中[[2005年]]度末には[[ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争]]が起こった。
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記事の自由な複製・改変を認める「[[GNU Free Documentation License|GFDL]]」というコピーレフトなライセンスと[[インターネット]]を通じ自由に文章の編集が行える[[ウィキ]]システムを採用し、誰もが新規記事の執筆や既存の記事の編集を行えるようになっている。
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編集への参加に関しては一切無料であり、[[アカウント]][[匿名]]で可)を取得することが推奨されるが、なくても参加できる。参加者の共同作業で記事は日々追加・更新される。記事のジャンルは幅広く、一般の百科事典にはない項目(トピック)も多い。インターネットのニュースでも、ウィキペディアが参考資料として紹介されることもあり<ref name="asciii20061031"/>、[[大本営発表]]的になりがちな人物や団体などの[[公式ウェブサイト|公式サイト]]に比べ、“様々な観点を公正に扱う”という記述の方針により中立的で、詳細かつ網羅的な情報を知ることができるということから「調べ物」という目的で利用するインターネットユーザーも多い<ref name="asciii20061031">『[[週刊アスキー]]』 2006年10月31日号</ref><ref name="name">[http://japan.internet.com/research/20061219/1.html 閲覧経験は7割近く、オンライン百科事典ウィキペディア]([http://japan.internet.com/ Japan.internet.com] 2006年12月19日 16:10)</ref>。
  
日本版の利用者数は2005年2月には221万人。[[2006年]]3月には700万人に成長している(もっとも複数アカウントとかは考慮していない)。日本版のユーザーの3%は英語版へ頻繁に訪問している。英語版は1416万人である。日本語版の詳細については、[[ウィキペディア日本語版]]を参照。
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しかし専門家による[[査読]]がなく、不特定多数の利用者が投稿するというシステムゆえに、情報の信頼性や公正さなどは保証されておらず({{Srlink|Wikipedia:免責事項}})、{{Srlink|Wikipedia:基本方針とガイドライン|ウィキペディアの方針}}に沿わない{{Srlink|Wikipedia:利用者|利用者}}の編集により問題が起こることもあり、いくつかの問題や課題も指摘されている<ref name="ca1676">[http://current.ndl.go.jp/ca1676 CA1676 - ウィキペディアにおける情報の質(IQ)向上の仕組み / 石澤文]([http://current.ndl.go.jp/ca1676 カレントアウェアネス・ポータル]No.298 2008年12月20日)</ref>(''詳細は[[#問題点]]の節を参照'')。
  
== 実態 ==
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== 活動の規模 ==
前述されているようにウィキペディアの記述の多くに間違いがあるにもかかわらず一向に改善されていない。また、正しく記述がなされた記事が無知な者に改変されて結果的に誤った記事になってしまう面も存在するがこれもやはり改善がないままとなっており、この現状を前にしてもウィキペディアの運営者達は御用メディアを使って「ウィキペディアの信頼性はブリタニカに匹敵する」等というネオコンと同レベルの明らかな大嘘の[[プロパガンダ]]を垂れ流し続けている。ミドルベリー大学の史学部ではウィキペディアの記述を鵜呑みにした学生が誤答を繰り返し続けている事が問題視されウィキペディアからの引用が禁止される等、各地でウィキペディアの信頼性の無さが指摘されている。そして、悪質なユーザーによって平然と誤った記述が数ある中、新しめの記事にはやたら「要出典」を求められる。これは「出典」を公式ルールにしている事を悪用した記事を自身のいいように編集をするための善良な利用者に対する騙しであって、いきなり削除を行った場合の苦情を考えた削除狙いの典拠要求であり、出典がなければそのまま削除、出典を示されたら著作権侵害と攻撃するのである。'''今更改良しても意味がなく、最早'''手遅れ'''である(「~~という意見もある」「~~という見方もある」「~~と言われている」の記載は認めるべきではなかろうか) 。
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[[2001年]][[1月15日]]に[[英語版ウィキペディア|英語版]]が発足、その後多くの[[言語]]へ展開し、[[2010年]]8月30日現在、273言語で執筆が行われている。ただしこのうち継続的な活動が行われ1000項目以上に達しているものは、190言語ほどである。ウィキペディアは多言語展開に力を入れており、常に新しい言語プロジェクトが立ち上げられてきたが、初期には比較的簡単にそれが行われていたために、参加者が集まらない・いなくなった、などの理由で閉鎖されたり凍結されたプロジェクトもある。現在では、新たな言語でウィキペディアを設立する前に[[incubator:|ウィキメディア・インキュベーター]]というサイト内で試験運用を行うことになっており、2010年8月現在で約300言語の「試験版ウィキペディア」がある。
  
ウィキペディアは表向きには著作物の無断転載を禁止しているが、「著作権侵害」と見做されるのは文章の構成が他人の著作物と丸々同じ記述だけである。段落等、文章の構成を少し変えた物に関しては「'''事実の列記だ'''」等と言い逃れして管理者達は一切取り締まらない為、外部から問題視されている。何故このような問題が起きるかと言うと、ウィキペディアの編集者の殆どがまともな知識を有していない為、外部からの[[パクリ]]をある程度黙認しなければウィキペディアの記事数が全く増えなくなってしまうという事が背景にある。
+
2010年8月現在、約270の言語版の記事数の総計は1600万以上に上り、最も多い英語版が約340万件、英語を除く諸言語版の合計が約1320万件となっている。また[[Alexa.com]] の全インターネットを対象とする[[アクセス]][[ランキング]]では、20位以内に入っている。
  
さらに公的な方針として「ウィキペディアは演説場所ではありません」や「ウィキペディアは戦いの場ではありません」等という標語を掲げているが実態は罵詈雑言のオンパレードで日夜、骨肉の中傷合戦が繰り広げられている。このように憎悪に満ちた場所なので青少年にとってウィキペディアの閲覧は教育上、悪影響を及ぼすと見られる。悪影響だけですめばまだ良いがそういう方針がますます荒しを生み出すというのを馬鹿管理者は分からずいつも同じミスを繰返す為、荒しの撲滅はまともな管理者に一掃しない限り100%無理である。しかしこれまでこういったウィキペディアの「暗部」はウィキペディアが必ずしもメジャーとは言い難い微妙なライン(言うなればマイナーとメジャーの中間地点)に居た為かあまり表に出て来る事は無かったが、某所の調査によれば利用者の増加とともにそういった負の側面に対するユーザーの認識もより深まっているような調査結果が出ている。そしてそれはユーザーの増加に比例してより顕在化していく事が予測される。
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活動規模が最も大きい英語版では1300万のアカウントが登録されている。しかし、アカウント登録なしで編集に参加できることと、作成されたアカウントの数割が実際には使用されないことから、正確な利用者数は把握できない。すべての言語版を合わせると2500万を越えるアカウントが作成されているものの、言語版ごとに重複してカウントされているため、これも実際の執筆者数とは関係ない。データベース・ファイルを分析したエーリック・ザクテ (Erik Zachte) の統計によれば、5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来[[2004年]][[12月30日]]までで3万2000人強とされるが、この統計でも未登録ユーザーの活動量が未集計のほか、古いバージョンの[[ソフトウェア]]を用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。
  
管理者は意見が合わないウィキペディアンを追放するが、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、自作自演したウィキペディアンが別人を装うことである。それは、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」ということである。実際、それで追放されたウィキペディアンが復帰した例がある。
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参加者が何らかの編集・投稿を行い、データベースへ保存した回数を参考にすると、プロジェクト発足以来、9億回以上の編集・投稿が行われてきたことになる(これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある)。
  
改竄不可能な「中立的な論点」もあるが、意味を成していない。また日本語版のみコピーライトメディアの使用が出来ないが、ウィキペディア関係のみはできるのも矛盾している。
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==統計==
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ウィキペディアに関する統計については、[[Wikipedia:全言語版の統計]]を参照。当該記事は随時更新されている。
  
まさにアンサイクロペディアの「専門家気取り」という表現がぴったりである。
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またAlexa.com の統計によれば、wikipedia.org の閲覧数のうち 60% 前後が英語版へのアクセスである。日本語版、[[スペイン語版ウィキペディア|スペイン語版]]、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]へのアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他言語版の規模の差は、プロジェクトの進展とともに漸進的に埋まりつつある。英語版の項目数と、2位以下の言語版の項目数合計を比較すると、かつては10位までを合計してようやく英語版に並んだものが、2007年1月には2位から5位までの4プロジェクト合計と等しくなっている。現在英語を含む35の言語が10万項目以上を保有している。ただしこの中には[[ヴォラピュク版ウィキペディア|ヴォラピュク版]]のように、注目を集めることを目的として、ほとんど内容のない粗末な記事を、プログラム (bot) を使って数万項目も濫造しているところもある。
  
== 活動の規模 ==
+
== 主な特徴 ==
[[2001年]][[1月15日]]に[[英語版ウィキペディア|英語版]]が発足、その後多くの[[言語]]へ展開し、2007年1月1日現在、250言語で執筆が行われている。ただしこのうち継続的な活動が行われ100項目以上に達しているものは、180言語ほどである。ウィキペディアは多言語展開に力を入れており、つねに新しい言語プロジェクトに開かれてきた。現在は、まだ存在しない言語版を新規に立ち上げるには数名の参加者がいれば可能である。
+
既存の百科事典や他の類似のプロジェクトと比較した場合、ウィキペディアには次のような特徴がある。
  
項目は2007年1月現在、英語版で160万件近く、英語を除く他の諸言語の版で約450万件以上の記事が執筆されている。また[[Alexa.com]]の全インターネットを対象とする[[アクセス]][[ランキング]]では、20位以内に入っている。
+
* 従来、専門家によって監修、編集される百科事典を一般のインターネット利用者が匿名で編集できるようにしていること。参加者の資格制限などを行っていないため、[[年齢]][[職業]][[国籍]]などの点で多様な執筆者が[[ボランティア]]で編集に関わるが、これは百科事典の開発プロジェクトとしては革命的なことであった。
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* [[コピーレフト]]用のライセンス[[GNU Free Documentation License|GFDL]]を採った[[オープンコンテント]]方式を採用し参加者によって投稿された内容を、複製・配布・改変することが容易にできる。ただ、GFDLが課す複雑な制約や、GFDL自体の排他性のため、厳密にライセンスに従った利用は難しい(''{{Srlink|Wikipedia:著作権#投稿者の権利が限定される場合}}を参照'')。
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* [[ウィキ]]システムを採用し、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の[[ウェブブラウザ|ブラウザ]]を使い誰もがいつでも簡単に執筆、編集できるプロジェクトであること。
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* 投稿履歴が公開されており、いつ誰がどのような編集をしたかが把握できるようになっている。
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* 利用者間の議論はなされるが、その全ては[[百科事典]]の作成を目的にしていること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である[[電子掲示板|掲示板]]や [[ネットニュース]](USENET)などと異なっている。
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* 立候補や推薦で選ばれた{{Srlink|Wikipedia:管理者|管理者}}は一般ユーザーに行使できない機能(「ページの保護」や「投稿ブロック」など)を持つが、一般ユーザーの意見よりも管理者の意見の方が重要だとはみなされないこと。
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* 広告などによる商業的収入を持たず、寄付により運営されている。
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* ウィキメディア財団のスタッフなどの一部の者を除き、編集から運営・管理に至る人々の大部分がボランティアである。
  
活動規模がもっとも大きいのは、英語版である。登録ユーザー数ベースで執筆者を見ると、英語版だけで2万人を超える。Alexa.com の統計によれば、wikipedia.orgの閲覧数のうち60%前後が英語版へのアクセスである。日本語版、[[スペイン語版ウィキペディア|スペイン語版]]、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]へのアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他の言語版の規模の差は、プロジェクトの進展とともに漸進的に埋まりつつある。英語版の項目数と2位以下の言語版の項目数合計を比較すると、かつては10位までを合計してようやく英語版に並んだものが2007年1月には2位から5位までの4プロジェクト合計と等しくなっている。現在英語を含む14の言語が10万項目以上を保有している。
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== データベースのダウンロード ==
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ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDL の条件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。
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{{Main2|詳細な説明|Wikipedia:データベースダウンロード}}
  
