「篤姫 (NHK大河ドラマ)」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。)
(ケンケン (トーク) による編集を Yard による直前の版へ差し戻しました)
 
1行目: 1行目:
[[rxy]]=[[森谷辰也]]=[[wiki:LTA:ASPE|LTA:ASPE]]、 [[wiki:LTA:DCHANCE|LTA:DCHANCE]]、[[wiki:LTA:SASHO|LTA:SASHO]]という動かせない事実。<!--{{番組}}-->
+
<!--{{番組}}-->
 
{{継続中の作品|大河ドラマ・篤姫}}
 
{{継続中の作品|大河ドラマ・篤姫}}
  

2020年1月13日 (月) 02:02時点における最新版

継続中の作品
この「大河ドラマ・篤姫」はまだ完結していない作品や番組に関する記事又は節です。ある程度ストーリー・番組内容がまとまってから編集するようにしてください。

篤姫(あつひめ)は、2008年1月6日から放送されている47作目のNHK大河ドラマ。原作・宮尾登美子、音楽・吉俣良、主演・宮崎あおい。全50話(予定)。

NHK大河ドラマ
通番 題名 放映期間
第46作 風林火山 2007年1月7日
~2007年12月16日
第47作 篤姫 2008年1月6日
~2008年12月
第48作 天地人 2009年1月
~2009年12月
篤姫
放送局 日本の旗 日本
ジャンル ドラマ
放送期間 2008年1月6日~12月(予定) 50
放送時間 大河ドラマ44分30秒
制作局 日本放送協会
企画/PD
監督/総指揮 佐野元彦
演出 佐藤峰世 他
原作 宮尾登美子
脚本 田渕久美子
出演者 宮﨑あおい
瑛太
堺雅人
堀北真希
長塚京三
樋口可南子
小澤征悦
原田泰造
松田翔太
岡田義徳
玉木宏
山口祐一郎
中村梅雀
草刈正雄
高畑淳子
稲森いずみ
江守徹
松坂慶子
高橋英樹
北大路欣也 他
ナレーション
音声
字幕
データ放送
オープニング
エンディング
公式サイト 篤姫 大河ドラマ
特記事項:
テンプレート

作品内容と反響[編集]

原作は宮尾登美子の『天璋院篤姫』。主人公は江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室である篤姫(のちの天璋院)。女性主演の大河ドラマは2006年の『功名が辻』以来2年ぶり7作目。幕末を扱った作品は2004年放送の『新選組!』以来、宮尾登美子原作2005年の『義経』以来の2度目。天璋院は2003年フジテレビ系で放送された『大奥』(菅野美穂主演)に続いて連続テレビ時代劇の主役に取り上げられることとなった。

江戸幕府末期、鎖国状態にあった日本が諸外国からの脅威に晒され、動乱を極めていた時代に、歴史の影で活躍した主人公・篤姫をはじめとする女性達の姿に焦点を当てる。ホームドラマ的要素を強め、夫婦や家庭での日常、さらに篤姫が自分にとっての家族(=大奥の女性達)を最後まで守り抜き、その中で一途に平和を願い続ける姿を深く描いてゆく。

また、女性達同様にこれまで歴史の影に隠れがちで、かつ原作でも影の薄い薩摩藩家老・小松帯刀にも焦点を当て、動乱に立ち向かったヒーローとして新たな命を吹き込む。他に勝海舟坂本龍馬西郷隆盛のような一般的に知名度の高い人物も登場し、彼らが新時代に向けて奔走する様子も描かれる。

主演の宮﨑あおいは大河ドラマ初主演かつ史上最年少である[1]。また、本作の第2の主人公とも言うべき小松帯刀役に瑛太、篤姫の夫である江戸幕府13代将軍・徳川家定役に堺雅人がそれぞれ起用された。さらに、北大路欣也高橋英樹松坂慶子など大河ドラマ常連のベテラン俳優から堀北真希玉木宏松田翔太など民放ドラマで活躍中の若手俳優、原田泰造春風亭小朝のようなタレントや落語家に至るまで、幅広い顔ぶれが勢ぞろいした。特に、鹿児島県が舞台となる今作では、出演者や音楽担当などに鹿児島県出身者が多数起用されている(山口祐一郎稲森いずみなど)。


補足[編集]

  • 本ドラマでは、登場人物が薩摩の方言である薩摩言葉を使用するか否かによって、身分の違いを表現している。例えば、島津家・小松家のような上級武士の家は薩摩言葉をほとんど使用しないが、逆に西郷家・大久保家のような下級武士や低い家柄出身の女中などは薩摩言葉を使用している。これは、家格の高い武士は当時、江戸における他藩との交流に備えて言語の矯正が命じられていたということ、篤姫の父・忠剛や島津家当主・斉彬が長く江戸で生活していたことなどの事実に基づいている。
  • オープニングに、主人公(の姿)が登場するのは『利家とまつ』以来6年ぶりで、そしてスタッフ・キャストのテロップは2005年の『義経』以来3年ぶりに縦書きとなった。また役名と演者とを1行でまとめている。また、ピンクレジットの多くは帯状の背景があるのも特徴。また、オープニングの映像では、グスタフ・クリムトの画風をモチーフしたものとなっている。
  • NHKエンタープライズが無秩序に使われるのを防ぐ目的で、「篤姫」「大河ドラマ 篤姫」を複数の品目で商標登録し使用者には使用料を徴収する予定で「篤姫」という歴史上の固有名詞を独占していいのかとの批判が出ているが、NHKでは過去の大河ドラマでもやってきたこととしており、商標登録の撤回は行なわない模様である[2]
  • 篤姫の地元・鹿児島地区では、第2回の視聴率が29.3%を記録した[3]

