長津田

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

長津田(ながつた/ながつだ)は、神奈川県横浜市緑区長津田町・長津田一丁目-七丁目・いぶき野長津田みなみ台一丁目-七丁目の地名である。近世には都筑郡長津田村、近代では都筑郡田奈村大字長津田と呼ばれ、現在は長津田自治連合会によって構成される。その大部分が田奈中学校校区と重なる。

地名[編集]

長津田の由来[編集]

大辞林によれば「谷津田:やつだ」とは《「谷津:やつ」(低地。たに。また、低湿地。やち。やと)にある湿田。谷地田(やちだ)。》とあり、『長津田』は「長い湿田」の意という。一般に、遷流する岩川上流部の集落を総称して「上長津田」、下流部を「下長津田」という。

かつて町内に存在した小字名[編集]

  • 柳町 やなぎまち
  • 新林 しんばやし
  • 住撰 じゅうせん
  • 御前田 おまえだ
  • 薊沢 あざみざわ
  • 杉山原 すぎやまはら
  • 柳下 やなぎした/やぎした
  • 深田 ふかだ
  • 宮ノ前 みやのまえ
  • 玄海田 げんかいだ
  • 中村 なかむら
  • 馬之背 うまのせ
  • 長月 ちょうげつ
  • 草木 くさぎ
  • 道正 どうしょう
  • 滝沢 たきざわ
  • 西之原 にしのはら

地理[編集]

多摩丘陵東縁部、鶴見川水系恩田川中流域右岸に位置する。地形は、町域北側に恩田川段丘崖があり、武蔵野層・鶴川層・上倉田層などに分類される洪積台地と恩田川・岩川周辺の10数本の谷戸からなる沖積地で構成される。沖積地は主として水田稲作(近年では糯米が主流)、洪積台地は山林・畠作が多い。町域東南部「馬之背」から十日市場町にかけて断層線がある。

近世には矢倉沢往還国道246号/東名高速道路/東急田園都市線)と神奈川道都市計画道路山下長津田線/JR横浜線)の結節地であった長津田宿が発展。1843年天保14年)153戸。1868年慶応3年)176戸926人。1869年明治2年)145戸950人。1891年(明治24年)220戸1,397人。1939年昭和14年)395戸。1980年(昭和55年)6,154世帯18,942人。

横浜開港後、上州信州甲州産の絹糸の集散地である八王子から横浜港へ輸送する中継地として発展。明治20年代以降、副業として養蚕が盛んになる。大正期以降、東京・横浜などに向けての商品野菜の栽培が増加。昭和40年代以降、鉄道・道路の開通に伴い、東京急行電鉄などによる宅地開発や神奈川県住宅供給公社などによる住宅団地造成が促進し人口が急増した。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、長津田4-4-5の地点で28万8000円/m2となっている。緑区内で最も地価が高い。[1]

交通[編集]

道路[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

長津田駅(南口)[編集]

  • 横浜市交通局・若葉台営業所/神奈川中央交通・大和営業所(共同運行)
    • <40> 若葉台中央
      • 平日朝夕の便は駅ターミナルに入らず、交差点先の「長津田駅入口」発着となる。

その他の輸送機関[編集]

人口[編集]

2010年4月30日現在のこの地区の人口は、37,356人(16,247世帯)である。

  • 長津田町 6,796人(3,016世帯)
  • 長津田一丁目 2,373人(1,021世帯)
  • 長津田二丁目 3,353人(1,610世帯)
  • 長津田三丁目 1,816人(930世帯)
  • 長津田四丁目 2,669人(1,187世帯)
  • 長津田五丁目 1,158人(642世帯)
  • 長津田六丁目 1,724人(827世帯)
  • 長津田七丁目 1,895人(906世帯)
  • いぶき野 5,102人(2,114世帯)
  • 長津田みなみ台一丁目 3,004人(1,193世帯)
  • 長津田みなみ台二丁目 367人(123世帯)
  • 長津田みなみ台三丁目 0人(0世帯)
  • 長津田みなみ台四丁目 2,016人(630世帯)
  • 長津田みなみ台五丁目 1,409人(600世帯)
  • 長津田みなみ台六丁目 1,347人(503世帯)
  • 長津田みなみ台七丁目 2,327人(945世帯)

公共施設[編集]

  • 横浜市緑区役所長津田地区センター
  • 横浜市緑区役所長津田地域ケアプラザ
  • 横浜市緑区役所長津田駅行政サービスコーナー
  • 横浜市緑区役所いぶき野小学校コミュニティ・スクール
  • 横浜市安全管理局緑消防署長津田消防出張所
  • 横浜市健康福祉局つたのは学園
  • 横浜市健康福祉局北部斎場
  • 横浜市資源循環局適正処理部緑事務所