執筆者についてはプロジェクト発足以来2005年3月現在、3万人を越える登録ユーザーがおり、うち数千人が現在も活発に活動していると推測される。登録のみで投稿を行わないユーザーがいる一方でユーザー登録をすることなく執筆に参加することができる仕組みになっているため、正確な執筆者数の把握は難しい。[[データベース]]・[[ファイル]]を分析したエーリック・ザクテ(Erik Zachte)の統計によれば5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来2004年12月30日までで3万2000人強とされるが、この統計でも未登録ユーザーの活動量が未集計の他、古いバージョンの[[ソフトウェア]]を用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。
+
== プロジェクトの運営形態 ==
  
参加者が何らかの編集、投稿を行いデータベースへ保存した回数を参考にすると、同じくザクテのデータからプロジェクト発足以来、185万回程度の編集、投稿が行われてきたことになる(これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある)。
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=== 資金===
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初期の頃は[[ジミー・ウェールズ]]およびインターネット会社 “[[Bomis]]”(ウェールズが以前CEO([[最高経営責任者]])を務めていた[[会社]])がプロジェクト に資金を提供していた。ウィキメディア財団が設立されて以降は、寄付金や外部の団体から無償提供された[[ハードウェア]]の占める割合が増えた。2004年以降、財団によるハードウェアの購入は全額寄付金によるものである。ウェールズが2004年からCEOを務める企業 “[[ウィキア|Wikia]]” からも帯域の経費などの資金援助がなされている。
  
== 主な特徴 ==
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=== 権限===
他の類似のプロジェクトと比較した場合、ウィキペディアには次のような特徴がある。
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言語版ごとに{{Srlink|Wikipedia:管理者|管理者}}がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限には{{Srlink|Wikipedia:削除の方針|ページの削除}}、{{Srlink|Wikipedia:保護の方針|ページの保護}}(管理者以外には編集できなくなる)、「{{Srlink|Wikipedia:荒らし|荒らし}}」とみなされたユーザーの{{Srlink|Wikipedia:投稿ブロックの方針|投稿ブロックの方針}}などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは、削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形を取らないことが多い。
  
* [[百科事典]]の作成に目標を限定していること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である[[掲示板]]や[[ネットニュース|USENET]]などと異なっている。
+
開発者権限や[[サーバ]]へのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されているが、基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。
* [[ウィキ]]を利用したプロジェクトであること。他の多くのウィキがそうであるように多くの利用者が簡単に執筆、編集できる仕組みになっている。つまり、使いやすいサイトなのである。ウィキペディアでは参加者の資格制限などを行っていないため年齢、職業、国籍などの点で多様な執筆者が参加する傾向にある。この点で、百科事典の開発プロジェクトとしては独特である。
+
* [[オープンコンテント]]方式を採用。参加者によって投稿された内容を[[コピーレフト]]用のライセンスの一種である[[GFDL]]の元に公開しており、複製・配布・改変などが容易にできると謳われている。しかし、GFDLが課す複雑な制約やGFDL自体の排他性のため、厳密にライセンスに従った利用は難しい。
+
  
== プロジェクトの運営形態 ==
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=== 意思決定===
ウィキペディアは比較的大規模なプロジェクトであり、運営方針や編集・執筆方針などについて多くの問題を抱えてもいる。編集・執筆のレベルでは非登録ユーザーを含む多くのユーザーに開かれているが同時にルールが一切存在しないわけではなく、またそうしたルールを定めるための意思決定が行われないわけでもない。
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====創始者ジミー・ウェールズの役割====
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{{Srlink|Wikipedia:中立的な観点|中立的な観点}}から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。また、ウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し、質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。
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ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーの[[アカウント]]を停止する場合には、彼の了承を得るようにとの要請があった(2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている)。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが積極的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。
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「ウィキペディアはウェールズを”寛大な独裁者”として戴く[[コミュニティ]]自治の集団である」、と形容されたり、ソフトウェア開発の[[モデル]]である「[[善意の独裁者]]」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアが常に編集可能であることにより、自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと述べている。
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==== メーリングリスト ====
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プロジェクト全体の問題は、公開の[[メーリングリスト]]で扱われる。基本的には全て[[英語]]で、ごく稀に[[フランス語]]などが混ざる。議題には、各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。また[[アーカイブ]]はインターネット上で公開されている。
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ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。
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==== メタ・ウィキメディア ====
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{{Srlink|Wikipedia:メタウィキメディア|メタ・ウィキメディア}}とは[[ウィキメディア財団]](後述)のプロジェクト全体を扱う[[ウェブサイト]]であり、メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などは、このメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。
  
* プロジェクトはその初期[[ジミー・ウェールズ]]およびインターネット会社・[[Bomis]]によって資金を提供されていた。Bomisは彼が以前[[最高経営責任者]]を務めていた[[会社]]である。後に財団が設立されてからは、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。運営団体によるハードウェアの購入は[[2004年]]以降、全額寄付金に依存している。ウェールズが2004年からCEOを務める企業・[[Wikia]]からも帯域の経費などの資金援助がなされている。
+
==== トークページでの議論====
* 記事が中立的な観点から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。またウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。
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執筆方針については、項目名の付け方、フォーマットや表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので、各言語によって異なる。また、これらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的には、これらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるからでもある。
* ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーの[[アカウント]]を停止する場合には彼の了承を得るようにとの要請があった(2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている)。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが中心的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。
+
* ソフトウェア開発の[[モデル]]である「[[善意]]の[[独裁者]]」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアがつねに編集可能であることにより自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと発言している。
+
* 開発者権限や[[サーバ]]へのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されている。ただしこの[[プロセス]]も基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。
+
* プロジェクト全体の問題は、公開の[[メーリングリスト]]で扱われる。基本的には全て英語で、ごく稀にフランス語などが混ざる。議題には各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。またアーカイヴは[[ウェブ]]上で公開されている。
+
* ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。
+
* またメタ・ウィキメディアという、[[ウィキメディア財団]](後述)のプロジェクト全体を扱うウェブサイトがある。メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などはこのメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。
+
* 各言語版毎に管理者がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限にはページの削除、ページの保護(管理者以外には編集できなくなる)、「荒らし」とみなされたユーザーの書き込み禁止などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形をとらないことが多い。ただし、たとえば前述の「ページの保護」に関してはその性質上管理者がその項目に対し特定の方向性を有した意見を無条件で「保護」するかたちとなってしまいウィキペディアの本来の絶対的原則「中立的な観点」を最重視する方針と往々にして[[矛盾]]が生じ、また特定のユーザーへの書き込み禁止も元来の「荒らし」対策という事だけでなくシステムの裏面としてその時点でその項目の編集に参加している参加者や関係者の意に沿わない相手(ウィキペディアは[[2ちゃんねる]]と異なり匿名性は無いので簡単に特定が出来る)を意図はどうあれ(つまり、言い換えれば意図的に行う事も出来るという事である)結果的に締め出す事になる事も多々ある。このように、例えば「'''管理人は君臨すれども統治せず'''」というスタンスの[[2ちゃんねる]]とは対照的に事実上ウィキペディアというHPを管理者(およびそれに酷似・追随する思考を有する常連的投稿者)の独裁空間へとたらしめている事実は否めない。
+
* 執筆方針については項目名の付け方、[[フォーマット]]や表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので各言語によって異なる。またこれらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的にはこれらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるためでもある。
+
* 記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的に[[Wikipedia:ノートページ|ノートページ]]での話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの1つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。
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* ただし項目の性質、特に人間(投稿者・管理者だけでなく、もっと広義的な意味合い)の好悪・嗜好・所属・社会的立場に関わるような属性であった場合、ウィキペディアの性質上明らかに管理者や関係者による偶発的もしくは意図的に不当かつ一方的な擁護(またはその逆)がしばしば行われる時がありそれが往々にして記事内容の偏りを発生させてしまいその他ウィキペディアというHPにおいて様々な「問題」(論争、罵倒、誹謗中傷)が発生する大きな要因となっている。
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== 2ちゃんねるとの関連性 ==
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記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的に{{Srlink|Help:ノートページ|トークページ}}での話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの一つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。
* ウィキペディアを編集する[[ウィキペディアン]]には[[2ちゃんねる]]との関連性も決して浅くはないとされている。なぜならウィキペディアで保護されているページの大半は[[2ちゃんねらー]]が敵視している(叩いてて面白い)対象であることが多いからである。そういったページの大半は、2ちゃんねるネタが多く、左寄りである。最早2ちゃんねる内で叩くことだけでは満足できない2ちゃんねらー達がウィキペディアに書き込んでいるようだ。
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* しかし、肝心の2ちゃんねるや2ちゃんねる関連の項目は大半が都合の良いことしか書かれておらず、問題点を書き込んでも削除されるといった右寄り思考のページが多い。また2ちゃんねる関連の記事を編集するウィキペディアンは都合が悪くなると'''記事を削除、保護依頼をする、独自研究や要出典のテンプレートを乱立させ真実を書き込ませない'''といった暴挙に出るのも特徴である。
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* 要は中立的な記事を書くためのウィキペディアを司る機能が裏目に出た結果、こういった悪質2ちゃんねらーによりウィキペディアは中立的も糞もない過剰なまでの'''2ちゃんねる賛美'''をするための百科事典となってしまったと言えよう。
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* [[池田信夫]]は記事の編集合戦の酷い様を「'''2ちゃんねる化するウィキペディア'''」と揶揄した。
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== 主要人物 ==
 
== 主要人物 ==
ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者などを強調しない傾向にありコミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。
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[[ファイル:Jimbo-wales---fosdem-2005-modified-version.jpg|right|thumb|150px|'''[[ジミー・ウェールズ]]''' ウィキペディアの創始者。愛称はジンボ。[[1966年]]生まれ現在[[アメリカ合衆国|アメリカ]] の[[フロリダ州]]在住。妻と娘が一人おり、父親としての顔も持つ。]]
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ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者、などを強調しない傾向にあり、コミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。
  
特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、[[ラリー・サンガー]]とジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者でありラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数ヶ月の間、賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「[[Nupedia]](ヌーペディア)」の編集主幹も勤めた。
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その中でも特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、[[ラリー・サンガー]]とジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者である。
  
ウェールズはプロジェクトの出資者であり、発足当初からサーバやインターネット・[[トラフィック]]の料金を支払ってきた。ウィキペディアは彼を「寛大な独裁者」として戴く[[コミュニティ]]自治の集団であると形容されることがある。項目の中立性の方針など、ごく一部の件については議論の余地なく重要かつ不変のプロジェクトの方針であるとウェールズは宣言している。また、登録ユーザーのアクセス禁止処分の決定についても彼が最終的な判断を下すとしている。これは英語版で特に顕著であり、ユーザーのみの決定によるアクセス禁止は最長で1年とされている。
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===ジミー・ウェールズ===
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{{Main|ジミー・ウェールズ}}
  
ウェールズはインターネット関連会社・Bomisの前最高経営責任者(CEO)である。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にも[[ティム・シェル]](同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事)や[[プログラマ]]の[[ジェイソン・リッチー]](後に退社、現・Wikia)、[[トアン・ヴォー]]がいる。
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ジミー・ウェールズはインターネット関連会社 “Bomis” の前最高経営責任者 (CEO) であり、ウィキペディア発足当初からプロジェクトの出資者であり、サーバやインターネット・トラフィック(通信量)の料金などを支払ってきた。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にも[[ティム・シェル]](同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事)や、[[プログラマ]]の[[ジェイソン・リッチー]](後に退社、現Wikia)、[[トアン・ヴォー]]がいる。
  
[[2006年]]10月にウェールズはプロジェクトの運営母体・ウィキメディア財団]]事長の職を辞し終身名誉理事長となり、後任として[[フロランス・ドゥヴアール]]が理事長に就任した。
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2006年10月にウェールズはプロジェクトの運営母体[[ウィキメディア財団]]理事長の職を退いて終身名誉理事長となり、後任として[[フロランス・ドゥヴアール]]が理事長に就任した。フロランスは任期の切れる2008年6月の理事選挙に立候補せず、翌7月に理事を退任するとともに理事長の席を[[:en:Michael Snow (attorney)|マイケル・スノウ]]に譲った(''理事会メンバーについては[[meta:理事会]]参照'')
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===ラリー・サンガー===
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{{Main|ラリー・サンガー}}
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ラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数か月の間、“Bomis”から賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「[[Nupedia]](ヌーペディア)」の編集主幹も勤めた。2003年の初め、景気の低迷により支払い能力をなくした、“Bomis” 社からサンガーは解雇され「Nupedia」は2004年に活動を停止した。
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2007年4月、サンガーは専門家だけが編集できる新たなオンライン百科事典『シチズンディウム([[Citizendium]])』を創設した <!-- 閲覧には会員登録が必要となったので、出典としては不適切→ <ref> [http://www.chosunonline.com/article/20070415000020 【萬物相】ウィキペディア ] (Chosun Online 『[[朝鮮日報]]』 2007年4月15日 17:04:37)</ref>--><ref name="cnetjapan20070425">[http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20347796,00.htm ラリー・サンガー氏が語る--今のWikipedia、未来のCitizendium]([http://japan.cnet.com/ CNET Japan] 2007年4月25日)</ref><ref name="computerworld20070425">[http://www.computerworld.jp/news/sw/63072.html 「Wikipediaの権威失墜。それがCitizendiumを作った理由だ」ラリー・サンガー氏、古巣のWikipediaと新・百科事典サイトについて語る]([http://www.computerworld.jp/ Computerworld.jp] 2007年4月25日8:00)</ref>
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
 
