野田憲太郎 (ウィキペディアにおける議論)

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コメント依頼

利用者:Noda,Kentaro氏の行動について

暴言について
検証可能性を満たさない記述、独自の研究と思える項目について

また、Wikipedia:削除依頼/汎世界主義を見るとPugnari氏の管理権限剥奪も考慮されるべきであると言うが、Pugnari氏はWikipedia:管理者ではなくWikipediaのシステムを理解できていない事が窺えます。 2004年から活動しているユーザーとは思えない理解度ということもあり、これより先Wikipediaの活動において問題点が解消されるかどうかいささか疑問なのですが、皆様の意見をお伺いしたいと思います。--Snow steed 2006年11月19日 (日) 10:29 (UTC)

ブロック回避

以前この方は荒らし行為を理由に9月28日から1ヶ月のブロックを受けたIPユーザー(IP:58.94.119.178会話/履歴/ブロック解除/投稿ブロック/whois1/whois2/whois3/OpenCheck/collexy)と同一人物だとMLで自分で告白しているのですが[1]、どうやらIPが変わったらしく10月4日にはブロックから逃れてます。結果的に1週間未満でブロックが明けちゃったわけですが、これはブロックの手続き上問題はなかったんでしょうか。--SINOBU 2006年11月18日 (土) 22:38 (UTC)

違います。自動的に解除されたのです。この解除の理由は私もわかりませんでしたが、指定されたブロック期間以前にかなり早く解除されました。コメント依頼をしたユーザーの著名がないことがこのうえなく不自然ですが、私は暴言なんていってませんよ。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 23:06 (UTC)

さて。

これは一方的に私の論を「独自調査」と断定する奇妙な人々の攻撃であって、「独自調査ではないソース」を持っている私は単に防御しているだけです。

それでも、アドラーさん関係はかなり不味いと思います。その路線で創作を行う者に、一利用者がつばを吐いているのです。これは、許されることではありません。ここの人たちは直ぐ匿名で攻撃をするのが好きらしいですが、そういう人はサンディエゴで教職に就き、活躍できるほどの人なのでしょうか?そうでなければ、このコメント依頼は撤回していただきたく思われます。単にクリエイターの邪魔なだけです。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 23:23 (UTC)

あなたは自分の会話ページでこのような発言をしていますが。どういった意図なんでしょうか。他の執筆者が頑張ってるのを見下す態度に見えるのですが・・・。--ちゃたま会話|投稿記録) 2006年11月19日 (日) 00:43 (UTC)

それは、、、確かグラドゥス関係でしょ。クレメンティのグラドゥスは100曲あるのがオリジナルで、24曲にしちゃったのはタウジヒ。で、書いた人がタウジヒ版しか知らんかったらしいから、直しただけ。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 00:49 (UTC)

それは了解しました。でも、普通の人って発言が出てますよね。この発言について気になったものですから。--ちゃたま会話|投稿記録) 2006年11月19日 (日) 01:04 (UTC)

ノート:芸大アカデミズムほかで4ヶ月以上にわたって対話を試みていますが、この方の対応には苦慮しております。利用者:Noda,Kentaroさんは野田憲太郎と同一人物であると思われますが、検証可能性に疑問があったり、中立的な観点に問題がある記事、あるいは、記事項目名自体がどれほど一般的に流通しているかわからない記事をいくつも書かれているように思われましたので、出典の明記等検証を求めてきましたが、WP:VWP:NPOVWP:ORWP:CITEの意味しているところや、これらで推奨されている書式などを理解していない、またはまったく守ろうという気がないように思えてなりません。そして、議論が進んでいくと、コメント欄やユーザーの会話ページなどで「専門家のやることにけちをつけるな」「素人は手を出すな」といった趣旨の発言を繰り返し、あまつさえ暴言を吐くなどするというパターンを繰り返しているように思います(ex.現代音楽。このときは、IPでの荒らし行為でブロックを受けている)。Noda,Kentaroさんの書く記事は内容自体が非常に専門的であるだけに、検証可能性の確保、出典書式が整備されていない状態でどんどん記事内容が書き進んでしまうと、ウィキペディア日本語版の信頼性の低下を招くのではないかと危惧しています。--Pugnari 2006年11月19日 (日) 03:43 (UTC)

Pugnariさんが「単にタームを知らない」ので、私に当り散らしているだけです。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 07:36 (UTC)

「独自調査ではないソース」をお持ちであれば、単にそれを示せば済むことなのではないでしょうか。全く何も分からない人に対して1から説明せよと言うのも無理な話ではありますが、少なくともある程度の知識を持つ人たちに対して理解を助けるような資料を提示するのは有益なことと思います。真っ向正面から記事の内容を否定しているのではなく、よく分からないから何か文献を出してくれ、というのを少し突き放し過ぎのような気がします。Nodaさん自身にとっては当たり前のことでも、他の人にとっては即座にそれが理解しうるとは限らないでしょう。参考文献の提示の仕方としては、私が翻訳しただけの項目で恐縮ですが、有機鉛化合物などがご参考になるのではないかと存じます。この中ではある文章について[1]などのような形で注記し、文末に参考文献の節を作って列挙しています。実際挙げられた物を読むか(読めるか)はともかくとして、何か置いてあれば安心できるのではないでしょうか。--Calvero 2006年11月19日 (日) 11:37 (UTC)
検証可能性と出典の示し方については、Noda,Kentaro氏および同一人物と疑われるIPユーザー諸氏に対して何ヶ月も前から繰り返し、複数のユーザーが説明してきていますが、一向に理解していただける様子がありません。出典を教えてほしいと求めると、記事の内容を否定するのか、知らない者が自分で調べるべきだ、知らない者が知っている者に質問するのは無礼だ、出典を示せば著作権違反だといって削除するのだろう、といった内容の返答が返ってくるばかりです。--Aotake 2006年11月19日 (日) 11:51 (UTC)

調査の範囲で判明している問題行動を追記

暴言について

  • ログイン時も非ログイン時も要約欄での暴言がしばしば見られる。
  • 利用者‐会話:125.192.127.168で他人の誤記をばかにした発言。

署名の改竄または多重アカウント禁止の場での多重アカウント使用

他人の発言の削除

Wikipediaシステムへの無理解

自分自身についての記事野田憲太郎への度重なる編集
  • IPユーザーの編集についても同一人物であると思われるものが多く、批判的な記述については執拗に差し戻し。
  • 類似の編集として、田隅靖子で執拗に自分自身についての情報を挿入。

タグ剥がし

  • 野田憲太郎にて同一人物であると強く疑われるIPユーザーの行為。
  • 現代音楽芸大アカデミズムでも行われている。芸大アカデミズムはタグ剥がしを繰り返すために保護となる。(ただし保護依頼を提出したのはNoda,Kentaro氏本人)

