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[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)統治下のドイツ([[ナチス・ドイツ]])では盛んに用いられ、当時のドイツを指す言葉として知られる。ただし、公式のドイツ国名として用いられたわけではなく、公式に用いられたのは「Deutsches Reich('''[[ドイツ国]]''')」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。
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[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)統治下のドイツ([[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]])では盛んに用いられ、当時のドイツを指す言葉として知られる。ただし、公式のドイツ国名として用いられたわけではなく、公式に用いられたのは「Deutsches Reich('''[[ドイツ国]]''')」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。
  
クラウス=エックハルト・ブラッシュは、国家社会主義ドイツ労働者党の前身[[ドイツ労働者党]]の創設者の一人であった[[ディートリヒ・エッカート]]がイプセンやファン・デン・ブルックの著書に触れる機会があったとしながらも<ref>[[Matthias Sträßner]]: ''Flöte und Pistole''. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, S. 76, ISBN 3-8260-2539-3 (Quelle: Ernst Bloch: ''Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs''. In: ders.: ''Erbschaft dieser Zeit''. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt a.M. 1977, S. 126–160) ([http://books.google.de/books?id=Jhj0ZzS-YGoC&pg=PA73&lpg=PA73&dq=%22Drittes+Reich%22+begriff&source=web&ots=bOaHxxsMMt&sig=LNGW3W32I6yh3xwyBGC78Oixq68&hl=de&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result#PPP1,M1 Google Books]).</ref>、『第三帝国論』以前の1919年にエッカートが「第三帝国」の用語を使用していたと指摘している<ref>Claus-Ekkehard Bärsch: ''Die politische Religion des Nationalsozialismus''. München 1998, S. 50.</ref>。正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては[[全権委任法]]成立翌日に発行された『[[フェルキッシャー・ベオバハター]]』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており、ナチ党の側がいわゆる[[ナチス・ドイツ]]時代を指す用語としても用いられた。
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クラウス=エックハルト・ブラッシュは、国家社会主義ドイツ労働者党の前身[[ドイツ労働者党]]の創設者の一人であった[[ディートリヒ・エッカート]]がイプセンやファン・デン・ブルックの著書に触れる機会があったとしながらも<ref>[[Matthias Sträßner]]: ''Flöte und Pistole''. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, S. 76, ISBN 3-8260-2539-3 (Quelle: Ernst Bloch: ''Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs''. In: ders.: ''Erbschaft dieser Zeit''. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt a.M. 1977, S. 126–160) ([http://books.google.de/books?id=Jhj0ZzS-YGoC&pg=PA73&lpg=PA73&dq=%22Drittes+Reich%22+begriff&source=web&ots=bOaHxxsMMt&sig=LNGW3W32I6yh3xwyBGC78Oixq68&hl=de&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result#PPP1,M1 Google Books]).</ref>、『第三帝国論』以前の1919年にエッカートが「第三帝国」の用語を使用していたと指摘している<ref>Claus-Ekkehard Bärsch: ''Die politische Religion des Nationalsozialismus''. München 1998, S. 50.</ref>。正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては[[全権委任法]]成立翌日に発行された『[[フェルキッシャー・ベオバハター]]』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ時代を指す用語としても用いられた。
  
 
[[1939年]][[6月13日]]、[[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]は「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。同年7月10日に[[国民啓蒙・宣伝省]]が出した通達によると、この言葉が[[反ナチ運動]]の風刺に用いられたからということになっている<ref>Reinhard Bollmus: ''Das Amt Rosenberg und seine Gegner''. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.</ref> 。しかし、この措置は徹底されず、[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]の演説などで「第三帝国」の用語は使われ続けている。ヒトラー自身も1941年12月17日から18日にかけての談話で、「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない。」と語っているなど、「第三帝国」の語を日常で使用していた。
 
[[1939年]][[6月13日]]、[[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]は「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。同年7月10日に[[国民啓蒙・宣伝省]]が出した通達によると、この言葉が[[反ナチ運動]]の風刺に用いられたからということになっている<ref>Reinhard Bollmus: ''Das Amt Rosenberg und seine Gegner''. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.</ref> 。しかし、この措置は徹底されず、[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]の演説などで「第三帝国」の用語は使われ続けている。ヒトラー自身も1941年12月17日から18日にかけての談話で、「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない。」と語っているなど、「第三帝国」の語を日常で使用していた。

2014年6月2日 (月) 03:06時点における最新版

第三帝国(だいさんていこく、Das dritte Reich または Drittes Reich )は、古くからキリスト教神学で「来るべき理想の国家」を意味する概念として用いられた。第三の国とも。ナチスによる呼称が有名。

中世における「第三の国」[編集]