=== 発足の経緯 ===
 
=== 発足の経緯 ===
ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー(Larry Sanger)と[[コンピュータ]]・プログラマ[[ベン・コヴィッツ]](Ben Kovitz)が[[2001年]]1月2日に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で行った会話に端を発するとされる。
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ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー (Larry Sanger) と[[コンピュータ]]・[[プログラマ]]、[[ベン・コヴィッツ]] (Ben Kovitz) が[[2001年]][[1月2日]]に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で行った会話に端を発するとされる。
  
ウィキウィキウェブのインターフェースを積極的に使っていたコヴィッツは当時常連であり、夕食の席でその基本的な[[コンセプト]]をサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数ヶ月の間、サンガーと彼の上司である[[有限会社]]・BomisのCEO[[ジンボ・ウェールズ|ジミー・ウェールズ]](Jimmy Wales)はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて討議を重ねていた。
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[[ウィキ|ウィキウィキ]]ウェブの[[インタフェース (情報技術)|インターフェース]]を積極的に使っていたコヴィッツは当時 [http://www.c2.com/cgi/wiki?WelcomeVisitors Ward's Wiki] の常連であり、夕食の席でその基本的な[[概念|コンセプト]]をサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数か月の間、サンガーと彼の上司、[[有限会社]] “Bomis” の CEO [[ジンボ・ウェールズ|ジミー・ウェールズ]] (Jimmy Wales) はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて討議を重ねていた。
  
サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考えウェールズを説得し、1月10日にはヌーペディアにウィキが登場することになった。
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サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考え、ウェールズを説得し、同年[[1月10日]]にはヌーペディアにウィキが登場することになった。
  
しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対してはヌーペディアの執筆者と査読者から強硬な反対意見があったため「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレスである wikipedia.comにて[[1月15日]]から開始することになった。
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しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対しては、ヌーペディアの執筆者と査読者から強硬な反対意見があったため、「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレス([[Uniform Resource Locator|URL]])である wikipedia.com にて同年[[1月15日]]から開始することになった。
  
[[コンピュータ・ネットワーク|ネットワーク]]帯域と、サンディエゴに設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月までサンガーはNupediaの主幹編集員兼ウィキペディアの非公式管理人としてBomisに雇われていた。資金の枯渇から[[2002年]]3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。
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[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]帯域と、[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]に設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月まで、サンガーは Nupedia の主幹編集員兼ウィキペディアの非公式管理人として “Bomis” に雇われていた。資金の枯渇から、2002年3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。
  
 
=== 拡大とその契機 ===
 
=== 拡大とその契機 ===
プロジェクトは参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの尺度においても増加する傾向にあり、増加のペースも高まる傾向にある。この主な要因として[[メディア (媒体)|メディア]]や多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、[[サーチエンジン]]への掲載などが挙げられる。特に顕著なものとして、次のものが挙げられる。
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プロジェクトは、参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの尺度においても増加する傾向にあり、増加のペースも高まる傾向にある。この主な要因として、[[マスメディア]]や多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、[[サーチエンジン]]への掲載などが挙げられる。特に顕著なものとして、次のものが挙げられる。
  
* 技術情報ウェブサイト[[スラッシュドット]]での紹介(2001年[[3月5日]]、[[5月30日]]、2003年[[1月24日]])
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* 技術情報ウェブサイト[[スラッシュドット]]での紹介(2001年[[3月5日]]、[[5月30日]]、2003年1月24日)
 
* 参加型技術情報・カルチャーウェブサイト [[Kuro5hin]](2001年[[6月26日]])での紹介
 
* 参加型技術情報・カルチャーウェブサイト [[Kuro5hin]](2001年[[6月26日]])での紹介
  
投稿の内、特に大規模なものにアメリカ合衆国の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ("Ram-Man")が2002年10月、「[[ボット]]」(あるいは「[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]」)を稼働させて[[国勢調査]]のデータから自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。
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投稿の内、特に大規模なものに、[[アメリカ合衆国]]の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ ("Ram-Man") が[[2002年]]10月、「[[インターネットボット]]」(あるいは「[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]」)を稼働させて[[国勢調査]]のデータから、自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。
  
[[多言語]]化に乗り出したのは2001年5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに執筆が盛んになったわけではない。
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[[多言語]]化に乗り出したのは2001年の5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した
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<ref>ウィキペディアのメーリングリスト、wikipedia-lのアーカイブより
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* 2001年5月11日分には[[カタルーニャ語|カタロニア語]]、[[中国語]]、[[エスペラント]]、仏語、[[ドイツ語]]、[[ヘブライ語]]、[[イタリア語]]、[[日本語]]、[[ポルトガル語]]、[[スペイン語]]、[[ロシア語]]の名前があがっている。[http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2001-May/000116.html Wikipedia-l new language wikis Jason Richey Fri May 11 22:27:37 UTC 2001]
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* ラリー・サンガー (Larry Sanger) が新設wikiに書き込みを行ったと報告している。[http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2001-May/000135.html Wikipedia-l Re: new language wikis Larry Sanger Fri May 18 10:08:07 UTC 2001]
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* スペイン語wikiに言及がある。[http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2001-May/000148.html Wikipedia-l International Wikipedias are growing! Larry Sanger Tue May 29 12:33:15 UTC 2001]</ref>。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに執筆が盛んになったわけではない。
  
2002年12月、姉妹プロジェクトである [[Wiktionary|ウィクショナリー]](Wiktionary)が創設された。これは、多言語の[[辞書]]と[[シソーラス]]を制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。翌[[2003年]]に本や教科書の作成プロジェクトである[[ウィキブックス]](Wikibooks)、箴言集である[[ウィキクォート]](Wikiquote)なども発足した。
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2002年12月、姉妹プロジェクトである[[ウィクショナリー]] (Wiktionary) が創設された。これは、多言語の[[辞書]]と[[シソーラス]]を制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。翌2003年に、本や教科書の作成プロジェクトである[[ウィキブックス]] (Wikibooks) 、箴言集(しんげんしゅう)である[[ウィキクォート]] (Wikiquote) なども発足した。
  
 
これらのプロジェクトは、しばしば[[ウィキメディア財団|ウィキメディア]]プロジェクトと総称される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加傾向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。
 
これらのプロジェクトは、しばしば[[ウィキメディア財団|ウィキメディア]]プロジェクトと総称される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加傾向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。
  
 
=== ソフトウェア及びハードウェア ===
 
=== ソフトウェア及びハードウェア ===
[[ハードウェア]]は、発足当初はBomisのサーバを間借りする形であった。ソフトウェアはクリフォード・アダムズによる[[UseModWiki]]を用いていた。
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[[ハードウェア]]は、発足当初は、“Bomis” のサーバを間借りする形であった。ソフトウェアは、クリフォード・アダムズによる [[UseModWiki]] を用いていた。
  
2002年1月、英語版とプロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトであるメタ・ウィキペディアが実験的に[[PHP Hypertext Preprocessor|PHP]]と[[MySQL]]によるソフトウェアに移行した。これは参加者の1人・Magnus Manskeによって制作されたもの。同年7月にウィキペディア専用のサーバ([[コードネーム]]"pliny")が導入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経て新しいバージョンが運用され始めた(同じくPHPとMySQLの組み合わせによるもの)。活動が盛んな他言語版も、徐々に専用サーバへ移動していくことになった。2003年1月には、[[m:ヘルプ:数式の書き方|TeXの数学記号]]が導入された。コードの作成者は参加者の1人のTaw。
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2002年1月、英語版と、プロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトである[[:m:Main Page|メタ・ウィキメディア]]が実験的に [[PHP: Hypertext Preprocessor|PHP]] と [[MySQL]] によるソフトウェアに移行した。これは参加者の一人 Magnus Manske によって制作されたもの。同年7月にウィキペディア専用のサーバ([[コードネーム]]"pliny")が導入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経て新しいバージョンが運用され始めた(同じく PHP と MySQL の組み合わせによるもの)。活動が盛んな他言語版も、徐々に専用サーバへ移動していくことになった。[[2003年]]1月には、[[m:ヘルプ:数式の書き方|TeXの数学記号]]が導入された。コードの作成者は参加者の一人の Taw。
  
2003年5月半ば頃よりもう1台専用のサーバが導入された。コードネームは"larousse"。これは英語版のウェブサーバとして用いられた(データベース部分は、従来通り専用サーバによって担当される)。Bomisのサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて徐々にplinyへ移行した。ソフトウェアの処理が効率化され、サーバへの負担が軽くなった時点で、larousseは全言語版のウェブサーバとして稼動する計画もある。
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2003年5月半ば頃よりもう1台専用のサーバが導入された。コードネームは"larousse"。これは英語版のウェブサーバとして用いられた(データベース部分は、従来通り専用サーバによって担当される)。“Bomis” のサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて徐々に pliny へ移行した。<!--ソフトウェアの処理が効率化され、サーバへの負担が軽くなった時点で、larousseは全言語版のウェブサーバとして稼動する計画もある。-->
  
その後、プロジェクトの拡大によりサーバは順次増強されていった。ほとんどが個人からの寄付を財源として購入されたが、一部は企業や団体からの貸与によっている。
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その後、プロジェクトの拡大により、サーバは順次増強されていった。ほとんどが個人からの寄付を財源として購入されたが、一部は企業や団体からの貸与によっている。
  
 
現在のサーバ構成については[[m:ウィキメディアのサーバ]](メタ・ウィキメディア)に詳述されている。
 
現在のサーバ構成については[[m:ウィキメディアのサーバ]](メタ・ウィキメディア)に詳述されている。
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<!-- Kennisnet, Yahoo Seoul -->
  
 
=== 分裂、論争 ===
 
=== 分裂、論争 ===
2002年2月、それまでEdgar+Enyedy Edgar Enyedyを中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクト[[エンサイクロペディア・リブレ]]の立ち上げを宣言した(Enciclopedia Libreは[[セビリア大学]]にある)。宣言は、離脱の理由として商業広告の危惧とコントロールの欠如を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー("maveric149")他の参加者がウィキペディア復帰へ向けて交渉、説得を行ったが、復帰提案が完成する前にエンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。
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<!--ここは再編の必要があるのじゃないかと。。-->
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[[2002年]]2月、それまで [http://enciclopedia.us.es/wiki.phtml?title=Edgar+Enyedy Edgar Enyedy] を中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクト[[エンサイクロペディア・リブレ]]の立ち上げを宣言した(Enciclopedia Libreは[[セビリア大学]]にある[http://enciclopedia.us.es/ enciclopedia.us.es])。宣言は、離脱の理由として商業[[広告]]の危惧とコントロールの欠如を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー ("maveric149") 他の参加者が、ウィキペディア復帰へ向けて交渉、説得を行ったが、復帰提案が完成する前に、エンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。
  
エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し交流を維持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが独立したままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。
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エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し、交流を維持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが、独立したままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。
  
また、プロジェクトはたびたび記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりする荒らしに見舞われた。通常、そういった荒らしによる荒らし行為は参加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メインページは管理者のみが更新できるよう保護措置がとられた。
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また、プロジェクトはたびたび、記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりする荒らしに見舞われた。通常、そういった荒らしによる荒らし行為は参加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが、英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メインページは管理者のみが更新できるよう保護措置がとられた。
  
2002年3月、「24」というユーザー(この名前は彼の[[IPアドレス]]にちなむ)が特別に左傾的かつ物議を醸す編集をし始めた。白熱した議論は何人かに「恐怖」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々が侮辱と個人攻撃を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月にジンボ・ウェールズは24をサイトから排除した。ドイツの歴史に関して右傾的で物議を醸す編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の執筆者達の多くに抗議を受けた「Helga」は再びメーリングリストにおいて話し合いが行われた結果、2002年9月に排除された。
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[[ファイル:Wikipedia scale of justice.png|thumb|right|200px|The Wikipedia is governed by the impartiality.]]
  
