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{{Pathnav|世界|アジア|東アジア|日本|[[中部地方]]または[[近畿地方]]|東海地方|三重県|北勢|frame=1}} {{日本の市| 自治体名=桑名市| 都道府県=三重県| コード=24205-5| 隣接自治体=[[四日市市]]、[[いなべ市]]、[[木曽岬町]]、<br/>[[東員町]]、[[朝日町 (三重県)|朝日町]]、[[川越町]]、<br/>[[愛西市]]、[[弥富市]]、[[海津市]]| 木=合併後検討中| 花=合併後検討中| シンボル名=他のシンボル| 鳥など=| 郵便番号=511-8601| 所在地=桑名市中央町2丁目37番地[[Image:Kuwana_Cityhall_Mie01.jpg|center|250px]]| 電話番号=0594-24-1136| 外部リンク=[http://www.city.kuwana.lg.jp/ 桑名市]| 位置画像={{基礎自治体位置図|24|205}}| 特記事項= }} '''桑名市'''(くわなし)は[[三重県]]北部の[[市]]で、[[愛知県]]と[[岐阜県]]に接している。[[ハマグリ|蛤]](はまぐり)料理に代表される[[食文化]]を有し、[[ナガシマスパーランド]]、[[多度大社]]、[[六華苑]]、[[東海道]]の[[七里の渡し]]など、豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の[[観光都市]]である<ref>[http://www.city.kuwana.lg.jp/industry_article_477.html 「桑名市観光振興プラン」] 桑名市</ref>。また、[[名古屋]]から25km圏に位置し、名古屋の[[ベッドタウン]]として宅地開発が進んでいるほか、機械・金属系を中心とする[[工業都市]]でもある。市の[[無形文化財]]に[[連鶴]]の折り方である「[[秘傳千羽鶴折形|桑名の千羽鶴]]」がある。 == 地理 == 三重県北部の市で、[[木曽三川]]の河口に位置する。 [[伊勢神宮]]の「一の[[鳥居]]」が設置されるなど、[[伊勢国]]の東の玄関口として位置付けられる。 その地理的条件により、古くから東海道随一の宿場町として栄えた。 === 河川 === * [[木曽川]] * [[長良川]] ** 長島川、新川 (県管理) * [[揖斐川]] ** 新堀川、大山田川、沢北川、東川、流石川、三砂川、新田川、多度川、肱江川 (県管理) ** 山江川 (市管理) * [[員弁川]]([[町屋川]]) ** 三孤子川、弁天川、嘉例川 (県管理) ** 笹貝川、蓮花寺川 (市管理) === 池 === * [[平群池]](へぐりいけ) === 山 === * [[養老山地]] ** [[多度山]] === 隣接している自治体 === * [[三重県]]:[[四日市市]]、[[いなべ市]]、[[桑名郡]][[木曽岬町]]、[[員弁郡]][[東員町]]、[[三重郡]][[朝日町 (三重県)|朝日町]]、[[川越町]] * [[愛知県]]:[[愛西市]]、[[弥富市]] * [[岐阜県]]:[[海津市]] == 歴史 == [[画像:Tokaido42 Kuwana.jpg|thumb|right|250px|[[歌川広重]]『東海道五十三次・桑名』]] 桑名は[[古代]]から[[東海地方]]と[[畿内]]における交易の中継地として栄えた。 [[室町時代]]には商人たちによる[[自由都市]]が形成され、[[堺]]、[[博多]]、[[大湊 (伊勢市)|大湊]]と並ぶ日本屈指の貿易都市となり、「[[十楽の津]]」とよばれた <ref>[http://www.pref.mie.jp/BUNKA/TANBO/BUNKA/mieb0215.htm 「戦国時代、三重の各地に「公界」」]三重県</ref> <ref>[http://www.city.kuwana.lg.jp/culture_sports_and_education_article_275.html 「郷土史研究の歴史(1) - 郷土史(郷土史研究の歴史)」]桑名市</ref> <ref>[http://www.sake-seiun.com/kuwana/kuwana.htm 「米の町、桑名」]合資会社 後藤酒造場</ref>。 [[江戸時代]]には[[桑名藩]]11万石の[[城下町]]、および[[東海道五十三次]]で知られる[[東海道]]42番目の[[宿駅]]・[[桑名宿]]として栄えた。[[宮宿]]([[名古屋市]][[熱田区]])との間の[[七里の渡し]]が有名である。[[幕末]]には、[[佐幕]]派の中核をなす、いわゆる一会桑体制([[一橋慶喜]]、[[会津藩]]、桑名藩)の拠点の一つとなった。 明治時代には[[廃藩置県]]によって桑名藩は[[桑名県]]となった。その後、近隣の県との合併によって[[安濃津県]](後の三重県)ができ、その一部となった。 【旧桑名市】 * [[1889年]](明治22年)4月 桑名町として町制施行。 * [[1923年]](大正12年)4月 赤須賀村と合併。 * [[1933年]](昭和8年)3月 益生村と合併。 * [[1937年]](昭和12年)4月 西桑名町と合併、市制施行。 * [[1945年]](昭和20年)[[7月17日]]、[[7月24日]] [[桑名空襲]]。アメリカ軍の[[B29]]による空襲を受け、市街地の約90%を消失。 * [[1951年]](昭和26年)3月 桑部村・在良村・七和村と合併。 * [[1955年]](昭和30年)2月 深谷村・久米村と合併。 * [[1956年]](昭和31年)[[9月1日]] 城南村と合併。 【旧長島町】 * [[1954年]](昭和29年)[[10月23日]] 長島村が町制を施行し、長島町となる。 * [[1955年]](昭和30年)[[4月1日]] 楠村と合併。 * [[1956年]](昭和31年)[[9月30日]] 伊曽島村を編入合併。 * [[1959年]](昭和34年)[[9月26日]] 東海地方を中心に襲った[[伊勢湾台風]]により、長島町のほぼ全町が水没し多くの犠牲者を出した。 【旧多度町】 * [[1954年]](昭和29年)[[8月1日]] 多度村が町制を施行し、多度町となる。 * [[1955年]](昭和30年)[[1月8日]] 七取村・古浜村・野代村・古美村と合併。 【新桑名市】 * [[2004年]](平成16年)12月6日 旧桑名市、桑名郡[[多度町]]及び[[長島町 (三重県)|長島町]]が対等合併。(いわゆる[[平成の大合併]]) == 都市情報 == === 市章 === [[Image:Flag of Kuwana, Mie.png|thumb|桑名[[市町村旗|市旗]](市章)]] 現在の[[市町村章|市章]]は、合併を機に、全国から寄せられた公募から選ばれ、[[2004年]][[12月6日]]に制定された<ref name="shiseigaiyouhyoshi">[http://www.city.kuwana.lg.jp/img/files/shisei/shigikai/shisei_gaiyou_hyoushi.pdf 「市政の概要 平成19年版」 表紙等] 桑名市議会事務局</ref>。 市章は1本の青色のライン(帯)と2本の緑色のラインで構成される。これらのラインを円周状に配置することで、「水と緑の交流の輪」を表現している。そして、中央の余白を名産の蛤の形状で浮き上がらせ、「市の文化や歴史」を表現している<ref name="shiseigaiyouhyoshi"/>。 === 市名のいわれ === 地名・桑名の由来は諸説あるが、桑名開発の祖となる豪族・桑名首(おびと)の名前から採られたという説が有力である。なお、地名・桑名が記された最古の史料は『[[日本書紀]]』である。[[壬申の乱]]の際、[[672年]][[6月26日]]に[[天武天皇]]が桑名[[郡家]](くわなのこおりのみやけ)に宿泊したとの記述がある。 == 人口 == {{人口統計|code=24205|name=桑名市}} == 行政・議会 == === 市長 === * 2004年の新桑名市誕生に伴い、新市長就任までは、市長職務執行者として平野久克(旧[[長島町]]長)が就任した。 * 初代市長:[[水谷元]](合併前の桑名市長も歴任)、任期は[[2004年]][[12月19日]]~[[2008年]][[12月18日]] === 議会 === * 2004年の新桑名市誕生に伴い、合併前の[[在任特例]]規定の適用により、旧市町議員が2006年11月まで残った。 * 定数: 34([[地方自治法]]の法定数上限) * 次回市議選(2010年11月)より定数28となることが決定している。 == 公共施設 == === 市役所・総合支所・消防本部 === 旧桑名市役所が市役所本庁舎に、それ以外の旧町役場が総合支所となっている。 * 桑名市役所 ** 多度町総合支所(旧多度町役場) ** 長島町総合支所(旧長島町役場) * [[桑名市消防本部]] === 国等の機関 === * 桑名税務署 * 津地方法務局桑名支局 * ハローワーク桑名 * 桑名簡易裁判所 === 県等の機関 === * 桑名県民センター * [[三重県警]][[桑名警察署]] === その他の公共施設 === * [[桑名市立中央図書館]] == 経済 == === 産業 === [[画像:桑名宗社青銅鳥居.jpg|thumb|桑名鋳物を象徴する桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居]] ; [[鋳物]] : 桑名の代表的な[[地場産業]]であり、「東の[[川口市|川口]]、西の桑名」と言われるほど有名である。桑名には三重県全体の半数にあたる80社ほどの鋳物工場があり、2000人以上が従事している。製品出荷額は約660億円(平成3年度で4人以上の規模の桑名市内64事業所による。)で、全国でも有数の規模を誇っている。製造される鋳物製品は多種にわたっており、日用品、土木建築用資材([[マンホール]]、[[グレーチング]]など)、産業機械器具部品、電動機器部品などがある。さらには[[梵鐘]]などの伝統的鋳物産業も健在で、梵鐘は海外に輸出されることもある。地場産業としての鋳物が桑名で発達したのは明治時代以後だが、桑名鋳物の歴史は古く、[[本多忠勝]]が桑名藩主となり([[1601年]])、鉄砲の鋳造をはじめたのが起源とされている。当時の製品は[[銅]][[合金]]による神社仏閣の[[灯籠]]、梵鐘、鍋釜類、農具などが主な物であった。桑名の鋳物師(いもじ)としては廣瀬、辻内の両家が活躍した。(鋳物師は[[朝廷]]の許可がなければ開業や家業継承ができなかったこともあり、当時、両家以外で桑名に鋳物師がいた記録はない。)廣瀬与左衛門による[[仏眼院 (桑名市)|仏眼院]]の「喚鐘(かんしょう)」(桑名市指定有形文化財)と辻内善右衛門による[[春日神社 (桑名市)|桑名宗社]]の「春日神社の青銅鳥居」(三重県指定有形文化財)が現存しており、桑名鋳物を象徴する文化財となっている<ref>[http://www.miesc.ne.jp/jibasanmie/f17.html 「桑名の鋳物」]財団法人 三重北勢地域地場産業振興センター</ref><ref>[http://cniss.chuokai-mie.or.jp/imono/history/ 「桑名の鋳物史」]三重県鋳物工業協同組合</ref><ref>[http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Den/Den029.htm 「桑名「鋳物」「時雨蛤」「かぶら盆」」]佐藤誠也, 三重の伝統産業, 1980年4月号, 三重県教育文化会館 (1980)</ref>。 ; [[萬古焼|桑名萬古焼]] : 萬古焼の一種で、赤絵(赤い絵付け)を特徴とする。