長野放送

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株式会社 長野放送
Nagano Broadcasting Systems Inc.
200px
種類 株式会社
市場情報
略称 NBS
本社所在地 日本の旗 日本 
長野県長野市中御所岡田町131番7号
電話番号
設立 1968年3月22日
業種 情報・通信業
事業内容 テレビジョン放送事業
代表者 外山衆司代表取締役社長
資本金 3億円
売上高 52億8000万円(2012年3月期)
総資産
従業員数 89名(2016年4月現在)
決算期
主要株主 フジ・メディア・ホールディングス(33.08%)
主要子会社
関係する人物
外部リンク http://www.nbs-tv.co.jp/
特記事項:
長野放送
英名Nagano Broadcasting Systems Inc.
放送対象地域長野県
キー局フジテレビ
ニュース系列FNN
番組供給系列FNS
略称NBS
愛称NBS
NBSテレビ
長野放送
呼出符号JOLH
呼出名称ながのほうそう デジタルテレビジョン
開局日1969年4月1日
本社〒380-8633 長野県
長野市中御所
岡田町
131-7
演奏所本社と同じ
アナログ親局長野 38ch
ガイドチャンネル38ch
リモコンキーID8
デジタル親局長野 15
主なアナログ中継局#チャンネル参照
主なデジタル中継局
公式サイトhttp://www.nbs-tv.co.jp/
特記事項:
テンプレートを表示

株式会社 長野放送(ながのほうそう、Nagano Broadcasting Systems Inc.)は、長野県放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。 略称はNBSで、FNNFNS系列のフルネット局。

概要[編集]

事業所[編集]

本社・演奏所
支社
ファイル:Showa Building Matsumoto 2018.jpg
中南信支社が入居するビル


支局
  • 上田支局:上田市天神2丁目1番22号 OAUビル3階
  • 諏訪支局:諏訪市諏訪2丁目1番6号 損保ジャパン諏訪ビル4階
  • 飯田支局:飯田市元町5424番地6 北野建設飯田ビル5階

資本構成[編集]

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典: [1][2][3][4]

2016年3月31日[編集]

資本金 授権資本 1株 発行済株式総数
300,000,000円 500,000,000円 500円 600,000株
株主 株式数 比率
フジ・メディア・ホールディングス 198,500株 33.08%
北野建設 060,000株 10.00%
信濃毎日新聞 059,000株 09.83%

過去の資本構成[編集]

沿革[編集]