2003年11月、[[ロシア語版ウィキペディア]]でライセンス形態についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分裂が起こった。この分裂はウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交流が薄いことやロシア語を解するユーザが少ないことなどから、2004年10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分裂だけでなくこのように事態の把握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的展開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされている。
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2002年3月、「24」というユーザー(この名前は彼の[[IPアドレス]]にちなむ)が、[[左翼|左傾]]的かつ物議を醸す編集をし始めた。白熱した議論は、何人かに「恐怖」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々が侮辱と個人攻撃を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月、ジンボ・ウェールズは24をウィキペディアから排除した。また、ドイツの歴史に関して[[右翼|右傾]]的で物議を醸す編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の執筆者達の多くに抗議を受けた利用者「Helga」は、メーリングリストにおいて話し合いが行われた結果、2002年9月に排除された。
  
2005年12月には英語版ウィキペディアでとある[[ジャーナリスト]][[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]暗殺事件の首謀者とされる嘘の投稿がされ、この記事が1週間掲載され問題となった([[ジョン・シーゲンソーラー・ウィキペディア経歴論争]])。この嘘の投稿を行った者は冗談のつもりで行ったと話しているがこのことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により当該投稿者は仕事を辞めることとなった。これにより英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の執筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対抗するためのシステムを構築することになった。
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[[2003年]]11月、[[ロシア語版ウィキペディア]]でライセンス形態についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分裂が起こった。この分裂は、ウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交流が薄いことや、ロシア語を解するユーザが少ないことなどから、[[2004年]]10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分裂だけでなくこのように事態の把握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的展開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされている。
  
2006年には著名人の項目をその人自らが修正するケースがあり、日本語版でも[[西和彦]]の項目が当人と思われる人物が積極的に記事を編集して議論となった為に保護されることとなった。またライバル相手の記事を編集したりする場合もあり、アメリカでは選挙の際に議員がライバル議員の項目に対し誹謗中傷を行っていたことが発覚、アメリカ議会からの編集に対し制限する措置がとられた。
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[[2005年]]12月には英語版ウィキペディアで、とある[[ジャーナリスト]]が[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]暗殺事件の首謀者とされる嘘の投稿がされ、この記事は4か月の間掲載され、それに気づいた本人がジミー・ウェールズに、記事の是正を要請した(''詳細は[[ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争]]を参照'')<ref>[http://opentechpress.jp/opensource/opensource/article.pl?sid=06/08/07/095236 Wikimedia議長、「Wikipedia」の路線転換を宣言──質の向上に軸足を]([http://osdn.jp/ OSDN] 2006年8月7日)</ref>。この嘘の投稿を行った者は冗談のつもりで行ったと話しているが、このことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により当該投稿者は仕事を辞めることとなった。これにより、英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の執筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対抗するためのシステムを構築することになった。
  
2007年1月には英語版ウィキペディアで、[[マイクロソフト]]がとある人物に対し「報酬を支払うからマイクロソフトの項目を修正してほしい」と打診していたことが発覚。マイクロソフト側も「ウィキペディアで相違していると思われる記述があり、修正してもらいたかった」と認め、謝罪した。
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[[2006年]]には、著名人の項目をその人自らが修正するケースがあり、日本語版でも[[西和彦]]の項目を当人と思われる人物が積極的に編集して議論となった為に保護されることとなった<ref>[http://www.j-cast.com/2006/11/30004064.html ウィキペディア編集方針 西和彦がモーレツ批判」]( [http://www.j-cast.com/ J-CASTニュース] 2006年11月30日)</ref>。また、アメリカでは選挙の際に議員がライバル相手の記事を編集したりする場合もあり<ref>[http://mainichi.jp/select/world/america/archive/news/2008/12/16/20081216ddm012030137000c.html 米大統領選:現地メディアは/下 ウェブが変えた、市民は巨大な発信者]{{リンク切れ|date=2009年5月}}(『[[毎日新聞]]』 2008年12月16日 東京朝刊)</ref>、[[アメリカ合衆国議会]]からの編集に対し制限をかす措置がとられた。
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2007年1月には英語版ウィキペディアで、[[マイクロソフト]]がとある人物に対し「報酬を支払うからマイクロソフトの項目を修正してほしい」と打診していたことが発覚<ref>[http://www.computerworld.jp/news/trd/56769.html Wikipediaで報酬付きの記事修正依頼が発覚――依頼元のマイクロソフトは「不正確な記事」と釈明 (2007年01月25日)]([http://www.computerworld.jp/ computerworld.jp]) </ref>。マイクロソフト側も「ウィキペディアで相違していると思われる記述があり、修正してもらいたかった」と認め、謝罪した。
  
 
=== 非営利化と非営利法人化 ===
 
=== 非営利化と非営利法人化 ===
2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアの[[URL]]は''wikipedia.com''から''wikipedia.org''に変更された。
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2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアの[[URL]]は wikipedia.com から wikipedia.org に変更された。
  
2003年[[6月20日]]、プロジェクトに法人格を与えるべくウィキメディア財団(Wikimedia Foundation, Inc.)が設立された旨がアナウンスされた。ウィキメディア財団は[[フロリダ州]]法に基き、フロリダ州[[タンパ]]を本拠地とする非営利法人である。
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2003年6月20日、プロジェクトに[[権利能力|法人格]]を与えるべく、[[ウィキメディア財団]] (Wikimedia Foundation, Inc.) が設立されたことが公表された。[http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikipedia-l/2003-June/010690.html] ウィキメディア財団は[[フロリダ州]]法に基き、フロリダ州[[タンパ]]を本拠地とする[[非営利団体]]である。
  
=== ウィキペディアの今後 ===
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=== 運営と展開 ===
アメリカ合衆国ではウィキペディアのサーバの負担が深刻な問題となっている。ウィキプロジェクトによって生み出されているデータファイルは加速度的に増加しており、近い将来プロジェクトは破綻を来たすことを心配するものもいる。現実的な対処としては利用者から課金することが挙げられた。財団発足ののち、財団の会員として希望者から年会費を徴収しこれを運営資金に充てるという構想が発表されたが、現状での導入の見通しは不透明である。
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2003年頃から、ウィキペディアのサーバに関する費用負担は深刻な問題として認識されるようになってきたため、プロジェクト参加者の間で運営資金がたびたび論じられるようになった。当時現実的な対処として考えられたのは、利用者からの課金・各種助成金の申請・寄付による収益の拡充などであった。2003年頃から2005年にかけてこれらの問題が集中的に論じられたが、結果として、課金は見送り、寄付を主な財源とすることが合意された。これは2004年以降数度にわたって繰り返された数週間の寄付キャンペーンがいずれも成功を収めたことが大きい。また2005年4月には[[アメリカ合衆国内国歳入庁]]により運営団体である[[ウィキメディア財団]]に501(c)(3) 資格が与えられ、米国での免税資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免税が認められた。また2004年末にはウィキペディアは米国他で[[商標]]登録された。他企業などによる商標使用権は今後の有力な財源として認識されている。
  
運営資金を公共教育を対象とする各種助成に頼ることも検討されている。情報媒体としてのウィキペディアに関する関心は高く、ウェールズは2004年夏には[[国際連合|国連]]からの招待を受けて関係者に対してウィキペディアについての講演を行なっている。こうした状況の中で財団が運営資金としての助成を申請し、それを主要な財源のひとつとすることも検討されている。また、2005年現在でウィキペディアを含む姉妹プロジェクトに関して2つの公益団体から合計5万ドル規模の助成が申し入れが行なわれており、これらは一部は直接の運営経費に充てられている。
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2005年から2006年の年頭にかけてウィキペディアの閲覧者は飛躍的に増加し、インターネット全体のアクセスランキングで20位以内、2007年にはいってからは10位以内に常に位置する人気サイトとなった。このため社会に対する露出度も増し、広報・法務などの体制の強化が「[[ウィキメディア財団]]」および各言語コミュニティにおいて計られている。
  
また欧米の他の非営利団体と同様、寄付による収益も大きな財源である。これは随時受け付けている寄付のほかに、四半期ごとに予算に対して不足する額への支援を求めるという形で行なわれている。年単位ではないのはプロジェクトの成長規模が大きく、年単位での経費予測が事実上不可能であることにも起因する。2005年4月にはアメリカ合衆国で内国歳入庁により501(c)(3)資格が与えられ、米国での免税資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免税が認められた。
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ウィキペディアのいくつかの言語版には[[コンパクトディスク|CD]]や[[DVD]]も出されている。もっとも早く出版されたのはドイツ語版ウィキペディアで2004年10月にディレクトメディア社から当時のドイツ語版をほぼ完全収録したCDが出版された。ドイツ語版はその後ほぼ毎年改訂版DVDが出され、ウィキメディア・ドイツ協会の主要な財源となっている。他、英語版・フランス語版・ポーランド語版でウィキペディアの抜粋がDVDで出されている。
  
2005年6月現在、アメリカ合衆国の母団体であるウィキメディア財団のほかドイツ、フランス、イタリアの3国に地方支部があり、うちドイツ支部へのドイツ国内からの寄付は免税となっている。恒常的な寄付を前提に、寄付への免税措置を目的とした支援団体として地方支部の設立が各地で検討されている。こうした国にはオランダ、ルーマニア、ポーランドなどがある。
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ウィキペディアの内容はデータベースから定期的にダンプファイルにまとめられ、誰でも無料で[[ダウンロード]]できる。一方ライブフィードは有償で提供しており、[[goo]]を運営する[[NTTレゾナント]]や[[:en:Answers.com|Answers.com]]などが財団の顧客となっている。
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{{See|#データベースのダウンロード}}
  
ウィキペディアの運営者達は「利用者が増えれば増えるほど記事の品質は向上する」と考えていたが、実際には品質が低下し続ける一方である。数少ないまともな記事も悪質な利用者によって支離滅裂な記述が書き加えられたり、またその逆の例として前述の管理者が一部の投稿者グループと共に特定の項目(例:企業、漫画、アニメ、ゲーム)に肩入れし、それに対するネガティヴな意見(この場合は充分に裏が取れる信憑性があるものと仮定)をその権限を用いシャットアウトしてしまったりまたその正反対の否定的に書かれている項目に対し(あくまで事実に基づいた)フォローを入れられないようにしてしまうといった数々の横暴、強引に何かの宣伝が書き加えられたりする事が頻発しており、今やウィキペディアは「'''悪貨は良貨を駆逐する'''」という言葉の見本になっている。また素行の悪い利用者がウィキペディア内だけでなく、外部サイトにも迷惑をかける等といった問題も発生しておりネット社会のスラム街とでも言うべき惨状に陥っている。
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そして米国時間[[2007年]][[10月9日]]、「ウィキメディア財団」は、長らく活動の本拠地としていた[[フロリダ州]]から[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]に移転することを発表した。移転作業は[[2008年]]1月の末に行われる。
  
元来ウィキペディアには建前通りの「百科事典」としての一面とまた多目的・多話題対応型フリーBBSとしての一面があり、これらは本質的にダブルスタンダード、二律背反の関係にある。つまり、前者としての属性を重視すれば各々の項目に対し本当に必要最低限の事しか書けずわざわざ自由に参加者を募り思い思いにそれぞれの項目についての情報を書き込めるという、ウィキペディア最大の特徴とセールスポイントが無意味化する事になり逆に後者としての属性を重視すれば項目ごとに管理者や投稿者や価値観や知識、思惑が錯綜し合いその結果「百科事典」としての体裁・実質が失われてしまう事態に陥ってしまう事になり、現状は特にそういった傾向が目立つようである。
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移転先をカリフォルニア州[[サンフランシスコ]]に決定した理由として、「ウィキメディア財団」のリリース<ref>[http://wikimediafoundation.org/wiki/Press_releases/Relocation Wikipedia to Relocate to San Francisco](英文)</ref>では「サンフランシスコは特にアジアに近く、「ウィキメディア財団」がアジアのボランティアや潜在的なパートナーと強固な関係を結ぶことが期待できる」と説明している。
  
