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為広公は乱戦の中、打ち取った首のひとつに辞世の句を添えて大谷吉継に送る。この首と歌を見て吉継は自刃を果たしたのは有名である。
 
為広公は乱戦の中、打ち取った首のひとつに辞世の句を添えて大谷吉継に送る。この首と歌を見て吉継は自刃を果たしたのは有名である。
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2018年12月17日 (月) 09:50時点における最新版

棄つる命は惜しからじ……[編集]

名のために棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば

関ヶ原の戦い。乱戦の中、平塚為広公は打ち取った首のひとつにこの辞世の句を添えて大谷吉継に送った。この首と歌を見て吉継は自刃を果たした。

平塚為広公は大力で、薙刀の名手といわれている。

豊臣秀吉の馬廻り衆として仕え、小牧・長久手の戦いや小田原征伐で功を上げた。秀吉の醍醐の花見にも側室の護衛として参加している。

秀吉没後は豊臣秀頼に仕え、美濃垂井に1万2000石の所領を与えられる。

徳川家康の会津征伐では大谷吉継に属していたが、途中石田三成が関ヶ原の戦いを決断したため、大谷吉継とともに佐和山城にて換言する。

しかし聞き入れられず西軍に属する事になるのである。翌年伏見城攻めで軍功を上げている。

関ヶ原の合戦では吉継に属し360人で藤川の台に陣を構える。

あらかじめ予想していた小早川秀秋の裏切り部隊に奮戦するも、脇坂安治、朽木元綱など裏切りが相次ぎ、持ちこたえられず大谷軍とともに壊滅する。為広公自身もここで死花を咲かせるのである。

為広公は乱戦の中、打ち取った首のひとつに辞世の句を添えて大谷吉継に送る。この首と歌を見て吉継は自刃を果たしたのは有名である。