  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 地上アナログテレビ放送の予備免許取得。[6]
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 4月1日 - 開局。地上アナログテレビ放送の本放送開始[8]。FNNに加盟。
    • 5月 - 初代本社社屋完成。
      • サービス放送開始時から本放送開始初期までは、スタジオと外装が未完成だった。
    • 10月1日 - この日発足したFNSに加盟。
  • 1970年(昭和45年)
    • 頃 - アンペックス社製の放送用2インチVTR(ハイバンド方式)を導入する。
    • 5月 - 自社カラー送出装置が完成し、カラー番組比率が急速にアップする。当時UHFではネット受けで精一杯といわれていただけに大いに注目された。
    • 8月 - 自社ローカル取材によるニュースフィルムがカラー化される。
  • 1972年(昭和47年)2月28日 - 連合赤軍あさま山荘事件で犯人逮捕・連行の瞬間を、キー局のフジテレビと協力してスクープ撮影をして、FNNを通じて、全国に生放送した。[注釈 1]
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月末頃 - カラー中継車導入。
    • 4月 - カラー中継車による生放送実施により、自社送出番組のカラー化が完了する。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 毎日放送制作の番組が腸捻転ネット解消により信越放送に移行。代わって朝日放送制作の番組が放送されるようになる(1980年(昭和55年)9月30日まで)。
  • 1977年(昭和52年)頃 ソニー製1インチVTRを導入。
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 本社別館が完成。報道局が別館に移転し以降自社制作のニュース番組はここから放送するようになる。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)4月 - 16mmフィルムによる取材・番組制作を廃止。これにより、全面的に生放送かVTRを使った取材・番組制作に完全移行する。
  • 1984年(昭和59年)
    • 7月2日 - 現在の本社社屋が完成し移転。初代本社社屋は後に取り壊され前庭となる。
    • 12月1日 - コーポレートアイデンティティ(CI)導入、ロゴを変更。1990年代に文字中の斜線が消滅し現在のロゴに。ただし、和文ロゴは現在も開局当時の物を使用している。
  • 1985年(昭和60年)5月10日 - 前年12月に完成していた本社社屋内多目的ホール「NBSホール」オープン。
  • 1993年(平成5年)頃 - ソニー製のD2方式によるデジタルVTRを導入。
  • 1998年(平成10年)10月25日 - この日から『スーパー競馬』の放送を開始[9]。当初はGI級競走に限っての放送だったが翌年10月24日から通年放送となる[10]
  • 2005年(平成17年)
    • 6月10日 - 地上デジタルテレビ放送の予備免許を取得(長野のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)。[11]
    • 10月1日 美ヶ原送信所から、地上デジタルテレビ放送の試験電波を発射する(地デジ送信機は東芝製)。
    • 11月7日 - 地上デジタルテレビ放送開始に伴い、マスター(主調整卓)をデジタル・アナログ統合型に更新(東芝製)。
  • 2006年(平成18年)
    • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送試験に先立ち、スタジオのハイビジョン化工事が完了。
    • 7月1日
      • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送の試験を開始(長野県内の民放初)。
      • 局初の正式キャラクターとして「ベスト犬 ハチポ」が登場する。
    • 9月25日 - 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(長野の他の民放テレビ3局も同日に取得。)[12]
    • 10月1日 -
      • AM5:15(JST)を起として地上デジタルテレビ本放送開始。コールサインはJOLH-DTV、チャンネルはリモコンキーID8[13]
      • 報道スタジオに、長野県内初のHD対応のヴァーチャルスタジオシステム(ソニー製)を導入、運用開始。
  • 2007年(平成19年)
    • 7月1日 - 局のキャラクター「ベスト犬 ハチポ」のガールフレンドとして、「ベスト犬 ハチナ」が登場する。
    • 11月23日 - フジテレビ系列局では初めて同系列の主要局[14]以外の中継車をレンタルし、東京ヤクルトスワローズファン感謝デー2007の制作局となる。なお神宮球場には初めて長野放送の中継車が止まった。
  • 2008年(平成20年)11月3日
    • 翌年4月の開局40周年に先立ち、同じ翌月の12月16日に開局40周年を迎えるフジ系のNST新潟総合テレビと共同で両局開局40周年特番の共同制作「スマイル・これだね!」をNSTと同時に生放送を行う。これを機に、同局とは毎年1回(10月下旬か11月上旬)、同番組の共同制作を行う様になる。[15]
    • NBSのコーナー 天気予報・今日の俳句・あなたのベストショットで使われるヴァーチャルスタジオのデザインが変更される。
  • 2009年(平成21年)5月14日 - WEBサイト(ホームページ)の名称が、「ハチポワールド」となる。(2017年2月15日の同サイトの完全リニューアル前まで。)
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 正午、アナログテレビ放送が終了。同日24時のアナログテレビ完全停波直前に、サービス放送開始時から数年間放映されていたCMのフィラーとして使われていた局の宣伝カラーアニメ(開局前まではオープニングでも使用されていた)を流してアナログ放送を終了するという演出を行った(詳細は、オープニング&クロージング映像のエンディングの項目の「アナログ終了特別クロージング」を参照のこと)。
  • 2012年(平成24年)5月7日 - 5月18日 - フジテレビの平日のお昼の番組『知りたがり!』の時間帯[16]に、自局初のデータ放送を使ってのNBSローカル独自のプレゼント・キャンペーンを行う(尚、同番組がない12日・13日は不実施)。[17]
  • 2017年(平成29年)2月15日 - WEBサイト(ホームページ)を完全リニューアルし、PC、スマホ、タブレットPCの全形態対応型となる。[18]
本社社屋関係
  • 1967年(昭和42年)12月22日 - 創立事務所を長野市南石堂町の長栄ビル内に設置。1968年(昭和43年)3月18日の設立後は本社事務所として使用。
  • 1968年(昭和43年)12月20日 - 長野市岡田町に初代社屋(2階建て鉄筋コンクリート作り)の一部が完成。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月2日 - 本社事務所が南石堂町から岡田町の初代社屋に移転。この時点で内装全てが完成。
    • 5月 - 外装工事が完了し初代本社社屋が完成(鉄塔には旧ロゴの「NBS」を象った青いネオンサインが縦に付いていた)。
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 鉄筋コンクリート3階建ての本社別館が完成。
  • 1984年(昭和59年)7月2日 - 現在の本社社屋本館とNBSホール完成。初代本社社屋は取り壊され前庭となる。
社史関係
  • 1989年(平成元年)5月25日 - 「長野放送二十年の歩み」刊行。

