「相模鉄道」の版間の差分

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'''相模鉄道株式会社'''(さがみてつどう、''Sagami Railway Co.,Ltd.'')は、[[神奈川県]]東部を基盤とする[[鉄道事業者]]である。略称は'''相鉄'''(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[北幸]]二丁目の相鉄本社ビルに所在。
 
'''相模鉄道株式会社'''(さがみてつどう、''Sagami Railway Co.,Ltd.'')は、[[神奈川県]]東部を基盤とする[[鉄道事業者]]である。略称は'''相鉄'''(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[北幸]]二丁目の相鉄本社ビルに所在。
  

2020年1月8日 (水) 04:22時点における版

[[Image:sotetsu.jpg|200px|right]][[ファイル:Sotetsu_HQ_Building.jpg|250px|thumb|相鉄本社ビル]] '''相模鉄道株式会社'''(さがみてつどう、''Sagami Railway Co.,Ltd.'')は、[[神奈川県]]東部を基盤とする[[鉄道事業者]]である。略称は'''相鉄'''(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[北幸]]二丁目の相鉄本社ビルに所在。 == 会社概要 == [[相鉄グループ]]の中核企業であり、鉄道事業を専門に行っている会社で[[大手私鉄]]を構成する1社である。かつては経営の多角化を推し進め、バス事業、不動産事業なども自社で行っていたが、経営効率化のために[[1990年代]]後半から[[2000年代]]半ばにかけてこれらを相次いで分社化して組織のスリム化を図った。さらに[[2009年]](平成21年)[[9月16日]]付で旧・相模鉄道を相鉄グループの統括だけを目的とする[[相鉄ホールディングス]]に商号を変更、鉄道事業はこれに先立ち、休眠状態だった完全子会社の株式会社大関<ref group="注">横浜地下街[[ザ・ダイヤモンド]]で同名の[[きしめん]]店を経営していたが、[[2006年]]に事業をグループ外企業に譲渡し(店舗自体も2014年1月閉店)、それ以来休眠状態になっていた。</ref>を2009年[[1月22日]]付で業態変更の上、'''相鉄準備会社株式会社'''に商号を変更し宅建業などの許認可を取得させた上で同年9月16日に旧・相模鉄道の鉄道事業を承継、商号を相模鉄道株式会社に変更するかたちで分社した。このために新旧の相模鉄道は厳密には別会社であるが、本項では相鉄グループ内で鉄道事業を行い、相模鉄道を名乗る会社として2009年(平成21年)9月までの相模鉄道(現:相鉄ホールディングス)および、以後の現行会社について述べる。 戦後は経営の多角化を進めたことや[[首都圏 (日本)|首都圏]]への人口集中により急速に成長、「[[準大手私鉄]]の雄」などと評されていたが、[[1990年]](平成2年)[[5月31日]]付けで大手私鉄に格上げされた。大手16社の中では営業距離が最短であるとともに<ref group="注">相鉄が大手に入る前は、1975年以降は[[阪神電気鉄道]]が最短であり、それ以前は[[京王電鉄]](当時の京王帝都電鉄)が最短だった。</ref>、社員数が最も少ない会社でもある。また、「[[特別急行列車|特急]]」を運行していない唯一の大手私鉄であったが<ref group="注">[[2008年]][[3月15日]]、[[小田急ロマンスカー]]が[[東京地下鉄|東京メトロ]]乗り入れを開始して以降。</ref>、[[2014年]](平成26年)[[4月27日]]のダイヤ改正時より導入されることとなった<ref name="sotetsu140310">{{PDFlink|[http://www.sotetsu.co.jp/news_release/pdf/140310_01.pdf 4月27日(日)、相鉄線のダイヤ改正を実施 特急の導入により速達性の向上を図ります]}}(相模鉄道株式会社 2014年3月10日付ニュースリリース)</ref><ref name="response140310">[http://response.jp/article/2014/03/10/218835.html 相鉄、4月27日ダイヤ改正で「特急」導入](レスポンス 2014年3月10日付)</ref>。首都圏の大手民鉄で唯一[[東京都]]内に乗り入れておらず、また他社との[[直通運転|相互直通運転]]も行っていないが、近年は他社との直通運転による都内乗り入れ構想が持ち上がっている(詳細は[[#バブル崩壊以後・東京都内への直通線構想|後述]])。 {{要出典範囲|[[労働組合]]の力が比較的強く[[ストライキ]]が計画されることの多い会社としても知られているが|date=2014年3月}}、賃上げ要求や分社化による社員の転籍問題を巡って[[2004年]]3月や[[2009年]]6月にストライキを行っている<ref>[http://response.jp/article/2014/03/20/219511.html 相鉄、5年ぶりストライキ突入…7時頃運行開始] レスポンス 2014年3月20日(2014年3月24日閲覧)</ref>。[[2014年]]3月にも[[春闘]]の労使交渉にて賃上げを求めたが会社側と折合わず相模鉄道労働組合が[[3月20日]]始発から24時間ストライキを開始し、約2時間後の午前6時半頃には解除されたものの窓口や改札では早朝の利用者から不満の声があがった<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG3N3C5JG3NUTIL00J.html 首都圏で交通スト 「料金返せ」「放送ぐらいしろ」] 朝日新聞デジタル 2014年3月20日(2014年3月24日閲覧)</ref>だけでなく、運行再開後はオーバーランやホームのない場所でドアの開扉を行うなど運行の混乱が見られた。なお、相鉄労働組合([[日本私鉄労働組合総連合会|私鉄総連]]加盟団体)の組合員には鉄道事業やバス事業以外のグループ会社の社員も含むが、電車・バスのストライキが主となる。また、鉄道車両技術には保守的な傾向が強く、他社では廃れていった技術を用いた鉄道車両が近年まで多くみられた(詳細は[[#鉄道車両|後述]])。 == 歴史 == '''相模鉄道'''は、現在のJR[[相模線]]である茅ヶ崎駅 - 橋本駅間を開業した鉄道会社で、現在の[[相鉄本線]]にあたる[[横浜駅]] - [[海老名駅]]間を開業させたのは'''神中鉄道'''(じんちゅうてつどう)という鉄道会社である。1943年([[昭和]]18年)に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併されるが、翌年に元の相模鉄道の路線であった茅ヶ崎駅 - 橋本駅間が国有化され、元の神中鉄道であった区間が'''相模鉄道'''になった。以上が概要であるが、以下に年代を含め詳しく記述する。 === 相模鉄道と神中鉄道 === '''相模鉄道'''は[[1917年]]([[大正]]6年)[[12月18日]]に創立総会を開催し、翌年[[1月4日]]に当時の[[高座郡]]茅ヶ崎町(現:[[茅ヶ崎市]])で設立された。[[1921年]](大正10年)9月に[[茅ヶ崎駅]]([[神奈川県]]茅ヶ崎市) - [[寒川駅]](同県高座郡[[寒川町]])間を開業し、[[1931年]](昭和6年)4月に[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]](同県[[相模原市]])まで全通した。