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'''日本プロ野球名球会'''(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Playsers Club)は、[[日本プロ野球|日本のプロ野球]]でプレーした[[選手]]および元選手による[[法人]]格をもった団体である。通称:'''名球会'''(めいきゅうかい)。
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<nowiki>'''日本プロ野球名球会'''(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Playsers Club)は、[[日本プロ野球|日本のプロ野球]]でプレーした[[選手]]および元選手による[[法人]]格をもった団体である。通称:'''名球会'''(めいきゅうかい)。
  
 
[[1978年]][[7月24日]]に設立された。[[昭和]]生まれの選手および元選手によって構成されるため「'''昭和名球会'''(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていた。
 
[[1978年]][[7月24日]]に設立された。[[昭和]]生まれの選手および元選手によって構成されるため「'''昭和名球会'''(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていた。

2020年1月8日 (水) 04:24時点における版

'''日本プロ野球名球会'''(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Playsers Club)は、[[日本プロ野球|日本のプロ野球]]でプレーした[[選手]]および元選手による[[法人]]格をもった団体である。通称:'''名球会'''(めいきゅうかい)。 [[1978年]][[7月24日]]に設立された。[[昭和]]生まれの選手および元選手によって構成されるため「'''昭和名球会'''(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていた。 == 概要 == 1978年7月24日に、[[任意団体]]として発足。発足時の会員は18名。投手は[[稲尾和久]]、[[梶本隆夫]]、[[金田正一]]、[[小山正明]]、[[鈴木啓示]]、[[皆川睦雄]]、[[村山実]]、[[米田哲也]]。野手は[[江藤慎一]]、[[榎本喜八]]、[[王貞治]]、[[高木守道]]、[[土井正博]]、[[長嶋茂雄]]、[[野村克也]]、[[張本勲]]、[[広瀬叔功]]、[[山内一弘]]。その後[[1981年]][[9月8日]]、税法上の理由から[[株式会社]]として法人化し、「株式会社日本プロ野球名球会」に改組(代表取締役は[[金田正一]]、取締役は[[王貞治]]、[[長嶋茂雄]])。その後2010年10月15日に一般社団法人として現組織を設立(理事長は[[王貞治]]、副理事長は[[柴田勲]]、理事は[[鈴木啓示]]、[[長嶋茂雄]]、[[東尾修]]、[[山田久志]]、[[山本浩二]])。株式会社としての法人は、2011年2月12日の[[株主総会]]で解散した。 「社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大に寄与する」ことを目的に、国内外で少年野球指導や支援をはじめとする[[野球]]の普及促進および社会貢献、講演などに積極的に取り組んでいる。 == もう200勝投手は現れない? == 2012年シーズンは3人が到達し、今シーズンもアレックス・ラミレス、中村紀洋(ともに横浜DeNA)、谷繁元信(中日)の3選手が達成した2000本安打。 打者の勲章といわれるこの記録は、毎年のように達成者が出ていて、この先も候補者は少なくない。例えば、日米通算ながら井口資仁(ロッテ)は残り63本に迫り、谷佳知(巨人)も100本を切っている。さらに福浦和也(マリーンズ)、和田一浩、井端弘和(ともに中日)も残り300本を切り、早ければ来年にも達成されるかもしれない。 それに対して、投手の勲章といわれる200勝は2008年にドラゴンズの山本昌が達成して以降、現れていない。現在、200勝に近いのは以下の投手になる。 * [[西口文也]](西武/40歳)…182勝 * [[石井一久]](西武/39歳)…182勝 * [[黒田博樹]](ヤンキース/38歳)…164勝 * [[三浦大輔]](横浜DeNA/39歳)…154勝 * [[杉内俊哉]](巨人/32歳)…118勝 * [[石川雅規]](ヤクルト/33歳)…117勝 * [[上原浩治]](レッドソックス/38歳)…117勝 現在、数字的に見れば、最も近いのが残り18勝のライオンズの西口と石井だが、ローテーションどころか一軍メンバーからも外れている現状ではなかなか簡単ではない。 