三重県指定伝統工芸品であるとともに、三重県指定無形文化財(工芸技術)である<ref name="miedentoukougei01">[http://www.pref.mie.jp/shinsan/hp/dento/hokuse.htm 「三重の伝統工芸品(北勢地域)」] 三重県</ref><ref>[http://www.pref.mie.jp/BUNKAZAI/HP/fromDB/A010/44.htm 「みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財・桑名萬古(赤絵)」] 三重県教育委員会</ref>。桑名の豪商、[[沼波弄山]]が開窯した[[古萬古]]は後継者の無いまま廃絶していたが、桑名・田町生まれの[[森有節]](ゆうせつ)、千秋(せんしゅう)の兄弟によって、古萬古ゆかりの桑名藩領、小向(おぶけ)村(現[[朝日町 (三重県)|朝日町]])で再興された。([[有節萬古]]と呼ばれる。)森兄弟は分解できる[[木型]]に棒で伸ばした薄い土を貼り付けて成形・量産する方法を編み出し、その方法は秘密とされた。しかし、[[急須]]木型の注文を受けた桑名の木型師[[佐藤久米造]]にその秘密が漏れ、佐藤が1840年頃に開窯することとなった。これが桑名萬古の始まりである。街道の土産物として人気を得るとともに、佐藤の弟子([[水谷孫三郎]]など)や[[布山由太郎]]などの優れた[[陶芸家|陶工]]を輩出したことから、桑名萬古は質、量ともにの萬古焼における一つのブランドとして確立していった。幕末から明治初期にかけて最も盛業であったが、明治後期には販売戦略に優れた[[四日市萬古]]に合流、縮小していった<ref>[http://www.u-net.or.jp/~miehaku/Tenzi/Rekishi/tenjimokuji.htm#bankologo 「歴史・文化の扉 萬古焼」] 三重県立博物館</ref><ref>[http://www.banko.or.jp/intro/edo3.html 「萬古焼の歴史【江戸時代.3】」] 萬古陶磁器工業協同組合</ref>。 ; [[桑名盆]](かぶら盆) : [[欅]](けやき)、[[ハリギリ|栓]](せん)、[[ヒノキ|檜]](ひのき)などの木目が美しい木地に、[[漆]]の[[木地呂塗り]](きじろぬり、木目が透けて見える塗り方)を施して作られた[[盆]]<ref name="miedentoukougei01"/><ref>[http://www.localmie.com/localmie/2003/9.25/2.html 「かぶら盆」] ローカルみえ (2003)</ref>。典型的には、丸盆で、[[カブ|かぶら]]の絵が描かれている。三重県指定伝統工芸品である。 ; 桑名箪笥(たんす) ; 桑名刃物 ==== 名産 ==== ; [[ハマグリ|蛤]](はまぐり) : 焼き蛤、[[時雨蛤]]、酒蒸しなどとして食され、「[[地口#地口の例|その手は桑名の焼き蛤]]」(「その手にはひっかからない」ことを意味し、「その手は喰わない」と「桑名の(名物の)焼き蛤」を掛けたもの<ref>[http://www.sanseido.net/ 三省堂 Web Dictionary]三省堂</ref>。)という[[言葉遊び]]([[地口]])があるほど全国的に有名である。また、桑名産蛤の貝殻は色彩が美しいことでも有名で、[[貝合わせ]]や貝絵や膏薬の容器のための加工用として珍重された<ref name="akasuka01">[http://www.akasuka.or.jp/kuwana.htm 「「桑名の蛤」復活へ」]赤須賀漁業協同組合</ref>。 : 蛤の主な漁場は[[木曽三川]]の河口域である。ここは[[淡水]]と[[海水]]が程よく混ざった[[汽水域]]になっており、蛤の生育に最適な、肥沃で広大な[[干潟]]が形成されている<ref name="akasuka01"/><ref name="ntv01">[http://www.ntv.co.jp/omo-tv/ippin/070516.html 「ふるさと味自慢 こだわりの逸品(桑名のハマグリ)」] 午後は○○おもいッきりテレビ, 日本テレビ, [[5月16日]]放送 (2007)</ref>。この環境下で育った「桑名の蛤」は大型かつ美味上質となり<ref>[http://www.nissinfoods.co.jp/entertainment/academy/biken/series_13/index.html 「桑名の蛤(ハマグリ)」] 食文化アカデミー:美健賢食, 日清食品</ref>、条件の良いものは生食(せいしょく)も可能となる<ref name="ntv01"/><ref name="ntv02">[http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2008/0413/01/01.html 「ソーラーカー日本一周 ~三重県~」] ザ!鉄腕!DASH!!, 日本テレビ, [[4月13日]]放送 (2008)</ref><ref>市販のハマグリの生食は鮮度の関係から控えた方が良い。また、ハマグリにはビタミンB1を分解する酵素が含まれるため、生食による大量摂取は控えた方が良い。加熱調理すれば酵素の問題はなくなる。</ref>。桑名産蛤が全国的に有名になったのは、桑名が交通の要所であったことに加え、上記のように良質の蛤が採れたことが理由であると考えられている<ref>[http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no85.html 「焼蛤と時雨蛤(しぐれはまぐり)」] 松下幸子 監修・著, 江戸食文化紀行 No.85 歌舞伎座事業</ref>。 : 蛤が桑名の名産として全国的に認知されるようになったのは江戸時代頃からと考えられる<ref>[http://www.kankomie.or.jp/sagasu08_gourmet/c_gourmet.html 「三重県の郷土料理」] 三重県観光連盟</ref>。