同年11月からは[[八王子駅]]([[東京都]][[八王子市]])まで直通列車を走らせるなど意欲的であったが、業績が不振であったため沿線の[[西寒川駅|西寒川]]に製造拠点を有していた[[昭和産業]]が経営権を取得。[[1940年]](昭和15年)12月には[[相模原駅]] - [[上溝駅]] - 水郷田名間の[[バス (交通機関)|乗合自動車]]事業も開始した。 相模鉄道の資本関係は昭和産業と東横電鉄が半々の状態だったが、[[1941年]](昭和16年)6月に昭和産業が持ち株を東京横浜電鉄(現在の[[東京急行電鉄]])に譲渡し、相模鉄道は完全な東横傘下となる<ref group="注">[[大東急]]時代の名残で、東急資本でありながら「相鉄運輸」と称する企業が近年まであったが、2002年(平成14年)に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年(平成18年)には[[ティーエルロジコム]]へと社名変更している</ref>。 一方、'''神中鉄道'''は、[[鎌倉郡]][[瀬谷村 (神奈川県)|瀬谷村]](現:[[横浜市]][[瀬谷区]])の[[素封家]]、小島政五郎らが中心となって起業し、1917年(大正6年)[[12月2日]]に創立総会を開催、同月15日に神中軌道として設立された。翌々年の[[1919年]](大正8年)[[6月10日]]には神中鉄道への商号変更を行っている。こちらは[[厚木駅]]から建設を始め、[[1926年]](大正15年)[[5月12日]]に[[二俣川駅]] - 厚木駅間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や[[相模川]]の[[砂利]]輸送の営業を行った。 神中鉄道の開業当時は、厚木駅・相模国分駅(現:[[相模国分信号所]])・[[相模大塚駅]](現在のさがみ野1号踏切北側のマンションの場所にあった)・[[大和駅 (神奈川県)|大和駅]]・[[瀬谷駅]]・[[二ツ橋駅]](三ツ境2号踏切から海老名方50m付近)・[[三ツ境駅|三ツ境]]・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。 二俣川駅から先は細切れに延長されたが、業績は不況下で低迷した。同年[[12月1日]]には星川駅(現・[[上星川駅]])まで、[[1927年]](昭和2年)には北程ヶ谷駅(現・[[星川駅 (神奈川県)|星川駅]])まで、[[1929年]](昭和4年)には[[西横浜駅]]までと細切れに開業した。1931年(昭和6年)[[10月25日]]に西横浜 - [[平沼橋駅|平沼橋]]間の省線の側線を借り入れて営業を開始し、[[1933年]](昭和8年)[[12月27日]]になってやっと横浜駅に乗り入れた。全通により乗客は増加したが、業績は低迷したままで開業以来の赤字は拡大する一方であったため、[[1939年]](昭和14年)9月に同駅で接続する東京横浜電鉄の傘下に入り、再建を図ることとなった。 1941年(昭和16年)[[1月20日]]には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5km)に着手し、同年[[11月25日]]に完成した。同時に[[小田急小田原線]]相模厚木駅(現:[[本厚木駅]])へ[[気動車|ディーゼル自動客車]]での乗り入れを開始し([[1964年]](昭和39年)[[11月5日]]中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・[[厚木市]])乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、[[小田急電鉄|小田急]]は[[1943年]](昭和18年)[[3月31日]]まで同社の[[海老名国分駅]]を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200m程の位置)の[[共同使用駅|共同使用]]まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い[[相鉄厚木線|厚木線]]は貨物輸送のみとなった。 === 相模鉄道による神中鉄道の吸収合併 === こうして前述の厚木で隣接していた両社は、[[1943年]](昭和18年)4月に経営合理化のため合併に踏み切る<ref>[http://www.sotetsu.co.jp/group/sg/page8_1.html 相鉄ホールディングス:会社の沿革](相鉄グループ)</ref>。相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、それぞれ「相模鉄道相模線」「相模鉄道神中線」となる。<!--資本関係は昭和産業と東横電鉄が半々の状態だったが、6月に昭和産業が持ち株を東横電鉄に譲渡し完全な東横傘下となる<ref group="注">[[大東急]]時代の名残で、東急資本でありながら「相鉄運輸」と称する企業が近年まであったが、2002年(平成14年)に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年(平成18年)には[[ティーエルロジコム]]へと社名変更している</ref>。 →前の節に移動しました。相模鉄道が東横傘下になったことをここに書くと同じ年の出来事に読めますが、相模鉄道が東横傘下になったのは1941年、神中鉄道と合併したのは1943年で、違う年の出来事です。--> しかし、[[1944年]](昭和19年)6月に戦時体制下における[[東海道本線]]と[[中央本線]]間のバイパス路線として相模線が[[戦時買収私鉄|国有化]]されて[[鉄道省]]に編入されたため、神中線部分のみが相模鉄道(以下'''相鉄''')として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、[[厚木海軍飛行場|厚木飛行場]]の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、[[1945年]](昭和20年)6月から[[1947年]](昭和22年)5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下・終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。 === 東急からの独立とその後の躍進 === 1947年(昭和22年)6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。 その後[[1952年]](昭和27年)に、米国の[[スタンダード・オイル]]社から横浜駅西口の土地24688m²を買収。これを開発し付加価値をつけて売り出すことで、相鉄の経営基盤を安定的なものとした。後にこの地に[[高島屋|横浜高島屋]]や[[相鉄ジョイナス]]といった系列のデパートが建つことになる。不動産事業のほかにも[[高度経済成長]]の時代であり鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、[[1960年]](昭和35年)前後に小田急電鉄を通じて[[東急グループ]]が再買収の動きを起こした。東急は鉄道よりもむしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営を立て直した矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には川又社長も憤慨し、川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働きかけ、また[[三井銀行]]社長の[[佐藤喜一郎]](横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この縁で相鉄のメインバンクは現在も[[三井住友銀行]]となっており、[[株主|筆頭株主]]が小田急電鉄となっている。