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1930年2月に行われた[[第17回衆議院議員総選挙]]で、鶴見祐輔は、岡山第1区から立候補したが、この疑惑の影響もあってか、落選した<ref>{{Cite book|author= 衆議院事務局 |url= http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453117/218 |title= 第17回衆議院議員総選挙一覧 |publisher= 衆議院事務局 |year= 1930 |page= 423 }}</ref>{{Sfn|石塚|2010|pp=139,146-148}}。
 
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1930年3月5日に鶴見祐輔の弟・[[鶴見定雄]]が[[大阪刑務所]]北区支所へ収監され、鶴見も[[大阪地裁]]検事局で取調べを受けた{{Sfn|石塚|2010|p=140}}。同年5月、鶴見祐輔は、[[鉄道省]]から事務委託を受けて[[米国]]・[[カナダ]]への講演旅行に出発し、翌1931年9月までの約1年4ヶ月間、帰国せずに各地を講演して回った{{Sfn|石塚|2010|pp=140-143,149-152}}。その後も鶴見は、1931年10月に[[上海]]で開催された[[太平洋会議#第4回|第4回太平洋会議]]に出席{{Sfn|石塚|2010|p=154}}。同年11-12月には満州を視察{{Sfn|石塚|2010|pp=152-153}}。1932年1月には、講演旅行のため、再度渡米し、同年6月には、講演旅行のため欧州へ渡り、米国を経由して日本に帰国したのは1933年1月だった{{Sfn|石塚|2010|pp=158,160,164-168,171}}。
  
 
明政会事件の報道の中では、鶴見が「弟に罪をなすりつけてアメリカへ逃げた」と報道した新聞もあり、鶴見の長男・[[鶴見俊輔|俊輔]]は鶴見が新自由主義協会の活動を放擲してアメリカへ逃げたと思っていたといい、この頃、仲間と万引きを繰り返し、小学校をサボり、女性と交際するなど、不良化した{{Sfn|石塚|2010|pp=176-177,181-182}}。
 
明政会事件の報道の中では、鶴見が「弟に罪をなすりつけてアメリカへ逃げた」と報道した新聞もあり、鶴見の長男・[[鶴見俊輔|俊輔]]は鶴見が新自由主義協会の活動を放擲してアメリカへ逃げたと思っていたといい、この頃、仲間と万引きを繰り返し、小学校をサボり、女性と交際するなど、不良化した{{Sfn|石塚|2010|pp=176-177,181-182}}。
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*{{Aya|石塚|year=2010}} 石塚義夫『鶴見祐輔資料』講談社出版サービスセンター、2010年、ISBN 978-4876019120

2021年6月17日 (木) 02:03時点における最新版

明政会事件は、1930年に、島徳蔵明政会鶴見祐輔らが贈収賄で告発された疑獄事件。1928年に民政党が提出した田中内閣の不信任案への反対を要請するための贈収賄だったとして告発されたが、島は明政会の活動資金として資金を提供したと主張、資金を受け取った鶴見の弟・鶴見定雄は、兄には資金を渡していないと主張した。1931年の大阪地裁判決では鶴見定雄に有罪判決が下されたが、1932年の控訴審では無罪となった。

告発[編集]

1930年1月に、もと明政会所属議員の藤原米造が死去し、故人の代理人が疑惑を検事局に告発した[1][2]1928年4月に召集された第55臨時議会で、民政党田中内閣の不信任案を提出したとき、政友会の関係者だった島は、安部義也らと共謀して、内閣不信任案を否決すべく、当時キャスティング・ボードを握っていた明政会の鶴見に面会し、同年5月5日に10万円を贈与したとして告発された[3]

鶴見家の動向[編集]

1930年2月に行われた第17回衆議院議員総選挙で、鶴見祐輔は、岡山第1区から立候補したが、この疑惑の影響もあってか、落選した[4][5]

1930年3月5日に鶴見祐輔の弟・鶴見定雄大阪刑務所北区支所へ収監され、鶴見も大阪地裁検事局で取調べを受けた[6]。同年5月、鶴見祐輔は、鉄道省から事務委託を受けて米国カナダへの講演旅行に出発し、翌1931年9月までの約1年4ヶ月間、帰国せずに各地を講演して回った[7]。その後も鶴見は、1931年10月に上海で開催された第4回太平洋会議に出席[8]。同年11-12月には満州を視察[9]。1932年1月には、講演旅行のため、再度渡米し、同年6月には、講演旅行のため欧州へ渡り、米国を経由して日本に帰国したのは1933年1月だった[10]

明政会事件の報道の中では、鶴見が「弟に罪をなすりつけてアメリカへ逃げた」と報道した新聞もあり、鶴見の長男・俊輔は鶴見が新自由主義協会の活動を放擲してアメリカへ逃げたと思っていたといい、この頃、仲間と万引きを繰り返し、小学校をサボり、女性と交際するなど、不良化した[11]

裁判[編集]

1931年6月20日に鶴見定雄は大阪地裁で有罪判決を受けた[12]

  • 大阪地裁での公判で、島は、10万円を鶴見祐輔に渡してもらう目的で鶴見定雄に渡したことを認めたが、資金は内閣不信任案に反対してもらう目的で渡したものではなく、明政会を基礎として第三党を組成するための準備金だったと主張した[13]
  • 鶴見定雄は、受取った資金を兄・祐輔には渡していない、と供述した[14]
  • 島から資金を受取って鶴見定雄に渡した安部義也は、資金は内閣不信任案への反対を要請するための贈収賄だったと発言し、しかし鶴見祐輔には話が通っておらず、鶴見定雄に資金を渡したが返すといわれたので、10万円のうち6万円だけ鶴見定雄に貸したもので、贈収賄というのはこのように相手に渡ったか分かり難い形で、証拠を残さないようにやるものだろう、とした[15]

1932年5月27日、大阪控訴院で行なわれた控訴審では、鶴見定雄は無罪判決を受けた[16]

付録[編集]

脚注[編集]

  1. 石塚 2010 125,139,146-148
  2. 岸田 1931 41-48
  3. 岸田 1931 41
  4. 衆議院事務局 (1930) 衆議院事務局 第17回衆議院議員総選挙一覧 衆議院事務局 1930 423
  5. 石塚 2010 139,146-148
  6. 石塚 2010 140
  7. 石塚 2010 140-143,149-152
  8. 石塚 2010 154
  9. 石塚 2010 152-153
  10. 石塚 2010 158,160,164-168,171
  11. 石塚 2010 176-177,181-182
  12. 石塚 2010 140,151
  13. 岸田 1931 42
  14. 岸田 1931 43
  15. 岸田 1931 46-47
  16. 石塚 2010 157,164

参考文献[編集]

  • 石塚 (2010) 石塚義夫『鶴見祐輔資料』講談社出版サービスセンター、2010年、ISBN 978-4876019120
  • 岸田 (1931) 岸田菊伴『京電疑獄と島徳事件』現代パンフレット通信社、1931年4月30日、NDLJP 1274699