スタッフ[編集]

アバンタイトル
篤姫紀行
  • ナレーション:内藤裕子アナウンサー
  • 演奏
    • 吉俣良×弦一徹(第1~14回)
    • 吉俣良×柏木広樹(第15~26回)
    • 吉俣良×千代正行(第27回~)

登場人物[編集]

主人公とその一族[編集]

主人公[編集]

島津氏の分家・今和泉家の娘に生まれる。囲碁や史書を読むことが趣味。男子の通う塾に男装して潜り込んだり、下級藩士と身分の差を越えて交流するなど型破りな行動を繰り返す。その行動力が藩主・島津斉彬の目に留まり、島津宗家の養女として鶴丸城に迎えられる。老女・幾島に宗家の姫としての立ち居振舞いを教育され、斉彬から一橋慶喜を将軍継嗣にすべく密命を受けて将軍・家定の御台所として大奥に入る。
しかし、南紀派が多数を占める大奥での慶喜擁立工作は難航し、また篤姫自身、慶喜より対抗馬の慶福に君主の器を見出したことから苦悩することになる。一度は幾島の懇願に折れて慶喜を推薦するものの、最終的には「嫁いだからには自分は徳川将軍家の人間である」として家定の意向に従うことを決意する。

今和泉島津家[編集]

篤姫の父。今和泉家の当主。重税に苦しむ領民を思い、お由羅騒動の際には斉彬の家督相続を支持した。斉彬の藩政改革にも協力し、今和泉領内への砲台建築を指揮する。於一(篤姫)を斉彬の養女に望まれると、涙を堪えて笑顔で娘を送り出した。篤姫が江戸に旅立つ際は重病の身をおして見送りに出た。続いて江戸に発つ斉彬に「娘に余計な心配をさせぬため、自分の死は伏せて欲しい」と遺言し、間もなく亡くなった。
篤姫の母。その言動で於一に“武家の女としての心構え”、“人の上に立つ者のあり方”を示し、彼女の人格形成に大きな影響を与えた。
篤姫の兄。今和泉家の三男。共に小松清猷の塾に通う肝付尚五郎とは友人。西郷吉之助が今和泉家が取り潰し寸前に追い込まれる原因を作ったこと、また妹や尚五郎が身分の壁を越えて西郷らと付き合っていることもあり、下級藩士たちには良い感情を持っていない。
今和泉家の奥女中、於一(篤姫)の乳母。於一の島津宗家への養女縁組が決まると、その将来に障りがないようにと自害した。菊本の言い残した「女の道は一本道」「さだめに背き、引き返すは恥」という言葉は篤姫の支えになった。
今和泉家の家老。今和泉家の政務や外交などに携わっている。
今和泉家の女中。後に唯一於一に従って鶴丸城へ上がる。篤姫が江戸へ向かうと同時に暇を出され、再び今和泉家に引き取られた。
今和泉家の家臣。忠剛の側用人として側近に仕えている。
今和泉家の女中。
忠剛の長男、篤姫や忠敬の兄。父の没後は今和泉家の家督相続を許されている。
忠剛の次男、篤姫や忠敬の兄。調所広郷らによって今和泉家の財政が緊迫する中、他家へ養子に出された。
忠冬の妻。藩主島津斉彬の養女となった篤姫と、夫や義父らとともに対面する。

薩摩藩[編集]

島津家[編集]

