J-POP

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'''J-POP'''(ジェイポップ、英: '''Japanese Pop'''の略、ただし和製英語であり造語である)は、[[日本]]で制作された[[ポピュラー音楽]]、[[ポップ・ミュージック]]を指す言葉であり、日本において1980年代にその語と概念が誕生した後、特に1990年代から次世代にかけて[[若者]]が視聴ないしは歌唱する曲のジャンルのひとつである。一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」と言う言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、自然発生した音楽ジャンルではない。 なお「Jポップ」と言う表記も存在するが、本稿では別段の事情のない限り「J-POP」で統一する。 == 歴史 == === 1988年 === 1988年、10月に開局したばかりの[[東京]]のFMラジオ局、[[J-WAVE]]が「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「他文化的」「スタイリッシュ」な町[[六本木]]に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった{{sfn|烏賀陽|2005|p=5-6}}。しかし1988年の年の暮れ{{sfn|烏賀陽|2005|p=3}}、同社の斎藤日出夫常務(現・代表取締役社長)が[[レコード会社]]の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーションアルバムを出す」などと言った目論見もあったという{{sfn|烏賀陽|2005|p=6}}。 この際に「日本のポップス」をどう呼称するのかが検討された(斉藤によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないと言う{{sfn|烏賀陽|2005|p=15}})が、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティー・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJだ。そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば、当時、1987年に[[日本国有鉄道]]が分割民営化され[[JR]]に、1985年に日本[[専売公社]]がやはり民営化され[[日本たばこ]]、すなわちJTになった時代であり、日本を表す「J」と言う文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている{{sfn|烏賀陽|2005|p=19}}。いずれにせよこれが「J-POP」と言う語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった{{sfn|烏賀陽|2005|p=7}}。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである{{sfn|烏賀陽|2005|p=7}}<ref>[[東京新聞]]「J-WAVE開局20周年…若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから」(2008年9月30日)</ref>。 このジャンルは[[マスメディア]]側が先導するかたちでカテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい[[音楽]]を売り手側が分類しているという点において、[[グラムロック|グラム]]・[[パンク・ロック|パンク]]・[[グランジ]]・[[オルタナティブ・ロック]]・[[ヒップホップ]]などといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる{{sfn|烏賀陽|2005|p=15-16}}。斉藤によれば当初の部類は多分に感覚的であり、[[演歌]]はだめ、[[サザンオールスターズ]]や[[松任谷由実]]はOK、[[アリス (フォークグループ)|アリス]]や[[チャゲ&ASKA]]は違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたと言う{{sfn|烏賀陽|2005|p=8}}。そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される{{sfn|烏賀陽|2005|p=8}}。 一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは[[1993年]]から[[1995年]]頃とされる(例外的にタワーレコード心斎橋店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている){{sfn|烏賀陽|2005|p=21}}。 なお、1993年という年は[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPと言う語の普及にとって無視できない要素である{{sfn|烏賀陽|2005|p=23}}。「Jリーグ」は同年の「[[新語・流行語大賞]]」に選ばれている。1995年春には「J-ROCKマガジン」が創刊され、雑誌と連動したテレビ番組「[[J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50]]」が人気となり、マスメディアで[[ポップ・ミュージック|ポップス]]と[[ロック (音楽)|ロック]]を区別する形でも使われるようになった。 呼称の定着までに時間がかかった一因としては、「J-POP」という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる。一例として[[JFN]]系キー局である[[エフエム東京]](TOKYO FM)や、その傘下の出版社では90年代中頃までは極力使わず、本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である「J-POPS」という名称を多用した。音楽番組「[[デイブレイク J-POPS]]」や、「[[アフタヌーン・ブリーズ]]」のジャパニーズ・ポップス・リフレインなどがそうである。 