マレーシア

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マレーシア人
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マレーシア人

マレーシアは、東南アジアマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。 タイインドネシアブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポールフィリピンと海を隔てて近接する。ASEANの一員。戦中以来の親日国家としても知られる。

国名[編集]

正式名称は、ジャウィ文字: ڤرسكوتوان مليسيا、ラテン文字: Malaysia。(マレー語: テンプレート:IPA)。

公式の英語表記は Malaysia (テンプレート:IPA または テンプレート:IPA)。

国外での表記[編集]

日本語の表記はマレーシアあるいはマレイシアである。他にマレーシャマレイシヤなどの表記もある。また、連邦制国家であることに鑑みマレーシア連邦とされることもある。漢字による当て字では馬来西亜と表記し、と略す。 中国語表記は马来西亚 (簡体字) / 馬來西亞 (繁体字)。略称は大马 (簡体字) / 大馬 (繁体字)

名称の由来[編集]

マレーシアとは「『ムラユ (Melayu)』の国」の意味だが、この「ムラユ」という言葉自体は、サンスクリット語で「山脈のある土地」を意味する「マラヤドヴィパ (Malayadvipa)」を語源としている。古代インドの時代には、交易商たちがマレー半島を指すときに使う言葉であった。その後、7世紀のの僧侶の義浄による記録に現れるスマトラ島に存在したシュリーヴィジャヤ王国(3世紀 - 14世紀)の他称『ムラユ王国English版』として継承され、近代に入ってからフランス人の探検家ジュール・デュモン・デュルヴィルによってマレーシアという言葉が生み出される。もっとも、当時は現在のマレーシアのみならず、東インド諸島全体を指し示していた。そのため、現在のフィリピンが独立する際、国名をマレーシアとする案もあったとされるが、フィリピンよりも先にマラヤ連邦 (現在のマレーシア) が先に自らをマレーシアと呼称するようになり、現在に至る。

歴史[編集]

地理[編集]

マレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする。隣接国はタイシンガポールブルネイインドネシアフィリピンである。

一般的にはマレー半島の部分が「マレーシア半島 (地区)」 (Semenanjung Malaysia)、ボルネオ島の部分は「東マレーシア (地区)」 (Malaysia Timur) と呼ばれる。また、マレー半島とボルネオ島間の往来は、マレーシア国民であってもパスポートを必要とする。

地方行政区分[編集]

13の州と3つの連邦直轄領から構成される[1]

主要都市町村[編集]

政治[編集]

政体は立憲君主制である。

元首[編集]

国王は13州の内9州にいるスルタン (首長) による互選で選出され (実質的には輪番制) 任期は5年。

行政[編集]

国王は内閣の補佐を受けて行政を担当する (世界でも珍しい世襲ではなく選挙で選ばれかつ終身制ではない国王である)。

立法[編集]

列柱社会[編集]

マレーシアは、人口の6割をマレー系、3割を華人系、1割をインド系が居住する国家である。居住の形態は、伝統的にはそれぞれのエスニシティが集団で居住する形式をとっていた経緯があり、また政治の支持基盤も民族毎であるという特色がある。

与党勢力 (国民戦線Barisan Nasional)
UMNO (マレー系)、MIC (インド系)、MCA (華人系)、Gerakan (華人系など)
野党勢力 (人民連盟Pakatan Rakyat)
PAS (マレー系)、Keadilan (マレー系)、DAP (華人系など)

セグメントごとの支持基盤、エスニシティ間の対立を回避するために、国民戦線では、エスニシティのリーダー間の協調が図られている。先述の5月13日事件がその契機となった。

国際関係[編集]

宗主国イギリスや、日本オーストラリアなどと貿易を通じて密接な関係を持つ他、隣国であるタイ王国シンガポールインドネシアなどのASEAN諸国とも密接な関係を持っている。近年は、中国韓国との関係も強化している。また、イスラーム教国であることから中東諸国との結びつきが強い。なお、現在もイギリス連邦の一員である。