薩摩藩主。その蘭癖(西洋かぶれ)を父・斉興に疎まれ、なかなか家督を継げずにいたが、お由羅騒動の混乱を経て藩主に就任。開明思想に基づいた藩政改革を行い、西郷ら有為の人材を登用する。西洋列強の脅威から日本を守るために幕政の改革を志向し、幕府に発言力を高めるために養女とした篤姫に一橋慶喜を将軍継嗣として推挙するように命じ、将軍御台所として大奥に送り込んだ。
しかし、大奥の水戸嫌いは予想を上回るほどに根深く、工作は思うように進まなかった。外様の大藩・薩摩の藩主という立場から表立った行動を控えてきた斉彬は、遂に「慶喜を将軍継嗣とすべし」という旨の建白書を幕府に提出する。南紀派の井伊直弼が大老に推されると、対抗して越前藩主・松平慶永を推挙した。一橋派の敗北が決定的になると、洋式装備を有する軍を率いて幕政改革を促すための上洛を計画するが、演習の検分中に病に倒れ、弟・忠教や小松帯刀らに後を託して亡くなった。
死の直前に篤姫に送った手紙には、彼女に過酷な運命を強いた詫びの言葉と共に「将来、薩摩と幕府が敵対するような事態になっても、自分の信じる道を行くように」と記されていた。
斉彬の正室。幼い頃に患った疱瘡のせいで顔に痘痕が残ったことから常に頭巾を着用し、人と会うときも御簾越しでしか対面しない。斉彬にも捻くれた発言をする等、周囲の人間にも心を閉ざしていた。しかし斉彬が病に倒れた際は不眠不休で病の平癒を祈ったり、水戸老公・斉昭との対面を控えた篤姫に最新版の大日本史を届けるなど、本来は心の優しい女性。篤姫との触れあいの中で本来の優しさを取り戻し、夫とも本音を言い合えるようになる。篤姫輿入れの前夜、彼女の前で素顔をさらし初めて母親として言葉をかけた。
斉彬の異母弟。島津氏の分家の一つ、重富家の当主。お由羅騒動では反斉彬派の旗頭に担がれたが、兄との仲は悪くはなかった。しかし、自身の海防策が不採用になったこと、お家騒動の融和のためにと進めた息子・右近と今和泉家の於一との縁談が於一の宗家養女入りで潰れたことから兄と距離をとるようになり、自領の統治に専念したいとの理由で斉彬の許を去った。斉彬の遺言により息子忠義が藩主となり、斉彬から薩摩を託された。斉彬の遺志を継ごうと努めようとするが、父斉興が再び実権を握ったためすぐには実権を握ることができなかった。斉興の死後ようやく実権を握るようになる。
斉彬の父。家老・調所広郷と共に財政改革を行い、藩財政を立て直した経験から嫡子・斉彬の蘭癖を浪費の元と見做し家督相続を渋り、庶子・忠教(久光)を跡目に据えんと画策する(ただし、すぐには忠教に家督を継がす意思がないような発言もしていた)が、お家騒動(お由羅騒動)の責任を取らされる形での隠居を余儀なくされる。隠居後は側室・お由羅と共に江戸・高輪の藩邸に住む。斉彬の死後再び実権を握るが、これからだというところで亡くなった。
斉興の側室。我が子・忠教を家督にと願い、薩摩藩にお家騒動を引き起こす。斉興隠居後は共に高輪藩邸に住む。斉彬襲封後も望みは捨てておらず、斉彬の子供が次々と夭折するのは彼女の呪詛によるものであると国許・江戸邸で噂されている。斉彬の死後、斉興とともに薩摩に移る。
久光の嫡男。斉彬の臨終の際に斉彬の子である哲丸を准養子とする事を条件に継嗣となった。
島津忠教の娘。御一門家の娘の中ででも器量良しの姫であった。
島津忠教の子。斉彬の藩主襲封の際に於一を見て一目惚れし、父の後押しもあって縁談にまで進むが、於一が斉彬の養女となったために断念する事となった。
斉彬の子。斉彬が世子の折に幼くして病没する。その病室の床下からお由羅による呪詛人形が発見されたとの噂が広まり、後の騒動の遠因となった。
斉彬の子。寛之助に続いて夭折し、斉彬を大いに悲しませた。
島津忠教の娘。姉妹の於哲や於寛らとともに宗家の姫となった篤姫に謁見した。
島津忠教の娘。姉妹の於哲や於定らとともに宗家の姫となった篤姫に謁見した。
斉彬の子。篤姫が江戸に上った際に藩邸で世子として育てられていた。篤姫になついていたが、間もなく早世した。
斉彬の側室。江戸の藩邸で娘を育てている。
斉彬の娘。江戸の藩邸で暮らしており篤姫に懐いていた。
斉彬の娘。姉妹らと江戸の藩邸で暮らしている。
斉彬の娘。姉妹らと江戸の藩邸で暮らしている。一番下の娘であり、篤姫にも懐いていた。

上級藩士[編集]

肝付家の三男。趣味は薩摩琵琶。篤姫の兄・島津忠敬と共に小松清猷の塾に通っており、そこで於一と出会う。天真爛漫な於一に振り回される内に彼女に想いを寄せるようになるが、於一が宗家の養女となったことで叶わぬ恋に終る。身分の差を越えて下級藩士の西郷吉之助・大久保正助らとも対等の友人として付き合う。清猷の急死後、島津斉彬の命で清猷の妹・お近と夫婦となり小松家の婿養子となる。
小松家を継いでからは領地・吉利の統治に専念し、成果を上げる。それが藩主・斉彬に認められ、「帯刀」の通り名()と「清廉」のを与えられ、家中の若侍の頭として装備の洋式化を始めとする薩摩藩の軍制改革を任されることになる。
吉利領主。自宅で塾を開いており、篤姫・肝付尚五郎らから「先生」と呼ばれて慕われていた。島津斉彬が藩主世嗣の頃から側近として仕えている。斉彬の海防政策の一環で琉球に派遣されることになり、尚五郎に後事を託して旅立つが、同地で病に罹り急死する。
小松清猷の妹で小松帯刀の妻。体が弱く、あまり表に出ずに自宅で香道を教えている。尚五郎に想いを寄せ、江戸詰になれずに国許で腐る彼を叱咤激励していた。兄が急死したため、尚五郎を婿養子に迎えて小松家を継がせた。
喜入領主。小松帯刀の実父。篤姫の父・島津忠剛とは友人で共に藩主・島津斉彬を支持していた。尚五郎が下級藩士たちと親しく付き合っていることが家の障りにならないかと心配し、苦言を呈していた。しかし、西郷吉之助が江戸に旅立つ際には尚五郎を介して餞別を渡している。
薩摩藩家老。島津斉興の腹心として、重税・密貿易・贋金造りと手段を選ばず辣腕を振るって薩摩藩の財政を再建した。しかし密貿易に幕府の詮議の目が向けられると、藩主・斉興に累が及ばぬよう罪を一身に負って服毒自殺を遂げた。今和泉家への抑圧に対して抗議してきた於一を気に入り、密貿易品の黒砂糖でもてなし「同じ穴の狢」と念を押すなど、茶目っ気を見せる場面もあった。
薩摩藩家老。京都の藩邸に詰めていおり、初めて入京した篤姫を迎えた。また近衛家との折衝にあたり、篤姫が近衛忠煕の養女になる際には使者となった。
薩摩藩家老。江戸の藩邸では斉彬の側近を勤める。斉彬が病に倒れた時も側に従ってた。
薩摩藩家老。斉彬の世子時代はお由羅派と見なされており、斉彬襲封後は即罷免されると思われていたが、斉彬は罰する事はなかった。斉彬没後、島津斉興が復権すると、再び重用される。
薩摩藩家老。お由羅派として斉彬の藩主襲封後は政治生命を絶たれると噂されたが、豊後同様続投する事となった。
薩摩藩家老。保守派であり、島津斉興が藩政に復帰すると島津豊後とともに重用される事になる。
薩摩藩家老。モリソン号が山川港に来航した際に交渉役を務めた。交渉の決裂後はモリソン号への砲撃を指示した。
小松清猷の父。清猷が急死した後、斉彬の薫陶を受けていた尚五郎を喜んで嗣子に迎えた。
小松清穆の妻。清猷やお近の母。
肝付兼善の妻。尚五郎(小松帯刀)の生母。
斉彬の側近。篤姫が斉彬の養女となる際に今和泉家との交渉役となった。
一所持の桂家当主。篤姫が斉彬の養女に入った際に挨拶している。
島津忠義の側近。
御一門加治木島津家当主。斉彬の藩主襲封に際して他の重臣らとともに謁見した。
御一門垂水島津家当主。斉彬の藩主襲封に際して他の重臣らとともに謁見した。