なお烏賀陽によれば、J-POPは従来あった歌謡曲、フォーク、ロック、ニューミュージックなどのジャンル・サブジャンルを全て殺し、それに成り代わってしまったという。すなわちJ-POPの普及後はそれぞれが、烏賀陽の言葉を借りれば従来のジャンルはJ-POPと言うマンションに入居し、歌謡曲系J-POP、フォーク系J-POP、ロック系J-POP、などといった構造に再構築され収まっているという{{sfn|烏賀陽|2005|p=20-21}}。 === 1990年代 === [[1982年]]に登場した[[コンパクトディスク|CD]]およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、売り上げは右肩上がりを続けて[[1991年]]に初の4000億円台を記録すると、[[1998年]]の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた<ref>[http://www.riaj.or.jp/data/money/index.html 音楽ソフト種類別生産金額の推移]、[[日本レコード協会]]</ref>。生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する<ref>[http://www.riaj.or.jp/data/quantity/index.html 音楽ソフト種類別生産数量の推移]、日本レコード協会</ref>など成長を続ける中で、個人としても[[1977年]]に[[阿久悠]]が記録した1172万9000枚の売り上げ記録を、[[1993年]]に「[[負けないで]]」([[ZARD]])の作曲などで知られる[[織田哲郎]]が16年ぶりに更新した。 J-POPという言葉はこの頃からようやく一般の雑誌などでも見かけるようになり、1993年7月には『[[ザ・テレビジョン]]』でロックバンド「J★POP」が紹介されたのを皮切りに{{sfn|烏賀陽|2005|p=21-22}}、雑誌『[[ELLE (雑誌)|ELLE]]』1993年11月21日号では「ジャパニーズポップ」と呼ばれる言葉で[[小山田圭吾|コーネリアス]]や[[ピチカート・ファイブ]]といったいわゆる[[渋谷系]]と呼ばれるバンドの紹介を行っている{{sfn|烏賀陽|2005|p=22}}。Jリーグの開幕もあり、おおよそ1995年までにはJ-POPと言う言葉は定着したとみられる{{sfn|烏賀陽|2005|p=22}}。 なお雑誌『[[マルコポーロ (雑誌)|マルコポーロ]]』は1994年7月号において「パクりが多い」、「ヒット曲のほとんどが盗作」、と言う見出しを用い、「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している。</ref>{{sfn|烏賀陽|2005|p=22}}。 CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった{{sfn|烏賀陽|2005|p=46-51}}。また[[シンセサイザー]]や[[シーケンサ]]、[[MIDI]]楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった{{sfn|烏賀陽|2005|p=51}}。 そしてコストダウンと作業の迅速化により、大量の楽曲の生産が可能となる{{sfn|烏賀陽|2005|p=57-59}}。この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで{{sfn|烏賀陽|2005|p=59}}、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている{{sfn|烏賀陽|2005|p=59}}<ref>[http://www.riaj.or.jp/data/others/debut.html デビュー歌手数]、日本レコード協会</ref>。 また、シンセサイザー等の技術にいち早く注目し実際に成功を収めたミュージシャンやコンポーザとしては[[小室哲哉]]や[[つんく♂]]などが挙げられる{{sfn|烏賀陽|2005|p=54}}。しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれてた{{sfn|烏賀陽|2005|p=55}}。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある<ref>『Jポップとは何か』- P.60より</ref>。[[ソニー・ミュージックエンタテインメント]](当時)の[[坂本通夫]]は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている{{sfn|烏賀陽|2005|p=61}}。 またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも十数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである{{sfn|烏賀陽|2005|p=37-38}}。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、「[[CDラジカセ]]」が1986年から2004年にかけて、5225万代も生産されている{{sfn|烏賀陽|2005|p=38}}。CD[[ミニコンポ]]は1990年から2004年までに3028万代が出荷{{sfn|烏賀陽|2005|p=39}}。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ、CDラジカセ、携帯型と言った安価なものである{{sfn|烏賀陽|2005|p=41}}。ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている{{sfn|烏賀陽|2005|p=39}}。1985年春、オーディオメーカー「パイオニア」の[[常務]]は朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである」と語っている{{sfn|烏賀陽|2005|p=39-40}}。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる{{sfn|烏賀陽|2005|p=41-43}}。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった{{sfn|烏賀陽|2005|p=44-45}}。その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく{{sfn|烏賀陽|2005|p=45}}。 