IPユーザーとしての活動

コメント

可変IPから非ログインユーザーとしても多く書き込みをしており、投稿ブロックによって処分することはとても困難ですが、長期間の投稿ブロックに相当するだけの問題行動を起こしているユーザーだと考えます。なお他の問題行動について、上記の文章に補筆していただいて構いません。--Aotake 2006年11月19日 (日) 04:15 (UTC)

過去の発言まで引っ張り出すのは、完全に筋違いじゃないかな?ま、別にいいが。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 07:35 (UTC)

これらの行動に対して反省するところは全くないという認識でよいのでしょうか? ブロックにつながる問題行動がいくつか見られるのですが。--Snow steed 2006年11月19日 (日) 10:32 (UTC)

私は10月のトラブル以降は、問題もなくスムーズに議論を展開しているはずですし、これで「暴言」といわれるのであれば「管理側が私の発言を勝手に暴言扱いすることに、許可を与える」というということでSnow steed氏はご理解なさるのでしょうか?それなら仕方がありませんが、最初に手を出しているのはどちらか良く考えましょう。この件も来年二月のオランダにて初演する作品で問題にしたいと思います。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:03 (UTC)

わたしも当事者としてかかわっているので心苦しい限りですが、芸大アカデミズムで繰り返しテンプレート剥がしをしてリバート合戦になったのだから「スムーズ」とはお世辞にもいえないのではないですか。
過去のことをほじくりかえすのは、ほかのユーザーとのコミュニケーション、Wikipediaの方針理解に改善の兆しが見られないことを説明するためのものだと理解します。Noda,Kentaroさんの心中は彼のみぞ知るところですが、Snow steedさんのコメント依頼の文面にもかかわらず、すぐ上で「管理側が」「勝手に暴言扱いする」「最初に手を出しているのはどちらか」などと発言していることからも、私としてはこれからも同じことが繰り返されるだろうとの考えを禁じえません。--Pugnari 2006年11月19日 (日) 11:21 (UTC)

ここの文章は全てが真実という保障はありません。Arpeggio氏が出した(とされる)メールも送信日時が書いておらず、疑わしいと思われても仕方ありません。私はべつにPugnari氏を個人攻撃するつもりで論戦しているのでもありません。Arpeggioさんのメールはシュトックハウゼンが提唱した「世界音楽」についても一言も語っておらず、送信したメールがArpeggio氏に都合よく内容が書かれていることも非常に心を痛めました。それほど私が気に入らないというのであれば、その三記事を全部削除してもいいですよ。そのかわり、「世界音楽」と「「汎世界音楽」の違いについても概要を一切説明せず、管理側に都合の良いArpeggio氏がメールを出した(?)ことに、強い怒りを感じています。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:39 (UTC)

(編集競合しましたがそのまま書き込み)そもそもつい最近も他者の会話ページなどで暴言があったからコメント依頼がたてられたのであり、残念ながら「問題もなくスムーズに議論を展開している」というのは残念ながらご本人の思い込みだと思います。--Aotake 2006年11月19日 (日) 11:51 (UTC)

でえは、私の記事に異を唱えるユーザーが、果たしてこれから増えるのでしょうか?(多重アカなら、、。)2ちゃんねるのスレッドを見る限り、アルぺさんのメールが正しいと判断したまま強引にスレが進んでおりますが、アルぺさんのメールの出し方が最初から間違っていることはお断りしておきます。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:02 (UTC)