下級藩士[編集]

御小姓与と呼ばれる下級藩士のひとり。尚五郎とは身分を越えた友人。郡方書役助を務めていた際、農民の窮状を見かねて今和泉領主・島津忠剛に直訴を行い、それが元で今和泉家は取り潰し寸前に追い込まれた。斉彬の藩主相続を支持し、後に建白書が認められて江戸詰の一員に加えられ、庭方役と呼ばれる斉彬の側近に取り立てられる。篤姫の将軍家輿入れの際は、その嫁入り道具の調達一切を取り仕切った。篤姫輿入れ後は幾島・小の島と共に一橋慶喜将軍継嗣の政治工作に関ることになる。しかし、慶喜将軍継嗣の工作は失敗。斉彬の死後は幕府に追われる身となり、藩上層部からも見捨てられる形となった西郷は同志の僧・月照と錦江湾に身を投げる。が、死ぬことは出来ず、表向きは死んだことにされて奄美大島へ流された。
西郷の幼馴染。剣術勝負を挑んだ尚五郎に西郷に代って相手をした。物事を冷静かつ多面的に捉えることのできる人物で調所の財政改革を批判する仲間たちの前でその良い面を挙げたり、斉彬への忠誠心から過激な行動に走ろうとする仲間を窘めたりしている。お由羅騒動に巻き込まれ御役御免となり、謹慎処分を受ける。斉彬の藩主就任後は許されて役目に復帰した。しかし父・利世がなかなか赦免されないことに苛立ち、斉彬に対する不信感を口にしたこともある。西郷が江戸詰になってからは、その手紙を通じて尚五郎らに最新の情報を伝えることになる。
藩主の側近として最前線で活躍する西郷、領地の経営に打ち込む尚五郎を見て、己の生きる道が定まらないことに苦悩する。
西郷たちの郷中(ごじゅう)仲間。尚五郎にお由羅の呪詛の噂を教えた。攘夷思想の持ち主で、剣術の稽古でペリーの似顔絵を少年たちに叩かせたりしていた。斉彬が病に倒れた際には「江戸に行ってお由羅を斬る!」と息巻いて大久保に窘められる等、過激な行動に走りがち。
大久保の母。お由羅騒動に連座して夫・利世が遠島、息子・正助が謹慎となり収入の道を断たれて困窮する大久保家を支えた。見かねた篤姫が施しをしようとすると、「貧しい暮しをしている者にも誇りがある」と説き、その申し出を謝辞した。斉彬が藩主となり、夫と息子の罪が許されると、西郷に差をつけられたことに焦り悩む正助を支える。
大久保の父。お由羅騒動に連座して遠島処分となる。斉彬襲封後5年たってようやく許され、薩摩に帰還した。
西郷たちの郷中仲間。片目が不自由でいつも眼帯をしている。
西郷たちの郷中仲間。西郷たちのグループでは早いうちに斉彬の側近として江戸へ出府した。
西郷たちの郷中仲間。尚五郎が江戸に旅立つ際、「無事の帰還を祈って」と“なた豆”を餞別に渡すが、尚五郎が僅か3ヶ月で薩摩に戻ってきたため有村俊斎に「なた豆など渡すからだ」と責められた。
西郷たちの郷中仲間、俊斎の弟。弟の次左衛門とともにグループによく顔を出している。
西郷たちの郷中仲間、俊斎や雄助の弟。血気盛んな性格で、兄の雄助とは喧嘩をする事もある。
西郷の弟。兄とは違って血気盛んな性格。
西郷の弟。弟の信吾と郷中仲間に顔を出している。
郷中仲間。藩主斉彬の没後、その対立候補だった久光やその父・斉興の復権に、仲間たちと否定的な異見を唱えている。
大久保の妹。父が遠島となり家計が貧窮した際には扇を作るなどの内職をして家計を助けた。
大久保の妹。スマとともに内職に励む。たまに遊びに来る於一とも仲がよい。
西郷の父。西郷とスガの宴席に出席している。
西郷の妻。尚五郎や大久保らに祝福されながら結婚した。
西郷の母。西郷とスガの宴席に出席している。
西郷の祖父。西郷とスガの宴席に出席している。
西郷の妹。西郷とスガの宴席では来客への給仕を担当していた。
西郷の妹。西郷とスガの宴席では来客への給仕を担当していた。
尚五郎の従者。