テレビネットワークの移り変わり[編集]

マスコット・キャラクター[編集]

  • マスコットは創立以来2006年(平成18年)まで正式なものがなく、2001年(平成13年)に暫定として「ダッくん」(サービス放送開始時から開局前までのオープニングや、同じくサービス放送開始時から数年間、CMのフィラーとして局の宣伝として放映されていたカラーアニメの中に出てくる、アヒルをモチーフにしたキャラクター)が設定されていたが、2006年(平成18年)7月1日ベストを掛け合わせたキャラクター「ベスト犬 ハチポ」が初の正式マスコットとして採用されデビューし(これに伴い「ダッくん」は引退)、翌年7月1日には、ハチポのガール・フレンドである「ベスト犬 ハチナ」もデビューし、このハチポとハチナが現在、同局のキャラクターとして活躍している(ハチポ、ハチナの詳細については、各項目を参照のこと)。

主な番組[編集]

※ HD はハイビジョン制作 [19]

自主制作番組[編集]

NBSが制作に協力したフジテレビ系番組[編集]

ネット番組[編集]

全国ネットを除くフジテレビ系列の主な番組
テレビ東京系列の番組
その他

過去の自主制作番組[編集]

過去の差し替え番組[編集]

過去の他系列番組[編集]

テレビ東京系列
ナースエンジェルりりかSOSこどものおもちゃ(『赤ずきんチャチャ』はTSBで放送・『姫ちゃんのリボン』は県内では未放送)
超星神グランセイザー幻星神ジャスティライザー超星艦隊セイザーX
ただしTSBでも何度か再放送されている。
ドラマ
バラエティ
紀行番組
テレビ朝日系列
秘密戦隊ゴレンジャージャッカー電撃隊電子戦隊デンジマン [37](1980年10月からTSBにネット局変更)
キャンディ・キャンディ花の子ルンルン魔法少女ララベル(「スーパー戦隊シリーズ」同様1980年10月からTSBにネット局変更)
同系列で毎日放送制作の番組(腸捻転解消前)
仮面ライダー仮面ライダーV3仮面ライダーX(『…アマゾン』は放送せず。平成シリーズはabnで放送)
  • 狼 無頼控
  • テレビスター劇場
  • 野生の王国(SBCより移行 開局から1969年9月28日までは日曜18:00-18:30、1969年10月5日から1972年9月24日までは日曜17:30 - 18:00、1972年10月1日から1975年3月30日までは日曜17:45 - 18:00に放送されていた。腸捻転解消後再びSBCへ移行[48]
同系列で朝日放送制作の番組(腸捻転解消後)
 必殺仕業人必殺からくり人必殺からくり人・血風編新・必殺仕置人新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅江戸プロフェッショナル・必殺商売人必殺からくり人・富嶽百景殺し旅翔べ! 必殺うらごろし必殺仕事人(第41話まで。第42話から第67話まで放送なし。第68話以降TSB[49]にネット局変更)
 日本テレビ系列(※TSB開局まで)
その他

