石田純一

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石田 純一いしだ じゅんいち1954年1月14日 - )は、日本俳優タレント。本名、石田 太郎いしだ たろう)。

東京都目黒区出身。身長177cm。血液型はA型スカイコーポレーション所属。

石田純一、反安保デモ参加と打算。妻の理子は「懐事情」を暴露(2015年12月)

俳優の石田純一(61)が心配だ。2015年9月の国会前デモに参加したかと思えば、12月6日に開催された反安保集会でも登壇するなど、なぜか政治色を強めているのだ。一方、不仲がささやかれる妻、東尾理子(40)から“懐事情”を暴露されるなど、何とも足元はおぼつかないようだが。

安全保障関連法に反対する若者団体「SEALDs(シールズ)」と「学者の会」が6日、東京日比谷野外音楽堂で開催した集会に姿を見せた石田。登壇し「デモに参加していろいろなところでお叱りを受ける」と笑いを取りながら、「平和で安全な国をなぜ変えなければいけないか理解に苦しむ」と訴えた。

石田といえば、本業の俳優業はパッとせず、妻との不仲説が話題になる程度。その妻は、石田が集会に登壇した同じ日に放送された関西ローカルのバラエティー番組で、「2回も離婚して、何人も子供を育てて、慰謝料や養育費を払い続けて、主人は貯金なんかないですよ」と石田の懐事情を暴露した。

そんな石田は2015年9月の国会前デモでマイクを握り、「戦争は文化ではない」と自身の“迷言”をもじって話題を集めた。しかし、この影響で、テレビの仕事などから干されていると報じられた。

「これは自分がほのめかしたんですが、実際は新たなCMの予定がなかっただけ。政治的に目立っては、CMに起用しようという企業側も躊躇して当たり前」と広告代理店関係者。

しかし、芸能評論家の肥留間正明氏は、「彼はどうすればマスコミが自分を取り上げるか、よく分かっており、自分自身をうまくプロデュースできる人なんです。デモや集会への参加も、政治的な意図よりも、話題になるかどうかを計算しているんです」とみる。さらに続ける。

「今は反安保寄りの発言をしても、同じような意見の人もいるので、多少は仕事に影響しても、結果的には、自身の存在を示すことでプラスに転じる可能性もある。そういった嗅覚に非常にたけた人ですから」

何とも“食えない役者”ということか。

人物

生い立ち

NHKアナウンサー・石田武の長男として出生。4歳までアメリカワシントンで育つ。東京都立青山高等学校を経て、早稲田大学商学部中退。

最初の妻となった女性は、作家で活動家・星川淳の妹の星川まりであり、1970年代に知り合って学生結婚する。

大学在学中、演出家となることを考えた石田は演劇を学ぶためにアメリカに渡った。東洋哲学に傾倒しており、ヒッピー的な志向であったまりとは、このアメリカ滞在中に離婚を。帰国後の1978年には大学を中退、「演劇集団 円」の演劇研究所研究生となった。

俳優デビュー、スターダムへ

「演劇集団 円」での下積み生活を経て、1979年NHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)で正式にデビューする。当初は「石田 純」の芸名を使用していた(のちに現在の名前に改名)。

1984年昼ドラ夢追い旅行」で準主役に抜擢されその名が知られ、1985年から1988年に放送されたフジテレビクイズ番組『TVプレイバック』にレギュラー解答者に抜擢され、そのルックス萩本欽一ザ・ドリフターズのメンバーにも臆することのない軽快な話術が受け、知名度が上がることとなった。1987年にはテレビ朝日の音楽番組『オリジナルコンサート』の司会を務めた。

1988年フジテレビドラマ『抱きしめたい!』に出演したことから、多くの「トレンディドラマ」に出演し、バブル期を代表する俳優として活躍した。

女性関係・「不倫は文化」発言

1988年、女優の松原千明と再婚、1990年7月には女児をもうけた。この女児は後に松原すみれ(現在は「すみれ」名義)としてモデルデビューすることになる。

しかし1991年10月、それまで石田が公表していなかった最初の妻との間に儲けた息子の存在が女性セブンにスクープされ、「隠し子」の存在が明らかになった。また、石田もその事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。この息子は翌1992年に、「石田純一の息子・いしだ壱成」として芸能界デビューし、親子での共演なども見られる事となった。

また、ファッションモデル長谷川理恵との8年余りに及ぶ交際でも知られた。1996年10月、モデルとの不倫をマスコミから非難された石田は「文化芸術といったものが不倫から生まれることもある」(前日に川島なお美から聴いた言葉をそのまま言ったものであり、石田のオリジナルではない)と反論、ゴルフ場芸能レポーターの取材に答える石田の姿は、『不倫は文化』というフレーズと共に繰り返し報じられた。結婚中の不倫と前述の発言による「不倫バッシング」によって、40代は一転して不遇の人生に転落することとなった。

完全に干されてしまった石田は1999年に2度目の離婚。経済的にも困窮、それまで住んでいた高級マンションは引き払おうにも引越し代がないという始末であった。メインキャスターとして月曜日から木曜日までレギュラー出演していた『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)も1998年4月に降板、降板日には生放送で落涙している。この頃の状況について石田は後に、「時間を持て余すことが何よりも辛かった」と語っている。