概要の問題ではないのです。きちんと定義され、一般的に知られる用語となってからでないとWikipediaで扱うことは難しいですよ。--Snow steed 2006年11月19日 (日) 12:15 (UTC)
  • (コメント)Noda,Kentaro氏と同一であると強く疑われるIPユーザーをチェックユーザー依頼のうえ、長期ブロックを依頼すべきだと考えます。--Lemon pie 2006年11月19日 (日) 14:13 (UTC)
  • (コメント)先ほど、アルぺさんとのメールのやり取りで、ここに受信内容を公開できませんが、双方で私の執筆した記事内容全体について合意が成立いたしました。記事の処遇は、この際全てお任せいたします。仮に削除されても、私は異を唱えることがないことを誓います。すぎた暴言の連続ととられる表現がありましたら、この場で深く陳謝し、以後行き過ぎる攻撃のないように計らいます。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 16:08 (UTC)
  • (コメント)mixiを覗いて愕然とし、次いで呆れ返った。野田は表向き上述の如きしおらしい発言をしておきながら、mixiでは「メールの差出人名がアルペジョのままだった」と虚偽の申し立てをした上(実際にはアドラー氏宛の私のメールに署名も差出人名もない)、「普通人に初対面で物を聞くときに、ニックネームのままでは送らんわな」「ばれちゃった。メール偽送信」と蔭に隠れて卑劣極まりない中傷を繰り返している。野田は「(利用者:Arpeggioが)どうも私の項目の査読を誰かに頼んだようだ。で、誤りではないことに気付いたらしくなんとかこの記事は残したい、というオチ」「それじゃはじめからメール出して聞くとかしなければいいじゃないか(ほんとに送ったのかどうかは、、、?)」「結局もめればもめるほど日本語版記事査読者のレヴェルの低さがばれる結果となる」「いいかげんなんとかならないのかね」と嘔吐を催すような下司の勘繰りに基づいて又しても私を誹謗している(野田如きの項目を誰がわざわざ査読依頼などするものか)。この男には最早、学問的良心もWikipediaコミュニティへの善意も全く認めることが出来ない。野田がWikipediaで札付きになっているのは無理からぬことであると漸く得心が行った。正体が「ばれちゃった」のは野田憲太郎の側なのである。というわけで、件の「合意」なるものは白紙撤回させて戴く。以上。--Arpeggio 2006年11月19日 (日) 23:13 (UTC)
  • (コメント)で、アドラーさんには翻訳結果を、送ったの?送ってないよね。--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 23:28 (UTC)
  • (更にコメント)これこれを見る限り、ほかのユーザーとのコミュニケーションの改善、また、WP:Vへのまじめな取り組みの姿勢の兆しすら見られないと思います。上記の「反省」らしき発言がArpeggioさんのおっしゃるようにカモフラージュであるとすれば、問題はより深刻です。投稿ブロックの方針/改定案コミュニティを消耗させる利用者、あるいは、これは正式方針ではないのであくまで参考までですが追放の方針の「個人攻撃あるいは無礼なふるまい」や「NPOVや検証可能性のような、ウィキペディアの内容の方針に対する重大な違反をしつこく繰り返すこと」などの理由から、投稿ブロック依頼に移行するのが適当ではないかと思います。--Pugnari 2006年11月20日 (月) 00:36 (UTC)
  • (コメント)削除依頼の記事にコメントするだけでいちいちユーザーの会話ページに攻撃されたのでは、コミュニティが成り立ちません。投稿ブロックが適当だと思います。--202.227.43.5 2006年11月20日 (月) 01:10 (UTC)
  • (コメント)いずれこういうことになるのではないかと危惧していました。まずNoda,Kentaroさんには、いきなり投稿ブロック依頼でなく、コメント依頼で投稿姿勢を是正する機会を与えられていることの幸運を考えていただきたいと思います。
個々に指摘はしませんが、クラシック音楽で多少関係する項目で拝見した印象では、被依頼者は、個人的な体験やそこから得られた情報と、百科事典として書かれるべき事実とを混同しておられるように感じます。もちろん、個人的に得られた情報であっても書き方によっては有用なものもあると思いますが、記事にどう生かすかは、相当の工夫が必要です。残念ながら、この点で被依頼者は慎重さに欠けていると思います。そして、これに疑問を呈した方への対応についても、攻撃的だったり、小馬鹿にしたり、アカウントをいい加減に呼ぶなど、大変粗雑かつ失礼です。ご自分の主張が理解されないことへの苛立ちがあるのでしょうが、それを相手にぶつけたところで、事態は悪化するばかりです。理解されない原因は他ではなく、ご自分にあります。また、ウィキペディア以外のところで「憂さ晴らし」しておられることも、心証を害する要因となっています。ウィキペディアへの執筆は、活動しておられる現代音楽の普及目的もあってのことかと拝察しますが、他の方もご指摘のように、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:出典を明記するWikipedia:ウィキケット「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」などを読んでいただき、ご自分の活動と記事の執筆は切り離していただく必要があると考えます。--みっち 2006年11月20日 (月) 04:23 (UTC)
  • (コメント)ミクシィの当該ユーザーページの日記も拝見しました。何度も機会を与えられたにも拘らず更生の兆しも見られない以上、無期限ブロックが提案されれば積極的に賛成します。Ban にも反対しません。martin 2006年11月20日 (月) 04:29 (UTC)
  • (コメント)報告がまだなされていないようですので、このコメント依頼の依頼者でもあるSnow steed氏によってWikipedia:投稿ブロック依頼/Noda,Kentaroが提出されたことを一応報告しておきます。また、実は以前よりNoda,Kentaro氏が主執筆者であり、検証可能性や中立な観点に疑問を感じている記事がいくつかありますので、この機会を利用して一括してコミュニティの判断を仰ぎたいと思うのですが、この場を利用してもよいでしょうか。あるいは別にコメント依頼をたてるべきでしょうか。--Aotake 2006年11月20日 (月) 10:54 (UTC)
  • (コメント)削除依頼のあるもの以外で問題項目があればそうしてもいいのでは。XXの作成した記事という形で新しくしてもいいですし。--Snow steed 2006年11月20日 (月) 14:04 (UTC)
  • (コメント)現代音楽や関連の記事にあまり携わってはいませんが、興味深く拝読させていただいている者です。Noda,Kentaro氏が豊富な知識を持っておられ、現代音楽界の音楽家、研究者の方々と親交があることは、理解します。私自身、ミニマル音楽家の作曲家の記事をいくつか書きましたし、趣味の範囲ではありますが、書籍などはいくつか読んでおります。他の方もすでに書かれていますが、Wikipediaではプロジェクトの性質上、共同作業や、コミュニティや他のユーザーの尊重というのがどうしても要求されます。そうした要求に満たない執筆者は、知識や、その分野での経験、場合によっては実世界での名声も関係なく、参加するべきではない、とみなされます。たとえ、Noda,Kentaro氏が他の執筆者との意見交換などでストレスを感じていたとしても、「あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。」の文面に同意して投稿ボタンを押した以上、ルールや相手を尊重すること、自分のアカウントを使用して対話を建設的にすることが、必要です。相手を無知であると罵るのであれば、焦点の件に特化した検証可能な文献を出し、議論をすることが求められる態度です。もう一度、IPでの行動も含め、ご自身のしたことを考え直してみていただきたいと思います。__Okc 2006年11月20日 (月) 16:53 (UTC)
  • (もう遅いかもしれませんが、今後コメントをする方+した方々へ)上記、某SNS内でのNoda,Kentaro氏の日記の内容についてコメントや、判断材料にするのは、やめませんか?(当事者の)Arpeggio氏を除く)Wikipedia上のNoda,Kentaro氏のページに、某SNSの該当アカウントへのリンクがない以上、本人証明はできませんし、某SNSはWikipedia上で公的に認定されたSNSではありません(当方の確認不足で、すでに認定されているのでしたら申し訳ないです)。コメントで言及された方それぞれが、これに関して会員制、すなわちオープンではない某SNS側でのユーザーに許可を取ったのであれば別ですが、それでも本人確認という問題は残ります。(以前、ある管理者立候補・投票のページでも、件の某SNSでの立候補者の発言・行動が書かれましたが、こういった、マナーやWeb上の各サイトやプロジェクトでの垣根をもう少し尊重するべきではないでしょうか。こんな当然の事書きたくないながらも、今後を危惧して一応)。__Okc 2006年11月20日 (月) 17:15 (UTC)