アナウンサー[編集]

男性アナウンサー[編集]

過去の男性アナウンサー[編集]

女性アナウンサー[編集]

過去の女性アナウンサー[編集]

チャンネル[編集]

ファイル:FNNID.png
フジテレビ系列のリモコンキーID地図

リモコンキーIDは8

中継局(デジタル放送)[編集]

  • 親局 美ヶ原 15ch 1kW
中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W)
善光寺平 34 20 飯山 49 5 松本 26 10 真田 49 10 佐久 49 3 白馬 26 3
軽井沢 44 10 岡谷諏訪 49 20 伊那 26 10 飯田 49 100 山ノ内 15 1 明科 39 1
戸倉上山田 29 1 岡谷川岸 26 0.3 大町 56 3 塩尻東 39 1 木曽福島 26 1 八千穂 15
信州新町 19 戸隠陣場平 34 上松 15 倉本 50 富士見 15 大岡西 34
辰野 47 高遠 34 麻績 34 牟礼 41 坂城 34 望月 45
南牧 29 中条 19 駒ヶ根中沢 43 飯田川路 34 飯田阿智 26 白樺湖 26
飯山愛宕 34 飯山奈良沢 34 山ノ内湯ノ原 26 西裾花台 長野西 須坂東
松代東条 信濃町 車山 望月城山 飯綱湖 中軽井沢

中継局(アナログ放送)[編集]

2011年7月24日停波時点

  • 親局 美ヶ原 38ch 10kW
  • 中継局(全72局)
中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W) 中継局 ch 出力(W)
善光寺平 42 200 飯山 41 50 松本 42 100 四賀会田 57 真田 40 100 佐久 32 300
軽井沢 51 100 岡谷諏訪 47 200 伊那 57 100 飯田 40 1K 山ノ内 4 3 明科 12 3
戸倉上山田 57 大町 58 木曽福島 41 八千穂 58 辰野 34 岡谷山岸 42
富士見 34 上松 51 倉本 59 牟礼 58 戸隠陣場平 42 信州新町 41
白馬 47 小川瀬戸川 58 本城乱橋 54 長門 47 阿南 21 高遠 41
木祖楢川 60 天龍平岡 56 遠山 48 南木曽 40 麻績 47 南牧 41
川上 61 望月 58 望月城山 39 木曽杭ノ原 56 中川田島 56 飯田阿智 57
中川小和田 56 坂城 41 小谷 34 飯山奈良沢 46 飯山愛宕 58 飯山桑名川 58
栄村 33 塩尻東 35 伊那野底 47 車山 46 山ノ内湯ノ原 59 大桑 41
新野 57 阿南北条 60 長野西 39 鬼無里 47 駒ヶ沢中沢 58 須坂東 61
長野松代 53 更埴 54 須坂南原 49 長野西条 43 富士見瀬沢 42 開田末川 56
白樺湖 60 開田西野 28 飯田川路 56 大岡西 25 若穂 58 中条 57

※山ノ内、明科は共にVHFによる中継局である。

情報カメラ設置ポイント[編集]

  • 長野市(本社屋上鉄塔)
  • 松本市(昭和ビル)
  • 白樺湖

オープニング&クロージング映像[編集]

オープニング[編集]