奥女中たち[編集]

江戸藩邸の奥向きを取り仕切る老女。篤姫の突飛な行動に振り回される。篤姫の将軍家輿入れ後は斉彬の命を受けて幾島・西郷と共に慶喜将軍継嗣の政治工作に関ることになる。しかし、工作は失敗。島津斉彬の死後、藩の実権が斉興に移ると共に役目を解かれることになる。
篤姫付きの老女。鶴丸城の大奥を統括している。分家から養女に入った篤姫に厳しく接するが、篤姫の心機一転後は感服して従うようになる。
鶴丸城の奥女中で、篤姫付きの侍女。鶴丸城入城直後の不安定な篤姫の心を開こうと腐心する。
江戸藩邸の英姫付き老女。小の島とともに奥を取り仕切る。篤姫にはあまり好印象を抱いていなかった。
鶴丸城の奥女中で、篤姫付きの侍女。鶴丸城に入った篤姫付きとなる。
鶴丸城の奥女中で、篤姫付きの侍女。鶴丸城に入った篤姫付きとなる。
江戸藩邸の女中。
江戸藩邸の女中。近似人物に右筆喜尾


幕府[編集]

将軍家[編集]

江戸幕府13代将軍。篤姫の夫。菓子作りが趣味。惚けた発言や数々の奇行から周囲からは「暗愚」と見られている。しかし、時折物事の核心を突く発言をし、斉彬には「ただの暗愚とは思えぬ・・・」と疑念を持たれていた。真実は国家の行く末を見通すほどの鋭敏明晰な人物。だが、硬直化した幕藩体制と意に添わぬ将軍職を押し付けられた自身の運命に絶望し、暗愚を装っていた。幼い頃から何度も毒を盛られており、そのために極度の人間不信に陥っていたが、篤姫との語らいに安らぎを見出し、政務や自らの後継者の問題にも次第に目を向けるようになってゆく。
「自分の家族である徳川将軍家の人々を守ってくれる人物」と見込んで井伊直弼を大老に据え、紀州家の慶福を後継に定め、篤姫には「慶福が成長するまでは後見として政務に関るよう」と遺言する。その直後に持病の脚気衝心の発作で倒れ、帰らぬ人となる。先例に則り、その死は妻である篤姫にすら1ヶ月近く伏せられていた。
紀州藩主。血統的には家定の次の将軍に最も近く、井伊直弼らによって推されている。周囲への気配り、下の者に慈悲を以って接するなど、弱冠13歳にして君主の風格を備えており、篤姫にも好印象を残した。将軍就任後は篤姫に信頼を寄せ、彼女を母のように慕う。
御三卿の一橋家当主。前水戸藩主・徳川斉昭の七男。英明で知られており、斉昭らによって家定の後継候補に担ぎ出される。斉彬達には「将軍の地位に興味は無い」と言う捉え所の無い人物。篤姫との初対面でも曖昧な態度を崩さず、篤姫に嫌われる。
大老となった井伊直弼が勅許を得ないままアメリカとの通商条約を結ぶと江戸城に登城して直弼を詰問するが、逆にこれを罪とされて登城停止の処分を受ける。
江戸幕府12代将軍。家定の父に当たる。ペリー来航の混乱の最中に病死する。

大奥[編集]