そして1992年ごろから「[[ミリオンセラー]]」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムの合算数。以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した<ref>[http://www.riaj.or.jp/data/others/million_q.html ミリオンセラー作品数の推移]、日本レコード協会</ref>。また、トップ10のアーティストだけで年間売り上げシェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。 90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとして'''KDD'''というものがある<ref>『日本流行歌史』(社会思想社)p.91より</ref>。[[カラオケ]](K)、[[ドラマ]](D)、大幸システム(D)の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。特に[[長戸大幸]]の考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社[[ビーイング]]所属のアーティストが売り上げ1位、2位、4位、5位を占めた<ref>それぞれ[[ZARD]]、[[WANDS]]、[[B'z]]、[[T-BOLAN]]</ref>([[ビーイングブーム]])。 なお1998年に日本のレコード(CD)生産金額は過去最高を記録する{{sfn|烏賀陽|2005|p=26}}。1988年に3429億4700万円だった生産金額は、98年には6074億9400万円と、ほぼ倍増している{{sfn|烏賀陽|2005|p=26}}。 === 2000年代 === 2000年代に入るとシングル盤の売上が減少しだし、2003年の「[[世界に一つだけの花]]」([[SMAP]])を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤が[[2012年]]まで現れなくなった<ref>[http://www.musicman-net.com/business/17786.html レコ協 5月ミリオン等認定作品発表〜AKBが9年ぶり2ミリオンに]、Musicman-NET、2012年6月8日。</ref><ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120609-OHT1T00004.htm AKB新曲「真夏のSounds good!」200万枚突破]、[[スポーツ報知]]、2012年6月9日 6:00</ref>。また、2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラーとなったシングル盤がなかった<ref>[http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/11/11/0003598641.shtml AKB48最新シングル、ミリオン認定!]、デイリースポーツ、2010年11月11日。</ref><ref>[http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/84162/full/ AKB48、デビュー5年目で初ミリオン! シングルでは3年5ヶ月ぶり快挙]、オリコン、2011年1月25日4時0分</ref>)。 その一方で、[[音楽配信]]([[デジタル・ダウンロード]])の売上が増加するという事象が発生する。日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始した[[2005年]]から[[2008年]]まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け<ref name=impress090225>[http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/02/25/22583.html 2008年の国内有料音楽配信売上は905億円、前年比20%増]、Impress Watch、2009年2月25日。</ref>、[[2006年]]にはシングルCDの生産実績を上回った<ref>[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0702/23/news075.html 06年の有料音楽配信売り上げ、CDシングル抜く]、ITmedia、2007年2月23日。</ref>。但し[[2009年]]の売上は前年とほぼ横ばいで<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350657.html 国内の有料音楽配信、2009年の売上は909億8200万円で横ばい]、Impress Watch、2010年2月22日。</ref>、[[2010年]]には前年を割っている<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20110228_430042.html 国内の有料音楽配信、2010年売上は859億9000万円〜前年下回る]、Impress Watch、2011年2月28日。</ref>。 2000年代における音楽ソフト(パッケージ)売上の減少は、「CD」や「レコード」という「音源記録媒体」を購入する時代から「音源そのもの」だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化の生んだ現象である。実際、日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080221/riaj.htm 音楽配信とパッケージの売上合計が3年連続前年越え-RIAJが、2007年年間有料音楽配信売上実績を発表]、Impress Watch、2008年2月21日。</ref>が、2008年には前年をやや下回った<ref name=impress090225 />。 また[[インターネット]]が個人で利用しやすくなったことにより、[[ファイル共有ソフト]]や[[ウェブサイト]]上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信もその被害を受けていると考えられる<ref>[http://cdvnet.jp/modules/stats/index.php/music_stream.html 統計データ]、CDV-NET。