今までは利用者がそれ程多くは無かった為にそういう自己矛盾による弊害は無視出来る程度のものであったが、現時点においても管理者やおもな投稿人(常連的[[ウィキペディアン]])の横暴や悪意、または善悪思惑・意思の関係ない部分としてのかれらの人的能力etcといった諸々の問題点ゆえか遺恨が基になっている荒らしやそれと関係ない所でのシステムの不備や項目に対する処理・整理等々の対応の不全さを批判する声など、様々な問題が徐々に析出・表層化している。そして今後なおウィキペディアというHPの知名度が上がり益々人の耳目が集まり行く事はまず間違いなく、そしてそうなっていけば現状只でさえ前述の自己矛盾やこういった様々な問題を完全に処理しきれているとは決して言えない状況である事を鑑みれば、今後益々システムの破綻と混迷化が進行する事は自明の理である。
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[[2008年]]3月、ウィキペディア全体の総項目数が1000万件を突破した<ref>[http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20370504,00.htm 「ウィキペディア」の項目総数が1000万件を突破](CNET Japan 2008年3月31日 19:36 )</ref>。
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[[2008年]]9月、ドイツの大手出版社Wissen Media Verlag傘下のBertelsmann Lexikon Institut社が、ウィキペディアのドイツ語版(5万項目収録)を世界で初めて紙[[メディア (媒体)|媒体]]として出版した<ref>[http://current.ndl.go.jp/node/9123 独の出版大手、Wikipediaのドイツ語版を紙媒体で発行 ]([http://current.ndl.go.jp/ カレントアウェアネス・ポータル])</ref>。
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== 問題点 ==
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=== 記事の信頼性 ===
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2005年に科学誌『[[ネイチャー]]』が英語版ウィキペディアと[[ブリタニカ百科事典]]の科学用語について42項目を比較したところ、間違・欠落が英語版ウィキペディアには162点、ブリタニカには123点が指摘された。<ref>[http://wiredvision.jp/archives/200512/2005121902.html 『ネイチャー』誌、ウィキペディアの正確さを評価](WIRED VISION、NAP通信 2005年12月19日)</ref><ref>ただし、ブリタニカは64点で反論している。また調査は無効だという指摘がある。出典:ピエール・アスリーヌ/〔ほか〕著 佐々木勉/訳 『ウィキペディア革命 そこで何が起きているのか?』岩波書店の第2章「判定の判断-ネイチャー誌調査の真実」</ref>のを初め、ウィキペディアの記事の精度は高いとした複数の研究結果がある<ref name="ca1676"/>一方で、記事に対する査読制度がないため、問題ある記述はコミュニティーの自己管理により解決されることに委ねられている<ref name="wiredvision20050113">[http://wiredvision.jp/archives/200501/2005011305.html 拡大するフリー百科事典『ウィキペディア』の課題]([http://wiredvision.jp/archives/200501/2005011305.html WIRED VISION]Daniel Terdiman 2005年01月13日)</ref>。問題のある投稿が他の利用者によって修正・除去がなされるまでは一時的であっても適切でない記述が公開され、問題が長期間見逃されたり、後述する{{Srlink|Wikipedia:編集合戦|編集合戦}}により編集できない場合に問題のある記事が長らく修正・除去できないという問題もある(<small>ただし、法的な問題の場合は{{Srlink|Wikipedia:管理者|管理者}}が対処する</small>)。
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[[アメリカ合衆国|米国]]では、学術研究の出典としてウィキペディアの記事を引用した学生が、その内容が史実と異なっていたため落第点をとったとして、ウィキペディアの創設者[[ジミー・ウェールズ]]に苦情を寄せたという事例がある<ref>[http://japan.cnet.com/blog/staff/2006/06/19/entry_post_67/ ウィキペディアの創設者、学術研究のための引用を止めるよう訴えかける]([http://cnetnetworks.jp/ シーネットネットワークスジャパンサービス]2006年6月19日 16:55閲覧)</ref>。これを機に、ジミー・ウェールズはウィキペディアを学術研究の出典として利用するのを止めるよう訴えた。大学機関のいくつかは学生たちにレポート課題においてウィキペディアを引用することを禁止している。また、[[ディベート]]などの正確性の求められる競技などではウィキペディアの情報は用いられていない。
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ラリー・サンガーは新しい百科事典プロジェクトを始めた理由は「ウィキペディアの権威が失墜したからだ」としており<ref name="computerworld20070425"/>、「ウィキペディアのコミュニティはウィキペディアを信頼できるものに変える準備ができていない」旨を述べている<ref name="cnetjapan20070425"/>。
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=== 法律に関わる問題 ===
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==== 名誉毀損 ====
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時に個人や団体に対して、[[プライバシー]]に関わることを書いたり、真偽の不明確なゴシップ([[噂]])を断定的に書いたりすることで、本人や当団体から抗議を受けることがこれまであった。
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また他の利用者が気づかずに訂正されなかった意図的な嘘の投稿に対して書かれた個人が抗議したこともあった(''[[ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争]]を参照'')。
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==== 著作権侵害 ====
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[[著作権法]]や{{Srlink|Wikipedia:著作権|著作権についてのウィキペディアの方針}}に対する理解不足から、記事を書く際に書籍やネット上の文章をそのままコピーした文章が投稿されることがある。これに対しては{{Srlink|Wikipedia:削除の方針#著作権侵害への対処方法|著作権侵害への対処}}として削除の手続きが取られる。
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==== 犯罪予告 ====
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2008年4月、米国において、[[英語版ウィキペディア]]に殺害予告を書き込んだことによる逮捕者が出ている<ref>[http://abcdane.net/blog/archives/200804/wiki_hschool_yokoku.html 米ウィキペディアを使ってアジア人生徒ら殺人予告 オマケ)ファーギー「パーティ・ピープル」ビデオ]</ref>。ウィキペディア日本語版でも対象を明記した[[犯罪予告|爆破予告]]や殺傷予告などの書き込みが報じられている。2008年4月24日、同年4月26日([[北京オリンピック]]聖火リレーの当日)の[[長野駅]]への爆破予告が書き込まれ、インターネット上のニュース<ref>[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/25/news051.html Wikipediaに『長野駅破壊する』と犯行予告 長野県警が捜査] [[ITmedia]]、2008年4月25日。</ref>や[[読売新聞]](同年4月25日付夕刊)でも報道された。
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また、2008年12月22日には、翌日の天皇誕生日一般参賀にて皇居を破壊し天皇皇后並びに入場者を殺害するとの予告が書き込まれた。なお、2008年・2009年の2年間の間に10件の犯罪予告があり、3人の逮捕者が出ている<ref>[http://www.geocities.jp/mylibraries_2ch/ja_wikipedia-yokoku.html 【アンチ犯罪予告!!】フリー百科事典Wikipediaにおける事件簿]</ref>。
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==== 責任の所在 ====
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ウィキペディアは編集責任を負う組織を設けておらず、少数の[[ボランティア]]グループが問題を解決するための窓口となっている。{{Main2|ウィキペディアに関するお問い合わせ|Wikipedia:連絡先}}
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==== 国家・企業などの団体からの編集による問題 ====
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{{Wikinews|日本の中央官庁で職員がウィキペディアに書き込み}}
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ウィキペディアのアクセス数が増えて有名になるにつれ、企業や公共団体などの様々な組織に属するネットワークからの編集によってそれらの団体に都合よく記事を書き替えたものと疑われるようなものが見出されるようになり、一部はニュースとして報じられることもあった。また、IPアドレスから投稿した企業や政府機関などを解析する検索ツール、[[WikiScanner]]の登場により、こういった編集はさらに発見されやすくなっている。
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こういった編集(「改竄行為」と見て糾弾されることもある)の中で、主だったものを以下に挙げる(''その他の編集事例については、[[WikiScanner #話題となった主な編集|こちら]]を参照'')。
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* [[朝日新聞]] - 「ウィキペディア」の不利益情報、楽天証券社内から削除 2006年8月30日
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* 朝日新聞 - ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も 2007年9月8日
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* [[産経新聞]] - ウィキペディア“編集合戦” 加筆・修正に意見対立 2007年9月5日
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なお、勤務時間中に職場のPCからWikipediaの編集や閲覧を行った場合、懲戒処分の対象になるケースもある<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090313108.html 勤務中に「ウィキペディア」の市職員減俸]([[スポニチ]]、2009年03月13日)</ref>。
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==== 政府による検閲 ====
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[[中華人民共和国]]では、[[六四天安門事件]]についての記事が存在するウィキペディアに対する接続規制が[[2008年]]夏まで行われていた。
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{{Main|中国大陸におけるWikipediaへのアクセス封鎖|中国のネット検閲}}
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=== Wikipedia内での問題 ===
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==== 編集合戦 ====
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政治や宗教、価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいては{{Srlink|Wikipedia:編集合戦|編集合戦}}が起こり、議論による解決のため一時的に{{Srlink|Wikipedia:保護|保護}}(記事の編集ができない)の状態におかれる。編集方針についてなかなか合意に至らないことで間違いや偏りのある記述が長い間修正できないという事態に至ることもある。
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==== 荒らし ====
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時として悪意を持って虚偽の情報を記載したり、不適切な言葉を書き連ねたり、ページを白紙化するなどのいたずら・{{Srlink|Wikipedia:荒らし|荒らし}}的投稿がなされる。個人や団体などについての虚偽の情報が余計な騒動をもたらすこともある<ref>[http://www.afpbb.com/article/1424862 ウィキペディアで亡くなってしまったコメディアン - 米国]([http://www.afpbb.com/ AFP BB News])</ref>。
  
 
== 先行事例 ==
 
== 先行事例 ==
百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは[[H・G・ウェルズ]]の短編小説『[[世界の頭脳]]』([[1937年]])や[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]のマイクロフィルムを使った未来のシステム[[Memex]](論文"As We May Think"([[1945年]]))に見ることができる。
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百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは、[[H・G・ウェルズ]]の著書『[[世界の頭脳]]』([[1938年]])や[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]のマイクロフィルムを使った未来のシステム[[Memex]](論文"As We May Think"([[1945年]]))に見ることができる。
  
[[インターネット]]を使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは[[1990年代]]の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典を[[デジタル]]化しようというプロジェクトが挙げられる。[[1995年]]の1月、[[プロジェクト・グーテンベルク]]は[[1911年]]に出版された[[ブリタニカ百科事典]]の11版を[[American Standard Code for Information Interchange|ASCII]]テキストにするという活動を開始した。しかし、第1巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。[[2002年]]に、28巻全てのASCIIテキストは他から1911encyclopediaで公開された。同様の試みとして、[[イーストン聖書辞典|イーストン聖書辞典(1897年)]]がChristian Classics Ethereal Libraryにおいてデジタル化されている。
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[[インターネット]]を使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは[[1990年代]]の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典を[[デジタル]]化しようというプロジェクトが挙げられる。[[1995年]]の1月、[[プロジェクト・グーテンベルク]]は[[1911年]]に出版された[[ブリタニカ百科事典]]の11版を [[ASCII]] テキストにするという活動を開始した。しかし、第一巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。[[2002年]]に、28 巻全ての ASCII テキストは他から [http://1911encyclopedia.org/ 1911encyclopedia] で公開された。同様の試みとして、[[イーストン聖書辞典|イーストン聖書辞典(1897年)]]が [http://www.ccel.org/e/easton/ebd/ Christian Classics Ethereal Library] においてデジタル化されている。
  
他のよりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。[[1991年]]、[[usenet]]の<tt>alt.fan.douglas-adams</tt>ニュースグループの参加者達が[[ダグラス・アダムス]]の著作の中に登場する架空の百科事典[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]を実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる[[Project Galactic Guide]]へと発展した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guideは1,700以上の記事を保有しているが、[[2000年]]以降記事の追加は停止状態にある。
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他の、よりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。[[1991年]]、[[usenet]] の <tt>alt.fan.douglas-adams</tt> ニュースグループの参加者達が[[ダグラス・アダムス]]の著作の中に登場する架空の百科事典[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]を実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる [[Project Galactic Guide]] へと発展した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guide は 1,700 以上の記事を保有しているが、[[2000年]]以降記事の追加は停止状態にある。
  
[[1993年]]には、[[インターペディア]]と呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これはウェブの爆発的な成長と、精度の高いサーチエンジンの登場のため実行に移されないままに終わった。
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[[1993年]]には、[[インターペディア]]と呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これは、[[World Wide Web|ウェブ]]の爆発的な成長と、精度の高い[[検索エンジン]]の登場のため、実行に移されないままに終わった。
  