「不倫は文化騒動」以降は主にバラエティ番組情報番組への出演を中心の活動となっている。ただし完全に俳優業をやめた訳ではなく、2000年代以降は本業である俳優としての活動もしている。

2009年プロゴルファー東尾理子と交際宣言し、同年9月に出演したテレビのトーク番組においては翌春に理子と結婚することを発表(実際には同年12月12日に結婚)。尚、理子の実父で元プロ野球選手のは石田とほぼ同年代で、この結婚によって石田より4歳(学年では3学年)だけ年上の義父となった。

結婚から3年後の2012年11月5日には、二人の間に男児・理汰郎誕生している。2015年8月31日には理子夫人が第2子妊娠を報告。

2015年9月の国会前デモでは「戦争は文化ではない」と述べている。

エピソード

  • 芸能界きってのイタリア好き。ピッツァ・マルゲリータの発祥の店「Brandi」へ来店するためにナポリまで足を運んだことがある。
  • イタリア人の生まれ変わりと占い師に診断されたこともあり本人もそれを信じている。
  • 80年代後半、私服はヴェルサーチを愛用しており、『抱きしめたい!』出演時もヴェルサーチを着用していた。
  • “素足に革靴”のスタイルを意識し始めたのは、スリップオンに素足のファッションが嘗てミラノで流行した事に遡る。
  • 以前はそれほど素足にこだわっていなかったが、北海道を訪れた時に靴下を着用していたのを地元民に「プロ根性がない」とダメ出しされてしまい、それ以降はこだわったと語っている(ゴルフシューズや極寒の地などで靴下を履く必要が生じた際には、外見からは靴下の存在が分かりにくいカバーソックスを着用することもある)。
  • 高校時代は野球部に所属し、エースで4番打者だった。プロ野球は熱烈な阪神タイガースの大ファン。野球オタクとも言われている。時折、東京ドーム横浜スタジアムで阪神戦を観戦していると語っている。2013年10月26日文化放送日本シリーズ中継に義父の東尾修と一緒に出演。この時に、試合の流れをメモしたり、楽天アンドリュー・ジョーンズの所属していたアトランタ・ブレーブスについてレクチャーしたり、楽天の枡田慎太郎の打撃について指摘したりなど、リスナーを驚かせる一面も披露していた。
  • 2012年6月24日、台湾のタレント・羅志祥(SHOW/ショウ・ルオ)のCD発売イベントMAGIC&有我在に出席した際に「華流応援隊長」に任命された。羅志祥より任命状を授与され、台湾でも話題となった。
  • 週刊文春の「嫌いな夫婦ランキング」(2013年11月28日号)で1位になった。
  • 2015年9月17日夜(第189回国会会期中)、国会議事堂前で行われていた平和安全法制関連法案に対する抗議活動に参加し、嘗ての言葉“不倫から文化も”に引っ掛け「戦争は文化ではありません。戦後70年間の誇るべき平和を80年、100年と続けていこう」と反対を訴えた。この行動が原因でスポンサー筋から疎まれ、テレビ番組3本とCM1本降ろされ、いくつかの企業からは「二度と政治的言動をするな」と“厳重注意”を受けたという。石田自身はこれに対し「(世の中のためになる事をやりたいと思っているから)それは出来ない」と返したと述べている。

出演作品

映画

テレビドラマ

舞台

情報・バラエティ番組

ラジオ

  • NHK-FM サラウンドドラマ マージナル グリンジャ役(1988年、NHK-FM
  • 花王ウェイクアップパートナー(1988年 - 1992年、FM横浜
  • JTB MY VACATION(1993年 - 1994年、FM大阪
  • 石田純一のBACCHUSの森(1994年 - 1998年、FM仙台
  • 石田純一のEvergreen Weekend(1996年10月、FM東京

テレビアニメ

DVD

  • 人生をポジティブに生きる25の方法(2006年、avex trax

CM

ディスコグラフィ

アルバム

  1. MINT JULEP
  2. 砂金
  3. 詩人の宝石
  4. HOLLYWOOD ROMANCE
  5. 7時間の恋人
  6. 百萬弗STAR(ミリオン・ダラー・スター)
  7. ジゴロ
    松本隆作詞、田島貴男作曲。日本テレビ系『モクスペ』「芸能人はずかし&新作映像100連発」(2007年11月1日)において、「IDTV(イメージダウンTV)」のコーナーで紹介された。また、TBSラジオの『コサキンDEワァオ!』に於いても話題の曲となっていた。
  8. 熱くなれないランデヴー
  9. ノー・ノー・ボーイ
  10. NEVERTHLESS

シングル

  • MINT JULEP/7時間の恋人(1992年5月21日、ワーナー・パイオニア)
  • 逆にそれって愛かもね(2006年11月22日)
    • 杉本彩と「純一&彩」名義でリリースされたシングル。

著書

  • エッセイ『落ちこぼれのススメ』(2000年、光進社
  • 『マイライフ』(2006年、幻冬舎

関連項目

外部リンク