「東京優駿」の版間の差分

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[[画像:Vodka(horse)_20070527R1.jpg|thumb|240px|2007年の東京優駿([[ウオッカ]])]]
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[[画像:Vodka(horse)_20070527R3.jpg|thumb|150px|東京優駿1着入線後、レースを台覧した[[徳仁親王|皇太子]]に最敬礼する勝利騎手・四位洋文]]
 
[[画像:Vodka(horse)_20070527R3.jpg|thumb|150px|東京優駿1着入線後、レースを台覧した[[徳仁親王|皇太子]]に最敬礼する勝利騎手・四位洋文]]
 
'''東京優駿'''(とうきょうゆうしゅん)とは[[日本中央競馬会]](JRA)が[[東京競馬場]]の[[芝]]2400[[メートル|m]]で施行する[[競馬]]の[[重賞]][[競馬の競走|競走]]で[[競馬の競走格付け|GI]]に格付けされている。正賞は[[内閣総理大臣賞]]・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞。優勝騎手には[[朝日新聞社]]より優勝旗、また副賞として高級車が与えられるほか、実使用ムチが東京競馬場の[[競馬博物館]]に永久保存・展示される。
 
'''東京優駿'''(とうきょうゆうしゅん)とは[[日本中央競馬会]](JRA)が[[東京競馬場]]の[[芝]]2400[[メートル|m]]で施行する[[競馬]]の[[重賞]][[競馬の競走|競走]]で[[競馬の競走格付け|GI]]に格付けされている。正賞は[[内閣総理大臣賞]]・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞。優勝騎手には[[朝日新聞社]]より優勝旗、また副賞として高級車が与えられるほか、実使用ムチが東京競馬場の[[競馬博物館]]に永久保存・展示される。

2020年1月8日 (水) 04:28時点における版

[[画像:Vodka(horse)_20070527R1.jpg|thumb|240px|2007年の東京優駿([[ウオッカ]])]] [[画像:Vodka(horse)_20070527R3.jpg|thumb|150px|東京優駿1着入線後、レースを台覧した[[徳仁親王|皇太子]]に最敬礼する勝利騎手・四位洋文]] '''東京優駿'''(とうきょうゆうしゅん)とは[[日本中央競馬会]](JRA)が[[東京競馬場]]の[[芝]]2400[[メートル|m]]で施行する[[競馬]]の[[重賞]][[競馬の競走|競走]]で[[競馬の競走格付け|GI]]に格付けされている。正賞は[[内閣総理大臣賞]]・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞。優勝騎手には[[朝日新聞社]]より優勝旗、また副賞として高級車が与えられるほか、実使用ムチが東京競馬場の[[競馬博物館]]に永久保存・展示される。 一般的にはレース名の副称である'''日本ダービー'''(にっぽんダービー)の名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその[[代名詞]]とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。 JRAが配布する[[レーシングプログラム]]や[[競馬新聞]]などでは[[1950年]]以降、「東京優駿(第~回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。 == 概要 == [[1929年]]以前に東京競馬倶楽部会長の[[安田伊左衛門]]が競走馬生産者たちから「[[イギリス]]の[[クラシック (競馬)|クラシック]]競走である[[ダービー (競馬)|ダービーステークス]]のような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見を真摯に受け止め、馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスの[[エプソム競馬場]]のダービーステークスを範した。 # 4歳(現3歳)[[牡馬]]・[[牝馬]]の最高の能力試験であること。 # 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。 # (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。 # 2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。 # [[負担重量]]は馬齢重量とすること。 # 施行時期は原則的に春季とすること。 # 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。 という7大原則のもと[[1932年]]に4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走'''東京優駿大競走'''として創設することを[[1930年]][[4月24日]]に発表、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は[[目黒競馬場]](旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。 [[1934年]]からは目黒競馬場の廃止により東京競馬場に施行場を変更。これ以後「東京競馬場2400m」の条件は現在まで1度も変更されていない。 [[1938年]]からは前年の[[帝国競馬協会]]解散に伴う[[日本競馬会]]への移管により名称を'''東京優駿競走'''に変更、また日本競馬会による「4歳(現3歳)5大競走」の形成に伴い同年に新設された[[菊花賞|京都農林省賞典四歳呼馬]]・[[優駿牝馬|阪神優駿牝馬]]、[[1939年]]に新設された[[皐月賞|横濱農林省賞典四歳呼馬]]・[[桜花賞|中山四歳牝馬特別]]とともに日本のクラシック競走を確立するとともにイギリスのクラシック[[三冠 (競馬)|三冠]]競走を範して4歳(現3歳)のクラシック三冠競走も形成、クラシック三冠競走の第2戦として位置付けられ、また4歳(現3歳)の競走馬及び日本中の[[ホースマン]]の憧れ及び目標となり競馬ファンからは「'''競馬の祭典'''」とも言われる大競走として位置付けられた。また、戦前は阪神優駿牝馬が秋の開催であったため牝馬の出走も多かった。 [[1944年]]は[[太平洋戦争]](戦時中)の影響で[[投票券 (公営競技)|勝馬投票券]]の販売なしの競馬開催の中、[[能力検定競走]]として施行、[[1945年]]・[[1946年]]は太平洋戦争および終戦における[[アメリカ合衆国|アメリカ]]進駐軍の[[競馬場]]の占領により開催中止、[[1947年]]からは前年の[[10月17日]]からの国営競馬再開に伴い他のクラシック競走(桜花賞・農林省賞典・優駿牝馬・農林省賞典四歳馬)と[[天皇賞]](春・秋)とともに再開された。 [[1948年]]からは名称を'''優駿競走'''に変更、[[1949年]]からは日本競馬会の運営が[[独占禁止法]]に触れるとの声から日本競馬会の解散及び[[国営競馬]]へ移管した。 [[1950年]]からは名称を現在の「東京優駿」に変更、また「日本ダービー」という副称も付けられ正式名称を超える競馬の代名詞ともいえる認知度に至った。 [[1953年]]は本競走で初の[[日本放送協会|NHK]]による[[テレビジョン|テレビ]]中継を行った。 [[1968年]]は東京競馬場のスタンド改築工事による順延開催で[[7月7日]]に、また[[1972年]]も[[ストライキ]]や流行性の[[インフルエンザ]]の影響で[[7月9日]]に順延開催し両年の本競走は7月に施行されたことから「'''七夕ダービー'''」と呼ばれた。 [[1974年]]からは競馬関係者による不祥事などから枠順抽選が[[マスコミュニケーション|マスコミ]]に公開されるようになり、[[1984年]]からは[[競馬の競走格付け|グレード制]]施行により最高位のGIに格付けされる。[[1993年]]には[[徳仁親王]]と[[徳仁親王妃雅子|小和田雅子]]の御結婚を祝い皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられ[[1995年]]からは指定競走となり、[[地方競馬]]所属の[[競走馬]]も出走可能になった。 1995年までは5月最終週の日曜日の開催だったが[[1996年]]に[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯(現・高松宮記念)]]がGIに格付けされ開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更(それに伴って優駿牝馬(オークス)が5月最終日曜に繰り下げ)した。しかし[[2000年]]に高松宮記念の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、本競走の開催は元の5月最終週の日曜日に戻った。 [[2001年]]からは[[外国産馬]]の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になり、[[2005年]]からは[[青葉賞]]での優先出走権の取得を設けたことにより上位4頭に拡大され[[2006年]]はさらに上位5頭までに拡大された。これにより[[クロフネ]]や[[シンボリクリスエス]]といった後に日本を代表する外国産馬も出走したが2007年までにまだ外国産馬から優勝馬は出ておらず、[[2002年]]にシンボリクリスエスが2着に入ったのが最高成績である。 中央競馬が誇る[[八大競走]]の1競走で皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成し牡馬のクラシック三冠競走として皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われ東京優駿は「'''最も幸運な馬が勝つ'''」という謳い文句がある。更には桜花賞・皐月賞のどちらかと[[NHKマイルカップ]]を合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。 事実上日本の3歳(旧4歳)の最強馬決定戦であり、日本の全ての[[ホースマン]]が憧れる最高の舞台である。騎手にとってはこの東京優駿を制すと晴れて[[ダービージョッキー]]の仲間入りを果たすことが出来る。 出走資格は[[サラブレッド系種|サラ系]]3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(総収得金額上位3頭又は青葉賞で優先出走権を得た外国産馬)及び優先出走権を得た地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(最大8頭まで)、出走枠は18頭まで。ただし東京優駿優先出走権取得馬(最大9頭)が優先で出走でき、残りの枠(最低9枠)は収得賞金の金額上位馬が出走できるが同額の馬が複数いる場合は抽選で出走馬が決まる。 負担重量は定量で牡馬は57キロ、牝馬は55キロである。 2006年において総額賞金は2億8,600万円で1着賞金1億5,000万円、2着賞金6,000万円、3着賞金3,800万円、4着賞金2,300万円、5着賞金1,500万円と定められている。[[1973年]]まではこのダービーが日本競馬での最高賞金額であったが1974年からは[[天皇賞]]、[[1981年]]からは[[ジャパンカップ]]、1987年からは[[宝塚記念]]も同じ賞金額となり現在はジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)、[[有馬記念]](同1億8000万円)に次いで3番目に高い賞金額となっている。 現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。 == トライアル競走 == 以下は東京優駿の優先出走権の得られる競走。 {| class="wikitable" !!!競走名!!格付!!施行競馬場!!施行距離!!備考 |- |1||[[皐月賞]]||GI||[[中山競馬場]]||芝2000m||牡馬牝馬限定・指定競走 |- |2||[[青葉賞]]||GII||東京競馬場||芝2400m||混合競走・指定競走 |- |3||[[プリンシパルステークス]]||OP||東京競馬場||芝2000m||指定競走 |} 皐月賞は4着まで(内国産馬、外国産馬問わず)、青葉賞は3着までの牡馬、牝馬(内国産馬、外国産馬問わず)、プリンシパルステークスは2着までの牡馬、牝馬(外国産馬はプリンシパルステークスに出走できない)に優先出走権が与えられる。 地方馬は上記の競走で優先出走権を得た馬のほか、[[京都新聞杯]]の2着までに入った馬のみ出走できる。 == 歴史 == [[画像:Tokyo Yushun(Japanese Derby)19320423.jpg|thumb|200px|1932年の第1回東京優駿大競走(右・[[ワカタカ]] 左・オオツカヤマ)]] * [[1932年]] - 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の定量の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。 * [[1934年]] - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。シアンモアが種牡馬として初の連覇。 * [[1936年]] - 単勝5番人気の[[トクマサ]]が優勝、同競走史上初の単勝払戻し限度額200円の配当を記録。 * [[1937年]] - [[ヒサトモ]]が牝馬として史上初の制覇。2着サンダーランドも牝馬。 * [[1938年]] - 名称を「東京優駿競走」に変更。 * [[1939年]] - 中山四歳牝馬特別・横濱農林省賞典四歳呼馬・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典四歳呼馬と共にクラシック競走体系を確立。 * [[1943年]] - [[クリフジ]]が牝馬として2頭目の制覇。 * [[1944年]] - [[能力検定競走]]として施行(馬券発売なし・観客は少数の[[軍人]]と馬主など関係者のみ)。 * [[1945年]] - 太平洋戦争の戦況激化により中止。 * [[1946年]] - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。 * [[1947年]] - マツミドリが優勝、父・カブトヤマ(第2回)との史上初の父仔制覇を果たした。 * [[1948年]] - 名称を「優駿競走」に変更。 * [[1949年]] ** 単勝19番人気の[[タチカゼ]]が優勝、単勝5万5430円の史上最高額の払い戻しを記録。 ** 激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。 * [[1950年]] ** 名称を「東京優駿」に変更。 ** 日本ダービーの副称が付く。 * [[1953年]] ** 史上最多の33頭が出走する。 ** 日本放送協会(NHK)によるテレビ中継が始まる。 * [[1954年]] - 元地方[[大井競馬場|大井]]所属の[[ゴールデンウエーブ]]が優勝。 * [[1956年]] - 1コーナーで俗に言う「エンメイ事故」が起きる。馬主であった作家の[[吉川英治]]はエンメイの死と鞍上の阿部正太郎の騎手生命を絶たれる瀕死の重傷に大きなショックを受け、程なく競馬界から身を退く。 * [[1958年]] ** 当時の[[内閣総理大臣]]・[[岸信介]]が観戦。 ** 元地方大井所属の[[ダイゴホマレ]]が優勝。 * [[1960年]] ** 前年の[[9月1日]]から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 ** [[競馬場#発馬機|バリヤー式スタート]]による発走は本年まで。 * [[1961年]] - [[スターティングゲート]]の採用により出走可能頭数を32頭に設定する。 * [[1969年]] ** 1番人気[[タカツバキ]]に騎乗した[[嶋田功]]が発走直後に落馬。 ** [[ダイシンボルガード]]の[[厩務員]]がコースに乱入。 ** 優勝騎手の[[大崎昭一]]が競馬ファンに[[胴上げ]]される珍事。 * [[1972年]] - [[ストライキ]]及び流行性の[[馬インフルエンザ]]による関東地区中央競馬開催中止の影響により[[7月9日]]に順延開催。 * [[1974年]] ** 枠順抽選がマスコミに公開される。 ** シード制施行により[[キタノカチドキ]]が本競走で最初の[[単枠指定]]適用馬となる。 * [[1984年]] - グレード制施行によりGIに格付けされる。 * [[1986年]] - 出走可能頭数を28頭から24頭に削減する。 * [[1988年]] - 馬名入りゼッケンが採用される(前年[[1987年]]秋より[[ジャパンカップ]]以外のGIにも馬名入りゼッケンの拡大を行うことによるもの)。 * [[1989年]] ** [[ウィナーズサークル]]が[[茨城県]]産馬及び[[馬の毛色#芦毛|芦毛]]馬として初制覇。 ** 1着の賞金総額が初めて1億円台(1億300万円)に到達する。 * [[1990年]] ** 出走可能頭数を22頭に変更。 ** 世界最高となる入場者数19万6571人を記録する<ref>JRAの競馬場においては再入場する際には新たに入場券が必要となること(地方競馬では再入場する際は退場時に再入場券を取得すれば新たに入場券を購入する必要はない)、また東京優駿発走前に退場したものも少なからずいるため、東京優駿発走時に19万人が競馬場に滞留していたわけではないことに留意すべきである。</ref>。 * [[1991年]] ** 出走可能頭数を20頭に変更。 ** 入場券が前売り販売のみとなる(前年の19万人動員をきっかけに入場者の混雑防止を図る観点から。その後他の主要GI競走でも行われた)。 *** その後[[2002年]]からは前売入場券を入手できなかった者でも開門30分を過ぎると一般入場券または回数入場券で入場できるようになったが、記念入場券の前売り制度自体は[[2006年]]まで続いた。 * [[1992年]] - 出走可能頭数を18頭に削減する。 * [[1993年]] - 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。 * [[1995年]] - 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。 * [[1999年]] - [[武豊]]が[[騎手]]として史上初の連覇(2勝騎手は当時の歴代タイ記録)。 * [[2001年]] ** [[馬齢]]表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。 ** 外国産馬の出走枠を最大2頭設ける。 * [[2002年]] - 当時の内閣総理大臣[[小泉純一郎]]が観戦。武豊が歴代新記録の当競走3勝目。 * [[2003年]] - [[ミルコ・デムーロ]]が外国人騎手として史上初の優勝。 * [[2004年]] ** [[安藤勝己]]が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。 ** [[コスモバルク]]が地方競馬所属馬として史上初の出走(8着)。 * [[2005年]] - 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。武豊騎手当競走4勝目で新記録更新。 * [[2006年]] - 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。 * [[2007年]] ** [[国際セリ名簿基準委員会]](ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。 ** 記念入場券の前売販売を廃止し(フジビュースタンドの完成にともない観覧スペースが十二分に取れたことによる)、当日発売のみになる。 ** [[徳仁親王|皇太子]]がレースを台覧。 ** 内閣総理大臣・[[安倍晋三]]が観戦。 ** [[ウオッカ]]が牝馬として3頭目の制覇。 * [[2008年]] ** 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。 ** 当年のみ、[[投票券 (公営競技)|JRAプレミアム]]の対象競走となる。 ** [[四位洋文]]が[[騎手]]として2人目の連覇を果たすと共に騎手として史上初めて牡馬、牝馬の両方で制覇。 * [[2009年]] ** 当時の内閣総理大臣[[麻生太郎]]が観戦。 ** [[ロジユニヴァース]]が優勝し、父:[[ネオユニヴァース]]に継ぐ史上6頭目の父子制覇。 * [[2010年]] - [[国際競走]]に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付表記が[[2006年]]以来4年ぶりにGIに戻る。 * [[2011年]] ** [[東日本大震災]]の影響による薄暮開催の中止に伴い、当競走の競走番号を第10競走から第11競走に変更。当競走が創設されて以来、初めて第11競走で行われた。 ** [[アラブ首長国連邦]]副大統領兼首相・[[ドバイ]]首長の[[ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム]](H.H.シェイク・モハメド)が出走馬デボネアの馬主としてレースを台覧<ref>[http://jra.jp/news/201105/052705.html モハメド殿下が日本ダービー(GI)当日に東京競馬場にご来場] - JRA公式サイト [[2011年]][[6月4日]]閲覧</ref>。 ** 東京優駿としては史上初めて1着から3着までの馬主が[[一口馬主|クラブ法人]]になる<ref>優勝馬[[オルフェーヴル]]が[[サンデーレーシング]]、2着馬[[ウインバリアシオン]]が[[ウイン|ウインレーシングクラブ]]、3着馬[[ベルシャザール]]が[[社台レースホース]]</ref>。 ** 出走馬すべてが[[サンデーサイレンス]]直系の孫となった。 * [[2012年]] - [[ディープブリランテ]]が優勝し、父:[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]に継ぐ史上7頭目の父子制覇。 * [[2013年]] - 1着賞金が2億円に増額される。 === 歴代優勝馬 === {| class="wikitable" !回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主 |- |style="text-align:center"|第1回||[[1932年]][[4月24日]]||[[ワカタカ]]||牡3||2:45 2/5||[[函館孫作]]||東原玉造||乾鼎一 |- |style="text-align:center"|第2回||[[1933年]][[4月23日]]||[[カブトヤマ]]||牡3||2:41 0/5||[[大久保房松]]||大久保房松||前川道平 |- |style="text-align:center"|第3回||[[1934年]][[4月22日]]||[[フレーモア]]||牡3||2:45 2/5||[[大久保亀治]]||[[尾形藤吉|尾形景造]]||土田荘助 |- |style="text-align:center"|第4回||[[1935年]][[4月29日]]||[[ガヴアナー]]||牡3||2:42 1/5||[[井川為男]]||布施季三||高橋錬逸 |- |style="text-align:center"|第5回||[[1936年]]4月29日||[[トクマサ]]||牡3||2:42 1/5||[[伊藤正四郎]]||尾形景造||山中清兵衛 |- |style="text-align:center"|第6回||[[1937年]]4月29日||[[ヒサトモ]]||牝3||2:33 3/5||[[中島時一]]||中島時一||宮崎信太郎 |- |style="text-align:center"|第7回||[[1938年]][[5月29日]]||[[スゲヌマ]]||牡3||2:33 2/5||[[中村広]]||中村広||千明賢治 |- |style="text-align:center"|第8回||[[1939年]][[5月28日]]||[[クモハタ]]||牡3||2:36 1/5||[[阿部正太郎]]||田中和一郎||加藤雄策 |- |style="text-align:center"|第9回||[[1940年]][[6月2日]]||[[イエリユウ]]||牡3||2:34 2/5||[[末吉清]]||石門虎吉||石田一 |- |style="text-align:center"|第10回||[[1941年]][[5月18日]]||[[セントライト]]||牡3||2:40 1/5||[[小西喜蔵]]||田中和一郎||加藤雄策 |- |style="text-align:center"|第11回||[[1942年]][[5月24日]]||[[ミナミホマレ]]||牡3||2:33 0/5||[[佐藤邦雄]]||東原玉造||池得次 |- |style="text-align:center"|第12回||[[1943年]][[6月6日]]||[[クリフジ]]||牝3||2:31 4/5||[[前田長吉]]||尾形景造||栗林友二 |- |style="text-align:center"|第13回||[[1944年]][[6月18日]]||[[カイソウ]]||牡3||2:39 1/5||[[橋本輝雄]]||[[久保田金造]]||有松鉄三 |- |style="text-align:center"|第14回||[[1947年]][[6月8日]]||[[マツミドリ]]||牡3||2:35 0/5||[[田中康三]]||茂木為二郎||松末博光 |- |style="text-align:center"|第15回||[[1948年]]6月6日||[[ミハルオー]]||牡3||2:33 2/5||[[新屋幸吉]]||上村大治郎||石川了吉 |- |style="text-align:center"|第16回||[[1949年]][[6月5日]]||[[タチカゼ]]||牡3||2:33 4/5||[[近藤武夫]]||伊藤勝吉||熊谷八郎 |- |style="text-align:center"|第17回||[[1950年]][[6月11日]]||[[クモノハナ]]||牡3||2:44 2/5||橋本輝雄||鈴木勝太郎||北竹清剛 |- |style="text-align:center"|第18回||[[1951年]][[6月3日]]||[[トキノミノル]]||牡3||2:31 1/5||[[岩下密政]]||田中和一郎||[[永田雅一]] |- |style="text-align:center"|第19回||[[1952年]][[5月25日]]||[[クリノハナ]]||牡3||2:31 4/5||[[八木沢勝美]]||尾形藤吉||栗林友二 |- |style="text-align:center"|第20回||[[1953年]]5月24日||[[ボストニアン]]||牡3||2:34 3/5||[[蛯名武五郎]]||増本勇||岡本治一 |- |style="text-align:center"|第21回||[[1954年]][[5月23日]]||[[ゴールデンウエーブ]]||牡3||2:34 4/5||岩下密政||[[藤本冨良]]||川俣欣也 |- |style="text-align:center"|第22回||[[1955年]]5月29日||[[オートキツ]]||牡3||2:36 3/5||[[二本柳俊夫]]||大久保房松||川口鷲太郎 |- |style="text-align:center"|第23回||[[1956年]]6月3日||[[ハクチカラ]]||牡3||2:36 1/5||[[保田隆芳]]||尾形藤吉||西博 |- |style="text-align:center"|第24回||[[1957年]][[5月26日]]||[[ヒカルメイジ]]||牡3||2:31 0/5||蛯名武五郎||藤本冨良||新田松江 |- |style="text-align:center"|第25回||[[1958年]]5月25日||[[ダイゴホマレ]]||牡3||2:31 1/5||[[伊藤竹男]]||久保田金造||醍醐幸右衛門 |- |style="text-align:center"|第26回||[[1959年]][[5月24日]]||[[コマツヒカリ]]||牡3||2:38 1/5||[[古山良司]]||大久保房松||小松重雄 |- |style="text-align:center"|第27回||[[1960年]]5月29日||[[コダマ (競走馬)|コダマ]]||牡3||2:30.7||[[栗田勝]]||[[武田文吾]]||伊藤由五郎 |- |style="text-align:center"|第28回||[[1961年]]5月28日||[[ハクシヨウ]]||牡3||2:30.2||保田隆芳||尾形藤吉||西博 |- |style="text-align:center"|第29回||[[1962年]][[5月27日]]||[[フエアーウイン]]||牡3||2:31.2||[[高橋英夫 (調教師)|高橋英夫]]||[[松山吉三郎]]||溝本儀三男 |- |style="text-align:center"|第30回||[[1963年]]5月26日||[[メイズイ]]||牡3||2:28.7||[[森安重勝]]||尾形藤吉||千明康 |- |style="text-align:center"|第31回||[[1964年]][[5月31日]]||[[シンザン]]||牡3||2:28.8||栗田勝||武田文吾||橋元幸吉 |- |style="text-align:center"|第32回||[[1965年]][[5月30日]]||[[キーストン]]||牡3||2:37.5||[[山本正司]]||松田由太郎||伊藤由五郎 |- |style="text-align:center"|第33回||[[1966年]]5月29日||[[テイトオー]]||牡3||2:31.1||[[清水久雄]]||増本勇||北村平三郎 |- |style="text-align:center"|第34回||[[1967年]][[5月14日]]||[[アサデンコウ]]||牡3||2:30.9||[[増沢末夫]]||藤本冨良||手塚栄一 |- |style="text-align:center"|第35回||[[1968年]][[7月7日]]||[[タニノハローモア]]||牡3||2:31.1||[[宮本悳]]||[[戸山為夫]]||谷水信夫 |- |style="text-align:center"|第36回||[[1969年]]5月25日||[[ダイシンボルガード]]||牡3||2:35.1||[[大崎昭一]]||柴田寛||高橋金次 |- |style="text-align:center"|第37回||[[1970年]]5月24日||[[タニノムーティエ]]||牡3||2:30.0||[[安田伊佐夫]]||島崎宏||谷水信夫 |- |style="text-align:center"|第38回||[[1971年]][[6月13日]]||[[ヒカルイマイ]]||牡3||2:31.6||[[田島良保]]||谷八郎||鞆岡達雄 |- |style="text-align:center"|第39回||[[1972年]][[7月9日]]||[[ロングエース]]||牡3||2:28.6||[[武邦彦]]||松田由太郎||中井長一 |- |style="text-align:center"|第40回||[[1973年]]5月27日||[[タケホープ]]||牡3||2:27.8||[[嶋田功]]||[[稲葉幸夫]]||近藤たけ |- |style="text-align:center"|第41回||[[1974年]]5月26日||[[コーネルランサー]]||牡3||2:27.4||[[中島啓之]]||勝又忠||久保谷唯三 |- |style="text-align:center"|第42回||[[1975年]]5月25日||[[カブラヤオー]]||牡3||2:28.0||[[菅原泰夫]]||茂木為二郎||加藤よし子 |- |style="text-align:center"|第43回||[[1976年]]5月30日||[[クライムカイザー]]||牡3||2:27.6||[[加賀武見]]||佐藤嘉秋||(有)三登 |- |style="text-align:center"|第44回||[[1977年]]5月29日||[[ラッキールーラ]]||牡3||2:28.7||[[伊藤正徳 (調教師)|伊藤正徳]]||尾形藤吉||吉原貞敏 |- |style="text-align:center"|第45回||[[1978年]]5月28日||[[サクラショウリ]]||牡3||2:27.8||[[小島太]]||久保田彦之||[[さくらコマース|(株)さくらコマース]] |- |style="text-align:center"|第46回||[[1979年]]5月27日||[[カツラノハイセイコ]]||牡3||2:27.3||[[松本善登]]||庄野穂積||桂土地(株) |- |style="text-align:center"|第47回||[[1980年]]5月25日||[[オペックホース]]||牡3||2:27.8||[[郷原洋行]]||佐藤勇||ホース産業(株) |- |style="text-align:center"|第48回||[[1981年]]5月31日||[[カツトップエース]]||牡3||2:28.5||大崎昭一||菊池一雄||勝本正男 |- |style="text-align:center"|第49回||[[1982年]]5月30日||[[バンブーアトラス]]||牡3||2:26.5||[[岩元市三]]||布施正||竹田辰一 |- |style="text-align:center"|第50回||[[1983年]]5月29日||[[ミスターシービー]]||牡3||2:29.5||[[吉永正人]]||[[松山康久]]||[[千明牧場]] |- |style="text-align:center"|第51回||[[1984年]]5月27日||[[シンボリルドルフ]]||牡3||2:29.3||[[岡部幸雄]]||[[野平祐二]]||[[シンボリ牧場]] |- |style="text-align:center"|第52回||[[1985年]]5月26日||[[シリウスシンボリ]]||牡3||2:31.0||[[加藤和宏 (JRA)|加藤和宏]]||[[二本柳俊夫]]||[[和田共弘]] |- |style="text-align:center"|第53回||[[1986年]]5月25日||[[ダイナガリバー]]||牡3||2:28.9||増沢末夫||松山吉三郎||[[社台レースホース|(有)社台レースホース]] |- |style="text-align:center"|第54回||[[1987年]]5月31日||[[メリーナイス]]||牡3||2:27.8||[[根本康弘]]||橋本輝雄||浦房子 |- |style="text-align:center"|第55回||[[1988年]]5月29日||[[サクラチヨノオー]]||牡3||2:26.3||小島太||[[境勝太郎]]||(株)さくらコマース |- |style="text-align:center"|第56回||[[1989年]]5月28日||[[ウィナーズサークル]]||牡3||2:28.8||郷原洋行||松山康久||栗山博 |- |style="text-align:center"|第57回||[[1990年]]5月27日||[[アイネスフウジン]]||牡3||2:25.3||[[中野栄治]]||加藤修甫||小林正明 |- |style="text-align:center"|第58回||[[1991年]]5月26日||[[トウカイテイオー]]||牡3||2:25.9||[[安田隆行]]||[[松元省一]]||内村正則 |- |style="text-align:center"|第59回||[[1992年]]5月31日||[[ミホノブルボン]]||牡3||2:27.8||[[小島貞博]]||戸山為夫||(株)ミホノインターナショナル |- |style="text-align:center"|第60回||[[1993年]]5月30日||[[ウイニングチケット]]||牡3||2:25.5||[[柴田政人]]||[[伊藤雄二]]||太田美實 |- |style="text-align:center"|第61回||[[1994年]]5月29日||[[ナリタブライアン]]||牡3||2:25.7||[[南井克巳]]||[[大久保正陽]]||[[山路秀則]] |- |style="text-align:center"|第62回||[[1995年]]5月28日||[[タヤスツヨシ]]||牡3||2:27.3||小島貞博||[[鶴留明雄]]||横瀬寛一 |- |style="text-align:center"|第63回||[[1996年]]6月2日||[[フサイチコンコルド]]||牡3||2:26.1||[[藤田伸二]]||[[小林稔 (調教師)|小林稔]]||[[関口房朗]] |- |style="text-align:center"|第64回||[[1997年]][[6月1日]]||[[サニーブライアン]]||牡3||2:25.9||[[大西直宏]]||[[中尾銑治]]||宮崎守保 |- |style="text-align:center"|第65回||[[1998年]][[6月7日]]||[[スペシャルウィーク]]||牡3||2:25.8||[[武豊]]||[[白井寿昭]]||[[臼田浩義]] |- |style="text-align:center"|第66回||[[1999年]]6月6日||[[アドマイヤベガ]]||牡3||2:25.3||武豊||[[橋田満]]||[[近藤利一]] |- |style="text-align:center"|第67回||[[2000年]]5月28日||[[アグネスフライト]]||牡3||2:26.2||[[河内洋]]||[[長浜博之]]||[[渡辺孝男 (馬主)|渡辺孝男]] |- |style="text-align:center"|第68回||[[2001年]]5月27日||[[ジャングルポケット]]||牡3||2:27.0||[[角田晃一]]||[[渡辺栄]]||[[齊藤四方司]] |- |style="text-align:center"|第69回||[[2002年]]5月26日||[[タニノギムレット]]||牡3||2:26.2||武豊||[[松田国英]]||[[谷水雄三]] |- |style="text-align:center"|第70回||[[2003年]]6月1日||[[ネオユニヴァース]]||牡3||2:28.5||[[ミルコ・デムーロ|M.デムーロ]]||[[瀬戸口勉]]||(有)社台レースホース |- |style="text-align:center"|第71回||[[2004年]]5月30日||[[キングカメハメハ]]||牡3||2:23.3||[[安藤勝己]]||松田国英||[[金子真人]] |- |style="text-align:center"|第72回||[[2005年]]5月29日||[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]||牡3||2:23.3||武豊||[[池江泰郎]]||金子真人 |- |style="text-align:center"|第73回||[[2006年]]5月28日||[[メイショウサムソン]]||牡3||2:27.9||[[石橋守]]||瀬戸口勉||[[松本好雄]] |- |style="text-align:center"|第74回||[[2007年]]5月27日||[[ウオッカ]]||牝3||2:24.5||[[四位洋文]]||[[角居勝彦]]||谷水雄三 |- |style="text-align:center"|第75回||[[2008年]]6月1日||[[ディープスカイ]]||牡3||2:26.7||四位洋文||[[昆貢]]||[[深見敏男]] |- |style="text-align:center"|第76回||[[2009年]]5月31日||[[ロジユニヴァース]]||牡3||2:33.7||[[横山典弘]]||[[萩原清]]||[[久米田正明]] |- |style="text-align:center"|第77回||[[2010年]]5月30日||[[エイシンフラッシュ]]||牡3||2:26.9||[[内田博幸]]||[[藤原英昭]]||[[平井豊光]] |- |style="text-align:center"|第78回||[[2011年]]5月29日||[[オルフェーヴル]]||牡3||2:30.5||[[池添謙一]]||[[池江泰寿]]||[[サンデーレーシング|(有)サンデーレーシング]] |- |style="text-align:center"|第79回||[[2012年]]5月27日||[[ディープブリランテ]]||牡3||2:23.8||[[岩田康誠]]||[[矢作芳人]]||(有)サンデーレーシング |- |style="text-align:center"|第80回||[[2013年]]5月26日||[[キズナ (競走馬)|キズナ]]||牡3||2:24.3||武豊||[[佐々木晶三]]||前田晋二 |- |style="text-align:center"|第81回||[[2014年]]6月1日||[[ワンアンドオンリー]]||牡3||2:24.6||横山典弘||[[橋口弘次郎]]||[[前田幸治]] |- |style="text-align:center"|第82回||[[2015年]]5月31日||[[ドゥラメンテ]]||牡3||2:23.2||M.デムーロ||[[堀宣行]]||(有)サンデーレーシング |- |style="text-align:center"|第83回||[[2016年]]5月29日||[[マカヒキ]]||牡3||2:24.0||[[川田将雅]]||[[友道康夫]]||金子真人ホールディングス(株) |} == 東京優駿の記録 == * レースレコード - 2:23.3(第71回優勝馬キングカメハメハ・第72回優勝馬ディープインパクト) * 2着との最大着差 - 8馬身(第10回優勝馬セントライト・第22回優勝馬オートキツ) * 最高出走数 - 33頭(第20回) * 単勝最高支持率 - 73.4%(第72回ディープインパクト・単勝1.1倍) * 単勝最低支持率勝利 - 72票(第16回優勝馬タチカゼ・単勝554.3倍・19番人気) * 東京競馬場の1日の総観客動員数 - 19万6571人(競馬の総観客動員数世界最高記録・第57回) * 東京競馬場の1競走の勝馬投票券最高売上げ - 567億8692万400円(第57回) * 最多勝利調教師 - 尾形藤吉(旧名・景造) 8勝(第3・5・12・19・23・28・30・44回) * 最多勝利騎手 - 武豊 4勝(第65・66・69・72回) * 最年少勝利騎手 - 前田長吉 20歳3ヶ月(第12回) * 最多勝利種牡馬 - [[トウルヌソル]] 6勝(第1回ワカタカ、第5回トクマサ、第6回ヒサトモ、第8回クモハタ、第9回イエリユウ、第12回クリフジ)、[[サンデーサイレンス]] 6勝(第62回タヤスツヨシ、第65回スペシャルウィーク、第66回アドマイヤベガ、第67回アグネスフライト、第70回ネオユニヴァース、第72回ディープインパクト) === 史上初あれこれ === * 牝馬 ヒサトモ(第6回) * 父持込馬 カイソウ(第13回) * 公営出身馬 ゴールデンウエーブ(第21回) * 持込馬 ヒカルメイジ(第24回) * 1競走の勝馬投票券売上げ100億円初突破 118億7436万円(第41回) * 連覇した騎手 武豊(第65・66回) * 3勝以上した騎手 武豊(第65・66・69・72回) * 外国人騎手による制覇 ミルコ・デムーロ(第70回) * 所有馬が連覇した馬主 金子真人(第71・72回) === 父仔制覇 === 「'''ダービー馬はダービー馬から'''(生まれる)」と言う競馬界での有名な[[格言]]があるが、過去に実現させているのは5組の父仔である。 {| class="wikitable" !組!!父馬名!!優勝回!!仔馬名!!