シンガポールとの関係[編集]

隣国で一時は同じ国であったシンガポールとは人種や領土、開発に関する問題、欧米諸国への姿勢などで度々衝突しており (軍事的なものではなく、あくまで外交上のものである)、地理的・心理的に密接ではあるが複雑な関係と言える (トゥンク・アブドゥル・ラーマンおよびリー・クアンユーの項参照)。しかし中国系住民同士の結婚は盛んである。

中国との関係[編集]

マレーシアは東南アジア諸国としてはシンガポールに次いで華僑の割合が高く中国文化の影響が強いために中華圏扱いされる事があり、中華料理店がよく見られる。多くの中国系マレーシア人が芸能人として中国・香港・台湾・シンガポールなどの中華圏で活躍している。

近年経済台頭する中国に対し、マレーシアは国内に住む華僑住民とのつながりを生かして中国に接近している。ナジブ・ラザク首相は、就任から2ヶ月で中国を訪問し、1年後に訪日したのとは対照的であった。中国も留学生の誘致に積極的であり、マレーシアの大学内部に中国語を学ぶ「孔子学院」を中国政府の予算で設置、近く奨学金を設ける予定である。すでにマレーシア企業から社員向け中国語授業の依頼があり、これは中国とのビジネスのために、高い中国語能力を企業が求めているからである。 中国の存在感が大きくなる一方、日本の存在感は相対的に薄くなっているとも言われる。。

日本との関係[編集]

対日関係については、「ルックイースト政策」を掲げたマハティール政権、それを継承したアブドラ政権の下で緊密な関係が維持されてきた。

マレーシアの大学には日本への留学生向けの日本語コースが設けられ、30年以上続けられている。奨学金は日本・マレーシア両政府が支給している。 留学を終えて帰国した学生は、これまでマレーシア政府や企業の中枢に入り、国を率いてきた。しかし、近年は日本語コースの定員割れが起きており、毎年応募者が600人を上回っていたのが、2008年には200人に減少した。理由として、中国が経済的に台頭し、日本に対する関心が薄れ、学生の意欲と学力が低下したという見方もある。

日本政府も中国の攻勢に対して、マレーシアの地方や各地の高校・大学生を対象にした日本語セミナーを開催、2003年に合意された日本・マレーシア国際工科院も2011年にようやくに開校し、マレーシアにいながら日本の電子工学や環境技術などを教えている。

「マハティール以降」の外交[編集]

マハティール・ビン・モハマド時代、特に1990年代以降、同首相のユダヤ人に関する論評やイギリスやアメリカオーストラリアなどの白人主体のキリスト教国に対する挑発的発言からこれらの国との関係が悪化したが、2003年のマハティールの退任後は関係が回復しつつある。しかし国内でのマハティール路線はほぼ維持されており、「事実上の緩やかな独裁」状態であることからは脱していない。

アブドラ・バダウィ政権では、イスラーム教国という特色を生かして、中東と東南アジアのビジネス・ハブを目指す戦略を掲げた (ハラル・ハブ政策)。

軍事[編集]

兵力は正規軍10万人 (陸軍8万人、海軍1万2000人、空軍8000人)、他に予備役が4万1600人。予算は2003年に20億5300万ドル。

2003年より、マハティールの提唱で制定された「国民奉仕制度」が施行された。これは、「軍への兵士としての入隊」では無いために一般的な意味での徴兵制とは言えないが、国民の団結を図る目的で「抽選で選ばれた18歳の男女が国防省の管理下で6ヶ月間の共同生活を行う」という内容であり、強制的に国民へ課せられる義務である。

経済[編集]

IMFによると、マレーシアの2011年GDPは2786億ドルであり、神奈川県よりやや小さい経済規模である。一人当たりのGDPは9,699ドルであり、シンガポールには遠く及ばないものの、タイの2倍近くの水準である。