    • (コメント)何故でしょうか? 「某SNSの該当アカウントへのリンクがない」のは当然で、「メンバーが」ログインしない限り見られないのだから、メンバー以外の方が多く居る処で書いても仕方がありません。少なくともミクシィ側からこちらへのリンクがあり、言及がある以上本人のものと考えるのは当然でしょう。更に、Arpeggio氏がこちらに書いたことに関して、(何故かこちらでは反応しない或いはできないにも拘らず)ミクシィで反論が行われ、それにまたArpeggio氏がこちらで言及したことに対してミクシィの当該ページのみで反論するという状況である以上「本人である」という推認を行うのは(例えばこちらで本人のアカウントで否定する発言があるとかいった)積極的反証がない限り極く自然であろうと思われます。左記の「否定する発言」をするのは極めて簡単なことであり、それを行わない以上は、同一人物と推認されることを「本人が容認している」と考えますが如何でしょうか? (本人が否定する場合はミクシィの方が騙っている訳で、そちらが強制退会とかいったことになるでしょうが、それはまた別の話ですね)
      また「某SNSはWikipedia上で公的に認定されたSNSではありません」というのは何を想定して仰っているのか判りかねるのですが、どういう意味でしょうか? ご教示頂ければ幸です。
      「プロジェクトでの垣根をもう少し尊重するべきではないでしょうか」とありますが、現在問題になっているのは「彼自身の性格、人間性の為に共同作業が著しく困難であると言えるか否か」であって、表では「和解に至った」としながら裏(恐らく彼はArpeggio氏が見るとは考えていなかったのでしょう)では虚偽の事実を元に「ばれちゃった。メール偽送信」などと書いているというのは情状として汲むべき事実と考えますが如何でしょうか?
      以上に対して納得の行く回答が得られた場合は、小生の上の発言を取消すこととさせて頂きます。martin 2006年11月20日 (月) 18:33 (UTC)
      • Martin様、ご意見ありがとうございます。今回の件は、こちらで私見を述べましたが、コメント依頼の本筋とはそれますので、勝手ながら会話ページでお返事させていただきます。よろしくご理解のほどよろしくお願いします。__Okc 2006年11月22日 (水) 12:36 (UTC)
    • (コメント)Okc氏とは少々見解が異なるのですが、mixiはパスワード制で18歳未満禁止の場所です。IDを持っている人間しか接続することができない場所でのことを(本人の許諾もなしに)こちらに持ち込まれても困るのです、ブロックを行う管理者がかならずアカウントを持っているわけでもなく検証が出来ません。かといってクローズドなコミュニティの発言を発言者の許可もなくオープンな、特にWikipediaのようなGFDLライセンスのコミュニティに持ち込むことはマナーとしてすべき事ではありませんし、持ち込んだ人間が嘘を吐いていたとしても当然確認できません。私としては、Arpeggio氏が彼となにか話し合いをしていたのが破談になった、という認識を示す他ないでしょう。どちらにしてもこれまでのコメント依頼での皆様のコメントを見ればブロック依頼も長期ブロックも避け得ないものであったかとおもいます。合意がなされていたのなら、合意を聞いてからという判断もあったかと思いますが、それはもう白紙と言うことになったようなので。--Snow steed 2006年11月20日 (月) 20:20 (UTC)
    • mixiの件についてですが。「認証系が別のものであるため、原理上、アカウントからは同一ユーザであるかどうかの判別ができない」「内容の整合性などから同一ユーザかどうではないかを判断することはできるが、それは判断者の責任においての判断にすぎない」というあたりをふまえておけば、参考資料として出すのはかまわないでしょう。あくまで参考資料にとどまりそれだけで決定打となりうるものではない、ということをふまえておけば、出す側にしても言い募ることにはつながらないだろう(言い募っていたら、それは出した側の認識がおかしい)。個人的には、同一人物だろうと思いますし、表で言っていることと裏で言っていることがこうも食い違うというのは実にみっともないことだと思いますけれども、おれは、それがおれの個人的感想にすぎないということは認識しております(おまいらも認識せーよ、ということ)。それではなにか不十分な点がありますでしょうか、と。--Nekosuki600 2006年11月21日 (火) 08:51 (UTC)
  • (コメント)SNSを覗いたことをこんなところに書いたのは、敗因だと思いますね。なんのためのSNSですか?私がアルぺさんのメールを、メールアドレスを出してまで公開したりしましたか?わざわざやめておいたのに、誰かから携帯で連絡を受けてSNSを覗きに行くというのは、マナー的にもアンフェアでしょう。そういうことをする側から「投稿ブロックだ」というのであれば、それはここがそういうサイトなのでしょう。私は旧共産圏にコンクールの為に渡航した記憶が色濃く残っているので、無視できないものと映ります。この事実は世界中に公表するので、そのつもりでいてください。--Noda,Kentaro 2006年11月20日 (月) 23:48 (UTC)
    • あなたが過去に憂さ晴らししたのはSNSだけですか? そもそも外部サイトがブロック理由ではないことに気がついてください。そういうところが粗雑だというのです。私は無期限ブロックには反対しようと思っていましたが、やめます。このコメントにはがっかりしました。--みっち 2006年11月20日 (月) 23:55 (UTC)
    • 125.205.219.20さんのコメントにNoda,Kentaroさんが署名の上書きしていますが、125.205.219.20さんとNoda,Kentaroさんは同一人物ということで宜しいのでしょうか? 割と重要なことなので、まだNoda,Kentaroさんがいらっしゃったらコメントをお願いします。--220.4.12.132 2006年11月21日 (火) 00:15 (UTC)
    • Wikipediaの議論内容をmixiや2chに持ち込む野田さんはマナー違反ではないのですか?また、みっちさんも仰るように、外部サイトへの言及が投稿ブロックの理由ではありません。今回の議論で、なぜ投稿ブロックなんて話が出てきてしまったのか、ご自分の行ったことと照らし合わせながら省みることをお願いします。Occhanikov 2006年11月21日 (火) 00:23 (UTC)
  • 先に覗いて騒いだほうが悪いんじゃないの?まえにもMIXIの文章をここの管理ユーザーに転載されてるしね。アルぺさんのメールも、ちゃんと秘匿しておいたのに卑怯じゃないんですか?またーおんなじことしよるな、と普通の人は考えますよね。改めてブロックのことなんだけど、私は他の人みたいに食い下がろうとも思いません。その代わり、多重アカウント疑惑は諸メディアへ報告するのでそのつもりで。野田憲太郎--125.205.219.20 2006年11月21日 (火) 00:33 (UTC)
    • (コメント)多重アカウント疑惑ではなく、今まで項目を立てて書いてきたことを諸メディアで発表した方が余程有用だと思いますが。そうすれば「『〇〇は△△である』と××誌で野田憲太郎が発表している」とウィキペディアに書くことが可能になりますから。 By 健ちゃん 2006年11月21日 (火) 03:35 (UTC)
  • (コメント)またそうやって話の腰を折るんですよね。管理側も出典を調べて編集していないことについて、スルーするのなら勝手にやれば良い。そのかわり、記録はさせていただきます。野田憲太郎--125.205.219.20 2006年11月21日 (火) 07:08 (UTC)
  • (コメント)で、アドラーさんには翻訳結果を、送ったの?送ってないよね。それも守らないんだし、こちらとて守る義務もないでしょう。野田憲太郎--125.205.219.20 2006年11月21日 (火) 07:09 (UTC)
    • (コメントおよび野田憲太郎様へ)上の方で、SNSの話題を出したOkcです。SNSの件は、私見ながら、苦言を呈しましたが、重要なのは、その直前に私が書いたコメントであり、SNSの件は、野田憲太郎様の行動を弁護したわけではありません。その点、念のため誤解のなきようよろしくお願いします。率直なところ、SNSの野田様のページは拝見しておりません。なぜならば、その日記の裏表の部分を差し引いたとしても、十分、問題行動が見受けられ、Wikipediaに参加するための基本的な要件、とくに共同作業に不向きであると思われる点は否定できませんし、むしろ今回のコメント依頼を通じて、ますます明確になっていると感じます。__Okc 2006年11月22日 (水) 12:36 (UTC) 誤字訂正 2006年11月22日 (水) 13:23 (UTC)