アナログ

  • 動物が主に出てくるカラーアニメ[55](60秒。1968年12月20日(サービス放送開始) - 1969年3月31日)
    • このアニメは、サービス放送開始時から数年間、CMのフィラーとしても放送されていた。
    • また、2001年には、このアニメに出てくるアヒルを元に、局初のキャラクターである「ベスト犬 ハチポ」の前の暫定キャラクター「ダッくん」も登場している。
  • 宇宙〜日の出(1969年4月1日開局 - 2003年6月30日)
    • 美ヶ原の朝日の背景に、「おはようございます長野放送です」と言うテロップの後に、親局のチャンネルと周波数の表示。1984年10月頃、ロゴ変更により一部手直しされた。アナウンスは「おはようございます。ご機嫌良くお目覚めでいらっしゃいますか? JOLH-TV、JOLH-TV、こちらはNBS長野放送テレビです。」と告げている。
    • 開局時はフィルム撮影だったが、のちにVTR撮影に変わった。
    • 1980年6月の音声多重放送開始時に音声多重放送開始と同時に音声をステレオ化させ(後に2音声に変更となる)、それに伴い、アナウンスも入れ替えた。
  • 上高地の風景(2003年7月1日 - 2010年7月4日)
    • ナレーションは菰田敦子。中継局表示はマスター更新後廃止。ラスト部分は2004年以降、コールサインと局名表示に差し替え。
  • 長野県内の風景(2010年7月5日 - 2011年7月23日)[56]
    • アナログ放送のレターボックス化に合わせ、デジタル放送と同じ映像に変更。アナウンスは平松奈々アナ。

デジタル

  • ハチポのイラスト(2006年10月1日デジタル開局 - 2008年頃)
    • ハチポのイラストとともに、コールサインをアナウンス。
  • 長野県内の風景(2008年頃 - 現在)
    • 長野県内の風景をパックに、コールサインをアナウンス。コールサインと局名を書いた字幕の右には、ハチポのイラストが出ている。アナウンスは女性が行っている。風景は変更されたこともある。

クロージング[編集]

アナログ

  • 夜景の静止画(1969年4月1日開局 - 2003年6月30日)
    • 夜景の静止画をバックに局名、コールサイン、チャンネル表示。BGMはマントヴァーニの『シャルメーヌ』[57]
    • また、オープニング同様、1980年6月、音声多重放送開始と同時に音楽をステレオ化させ(後に2音声に変更となる[58])、それに伴い、アナウンスも入れ替えた。
  • 千曲川源流の風景(2003年7月1日 - 2010年7月4日)
    • ナレーションはOPと同じ。中継局表示はOPと同様、マスター更新後廃止。ラスト部分は2004年以降、OPと同様、コールサインと局名表示に差し替え。
  • 長野県内の夜景(2010年7月5日 - 2011年7月22日)[59]
    • アナログ放送のレターボックス化に合わせ、デジタル放送と同じ映像に変更。
      • この際、クロージング直前に「地上アナログ放送終了告知画面」(30秒、ナレーション付き)を放送していた(アナウンスは上小牧忠道)。
  • アナログテレビ放送終了特別クロージング
    • 2011年7月24日、24時前のアナログ完全停波前に放映されたもので、以下の通りに続けて放映された(アナウンスは平松奈々)。
      • 1:美ヶ原送信所の空撮を背景に、映像下部に、先ずコールサイン(JOLH-TV)、放送局名(NBS長野放送・汎用書体)と右側にハチポのイラストを表示し、続いて、美ヶ原親局送信所の映像・音声の各周波数及び出力を表示(親局のチャンネル番号38は表示及びアナウンスされなかった)。
      • 2:サービス放送開始から開局前までにオープニングにて使われていたカラーアニメーションをバックにして、画面下に横スクロールで県内全アナログ中継局72局のチャンネル一覧を表示後、コールサイン・放送局名(汎用・最後のみ開局時の書体を流用)・ハチポのイラストが上部に表示され、最後に下部に「長い間ご覧いただきありがとうございました。」という字幕が出る。

デジタル

  • ハチポのイラスト(2006年10月1日デジタル開局 - 2008年頃)
    • OPと同じ。
  • 長野県内の夜景(2008年 - 現在)
    • 夕日から夜景にかけての映像をバックに、コールサイン、局名をアナウンス。オープニングと同様、コールサインと局名を書いた字幕の右には、ハチポのイラストが出ている。アナウンスはオープニングと同じ女性が行っている。2015年頃からBGMが変更されている。

