fuu'z

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宮上 元伸こと金 元伸

fuu'z(フーズ)とは、宮上 元伸こと金 元伸が経営する不動産会社。旧社名は「ゲッツ・インターナショナル」。

会社概要[編集]

  • 商 号 - 麹町不動産 (株)fuu’z
  • 住所 - 〒102-0083 東京都千代田区麹町3丁目5-17 晴花ビル
  • 代表者 - 宮上 元伸こと金 元伸
  • 免許番号 - 東京都知事免許(2)第85705号
  • 所属団体名 - (公社)東京都宅地建物取引業協会会員、(公社)首都圏不動産公正取引協議会加盟保証協会、(公社)全国宅地建物取引業保証協会
  • 主な取扱物件 - 貸アパート・マンション 貸戸建ほか 貸事務所・店舗 売新築マンション 売新築一戸建 売中古マンション 売中古一戸建 売土地 売事務所・店舗

株式会社ゲッツ・インターナショナル[編集]

  • 本社住所 - 東京都千代田区麹町3-5-17 晴花ビル3階
  • 事業内容 - 飲食店の経営及びコンサルティング・飲食店のフランチャイズチェーンシステムの運営及びその加盟店募集・建築の設計管理、施工及びリフォーム・宅地建物取引業
  • 資本金 - 7000万円
  • 設立 - 2000年1月7日
  • 役員 - 代表取締役 社長  宮上 元伸こと金 元伸
取締役副社長 - 重永 剛宏
専務取締役 - 大久保 祐光
  • 取締役 - 松山 良洙
  • 取締役 - 宮上 すんみ
  • 監査役 - 湯山 朋典

自宅失い妻自殺。「同じ被害者出さないため戦う」不動産会社の詐欺認定されず67歳男性、実質勝訴も苦渋の控訴[編集]

「自宅を不動産会社にだまし取られた」として損害賠償を求めた男性(67)の裁判で2014年末、東京地裁(脇博人裁判長)は男性側の実質勝訴となる判決を言い渡した。

しかし男性側は「判決は詐欺を認定していない」として控訴した。同社を被告とする訴訟は平成20年以降で少なくとも19件ある。家を失い妻に自殺された男性は「私のような被害者を出さないためにも戦う」と語る。

被告は東京都千代田区の不動産会社「ゲッツ・インターナショナル」(2015年1月にfuu’zに社名変更)と同社の役員、従業員ら。

1審判決などによると、男性の妻は平成22年、知人女性(別の詐欺罪で有罪確定)から事業への出資を依頼され、「この話が止まると指詰めもの」と訴えた女性への同情もあり、女性から紹介された金融業者「ユニオン・フィナンシャル・サービス」に出資金の融資を依頼。ユニオンからゲッツを紹介された。両社は所在地や役員、従業員が重なり、実質的に一体である。

ゲッツは男性と妻に「契約上は自宅を買い取る形にするが、返済すれば名義は戻す」と口頭で約束。仲介した女性が「約束は録音する」と話したこともあり、夫妻は売買契約を結び、代金として1800万円をゲッツから受け取った。また自宅を月額84万円で借りる賃貸契約も結んだ。

しかし、平成23年2月、ゲッツは「家賃が振り込まれない」として賃貸契約を解除。さらに、男性の自宅を抵当に自社の従業員から2500万円を借りたとする契約を締結。直後に従業員が抵当権を行使し、自宅は競売にかけられた。

夫妻は女性に録音記録を出すよう求めたが、女性は「レコーダーが壊れた」と主張。自宅は1億1600万円で落札された。男性は平成23年12月、「組織的、計画的に自宅をだまし取られた」としてゲッツ側を提訴したが、妻は家を失ったことを苦に自殺した。

2014年12月の判決は、「買い戻しは約束していない」とするゲッツ側の主張を覆す証拠がないことなどを指摘、「売買契約を詐欺的に締結させたとの事実は認めがたい」とした。