イギリスの植民地時代からのゴムプランテーションの採掘、天然ガスの掘削など、特定の農作物鉱物の生産が盛んであるが、マハティール・ビン・モハマド首相の指導の下、従来の農作物や鉱産物の輸出、観光業に依存した体質からの脱却を果たし、2020年先進国入りするとの目標「ワワサン(マレー語でvisionの意)2020」を掲げた。

多くの東南アジア諸国が欧米列強の植民地支配の影響のため発展が遅れ、社会主義での失敗や工業化が進まない中で、マレーシアは約170年間植民地支配されていたにも関わらず日本を手本に工業化と経済成長を達成した事で、シンガポールと共に『東南アジアの優等生』と呼ばれている。しかし民族間での貧富の格差も大きいなど課題もある。

人件費が中国やタイと比べて高く、日本企業の進出は頭打ちの状態が続いていたが、尖閣諸島を巡って対立する中国や洪水や政情不安が続くタイと比較して近年マレーシアに注目が集まっている。

工業化の成功[編集]

マハティール首相時代に様々な分野において国産化を推進する政策を打ち出した。なかでも国産車 (National Car) については、日本の三菱自動車の技術を導入した自動車メーカー「プロトン」(その後三菱との資本提携を解消し、ドイツフォルクスワーゲン社と包括提携交渉を進めるも、個別案件での協力関係を模索することとなり、一方で再び三菱との技術提携を進めている)や、同じく日本のダイハツ工業の技術を導入した小型車メーカーのプロドゥアを設立し、政府の手厚い保護もあって国内シェアの約6割を両社で占めている。また、アジアやヨーロッパ諸国への輸出も行われている。

他にもルノーデルコンピュータなどの外国企業の工場の誘致、港湾の整備、空港鉄道などの各種交通インフラの充実など、主にインフラ整備と重工業の充実を中心とした経済政策を積極的に行い、一定の成果を結んでいる。

IT先進国政策[編集]

特に近年は、アジアにおけるIT先進国となるべく、ITインフラの整備や国内企業への支援などをはじめとする様々な経済政策を推し進めて来ており、インフラ整備が高く評価されてアメリカデルコンピュータのアジアにおける生産拠点としての位置を確保した他、地元の関連産業が次々誕生するなど一定の成果を結んでいる。

その代表的なものとして、首都クアラルンプール周辺に建設された最新のITインフラが整備された総合開発地域マルチメディア・スーパーコリドーの建設が挙げられる。このマルチメディア・スーパーコリドーには、中核となるハイテク工業団地「サイバージャヤ」と、首相官邸や各省庁舎が立ち並ぶ行政都市「プトラジャヤ」、クアラルンプールの新しい空の玄関となるクアラルンプール国際空港、さらには同空港敷地内にF1マレーシアGPも開催されるセパン・インターナショナル・サーキットなどが建設された。

また、クアラルンプール市内では、20世紀までの高層建築としては世界で最も高いビル・ペトロナスツインタワーの建設などが行われた他、あわせて各種インフラの強化が行われた。

天然資源[編集]

マレーシアの鉱業はスズ鉱の採掘が中核となっている。2002年時点の採掘量は4215トンであり、世界シェア8位 (1.7%) を占める。主な鉱山は、クダ州、ヌグリ・スンビラン州に点在する。スズ以外の鉱物資源としては、金鉱(サラワク州、パハン州)、鉄鉱、ボーキサイト鉱(ジョホール州)、などが有力である。有機鉱物資源では、石炭、原油、天然ガスを産し、石炭以外は世界シェアの1%を超える。いずれもブルネイ・ダルサラーム国に近いサラワク州北部の浅海から産出する。日本が輸入する天然ガスの約20%はマレーシア産である。

リゾート開発[編集]

古くから世界的に有名であったペナン島などのほかに、近年ではボルネオ島やランカウイ島のリゾート開発などが行われている。これらの開発は、かねてからの主要産業の1つであった観光産業の振興にも貢献しており、政府観光局航空会社との協力関係をもとに各国からの観光客の誘致に国を挙げて取り組んでいる。

リゾート地には、以下のものがある。

民族間の経済格差[編集]