(2011/08/02閲覧)</ref>。 === 2010年代 === 2010年になるとシングル盤ばかりかアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなっている(2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ<ref>[http://www.riaj.or.jp/data/others/million_list/2010.html 年度別ミリオンセラー一覧 2010年]、日本レコード協会。(2011/08/03閲覧)。2010年、日本レコード協会にミリオンセラーに認定されたアルバム盤は3作あるが、1作は2005年発売の作品である。</ref>)。さらに2010年のオリコン年間シングルランキングは[[AKB48]]と[[嵐 (グループ)|嵐]]の2組のみでTOP10を独占するなど、特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した。一方で、日本レコード協会が発表した2010年の[[RIAJ有料音楽配信チャート]]の[[着うたフル]]年間チャート<ref>[http://www.riaj.or.jp/release/2010/pr101220.html 2010年 年間1位は西野カナ「会いたくて 会いたくて」〜「着うたフル(R)」有料音楽配信年間チャート発表!〜]、日本レコード協会、2010年12月20日。</ref>では、AKB48の楽曲は「[[ヘビーローテーション (曲)|ヘビーローテーション]]」の12位が最高であり、着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である。着うたフルを配信しなかった[[ジャニーズ]]作品([[SMAP]]、嵐、[[関ジャニ∞]]、[[KAT-TUN]]、[[Hey! Say! JUMP]]等)が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲も占めたり、[[桑田佳祐]]([[サザンオールスターズ]])、[[Mr.Children]]、[[BUMP OF CHICKEN]]など、[[着うた]]のみの配信で着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなっている。なお、着うたフルのチャートに関して、音楽産業の現況にあわないとの理由で2012年7月24日をもって集計を休止している<ref>[http://www.riaj.or.jp/release/2012/pr120720.html 日本レコード協会プレスリリース 2012年7月20日]</ref>。また理由の一つとして、1タイトルにつき3種類以上のタイプ別版を発売するアイドル曲が上位にきたり、一般に[[AKB48#AKB商法|AKB商法]]や[[K-POP#K-POPを巡る論争と騒動|K-POP商法]]と呼ばれる、メンバーとの握手やハイタッチ、ファンミと呼ばれるファンミーティング応募券などの特典を付けることにより、熱心なファンがタイプ別版を揃えるだけではなく同じ商品をさらに複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられている。 2012年9月10日、[[日本レコード協会]](RIAJ)、[[日本音楽事業者協会]](音事協、JAME)、[[日本音楽制作者連盟]](音制連、FMPJ)、[[日本音楽出版社協会]](MPAJ)、[[日本芸能実演家団体協議会]](芸団協)[[実演家著作隣接権センター]](CPRA)、[[演奏家権利処理合同機構ミュージックピープルズネスト|演奏家権利処理合同機構MPN]]、[[映像実演権利者合同機構]](PRE)の7団体は、[[YouTube]]や[[ダウンロード違法化|違法ダウンロード]]の蔓延が売上げ減少の最大の原因だとして「私的違法ダウンロードの罰則化」に関する啓発活動を目的に「STOP!違法ダウンロード広報委員会」を設立している<ref>[http://stopillegaldownload.jp/ 「STOP!違法ダウンロード広報委員会」開設サイト]</ref>。 == 同義語 == [[日本のロック|J-ROCK]]という表記が登場するきっかけとなっている。「日本の」という意味でJ-RAP、J-SOUL等何にでも「J-」を付ける使い方も一時期流行した。これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、「J-POP」がこれらのジャンルの楽曲も[[内包]]する言葉であるともいえる。なお海外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music(J-music)が一般的である。 [[新方言|方言]]として'''Z-POP'''(ジーポップ)が有る。[[JAPAN FM LEAGUE|JFL]]系列の[[ラジオ]]局[[ZIP-FM]](愛知)と[[全国FM放送協議会|JFN]]系列の[[エフエム熊本]](FMK)が用いる言葉で、局限定である事(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違い等が有るものの、J-POPとほぼ同意義である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[産業ロック]] * [[音楽のジャンル一覧]] * [[吉田拓郎]](『[[日経エンタテインメント!]]』は、2000年2月号の特集「J-POPの歴史をつくった100人」の中で、“J-POPの開祖”と論じている<ref>[[日経エンタテインメント!]]、[[日経BP社]]、2004年2月号- P.28、29より</ref>) * [[アジアン・ポップス|A-POP]] * [[K-POP]]([[大韓民国|韓国]]のポップス) * [[C-POP]]([[中華圏]]のポップス) * [[T-POP]]([[タイ王国|タイ]]のポップス)<references/> == 外部リンク == * [http://riaj.or.jp/ 一般社団法人 日本レコード協会] * [http://jame-world.com/ JaME World] {{DEFAULTSORT:しえいほつふ}} [[Category:J-POP|*]] [[Category:日本の音楽]]