後にこの一件が引き金となって東急の[[多摩田園都市]]開発に対抗し、[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で[[二俣川]]東急ニュータウンや東急[[中白根|白根]]ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。 戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、[[1942年]](昭和17年)6月から現在の[[東急東横線]]からの配電で横浜 - 西谷間が600V[[鉄道の電化|電化]]されたのを皮切りに、1943年(昭和18年)8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年(昭和19年)9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、[[1946年]](昭和21年)12月に現在の[[京急本線]]からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も[[1949年]](昭和24年)11月に行われた。全線の[[複線]]化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、[[1951年]](昭和26年)11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年(昭和27年)12月までに数度に分けて[[希望ヶ丘駅]]までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして[[1957年]](昭和32年)1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線(二俣川方面)の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年(昭和35年)11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年(昭和39年)11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は[[1961年]](昭和36年)1月に墜落した[[アメリカ海軍|米軍]]機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年(昭和34年)と1962年(昭和37年)にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。[[1966年]](昭和41年)4月には[[大塚本町駅]](当時、現在の[[かしわ台駅]]東口)まで複線化し、[[1967年]](昭和42年)4月には[[かしわ台車両センター|かしわ台工機所(車両基地)]]の完成とともにここまで複線化され、[[1973年]](昭和48年)9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌[[1974年]](昭和49年)3月となった。 === いずみ野線の建設と大手私鉄への加盟 === 新線の計画として[[1958年]](昭和33年)1月に[[杉田 (横浜市)|杉田海岸]]から二俣川駅を経て[[町田駅|原町田]]に通じる免許を申請したが、米軍[[上瀬谷通信施設]]の[[電波障害]]問題で難航した。その後この免許を取り下げる代わりに[[運輸政策審議会]]の答申に沿う形で1967年(昭和42年)2月に二俣川駅から[[平塚市]]方面への新線の免許を申請し、[[1970年代]]に入りいずみ野線として建設することになる。まず[[1976年]](昭和51年)4月に二俣川駅 - [[いずみ野駅]]間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、[[1990年]]([[平成]]2年)4月に[[いずみ中央駅]]まで延伸された。この開通により[[日本民営鉄道協会]]における大手としての要件を満たしたため、同年[[5月31日]]には正式に[[大手私鉄|大手民鉄]]としての認定を受けている。この開発には前述のように東急への対抗心があったとされ、「[[東急田園都市線]]と多摩田園都市構想」に対しての「いずみ野線と緑園都市構想」と言われている。また、この時期は車両の冷房化を促進した。 同時期、[[日本国有鉄道]](国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、[[非電化]]ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の国鉄職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの、果たせなかった。当時の相模線が、[[営業係数]]400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]にJR東日本へ継承され、[[1991年]](平成3年)[[3月16日]]に電化されている。 === バブル崩壊以後・東京都内への直通線構想 === [[バブル崩壊]]以後の近年は大きくなったグループ再編が目立つ。不採算事業からの撤退・売却はもちろん、主力業種についても相次いで分社化がすすめられ、[[相鉄バス]]や[[相鉄不動産]]となった。そして、[[2009年]](平成21年)には前述のようにグループ統括事業を[[相鉄ホールディングス]]に任せ、鉄道事業を分社している。 [[2004年]](平成16年)には連絡線の建設による他社路線を介した[[東京都区部|都内]]への直通構想([[神奈川東部方面線]])を発表しており、[[2010年]](平成22年)に着工した。この連絡線は既存の[[ターミナル駅|ターミナル]]としてきた横浜駅を経由せず、同駅を基盤に発展してきた相鉄としては苦渋の選択だったといわれるが、開通すれば沿線と都心が乗り換えなしで結ばれることとなる。 前述のとおり、「[[特別急行列車|特急]]」を導入していない唯一の大手私鉄であったが、[[2014年]](平成26年)[[4月27日]]のダイヤ改正時より日中(10 - 16時台)に導入することが発表された。特急の停車駅は本線が横浜・二俣川・大和・海老名で、いずみ野線が横浜・二俣川・いずみ野・湘南台。これと同時に日中の[[列車種別]]に限り、「[[急行列車|急行]]」の取りやめや「[[快速列車|快速]]」の適用系統の変更(いずみ野線系統から本線系統への切り替え)も行われ、朝・夕のラッシュ時は急行といずみ野線快速を継続するなど現行と大きな変化はないが、日中は特急と各駅停車、本線快速のパターン運転となる。また特急の導入により、所要時間は横浜 - 海老名が最短26分、横浜 - 湘南台が最短24分に短縮されるなど、速達性の向上が図られる<ref name="sotetsu140310"/><ref name="response140310"/>。神奈川東部方面線計画の導入により横浜駅発着路線の空洞化が進むのではという懸念があることから、相鉄グループ全体を挙げてのプロジェクトの一環である<ref name="tokyo-shinbun-091101">2009年11月1日付東京新聞より</ref>。なお、特急の導入には追い越しスペースの確保が必要なことから、[[瀬谷駅]]を上り線(横浜方面)のみ待避可能な2面3線から上下線待避可能な2面4線に整備する工事が事前に行われている。 