歴代の将軍に桑名産蛤を献上するのが慣例となっていた<ref name="akasuka01"/><ref name="yomiuri01">[http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/dounaru/dounaru061220_3.htm 「(三重)桑名産ハマグリ 復活の兆し」] 読売新聞, [[12月20日]] (2006)</ref>。江戸時代初期には、既に木曽三川河口域に漁村が存在した記録が残っている。当時の漁村の蛤漁は盛況で、蛤の貝殻で地面が厚く覆われるほどであった<ref>[http://kanko.city.kuwana.mie.jp/history/sensyoji/index.html 「専正寺(せんしょうじ)」]桑名市</ref>。江戸時代後期の[[滑稽本]]『[[東海道中膝栗毛]]』では、''「…[[熱田神宮|熱田の神]]の慈眼(みそなは)す、[[七里の渡し|七里のわたし]]浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、[[名物|めいぶつ]]の焼蛤に酒くみかはして、…」''<ref>十返舎一九 著, 麻生磯次 校注 『東海道中膝栗毛』 岩波書店 (1958)</ref>と、[[宮宿]]から船で桑名に渡って来た[[主人公]]の弥次郎兵衛と喜多八が、早速、名物の焼き蛤を楽しむ様が描かれている。 : 現在、地蛤(じはまぐり、じはま、桑名で繁殖した蛤)漁専業で生計を立てている漁師は、桑名の漁協所属の30名程である{{要出典}}。地蛤の年間漁獲高は、ピーク時には3,000トンを誇ったが、1995年には過去最低の0.8トンを記録した。近年の漁獲高は、資源管理、稚貝放流(栽培漁業)によって回復傾向にあり、2000年19トン、2001年15トン、2002年16トン、2003年20トン、2004年62トン、2005年52トン、2006年47トン、2007年95トンとなっている<ref name="yomiuri01"/>。焼き蛤など蛤料理を提供する店は多数あるが、代表的な老舗の例としては、「船津屋」(船馬町、大塚[[本陣]]跡)、「料理旅館 山月」(船馬町、[[脇本陣]]「駿河屋」跡)、「魚重楼」(南魚町)、「割烹 みくに」(川口町)などが挙げられる。 [[画像:Kuwana Hokusai.jpg|thumb|right|240px|[[葛飾北斎]]『桑名 四日市へ三[[里]]八[[町|丁]]』(3里8丁は約12.7[[キロメートル|km]]で、[[桑名宿]]から[[四日市宿]]までの距離を意味する。)]] :; 焼き蛤の調理方法 : 江戸時代、桑名周辺では、焼き蛤は[[松かさ]]を燃やして加熱することで調理されていた。[[葛飾北斎]]の[[浮世絵]]『桑名 四日市へ三里八丁』などにその様子が描写されている<ref name="gatten20080423">[http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2008q2/20080423.html 「歴史グルメスペシャル 復活!北斎・幻のハマグリ」] ためしてガッテン, NHK, [[4月23日]]放送 (2008)</ref>。この調理法では、[[松脂]]を含んでいるために火力が強い松かさで覆い、[[蝶番]](ちょうつがい)を切ってから加熱するため、殻が開くことなく短期間で調理できる。このため、一般的な調理方法よりも柔らかく蒸しあがる。なお、[[日本放送協会|NHK]]の「[[ためしてガッテン]]」ではこの調理方法が紹介され、桑名市でこの再現された焼き蛤が住民に披露されたがその味は住民からは好評であった<ref name="gatten20080423" />。 :; [[時雨蛤]](しぐれはまぐり): 蛤を[[たまり醤油]]、[[生姜]]などで煮た[[佃煮]]の一種。蛤の[[時雨煮]]。もとは「煮蛤(にはまぐり)」と呼ばれたが、[[松尾芭蕉]]の高弟、[[各務支考]]が「時雨蛤」と名付けたと言われている<ref>[http://www.kaishin.co.jp/cgi-bin/kaishin/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=2 「コピーライターは松尾芭蕉の弟子だった!」](株)総本家新之助貝新</ref>。時雨蛤にすることで蛤の保存性が高まり、土産物として高い人気を誇った<ref>[http://www.kaishin.co.jp/cgi-bin/kaishin/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=1 「志ぐれの誕生秘話」](株)総本家新之助貝新</ref>。[[騒ぎ唄]](広く宴席でうたう歌)の『桑名の殿様』で、「桑名の殿様、時雨で茶々漬」と歌われて有名である。なお、この唄に出てくる「桑名の殿様」とは、桑名藩主のことではなく、明治から大正にかけて米相場で儲けた桑名の大旦那衆([[お大尽]]、[[成金]])のことである。東京の料亭で盛大な酒宴を行い、芸者衆と大いに遊んだ桑名の大旦那衆が、宴会の最後に時雨蛤の茶漬けを食べた様を唄にしたのが、『桑名の殿様』である<ref>[http://www.kaishin.co.jp/cgi-bin/kaishin/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=3 「桑名の殿さんはいったい誰?」](株)総本家新之助貝新</ref>。この唄は、[[神宮式年遷宮]]の[[御木曳]][[木遣り唄]]の一種である『松前木遣り』がお座敷唄化したものと考えられている<ref name="www1134com01">[http://www.1134.com/min-you/02/k2301.shtml 「日本の民謡 曲目解説<三重県>」]日本の民謡~CDで聴く故郷の唄, 暁洲舎 (2000)</ref>。