マレーシアは人種別に一人当たりのGDPが違うのが特徴。例えば、2004年の統計の民族別の平均月収(2011年9月現在、1ドル=約3.0リンギ)は、中華系が4,437リンギ、インド系が3,456リンギで続き、マレー系は2,711リンギである。中華系が最も豊かなのは、マレーシア経済において支配的な立場にあるためだが、ペトロナスプロトンといった政府系企業においては、ブミプトラ政策の影響でマレー系が独占的な立場を有する。ただし、縁故採用の常態化といった問題から、すべてのマレー系住民が同政策の恩恵を受けているわけではない。結果として、マレー系コミュニティにおける経済格差は他民族と比較して極端に大きい。他にも、都市部と農村部の経済格差といった問題もある。

マレーシアはカザフスタンに並ぶ中進国であるが、所得の低いマレー系が人口の過半数 (65%) を占めているため、一人当たりのGDPが一万ドル以上にはなれず、8000ドル台である(2009年現在)。民族間に限らず、国民全体に貧富の差が広がりつつあり、経済格差の規模は東南アジア最大である。マレーシア国内で月収が1,000リンギ以下の世帯が全体の8.6%にあたる49万8,800世帯に上っているという。「2020年までGDP成長率年6%維持を目指す」、「一人当たりGDPを7000ドルから1万7000ドルへ」という目標を発表した。

マレーシアで有力な経済人は華人系が圧倒的に多く、個人総資産額の上位の大半が華人系で占められている。代表例としては、製糖事業で財を成したケリーグループを率いるロバート・クォック(郭鶴年)やパーム油(マレーシアの主要輸出品)関連事業を手掛けるIOIグループの最高責任者リー・シンチェン、シンガポールに拠点を持つ不動産業大手ホンリョングループ総帥クェック・レンチャンが挙げられる。また、華人系実業家の多くは、シンガポール香港と関係が深く、マレーシア政府との結び付きが弱いことに特徴がある。マレーシア企業でありながら拠点が国外(シンガポール香港など)にあったり、事業の主要な収益源が海外である場合も少なくない。

一方、マレー系実業家の多くは政府と癒着関係にあり、官製企業の主要役職を務めていることが多い。例えば、プロトン社長のサイド・ザイナル・アビディンやペトロナスCEOにして原油輸出に関する国営企業AETの会長を務めるシャムスル・アズハル・アッバスなどである。

インド系は概して貧しい傾向にあるが、通信大手マクシス・コミュニケーションズの買収に成功した投資家にして国内第2位の富豪であるアナンダ・クリシュナンのような例外も存在する。また、印僑の父とポルトガル系マレー人(マラッカの少数民族)の母を持つトニー・フェルナンデスエアアジア代表)のような人物も存在する。

交通[編集]

鉄道[編集]

マレー鉄道タイ国境 (西線。東線は国境付近まで) からシンガポール (マレー鉄道のシンガポール国内区間はマレーシアの権益) まで縦断している他、クアラルンプール周辺では高架電車や近郊通勤列車、モノレールが整備されている。

マレーシアではペナンとバターワースを結ぶリニアモーターカーの建設プロジェクトがあり、クアラルンプールとクアンタン、クアラルンプールとジョホールバルを結ぶ時速350キロの高速鉄道建設プロジェクトも検討されており、マレーシアの鉄道は近代化し高速化もする見込みである。

自動車[編集]

イギリスの植民地時代から道路が整備されていたが、特に近年は都市部を中心に道路の整備が進んでおり、高速道路網の整備は非常に進んでいる。市街地では国産車・プロトンを使ったタクシーバス路線網が発達しているが、一部整備状体の悪い車両もあり、またタクシーにおいては不当請求が常態化するなどの問題もある。

航空[編集]

国内の主要都市は、「ナショナルフラッグ・キャリア」のマレーシア航空格安航空会社エアアジアなどの航空会社により結ばれている他、これらの航空会社が諸外国との間を結んでいる。