※クロージング終了後は無音のカラーバーが表示されその途中で停波し、開始10分前にカラーバー→9分前にハチポのイラストに局舎とカラーバーを組み合わせた静止画をバックにBGMが流れる。尚、放送休止時間が短い場合でも停波する事が多くその場合開始1分前に時計とロゴ入りのカラーバーを表示する。

『あさま山荘事件』犯人逮捕のスクープ裏話[編集]

1972年2月28日長野県北佐久郡軽井沢町で起きた連合赤軍あさま山荘事件で、フジテレビと協力して犯人逮捕→連行の模様を生中継するという報道史上に残る快挙を達成したが、これは、当時のNBSのテレビ中継車が未だにカラー化されずモノクロであった状況が逆にプラスに作用した。その時の模様の一部は、後にNHK-BS2の「BSスペシャル 青春TVタイムトラベル 第2回『1972年2月28日 テレビの一番長い日〜ニュース映像の衝撃 連合赤軍浅間山荘事件に関係したTVマンたちの一日』(1992年10月31日放送)」でもNHK及び民放各局(長野のNBS、SBCも含む)の当時のVTRを始めとする映像と一緒にまとめて紹介され、その際そのスクープ映像のVTRも一緒に放送された。[注釈 1]
あさま山荘事件#エピソードの項も参照)

当時、系列キー局の大半が全番組のカラー化を完了していたが、当時の地方局のカラー化の事情については、地方局がどの系列局に属するか、また、放送局の事情などでも、大きな違いがあった。

信越放送(SBC)は、1958年にテレビ放送を開局した長野県の老舗の民放であり、ニュースネットワークはTBS系のJNNで、同組織の方針も手伝い、カラー中継車を始めとするカラー放送設備も既に完備していた。

しかしNBSは、1967年のUHF第1次チャンネルプランに基づき1969年に開局したテレビ局で、NBSを含めこの頃から相次いで開局した地方の民放UHFテレビ局のほとんどは未だにカラー中継車を導入しておらず、モノクロの中継車しかなかった状況だった[60]

この事件の生中継でも、NHK及びSBCは当然カラー中継で、NBSはその点では不利な状況に置かれていた。 しかし、NBSは、ニュースネットワークが開局時からフジテレビ系列のFNNのみであることが、この事件の報道に於いて最終的にはスクープ映像を生み、功を奏した結果となった。

この事件当日、既にNBSはFNNとしての報道取材の協力体制を確立し、テレビの生中継はメインをフジテレビが自社のカラー中継車で行うこととし、NBSではフジテレビが放送している事件の模様の生放送を、放送回線(当時は電電公社の放送専用のマイクロ波回線)を通してそのまま放送する状況だった。しかし、当時はカラー放送が普通である時代に入っていた為、フジテレビ・FNNではNBSのモノクロ中継車の扱いをどうするのかとなった。当時のカラーカメラは、普通、モノクロカメラの最低約2倍もの照度がなければ、映像として映し出すことができない性能である状況であった。がしかし、モノクロならば映し出すことができる照度が、カラーのそれより低いという長所があり、既にフジテレビでは当時モノクロのハンディー型の高感度カメラを所有していたため、それを使い後の犯人が連行される現場にカメラとNBSの中継車が配置する判断がなされ、18時過ぎ犯人連行の瞬間の模様を撮影し、それがフジテレビ・FNNを通じ全国に生放送された。

その時の判断を記す文献が、NBSが1989年に発行した社史「長野放送二十年の歩み」に掲載されており、「(前略)犯人逮捕が夕方になると判断した中継スタッフは日照時間を調べカラー放送は無理と判断、そこにちょっとした偶然が重なった。というのも、長野放送は当時カラー化を進めていたが、その現場に出ていた中継車はまだ白黒用だった。・・・」という一文が書かれている。

更に、前述のNHK-BS2の「青春TVタイムトラベル」の中では、スクープを撮影した当時のフジテレビのカメラマンの証言が放送され、それによると配置された後、長い時間、下にいるスタッフに足を抱えられながら持ち上げられて、前に述べた当時としては小型(と言っても、後の放送用のHDV規格の一体型カメラに比べれば、約一回りも大きい)のハンディーカメラを抱え続けながら長時間待ち続けて、スクープ撮影に成功したのだという。

