「明石美人短大生・岡部三千代さん全裸殺人事件」の版間の差分

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2015年7月8日 (水) 11:54時点における版

明石短大生・岡部三千代さん全裸殺人事件(あかしじょしたんだいせい・おかべみちよさんぜんらさつじんじけん)とは、1989年兵庫県明石市の繁華街で女子短大生・岡部三千代さん(当時18歳)が絞殺され、全裸の遺体が路上に遺棄された殺人死体遺棄事件。

事件の経過

1989年7月23日午前3時15分ごろ、兵庫県明石市の商店街の路上で、全裸の若い女性が死んでいるのを、通行人が見つけ、110番した。死体はバンザイをするように両手をあげ、仰向けに大の字になって転がっていた。首には絞められたアザがあった。兵庫県警捜査1課と明石署が調べたところ、女性は同市内に住んでいた私立明石短期大学教養学科1年岡部三千代さん(当時18歳)で、現場近くの寿司店調理師、米田和久(当時30歳)の犯行とわかり、同日、殺人死体遺棄の疑いで逮捕した。米田は「乱暴しようとしたら抵抗されたので、殺害した」と自供している。

自供によると、米田は22日午後11時ごろ、JR西明石駅付近で、帰宅途中の岡部三千代さんに声をかけ、JR明石駅近くのスナックで一緒に酒を飲んだ。その後、岡部三千代さんを米田の勤める寿司店に誘い、閉店後の2階座敷に連れ込んで姦淫しようとしたが、抵抗されたため、午前2時過ぎに首を絞めて殺害。犯行が発覚するのを恐れて衣類を脱がせ、同店の西隣の路上に死体を捨てた、という。

凶悪犯・米田和久

米田和久は、神戸市内の中学を卒業したあと、焼き肉店店員、トラック運転手と職をかえ、昭和63年8月から犯行現場となった寿司店に勤めていた。色白のやさ男風で、仕事場では、愛想のいい板前との評判が高かったが、半面、マンション近くの住民によると日ごろから口数が少なく、顔を合わせてもあいさつしないタイブだったという。また深夜、仕事が終わったあと、酒を飲んで見知らぬ女性と連れ立って歩いていることもしばしばあったという。

  • 「朝10時に店を開けて、夜9時の閉店後にシャッターを閉めるのは、いつも米田でした。だから米田は閉店後、自由に店に出入りできた。ハントをしちゃあ、ラブホテル代わりにあの店を使っていたようですよ」(地元記者)

被害者・岡部三千代さん

岡部三千代さんは福井県美浜町出身。身長161cmで髪の長いスリムな美人。3人姉妹の末っ子で、地元の小・中学校から福井県立美方高校に進み、テニス部員として活躍。2年秋の県新人戦で団体準優勝、3年時の春季県総体で団体3位に入った。平成元年4月、明石短大に進学。秘書志望で、短大ではジャズダンスクラブに所属し、授業は欠席したことがなく、まじめな学生だった。22日夕、「コンパに行く」といって下宿を出ていた。

  • 「いつも明るくほがらかで友達もたくさんいました。大学も4月から一日も休むことなく通っていた、とてもまじめな子でしたよ」(下宿の大家)
  • 「毎週火曜に行われる課外授業のジャズダンスにも必ず出席していた」(明石短大事務局長)

米田、2年前の殺人事件も自供

警察の取り調べに対し、米田和久は1987年10月、神戸市西区内で起きた女子大生絞殺事件についても、犯行を認める供述を始め、連続殺人事件に発展した。

神戸の事件では、西区伊川谷町有瀬の学生アパートに下宿していた神戸学院大法学部2年黒田恭子さん(当時20歳)(岡山県出身)が、1989年10月24日午前6時ごろ、アパート近くの空き地で全裸の絞殺死体で見つかった。 2つの事件の共通項は多い。共に一人暮らしの女子大生、絞殺後、全裸で大の字に放置されていたこと、現場を結ぶ距離の近さなど。

裁判

  • 1992年5月20日神戸地裁1987年の事件について懲役15年(求刑懲役18年)、1989年の事件については求刑通り無期懲役を言い渡した。同一人が複数の罪で裁かれる場合、併合罪として一括審理するのが通常だが、第1の犯行と第2の犯行との間に道交法違反(無免許運転)などの罪で懲役10月、執行猶予2年の刑が確定。禁固以上の確定判決の前と後の犯罪は併合罪を適用できないとの刑法45条の規定からそれぞれ求刑、判決という珍しいケースとなった。

関連項目