「高倉美貴」の版間の差分

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そんな高倉美貴に目をつけたのが、日活のSM映画の原作者である巨匠・[[団鬼六]]であった。当時団鬼六は、公私にわたるパートナー、“二代目SMの女王”[[麻吹淳子]]が病気のため引退し、彼女に代わる“三代目SMの女王”を探していたところだった。団鬼六は個人的な感情により、“三代目SMの女王”として高倉美貴に白羽の矢を立てた。当然のことながら、高倉美貴は団鬼六の要望を断った。しかし団鬼六が粘り強く高倉美貴と彼女の母親を説得し、日活も高額の契約金を提示するなどして、ついに高倉美貴をSM女優として獲得した。ここに「日活ポルノ史上最も美しい女優」と言われたポルノ女優が誕生した。こうして高倉美貴も団鬼六の公私にわたるパートナーとしてマゾ調教されていった。
 
そんな高倉美貴に目をつけたのが、日活のSM映画の原作者である巨匠・[[団鬼六]]であった。当時団鬼六は、公私にわたるパートナー、“二代目SMの女王”[[麻吹淳子]]が病気のため引退し、彼女に代わる“三代目SMの女王”を探していたところだった。団鬼六は個人的な感情により、“三代目SMの女王”として高倉美貴に白羽の矢を立てた。当然のことながら、高倉美貴は団鬼六の要望を断った。しかし団鬼六が粘り強く高倉美貴と彼女の母親を説得し、日活も高額の契約金を提示するなどして、ついに高倉美貴をSM女優として獲得した。ここに「日活ポルノ史上最も美しい女優」と言われたポルノ女優が誕生した。こうして高倉美貴も団鬼六の公私にわたるパートナーとしてマゾ調教されていった。
  
日活が“[[ハメ撮り]]を導入”した年に引退し、引退後は一般の女優となった。しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、高倉美貴は“SM女優”であったがため、“売れない脇役女優”としての人生を送った。のち、お笑い芸人・[[あのねのね]]の原田と結婚し芸能界を引退した。
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日活が“[[ハメ撮り]]を導入”した1986年に引退し、引退後は一般の女優となった。しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、高倉美貴は“SM女優”であったがため、“売れない脇役女優”としての人生を送った。のち、お笑い芸人・[[あのねのね]]の原田と結婚し芸能界を引退した。
  
 
なお、団鬼六は高倉美貴がSM女優になった経緯について、「私は高倉美貴に、あなたのような女性がSM女優になんかなっちゃいかんと断ったのだが、本人にどうしてもお願いしますと頼まれまして」と、ありもしない嘘を言いふらした。これについて、高倉美貴からは団鬼六の話を否定する動きはなかった。
 
なお、団鬼六は高倉美貴がSM女優になった経緯について、「私は高倉美貴に、あなたのような女性がSM女優になんかなっちゃいかんと断ったのだが、本人にどうしてもお願いしますと頼まれまして」と、ありもしない嘘を言いふらした。これについて、高倉美貴からは団鬼六の話を否定する動きはなかった。

2011年11月19日 (土) 04:35時点における版

高倉 美貴(たかくら みき)は日活ロマンポルノのSM女優、および一般女優。

金沢の老舗の娘で、幼稚園から高校まで私立お嬢様校に通っていた箱入り娘。高校時代は映画部の部長を務める。高校卒業後、デザイナーになるため上京。原宿のブティックに勤務していたが、その美貌により芸能事務所にスカウトされモデルとなった。

そんな高倉美貴に目をつけたのが、日活のSM映画の原作者である巨匠・団鬼六であった。当時団鬼六は、公私にわたるパートナー、“二代目SMの女王”麻吹淳子が病気のため引退し、彼女に代わる“三代目SMの女王”を探していたところだった。団鬼六は個人的な感情により、“三代目SMの女王”として高倉美貴に白羽の矢を立てた。当然のことながら、高倉美貴は団鬼六の要望を断った。しかし団鬼六が粘り強く高倉美貴と彼女の母親を説得し、日活も高額の契約金を提示するなどして、ついに高倉美貴をSM女優として獲得した。ここに「日活ポルノ史上最も美しい女優」と言われたポルノ女優が誕生した。こうして高倉美貴も団鬼六の公私にわたるパートナーとしてマゾ調教されていった。

日活が“ハメ撮りを導入”した1986年に引退し、引退後は一般の女優となった。しかし、当時は元ポルノ女優ということだけでテレビ局から敬遠されていたのだが、高倉美貴は“SM女優”であったがため、“売れない脇役女優”としての人生を送った。のち、お笑い芸人・あのねのねの原田と結婚し芸能界を引退した。

なお、団鬼六は高倉美貴がSM女優になった経緯について、「私は高倉美貴に、あなたのような女性がSM女優になんかなっちゃいかんと断ったのだが、本人にどうしてもお願いしますと頼まれまして」と、ありもしない嘘を言いふらした。これについて、高倉美貴からは団鬼六の話を否定する動きはなかった。