他、緑区民文化センターの建設計画がある。

金融機関[編集]

大型店舗[編集]

  • マルエツ長津田店(岡田屋系ビッグストア業態サンコーとして開業。現在はGMS) 1970年(昭和45年)11月18日開店 8,306m²
  • ユニー/アピタ長津田店(SSM) 2005年(平成17年)11月18日開店 23,442m²うち14,850m² 1,551台
  • オーケー長津田店(食品SM) 2006年(平成18年)11月28日開店 1,313m² 97台
  • トステムビバ/スーパービバホーム長津田店(HC) 2005年(平成17年)9月28日開店 15,000m² 1,005台

学校[編集]

病院[編集]

住宅[編集]

住宅団地[編集]

  • 市営住宅長津田スカイハイツ
  • 県営長津田団地(御前田県営住宅)
  • 県公社長津田団地
  • 県公社南長津田団地
  • 県公社東向地団地

東京急行電鉄による宅地造成[編集]

  • 東急長津田ニュータウン(ニュータウン団地)
  • いぶき野(下長津田土地区画整理事業)

都市再生機構による宅地造成[編集]

  • 長津田みなみ台:玄海田(長津田特定土地区画整理事業)

長津田十景[編集]

横浜市では歴史的財産に富み、かつ、自然が多く残り、景勝地としての良さをも併せ持つ長津田の見どころを選び、中国湖南省瀟湘八景をモデルに「長津田十景」を定めた。

  • 大林晩鐘(だいりんばんしょう)
  • 御野立落雁(おのたちらくがん)
  • 大石観桜(おおいしかんおう)
  • 王子秋月(おうじしゅうげつ)
  • 高尾暮雪(たかおぼせつ)
  • 天王鶯林(てんのうおうりん)
  • 下宿晴嵐(しもじゅくせいらん)
  • 長坂夜雨(ながさかやう)
  • 長月飛蛍(ちょうげつひけい)
  • 住撰夕照(じゅうせんせきしょう)

長津田は「ながつた」か「ながつだ」か?[編集]

「長津田」の読みとして「ながつた」と「ながつだ」の論争がある。「長津田」は「長い湿田」(「長」+「津田」)を指す谷津田(しかし、当地では谷津をさして「谷戸」(やと)という)によるとの説があり、これを元にすると「ながつだ」が正しいと思われる。一方で、「長津」「田」で構成されていると考えた場合、連濁が起こることは考えられず、「ながつた」と発音するのが正しいとの見解がある。国鉄/JR長津田駅では1980年代末期の工事以前は「ながつだ」と表記され、東急長津田駅では開業以来一貫して「ながつた」と表記されている。また、横浜市発行の『横浜の町名』では「ながつた」と表記されている。

地名にはかつて、この一帯が長い小川(=津)が通る田圃であったために「長津田」と言われるようになったという説があるが、確証はない。

因みに、長津田小学校の校章は「蔦の葉に長小」である。 これは当地に長い蔦の葉があったとの伝承による。

現況[編集]

地区内にある長津田駅東急田園都市線、JR横浜線東急こどもの国線が乗り入れる横浜北部の主要ターミナルとなっている。しかし、線路が高架化されておらず街が分断されていることなどもあって駅前の街並や道路状態は雑然としており、再開発が急務となっている。ただし、再開発の高層棟の建設には反対の声も聞かれる。しかし、2007年11月16日長津田駅北口再開発計画の計画案が、市都市計画審議会で可決された。

2005年秋ごろから、事故が絶えなかった駅前商店街の道路整備を開始し、駅から国道246号へと続く狭い道路幅の拡張工事に着手した。この道路は霧が丘方面へと続くが、2005年11月18日にオープンしたアピタ長津田店の影響もあり、土日は渋滞することが多い。工事に伴い、古くからある魚屋・そば屋などが立ち退きを迫られたが、これを機に廃業する商店も少なくない。同時並行的に駅構内の整備も始まり、2006年8月末にまでに、ローソンと東急による初の共同出店となる駅型コンビニ"LAWSON + toks"等、数店の商業施設がオープンした。

なお、JR横浜線が快速電車の運行を決めた際、長津田駅は不停車だった。その後に停車することになった。

岩川上流の岡部谷戸地区は田畑が続く農業地帯となっており、横浜市の中でも特に素朴な農村風景をとどめている。岩川最上流には「長津田町小川アメニティ」があり、夏にはホタルが観察できる。またこの地区で取れた野菜は近隣の旭区若葉台団地などに直送され、新鮮な状態のまま販売されることも多い。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・長津田を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。