その上で「ゲッツ側は当初から、自宅を競売にかけて利益を得ることをもくろんでいた」▽「ゲッツ側は競売で多額の利益を得ており、許容される限度を超える著しく不相当な取引」▽「自宅をわずか1800万円で取得した売買契約や高額家賃での賃貸契約は暴利行為で、公序良俗に反し無効」-と判断。請求額5000万円のうち4700万円を支払うよう被告に命じた。

原告側弁護士によると、暴利行為で契約全体を無効とする判決は画期的だという。ただ、ゲッツの口座を差し押さえたところ残高は十数万円しかなく、男性は賠償金を手にできていない。平成22年度のゲッツの売上高は15億円あり、弁護士は「口座から現金が移された疑いが強い」としている。

一方、ゲッツ側の弁護士は「判決は違法性を認定していない。控訴しており話せることはない」とした。

男性は「妻も自宅も失った悔しさは消えない。ゲッツにより自宅を失った人は私だけでなく、裁判で表に出たのは氷山の一角のはずだ。彼らのためにも戦う」と話した。

代表取締役社長 宮上 元伸こと金 元 伸[編集]

生年月日 - 1971年7月東京都文京区生まれ。

プロフィール
5人兄弟の三男。両親は上野で靴屋を営み、昭和50年に野方にお好み焼き屋を出店する。5人の兄弟にもまれながら成長した金は、社会に出ても、自らの立場を積極的に築いていく。兄の紹介で就職した不動産会社を皮切りに、ビジネスで頭角を現し、2000年に株式会社ゲッツ・インターナショナルを設立。飲食事業はもちろんのこと不動産事業、介護事業など多彩な展開を行っている。

主な業態 「鶏大将」「てるちゃん」など。

株式会社ゲッツ・インターナショナル 代表取締役社長 金 元伸もまた、いくつもの事業を成功に導いた多彩な才能の持ち主である。

1971年7月、金は文京区に生まれる。両親は靴屋を営み、後にお好み焼屋などを経営するようになる。兄弟は男ばかりで5人。宮上は真ん中の3男である。長男から末の5男まで、ちょうど一回り違っていたそうだ。さぞ、にぎやかな家庭だったことだろう。兄弟ゲンカも絶えなかったに違いない。忙しい両親だったが、「店を休み、家族旅行にも連れて行ってもらった」と金。

家族思いの両親だったに違いない。温かい家庭ですくすくと育った金は小学2年生から野球をはじめ、高校まで続けている。高校進学時には、とある高校からスカウトの話まであったそうだ。しかし、金は、このスカウトの話を蹴り、通常通り受検して進学する道を選択する。たしかに野球は好きだったが、それ以上に与えられた道を進むことをよしとしなかった、潔い少年像が浮かび上がる。そこには金のもう一つの生い立ちが隠されているようにも思える。

在日韓国人である金は2つの名前を持つ。子ども時代には、本名でからかわれケンカになったことも少なからずあったそうだ。大人が作り上げた世界を、少年金は、どこかで否定していたのではないか。自分の道は自分で切り開く。少年の胸にはそういう意思が芽生えていたに違いない。

高校を中退。ビジネスのおもしろさに惹かれる。経営者、金の基礎が築かれる。

自ら厳しい道を選択し、進学した高校だったが、金は2年生で高校を退学している。多感な年頃だ。野球漬けの日々に多少の疑問を感じていたこともたしか。友人との遊びを覚えると、さらに野球が遠のいていく。

今だからいえるが、この頃から酒も好きで、二日酔いで学校に通ったこともあったそうだ。高校をリタイヤした金は、兄の紹介で不動産の仲介やファイナンスを行っている会社に就職。一つ目の転機を迎えた。年齢は関係がない。そう思ったのは、この時だったのではないか。若くても誠実に仕事をすれば結果はついてくる、と。当初は、賃貸業務を任された。まっすぐな青年の姿に客が惹かれ、金の成績はグングン上がっていく。すると仕事がさらにおもしろくなる。給料も四ケタを超えた。21歳の時には成績で、会社のトップに立った。15人ほどいた先輩たちを軽々超えてしまったのである。

