齋藤家 (横須賀)
齋藤家(さいとうけ、 Saito family)とは神奈川県横須賀市馬堀町(旧相模国)に起源を持つ一族。また馬堀町を本家とする家系である。分かるだけで江戸時代から存在している。地域の元大地主。漁業者、技術者、造船者、軍人、侠客などを輩出した一族でもある。斎藤氏の一支族であり、中臣鎌足を祖先とし、藤原氏の子孫である。
概要[編集]
齋藤家の祖先は江戸時代から横須賀の海岸付近に住み、馬堀地域で最も大きい地主であった。馬堀奥の山の多くを所有、また走水の漁業権を占有しており、横須賀の漁業に大きな影響を及ぼしていた。網元である。また、天保水滸伝に登場する人々の一人に齋藤家の者が含まれており、飯岡助五郎の一子分という。(詳しくは著名な人物を参照)ペリーの浦賀来航の際は大砲の音を聞いた。戦後は農地改革などの様々な改変により、江戸時代程の土地は有さなくなったが、馬堀一体には今だに齋藤家が所有、貸し出している土地が多くある。小規模ながらも戦前から稲荷神社を有している。
現在[編集]
横須賀の齋藤家の栄華は馬堀地域の名字で知ることができる。馬堀地域では全国的に多い鈴木家、横須賀市で多く見られる石渡家に劣らない程、齋藤の標識を見ることができる。また戦後には横須賀を離れ日本中に散った者もいる。稲荷神社周辺は整備され、今に残る。また江戸時代後期に家系図が焼けたため、それ以前の齋藤家を知ることは難しい。それらの齋藤家の殆どは馬堀の齋藤家の分家である。地域の祭りなどの行事には、齋藤家が大きく関わりを持っていたため、神輿などに齋藤の文字を見ることができる。
宗教[編集]
齋藤家の宗教は稲荷神社の所有で神道と思われがちだが、自由である。また祖先は浄土真宗も共に信仰していた。
逸話[編集]
関東大震災の際震源に近い横須賀市は大きな被害を受けたが、齋藤家に存在した巨木の根が住居の下にまで張っていたため被害がなかった。また、それを聞きつけた人々が避難をしてきた。
呼称[編集]
本記事では齋藤家としているが、馬堀家、または横須賀(馬堀)斎藤(齋藤)氏などとも呼ばれる。 英語ではSaito family。
アメリカ合衆国との関係[編集]
齋藤家の一部の祖先にアメリカ人がいることや、米軍基地が横須賀にあることからアメリカとの関わりは大きい。齋藤家には高齢でも、アメリカの濃いチョコレートやケンタッキーなどのジャンクフードを好む者が多い。アメリカ人などの外人の友人が幼い頃からいることが多い。また、欧米の行事も大切にし、感謝祭などは一部ですでに行われている。
Twitterアカウントについて[編集]
齋藤家は2014年9月にTwitterアカウントを開設し、日本中に散った齋藤家を繋げようとしている。
著名な人物[編集]
飯岡助五郎の一子分(現在の家主の祖先の兄弟に当たる。)
他の一族との関係[編集]
- 石渡家
石渡家の飯岡助五郎(本姓は石渡)は天保水滸伝に登場する齋藤家の一人と師弟関係にある。
- 小泉家
小泉家(小泉純一郎など)は同じく横須賀市に住み、関係を持っていた。
出典[編集]
- 横須賀市馬堀町齋藤家稲荷神社蔵書
- 横須賀市齋藤家(本家、分家)
関連項目[編集]