一方、[[駅ナンバリング]]も同様に大手私鉄の中で唯一導入していなかったが、同年2月末より[[アルファベット]]2文字「SO」と2桁の数字で構成される駅番号を全駅に順次導入している<ref name="sotetsu140225">{{PDF|[http://www.sotetsu.co.jp/news_release/pdf/140225_01.pdf 相鉄線全駅で「駅ナンバリング」を順次導入します]}}(相模鉄道株式会社 2014年2月25日付ニュースリリース)</ref><ref name="response140226">[http://response.jp/article/2014/02/26/218011.html 相鉄、駅ナンバリング「SO」を導入](レスポンス 2014年2月26日付)</ref>(詳細は[[#駅の設備・サイン表示関連|後述]])。 == 安全対策への姿勢 == [[1968年]](昭和43年)に瀬谷駅構内で車両同士の衝突事故を起こしており、それ以来全線に[[自動列車停止装置|ATS(自動列車停止装置)]]<ref group="注">AF併用永久磁石連続速度照査形。詳細は[[自動列車停止装置#AF軌道回路方式(連続照査型)]]を参照。</ref>を設置している。[[2005年]](平成17年)の[[福知山線脱線事故]]を機にATSの追加設置などが行われた。また、近年では[[運転士]]が意識を失っても車両の暴走を止める[[緊急列車停止装置|EB装置]]の設置が進んでいる。 車両以外の対策としても近年進んでおり、特に[[鉄道人身障害事故]]などのホームからの転落事故を防ぐ目的で横浜駅のホームに柵を設置したり、万が一転落した時避難するスペースを確保したりする工事が進んでいる。また、視覚や聴覚に障害を持つ人のためにすべての駅に文字と音で列車の接近を知らせる接近案内表示器を設置している<ref group="注">主要駅に設置されている[[発車標]]は[[新陽社]]製を、中間駅の接近案内表示器は[[京三製作所]]製をそれぞれ採用している。横浜駅では乗車ホームに発車標が、降車ホームに接近案内表示器がそれぞれ設置されている。また、かつて海老名・大和・いずみ中央の各駅では[[日本信号]]製の発車標を使用していた。</ref>。また、[[首都圏 (日本)|首都圏]]3駅で実施される開発中[[ホームドア]]の現地試験の一環で、[[2013年]](平成25年)10月より[[弥生台駅]]にて「昇降バー式ホームドア」の試験導入を行う計画である(詳細は「[[弥生台駅#昇降バー式ホームドアの試験導入]]」を参照)。 == 路線 == [[ファイル:Sagami Railway Linemap.png|400px|thumb|right|路線図(クリックで拡大)]] 以下の3路線を有するが、一般の旅客が利用できるのは本線といずみ野線の2路線のみである。 * [[相鉄本線|本線]]: [[横浜駅]] - [[海老名駅]] 24.6km * [[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]: [[二俣川駅]] - [[湘南台駅]] 11.3km * [[相鉄厚木線|厚木線]]: [[相模国分信号所]] - [[厚木駅|厚木操車場]] 2.2km(車両回送・車両搬入のみ<ref group="注">厚木線は基本的に旅客列車の設定がなく、旅客利用ができないため、地図には「貨物線」と記載されることが多い。</ref>) === 過去の路線 === 過去には以下のような路線を所有していた。 * [[相模線]]: [[茅ヶ崎駅]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]] 33.3km ** 支線(通称:西寒川支線): [[寒川駅]] - [[西寒川駅]] - 四之宮駅 1.9km ** 貨物支線:寒川駅 - 川寒川駅 0.9km * 貨物線(正式名称不明?): [[西横浜駅]] - [[保土ヶ谷駅]] 1.0km * 厚木航空隊線:[[相模大塚駅]] - [[厚木海軍飛行場|厚木飛行場]](在日米軍[[専用鉄道|専用線]]) 相模線と西寒川支線は1944年(昭和19年)6月から国有化、また同時に西寒川駅 - 四之宮駅 0.5kmが廃止された。相模線貨物支線は1931年(昭和6年)に廃止。保土ヶ谷駅までの貨物線は、1979年(昭和54年)の[[SM分離|東海道線・横須賀線の分離]]による[[東海道貨物線]]の移転と同時に廃止された。このほか、相模大塚駅から分岐する在日米軍の専用線(厚木航空隊線)があり、1998(平成10年)まで[[相模線]]等からの米軍厚木基地への燃料輸送を一部担っていたが、輸送終了後は廃止されており、線路や架線等のみがほぼそのままの状態で残っている。 == 鉄道車両 == === 特徴 === 電車に関しては、主に1950年代半ばまでの中古車時代、以後2000年代初頭までの自社開発車時代、2000年代初頭以後の他社の亜流車時代に分けられる。以下では主に「自社開発時代」の「電車」について記す。 なお、2012年8月現在、[[鉄道友の会]]から賞を受けた車両は1系列も存在しない(大手私鉄では[[阪神電気鉄道]]も同様)。 ==== 製造メーカー ==== [[蒸気機関車]]については初期は国外製、のちに国産に切り替えられた。続く[[気動車]]の時代は[[日本車両製造]]と[[汽車製造]](現:[[川崎重工業]])といった蒸気機関車時代の取引先との関係を続けた。 電車の自社開発が始まった1950年代以降は、新造車の発注は[[日立製作所]]へ、大規模な改造は地元の神奈川県に工場を持つ[[東急車輛製造]](現・[[総合車両製作所|総合車両製作所横浜事業所]])へ統一するようになり、これが長く続いていた。しかし、1990年代以降は東急車輛製造へ新造車を発注するようになり、2000年代にはJRの製造工場である新津車両製作所(現・[[総合車両製作所新津事業所]])へも、JR東日本の亜流車両を発注するようになった。近年は東急車輛製造(現・総合車両製作所横浜事業所)と新津車両製作所(現・総合車両製作所新津事業所)のみで新造しており、日立への新造車発注は、2000年が最後である。 主制御機器(モーターの制御装置)、電動機(モーター)、電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)などの艤装品は日立のほかにも[[東洋電機製造]]、[[三菱電機]]や日本エヤーブレーキ(現:[[ナブテスコ]])などのメーカーも参加している。 * 相鉄グループ全体で[[エレベーター]]や[[エスカレーター]]はもちろん、蛍光灯などの小物類まですべてが日立製であった時期があった。これには初の自社開発車両を日立に発注したからという逸話がある<ref group="注">同社の[[プレゼンテーション|デモンストレーション]]としての意味合いが大きい。類似例では全線開通に際して資金面などの協力を受けた[[新京成電鉄]]と三菱電機、[[阪急電鉄]]と[[東芝]]、[[京阪電気鉄道]]と東洋電機製造との関係や、車両メーカー主導による交通システム実用化路線である[[東京モノレール]](日立製作所)・[[湘南モノレール]]([[三菱重工業]]・三菱電機)などの例がある</ref>。 ==== 車体外観 ==== 戦中戦後のころは経営基盤も弱く車両は他社の中古車両が主体であり、その外観も直線基調の無骨なものばかりであった。 最初の転機は1955年に初の自社開発電車、[[相鉄5000系電車|初代5000系]]電車の登場である。この車両は当時流行の丸みを帯びた「湘南顔」と言われる前面を持つなど、スタイリングに工夫があった。しかし、当時の日本は[[高度経済成長]]に突入し、漸次増える輸送量に対して車両には柔軟な運用が求められており、構造上連結面に[[貫通扉]]を設置が困難な5000系は編成組み換えの自由度が低く、次に登場する[[相鉄6000系電車|6000系]]電車ではこの点を改善し、直線基調で分割・併合のしやすい、機能を重視したデザインに変更された。