Noda,Kentaro氏が関わった記事の検証

以下の記事について、多くのユーザーのご意見を伺いたいと思います。議論は各記事のノートページでお願いします。項目をたてること自体に問題があるものを中心にいくつかあげてみましたが、他にも記事の内容の中立性、検証可能性、可読性を確保するために大幅な編集を必要とする項目が多数あると思っています。どなたでも項目の追加をしていただいてかまいません。--Aotake 2006年11月21日 (火) 02:21 (UTC)

ポーランド楽派第一次ポーランド楽派第二次ポーランド楽派第三次ポーランド楽派
「ポーランド楽派」という命名の定義および3次への分割がNoda,Kentaro氏独自の研究にみえます。また記事の内容も特定の視点に偏っているように見えます。残せる部分はポーランド楽派本体かポーランドの現代音楽かなにかに移動・統合も可能かもしれませんが、どうでしょうか?Aotake 2006年11月21日 (火) 02:21 (UTC)--ポーランド楽派自体はそれなりに熟した用語のようなので一部修正します。Aotake 2006年11月21日 (火) 04:50 (UTC)
(賛成)確かに分割している理由がはっきりしません。また、第1次~第3次というように、独立させる必要もないでしょう。--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 12:36 (UTC)
(賛成)これに着いては同感です。したがって分割の必要は無いです。『西村朗』も同様でしょう。Kanno,1.12.06,17:42、IP 195.93.60.72
(報告)統合の上、第◦次はリダイレクト。これらを削除するべきかどうか、また全体の記事名が「ポーランド楽派」で適当なのかについて引き続きノートページで意見募集中です。--Aotake 2006年12月10日 (日) 04:36 (UTC)
武生世代秋吉台世代も?)
業界用語として成立しているのかもしれませんが… 第三世代についても記述の妥当性を疑問視しています。Aotake 2006年11月21日 (火) 02:21 (UTC)
第三世代の該当箇所はきわめて主観的。(特定の年代に固まって「傑出した」芸術が生まれるというのも何だか。)--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 13:08 (UTC)
(報告)武生世代は削除依頼により削除、秋吉台世代は音楽祭の記事に統合されました。第三世代については出典の提示待ちです。--Aotake 2006年12月10日 (日) 04:36 (UTC)
ニュー・ロシア・アヴァンギャルド
すでにノートページで野田憲太郎氏が命名した用語であることが議論されています。Aotake 2006年11月21日 (火) 02:21 (UTC)
現代音楽現代音楽/地域別の動向
以前より改稿検討中ですが、手を付けるとNoda,Kentaro氏が激しく反応することもあって議論がほとんど進んでいません。Aotake 2006年11月21日 (火) 02:21 (UTC)
難曲の歴史
スタートの時点で独自の研究にしかなりえなさそうな項目にみえます。Aotake 2006年11月21日 (火) 04:50 (UTC)
野田憲太郎
一定の業績は認められるが、執筆者のほとんどが野田氏及び同氏と強く疑われているIPアドレスであるため、ウィキペディアを用いた宣伝行為の疑いがあります。(過去の削除依頼で、私は存続票を投じましたが後悔しています。)--Lemon pie 2006年11月21日 (火) 05:07 (UTC)
(保留)下記で改稿すると触れましたが、すでに簡潔で、思い入れのない本文に修正された上で保護されていました。現状であれば存続で十分かと思われます。--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 13:00 (UTC)
ほかにも、氏による日本語版独自の作曲家記事がありますが、それらも客観的な論述というより、主観的な印象批評に終始しているものも少なくないようです。--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 12:36 (UTC)
英国田舎調子
訳語の妥当性について疑問視されたにもかかわらず、誠意を持って応じようとはしなかった。野田氏が訳語を創り、演奏活動を通じて「定訳」にしようと目論んだ観が否めない。あるいは誤訳の可能性を指摘されたがために、依怙地になったのか。--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 13:13 (UTC)
(報告)イングリッシュ・カントリー・チューンズに改名。--Aotake 2006年12月10日 (日) 04:36 (UTC)
現代の音楽
Noda,Kentaro氏による多くの編集が2006/6月まで続けられていた項目です。他ユーザーから「現代音楽」との違いについて論証を求められた{{Unreferenced}}テンプレートの貼付で更新は止まっています。ひとつの記事として立てることやその内容の妥当性はわかりませんけれど、ご参考として挙げます。--スのG 2006年11月27日 (月) 14:57 (UTC)
演奏時間の長い曲/演奏不可能の作品
どちらもNoda,Kentaro氏の操り人形と思しきIP 195.93.60.72 が執筆しており、後者にはNoda氏が直接、投稿に関わっている。後者はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割でも名称や内容の妥当性が問題視されている。ほかに同類の項目として、ピアノの難曲も。
これは資料が集まったので僕が勝手に始めました。したがって野田君とは何の関係もありません。彼が勝手に書き込んでいるのはただ単に関心が一致してるからでしょう。彼が書いた文章にこちらの責任はありません。Kanno,1.12.06,17:35、IP 195.93.60.72
ポスト・ファーニホウ
定義からすると、情報過多な部分を整理した上で、「新しい複雑性」の音楽と統合しても差し支えない様子。--間久部緑郎 2006年11月28日 (火) 12:31 (UTC)
統合してもかまわない。同様に彼が勝手に書き込んでいるのはただ単に関心が一致してるからでしょう。彼が書いた文章にこちらの責任はありません。Kanno,1.12.06,17:37、IP 195.93.60.72

(ご提案)師走も近づいてきているところですし、年が明けてからでも、コミュニティの消耗がもう少し回復してから、それぞれのノートで、のんびりと検証を行っていくくらいのペースで考えてみるといかがでしょうか?僭越ながらのご提案です。--Anonymous000 2006年11月27日 (月) 15:10 (UTC)

(コメント)それはその通りですが、ここに問題記事をまとめておくこともまた有意義ではないでしょうか。(ウィキペディアンの各人にもスケジュールがあることですし。) ---間久部緑郎 2006年11月28日 (火) 12:31 (UTC)