特に東南アジアのハブ空港の1つとして1996年に完成したクアラ・ルンプール国際空港は、ヨーロッパオーストラリアとの間を結ぶ「カンガルー・ルート」の中継地の1つとして利用されている。

国民[編集]

多民族国家・民族構成[編集]

三つの主要民族と地域の歴史が複雑に入り混じって並存するマレーシアは、民族構成が極めて複雑な国の一つであり、多民族国家である。単純な人口比では、マレー系 (約 65 %)、華人系 (約 25 %)、インド系 (印僑) (約 8 %) の順で多い。

マレー系の中には、サラワク州のイバン族ビダユ族、サバ州のカダザン族、西マレーシアのオラン・アスリ (orang asli) などの先住民も含まれ、各民族がそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしている。マレー半島北部 (タイ深南部の国境周辺) では、かつてパタニ王国が存在したことから、同地域にはタイ系住民のコミュニティが存在する。ただし、これらの住民は「タイ王国に出自を持つマレー人」といった存在であり、一種の政治難民である (cf. パタニ連合解放組織)。もっとも、隣国同士だけに一般的な人的交流も盛んであり、主な大都市に存在するタイ系コミュニティは上記の歴史的経緯と特に関係はない。

他にも、先住民ではない少数民族として民族間における混血グループが複数存在し、華人系の混血(主に華人系とマレー系) (ババ・ニョニャ) やインド系とマレー系の混血 (チッティ)、旧宗主国などのヨーロッパ系移民とアジア系の混血 (ユーラシアン) が少数民族集団(マイノリティグループ)を形成している。

華僑系住民[編集]

華人系やインド系がそれぞれ「華僑」や「印僑」と称されることも多いが、その大半がイギリス統治下において奴隷的な立場で連れられてきた賃金労働者の子孫 (cf. 苦力)である。また、華僑としての出自を持つ華人系の多くは、シンガポールを拠点に貿易業を営んでいた者や清朝崩壊 (あるいは中国国民党の追放) 後の政治難民が多い (cf. 浙江財閥)。事実、マレー系中国人の多くが話す中国語は、広東語福建語、客家語、潮州語 (まれに上海語) といった南方系方言であり、中国本土で一般的に使われる普通話 (北方系方言) とは異なる。但し多くの華人系の子女は中華系の学校に就学し、北京語 (華語、Mandarinと呼称される) を学ぶので、北京語をベースとした普通話との意思疎通は可能である。一方、プラナカン (海峡華人) のように中国語がまったく話せない華人系住民も少なくなく、また中国語での会話はできるが漢字が読めない華人系は多数存在する。

ちなみに、かつてマラッカ海峡を拠点とした海賊 (後期倭寇) の末裔もいるとされるが、統計的に言えば「華人系」のカテゴリに吸収される。

華人系には極少数であるがイスラム教徒もいる。

プラナカン (海峡華人)[編集]

華人系の中には英語のみを母語とする家系が存在する。これら英語話者の華人系住民は、英国統治下の時代に「英国人」として海峡植民地 (ペナン, マラッカ, シンガポール) において支配階層 (英籍海峡華人公会) を形成していた華僑の末裔であり、出稼ぎ労働者として移り住んだグループ (トトックと呼ばれる) と区別してプラナカン (海峡/英語派華人) と呼ばれる。その多くが旧宗主国に忠誠を誓ったため、故郷 (中国本土) との関係が希薄となった。現在でも本土との関わり合いはほとんどなく、逆にシンガポールやインドネシアに住む華人グループとの結び付きが深い。例えば、シンガポールの人民行動党は、独立以前のシンガポール周辺地域におけるプラナカン系の民族政党という出自を持ち、現在でもマレーシアの華人系政党 (民主行動党) と友好関係にある。ちなみに、シンガポールの初代首相リー・クアンユーは、プラナカンの代表的な人物である。

プラナカンとマレー人や英国人などの他の民族との混血のことをババ(男)・ニョニャ(女)と呼ぶ。いずれも華人系であり、混血化が起きてからかなり経つ場合もあるため、プラナカンとババ・ニョニャの区別は曖昧なこともある。