これが以後20年の相鉄の標準デザインとなってゆくが、編成を組みかえることがほぼ無くなり、1980年代からは再びスタイルを重視し、[[相鉄7000系電車|新7000系]]電車では流行のデザインを取り入れ、1990年代には左右非対称で丸みを帯びたスタイルを[[相鉄8000系電車|8000系]]電車や[[相鉄9000系電車|9000系]]電車で採用した。 車両の配色については一貫性がないのが特徴であった。5000系以前の電車は青とベージュのツートーンだったが、以後の60年代の車両は紺色を基調に灰色や赤でアクセントをつけた複雑なデザインに変わった。さらに1970年代以降に導入された軽量性に優れる[[アルミニウム合金]]を素材とした車両は、アルミ地の銀色にアクセントとしてオレンジ色を配し、今までの車両とは全く印象の異なるカラーリングで登場。普通鋼製の車両も、1970年代に淡い緑を基調とした明るい配色に塗り替えられており、さらに1990年代には8000系や9000系に赤一色の帯を使用、さらに2002年に登場した10000系の配色を再び明るめのピーコックグリーンとサフランイエローにするなど、このようにここ30年程緑色系統とオレンジ色系統、または赤色系統の3種が混在している状態が続いていた。しかし、JRと東急への直通運転が決まったことで[[2006年]]7月に[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入し、[[2007年]]3月には車体の配色をCIで制定されたグループカラーへ統一することが発表された<ref>{{PDFlink|[http://www.sotetsu.co.jp/news_release/archives/PDF/070315_01.pdf 全鉄道車両に相鉄グループカラーを導入し、デザインを統一]}}(相模鉄道株式会社 2007年3月15日付ニュースリリース)</ref><ref>[http://www.hamakei.com/headline/2314/ 相模鉄道、ブルーとオレンジで相鉄線全車両デザイン統一へ](ヨコハマ経済新聞 2007年4月13日付)</ref>。新しい配色は青色と黄色みの強いオレンジ色を用いており、今後はこの配色が標準カラーとなる予定である。また、車体には新グループマークも付加されている。 車両の幅([[車両限界]])はJRの在来線と同等で、他の大手私鉄の路線よりも大きめである。これは第2次世界大戦後の混乱期に運輸省から割り当てられた[[国鉄63系電車|63形]]電車を導入したことによるもので、このとき鉄道施設を63形の走行に基準を合わせている。このため、1970年代から幅広の車両が度々導入されている。 また、8000系以前の古い車両では側面の「行き先の駅名」の表示ができず、ほぼ「急行」や「各停」といった[[列車種別]]の表示のみとなっている。これは路線が短くダイヤパターンが「急行」は本線直通、「各停」は支線(いずみ野線)直通と非常に単純だったころの名残であるが、その単純なダイヤを組んでいた関係で、かつていずみ野線の終点であったいずみ中央行きの各停のみ種別、行き先が同一の表示スペースに書かれている。ただし、現在は種別を問わずいずみ中央行きの設定はない。特急が登場するなどダイヤパターンが大きく変わった2014年4月27日のダイヤ改正に合わせて幕が更新され、行き先が表示できない[[相鉄7000系電車|7000系]]と[[相鉄7000系電車#新7000系|新7000系]]がいずみ野線直通運用に入る時は種別の下に「いずみ野線」と表記された幕が使用されるようになった。なお、「いずみ野線」と表記された幕を使用するのは下り列車のみであり、上り列車では通常の種別のみが表記された幕を使用する。 屋根上には[[エア・コンディショナー|冷房装置]]や集電用の[[集電装置|パンタグラフ]]が設置されている。相鉄の冷房装置は基本的に大きな[[集中式冷房装置|集中式]]が一つ搭載されているだけであるが、9000系のみ[[集約分散式冷房装置|集約分散式]]<!--客室側にダクトを通しているため-->が採用された。なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、[[1987年]](昭和62年)には、戦後の新規開業路線をのぞいた関東地方の私鉄で初めて、冷房化率100%を達成している。一部の車両については[[ヒートポンプ]]を用いたものを試行し、のちにこれを採用した車両もある。パンタグラフについて、[[1975年]]までの新車は[[国鉄旧形電車の車両形式|旧型国電車両]]等に使われていたPS-13形を搭載していた。通常ではパイプ製であるが、この旧式のPS-13形パンタグラフは鉄板製だった。また、相鉄ではパンタグラフを車両形式ごとに固定されておらず、全形式で使い回されていたため、最新鋭車両に旧式のPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。しかし、新しいタイプのシングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、[[1994年]]には実車試験も始められており、2000年代には採用車両が増えてきている。 ==== 車内設備 ==== 他社に比べて特異な車内設備が多い。以下はそれらの中の代表的な例である。 * 油圧式[[パワーウィンドウ]](車内の表示は「自動窓」)。 * 4つドアの通勤型電車に[[鉄道車両の座席|セミクロスシート]](ボックスシートとロングシートの2種類を設置するもの)<ref group="注">4つドアの車両でボックスシートだけの設置なら[[近鉄2600系電車]]などに先例がある。</ref>。 * 車内に備え付けられた[[鏡]]。 * [[つり革]]の数が多い。 ** 他社車両よりも狭い間隔で設置されている。ただし、後年横方向に設置されたつり革は間隔を広げた。また、持ち手は丸型・白色だったが、10000系で三角形のつり革が導入されたことを機に、後年新7000系以降の全車両で持ち手を三角形・灰色のものに交換した。 * 乗客が自由に作動させることができる位置にある[[扇風機]]のスイッチ ** 扇風機は天井だけでなく、乗務員室後ろの扉上部にも設置されている。扇風機のスイッチは、他社では国鉄の気動車には多く見られたが、それ以外の旅客車両では乗務員室に設置されており、車掌が一括で操作することが多い。 このうち、パワーウィンドウは関西の私鉄などに、セミクロスシートは東京近郊の路線の4ドア化を進めていたJR東日本などに影響を与えた。 ==== 走行設備 ==== 気動車時代は[[ディーゼルエンジン]]が生み出す回転力を発電機に入力し、出力された電気を用いてモーターを回す、いわゆる電気式気動車を日本で初めて導入するなど画期的な面もあったが自社開発電車の技術は他社に比べて新技術の採用に乏しく、非常に保守的であった。 初の自社開発電車である5000系は「[[直角カルダン駆動方式|直角カルダン駆動]]」や「[[電磁直通ブレーキ]]」など当時の最新技術を盛り込んだ意欲作であった。しかし、技術が進歩するなか、他社では廃れた後もこれらの技術に固執し、近年まで採用を続けていた。以下はそれらの中の代表的な例。 * 直角カルダン駆動 (他社では[[カルダン駆動方式|平行カルダン駆動]]に移行) * 車輪外側に設置した[[ディスクブレーキ]] (一般的なディスクブレーキは車輪内側に設置されるが、直角カルダン駆動の構造上外側に設置せざるを得なく、バネ下荷重が増している) * 日立式電磁直通ブレーキ (これは指令伝達方式が非常に珍しく、日立が開発した独自規格。正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」) * モーターの制御方式は[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]] このうち後者2つは1990年代前半までに解消されたものの、前者2つは最後まで固執し続けていた。