元は斉彬の姉・郁姫に仕えた老女で、郁姫の死後はその嫁ぎ先である京の近衛家に仕えていた。斉彬に請われ、篤姫に「島津宗家の姫」としての教育を施すために薩摩に下る。武道・芸道・礼法などに通じた才女。教育係として篤姫に厳しく接し、篤姫も当初は幾島を嫌っていたが、鶴丸城・江戸藩邸・大奥と共に過ごす内に君臣の間柄を越えた友となってゆく。
篤姫付きの御年寄として大奥に入ると江戸城外の西郷・小の島と連携し一橋慶喜擁立の政治工作にも関る。しかし、大奥に根深い水戸嫌いの空気の前に工作は難航する。それでも幾島は斉彬の命を頑なに守り通そうとし、慶喜を推すことに疑問を感じ始めた篤姫と次第に対立していく。家茂が将軍に就任すると、慶喜の擁立失敗の責任を取って大奥から去る決意をした。
1000人もの大奥女中の総取締役を務める老女、筆頭御年寄。常に表情を崩さず、冷静沈着かつ淡々としている女性。給仕を担当する女中たちに衣装の袖に当て布をすることを奨励するなど倹約にも気を使っているが、そのために篤姫に関することでは金銭に糸目をつけない幾島とは意見が対立することもある。将軍継嗣問題では南紀派に属し、篤姫入輿の目的を探り出し、本寿院と共に慶福支持を大奥の意向として取りまとめる。篤姫とは南紀派と一橋派で対立しながらも、篤姫が井伊大老就任に間接的に協力したため、本寿院とは対照的に篤姫に同情を寄せている。
家定の生母。前水戸藩主・徳川斉昭を毛嫌いしている。篤姫は本寿院を姑として立て、彼女も篤姫を嫁として憎からず思い、一日も早い世継の誕生を願っていたが、篤姫の入與の目的が慶喜の推挙にあったことを知ると一転し、篤姫を憎悪してことあるごとに彼女を攻撃する。
家定の側室、御中臈。摘んだ花を食べたり、家定のお成りを待って千羽鶴をひたすら折り続けるなど、少し変わった行動の持ち主。唯一の側室であるために悪い噂が絶えないが、純粋に家定に好意を持って仕えている。家定の死後は落飾し、大奥を下がって桜田の御用屋敷で菩提を弔いながら過ごす。別れの日、篤姫に告げた「公方様が心から愛した女性は御台様だけなのに、いつまでも悲しみに沈んでいるのは贅沢というもの」という言葉は悲しみに沈む篤姫が再び立ち上がるきっかけとなった。
大奥上臈御年寄。家定の乳母。本寿院に近侍している。篤姫と家定との間に一日も早く世継が生まれるようにと本寿院と共に知恵を絞るが、篤姫輿入れの目的が判明すると逆に二人の仲を裂くための策を練るようになる。
篤姫付きの御年寄。大奥での工作を有利に進めるために幾島の命を受けて本寿院と滝山の注視を命じられる。また当初は表使であったが、幾島が大奥を去る際に、表に顔の聞く事を見込まれて御年寄に抜擢される。
篤姫付きの御年寄。初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなり、今までの風習にことごとく異を唱える篤姫に振りまわされる事になる。しかし次第に篤姫の側近として忠勤するようになる。篤姫の落飾後、間もなく大奥を下がった。
篤姫付きの上臈御年寄。初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなる。
篤姫付きの中年寄。同じく中年寄の川井とともに初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなる。
篤姫付きの中年寄。同じく中年寄の岩野とともに初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなる。
篤姫付きの御中臈。篤姫が江戸城大奥に入って初めての朝、篤姫の起床を促した。
篤姫付きの御中臈。ふくらとともに篤姫に起床時のしきたりを教えた。
篤姫付きの御中臈。篤姫の朝食の膳を担当していた。
篤姫付きの御中臈。篤姫のお召し替えを担当していた。
篤姫付きの御中臈。
篤姫付きの表使。
家定付きの御中臈。
家定付きの御中臈。
家定付きの御中臈。
本寿院付きの御年寄。
本寿院付きの御中臈。

幕閣[編集]

老中首座。ペリー来航後の難局にあたり島津斉彬・徳川斉昭などの親藩・外様雄藩と結んでの幕政改革を志向し、その布石として篤姫の輿入れを進めた。美男子で大奥での人気も高い。大奥の篤姫にとってその存在は心の支えであったが、志半ばで急死する。
彦根藩主。斉昭の攘夷論を現実に根ざしていない暴論と一蹴する。将軍継嗣あたっては「人物よりも血筋」を重視し、紀州藩主の徳川慶福を推す南紀派の領袖となる。
南紀派の幕閣・大奥の推薦を受けて大老職に就くと、勅許を得ないままアメリカとの間に通商条約を結び、これに抗議した一橋派の諸大名の処罰を断行した。
下総佐倉藩主。阿部に代って老中首座に就く。阿部の死後は諸外国との交渉を一手に担うことになる。将軍継嗣問題では一橋・南紀の両派から味方となるよう誘われ、一旦は南紀派に属するも、通商条約締結の勅許を巡って朝廷との交渉が難航すると勅許を引き出すための支援と引き換えに一橋派に鞍替えする。しかし勅許を得ることは出来ずに江戸へ戻った。井伊直弼と共に家定から篤姫を政務に関らせる旨の遺言を受けるが、大老となって実権を握った直弼によって登城停止となり、老中職も罷免される。
老中。堀田とともにハリスの江戸出府の件について担当した。井伊直弼と結び南紀派の重鎮として行動する。
老中。井伊とともに幕政にあたる。
老中。篤姫に斉彬が亡くなった事を伝えた。また井伊が実権を握ると幕政に参加する。安政の大獄の際には井伊の命でその執行に当たった。
老中。本来は伏せておく家定の薨去を篤姫に内々に伝えた。

幕臣[編集]

安政の大獄で捕縛者の詮議の奉行を務める旗本。江戸に送られてきた村岡を詮議するも、その堂々たる態度に萎縮する。
海防掛。老中阿部正弘らとペリー来航などについて協議した。
旗本。アメリカとの通商条約承認の勅許を得るために、堀田正睦に従って岩瀬忠震と共に上京する。
旗本。ハリスとの条約交渉を担当している。調整を重ね、最終的にはハリスとの条約に調印した。
旗本。井上清直らとともにハリスとの交渉を担当する。さらに条約の勅許を求めるために上洛した堀田正睦にも従った。
御典医。家定が病に倒れた際に診察を担当したが、本寿院の命を受けて篤姫には詳しい病状を知らせなかった。

諸藩・志士たち[編集]

水戸藩[編集]