また、コンスタントに結果を残す投手が減っていて、勝ち星を積み重ねることがいかに困難かがわかる。現役投手の中で、5年連続2ケタ勝利を挙げたのは、西口文也(西武/96~00年)、石川雅規(ヤクルト/02~06年)、[[井川慶]](現オリックス/02~06年)、[[和田毅]](現オリオールズ/03~07年)、[[ダルビッシュ有]](現レンジャーズ/06~13年)、[[涌井秀章]](西武/06~10年)、[[吉見一起]](中日/08~12年)、[[館山昌平]](ヤクルト/08~12年)の8人だけ。その中で、3年連続15勝以上マークしたのはダルビッシュただひとりしかいない。 では、200勝投手が減っている理由はどこにあるのか。2012年までファイターズの投手コーチだった[[吉井理人]]氏に聞いてみた。 「先発投手は中6日のローテーションが普通になり、昔に比べて登板回数が減ってきています。いま、シーズン30試合に先発する投手はほとんどいません。エース級の投手でも25試合ぐらい。それに分業制が進んで、先発が早い回で交代するケースも増えました。例えば、0-2で負けていて、3点目を取られた時点で交代という場面をよく見ます。3点差なら、それほど大差といえないと思うのですが……。いずれにしても、早い回に交代させらえると、なかなか先発に白星がつくのは難しいですね」 こうした戦術の変化とともに見逃せないのが、メジャー挑戦だ。日本で実績を上げた投手が、さらなる高みを目指しメジャーに挑戦することがひとつの流れになりつつある。近年でいえば、黒田博樹(ヤンキース)は日本で103勝してメジャーに挑戦し、ダルビッシュ有(レンジャーズ)は93勝してから海を渡っている。 「ローテーションに入ることができれば、メジャーは試合数が多いし、登板する機会も増えます。それに日本のように早い回で降板させられることはほとんどない。だから、日本にいる時よりも勝ち星が増えることは十分に考えられます。おそらくローテーション投手としてバリバリやっている黒田やダルビッシュは、200勝を達成する可能性は高いでしょう。ただ、ローテーションに入ることが容易ではありません。日本で実績を残した多くのピッチャーがメジャーに挑戦しましたが、ローテーション投手として活躍したのはほんの一握り。先発からリリーフに転向した投手もいるし、メジャーのマウンドに上がれない選手もいます。それだけメジャーで勝ち星を挙げることは大変なことなんです」(吉井氏) しかし、可能性は別として、メジャーに行くような投手は、200勝という数字をそれほど気にかけていないのではないか。いや、それ以上に、若い投手たちの中で勝ち星に対する意識自体がたいぶ変わってきているのではないか。 2012年、カープの[[前田健太]]にシーズンを振り返ってもらった時、防御率(1.53)はトップだったし、勝ち星も14勝(リーグ2位)をマークしたが、いちばん嬉しかったのは200イニングに達したことだと言っていた。 ひと昔前は、2ケタ勝利、20勝を目標に掲げる投手が多かったが、最近は「何勝したい」というコメントを聞くことがほとんどなくなった。ダルビッシュにしても、これまで勝ち星に関する目標を本人の口から聞いたことは一度もない。 それよりも投球回数とか、クオリティスタート(先発して6回を3失点以内に抑えること)といった目標を口にする選手が増えているように思える。メジャーに行った当初の[[野茂英雄]]が口癖のように、「数字よりもローテーションを守りたい」と言っていたことを思い出すが、そうした考え方が日本の若い投手にもいつの間にか定着してきたのではないか。 吉井氏もその傾向を認める。 「僕もわりと早い段階からそういう考えでしたね。まず、200勝という数字がどこから出てきたのかがわからない(笑)。勝ち星なんて運に左右されますし、自分の力だけではどうにもならない部分があります。もちろん、自分が投げる試合は勝ちたかったけど、絶対に白星がほしいという考えはなかったですね。今、メジャーに行っている選手、例えばダルビッシュなんかも、同じ考え方かもしれないですね」 要は、チームの勝利にどれだけ貢献できるかが問題で、自分に勝ちがつくかどうかは問題ではない。そう考える投手が増えてきたとすれば、200勝は大きな目標ではなくなる。そもそも200勝というのは、名球会の入会資格ということで特別視されてきただけで、199勝ならダメで200勝なら見事というものでもないだろう。時代と野球の変化に合わせた、新しい指標が求められているのかもしれない。 ==会員== 名球会は、以下の参加資格を満たした上で、入会の意思のある[[昭和時代]]([[1926年]][[12月25日]] - [[1989年]][[1月7日]])生まれの日本プロ野球の選手または元選手によって構成されている。