なお、モーターの制御方式は国鉄やほかの大手私鉄では一般的であった[[チョッパ制御]]を経ずに、[[可変電圧可変周波数制御]](VVVFインバーター制御)に移行が進んだ<ref group="注">相鉄のほかにチョッパ制御を採用しなかった大手私鉄は[[京阪電気鉄道]]と[[西日本鉄道]]がある(ただし、京阪は[[界磁位相制御]]や[[界磁添加励磁制御]]の採用実績があり、一方の西鉄は平成に入っても抵抗制御車の導入を続け、相鉄よりもVVVFインバータ制御の導入がかなり遅かった)。</ref>。そのため相模鉄道では、黎明期のVVVFインバーター方式の車両が多くみられる。 ==== 車両の標準化 ==== このように特殊な設備が多かった相鉄の車両であるが、2002年(平成14年)の[[相鉄10000系電車|10000系]]電車は、思想を180度方針転換したものとなった。この車両は大手私鉄では一般的な「車両は[[オーダーメイド]]」という慣習には沿わず、他社がすでに運行している車両を基に設計したもの、つまり[[レディ・メイド]]のものを細かい部分のみ、自社向けにアレンジして導入したものである。これは最新技術を低コストで導入する方法としては一般的な方法だが、自社開発を当然とする当時の大手私鉄では例のないことであった。相鉄の動きをきっかけに「[[通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン]]」が制定され、他の大手私鉄にも影響を与えた。 ==== 地方私鉄への譲渡 ==== 自社で車両を新造するようになってからは、上記の技術的特徴や、大手私鉄で最も大きい車両限界等を理由に、地方の私鉄や日本国外への車両払い下げ自体が敬遠されている。[[1970年代]]に[[伊豆箱根鉄道]]へ旧型車2000系の車体を転出(150形、事業用として1両が残存→「[[伊豆箱根鉄道モハ151形電車]]」参照)した以降は、転出や譲渡の例がない。 過去には、地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあり、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残している。 === 車両番号の付け方 === 10000系までの電車では[[鉄道の車両番号|車両番号]]には車両の役割に応じたものを付けるようにしており、百の位の数字で区別できるようになっている。例外もあり詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下に主な例を示す。 * 000番台…横浜側に組成される[[制御車|制御電動車]](例:6000系の6021、5000系の5053) * 100・200・300番台…中間[[動力車|電動車]](例:8000系の8119、8000系の8219、10000系の10301) * 500番台…海老名・湘南台側に組成される[[制御車]](例:9000系の9502) * 600番台…中間[[付随車]](例:9000系の9604) * 700番台…横浜側に組成される制御車(例:9000系の9702) ただし、2008年秋から導入した[[相鉄11000系電車|11000系]]電車は第一編成が横浜側から11001,11101…11901、第二編成が同11002,11102…11902と順番に番号を振られている。すなわち末尾の数字が編成を表し、百位の数字が編成中の号車を表す(1号車は0、2号車は1、…、10号車は9)ものに変更されており、この番号の付け方の法則は成り立たない。また、事業用車の[[相鉄7000系電車#事業用車(700系)|モヤ700系]]もこの番号の付け方の法則は成り立たない。 === 現有車両 === 事業用の車両を含め、現在在籍するすべての系列は[[電車]]である。各系列の在籍期間、車両数、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。前述のように、現在車両の塗装変更が進んでいる([[2014年]]度中に完了予定<ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=2150 相鉄線は色がバラバラ?車体カラーの統一は進んでいるの?](はまれぽ.com 2013年8月22日付)</ref>)。 乗客の増加とともに、1編成当たりの車両数を徐々に増やし、1980年代前半からは10両編成を中心に製造してきたが、近年は利用者の減少などで2002年の10000系20両以来中断されていた。しかし、JR直通を意識して2009年に登場した11000系では、再び10両編成車の製造が行われている。かつては相模川の砂利やセメント輸送、米軍基地の貨物輸送を行っていた関係で、貨車や電気機関車も在籍していた。ただし、多くの貨車は私有貨車であったために、相模鉄道として所有するものは少ない。また、前述のように近年の車両は走行設備が特殊な車両が多く、地方私鉄への譲渡車両は30年以上全く出ていない状況が続いている。 ==== 一般型車両 ==== * [[相鉄11000系電車|11000系]] - JR東日本の通勤型車両をベースにした車両 * [[相鉄10000系電車|10000系]] - 同上 * [[相鉄9000系電車|9000系]] * [[相鉄8000系電車|8000系]] * [[相鉄7000系電車#新7000系|新7000系]] * [[相鉄7000系電車|7000系]] ==== 事業用車両 ==== * [[相鉄7000系電車#事業用車(700系)|モヤ700系]] - 7000系から改造された検測・救援用電車 このほかに車籍は有しないものの、各種[[保線]]用の[[モーターカー]]がある。 === 廃系列 === * [[相模鉄道の蒸気機関車]] * [[相模鉄道の気動車]] * [[相模鉄道の客車]] ==== 一般型車両(電車) ==== * [[相鉄6000系電車#新6000系|新6000系]] * [[相鉄6000系電車#旧6000系|旧6000系]] - 2両が[[かしわ台車両センター]]に静態保存されている。 * [[相鉄5000系電車|5000系]] * [[相鉄3000系電車|3000系]] * [[相鉄2000系電車|2100系]] * [[相鉄2000系電車|2000系モハ2000形]] - 一部をモニ2000形や2100系に改造した。一部は[[伊予鉄道]]や[[伊豆箱根鉄道]]へ転出及び譲渡。 * [[相鉄1000系電車|1000系]] ==== 事業用車・貨車 ==== * [[相鉄2000系電車|2000系モニ2000形]] - 事業用電車(元は旅客車両で荷物電車を得て事業用に改造)。1両がかしわ台車両センターに保存されている。 * [[相鉄ED10形電気機関車|ED10形]] - 電気機関車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。 * [[相鉄トフ400形貨車|トフ400形]] - 貨車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。 * [[相鉄トム260形貨車|トム260形]] - 貨車。 * [[相鉄トム600形貨車|トム600形]] - 同上。 * [[相鉄ホキ800形貨車|ホキ800形]] - 同上。 === 車両基地・工場 === 車両工場を1つ持ち、いくつかの駅に隣接して[[車両基地]](留置線)がある。 * [[かしわ台車両センター]] - [[かしわ台駅]]に隣接する相鉄の全車両の検査や改造を扱う工場、および相鉄最大の車両基地。 * [[西横浜駅]] - 列車留置の機能のみ。 * [[相模大塚駅]] - 同上。 * [[厚木駅]] - 同上。相鉄公式には'''厚木貨物駅'''と称される。 このほかにいくつかの駅では車両の[[夜間滞泊]]が行われる。 === 乗務員区 === * かしわ台車掌区 「[[車掌|旅客専務車掌]]」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線急行列車)、[[不足賃|乗り越し精算]]、[[連絡運輸#連絡乗車券|他社線連絡乗車券]]の発売などを行っていたが、2014年3月31日をもって車内精算業務を終了した。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。 相鉄では[[ワンマン運転]]が実施されていないため、すべての列車で運転士のほかに必ず車掌が乗務する。次停車駅、乗り換え路線等の車内案内放送も基本的に車掌の肉声で案内するが、自動放送装置が搭載されている10000系、11000系電車の場合は自動放送の補足案内(列車の接続・退避、お知らせなど)が主となることが多い。 == 乗車券 == === 運賃 === 大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。2014年4月1日現在<ref>{{PDFlink|[http://www.sotetsu.co.jp/news_release/pdf/140304_01.pdf 鉄道運賃の改定について]}} - 相模鉄道、2014年3月4日</ref>。 {| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center;" |- !rowspan="2"|キロ程!!colspan="2"|運賃(円) |- !ICカード!!切符購入 |- |初乗り3km||144||150 |- |4 - 7||174||180 |- |8 - 11||195||200 |- |12 - 15||226||230 |- |16 - 19||258||260 |- |20 - 23||278||280 |- |24 - 25||308||310 |} いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。 {| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center;" |+いずみ野線運賃加算額 |- |乗車キロ数||6kmまで||7 - 9km |- |二俣川 - いずみ中央||20円||40円 |- |いずみ中央 - 湘南台||colspan="2"|30円 |} 各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。 === 1日乗車券 === 2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円(2013年度までの発売額)で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大されている。2013年にはゴールデンウィークにも発売された<ref>[http://www.sotetsu.co.jp/train/info/140.html 『相鉄・鉄道全線1日乗車券』(期間限定)] - 相模鉄道、2013年04月18日</ref>。 さらに、2007年7月1日からは横浜都心部の[[横浜市営地下鉄ブルーライン]]と[[横浜市営バス]]が乗り降り自由な「相鉄発 みなとぶらりチケット」を横浜駅と湘南台駅を除く各駅で発売している。 === フリーパス === 相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、[[いずみ中央駅]]などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。 * [[箱根フリーパス|箱根フリーパス・箱根ウィークデーパス]] * [[江の島・鎌倉フリーパス]] === 特別乗車券 === ; ゆめきぼ切符 : 自社路線に存在する[[希望ヶ丘駅]]と[[ゆめが丘駅]]の間の乗車券で、駅名にかけて「夢と希望を結ぶ」として[[縁起物]]として売り出しているものである。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されている。年中販売しているのだが、特に受験シーズンは人気で、この時期になると、購入者に特製の[[絵馬]]がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置され、掛けられた絵馬はシーズンオフになると[[寒川神社]]に奉納した上で「お焚き上げ」される。 ; 特製入場券 : 特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券[[入場券]]を販売している。昔の駅舎写真を印刷した[[はがき#無地はがきと絵はがき|ポストカード]]がもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。 == 駅の設備・サイン表示関連 == === 待合室の設置 === 一部駅には[[冷暖房]]([[空気調和|空調]])完備の[[待合室]]が設置されており、今後はその他の駅にも設置していくことが検討されている<ref name="sotetsu130204">[http://www.sotetsu.co.jp/train/info/132.html 内方線付き点状ブロックおよび待合室の整備について(意見募集)](相鉄グループ 2013年2月4日)</ref>。なお、待合室内の椅子の色は横浜方面([[上り]])がブルー、反対方面([[下り]])がオレンジとなっている。 === バリアフリー・安全対策 === 近年の[[バリアフリー]]化に伴い、[[エスカレータ]]と[[エレベーター]]の設置を順次進めている。また駅ホームの[[点字ブロック]]では、転落防止対策を施した「内方線付き点状ブロック」への交換が順次行われている<ref name="sotetsu130204"/>。 === 駅ナンバリング === [[駅ナンバリング]]を2014年2月末より各駅に順次導入している<ref name="sotetsu140225"/><ref name="response140226"/>。[[アルファベット]]2文字「SO」と各駅を表す2桁の数字(例:横浜駅は「01」)で構成されており、数字部分は本線の駅が00 - 10番台、いずみ野線の駅([[二俣川駅]]は本線の数字のみのため除く)が30番台に振られている(20番台は未使用)。[[西横浜駅]]の[[駅名標]]にて最初の導入となった。 === 案内サイン === 駅の[[サインシステム|案内サイン]]を2007年12月中旬に変更した[[さがみ野駅]]を皮切りに、[[バリアフリー]]・[[ユニバーサルデザイン]]を取り入れ、[[発光ダイオード|LED]]照明を利用した[[省エネルギー|省エネ]]タイプのものに順次交換している。このサイン計画はかつての[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]や[[横浜高速鉄道みなとみらい21線|みなとみらい線]]等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部に[[中国語]]や[[朝鮮語|韓国語]]の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。なお、さがみ野駅の横浜方面におけるサイン更新時には、将来に備えてか、「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が見られたこともあったが、その後は更新時点の正確な行き先である「大和 二俣川 横浜方面」に変更された。 == 今後の予定・計画・構想 == === 立体交差事業 === [[和田町駅]]東方から[[天王町駅]]([[保土ケ谷区]]東部地域)まで約1.8kmの[[連続立体交差]]事業が着工されており、[[2018年]]度に竣工する予定である。完成後は[[星川駅 (神奈川県)|星川駅]]が2面4線(現在と同じ)の高架駅に改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は[[西横浜駅]]へ移転した。 === 東京都心方面への乗り入れ計画 === {{Main|神奈川東部方面線}} かつて[[運輸政策審議会]]の答申による「[[神奈川東部方面線]]」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して[[新横浜駅]]までを建設し、[[東京急行電鉄]]が[[東急東横線|東横線]][[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]]から新横浜駅まで新線を建設。これら2路線を接続させて[[直通運転|相互直通運転]]を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。 その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、[[2004年]]9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに[[2006年]]には東急との相互直通運転も実施すると発表され、JRとの相互直通運転を「'''相鉄・JR直通線'''」、東急との相互直通運転を「'''相鉄・東急直通線'''」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「'''神奈川東部方面線'''」(いずれも仮称)を形成することとした。 === 小田急線との相互乗り入れ構想(海老名駅) === 老朽化のため[[海老名駅]]において駅改良工事を行うこととなり(小田急は新築、相鉄は一部改良)、2006年[[4月16日]]には当時の[[厚木市]]長の呼び掛けにより厚木ロイヤルパークホテル(現:レンブラントホテル厚木)で両者関係者出席の下、相鉄線の駅から[[小田急小田原線]][[本厚木駅]]への乗り入れに関する[[シンポジウム]]が開催された。相鉄側では、小田急線のみならず他社線との相互直通(乗り入れ)については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため今後の研究課題としているが、前述の海老名駅における新築計画を見直す必要があることに加え、 # 車両や運転保安設備などに互換性がない。 # 小田急とのダイヤ調整が必要である。 # 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。 などの課題もあり、相鉄の筆頭株主である小田急側は難色を示している。さらに前述の駅改良工事が相鉄側は[[2009年]]6月、小田急側は[[2010年]]8月にそれぞれ完了しており、当構想の実現は難しい状況にある。 === その他 === * 神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR[[東海道本線]][[平塚駅|平塚]]間の延伸計画もあるが、こちらは前述の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。2009年には、相鉄による本延伸計画の免特許期限が切れたが、10年延長されている。また、採算性の問題などから同区間内を大型の鉄道ではなくコストが比較的安価な[[ライトレール|LRT]]により結ぶべきという声もある。 * 本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設し、複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。 == 提携など == * [[東日本旅客鉄道]] - 相互乗り入れ予定。 * [[東京急行電鉄]] - 同上。 * [[東京地下鉄]] - 南北線からは乗り入れ予定、[[東京メトロ副都心線|副都心線]]からは未定。 * [[東京都交通局]] - 相互乗り入れ予定。 * [[埼玉高速鉄道]] - 同上。これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。 * [[東武鉄道]] - 未定。 == 関連する作品 == * [[百獣戦隊ガオレンジャー]] - [[スーパー戦隊シリーズ]]25作目で、相鉄の駅の数と同じことから[[2001年]]にタイアップして同社で[[スタンプラリー]]が実施された。 * [[烈車戦隊トッキュウジャー]] - スーパー戦隊シリーズ38作目で、オープニングの映像でトッキュウ5号を紹介する部分に[[ゆめが丘駅]]が使用されている。 * [[早春スケッチブック]] - [[1983年]]に放送された[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列のテレビドラマ。本線希望ヶ丘駅周辺が舞台。 * [[天才柳沢教授の生活]] - フジテレビ系列のテレビドラマ。作中の柳沢教授の自宅最寄り駅は希望ヶ丘駅である。 *[[コータローまかりとおる!]] - [[週刊少年マガジン]]に[[1982年]]から[[1994年]]連載された漫画。著者である[[蛭田達也]]にゆかりのある地名「鶴ヶ峰」「阿久和」「希望が丘」等の名称が多く見られる。 * [[がくえんゆーとぴあ まなびストレート!]] - [[2007年]]に[[テレビ東京]]系列で放送されたテレビアニメ。相鉄をモデルとした車両や路線図が登場した。 * [[ジャンクSPORTS|ジャンクCUP 2010]] - 2010年12月28日にフジテレビで放送された『スーパーアスリートが夢の対決! ジャンクCUP 2010』のトレインバランス(アスリートが電車内でバランス感覚を競う)のコーナーのために西谷駅から海老名駅まで貸し切りの特別列車を運行した。 * [[キッズ劇場!!|キッズ劇場Neo]] - [[テレビ神奈川]]で放送された子供番組。そうてつしゃりょうずかんのコーナーで、鉄道の童謡・唱歌に乗せて、相鉄の歴代車両が紹介された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 『相鉄七十年史』相模鉄道 * 長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 [[ジェイティービー|JTBパブリッシング]] 2004年 ISBN 4-533-05622-9 * 鉄道電気読本 改訂版 日本鉄道電気技術協会 2007年 ISBN978-4-931273-65-8 == 関連項目 == * [[相鉄グループ]] * [[相鉄バス]] * [[相鉄ホールディングス]] == 外部リンク == * [http://www.sotetsu.co.jp/ 相模鉄道ホームページ] * [http://www.sotetsu.co.jp/future/into_tokyo/ 相模鉄道 都心直通プロジェクト] * [http://www.sotetsu-lu.or.jp/ 相模鉄道労働組合] {{DEFAULTSORT:さかみてつとう}} [[Category:相模鉄道|*]] [[Category:相鉄グループ|**]] [[Category:国有化された日本の鉄道事業者]] [[Category:大手私鉄・準大手私鉄]] [[Category:日本の鉄道事業者]] [[Category:横浜市西区の企業]] [[Category:1964年設立の企業]]