 
== 姉妹プロジェクト ==
 
== 姉妹プロジェクト ==
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{{See also|Wikipedia:ウィキメディア・プロジェクト}}
 
2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには<sup>*</sup>を冠した(運営文書を除く)。
 
2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには<sup>*</sup>を冠した(運営文書を除く)。
* [[ウィクショナリー]]<sup>*</sup> フリーの辞書プロジェクト
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* [[ウィクショナリー]]<sup>*</sup> フリーの[[辞書]]プロジェクト
* [[ウィキブックス]]<sup>*</sup> フリーの教科書プロジェクト
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* [[ウィキブックス]]<sup>*</sup> フリーの[[教科書]]プロジェクト
 
* [[ウィキクォート]]<sup>*</sup> フリーの引用の百科事典
 
* [[ウィキクォート]]<sup>*</sup> フリーの引用の百科事典
 
* [[ウィキソース]]<sup>*</sup> [[パブリックドメイン]]か[[GFDL]]で提供された様々な言語のソーステキストの倉庫
 
* [[ウィキソース]]<sup>*</sup> [[パブリックドメイン]]か[[GFDL]]で提供された様々な言語のソーステキストの倉庫
* [[ウィキメディア・コモンズ]] フリーである画像・音声などの共用資源。パブリックドメインGFDLだけでなく、[[クリエイティブ・コモンズ]]・ライセンスなど、商用利用を許すフリーライセンスによるデータの受け入れも行なっている
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* [[ウィキメディア・コモンズ]] フリーである画像・音声などの共用資源。パブリックドメインGFDLだけでなく、[[クリエイティブ・コモンズ]]・ライセンスなど、商用利用を許すフリーライセンスによるデータの受け入れも行なっている。
 
* [[ウィキスピーシーズ]] フリーの生物種データベース
 
* [[ウィキスピーシーズ]] フリーの生物種データベース
 
* [[ウィキニュース]]<sup>*</sup> フリーのニュースサイト
 
* [[ウィキニュース]]<sup>*</sup> フリーのニュースサイト
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== 類似のプロジェクト ==
 
== 類似のプロジェクト ==
 
ウィキペディアと比較されるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。
 
ウィキペディアと比較されるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。
* [[Nupedia]]は、専門家の査読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。
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; [[Nupedia]]
* [[Everything2]]はより広い分野をカバーしているハイパーテクスト型のエッセイ集で、百科事典の構築を目指すものではない。また、Everithing2のコンテンツは[[コピーレフト]]ライセンスを使用していない。
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:専門家の査読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。
* [[H2G2]]はDouglas Adams'sの''The Hitchhiker's Guide to the Galaxy''からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。
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; [[Everything2]]
* [[スカラーペディア]]は2006年にスタートした[[査読]]制度つきのオンライン百科事典プロジェクト。執筆はすべて実名による。現在、[[計算神経科学]]、[[力学系]]、[[コンピュータ知能]]の3つの分野を対象としており、各分野の第一線の研究者が執筆者として参加している。2007年4月現在、記事数は87本。
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:より広い分野をカバーしている[[ハイパーテキスト]]型のエッセイ集で、百科事典の構築を目指すものではない。また、Everything2 のコンテンツは[[コピーレフト]]ライセンスを使用していない。
 
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; [[H2G2]],
== データベースのダウンロード ==
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:Douglas Adams's の ''The Hitchhiker's Guide to the Galaxy'' からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。
ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDLの条件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。より詳細な説明は[[Wikipedia:データベースダウンロード]]のページにある。
+
; [[スカラーペディア]]
 +
:2006年にスタートした[[査読]]制度つきのオンライン百科事典プロジェクト。執筆はすべて実名による。現在[[計算神経科学]]、[[力学系]]、[[コンピュータ知能]]の三つの分野を対象としており、各分野の第一線の研究者が執筆者として参加している。2007年4月現在、記事数は87本。
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; [[Citizendium]]
 +
:2007年3月27日に設立したオンライン百科事典プロジェクト。記事の信憑性という問題を解決する狙いとして、執筆者は履歴審査を伴う実名登録が必要、管理者は25歳以上限定など、記事の質を高めるための制約を課している。
 +
; [[はてなのサービス一覧#はてなキーワード|はてなキーワード]]
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:言葉の要点が簡潔にわかるようなキーワード集。[[はてなのサービス一覧#はてなダイアリー|はてなダイアリー]]の日記を一定水準書いた利用者が編集できる。ウィキペディアの説明も見られる。
  
 
== パロディサイト ==
 
== パロディサイト ==
* [[アンサイクロペディア]] - [[2005年]]1月に英語版が、「wiki形式によるSPOV(風刺的な観点)を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアのパロディサイトである。
+
* [[アンサイクロペディア]] - [[2005年]]1月に英語版が、「ウィキ形式によるSPOV(風刺的な観点)を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアの[[パロディ]]サイトである。
  
== 出典 ==
+
== 関連書籍 ==
<div class="references-small" style="-moz-column-count:2; column-count:2;">
+
*『[[ウィキペディア完全活用ガイド|Wikipedia 完全活用ガイド-世界最大のインターネット百科事典を徹底的に使いこなす!-]]』2006年12月31日、吉沢英明([[利用者:Diagraph01]]) ISBN 978-4-903491-16-5
<references/>
+
 
</div>
+
== 参考資料 ==
 +
* [http://www.wikipedia.org/wikistats/JA/Sitemap.htm エーリック・ザクテによるウィキペディア統計]
 +
* ソフトウェア及びハードウェアの部分は[http://www.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=Talk:Wikipedia&oldid=1346455 英語版、Talk:Wikipediaのページ]のBrion Vibberの説明による。
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== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
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{{reflist}}
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[ウィキペディアン]]
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* {{Srlink|Wikipedia:ウィキペディアについて}}
* [[ウィキペディア日本語版]]
+
* {{Srlink|Wikipedia:全言語版の統計}}
* [[ウィキペディア (企業)]] - 現在、この項目はウィキペディア(ウェブ事典)で不当な理由で白紙保護されており、ウィキペディアンの陰謀では無いかと言われている。
+
* [[ウィキペディアへの批判]]
* [[ベター・ウィキペディア]]
+
* [[ウィキアリティ]]
* [[Yourpedia]]
+
* [[MediaWiki]]
+
* [[ウィキペディアにおける勇者]]
+
  
[[Category:オンライン百科事典]]
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== 外部リンク ==
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{{Commons&cat|Wikipedia|Wikipedia}}
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;サイト
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<!--リンク切れ *[http://kaden.yahoo.co.jp/dict/?type=detail&id=5035 Wikipedia (ウィキペディア)(IT用語辞典)]([http://kaden.yahoo.co.jp/ Yahoo!Japan家電ナビ])-->
 +
*[http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25AD%25E3%2583%259A%25E3%2583%2587%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2/ ウィキペディア【うぃきぺでぃあ】]([http://www.iza.ne.jp/ izaβ版])
 +
*[http://d.hatena.ne.jp/keyword/Wikipedia Wikipedia]([http://d.hatena.ne.jp/keyword/ はてなキーワード])
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; ビデオ
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* [http://www.ted.com/talks/lang/jpn/jimmy_wales_on_the_birth_of_wikipedia.html ウィキペディアの誕生] - 創設者[[ジミー・ウェールズ]]によるウィキペディアの解説動画。2005年7月。[[TED (カンファレンス)|TEDカンファレンス]]{{ja icon}}
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ウィキペディアWikipedia)は、ウィキメディア財団が運営するインターネット百科事典。すなわち、今閲覧しているこの百科事典のこと。コピーレフトライセンスの下、誰もが無料で自由に編集に参加できる。世界各地の言語で展開されている。

「ウィキペディア (Wikipedia)」という名前は、ウェブブラウザ上でウェブページを編集することができる「ウィキ」(wiki) というシステムを使用した「百科事典」(encyclopedia) であることに由来する造語。

概要

専門家によるオンライン百科事典プロジェクトNupedia(ヌーペディア)を前身として2001年1月、ラリー・サンガー (Larry Sanger) とジミー・ウェールズ(Jimmy Donal "Jimbo" Wales)により英語でプロジェクトが開始された。ウェブサイトには広告は一切掲載せず、資金的には個人や団体などからの寄付により運営している。

記事の自由な複製・改変を認める「GFDL」というコピーレフトなライセンスとインターネットを通じ自由に文章の編集が行えるウィキシステムを採用し、誰もが新規記事の執筆や既存の記事の編集を行えるようになっている。 編集への参加に関しては一切無料であり、アカウント匿名で可)を取得することが推奨されるが、なくても参加できる。参加者の共同作業で記事は日々追加・更新される。記事のジャンルは幅広く、一般の百科事典にはない項目(トピック)も多い。インターネットのニュースでも、ウィキペディアが参考資料として紹介されることもあり[1]大本営発表的になりがちな人物や団体などの公式サイトに比べ、“様々な観点を公正に扱う”という記述の方針により中立的で、詳細かつ網羅的な情報を知ることができるということから「調べ物」という目的で利用するインターネットユーザーも多い[1][2]

しかし専門家による査読がなく、不特定多数の利用者が投稿するというシステムゆえに、情報の信頼性や公正さなどは保証されておらず(テンプレート:Srlink)、テンプレート:Srlinkに沿わないテンプレート:Srlinkの編集により問題が起こることもあり、いくつかの問題や課題も指摘されている[3]詳細は#問題点の節を参照)。

活動の規模

2001年1月15日英語版が発足、その後多くの言語へ展開し、2010年8月30日現在、273言語で執筆が行われている。ただしこのうち継続的な活動が行われ1000項目以上に達しているものは、190言語ほどである。ウィキペディアは多言語展開に力を入れており、常に新しい言語プロジェクトが立ち上げられてきたが、初期には比較的簡単にそれが行われていたために、参加者が集まらない・いなくなった、などの理由で閉鎖されたり凍結されたプロジェクトもある。現在では、新たな言語でウィキペディアを設立する前にウィキメディア・インキュベーターというサイト内で試験運用を行うことになっており、2010年8月現在で約300言語の「試験版ウィキペディア」がある。

2010年8月現在、約270の言語版の記事数の総計は1600万以上に上り、最も多い英語版が約340万件、英語を除く諸言語版の合計が約1320万件となっている。またAlexa.com の全インターネットを対象とするアクセスランキングでは、20位以内に入っている。

活動規模が最も大きい英語版では1300万のアカウントが登録されている。しかし、アカウント登録なしで編集に参加できることと、作成されたアカウントの数割が実際には使用されないことから、正確な利用者数は把握できない。すべての言語版を合わせると2500万を越えるアカウントが作成されているものの、言語版ごとに重複してカウントされているため、これも実際の執筆者数とは関係ない。データベース・ファイルを分析したエーリック・ザクテ (Erik Zachte) の統計によれば、5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来2004年12月30日までで3万2000人強とされるが、この統計でも未登録ユーザーの活動量が未集計のほか、古いバージョンのソフトウェアを用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。

参加者が何らかの編集・投稿を行い、データベースへ保存した回数を参考にすると、プロジェクト発足以来、9億回以上の編集・投稿が行われてきたことになる(これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある)。

統計

ウィキペディアに関する統計については、Wikipedia:全言語版の統計を参照。当該記事は随時更新されている。

またAlexa.com の統計によれば、wikipedia.org の閲覧数のうち 60% 前後が英語版へのアクセスである。日本語版、スペイン語版ドイツ語版へのアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他言語版の規模の差は、プロジェクトの進展とともに漸進的に埋まりつつある。英語版の項目数と、2位以下の言語版の項目数合計を比較すると、かつては10位までを合計してようやく英語版に並んだものが、2007年1月には2位から5位までの4プロジェクト合計と等しくなっている。現在英語を含む35の言語が10万項目以上を保有している。ただしこの中にはヴォラピュク版のように、注目を集めることを目的として、ほとんど内容のない粗末な記事を、プログラム (bot) を使って数万項目も濫造しているところもある。