前水戸藩主。水戸学の思想に根ざした頑強な尊皇攘夷論者。倹約を叫んで大奥を目の敵にしているため、本寿院を始めとする大奥の女性達に嫌われている。
ペリー来航に伴う幕府内の混乱を抑えるため老中・阿部正弘によって海防参与に迎えられるが、その過激な発言で逆に幕政を混乱させる。斉彬達とは気脈を通じてはいるが、篤姫の将軍家輿入れに関しては彼女の出自が低いことに難色を示し、薩摩藩の発言力が増すことを警戒していた。しかし、薩摩藩邸で開かれた花見の席で物怖じすることなく自分に意見を述べる篤姫の人物に感じ入り、また将軍・家定の後継候補に我が子・一橋慶喜を推されたことから一転して篤姫入與支持に転じた。
アメリカ領事・ハリスの江戸入り・将軍謁見に反対し幕政参与を辞任する。大老となった井伊直弼が勅許を得ぬままアメリカとの間に通商条約を締結すると抗議のために登城するが、逆にこれを罪とされて謹慎処分を受ける。
水戸藩士。京都で武家伝奏より、前例のなかった水戸藩への勅諚を賜る事になる。しかし安政の大獄に連座して捕えられる。
水戸藩士。吉左衛門の息子。父とともに安政の大獄で捕えられる。

一橋派諸藩[編集]

越前藩主。阿部正弘とともに家定にたびたび進言している。斉彬や伊達宗城とは親しい間柄。井伊直弼が大老に推挙されると、一橋派の対抗馬として大老に推挙される。大老となった直弼の命で斉昭・慶喜親子と共に処罰され、隠居・謹慎処分を受けた。
宇和島藩主。斉彬とは親しく、阿部正弘とともに斉彬の藩主襲封に協力した。後に一橋慶喜擁立運動にも加担する。
越前藩士。藩主松平慶永の厚い信任を受けて、西郷吉之助とともに一橋慶喜を将軍継嗣にすべく奔走する。しかし安政の大獄では処罰の対象となり、後に処刑された。
熊本藩家老。西郷と親しく交流している。

南紀派諸藩[編集]

彦根藩士。藩主・井伊直弼の側近。将軍継嗣問題について直弼の相談を受ける。井伊の手足となり、九条尚忠と結んで朝廷の南紀派工作に大きな影響を与え、安政の大獄でも多大な影響力を及ぼした。
松本藩主。江戸の藩邸で安政の大獄で捕えられた村岡を拘留する。後に幾島が現れた際には村岡との会見を渋るも、天璋院の威光に恐縮する。
彦根藩士。直弼の側近。長野とともに直弼を支える。

その他の志士たち[編集]

元清水寺成就院の住職。近衛家の仲介で西郷吉之助と懇意にし、一時は西郷の命を預かると申し出るまでとなる。朝廷とのパイプも持っており、西郷の朝廷工作にも関与する。安政の大獄が始まると西郷とともに薩摩に逃れるも逆に捕えられ、脱走途中に西郷とともに錦江湾に入水した。

朝廷[編集]

皇族[編集]

第121代天皇。大の異国嫌いである。

近衛家[編集]

右大臣。島津家と縁の深い近衛家の当主。篤姫は公家の娘という箔をつけるため島津宗家からさらに近衛家の養女となって徳川将軍家に嫁いだ。将軍継嗣問題では一橋派の意向を受けて行動し、実質的に「慶喜を将軍継嗣とすべし」という内容の勅命を取り付けようとするが、南紀派と結んだ関白・九条尚忠に阻まれて果せなかった。そのため安政の大獄に巻き込まれて落飾する。
近衛家に仕える老女。当主・忠熙が独身のため、篤姫輿入れの際には母親代わりとなった。調停工作に従事する西郷に月照を紹介し、また水戸藩への密勅にも関与。その活動をして安政の大獄の際に捕えられて江戸へ送られる。しかし天璋院や幾島の励ましもあってその詮議に堂々と容疑を否認し、軽い処分に落ち着いた。
近衛忠煕の妻。島津家より忠煕へ輿入れした。器量がよくおしとやかな性格であったが、早くに亡くなっている。幾島は当初郁姫付きだった。
近衛家の老女。忠熙の養女となった篤姫に近衛家の来歴などを教授した。

公卿[編集]

関白。孝明天皇の重臣であり、相談などを受けている。
関白。長野義言を通じて井伊直弼と交流を持っている。将軍継嗣問題では不干渉を主張した。
条約の勅許を求めて上洛した堀田正睦に、勅許不可を伝える。また水戸藩への密勅にも関与した。

女官[編集]

その他[編集]

江戸市井[編集]

江戸の瓦版売り。ペリー来航をはじめ最新の瓦版を、顔芸を交えて売っている。
江戸の瓦版売り。太助とともに瓦版を売っている。元は香具師であったらしく、独特の宣伝をしている。

欧米諸国[編集]

土佐国出身の漂流民。アメリカから帰国したところを保護され琉球から薩摩に護送される。斉彬に意見を求められ、忠教の海防策を「話にならない」と一蹴。欧米諸国と日本との技術力の差を説き、薩摩領内の砲台建設工事にも携わる。また、小松清猷の屋敷で篤姫・尚五郎らと対面し、レディファーストの精神や自由恋愛など女性がひとりの人間として扱われているアメリカの様子などを話した。篤姫に想いを告げようか迷う尚五郎には想いを告げるべきだと励ました。
アメリカ合衆国の使節。二度の来航で日本を開国させた。巷ではさまざまな憶測が飛び交っている。
アメリカ合衆国の総領事。伊豆の下田に来航する。将軍家定への謁見を求め、後に念願かなって家定と会見。強硬な姿勢を貫き、条約の調印に成功する。
ハリスの通詞役。ハリスとともに下田に来航した。ハリスの側近として行動をともにし、条約調印にも立ち会った。
山川港に来航したアメリカ船の船長。薩摩藩と交渉を求めるが砲撃を受けて撤退した。
モリソン号に乗って山川港に上陸した日本人。船長らとともに交渉に立ち会った。
モリソン号に乗って山川港に上陸した日本人。船長らとともに交渉に立ち会った。