菅野さんと自称しているIPユーザーの方へ。いくら貴方が「野田と自分は独立している」と言おうとも、結果的に似たような思想傾向と共通の発想や興味をもち、同じように論理的に抜けた文章構成を行い(某作曲家の記事で、「ちなみに奥さんは中国人」とかいう余談を書き込んでいましたが、このような文体は辞書の記述に相応しくないものです)、どちらか一方が攻撃されると必ず互いに庇い合っています。このような次第では、いやでも「野田派」に色分けされるのは否めないでしょう。そもそも、貴方が本当に作曲家の菅野茂氏であり、野田氏と別人であるという証拠はどこにあるでしょう?その証明は私たちには出来ないけれども、貴方にだって出来ないのです。もしそうしたければ、野田憲太郎氏が暴走したとき、庇うのではなく、何らかの観点から批判すべきでした。それは、学術的観点からでも、芸術的観点からでも、あるいは道徳的・倫理的見地からでも構わなかったのです。それ以外に、自称菅野IPが野田憲太郎ではないという説得力はないでしょう。しかしながら「自称菅野」は、野田氏の旗色が悪くなると必ず現れ、野田氏を妙に庇ったり、野田氏に妙に同情的な発言を残したり、場合によっては野田氏の発言を「判定勝ち」にするようなジャッジ(コメント)を残したりと、あからさまに党派的な言動を取っています(知っている人は知っていることだから、いちいち「出典」を挙げたりはしませんが)。しかも注目すべきは、野田氏のIPも「自称菅野」IPも、どちらも地の文で署名をしている(--にティルダ4つを続けることを絶対にしない)とか、または決してログインしないとかという、共通した手癖さえ示しています。わたくしが「自称菅野IP」=「野田憲太郎の操り人形」と一括りにしているのは、そういうわけなのであって、つまり「自称菅野IP」が言い張るほどには、野田氏とその一連の操り人形との目立った差異が見られないということです(もっとはっきり言えば、「自分は野田氏とは独立している」という貴方の主張は、説得力がなく、疑わしいということです)。---間久部緑郎 2006年12月5日 (火) 12:21 (UTC)微修正--間久部緑郎 2006年12月5日 (火) 12:26 (UTC)

相変わらずの暴言といやらしい脅迫

このお二方の利用者の音楽歴も暴露する必要があると思うのは、当然でしょう。野田憲太郎--125.205.219.20 2006年11月21日 (火) 07:17 (UTC)

チェックユーザー依頼の検討

利用者:Noda,Kentaroの無期限ブロックが決定しましたが、同一人物と強く疑われているIPユーザーに対しても同等の処置が必要だと感じます。--Lemon pie 2006年11月25日 (土) 14:07 (UTC)

125.205.219.20氏の現時点での最後の投稿は2006年11月21日 (火) 07:19ですが、ほかにも別のアドレスなどでブロック後の投稿が続いているのでしょうか?ひとまず確認です。もしほかに投稿がないのであれば、CU係の手間をとらせてまで、利用者:Noda,KentaroさんのIPアドレスから分かるプロバイダ(またはアドレス)が、125.205.219.20と一致するかを調べる必要はないように思います。(私が知らないだけであればごめんなさい。)--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 04:22 (UTC)

それよりもむしろ、変な「落書き」などをこの後も繰り返す輩によってウィキペディアに未練を残さないようにしていただくために、利用者ページ会話ページWikipedia:保護依頼を私からは行っています。よろしければそれに関するご意見をお寄せ下さい(先にここで同意を取っておくべきでしたが、場合が場合なので早いほうがいいと思い独断で依頼したことにつきまして、予め皆様にお詫びいたします。)。--Anonymous000 2006年11月26日 (日) 04:22 (UTC)

保護依頼で4名(私も含む)の賛成をいただき、先ほどNodaさんの利用者ページ会話ページの「保護対応」をいただきました。これで荒らされることはなくなりましたので私も一安心です。--Anonymous000 2006年11月27日 (月) 16:09 (UTC)


テンプレート:/関わった記事

Kanno署名のIPユーザー氏とのやりとり4

長いのでここに新たに作りました。BBS形式なのだともっとやりやすいのですが、ここに提案しておきます。

「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報」ということは文献ですか、それとも他人によるチェックも入るのですか?でもここのWikipediaでは匿名が原則ですから其の検証可能性はないですね。と言う事は出版物しかないわけですが、その信用できる第三者情報の書物といえどもかなりのミスや偏りがたくさんあるのですが、これでは話が振り出しに戻るので止めます。

会話は検証難しいですね。第三者が当人に会って真偽を正さなくてはならない。まあこういうのは政治の「失言」等ではよくやりますが、現代音楽ではそういう予算を組む人はほとんどいないですね。私はそういう検証は無理に当人に押しかけないで放送などで同一テーマなどで偶然知る事ができた物についてだけやっています。でも彼が全くでたらめに書へるかということは未だに疑問です。

「定義が通説として定まっていないことがらについて、あたかも定まっているかのように書くことも困るのです。」については特に反対しません。具体的には「東音パルス学派」ですか?などです。でも「芸大アカデミズム」については反対したいです。ちなみに「芸大の悪口」と書いた人がいますが、ここには芸大出身者はおられますか?確かにあの傾向はあったのは確かですが、例えば80年代はその名前がなかった。だからあそこで「“芸大”」が嫌ならば「日本」とか「マイコン」とか「文部省」とかいろいろ提案したわけです。武生世代(秋吉台世代も?)は正直言ってここまでやるべきがどうかびっくりしました。詳しい方が良いという意味では賛成です、世間に定着していないという事では反対です。ただ「ポスト・セリエル」などの有名な言葉でも一般世間に定着していないのは確かです。何を持って定着・定着してないというのかガイドラインが欲しいところです。定着してなくともれっきとした専門用語ならば書くべきです。そこでここの管理部門の専門性が問題になりました。ここの管理人は誰だか知りませんが、日本語版全部を管理しているのですか、それとも音楽部門だけですか、クラシック音楽だけですか、一番良いのは現代音楽専門の管理人がいると非常にこういう事を良くわかってもらえるのですが!

ニュー・ロシア・アヴァンギャルドになるとさすがにわからない。あるようでない、ないようであるというところですか?そもそも単に「学派」と言うけれどもそれに属する作曲家は否定する方が多いです。でも一括して評論界などでそう語った方がまとめやすいし理解しやすいので一般にそういわれるのです。MozartやBeethovenにあなたはウィーン古典派ですかと聞いたならば聞いたことがないので大方否定するかもしれません。