一方、当時唯一のライバル局のSBCは失敗した。すでに自社送出番組のカラー化を完了していた同社は、カラー中継車をフルに使うなどものすごい意気込みで事件報道に取り組んでいたが、NBSが快挙を達成した日にはカメラマンが銃撃されて負傷し、犯人逮捕→連行の瞬間は逃すという状況だった。

2001年に発行された同社の社史「信越放送の50年」には「(前略)残念だったのは現場に中継用の(カラー)高感度カメラがなく、生中継で写せなかった事である。」とあり、長野放送とフジテレビが協力して行ったスクープがいかに歴史的なものだったかの証明になっている。

一方、スクープの撮影・生放送を行ったフジテレビでは、これを機に、報道に力を入れるようになったと当時フジテレビ職員であった日枝久が、前述のNHK-BS2の「青春TVタイムトラベル」の中で述べていた(日枝はこの放送当時フジテレビの社長で、後にフジテレビ及びフジ・メディア・ホールディングスの会長となった。)。

脚注[編集]

  1. 日本民間放送連盟 (1978-12) 日本民間放送連盟 [ 日本放送年鑑'78 ] 洋文社 1978-12 191
  2. 日本民間放送連盟 (1992-11) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑'92 ] コーケン出版 1992-11 276
  3. 日本民間放送連盟 (2003-11) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑2003 ] コーケン出版 2003-11 296
  4. 日本民間放送連盟 (2015-11-20) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑2015 ] コーケン出版 2015-11-20 312
  5. 長野放送 取締役相談役
  6. 当時のUHF第1次チャンネルプランに基づくもので、この日は他にも新潟総合テレビ(NST)、テレビ静岡(SUT)等にも、予備免許が交付された。
  7. サービス放送最初の番組は、フジテレビからのネット番組で、『お昼のゴールデンショー』だった。ちなみにカラー放送としての最初の番組は、翌21日19時からの『戦え! マイティジャック』(同じくフジテレビからのネット)だった。
  8. ちなみに、開局初日の最初の番組は、8時45分からの『朝の歌謡曲』だった。
  9. 1998年10月25日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  10. 1999年10月24日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  11. この日は、長野県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  12. 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年9月20日付
  13. ちなみに、地デジの本放送での初放送番組は、『通販DJ』だった。
  14. ちなみにここで言うFNS主要局は、以下の通り。フジテレビ、北海道文化放送仙台放送東海テレビ関西テレビテレビ新広島テレビ西日本
  15. 2008年の初回は、NSTのスタジオをメインに各中継を結ぶ生放送だったが、翌年からは、製作局はその年によって異なり、製作を行わない方は、制作協力の方に廻る様になっている。
  16. 当番組は、この年の4月から14時開始に移行した。フジテレビを始めとする一部の局では、第2部の15時52分まで放送しているが、NBSでは、大半のネット局と同様、第1部のみの14時から14時58分まで放送だが、NBSでは編成上、15時までの放送扱いとなっている。
  17. 同番組時間中に、ワンセグを除く通常の12セグメントの地上波に於けるデータ放送で、キーワードを表示し、視聴者がネット又は携帯にてその日の17時まで応募。毎日5名ずつ、計50名に各々5千円が当たるというもの。
  18. ウェブサイトリニューアルのお知らせ(NBSのWEBサイト 2017年2月15日付)
  19. 2018年4月~ NBS基本番組表
  20. 16:50 - 18:14はフジテレビより「プライムニュース イブニング」(全国放送枠)をネット。
  21. ローカルセールス枠の関係で『モノシリーのとっておき〜すんごい人がやってくる!〜』を同時ネットできないための代替編成
  22. 18:00 - 18:30は、多くのフジテレビ系列局で『ミュージックフェア』を放送しているが、NBSでは1981年9月で放送を打ち切られた。ただし、一部地域ではフジテレビ東海テレビテレビ静岡のいずれかを受信すると「ミュージックフェア」が視聴可能。
  23. 2016年から放送。2017年からはBSフジでも同時生中継 (12:00 - 14:30)を行なっている。2015年まではabnで放送
  24. 編成の都合などで放送がない時は「NBSフォーカス∞信州」を放送。ただし、後日放送の場合あり。
  25. 2006年秋のローカル枠降格までは同時ネットで放送。2013年4月14日にネット再開
  26. 2013年3月31日、4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  27. スポーツ中継などで短縮、休止あり。
  28. 2015年4月19日よりネット再開。
  29. 2006年4月12日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  30. 2作目はフジテレビ製作、途中まで同時ネット。3作目は放送せず。