その他[編集]

篤姫が産まれる直前にお幸の夢に現れた謎の行者。「その娘を江戸へ連れて参る」と篤姫の江戸行きを示唆する。

放送日程[編集]

  • 初回と最終回は1時間の拡大版。
放送回 放送日 演出 篤姫紀行 視聴率
第1回 2008年1月6日 天命の子 佐藤峰世 篤姫の故郷(鹿児島県鹿児島市指宿市 20.3%
第2回 2008年1月13日 桜島の誓い 尚五郎の故郷(鹿児島県鹿児島市) 20.4%
第3回 2008年1月20日 薩摩分裂 岡田健 薩摩最強の武士団(鹿児島県出水市 21.4%
第4回 2008年1月27日 名君怒る 藩主 斉彬の功績(鹿児島県鹿児島市) 22.7%
第5回 2008年2月3日 日本一の男 堀切園健太郎 万次郎の故郷(高知県土佐清水市 24.0%
第6回 2008年2月10日 女の道 薩摩藩の郷中教育(鹿児島県鹿児島市) 22.7%
第7回 2008年2月17日 父の涙 佐藤峰世 篤姫ゆかりの港町(鹿児島県指宿市) 21.6%
第8回 2008年2月24日 お姫様教育 黒船来航(神奈川県横須賀市 22.4%
第9回 2008年3月2日 篤姫誕生 岡田健 篤姫誕生の城(鹿児島県鹿児島市) 25.3%
第10回 2008年3月9日 御台所への決心 徳川斉昭の功績(茨城県水戸市 23.8%
第11回 2008年3月16日 七夕の再会 渡邊良雄 古の香り漂う町(鹿児島県南さつま市 24.7%
第12回 2008年3月23日 さらば桜島 心のふるさと桜島(鹿児島県鹿児島市) 23.5%
第13回 2008年3月30日 江戸の母君 佐藤峰世 篤姫 江戸への道中(京都府京都市 21.6%
第14回 2008年4月6日 父の願い 井伊直弼の故郷(滋賀県彦根市 22.3%
第15回 2008年4月13日 姫、出陣 岡田健 西郷隆盛ゆかりの寺(東京都目黒区 23.7%
第16回 2008年4月20日 波乱の花見 慶喜の生誕地(東京都文京区千代田区 22.4%
第17回 2008年4月27日 予期せぬ縁組み 渡邊良雄 江戸の薩摩藩屋敷(東京都港区渋谷区 23.1%
第18回 2008年5月4日 斉彬の密命 ハリスの暮らした港町(静岡県下田市 20.9%
第19回 2008年5月11日 大奥入城 佐藤峰世 篤姫が暮らした城(東京都千代田区) 24.6%
第20回 2008年5月18日 婚礼の夜 小松家の領地(鹿児島県日置市 24.2%
第21回 2008年5月25日 妻の戦 堀切園健太郎 江戸城の面影・川越(埼玉県川越市 24.4%
第22回 2008年6月1日 将軍の秘密 阿部正弘の城下町(広島県福山市 24.8%
第23回 2008年6月8日 器くらべ 岡田健 藩主斉彬の足跡(鹿児島県錦江町南大隅町 24.8%
第24回 2008年6月15日 許すまじ、篤姫 松平慶永の城下町(福井県福井市 25.7%
第25回 2008年6月22日 母の愛憎 渡邊良雄 堀田正睦の城下町(千葉県佐倉市 22.6%
第26回 2008年6月29日 嵐の建白書 月照ゆかりの地(京都府京都市) 24.7%
第27回 2008年7月6日 徳川の妻 堀切園健太郎 将軍・家定の足跡(東京都中央区 26.0%
第28回 2008年7月13日 ふたつの遺言 斉彬の最期(鹿児島県鹿児島市) 26.2%
第29回 2008年7月20日 天璋院篤姫 岡田健 久光ゆかりの地(鹿児島県姶良町/鹿児島市) 24.3%
第30回 2008年7月27日 将軍の母 佐藤峰世 紀伊徳川家の城下町(和歌山県和歌山市 25.8%
第31回 2008年8月3日 さらば幾島 渡邊良雄 村岡ゆかりの嵯峨(京都府京都市) 24.6%
第32回 2008年8月10日 桜田門外の変
  • 平均視聴率 1月期 21.2%・2月期 22.7%・3月期 23.8%・4月期 22.9%・5月期 23.5%・6月期 24.5%・7月期 25.6%

ソフトウェア[編集]

大河ドラマ・ストーリー[編集]

その他書籍[編集]

サウンドトラック[編集]

脚注[編集]

  1. 朝の連ドラヒロインの単独主演も初であった。
  2. NHK関連会社「篤姫」商標を独占南日本新聞、2007年7月19日。
  3. 『篤姫』13日の視聴率 鹿児島は29%超 南日本新聞、2008年1月19日。ちなみに初回放送時の鹿児島の視聴率は測定対象になってないため不明。
  4. 薩摩ことば指導を兼ねる。

外部リンク[編集]

テンプレート:大河ドラマzh:篤姬