主な特徴

既存の百科事典や他の類似のプロジェクトと比較した場合、ウィキペディアには次のような特徴がある。

  • 従来、専門家によって監修、編集される百科事典を一般のインターネット利用者が匿名で編集できるようにしていること。参加者の資格制限などを行っていないため、年齢職業国籍などの点で多様な執筆者がボランティアで編集に関わるが、これは百科事典の開発プロジェクトとしては革命的なことであった。
  • コピーレフト用のライセンスGFDLを採ったオープンコンテント方式を採用し参加者によって投稿された内容を、複製・配布・改変することが容易にできる。ただ、GFDLが課す複雑な制約や、GFDL自体の排他性のため、厳密にライセンスに従った利用は難しい(テンプレート:Srlinkを参照)。
  • ウィキシステムを採用し、パソコンブラウザを使い誰もがいつでも簡単に執筆、編集できるプロジェクトであること。
  • 投稿履歴が公開されており、いつ誰がどのような編集をしたかが把握できるようになっている。
  • 利用者間の議論はなされるが、その全ては百科事典の作成を目的にしていること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である掲示板ネットニュース(USENET)などと異なっている。
  • 立候補や推薦で選ばれたテンプレート:Srlinkは一般ユーザーに行使できない機能(「ページの保護」や「投稿ブロック」など)を持つが、一般ユーザーの意見よりも管理者の意見の方が重要だとはみなされないこと。
  • 広告などによる商業的収入を持たず、寄付により運営されている。
  • ウィキメディア財団のスタッフなどの一部の者を除き、編集から運営・管理に至る人々の大部分がボランティアである。

データベースのダウンロード

ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDL の条件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。

詳細な説明参照

プロジェクトの運営形態

資金

初期の頃はジミー・ウェールズおよびインターネット会社 “Bomis”(ウェールズが以前CEO(最高経営責任者)を務めていた会社)がプロジェクト に資金を提供していた。ウィキメディア財団が設立されて以降は、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。2004年以降、財団によるハードウェアの購入は全額寄付金によるものである。ウェールズが2004年からCEOを務める企業 “Wikia” からも帯域の経費などの資金援助がなされている。

権限

言語版ごとにテンプレート:Srlinkがおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限にはテンプレート:Srlinkテンプレート:Srlink(管理者以外には編集できなくなる)、「テンプレート:Srlink」とみなされたユーザーのテンプレート:Srlinkなどがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは、削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形を取らないことが多い。

開発者権限やサーバへのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されているが、基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。

意思決定

創始者ジミー・ウェールズの役割

テンプレート:Srlinkから書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。また、ウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し、質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。

ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーのアカウントを停止する場合には、彼の了承を得るようにとの要請があった(2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている)。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが積極的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。

「ウィキペディアはウェールズを”寛大な独裁者”として戴くコミュニティ自治の集団である」、と形容されたり、ソフトウェア開発のモデルである「善意の独裁者」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアが常に編集可能であることにより、自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと述べている。

メーリングリスト

プロジェクト全体の問題は、公開のメーリングリストで扱われる。基本的には全て英語で、ごく稀にフランス語などが混ざる。議題には、各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。またアーカイブはインターネット上で公開されている。

ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。

メタ・ウィキメディア

テンプレート:Srlinkとはウィキメディア財団(後述)のプロジェクト全体を扱うウェブサイトであり、メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などは、このメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。

トークページでの議論

執筆方針については、項目名の付け方、フォーマットや表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので、各言語によって異なる。また、これらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的には、これらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるからでもある。

記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的にテンプレート:Srlinkでの話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの一つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。

主要人物

ファイル:Jimbo-wales---fosdem-2005-modified-version.jpg
ジミー・ウェールズ ウィキペディアの創始者。愛称はジンボ。1966年生まれ現在アメリカフロリダ州在住。妻と娘が一人おり、父親としての顔も持つ。

ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者、などを強調しない傾向にあり、コミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。

その中でも特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、ラリー・サンガーとジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者である。

ジミー・ウェールズ

詳細は ジミー・ウェールズ を参照

ジミー・ウェールズはインターネット関連会社 “Bomis” の前最高経営責任者 (CEO) であり、ウィキペディア発足当初からプロジェクトの出資者であり、サーバやインターネット・トラフィック(通信量)の料金などを支払ってきた。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にもティム・シェル(同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事)や、プログラマジェイソン・リッチー(後に退社、現Wikia)、トアン・ヴォーがいる。

2006年10月にウェールズはプロジェクトの運営母体ウィキメディア財団理事長の職を退いて終身名誉理事長となり、後任としてフロランス・ドゥヴアールが理事長に就任した。フロランスは任期の切れる2008年6月の理事選挙に立候補せず、翌7月に理事を退任するとともに理事長の席をマイケル・スノウに譲った(理事会メンバーについてはmeta:理事会参照

ラリー・サンガー

詳細は ラリー・サンガー を参照

ラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数か月の間、“Bomis”から賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「Nupedia(ヌーペディア)」の編集主幹も勤めた。2003年の初め、景気の低迷により支払い能力をなくした、“Bomis” 社からサンガーは解雇され「Nupedia」は2004年に活動を停止した。

2007年4月、サンガーは専門家だけが編集できる新たなオンライン百科事典『シチズンディウム(Citizendium)』を創設した [4][5]

歴史

発足の経緯

ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー (Larry Sanger) とコンピュータプログラマベン・コヴィッツ (Ben Kovitz) が2001年1月2日カリフォルニア州サンディエゴで行った会話に端を発するとされる。

ウィキウィキウェブのインターフェースを積極的に使っていたコヴィッツは当時 Ward's Wiki の常連であり、夕食の席でその基本的なコンセプトをサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数か月の間、サンガーと彼の上司、有限会社 “Bomis” の CEO ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて討議を重ねていた。

サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考え、ウェールズを説得し、同年1月10日にはヌーペディアにウィキが登場することになった。

しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対しては、ヌーペディアの執筆者と査読者から強硬な反対意見があったため、「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレス(URL)である wikipedia.com にて同年1月15日から開始することになった。

ネットワーク帯域と、カリフォルニア州サンディエゴに設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月まで、サンガーは Nupedia の主幹編集員兼ウィキペディアの非公式管理人として “Bomis” に雇われていた。資金の枯渇から、2002年3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。

拡大とその契機

プロジェクトは、参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの尺度においても増加する傾向にあり、増加のペースも高まる傾向にある。この主な要因として、マスメディアや多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、サーチエンジンへの掲載などが挙げられる。特に顕著なものとして、次のものが挙げられる。

投稿の内、特に大規模なものに、アメリカ合衆国の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ ("Ram-Man") が2002年10月、「インターネットボット」(あるいは「プログラム」)を稼働させて国勢調査のデータから、自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。

多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した [6]。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに執筆が盛んになったわけではない。

2002年12月、姉妹プロジェクトであるウィクショナリー (Wiktionary) が創設された。これは、多言語の辞書シソーラスを制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。翌2003年に、本や教科書の作成プロジェクトであるウィキブックス (Wikibooks) 、箴言集(しんげんしゅう)であるウィキクォート (Wikiquote) なども発足した。

これらのプロジェクトは、しばしばウィキメディアプロジェクトと総称される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加傾向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。

ソフトウェア及びハードウェア

ハードウェアは、発足当初は、“Bomis” のサーバを間借りする形であった。ソフトウェアは、クリフォード・アダムズによる UseModWiki を用いていた。

2002年1月、英語版と、プロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトであるメタ・ウィキメディアが実験的に PHPMySQL によるソフトウェアに移行した。これは参加者の一人 Magnus Manske によって制作されたもの。同年7月にウィキペディア専用のサーバ(コードネーム"pliny")が導入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経て新しいバージョンが運用され始めた(同じく PHP と MySQL の組み合わせによるもの)。活動が盛んな他言語版も、徐々に専用サーバへ移動していくことになった。2003年1月には、TeXの数学記号が導入された。コードの作成者は参加者の一人の Taw。

2003年5月半ば頃よりもう1台専用のサーバが導入された。コードネームは"larousse"。これは英語版のウェブサーバとして用いられた(データベース部分は、従来通り専用サーバによって担当される)。“Bomis” のサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて徐々に pliny へ移行した。

その後、プロジェクトの拡大により、サーバは順次増強されていった。ほとんどが個人からの寄付を財源として購入されたが、一部は企業や団体からの貸与によっている。

現在のサーバ構成についてはm:ウィキメディアのサーバ(メタ・ウィキメディア)に詳述されている。

分裂、論争

2002年2月、それまで Edgar Enyedy を中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクトエンサイクロペディア・リブレの立ち上げを宣言した(Enciclopedia Libreはセビリア大学にあるenciclopedia.us.es)。宣言は、離脱の理由として商業広告の危惧とコントロールの欠如を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー ("maveric149") 他の参加者が、ウィキペディア復帰へ向けて交渉、説得を行ったが、復帰提案が完成する前に、エンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。

エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し、交流を維持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが、独立したままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。

また、プロジェクトはたびたび、記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりする荒らしに見舞われた。通常、そういった荒らしによる荒らし行為は参加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが、英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メインページは管理者のみが更新できるよう保護措置がとられた。

ファイル:Wikipedia scale of justice.png
The Wikipedia is governed by the impartiality.

2002年3月、「24」というユーザー(この名前は彼のIPアドレスにちなむ)が、左傾的かつ物議を醸す編集をし始めた。白熱した議論は、何人かに「恐怖」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々が侮辱と個人攻撃を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月、ジンボ・ウェールズは24をウィキペディアから排除した。また、ドイツの歴史に関して右傾的で物議を醸す編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の執筆者達の多くに抗議を受けた利用者「Helga」は、メーリングリストにおいて話し合いが行われた結果、2002年9月に排除された。

2003年11月、ロシア語版ウィキペディアでライセンス形態についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分裂が起こった。この分裂は、ウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交流が薄いことや、ロシア語を解するユーザが少ないことなどから、2004年10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分裂だけでなくこのように事態の把握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的展開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされている。

2005年12月には英語版ウィキペディアで、とあるジャーナリストケネディ暗殺事件の首謀者とされる嘘の投稿がされ、この記事は4か月の間掲載され、それに気づいた本人がジミー・ウェールズに、記事の是正を要請した(詳細はジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争を参照[7]。この嘘の投稿を行った者は冗談のつもりで行ったと話しているが、このことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により当該投稿者は仕事を辞めることとなった。これにより、英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の執筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対抗するためのシステムを構築することになった。

2006年には、著名人の項目をその人自らが修正するケースがあり、日本語版でも西和彦の項目を当人と思われる人物が積極的に編集して議論となった為に保護されることとなった[8]。また、アメリカでは選挙の際に議員がライバル相手の記事を編集したりする場合もあり[9]アメリカ合衆国議会からの編集に対し制限をかす措置がとられた。 2007年1月には英語版ウィキペディアで、マイクロソフトがとある人物に対し「報酬を支払うからマイクロソフトの項目を修正してほしい」と打診していたことが発覚[10]。マイクロソフト側も「ウィキペディアで相違していると思われる記述があり、修正してもらいたかった」と認め、謝罪した。

非営利化と非営利法人化

2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアのURLは wikipedia.com から wikipedia.org に変更された。

2003年6月20日、プロジェクトに法人格を与えるべく、ウィキメディア財団 (Wikimedia Foundation, Inc.) が設立されたことが公表された。[1] ウィキメディア財団はフロリダ州法に基き、フロリダ州タンパを本拠地とする非営利団体である。

運営と展開

2003年頃から、ウィキペディアのサーバに関する費用負担は深刻な問題として認識されるようになってきたため、プロジェクト参加者の間で運営資金がたびたび論じられるようになった。当時現実的な対処として考えられたのは、利用者からの課金・各種助成金の申請・寄付による収益の拡充などであった。2003年頃から2005年にかけてこれらの問題が集中的に論じられたが、結果として、課金は見送り、寄付を主な財源とすることが合意された。これは2004年以降数度にわたって繰り返された数週間の寄付キャンペーンがいずれも成功を収めたことが大きい。また2005年4月にはアメリカ合衆国内国歳入庁により運営団体であるウィキメディア財団に501(c)(3) 資格が与えられ、米国での免税資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免税が認められた。また2004年末にはウィキペディアは米国他で商標登録された。他企業などによる商標使用権は今後の有力な財源として認識されている。

2005年から2006年の年頭にかけてウィキペディアの閲覧者は飛躍的に増加し、インターネット全体のアクセスランキングで20位以内、2007年にはいってからは10位以内に常に位置する人気サイトとなった。このため社会に対する露出度も増し、広報・法務などの体制の強化が「ウィキメディア財団」および各言語コミュニティにおいて計られている。