中世イタリアの思想家フィオーレのヨアキムは世界史を三つの時代に区分した。「三時代教説」と呼ばれるこの考え方では、まず「律法の元に俗人が生きる『父の国』時代」、そして「イエス・キリストのもとに聖職者が生きる『子の国』の時代」、そして最後の審判の後に訪れる、「自由な精神の下に修道士が生きる『聖霊の国』の時代」の三つに分けられると定義した。ここでは「第三の国」が来るべき理想の国であるというニュアンスを持つこととなった。

ドイツ以外における第三の帝国[編集]

ヘンリック・イプセンは1873年の戯曲「皇帝とガリラヤ人」において、中世キリスト教文明を「霊の帝国」、古代ギリシャ思想文明を「肉の帝国」とし、この二つをあわせもった理想国家を「第三の帝国」と称した。

またロシアの詩人ディミトリー・メレシュコフスキーも同様の意味での「第三帝国」を志向した。

日本においても茅原華山が維新以前の「覇者の帝国」と維新以後の「藩閥官僚の帝国」を超克する民本主義の帝国の出現を唱え、大正2年(1913年)に『第三帝国』という評論雑誌を発刊している。

ドイツにおける第三帝国[編集]

ファン・デン・ブルック[編集]

保守革命の思想家アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックは1923年に著した『第三帝国論』の中で、第一のライヒである神聖ローマ帝国と、第二のライヒであるドイツ帝国の正統性を受け継ぐ「第三のライヒ(第三帝国)」の創設を唱えた。当時ドイツ人の多く、特に右派はヴァイマル共和政を正統な国家と見なしておらず、右派思想家達はドイツ帝国を継承する新たな「ライヒ」の出現を期待していた。またファン・デン・ブルックの本には民族共同体を破壊する自由主義への嫌悪、政治指導者による独裁「指導者原理」など後のナチズムと共通する部分が多い。

ナチ党[編集]

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)統治下のドイツ(ナチス・ドイツ)では盛んに用いられ、当時のドイツを指す言葉として知られる。ただし、公式のドイツ国名として用いられたわけではなく、公式に用いられたのは「Deutsches Reich(ドイツ国)」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。

クラウス=エックハルト・ブラッシュは、国家社会主義ドイツ労働者党の前身ドイツ労働者党の創設者の一人であったディートリヒ・エッカートがイプセンやファン・デン・ブルックの著書に触れる機会があったとしながらも[1]、『第三帝国論』以前の1919年にエッカートが「第三帝国」の用語を使用していたと指摘している[2]。正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては全権委任法成立翌日に発行された『フェルキッシャー・ベオバハター』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ時代を指す用語としても用いられた。

1939年6月13日総統アドルフ・ヒトラーは「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。同年7月10日に国民啓蒙・宣伝省が出した通達によると、この言葉が反ナチ運動の風刺に用いられたからということになっている[3] 。しかし、この措置は徹底されず、ヨーゼフ・ゲッベルスの演説などで「第三帝国」の用語は使われ続けている。ヒトラー自身も1941年12月17日から18日にかけての談話で、「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない。」と語っているなど、「第三帝国」の語を日常で使用していた。

Reichと「帝国」[編集]

詳細は ライヒ を参照

ライヒ (Reich) とはドイツ語で、一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich) と規定される。ドイツは歴史的に小さな領邦 (Staat) が分立して神聖ローマ帝国皇帝の緩やかな支配を受けている時代が長く続き、その後もドイツ皇帝(カイザー)の緩やかな支配が続いた。バイエルンヘッセンと個々の地域は現在も Land ()と呼ばれ、高度の自治を許されている。

第二次世界大戦後に成立した二つのドイツはどちらもReichを使用しなかった。西ドイツは「全国」を意味する語としては「Reich」ではなく「Bund」(連邦)の語を用い、「Bundesrepublik Deutschland」(ドイツ連邦共和国)を名乗った。また東ドイツは「Deutsche Demokratische Republik」(ドイツ民主共和国)を名乗っている。

訳語

「Reich」は、過去の神聖ローマ帝国や帝政ドイツで用いられたが、ヴァイマル共和政時代でも用いられており、「ライヒ=帝国」というわけではない。しかし日本語では「第三帝国」の語が当時から用いられている。英語の場合は“The Third Reich”と「ライヒ」をそのまま使用している。

脚注[編集]

  1. Matthias Sträßner: Flöte und Pistole. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, S. 76, ISBN 3-8260-2539-3 (Quelle: Ernst Bloch: Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs. In: ders.: Erbschaft dieser Zeit. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt a.M. 1977, S. 126–160) (Google Books).
  2. Claus-Ekkehard Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. München 1998, S. 50.
  3. Reinhard Bollmus: Das Amt Rosenberg und seine Gegner. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.