国籍は問わないので、参加資格を満たせば外国人選手・元選手も入会できる。新たに入会した選手に対して、ウェルカムの意を込めて、先輩会員から名球会ブレザーを着せてもらうという「名球会ブレザー贈呈式」が代々行われている。以前は記録達成時に行われていたが、後に連盟表彰時に行われるようになった。 *投手として通算'''200[[勝利投手|勝利]]'''以上、または通算'''250[[セーブ]]'''以上 *打者として通算'''2000[[安打]]'''以上 *通算成績には、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]での成績も合算される。ただし、日本プロ野球での記録をスタート地点とする。なお[[韓国野球委員会|韓国プロ野球]]や[[中華職業棒球大聯盟|台湾プロ野球]]など、NPB・MLB以外での記録は含まない。 注)規約改定(2003年12月総会) 会員資格に「通算250セーブ以上」が追加されるとともに、「メジャーリーグでの成績も合算される」ことになった。 会員の構成と通算成績は次の通り。データはいずれも2012年シーズン終了時。<!--達成時またはシーズン終了以外原則更新しない。--> ※は現役選手。◎は発足時からの会員。△は日米通じての達成者。☆は最年少達成者。★は名誉会員(故人)。✚は故人。 ===投手=== *勝利(資格:通算200勝以上) {|class="wikitable sortable" style="text-align:left;" !選手名||最終勝数!!達成日!!達成時年齢!!最終所属球団!!備考 |- |{{display none|よねだ/}}[[米田哲也]]||350||1966年8月14日||28歳5か月||近鉄||◎ |- |{{display none|こやま/}}[[小山正明]]||320||1964年8月13日||30歳0か月||[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]||◎ |- |{{display none|すずき けいし/}}[[鈴木啓示]]||317||1977年4月26日||29歳6か月||[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]||◎ |- |{{display none|やまだ/}}[[山田久志]]||284||1982年4月29日||34歳0か月||阪急|| |- |{{display none|いなお/}}[[稲尾和久]]||276||1962年8月25日||25歳2か月||[[埼玉西武ライオンズ|西鉄]]||◎★ |- |{{display none|かじもと/}}[[梶本隆夫]]||254||1967年6月6日||32歳1か月||[[オリックス・バファローズ|阪急]]||◎★ |- |{{display none|ひがしお/}}[[東尾修]]||251||1984年9月15日||34歳3か月||西武|| |- |{{display none|くどう/}}[[工藤公康]]||224||2004年8月17日||41歳3か月||[[埼玉西武ライオンズ|西武]]|| |- |{{display none|むらやま/}}[[村山実]]||222||1970年7月7日||34歳6か月||[[阪神タイガース|阪神]]||◎★ |- |{{display none|みながわ/}}[[皆川睦雄]]||221||1968年10月6日||33歳3か月||[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]||◎★ |- |{{display none|むらた/}}[[村田兆治]]||215||1989年5月13日||39歳5か月||[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]|| |- |{{display none|きたべっぷ/}}[[北別府学]]||213||1992年7月16日||35歳0か月||[[広島東洋カープ|広島]]|| |- |{{display none|やまもと まさ/}}[[山本昌|山本昌広]]||213||2008年8月4日||42歳11か月||[[中日ドラゴンズ|中日]]||※ |- |{{display none|えなつ/}}[[江夏豊]]||206||1982年7月2日||34歳1か月||埼玉西武ライオンズ|西武|| |- |{{display none|ひらまつ/}}[[平松政次]]||201||1983年10月21日||36歳1か月||大洋|| |- |{{display none|のも/}}[[野茂英雄]]||201<br />(日78/米123)||2005年6月15日||36歳9か月||[[カンザスシティ・ロイヤルズ|ロイヤルズ]]||△ |} *救援(資格:通算250セーブ以上) {|class="wikitable sortable" style="text-align:left;" !