ウィキペディアのいくつかの言語版にはCDDVDも出されている。もっとも早く出版されたのはドイツ語版ウィキペディアで2004年10月にディレクトメディア社から当時のドイツ語版をほぼ完全収録したCDが出版された。ドイツ語版はその後ほぼ毎年改訂版DVDが出され、ウィキメディア・ドイツ協会の主要な財源となっている。他、英語版・フランス語版・ポーランド語版でウィキペディアの抜粋がDVDで出されている。

ウィキペディアの内容はデータベースから定期的にダンプファイルにまとめられ、誰でも無料でダウンロードできる。一方ライブフィードは有償で提供しており、gooを運営するNTTレゾナントAnswers.comなどが財団の顧客となっている。 #データベースのダウンロード を参照

そして米国時間2007年10月9日、「ウィキメディア財団」は、長らく活動の本拠地としていたフロリダ州からカリフォルニア州サンフランシスコに移転することを発表した。移転作業は2008年1月の末に行われる。

移転先をカリフォルニア州サンフランシスコに決定した理由として、「ウィキメディア財団」のリリース[11]では「サンフランシスコは特にアジアに近く、「ウィキメディア財団」がアジアのボランティアや潜在的なパートナーと強固な関係を結ぶことが期待できる」と説明している。

2008年3月、ウィキペディア全体の総項目数が1000万件を突破した[12]

2008年9月、ドイツの大手出版社Wissen Media Verlag傘下のBertelsmann Lexikon Institut社が、ウィキペディアのドイツ語版(5万項目収録)を世界で初めて紙媒体として出版した[13]

問題点

記事の信頼性

2005年に科学誌『ネイチャー』が英語版ウィキペディアとブリタニカ百科事典の科学用語について42項目を比較したところ、間違・欠落が英語版ウィキペディアには162点、ブリタニカには123点が指摘された。[14][15]のを初め、ウィキペディアの記事の精度は高いとした複数の研究結果がある[3]一方で、記事に対する査読制度がないため、問題ある記述はコミュニティーの自己管理により解決されることに委ねられている[16]。問題のある投稿が他の利用者によって修正・除去がなされるまでは一時的であっても適切でない記述が公開され、問題が長期間見逃されたり、後述するテンプレート:Srlinkにより編集できない場合に問題のある記事が長らく修正・除去できないという問題もある(ただし、法的な問題の場合はテンプレート:Srlinkが対処する)。

米国では、学術研究の出典としてウィキペディアの記事を引用した学生が、その内容が史実と異なっていたため落第点をとったとして、ウィキペディアの創設者ジミー・ウェールズに苦情を寄せたという事例がある[17]。これを機に、ジミー・ウェールズはウィキペディアを学術研究の出典として利用するのを止めるよう訴えた。大学機関のいくつかは学生たちにレポート課題においてウィキペディアを引用することを禁止している。また、ディベートなどの正確性の求められる競技などではウィキペディアの情報は用いられていない。

ラリー・サンガーは新しい百科事典プロジェクトを始めた理由は「ウィキペディアの権威が失墜したからだ」としており[5]、「ウィキペディアのコミュニティはウィキペディアを信頼できるものに変える準備ができていない」旨を述べている[4]

法律に関わる問題

名誉毀損

時に個人や団体に対して、プライバシーに関わることを書いたり、真偽の不明確なゴシップ()を断定的に書いたりすることで、本人や当団体から抗議を受けることがこれまであった。 また他の利用者が気づかずに訂正されなかった意図的な嘘の投稿に対して書かれた個人が抗議したこともあった(ジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争を参照)。

著作権侵害

著作権法テンプレート:Srlinkに対する理解不足から、記事を書く際に書籍やネット上の文章をそのままコピーした文章が投稿されることがある。これに対してはテンプレート:Srlinkとして削除の手続きが取られる。

犯罪予告

2008年4月、米国において、英語版ウィキペディアに殺害予告を書き込んだことによる逮捕者が出ている[18]。ウィキペディア日本語版でも対象を明記した爆破予告や殺傷予告などの書き込みが報じられている。2008年4月24日、同年4月26日(北京オリンピック聖火リレーの当日)の長野駅への爆破予告が書き込まれ、インターネット上のニュース[19]読売新聞(同年4月25日付夕刊)でも報道された。 また、2008年12月22日には、翌日の天皇誕生日一般参賀にて皇居を破壊し天皇皇后並びに入場者を殺害するとの予告が書き込まれた。なお、2008年・2009年の2年間の間に10件の犯罪予告があり、3人の逮捕者が出ている[20]

責任の所在

ウィキペディアは編集責任を負う組織を設けておらず、少数のボランティアグループが問題を解決するための窓口となっている。

ウィキペディアに関するお問い合わせ参照

国家・企業などの団体からの編集による問題

ウィキペディアのアクセス数が増えて有名になるにつれ、企業や公共団体などの様々な組織に属するネットワークからの編集によってそれらの団体に都合よく記事を書き替えたものと疑われるようなものが見出されるようになり、一部はニュースとして報じられることもあった。また、IPアドレスから投稿した企業や政府機関などを解析する検索ツール、WikiScannerの登場により、こういった編集はさらに発見されやすくなっている。

こういった編集(「改竄行為」と見て糾弾されることもある)の中で、主だったものを以下に挙げる(その他の編集事例については、こちらを参照)。

  • 朝日新聞 - 「ウィキペディア」の不利益情報、楽天証券社内から削除 2006年8月30日
  • 朝日新聞 - ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も 2007年9月8日
  • 産経新聞 - ウィキペディア“編集合戦” 加筆・修正に意見対立 2007年9月5日

なお、勤務時間中に職場のPCからWikipediaの編集や閲覧を行った場合、懲戒処分の対象になるケースもある[21]

政府による検閲

中華人民共和国では、六四天安門事件についての記事が存在するウィキペディアに対する接続規制が2008年夏まで行われていた。

詳細は 中国大陸におけるWikipediaへのアクセス封鎖 を参照

Wikipedia内での問題

編集合戦

政治や宗教、価値観のように意見対立が起きやすいテーマにおいてはテンプレート:Srlinkが起こり、議論による解決のため一時的にテンプレート:Srlink(記事の編集ができない)の状態におかれる。編集方針についてなかなか合意に至らないことで間違いや偏りのある記述が長い間修正できないという事態に至ることもある。

荒らし

時として悪意を持って虚偽の情報を記載したり、不適切な言葉を書き連ねたり、ページを白紙化するなどのいたずら・テンプレート:Srlink的投稿がなされる。個人や団体などについての虚偽の情報が余計な騒動をもたらすこともある[22]

先行事例

百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは、H・G・ウェルズの著書『世界の頭脳』(1938年)やヴァネヴァー・ブッシュのマイクロフィルムを使った未来のシステムMemex(論文"As We May Think"(1945年))に見ることができる。

インターネットを使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは1990年代の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典をデジタル化しようというプロジェクトが挙げられる。1995年の1月、プロジェクト・グーテンベルク1911年に出版されたブリタニカ百科事典の11版を ASCII テキストにするという活動を開始した。しかし、第一巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。2002年に、28 巻全ての ASCII テキストは他から 1911encyclopedia で公開された。同様の試みとして、イーストン聖書辞典(1897年)Christian Classics Ethereal Library においてデジタル化されている。

他の、よりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。1991年usenetalt.fan.douglas-adams ニュースグループの参加者達がダグラス・アダムスの著作の中に登場する架空の百科事典銀河ヒッチハイク・ガイドを実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる Project Galactic Guide へと発展した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guide は 1,700 以上の記事を保有しているが、2000年以降記事の追加は停止状態にある。

1993年には、インターペディアと呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これは、ウェブの爆発的な成長と、精度の高い検索エンジンの登場のため、実行に移されないままに終わった。

姉妹プロジェクト

Wikipedia:ウィキメディア・プロジェクト も参照 2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには*を冠した(運営文書を除く)。

類似のプロジェクト

ウィキペディアと比較されるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。

Nupedia
専門家の査読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。
Everything2
より広い分野をカバーしているハイパーテキスト型のエッセイ集で、百科事典の構築を目指すものではない。また、Everything2 のコンテンツはコピーレフトライセンスを使用していない。
H2G2,
Douglas Adams's の The Hitchhiker's Guide to the Galaxy からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。
スカラーペディア
2006年にスタートした査読制度つきのオンライン百科事典プロジェクト。執筆はすべて実名による。現在計算神経科学力学系コンピュータ知能の三つの分野を対象としており、各分野の第一線の研究者が執筆者として参加している。2007年4月現在、記事数は87本。
Citizendium
2007年3月27日に設立したオンライン百科事典プロジェクト。記事の信憑性という問題を解決する狙いとして、執筆者は履歴審査を伴う実名登録が必要、管理者は25歳以上限定など、記事の質を高めるための制約を課している。
はてなキーワード
言葉の要点が簡潔にわかるようなキーワード集。はてなダイアリーの日記を一定水準書いた利用者が編集できる。ウィキペディアの説明も見られる。

パロディサイト

  • アンサイクロペディア - 2005年1月に英語版が、「ウィキ形式によるSPOV(風刺的な観点)を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアのパロディサイトである。

関連書籍

参考資料

脚注

  1. 1.0 1.1 週刊アスキー』 2006年10月31日号
  2. 閲覧経験は7割近く、オンライン百科事典ウィキペディアJapan.internet.com 2006年12月19日 16:10)
  3. 3.0 3.1 CA1676 - ウィキペディアにおける情報の質(IQ)向上の仕組み / 石澤文カレントアウェアネス・ポータルNo.298 2008年12月20日)
  4. 4.0 4.1 ラリー・サンガー氏が語る--今のWikipedia、未来のCitizendiumCNET Japan 2007年4月25日)
  5. 5.0 5.1 「Wikipediaの権威失墜。それがCitizendiumを作った理由だ」ラリー・サンガー氏、古巣のWikipediaと新・百科事典サイトについて語るComputerworld.jp 2007年4月25日8:00)
  6. ウィキペディアのメーリングリスト、wikipedia-lのアーカイブより
  7. Wikimedia議長、「Wikipedia」の路線転換を宣言──質の向上に軸足をOSDN 2006年8月7日)
  8. ウィキペディア編集方針 西和彦がモーレツ批判」( J-CASTニュース 2006年11月30日)
  9. 米大統領選:現地メディアは/下 ウェブが変えた、市民は巨大な発信者[リンク切れ](『毎日新聞』 2008年12月16日 東京朝刊)
  10. Wikipediaで報酬付きの記事修正依頼が発覚――依頼元のマイクロソフトは「不正確な記事」と釈明 (2007年01月25日)computerworld.jp
  11. Wikipedia to Relocate to San Francisco(英文)
  12. 「ウィキペディア」の項目総数が1000万件を突破(CNET Japan 2008年3月31日 19:36 )
  13. 独の出版大手、Wikipediaのドイツ語版を紙媒体で発行 カレントアウェアネス・ポータル
  14. 『ネイチャー』誌、ウィキペディアの正確さを評価(WIRED VISION、NAP通信 2005年12月19日)
  15. ただし、ブリタニカは64点で反論している。また調査は無効だという指摘がある。出典:ピエール・アスリーヌ/〔ほか〕著 佐々木勉/訳 『ウィキペディア革命 そこで何が起きているのか?』岩波書店の第2章「判定の判断-ネイチャー誌調査の真実」
  16. 拡大するフリー百科事典『ウィキペディア』の課題WIRED VISIONDaniel Terdiman 2005年01月13日)
  17. ウィキペディアの創設者、学術研究のための引用を止めるよう訴えかけるシーネットネットワークスジャパンサービス2006年6月19日 16:55閲覧)
  18. 米ウィキペディアを使ってアジア人生徒ら殺人予告 オマケ)ファーギー「パーティ・ピープル」ビデオ
  19. Wikipediaに『長野駅破壊する』と犯行予告 長野県警が捜査 ITmedia、2008年4月25日。
  20. 【アンチ犯罪予告!!】フリー百科事典Wikipediaにおける事件簿
  21. 勤務中に「ウィキペディア」の市職員減俸スポニチ、2009年03月13日)
  22. ウィキペディアで亡くなってしまったコメディアン - 米国AFP BB News

関連項目

外部リンク

サイト
ビデオ

テンプレート:Wikimedia Foundation テンプレート:ウィキペディア各言語版

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