なお、旧日本軍が第二次世界大戦のマレー作戦およびシンガポール華僑虐殺事件で殺害したほとんどは、イギリスの戦略の元で抗日ゲリラ戦を担った、もしくはそれを疑われた華人 (あるいは華僑)である。マレー人とインド人はほぼ全く殺されていない。

インド系住民[編集]

印僑」とも呼ばれることのあるインド系は南インド出身者 (タミール人) が多く、マレーシアにおけるインド文化もタミール人の風習を色濃く受け継いでいる。ただし、かつてはアーリア系北インド出身者も少なくなく、高い社会的地位を享受していた。しかし、70年代を通してマレー系の地位が飛躍的に向上したことから、富裕層であった北インド出身者の帰国が相次ぎ、結果として貧困層が多い南インド系が主流となったといわれる。

現在はサイバージャヤといった地域で IT 系の技術者として働くために本土から移民してきた新世代も増えつつある。ごく小規模だが、パンジャーブ人 (シク教徒) のコミュニティも存在し、弁護士・会計士などの職業についているものも多い。

タミール系移民がイスラムに改宗した「ママック(あるいはママッ) 」と呼ばれる民族グループもある。ママックは「ママック・ギャング」で知られる通り、インド系に横たわる貧困問題を背景としてマフィア化が進んでいる。「ママック」は蔑称とされることもある。

なお、マハティール元首相は母親がマレー系、父親がインド南部のケララ州からの移民であり、「マレー系」であるのか「インド系」であるのか出自問題が議論されたこともある。

混血系住民[編集]

ユーラシアンとは「ヨーロッパ (Euro-) とアジア (Asian)」を意味する少数民族のことであり、旧宗主国からやって来たヨーロッパ人とマレー人あるいはアジア系移民との混血系を指す。

他に、ポルトガル系とマレー系の混血をクリスタンと呼称し、オランダ系あるいは英国系との混血のみをユーラシアンとする考え方もある。これらユーラシアン系の大半はマラッカおよびペナン周辺に居住区を構えている。

また、華人系とインド系の結婚もみられ、両民族間で生まれた子どもをチンディアンと呼ぶ。

民族対立[編集]

マレーシア史上最大の民族対立事件である5月13日事件以降、華人系とマレー系の対立構造が鮮明となった。

マレー系の保守政治家の一部が「他民族が居座っている」または「間借り人である」といった趣旨の差別発言することがあるが、マレーシア建国時 (憲法上「マレーシアの日」と呼ぶ) の協定 (1957 年制定マレーシア憲法第 3 章) において、マレー半島およびボルネオ島の該当地域で生まれたすべての居住者に国民となる権利が認められているため、正確な理解とは言えない。この発言にも見られるように、マレーシアは多民族社会とはいえ、その内情は必ずしも平和的なものではなく、民族間の関係は常に一定の緊張をはらんだものとなっている。

実際、各民族の居住地域は明らかな偏りがあり、例えば華人系はジョホール・バルクチンペナン (ジョージタウン)、イポーコタ・キナバルといった都市部に集団で居住していることが多く、インド系は半島南部やボルネオ島西部の農村部、あるいは大都市圏のスラム化した地域に多い。唯一、最大都市クアラルンプールのみが国全体の民族比率に準じているが、生活習慣の違いといった理由から、民族間の交流はあまり盛んではない。

2008 年には、住民を起訴なしで無期限拘束できる国内治安法に対する大規模な反対集会が開かれ、翌年にも同様のデモが行われた。

宗教[編集]

イスラム教が国教であり、マレー系を中心に広く信仰されている。中国系は仏教、インド系はヒンドゥー教徒が多い。また、イギリス植民地時代の影響でキリスト教徒もいる。東アジアの非イスラム教国に住むムスリム(イスラム教徒)は、一般にマレーシアの見解に従うことが多い。