関連項目[編集]

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)
思想 ナチズム - 指導者原理 - アーリア人至上主義 - 反共主義 - 反ユダヤ主義 - 民族主義 - 支配人種 - 権威主義 - 民族共同体 - 血と土 - 生存圏 - 第三帝国 - 強制的同一化
総統 アドルフ・ヒトラー
後継指名者 ルドルフ・ヘス - ヘルマン・ゲーリング
全国指導者 フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ - ヴァルター・ブーフ - マックス・アマン - ヨーゼフ・ゲッベルス - オットー・ディートリヒ - マルティン・ボルマン - フィリップ・ボウラー - ロベルト・ライ - ハンス・フランク - リヒャルト・ヴァルター・ダレ - ヴィルヘルム・フリック - コンスタンティン・ヒールル - ヴィルヘルム・グリム - バルドゥール・フォン・シーラッハ - アルフレート・ローゼンベルク - カール・フィーラー - フランツ・フォン・エップ - ハインリヒ・ヒムラー - エルンスト・レーム - ヴィクトール・ルッツェ - アドルフ・ヒューンライン
突撃隊幹部 フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン - エルンスト・レーム - エドムント・ハイネス - ヴィクトール・ルッツェ - ヴィルヘルム・シェップマン - Category:突撃隊隊員
親衛隊幹部 ハインリヒ・ヒムラー - ラインハルト・ハイドリヒ - エルンスト・カルテンブルンナー - クルト・ダリューゲ - カール・ヴォルフ - オズヴァルト・ポール - ゴットロープ・ベルガー - ハンス・ユットナー - Category:親衛隊将軍
武装親衛隊幹部 ヨーゼフ・ディートリッヒ - パウル・ハウサー - フェリックス・シュタイナー - テオドール・アイケ - ヘルベルト・オットー・ギレ - ヴィルヘルム・ビトリッヒ - フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー - ヴァルター・クリューガー
初期の幹部 アントン・ドレクスラー - ディートリヒ・エッカート - マックス・エルヴィン・フォン・ショイブナー=リヒター - ゴットフリート・フェーダー
ナチス左派 グレゴール・シュトラッサー - オットー・シュトラッサー - ヨーゼフ・ゲッベルス
主な支持者 松葉裕子 - 逝け惰性面 - ウーソキマスラの戯言 - ウマスラ - ウーソキマラ
草創期 ドイツ労働者党 - 25カ条綱領 - ミュンヘン一揆 - バンベルク会議 - シュテンネスの反乱 - 権力掌握
ナチス・ドイツ ヒトラー内閣 - ドイツ国会議事堂放火事件 - 全権委任法 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - アンシュルス - チェコスロバキア併合
第二次世界大戦 T4作戦 - ホロコースト - ヒトラー暗殺計画 - ヒトラーの死 - 零時
第二次世界大戦後 ニュルンベルク裁判 - ニュルンベルク継続裁判 - 非ナチ化 - 戦う民主主義
組織 総統 - 全国指導者 - 突撃隊 - 親衛隊 - 武装親衛隊 - 大管区 - 帝国大管区 - 国外大管区 - RSD - 国家社会主義航空軍団 - 国家社会主義自動車軍団 - 国家社会主義女性同盟 - ヒトラーユーゲント - ドイツ女子同盟 - アドルフ・ヒトラー・シューレ - 国家労働奉仕団 - ドイツ労働戦線 - 国家社会主義公共福祉
シンボル ハーケンクロイツ - ビュルガーブロイケラー - 褐色館 - 総統官邸 - ベルリン・スポーツ宮殿 - ベルクホーフ - ニュルンベルク党大会 - 国家党大会広場 - ナチス式敬礼 - ハイル・ヒトラー - ジーク・ハイル - 旗を高く掲げよ - 突撃隊は行進する - 意志の勝利 - オリンピア - 血染めの党旗
書籍・新聞 我が闘争 - 二十世紀の神話 - フェルキッシャー・ベオバハター - デア・アングリフ - ダス・シュヴァルツェ・コーア - シュテュルマー
付随用語 ヴェルサイユ条約 - 背後の一突き - 退廃芸術 - シオン賢者の議定書 - ファシズム - 枢軸国 - カール・ハウスホーファー - ハンス・ギュンター
関連団体 ドイツ義勇軍 - ゲルマン騎士団 - エアハルト旅団 - トゥーレ協会 - ドイツ闘争連盟 - 黒色戦線 - オーストリア・ナチス - ズデーテン・ドイツ人党
関連項目 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - ヴァイマル共和政 - 第二次世界大戦 - 連合軍軍政期 (ドイツ) - ネオナチ