ちなみに、この唄の「~の殿様~で茶々漬け」のフレーズは、日本各地でその土地の名物、名産を読み込んだ替え唄となって楽しまれた<ref name="www1134com01"/>。 ::; 『桑名の殿様』の歌詞 : ''桑名の殿様 ヤーレン ヤットコセー ヨーイヤナ 桑名の殿様 時雨で茶々漬け(ちゃちゃづけ)<br/>ヨーイートナー アーレワ (アリャリャンリャン) ヨーイトーコ ヨーイトーコナー<br/>あれは当麻(たいま)の あれは当麻の 中将姫だよ 泣き泣き入れるは 泣き泣き入れるは 六条さんの賽銭箱<br/>源氏は白旗 平家は赤旗 天保山(てんぽうざん)は沖の旗 やれ出るそれ出る やれ出るそれ出る 矢橋(やばせ)の舟だよ'' ; [[安永餅]] : つぶ餡(あん)の入った細長く平らな焼餅。「ともち」、「牛の舌もち」とも称された。桑名の代表的銘菓で、江戸時代から安永[[立場]](安永)において桑名宿を往来する旅人などに人気を博し、[[茶店]]で、または土産物として広く親しまれた<ref>[http://www.nagamochiyarouho.co.jp/ 「安永餅」] 永餅屋老舗</ref><ref>[http://kanko.city.kuwana.mie.jp/history/yasunaga/index.html 「桑名市観光ガイド・安永立場概要」] 桑名市</ref>。現在、安永餅を製造、販売する店は2つあり、「永餅屋老舗」([[1634年]]創業)と「安永餅本舗 柏屋」である。桑名で隠居していた[[松平定信]](楽翁公)が非常時の食糧として安永餅を考案したという伝承がある。しかし、安永餅と同形態の餅を食する文化は桑名から四日市にかけて広く分布しており、創業当時の史料も残っていないため、安永餅の発祥は、はっきりしていない。 ; [[アイスまんじゅう|アイス饅頭]] : 饅頭を模した小豆が中に入った氷菓。マルマン(京町)、末廣屋(深谷町)、[[寿恵広]](三ツ矢橋)などが製造販売している。特に寿恵広は知名度が高く、[[1950年]]からアイス饅頭の製造を開始し、デパート、スーパー、[[伊勢市#観光スポット|おかげ横丁]]([[伊勢市]])、インターネット通販などによって全国的に販売を行っている<ref>[http://www.dotcom-life.com/umai/mall/jsp/indexface.jsp 「店舗概要」] 寿恵広</ref>。 ; [[なばな]] : アブラナの一種で若芽や茎を食用にするもの。長島町は「なばな発祥の地」である。 ; 八壷豆(多度豆) ; 紅梅焼 ; [[コイ|鯉]]料理 : 江戸時代創業の鯉料理専門店「大黒屋」(多度町柚井)が有名である<ref>[http://kanko.city.kuwana.mie.jp/kuwanabito/koi/index.html 「鯉料理の人」]桑名市</ref>。[[池波正太郎]]がお忍びで食事に訪れたことがあり、自身のエッセイでこの店の[[鯉こく]]を賞賛している{{要出典}}。 ; 手延べうどん ; 多度の弾き猿 == 学校 == ==== 高校 ==== * 公立 ** [[三重県立桑名高等学校]] *** [[三重県立桑名高等学校衛生看護分校|衛生看護分校]] ** [[三重県立桑名西高等学校]] ** [[三重県立桑名北高等学校]] ** [[三重県立桑名工業高等学校]] * 私立 ** [[津田学園中学校・高等学校|津田学園高等学校]] ==== 中学校 ==== {| |valign="top"| * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/jseito/ 成徳中学校] * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/jmeise/ 明正中学校] * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/jkofu/ 光風中学校] * 市立陽和中学校 * 市立正和中学校 |valign="top"| * 市立陵成中学校 * 市立光陵中学校 * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/tadojhs/ 多度中学校] * 市立長島中学校 |valign="top"| * 私立[http://www.tsudagakuen.ac.jp/chugaku/ 津田学園中学校] |} ==== 小学校 ==== {| |valign="top"| * 市立日進小学校 * 市立精義小学校 * 市立立教小学校 * 市立城東小学校 * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/eekise/ 益世小学校] * 市立[http://shutoku987.hp.infoseek.co.jp/ 修徳小学校] * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/etaise/ 大成小学校] * 市立桑部小学校 * 市立[http://www.mie1.1st.ne.jp/~aes/ 在良小学校] * 市立七和小学校 * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/ekkume/ 久米小学校] * 市立深谷小学校 * 市立城南小学校 * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/etaiwa/ 大和小学校] |valign="top"| * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/enooya/ 