選手名||最終セーブ数!!達成日!!達成時年齢!!最終所属球団!!備考 |- |{{display none|ささき かづひろ/}}[[佐々木主浩]]||381<br/>(日252/米129)||2000年7月16日||32歳4か月||横浜||△ |- |{{display none|いわせ/}}[[岩瀬仁紀]]||346||2010年6月16日||35歳7か月||中日||※ |- |{{display none|たかつ/}}[[高津臣吾]]||313<br />(日286/米27)||2003年8月16日||34歳8か月||[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]||△ |} ===野手=== *安打(資格:通算2000本以上) {|class="wikitable sortable" style="text-align:left;" !選手名||最終安打数!!達成日!!達成時年齢!!最終所属球団!!備考 |- |{{display none|すずき いちろう/}}[[イチロー|鈴木一朗<br />(イチロー)]]||3884<br/>(日1278/米2606)||2004年5月21日||30歳6か月||[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]||※△ |- |{{display none|はりもと/}}[[張本勲]]||3085||1972年8月19日||32歳2か月||ロッテ||◎ |- |{{display none|のむら かつや/}}[[野村克也]]||2901||1970年10月18日||35歳3か月||西武||◎ |- |{{display none|おう/}}[[王貞治]]||2786||1974年8月4日||34歳2か月||巨人||◎ |- |{{display none|まつい ひでき/}}[[松井秀喜]]||2656<br />(日1390/米1266)||2007年5月6日||32歳10か月||[[タンパベイ・レイズ|レイズ]]||△ |- |{{display none|かどた/}}[[門田博光]]||2566||1987年8月26日||39歳6か月||ダイエー|| |- |{{display none|きぬがさ/}}[[衣笠祥雄]]||2543||1983年8月9日||36歳6か月||広島|| |- |{{display none|ふくもと/}}[[福本豊]]||2543||1983年9月1日||35歳9か月||阪急|| |- |{{display none|かねもと/}}[[金本知憲]]||2539||2008年4月12日||40歳0か月||阪神|| |- |{{display none|たつなみ/}}[[立浪和義]]||2480||2003年7月5日||33歳10か月||中日|| |- |{{display none|ながしま/}}[[長嶋茂雄]]||2471||1971年5月25日||35歳3か月||巨人||◎ |- |{{display none|どい/}}[[土井正博]]||2452||1977年7月5日||33歳6か月||西武||◎ |- |{{display none|いしい たくろう/}}[[石井琢朗]]||2432||2006年5月11日||35歳8か月||広島|| |- |{{display none|やまもと こうじ/}}[[山本浩二]]||2339||1984年5月5日||37歳6か月||広島|| |- |{{display none|まつい かずお/}}[[松井稼頭央]]||2295<br />(日1680/米615)||2009年8月15日||33歳9か月||[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]||※△ |- |{{display none|たかぎ もりみち/}}[[高木守道]]||2274||1978年4月5日||36歳8か月||[[中日ドラゴンズ|中日]]||◎ |- |{{display none|やまうち/}}[[山内一弘]]||2271||1967年10月14日||35歳5か月||広島||◎★ |- |{{display none|おおすぎ/}}[[大杉勝男]]||2228||1981年7月21日||36歳4か月||[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]||★ |- |{{display none|おおしま/}}[[大島康徳]]||2204||1990年8月21日||39歳10か月||[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]|| |- |{{display