  31. 1992年11月17日、1993年5月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  32. 1976年6月24日、1977年4月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  33. 1977年4月22日、12月2日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  34. 1992年5月1日、10月23日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  35. 2018年1月3日 - 1月6日 (1月2日 - 1月5日深夜) にまとめて放送。
  36. 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)175ページ
  37. バトルフィーバーJ』はTSBで時差ネットで放送
  38. 1976年5月24日、11月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  39. 1979年12月12日、1980年10月13日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  40. 1973年10月9日、1974年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  41. 1975年7月27日、1976年1月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  42. 1976年1月25日、1977年4月10日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  43. 1979年9月27日、1980年9月11日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  44. 1980年5月11日、9月21日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  45. 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  46. 1975年10月4日、1976年10月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  47. 1980年4月1日、8月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  48. 1969年4月6日、9月28日、1969年10月5日、1972年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  49. 開局後最初の放送。
  50. 1984年10月4日、1986年3月27日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  51. 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)174ページ
  52. 信濃毎日新聞 1981年2月7日 テレビ欄
  53. 1974年11月13日、1975年5月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  54. 2015年3月7日放送の、「春を待ちわびて 信越自然郷の旅〜北陸新幹線 3月14日開業〜」にて、退職後、初の古巣復帰を果たした。なお、この番組は同日先行して、BSフジでも放送された。
  55. このアニメには、アヒル、豚、猫などの動物のキャラクターが出てくる。
  56. 2011年7月24日は、『FNS27時間テレビ』放送のために、オープニングは流れていない。
  57. 彼は同曲を少なくとも3回、スタジオ録音しているが、このエンディングでは、1967年に録音・発売されたアルバム『Mantovani's Golden Hits』(英デッカ=ロンドン原盤)に収録されたのが使用されている(こちらも1984年10月頃、ロゴ変更により一部手直しされた。)。アナウンスは「今晩も遅くまで、NBS長野放送をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで、今日の放送を終わります。」
  58. 2音声に変更になった際の副音声のBGMは、同じくマントヴァーニの演奏による『グリーンスリーヴス』で、これも、1967年に録音・発売されたアルバム『Mantovani's Golden Hits』に収録されたのが使用されている。
  59. 2011年7月23日は、『FNS27時間テレビ』放送のためにエンディングは流れていない。
  60. これらの局がそれを導入するようになったのは、主にこの事件の直後から翌年にかけてのことである。ちなみにNBSは、1973年の3月末頃に導入した。

注釈[編集]

  1. 1.0 1.1 NHK-BS2「BSスペシャル 青春TVタイムトラベル 第2回『1972年2月28日 テレビの一番長い日~ニュース映像の衝撃 連合赤軍浅間山荘事件に関係したTVマンたちの一日』(1992年10月31日放送、NHKクロニクルにも記載)」にて、その瞬間のVTR映像が再放送され、それを撮影した、当時のフジテレビのカメラマンの証言が放送された。NBSは、その時の中継車等の中継関係で協力した。同番組は、NHKの番組「NHKアーカイブス」の2012年2月26日放送にて、時間を短縮編集させて再放送された。(URL http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2011/120226.html )

外部リンク[編集]

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