大山田北小学校] * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/ewooya/ 大山田西小学校] * 市立大山田東小学校 * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/esooya/ 大山田南小学校] * 市立藤が丘小学校 * 市立[http://www.mie-c.ed.jp/ehosim/ 星見ヶ丘小学校] * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/nanatori/ 多度北小学校] * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/tadonaka/ 多度中小学校] * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/furumi/ 多度西小学校] * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/noshiro/ 多度東小学校] * 市立[http://www.town.tado.mie.jp/furuhama/ 多度南小学校] * 市立[http://www.isojima-e.ed.jp/ 伊曽島小学校] * 市立長島中部小学校 * 市立長島北部小学校 |valign="top"| * 私立[http://www.tsudagakuen.ac.jp/shougaku/ 津田学園小学校] |} == 友好都市 == * [[行田市]]([[埼玉県]])、[[白河市]]([[福島県]]) ** [[1998年]](平成10年)友好都市提携(江戸時代の[[三方領知替え]]にちなむ。) * [[苫前町]]([[北海道]]) ** [[1981年]](昭和56年)旧長島町と友好町提携。明治時代に長島町から集団移住したことにちなむ。 == 交通 == === 鉄道 === * [[東海旅客鉄道|JR東海]] ** [[関西本線]] : [[長島駅]] - [[桑名駅]] - ([[朝明信号場]]) * [[近畿日本鉄道]] ** [[近鉄名古屋線|名古屋線]] : [[近鉄長島駅]] - 桑名駅 - [[益生駅]] * [[養老鉄道]] ** [[養老鉄道養老線|養老線]] : 桑名駅 - [[播磨駅]] - [[下深谷駅]] - [[下野代駅]] - [[多度駅]] * [[三岐鉄道]] ** [[三岐鉄道北勢線|北勢線]] : [[桑名京橋駅]](廃駅)- [[西桑名駅]] - [[馬道駅]] - [[西別所駅]] - [[蓮花寺駅]] - [[在良駅]] - [[坂井橋駅]](廃駅)-[[星川駅 (三重県)|星川駅]] - [[七和駅]] なお、[[1927年]]から[[1944年]]には、[[桑名電軌]]という全長1kmのミニ[[路面電車]]が桑名駅前と宿場町時代からの市街地を結んでいた。 === 道路 === * [[高速道路]] ** [[東名阪自動車道]]:[[長島インターチェンジ (東名阪自動車道)|長島IC]] - [[桑名東インターチェンジ|桑名東IC]] - [[大山田パーキングエリア|大山田PA]] - [[桑名インターチェンジ|桑名IC]] ** [[伊勢湾岸自動車道]]:[[湾岸長島インターチェンジ|湾岸長島IC]]/[[湾岸長島パーキングエリア|PA]] - [[湾岸桑名インターチェンジ|湾岸桑名IC]] * [[一般国道]] ** [[国道1号]]、[[国道23号]]、[[国道258号]]、[[国道421号]] [[画像:1256.jpg|thumb|180px|right|三重交通バス]] === 路線バス === * [[三重交通]] * [[八風バス]] * [[三岐鉄道]] * [[K-バス]] === 空港へのアクセス === ; [[中部国際空港]]高速バス 桑名ルート : 三重交通と八風バスが、[[マイカル桑名]]-桑名駅前-中部国際空港(セントレア)間の[[高速バス]]を運行している。セントレアまでのおよその所要時間は、マイカル桑名から70分、桑名駅前から55分である。また、マイカル桑名には乗客用駐車場があり、[[パークアンドライド]]が可能となっている<ref>[http://www.sanco.co.jp/highway/airport/kuwana.html 「中部国際空港高速バス 桑名ルート」]三重交通</ref>。 == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 == === 名所・旧跡 === [[画像:桑名鎮国守国神社拝殿.jpg|thumb|鎮国守国神社]] * [[大福田寺]](桑名聖天)(東方) ** 「桑名の聖天さん」として親しまれ、日本三大[[聖天]](しょうてん)の一つ。 ** 毎年4月に行われる桑名聖天大祭では、国の[[重要無形民俗文化財]]指定の伊勢大[[神楽]](いせだいかぐら)が奉納される。 * [[十念寺 (桑名市)|十念寺]](伝馬町) * 海蔵寺(北寺町) ** [[曹洞宗]]の寺。 ** 薩摩義士墓所 *** [[宝暦治水事件]]の犠牲となった[[平田靱負]]ら薩摩義士85名(割腹自殺者52名病死者33名)のうち24名が祀られ、21基の墓石が現存する。当時の弔い証文や薩摩焼酎の[[徳利]]が保管され、平田靱負像がある。 * [[桑名別院本統寺]](北寺町) ** 桑名御坊とも称され、俗に「ご坊さん」の名で親しまれている。 ** [[徳川家茂]]や[[明治天皇]]が宿泊した由緒ある寺。 ** [[松尾芭蕉]]の冬牡丹句碑(「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」) * 大智院(長島町西外面) ** 松尾芭蕉宿泊地 ** 蕉翁信宿処石碑 * [[願証寺|願證寺]](長島町又木) ** [[長島一向一揆]]故地 * [[春日神社 (桑名市)|春日神社]](桑名宗社)(本町) ** 青銅鳥居 ** 御膳水井 *** 明治天皇が宿泊した際、この井戸の水が御膳水として供された。 ** [[山口誓子]]句碑、[[千葉兎月]]句碑 * [[鎮国守国神社]](吉之丸) ** [[桑名城]]址[[九華公園]]内にあり、[[松平定綱]](鎮国公)と[[松平定信]](守国公)を主祭神として祀る神社。起源は[[1784年]](天明4年)[[白河城]]で藩祖松平定綱を祀るために建立された。[[1823年]](文政6年)[[松平定永]]が[[桑名藩]]へ領地替になったため桑名城本丸内へ移り、その後定信も祀るようになった。[[明治維新]]後、桑名城が解体された際に移転したが、[[1907年]](明治40年)現在地に戻された。拝殿は[[1919年]](大正8年)に、併設する楽翁公百年祭記念宝物館([[5月2日]]・[[5月3日|3日]]の例祭日のみ公開)は[[1934年]](昭和9年)に建てられた。 * [[多度大社]](多度町多度) * [[長島城]]跡(長島町西外面) ** 現・長島中部小学校、中学校地 ** 桑名市指定天然記念物「大松」(長島中部小学校内) * 蓮生寺(長島町又木) ** 旧長島城[[大手門]] * 専正寺(せんしょうじ)(今中町) ** 蛤墳(こうふん) *** この寺の付近一帯は江戸初期には漁村であり、地面が蛤の貝殻で厚く覆われるほど蛤漁が盛んであった。[[文政]]年間に、無尽蔵の貝殻を見たこの地の住人が、蛤に感謝し、供養するため、蛤墳を建立した<ref>[http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/077.html 「桑名市指定文化財 蛤墳」] 桑名市教育委員会文化財ホームページ</ref>。[[1966年]](昭和41年)に桑名市の指定文化財となった。 === 観光 === {{右| [[画像:桑名七里の渡し跡鳥居.jpg|thumb|none|七里の渡し跡]] [[画像:Rokkaen Yo-kan.jpg|thumb|none|六華苑・洋館]] [[画像:Nagashima spaland closeup.png|thumb|none|ナガシマスパーランド]] [[画像:多度峡.jpg|thumb|none|多度峡]] }} * [[九華公園]](桑名城址) ** [[桑名城]]の項も参照。 * [[七里の渡し]]跡 ** [[江戸時代]]、[[東海道]][[桑名宿]]-[[宮宿]]間の海路7[[里]](約28km)を結んでいた七里の渡しにおける桑名宿側の船着き場跡。桑名は[[伊勢国]]の東の玄関口で[[伊勢参宮街道]]への入口にあたることから、[[天明]]年間に[[伊勢神宮]]遙拝用の「一の[[鳥居]]」が建てられた。この鳥居は現在も[[神宮式年遷宮]]の度に、[[皇大神宮|皇大神宮(内宮)]][[宇治橋 (伊勢市)|宇治橋]]外側の鳥居を削って建て直されている。[[伊勢湾台風]]以後の[[高潮]]対策工事により、渡船場と道路の間に防波堤が築かれ、港としての機能が失われた<ref>[http://kanko.city.kuwana.mie.jp/pickup/shichiri/ 「七里の渡跡」]桑名市</ref>。[[1959年]](昭和34年)三重県の指定史跡となった。 * [[六華苑]](旧[[諸戸清六 (二代目)|二代目諸戸清六]]邸) * [[諸戸氏庭園]](旧[[諸戸清六 (初代)|初代諸戸清六]]邸) * [[長島温泉]]・[[ナガシマスパーランド]]・[[ジャズドリーム長島]]([[アウトレットモール]]) * [[なばなの里]] * 長島スポーツランド * [[長良川河口堰]]・アクアプラザながら * [[国営木曽三川公園]]カルチャービレッジ・輪中の郷 * 千本桜通り * [[多度山]]・多度山上遊園地 * [[多度峡]]・天然プール * 走井山(はしりいざん)公園 * [[伊勢大橋]] * 石取会館(いしどりかいかん) * 輪中の郷 * 又木茶屋 === 祭り === [[画像:IshidoriMatsuri.JPG|thumb|石取祭]] * 桑名聖天大祭:4月1・2日(大福田寺) * [[金魚]]祭:5月2日・3日(鎮国守国神社)松平定信が金魚好きだったことに由来、金魚神輿を各町の子供が担いで練り歩く。 * [[多度祭]](上げ馬神事):5月4日,5日(多度大社) * 桑名水郷花火大会:7月下旬 * [[石取祭]]:8月第1日曜日とその前日(春日神社) [[重要無形民俗文化財]] * 桑名の殿様御台所祭・千姫折鶴祭:10月中旬(桑名別院本統寺、鎮国守国神社ほか)市民有志による実行委員会が運営する祭り。1989年に地元商店主らが始めた。桑名の食文化を体験する花街グルメパークや特設ステージでの古典芸能などの企画を楽しむ「桑名の殿様御台所祭」と、桑名でわずかな期間暮らした[[千姫]]と無形文化財の「[[桑名の千羽鶴]]」の「千」をかけた「千姫折鶴祭」から成る。千姫折鶴行列や千羽鶴ファイヤーセレモニーが行われる。 * 七福神まつり:11月23日(十念寺) * [[流鏑馬祭り]]:11月23日(多度大社) * 伊勢太神楽:12月24日(増田神社) 重要無形民俗文化財 == 出身の有名人 == * [[沼波弄山]]:[[萬古焼]]の始祖 * [[森有節]]、[[森千秋]]兄弟:[[萬古焼]]中興の祖 * [[森常吉]]:桑名藩士、[[新選組]]隊士、箱館新選組頭取改役 * [[関川代二郎]]:桑名藩士、新選組隊士、[[警視庁抜刀隊]]員 * [[立見尚文]]:[[陸軍大将]] * [[加太邦憲]]:[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、[[関西大学]]学長 * [[駒井重格]]:経済学者、[[専修大学]]創設者の一人 * [[矢田俊隆]]:[[北海道大学]]名誉教授 * [[高木貞作]]:新選組隊士、[[一橋大学]]教授 * [[水谷新六]]:[[南鳥島]]の開拓者 * [[松井房吉]]:[[松井証券]]創業者 * [[瀬古利彦]]:マラソン選手 * [[柴田勝頼]]:プロレスラー * [[後藤洋央紀]]:プロレスラー * [[伊藤旭彦]]:プロレスラー * [[桜井良太]]:バスケットボール * [[松田次生]]:レーシングドライバー * [[黒田研二]]:作家 * [[城島明彦]]:作家 * [[水谷和彦]]:放送作家 * [[北村けんじ]]:児童文学作家 * [[水谷勝海]]:アナウンサー * [[前田阿希子]]:アナウンサー * TAKA:[[La'cryma Christi]]のヴォーカル * [[壱太郎]]:和太鼓奏者、元[[鬼太鼓座]] * [[ナカムラヒロシ]] ([[i-dep]]/[[Sotte Bosse]]):プロデューサー、DJ === 桑名に縁の有る人物 === * [[持統天皇]]:[[天皇]] ([[壬申の乱]]の際に一時期、桑名で暮らした。) * [[村正]]:[[刀匠]] (妖刀村正で有名な伊勢国桑名の刀工) * [[本多忠勝]]:桑名藩初代藩主、[[徳川四天王]] * [[服部正就]]:3代目[[服部半蔵]]、桑名藩の名家・小服部家の始祖 * [[服部正重]]:桑名藩[[家老]]、4代目服部半蔵、桑名藩の名家・大服部家の始祖 * [[千姫]]:[[徳川秀忠]]の長女。(桑名藩主[[本多忠政]]の嫡子・[[本多忠刻|忠刻]]の妻として一時期、桑名で暮らした。) * [[河合曾良]]:[[俳諧師]] ([[松尾芭蕉]]の高弟・[[蕉門十哲]]の一人。一時期、[[長島藩]]藩主・[[松平康尚]]に仕える。) * [[各務支考]]:俳諧師 (松尾芭蕉の高弟・蕉門十哲の一人。時雨蛤の名付け親。) * [[松平定信]]:[[江戸幕府]][[老中]]首座、将軍輔佐 (楽翁公) * [[諸戸清六 (初代)|諸戸清六(初代)]]:[[実業家]] * [[松平定敬]]:桑名藩藩主、[[京都所司代]] * [[ジョサイア・コンドル]]:[[建築家]] ([[六華苑]](旧諸戸清六邸)の設計者) * [[泉鏡花]]:[[小説家]] (桑名を舞台とした小説『[[歌行燈]](うたあんどん)』の作者) * [[増田淳]]:[[橋梁]]技術者 ([[伊勢大橋]]の設計者) * [[有本芳水]]:[[詩人]] (詩『桑名にて』の作者、[[住吉神社 (桑名市)|住吉神社]]境内に詩碑が設置) * [[中原中也]]:詩人 (詩『桑名の駅』の作者、[[桑名駅]]構内に詩碑が設置) * [[貝塚茂樹]]:東洋史学者、[[京都大学]]名誉教授、初代桑名市長・貝塚栄之助の養子 == その他 == 桑名市では、2007年度現在、条例などを制定しないまま、一部の[[在日韓国・朝鮮人]]を対象に住民税を半減する特例措置がとられている<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007111302063852.html 「伊賀市、昨年度までの「在日」の減免認める 市県民税を半額に」] 中日新聞 (2007)</ref>。なお、2008年度以降は、この措置を是正する方針が示された。詳細は[[在日韓国・朝鮮人#在日韓国・朝鮮人への住民税減額措置|「在日韓国・朝鮮人」の項]]を参照のこと。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[:Category:桑名市]] * [[:Category:桑名市の画像]] * [[Portal:日本の都道府県/三重県]] * [[アマツヒコネ]](天津彦根命):多度大社と桑名宗社(春日神社)の祭神で、地名「桑名」の由来とされる豪族・桑名首(おびと)の祖神。 * [[ヘリテージング100選]]:伊勢大橋と六華苑が入選。 * [[美しい日本の歩きたくなるみち500選]]:「桑名城下町「水と歴史」を訪ねるみち」が入選。 * [[水の郷百選]]:旧長島町の「歴史ある水郷のまち」が入選。 * [[土木学会選奨土木遺産]]:2005年に「[[木曽川]]・[[揖斐川]]導流堤」が土木遺産に認定。 == 外部リンク == {{Commonscat|Kuwana, Mie}} {{Wikiquote|桑名}} * [http://www.city.kuwana.lg.jp/ 桑名市役所] * [http://kanko.city.kuwana.mie.jp/index.html 桑名市観光ガイド/桑名市役所] * [http://www.kuwana.ne.jp/kankokyokai/ 桑名市観光協会] * [http://www.kuwana.ne.jp/bussan/index.html 桑名市物産振興協会] * [http://www.kuwana.gr.jp 桑名市商店街連合会] * [http://www.ichibangai.com 桑名一番街商店街] * [http://www.midaidokoro.jp 桑名の殿様御台所祭・千姫折鶴祭] * [http://sunfare.jp サンファーレ] * [http://www3.ocn.ne.jp/~trz/ 寺町通り商店街] {{Wikitravel}} * Panoramio: [http://www.panoramio.com/map/#lt=35.062222&ln=136.683889&z=5&k=2&a=1&tab=1 桑名市](写真) {{三重県の自治体}} {{DEFAULTSORT:くわなし}} [[Category:三重県の市町村]] [[Category:城下町]] [[Category:港町]] [[Category:桑名市|*]] [[de:Kuwana]] [[en:Kuwana, Mie]] [[fr:Kuwana]] [[it:Kuwana]] [[ko:구와나 시]] [[pl:Kuwana]] [[pt:Kuwana]] [[ro:Kuwana, Mie]] [[tg:Кувана]] [[tl:Kuwana, Mie]] [[zh:桑名市]]