none|わかまつ/}}[[若松勉]]||2173||1985年10月9日||38歳5か月||ヤクルト|| |- |{{display none|ひろせ/}}[[広瀬叔功]]||2157||1972年7月1日||35歳10か月||南海||◎ |- |{{display none|あきやま/}}[[秋山幸二]]||2157||2000年8月18日||38歳4か月||ダイエー|| |- |{{display none|きよはら/}}[[清原和博]]||2122||2004年6月4日||36歳9か月||オリックス|| |- |{{display none|まえだ/}}[[前田智徳]]||2115||2007年9月1日||36歳2か月||広島||※ |- |{{display none|ふるた/}}[[古田敦也]]||2097||2005年4月24日||39歳8か月||ヤクルト|| |- |{{display none|いなば/}}[[稲葉篤紀]]||2096||2012年4月28日||39歳8か月||日本ハム||※ |- |{{display none|まつばら/}}[[松原誠]]||2095||1980年4月23日||36歳3か月||巨人|| |- |{{display none|やまざき ひろゆき/}}[[山崎裕之]]||2081||1983年9月18日||37歳8か月||西武|| |- |{{display none|おがさわら/}}[[小笠原道大]]||2071||2011年5月5日||37歳6か月||巨人||※ |- |{{display none|みやもと/}}[[宮本慎也]]||2070||2012年5月4日||41歳5か月||ヤクルト||※ |- |{{display none|ふじた/}}[[藤田平]]||2064||1983年5月3日||35歳6か月||阪神|| |- |{{display none|ありとう/}}[[有藤通世]]||2057||1985年7月11日||38歳6か月||ロッテ|| |- |{{display none|えとう/}}[[江藤愼一|江藤慎一]]||2057||1975年9月6日||37歳11か月||ロッテ||◎★ |- |{{display none|かとう ひでじ/}}[[加藤英司|加藤秀司]]||2055||1987年5月7日||38歳11か月||南海|| |- |{{display none|こくぼ/}}[[小久保裕紀]]||2041||2012年6月24日||40歳8か月||ソフトバンク|| |- |{{display none|あらい/}}[[新井宏昌]]||2038||1992年7月8日||40歳2か月||近鉄|| |- |{{display none|のむら けんじろう/}}[[野村謙二郎]]||2020||2005年6月23日||38歳9か月||広島|| |- |{{display none|しばた/}}[[柴田勲]]||2018||1980年8月7日||36歳5か月||巨人|| |- |{{display none|たなか ゆきお/}}[[田中幸雄 (内野手)|田中幸雄]]||2012||2007年5月17日||39歳5か月||日本ハム|| |- |{{display none|こまだ/}}[[駒田徳広]]||2006||2000年9月6日||37歳11か月||横浜|| |} '''退会者''' *投手(通算200勝以上) {|class="wikitable sortable" style="text-align:left;" !選手名||最終勝数!!達成日!!達成時年齢!!最終所属球団!!備考 |- |{{display none|かねだ まさいち/}}[[金田正一]]||400||1958年6月6日||25歳1か月||[[読売ジャイアンツ|巨人]]||☆◎ |- |{{display none|ほりうち つねお/}}[[堀内恒夫]]||203||1980年6月2日||32歳4か月||巨人|| |- |} *野手(通算2000本安打以上) {|class="wikitable sortable" style="text-align:left;" !選手名||最終安打数!!達成日!!達成時年齢!!最終所属球団!!備考 |- |{{display none|えのもと きはち/}}[[榎本喜八]]||2314||1968年7月21日||31歳7か月||西鉄||◎✚ |- |{{display none|やざわ けんいち/}}[[谷沢健一]]||2062||1985年10月23日||38歳1か月||中日|| |- |} '''入会辞退者'''<br /> :{{display none|おちあい ひろみつ/}}[[落合博満]] - 2371安打 '''2013年入会資格到達者'''<br /> :{{display none|らみれす あれつくす/}}[[アレックス・ラミレス]] - 4月6日 :{{display none|なかむら のりひろ/}}[[中村紀洋]] - 5月1日 :{{display none|たにしけ もとのふ/}}[[谷繁元信]] - 5月6日 ==活動== 1978年の設立以来の「社会の恵まれない人達への還元と[[プロ野球]]の底辺拡大に寄与する」という目的に向かって、「野球振興」と「社会貢献」という2つの分野において、継続した活動とともに社会情勢に対応した新しい活動に積極的に取り組んでいる。 ===野球振興=== 「プロ野球の底辺拡大に寄与する」ことを目的とする分野では、子どもの頃から野球に親しみ自らプレーを楽しむ人々を増やし、プロ野球ファンの拡大と惹いてはプロ野球選手を目指す人々のモチベーションアップに繋がるように、会員の影響力が強くおよぶ少年野球への指導・支援に力を入れている。 全国各地で、自治体、教育委員会、少年野球チーム、企業などからの依頼に応じて、まず野球に興味を持ってもらうために、野球に親しみ体験できる「名球会ベースボールフェスティバル」を行っている。そこでは、会員が体験指導する[[投球]]や[[打撃]]、[[守備]]に真剣に向き合っている子どもとともに、応援にきた兄弟、両親、祖父母が、それぞれの時代のヒーローに会える場としても楽しまれている。そして、野球がうまくなりたい少年少女には、会員が直接指導する「名球会野球教室」が行われている。そこでは、[[投球]]、[[打撃]]、[[守備]]のエキスパートが、子ども一人ひとりに声をかけ、コミュニケーションをとりながら指導が行われている。最近では、グローバル化の進展にともない、海外で野球を楽しみ普及活動をしている方々からの依頼もあり、現在はアジアの国々([[台湾]]、[[韓国]]、[[フィリピン]])に会員が出向いて、現地で少年少女への指導・支援も行われている。このほかにも、「名球会杯」と名前の入った少年野球大会の開催支援や野球用具の不足している地域の子ども達への用具の寄贈。また、グランド以外でも児童生徒、少年野球チーム、少年刑務所受刑者などの方々へ、会員自らの経験にもとづいた講演を行い夢にチャレンジする勇気を伝えている。 ===社会貢献=== 「社会の恵まれない人達への還元」を目的とする分野では、誰もが安全に安心して野球を楽しめる、よりよい社会づくりへの貢献を目指し、社会的弱者の方々への支援活動を中心にしながら更に幅を拡げた活動を行っている。 設立当初より、名球会と会員の抜群の知名度を活かして、チャリティイベントを行い、集められた浄財を寄付している。よく知られているイベントとしては、年末テレビでも放送される「名球会チャリティゴルフ大会」があり、そこで集められた浄財は地元の社会事業団へ寄付されている。最近では、2011年3月11日に起きた[[東日本大震災]]の被災者支援のためのトークショーや講演会を開催し募金活動を行っている。これら以外にも多くのチャリティイベントを行い、点字図書館や[[日本赤十字社]]などへの寄付活動を継続的に行っている。また、直接的な支援活動として、2012年5月から、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の被災者の暮らす[[仮設住宅]]を会員が訪ね、交流を図る“心のケアー”活動を国連の友 Asia-Pacificと共同で継続して行っている。そして2012年7月には、国際親善という観点から[[韓国]]において、韓国プロ野球OB会「一球会」と共同で、聴力障害を持つ少年達への野球クリニックと日・韓プロ野球レジェンドマッチを行い韓国の野球ファンを楽しませている。また、記念事業や研修時の要望に応じ、地域住民、[[自衛隊員]]、企業人の方々へ、選手、監督として経験した記録や勝負、采配にまつわる話など多くの講演を行い教訓を伝えている。 == 関連項目 == *[[500本塁打クラブ]] *[[3000本安打クラブ]] *[[300勝クラブ]] *[[野球殿堂 (日本)]] *[[日本名輪会]] - 競輪版名球会ともいえる組織。 *[[日本サッカー名蹴会]] - サッカー版名球会ともいえる組織。2010年9月発足。 *[[プロボクシング・世界チャンピオン会]] - ボクシング版名球会ともいえる組織。2010年5月19日に発足。 *[[THE ALFEE]] - 単独有料コンサート通算2000回達成を記念して名球会より特注ブレザーを贈呈された(2005年)。 == 外部リンク == * [http://meikyu-kai.org/ 日本プロ野球名球会] {{日本プロ野球}} {{名球会}} {{DEFAULTSORT:につほんふろやきゆうめいきゆうかい}} [[Category:名球会|*]] [[Category:野球に関する日本の組織]] [[Category:一般社団法人 (スポーツ関係)]] [[Category:東京都の組織]]