なお、マレーシア政府は先住民族を原則としてムスリムとして扱い、イスラム以外の信仰を認めていない (ブミプトラ政策の影響)。しかし、実際には無宗教であったり、伝統宗教 (アニミズム) やキリスト教を信仰する先住民も存在する。

イスラム教徒と婚姻関係を結んだ場合、イスラム法の関係で非ムスリムも必ずイスラムへ改宗し、イスラム風の名前を名乗らなければならないため、ムスリムであることが法的義務とされるマレー系住民と結婚する他民族は少ない。ただし、オラン・アスリと呼ばれる先住少数民族は、登録上はマレー人とされるが必ずしももムスリムではないこともあり、特にサラワクでは華人系との婚姻が珍しくない。

近年では、非イスラム関連の出版物において神を「アラー」と表記できるかどうかが国民的な議論を呼び、政府がその使用を禁じたことから、キリスト教の司祭 (カトリック関連雑誌の編集者) が政府を相手取って裁判を起こす事態にまで発展した。結果として、クアラルンプール高等裁判所が政府の見解を退けたが、これに国内のムスリム勢力が反発、カトリック教会を襲撃する事件が相次いだ。また、今度はその報復と見られるモスクに対する嫌がらせが続発しており、宗教間における対立も激しさを増している。

言語[編集]

国語および公用語は「マレーシア語(Bahasa Malaysia バハサ・マレーシア)」である(1967年まで英語が公用語)。マレー語は広義ではインドネシア語などを含む場合があり、政府が「マレーシアの国語としてのマレー語」を「マレーシア語」と表記することを定め、2007年より正式に使われている。

イギリス植民地時代の公用語である英語は、現在は準公用語として広く使用されマレーシア語とともに各民族間の共通語の役割を担っている。

  • マレー人はマレーシア語を母語にしているが、東マレーシアのサバ州・サラワク州ではイバン語ビダユ語カダザン語などを母語とする先住民もいる。マレー語は固有の文字を持たなかったため、アラビア文字を改良したジャウィ文字が使用されていた。現在ではローマ字表記が用いられているが、ジャウィ文字もごく一部で使用されている。一部のマレー系民族主義者のグループから道路標識などを全面的にジャウィ文字にすべき、などといった主張もされることもあり、中華系からの反発を呼んでいる。
  • インド人は多くがタミル語を母語としている。

英語を母語とするマレー人、華人、インド人も多く、また中国地方語の種類も多く、世界でも有数のマルチリンガルが多い環境となっている。

近年、華人以外も中国語教育が盛んで、少なくともホテルや観光地、ビジネスでは中国語だけで事足りるほどであり、これは同じく華人の多い隣国タイとは大きな違いである。

教育[編集]

マレーシアの公用語はマレーシア語であるが、タミル語と中国語、英語も教授言語となっている。小中学校では、民族別にマレーシア語、中国語、タミル語が教える学校によって異なって使用されており、いずれの学校でもマレーシア語と英語が必修科目になっている。

教育制度はかつてイギリスの植民地であったことからイギリスとよく似ている。教育制度は小学校6年 (primary school, またはSekolah Rendah Kebangsaan・Standard 1~6)、中等学校3年と高等学校2年 (secondary school, またはSekolah Menengah Kebangsaan・Form1~5)、大学進学過程2年 (Lower 6とUpper 6)、大学3年~6年。マレーシア教育省は学問修了の国家的な試験を実施しており、小学校修了時はUPSR、中等学校Form 3でPMR、高等学校Form 5でSPM、その後の高等教育過程学年のLower 6にてSTPM、Upper 6にてSTTPMなどの試験を受ける。複雑なのは、マレー系の小学校を修了しUPSRを受験したものは、試験の結果に関わらずそのまま中等学校のForm 1に進級できるのだが、中国系またはインド系の小学校の修了試験でマレー語の科目で成績が悪い場合はForm 1に進級することはできず、1年の予備学年 (Peralihan/Remove Class) を履修してからでなければ、Form 1には進級できない。Form 5終了時のSPM試験の成績優秀者は、新聞の全国版に大々的に発表される。