「単行本、雑誌記事、出版譜の序文や解説、学会発表、音楽会のブックレット、録音のブックレットなどいくらでも媒体はあるでしょうし、そういうところに情報が全然ないのなら、いったい専門家の皆様は日々なにをしてらっしゃるのだろうと疑問に思います。」は残念ながら極めて初歩的な見解ですね。其の何れもが誤りも多いし幼稚・原始的すぎてほとんど使えないです。せいぜい作曲年代と題名ぐらいでしょうか?「対斜」や「セリエル音楽」もわからない日本の理学部出身の音楽評論家が書いた現代音楽のライナー・ノートなど誰が信用しますか?残念ながら現実はそうなっています。海外でも例えば「新ロマン主義」は当時極度に高名な音楽学者や評論家によって使われましたが現在はもう死語です。日本の「新ロマン主義」を自ら作った西村朗がこの用語を否定した「音楽芸術」1987年9月号を、ラッヘンマンの前でクンス・シムと即席で共同訳したら彼も当時肯定してました。これ自身は検証の可能性はシムに直接聞くしかないです。作曲者自身の解説も参考程度ですが、主観が多いので其のままでは使えません。作曲者自身もわかってない事が多いですが!ここが自然科学と全く違うところです。この前も書きましたが、この世界は昨日の駄作が今日の傑作、昨日の非音楽が今日の正音楽なのです。音楽は実際存在するのですが。影のようにつかみ切ることが出来ません。学会発表は音楽学者の仕事となっていますが、余りにも現代音楽は難解なのでどこでも専攻生がほとんどいません。更に高名な学者といえどもミス=正論があります。ハンスリック(Bruckner)やアドルノ(Sibelius)らはそういう例です。何人も其の音楽について100%正しい事はいえないのです。Bachは500年後滅亡するかもしれませんし、ジェズアルドやフォン・ビンゲンは昔は音友の「名曲解説全集」にも載っていませんでしたが、ヨーロッパでは近年価値観がようやく増して来ています。中世やバロックがそうなのですから現代音楽は桁違いに混乱する事は自明の論理です。例えば「ミュージック・セリエル」は結局挫折したようですが、生きていてどこまでこの用語が生き続けるかは誰もわかりません。ただ日本を除く欧米の音大で専攻生以外にも教えているので書いて置きました。「芸大アカデミズム」の辞書には昔からこの項目「ミュージック・セリエル」は否定ばかりしてきちんと教えていないのです。要するに日本の偏った現代音楽の知識のバランスを保つ為に必要なのですとだけ言って置きましょう。とにかく現代音楽については何でも「一概に言えない」のです。--195.93.60.1 2006年12月24日 (日) 23:38 (UTC)

ウィキペディアで「信頼できる情報源」としているのは、紙媒体の出版物だけではありません。それは現在の学問世界でもそうですし、ウィキペディアでも基本的には国際的な学問世界の水準を基準にしていると考えれば間違いはないと思います。オンライン出版物をどのように利用するかという慣例もだいたい定まっていますし、会話やインタビューなどオーラルなやり取りや書簡を文献として利用する方法も人文系の学問では慣習が定まっていますので、そういう習慣に則っていれば、受け入れられる場合もあるでしょう。何度も言いますが、Noda,Kentaro氏のスタイルのように、「僕が聞いたからそうなんだ」とごり押しするだけでは困る、といっているのです。
ウィキペディア日本語版には他の利用者にない、記事をサーバーから削除したり、他の利用者にブロックを実施できる権限を持つ「管理者」という位置づけの人々はいますが、専門の担当分野が定まっていたりはしません。ただ、それぞれの得意分野で活躍なさるということはあるでしょう。それでも、Noda,Kentaro氏の問題点は、現代音楽の分野の特殊性を鑑みて許すべきであると考える管理者の方はたぶんいないと思いますよ。何度も言うように、彼の問題点は、投稿する内容そのものもさることながら、他の利用者を尊重できない、他者と共同で作業をしていくことができない、という点なのです。その点を理解していただければと思います。
用語が定着しているかどうかですが、一般世間に定着しているべきとは誰も言っていません。繰り返しになりますが、「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報」として公表されていればいいのですから、音楽界で一定の権威を認められている出版社からの単行本や辞書、専門雑誌に記載されていたり、一定の権威を認められている学会で発表されていたりすれば十分です。「出典」を求めているのは、どの本のどこをみれば、どの雑誌のどの号をみれば、どの学会のどのプロシーディングスをみれば、誰のどのインタビューを参照すれば、その情報が載っていますか?と聞いているだけで、一般世間でどれだけ知られているかなどということを問題にした人は一人もいないと思います。
あと「MozartやBeethovenにあなたはウィーン古典派ですかと聞いたならば…」というのは無関係です。本人の意向を尊重しろとは誰も言っていません。学史の上で「ウィーン古典派」という概念が提唱されており、その概念がどのような意味範囲を持っているか、どのように用いられてきているか、ということが検証できればよいのです。「東音パルス楽派」にせよ、「芸大アカデミズム」にせよ、Noda,Kentaro氏に対して要求されていたのは、今までに誰がその用語を用いており、その人物はどのようにその用語を定義しているのかを示してほしいということであって、「東音パルス楽派」に定義されている人物はその楽派を自認しているのか?なんてことは誰も聞いていません。それらの質問に対して、Noda,Kentaro氏が信頼できる出典をまったく示すことができなかったがために、削除されたのです。
「其の何れもが誤りも多いし幼稚・原始的すぎてほとんど使えないです」については、また論点をずらしていらっしゃいます。もし本当にそうであり、あなたが音楽の専門家を自認なさるのであるならば、あなたがまずするべきことは、ウィキペディアに投稿することではなく、「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる情報」として「単行本、雑誌記事、出版譜の序文や解説、学会発表、音楽会のブックレット、録音のブックレットなど」でその誤りの訂正やご研究を発表することですよ、と言っているのです。言い換えれば、「信頼できる第三者情報」なしにウィキペディアに書き込もうとするのではなく、まず「信頼できる第三者情報」を準備してください、ということです。--Aotake 2006年12月25日 (月) 05:13 (UTC)

『「其の何れもが誤りも多いし幼稚・原始的すぎてほとんど使えないです」については、また論点をずらしていらっしゃいます』は論点をずらしてはいません。または極度に資料が少なすぎて使えないといっても良いでしょう。自分では金がかかりすぎるし全く売れないので出版は考えていません。砕けた幼稚な書き方ほど売れるし真面目で専門的なほど売れません。これは資本主義ではどこでも常識ですね。それを出典としてまたWikipediaに書いたらそれこそあなた方の嫌う独自の研究ではないですか?いずれにせよ出版は金だけではなくて公正・印刷・製本などで時間がかかりすぎます。出版できた暁には最初の草稿から10年は軽くたっているのです。さらに個人で書いた物はどんな物でも主観性が必ず入っています。それよりもインターネットの利点を最大限に活用した方が早いし、安上がりだ、し誰でもすぐ見れるし、第三者のチェックがすぐ入るのだから使わない方が愚かです。更にそれは本来音楽学者の仕事であり作曲家の仕事ではありません。だから音楽学者といえども出版には躊躇するのでしょう。彼らがここに書かない事は残念です。更にどんなに信頼できる第三者でも誤りがあります。神のように完璧な人間は地上には絶対存在しません。