優勝回 |- |1組目||カブトヤマ||第2回||マツミドリ||第14回 |- |2組目||ミナミホマレ||第11回||ゴールデンウエーブ||第21回 |- |3組目||ミナミホマレ||第11回||ダイゴホマレ||第25回 |- |4組目||シンボリルドルフ||第51回||トウカイテイオー||第58回 |- |5組目||タニノギムレット||第69回||ウオッカ||第74回 |} 1~4組目は'''父'''と'''息子'''との組み合わせだが5組目のタニノギムレット - ウオッカは'''父'''と'''娘'''との組み合わせであり、この組み合わせは史上初のことである。 === 兄弟制覇 === 過去に2組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。 {| class="wikitable" !組!!兄馬名!!優勝回!!弟馬名!!優勝回!!母馬名 |- |1組目||カブトヤマ||第2回||ガヴアナー||第4回||アストラル |- |2組目||ヒカルメイジ||第24回||コマツヒカリ||第26回||イサベリーン |} なお、1組目のカブトヤマとガヴアナーは父馬も同じ全兄弟である。 === デビューから無敗制覇 === 過去に10頭がデビューから無敗で東京優駿を制覇しているが、ガヴアナー、トキノミノルは東京優駿後は不出走。クリフジは11戦無敗を保った。 {| class="wikitable" !!!優勝回!!馬名!!東京優駿<br/>終了時の成績!!生涯成績 |- |style="text-align:center"|1||第3回||フレーモア||3戦3勝||13戦7勝 |- |style="text-align:center"|2||第4回||ガヴアナー||3戦3勝||3戦3勝 |- |style="text-align:center"|3||第12回||クリフジ||3戦3勝||11戦11勝 |- |style="text-align:center"|4||第18回||トキノミノル||10戦10勝||10戦10勝 |- |style="text-align:center"|5||第27回||コダマ||7戦7勝||17戦12勝 |- |style="text-align:center"|6||第51回||シンボリルドルフ||6戦6勝||16戦13勝 |- |style="text-align:center"|7||第58回||トウカイテイオー||6戦6勝||12戦9勝 |- |style="text-align:center"|8||第59回||ミホノブルボン||6戦6勝||8戦7勝 |- |style="text-align:center"|9||第63回||フサイチコンコルド||3戦3勝||5戦3勝 |- |style="text-align:center"|10||第72回||ディープインパクト||5戦5勝||14戦12勝 |} === 本競走からの菊花賞の制覇 === [[二冠馬#日本の牡馬二冠馬|日本の牡馬二冠馬]]を参照。 == エピソード == * 競馬における東京優駿の位置づけは特別である。皐月賞など他のレースはスタンド改築などにより他の競馬場で代替開催されることはあるが、東京優駿は第3回に目黒の競馬場から現在の府中の東京競馬場への移転によるコース変更があっただけで他の競馬場での代替開催は一切行われたことがない。過去に東京競馬場のスタンド改修などがあった時にも時期をずらして施行されている。また、近年は東京競馬場の改修工事を東京優駿の開催は変更しない前提で日程を組んでいる。これは7大原則の7の「以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること」に基づいているからである。 ** このため[[1968年]](スタンド改修よる開催延期)と[[1972年]]([[馬インフルエンザ]]蔓延で関東での開催が一時中止になったうえに厩務員ストライキも行われた為)に関しては本来の5月に[[皐月賞]]が行われ、ダービーは[[7月]]に開催時期を延期しており「七夕ダービー」といわれる。 * 最年少勝利騎手は第12回を優勝した[[前田長吉]]の20歳3か月。日本中央競馬会成立以後に限ると、第38回を優勝した[[田島良保]]の23歳7か月。 * フルゲートが20頭代後半(1970年代で概ね28頭。多い年は30頭を超すこともあった)であった[[1990年]]頃までは[[テレビ]]によく映るからとの理由で距離がもたないと分かりながらも[[脚質#大逃げ|大逃げ]]を打つ'''テレビ馬'''と呼ばれる馬が存在した。そのため東京優駿は概ねハイペースとなった。また、その頃まで第1コーナーに入る時点での10番手以内は「ダービーポジション」と呼ばれ、大外枠(8枠)は勝てないという至極真っ当な[[ジンクス]]もあった。そのジンクスが破られたのはフルゲートが20頭となった1991年で、この年の勝ち馬トウカイテイオーの枠番は8枠20番だった(1992年からは馬番連勝複式勝馬投票券の導入に伴う法令上の都合から出走頭数制限がなされ、最大18頭までの出走となる)。 * 本競走の優勝馬の中にはその後故障による早期引退や成績不振に喘いでいる馬が多いのに対し(1990年以降、古馬になってからもGI競走を制したのは[[トウカイテイオー]]・[[スペシャルウィーク]]・[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]・[[メイショウサムソン]]の4頭のみ)、2着入賞馬はその後1着馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。1990-[[2004年]]の2着入賞馬15頭のうち実に13頭がその後GI競走を制しており、[[ライスシャワー]]・[[ビワハヤヒデ]]・[[ナリタトップロード]]・[[シンボリクリスエス]]・[[ゼンノロブロイ]]・[[ハーツクライ]]などが名を連ねている。 * 例年、東京優駿の[[ファンファーレ]]、[[表彰式]]の演奏は[[陸上自衛隊]]中央音楽隊が担当している(他にも[[ジャパンカップ]]や年度にもよるが[[有馬記念]]でも同様に演奏を担当している場合がある)。なお、ファンファーレは競走の出走可能頭数と同じ18人で演奏する。 * 中央競馬の3歳クラシック競走ではゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り一般競走と同様の白地に黒の数字のものを用いる。ただし一般競走のそれと異なり、金糸による縁取りが施されている。また、馬番の下に記載されるものはスタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは紺地に白色の数字を用いたものである。また、馬名が併記されるようになったのは1988年以降である(それまでは馬名入りゼッケンはジャパンカップ(1983年の第3回より使用)のみであった)。 * 競走馬輸送を行う[[日本馬匹輸送自動車]]は[[馬運車]]に東京優駿の歴代優勝馬の名前をつけている(最近は名前が足りなくなり[[顕彰馬]]の名前をつけているものもある)。 * 中央競馬ではほとんどのGI・JpnI競走は第11競走で施行される<ref>1日の競走数が12にほぼ固定されるようになった[[1998年]]以降。</ref>が、東京優駿当日は全体の競走数ならびにメインとなる本競走の競走番号が他の競走と異なる<ref>他にジャパンカップ(第10競走)と有馬記念(第9競走)開催日は競走数が少ない。</ref>。1989~2001年までは当日は全部で10競走、東京優駿は第9競走で行われていた。