公立の中国語学校は小学校までしかないので、卒業後は一般の(マレー後主体の)公立学校や、私立学校に進むことになる。公立の学校の中には、数は少ないが中国語を課外授業として選択できる学校や、正規の授業として中国語を取り入れている学校(華中と呼ばれる)もある。現在、華中は人気があるため、UPSRの結果がよくなければ入学も困難である。

中国系の私立学校は独立中学校(Chinsese Independent High School)と呼ばれ、マレー風の名前の付く私立学校の5年間のKBSMとは別の6年間の中国語を主体とした教育を行っており、そこに通う子供たちはSPM PMRの中国語版とも言える「独立中学統一試験」を受けることになる。この試験は台湾や日本やアメリカなどマレーシア以外の国で高校の卒業資格として認められるため、卒業後は台湾を初めとする海外の大学に留学する子供の割合が多い。 

文化[編集]

食文化[編集]

イスラム国家ではあるが、華人や外国人は飲酒も可能、豚肉も食べたりと非常に食の自由度が高い (マレー系はムスリムであり、酒や豚肉を口にしない)。特に中華系移民の間から発祥したマレーシアでしか味わえない食べ物もある。中でも肉骨茶 (バクテー) は人気が高い。南国なのでフルーツは非常に多彩であるが、多くが国外からの輸入である。マレーシアの食料自給率は高いとはいえない。有名なドリアンは最もポピュラーな果物の一つであり、屋台などでも容易に購入できる。

大量の唐辛子・香辛料・海老のペーストをミキサーにかけ煮詰め、ココナッツミルクを入れ更に煮詰め、ビーフン・太麺をゆで、ビーフン・太麺・ゆで卵の上にペーストをかけるニョニャ・ラクサ (Nyonya Laksa、母の麺) という料理が存在する。

マレー料理の代表として、ココナッツミルクで炊いたご飯に油で揚げたにぼし・ピーナッツ、ゆで玉子・きゅうりを乗せ辛いソースを添えたナシレマッがあげられる。

インド系料理の代表として、ロティやトサイという米粉や小麦粉をクレープ状に焼いたものに、カレー風味のソースをつけて食べる朝食がある。

音楽[編集]

西欧の現代音楽シーンとは係わり合いがなさそうに思えるが、21世紀以降、タズル・イザン・タジュッディンキー・ヨン・チョンアエノン・ジャエン・ルー、ジィ・アーヴィなどの新世代は海外で積極的に評価され、国際的にトップレベルの水準に達していることで知られる。

世界遺産[編集]

マレーシア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が2件ある。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 正月 Tahun Baru
旧暦1月1日1月2日 旧正月 Tahun Baru Cina
ヒジュラ暦第3月12日 ムハンマド誕生日 Maulidur Rasul
5月1日 メーデー Hari Pekerja
5月の満月 釈迦誕生日 Hari Wesak
6月第1土曜日 国王誕生日 Hari Keputeraan Agong
8月31日 国家記念日 Hari Kebangsaan
ヒジュラ暦第10月1日・2日 イスラム断食明け Hari Raya Puasa (Eid Al-Fitr)
ヒンドゥー暦6月 ディーパバリ Deepavali
ヒジュラ暦第12月10日 メッカ巡礼祭 (犠牲祭) Hari Raya Haji (Eid Al-Adha)
ヒジュラ暦第1月1日 イスラム新年 Awal Muharam (Maal Hijrah)
12月25日 キリスト誕生日 Christmas

上記祝日以外に、州毎にスルタンの誕生日を祝う祝日、タイプーサム (ヒンドゥー教の祭日。州による)、2月1日は連邦領記念日 (連邦領のみ) が、地域に応じた祝日となっている。祝日が日曜に重なるものは、翌日が振替休日となる。

脚注[編集]

  1. (財) 自治体国際化協会 (編) 『ASEAN諸国の地方行政』 (PDF版)、2004年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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