論理的でなくて恐縮かもしれないけれど、ほとんどどんな口頭的なもしくは出版的な記述も現代音楽においては実は正しいのです。残念ながら!例えば「クライマックス」の現代音楽における概念を話しましょう。普通は曲の後半の十数分間が一般的です。事実日本の保守的な「芸大アカデミズム」ではそう教えるかもしれません。しかしウーリッヒ・ズーセはどこにあっても良いと教えていますし、ラッヘンマンは前衛的に曲全体がクライマックスだといって長らく知り合いの北海道の音楽学者と手紙で喧嘩していた模様です。まあ彼の理論が権威的に現在のダルムシュタット理論の中核を占めているのですが、別にクラウス・フーバーは「現代音楽にクライマックスは存在しない」と言っています。結局最後の言い方が一番わかりやすいのですが、前二者が間違っていると言う保証はありません。十人十色なのです。すべて出典はありません。話して聞いただけです。彼らは作曲家なので普通は著書は書きません。音楽学者が彼らについて書いた書物はありますが、そこに触れた部分は見たことは未だに見ていません。こういうことはまだまだ無数にあります。アイヴスの間違った楽譜は本人が手紙で書いた通りにすべて正しいのです。これは前にその部分ではありませんが誰かがWikipediaに出典しましたね。もうあの本自身が古いし特に誤りはありませんが後書きにあるようにバランス的に偏っています。このように間違った理論までしばしば正しくなるのが現代音楽の世界です。これを必ず飲み込んでくれないとこれ以上の話は無駄です。

また、誰かがカルコシュカの記述の部分において、「彼の奥さんは中国人」書いた部分についてやたらと批判していました。私の見解はもう書いてしまったのですが、当人が何系の人かはすぐに丸見えです。普通の日本人はこれだけは絶対書かない文句です。それは余談ではなくてだからこそ彼は現在中国に定期的に呼ばれて講義ができるようになったわけです。中国との特別な関係を強調したかったわけです。むろん外国人が日本語版の管理人をやってはならないと言う規則はないのですが、日本語は完璧なのは当然、できれば其の俗語や隠語・方言まで知ってないと(加えては専門的哲学的知識!)、今回のような問題はただでは片付かないのです。特に管理人関係の方はこういう問題の処理が主な仕事です。普通は極めて異常で不自然ですのであくまでも円満に皆が納得できるような解決法が理想でしょう。まだ御不満な人は「ラッヘンマンの奥さんは日本人」という項も付け加えてもいいですよ。またあの審議に参加した15人全員がどうも現代音楽の専門家以外のようですが、もしそうでなかったならばすぐに言ってください。お詫びいたします。しかしその極専門的な項目の真偽を専門外の15人が決めてしまうとは、常識的に「極めて不自然」だと普通は思われませんか?規則だからそうでもいいのですか?誰かが納得させられたら幸いに思います。

確かに現代音楽の地域別の動向で中国の現代音楽の状況を野田君かどうか知らないけれど凄く否定的に書いた部分がありました。私はこれを良くないと見て良い事柄を相当加筆しました。彼はどのようなソースからそう書いたのかは知りませんが、私のソースは主にヨーロッパで出来た中国人作曲家や韓国人作曲家を主に参考にしました。でも日本の情報だけを元にすると犯罪が多いし彼のような表現になる可能性はあります。多分、日本にいる彼らとヨーロッパにいる彼らの落差が大きすぎるのでしょう。でもそういう場合にも日本にはきちんとバランスを取る人が常時いますので心配は要りません。ちなみにイサン・ユンの項目を始めたのも私です。孫弟子の関係ですが、実際教わった事があるし、死ぬまで何回もお会いしたので書く自身が出来たのです。不満な方は特に加筆は大歓迎です。日本人全員が必ずしも愛国主義者の一枚岩ではありません。せいぜいスポーツぐらいなものでしよう。--195.93.60.1 2006年12月25日 (月) 23:15 (UTC)

菅野さん、あなたは要するにWikipediaの各方針に従う意思があるのですか? ないのですか? もしも「現代音楽は特殊な分野だから検証可能性その他、Wikipediaの各方針は適用を除外されるべきだ」「方針そのものが間違っているから変えるべきだ」「方針は守りたくないしアカウントも取りたくないが、Wikipediaの知名度や人の多さだけは好き勝手に利用したいのだ」というご意見でしたら、それは話にならないのでお引取り願う他ないと思うのですが。--Arpeggio 2006年12月26日 (火) 07:38 (UTC)

すでに何回も書かなかったですか?原則的に従います。しかし例外として人命にかかわる場合、正式な憲法や刑法などの法律に触れる場合などでは従いません。現代音楽は許可されていないのでまだですが。でも「Wikipediaはこれで良いのかここで議論する事は規則違反に当るのですか?」と質問しましたが誰からもお答えを頂いておりません。--195.93.60.1 2006年12月26日 (火) 22:12 (UTC)

「Wikipediaはこれで良いのか」という議論はWikipedia:井戸端でやって下さい。既に利用者:Noda,Kentaro個人の問題から離れています。--Arpeggio 2006年12月27日 (水) 07:09 (UTC)

自称菅野先生。あなたがわたくしを何系の人と決め付けようが自由ですが、幸か不幸かわたくしは日本人です。余談はさておき、わたくしが申し上げたのは、「奥さんは中国人」という表現が論文の文体をなしていないといったのであって、「『奥さんは中国人』と書くな(差別的でないか)」などと横槍を入れたのではありません。たとえば一般に学術論文で口語や俗語の多用はあまり好ましいとはされませんから、たとえば、「口撃」といった通俗的なレトリック、「やっちゃった」「みたいな」といった語形(特に前者は「やる」+「しちゃう」で二重に不可)は論文で使われることは通常ありえません。私が批判したのは、「中国人」うんぬんではなく、「奥さん」という俗語のほうなのです。そのことはすでに指摘したはずですが、まだ自称菅野先生がこだわっているところからすると、実はこの手の問題に過剰に反応しているのは自称菅野先生、あなたではありませんか?どうも菅野先生にせよ、野田先生にせよ、他人が言っていない発言を言ったことにすりかえ(あるいは故意にか天然にか知りませんが他人の発言を曲解し)、その上で(はっきり言うなら妄想を根拠にして)他人を誹謗中傷する癖があるようですね。ほかにも批判すべき点はありますが、あまり書くとまた個人攻撃と注意されそうですから止めておきましょう。ただし自称菅野先生、あなたに批判的なユーザーのうち、私以外は温情派なのであって、あなたの没論理や感情的・主観的発言、話の相手や流れを無視したはぐらかし(どう考えても某人物に似てるのですが)、他人への攻撃、ウィキペディアにおけるルールやモラルの無視について、「話せば分かる」の観点からあなたを説得しようと努力しているのですから、それに対してあなたは(芸術家としてではなくて)知的人間として誠実さを示す義務があるのです。わたくし以外のユーザの皆さんは期待しておられるようですが、わたくしは今までのやり取りから見る限り、菅野先生からまともな意見や誠意を引き出すことは無理なのではないか(そしてゆくゆくは自称菅野先生も「コミュニティを疲弊させるユーザ」に認定されることになるのではないか)と絶望視しています。--間久部緑郎 2006年12月31日 (日) 14:21 (UTC)

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