2002年からは全体で1競走増加し当日は11競走行われ、東京優駿は第10競走で行われていた。2006年からは東京優駿当日、[[薄暮競走]]を行い最終競走に[[目黒記念]]を実施しているためレース当日は全体で12競走行われるが東京優駿は'''第10競走'''で行われる。通常の日程と勘違いして[[投票券 (公営競技)|勝馬投票券]]を第11競走のものを購入してしまう観客も度々見られる。購入の際には注意が必要である。また馬券を発売している施設では注意喚起の放送が繰り返される。 * 2005年までの段階でデビュー戦を[[小倉競馬場]]で迎えた競走馬が東京優駿を制した例は無かったが、2006年の本競走において[[メイショウサムソン]]が小倉デビューの競走馬として史上初めて優勝した。 * 2007年現在、クラシック競走で唯一連覇した調教師がいない。本競走を8勝した尾形藤吉でさえ成し得なかった。 * 2006年12月、1997年に[[サニーブライアン]]で制した[[大西直宏]]が騎手から引退したことにより美浦トレーニングセンターに所属する現役ダービージョッキーが皆無となった<ref>1998年以降10年連続で栗東トレーニングセンター所属の騎手(2003年優勝[[ミルコ・デムーロ|M.デムーロ]]もその当時は関西から参戦)が勝利している。[[大西直宏]]以前は1993年の[[柴田政人]]。</ref>。美浦トレーニングセンター、またそれ以前の競馬場に厩舎が所属していた時代も含めて関東圏に籍を置く現役ダービージョッキーが不在になるという事態は日本近代競馬のクラシック路線の成立後、史上初の事態である。 == 地方競馬の「ダービー」 == 地方競馬でもダービーを範した競走がある。地区内での中央競馬の東京優駿と同等の機能を持った競走に設定されている。 競走名などは2007年度のものに従う。 {| class="wikitable" !競走名!!格付!!施行競馬場!!施行距離!!備考 |- |[[北海優駿]](ダービー)||北海道H1||[[旭川競馬場]]||[[ダート]]1600m||2007年[[ダービーWeek]]参加<br />[[三冠 (競馬)#北海道三冠|北海道三冠]]第2戦 |- |[[ばんえいダービー]]||ばんえいBG1||[[帯広競馬場]]||ダート200m||[[ばんえい競走]]<br />[[三冠 (競馬)#ばんえい三冠|ばんえい三冠]]第3戦 |- |[[ダイヤモンドカップ|岩手ダービーダイヤモンドカップ]]||重賞||[[盛岡競馬場]]||ダート2000m||2007年ダービーWeek参加 |- |[[ダービーグランプリ]]||統一JpnI||[[盛岡競馬場]]||ダート2000m||- |- |[[ジャパンダートダービー]]||統一JpnI||[[大井競馬場]]||ダート2000m||[[三冠 (競馬)#南関東三冠|南関東三冠]]第3戦 |- |[[東京ダービー]]||南関東S1||大井競馬場||ダート2000m||2007年ダービーWeek参加<br />南関東三冠第2戦 |- |[[東海ダービー]]||東海SP1||[[名古屋競馬場]]||ダート1900m||2007年ダービーWeek参加 |- |[[兵庫ダービー]]||重賞||[[園田競馬場]]||ダート1870m||2007年ダービーWeek参加<br />[[三冠 (競馬)#兵庫三冠|兵庫三冠]]第1戦 |- |[[福山ダービー]]||重賞||[[福山競馬場]]||ダート1800m||2006年までは[[アングロアラブ|アラブ系]]競走 |- |[[福山アラブダービー]]||重賞||[[福山競馬場]]||ダート1800m||アラブ系競走。2007年新設<br/>[[三冠 (競馬)#福山三冠|福山三冠]]第1戦 |- |[[高知優駿|高知優駿(黒潮ダービー)]]||重賞||[[高知競馬場]]||ダート1900m||[[三冠 (競馬)#高知三冠|高知三冠]]第2戦 |- |[[九州ダービー栄城賞]]||九州KJ1||[[佐賀競馬場]]||ダート2000m||2007年ダービーWeek参加<br />[[三冠 (競馬)#九州三冠|九州三冠]]第2戦 |- |[[九州皐月賞荒尾ダービー|九州皐月賞(荒尾ダービー)]]||九州KJ3||[[荒尾競馬場]]||ダート2000m||九州三冠第1戦 |} 岩手県競馬ではダービーに位置づけられている競走は長らく[[不来方#不来方賞|不来方賞]]であったが、現在はジャパンダートダービーへの出走馬の選定戦となっている3歳重賞のダイヤモンドカップに「岩手ダービー」の冠が付けられている。これについてはダービーWeekの趣旨に対応させたことによる。 現在休止・廃止されている各地のダービー相当だった競走も数多いが、かつて園田競馬場で開催されていた[[楠賞全日本アラブ優駿]]は中央地方全国交流でアラブ系ダービーの最高峰であった。また東京優駿の直前に行われ、その結果の出目が東京優駿に連動するという時期があった。 == ダービーフェスティバル == 東京優駿の開催気運を盛り上げるために[[1983年]]から毎年開かれている日本中央競馬会主催のイベントである。 毎年、東京優駿が開催される週(原則5月最終日曜日)の月曜日に[[東京都]]内で開かれるこのイベントでは、その年の東京優駿に出走が予定されている注目馬の騎手や競馬愛好家のタレント、新聞・放送マスコミに携わる競馬ジャーナリストが一堂に会し東京優駿のレース展望会や騎手インタビュー、クイズ大会などで盛り上がっている。なお[[2005年]]度は主催者の都合により都内ではこのイベントは行わずに、東京競馬場内でのサービスの拡充に費やした。 またダービーを題材にしたイベントが主としてダービーウィークの平日を中心に全国各地で展開されており、[[新潟市]]において「ダービーフェスティバル(西暦年数)」が[[新潟競馬場]]・[[新潟放送]]の共催で毎年行われる。なお、現在イベントの形で残っているダービーフェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。[[2005年]]度は2004年の[[有馬記念#有馬記念フェスティバル|有馬記念フェスティバル]]を受けて新潟でも元JRA職員で格闘家の[[小川直也]]が招かれた。 === その他 === * 東京優駿開催に因んで[[1988年]]より東京優駿制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと東京優駿優勝馬の産駒のみが出走できるダービースタリオンズステークス(ともに準オープン)という競走が開催されていたが、ともに出走対象が激減していたために現在は廃止された。 * 現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「[[ムラサキ|むらさき]]賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[ダービーステークス#各国の「ダービー」|各国の「ダービー」]] * [[安田伊左衛門]] * [[目黒競馬場]] * [[皐月賞]] * [[菊花賞]] * [[NHKマイルカップ]] * [[青葉賞]] * [[セントライト記念]] * [[神戸新聞杯]] * [[プリンシパルステークス]] * [[京都新聞杯]] * [[ラジオNIKKEI賞]] * [[NHK杯 (競馬)]] * [[中央競馬クラシック三冠]] {{中央競馬のグレードワンレース}} {{八大レース}} [[カテゴリ:中央競馬のレース|とうきようゆうしゆん]] [[カテゴリ:日本の競馬のレース|とうきようゆうしゆん]] {{Wikipedia/Ja}}