23歳になった時には、子会社設立と共に宮上も資本をだし、社長として手腕をふるう。銀行からの借り入れも自分で行った。わずか20歳そこそこの青年が、である。1年で休んだのは10日と、金は当時を振り返る。

それから2年、25歳の時には完全な独立を果たす。事業は不動産の売買がメイン。自信があった。23歳の時からやらざるを得なかったさまざまな経験が金を支えていたに違いない。バブルの後遺症がまだ残る頃だったが、逆にそれが良かったのかも知れない。大手不動産会社が負債を抱え汲々とするなか、新規に立ち上げた金の会社は順調に売り上げを拡大させていく。

29歳、2000年1月に、金は、介護事業部として現在のゲッツ・インターナショナルを立ち上げた。そして、30歳。いろんなことが重なったと金はこの年を振り返る。

一つは結婚。だが、それまでの経営のやり方が一つの問題を起こし、屋台骨が揺らいでしまう。「問題はほぼ1年で解決させましたが、代わりに今まであった貯蓄もすべて吐き出してしまいました」と金。

実は結婚したら、セミリタイアすると公言していた。だが、ビジネスの神は、まだまだ金に楽をさせてくれなかったようだ。振り返れば、この時期が一番、苦しかったと金。とはいえ、すべてがリセットされたことで、新たな闘志がわいてきたのも事実だ。もうひとつ、金はこの年に、今までとは異なる事業を立ち上げている。それが飲食事業だった。

リスクヘッジのため、という。バブル後に会社を興した金だが、不動産の危うさも、骨身に染みている。介護事業も、介護保険がスタートすると同時に始め、訪問介護は順調であったが、千葉の南流山で始めたシニアハウスが苦戦を強いられた。「当初は、なかなか入居者が決まらなく1年ほど赤字が続きました」。代わりに1年で初期投資のすべてを回収したのが飲食事業だった。父や母が営んでいた事業を回り回って、金も行っていくことになった。ちなみに金の兄弟はどうか。5人のうち金を含め3人が飲食業を生業としている。

さて、ようやく飲食に辿り着いた金だが、その時点ですでにいくつもの事業を行っていた。現在を起点に整理すると不動産事業や、介護関連の事業、スポーツ関連の事業、そして飲食事業である。企画・デザインの会社をはじめいくつかの別法人も興している。

すべて順調というのは、言い過ぎかもしれないが、バランスが取れている。唯一、問題があったとすれば2008年リーマンショックによるものだった。不動産市況が一気に冷え、飲食店も少なからず影響を受けた。実際、この時に数億円もの借金を抱えてしまったようだ。店舗も数店、閉めた。決断は早い。それが金の持ち味の一つである。一気に時代に合わせて会社・グループを立て直し、借金もすべて返済した。現在、飲食事業の店舗は直営で11店舗、社員のために用意した別会社で5店舗ほどを運営している。

こう考えれば金にとっての飲食業は何か、と問いかけたくなる。もしくは金がつくる飲食業とは何か、という問いである。飲食業は、起業した人の7割が失敗するという。安易な思いで起業した人ばかりではないだろう。しかし、現実は厳しい数字を残している。にも、かかわらず金は、成功した。その観点からみれば、飲食店の成否のカギもやはり、経営という言葉に収斂されていくのではないか、と思えてくる。若くして経営に携わり、その手腕を磨いてきたからこそ、成功の二文字を手にすることができたのだろう。そういう意味では、金に学ぶことの意味はきわめて大きいといえるのではないだろうか。

もう一つある。金に経営の真髄を聞けば、きっと「人」という答えが返ってくるに違いない。この意味を知っている経営者が意外に少ないことも付け加えておきたい。できあがったレールのうえを走らない。走る道は己で決めてきた金だからこそ、何を大事にするかを知っている気がしてならない。