「市原悦子」の版間の差分

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[[千葉県]][[千葉市]]に、慶大経済卒の安田[[銀行員]]([のちの[[富士銀行]])の父と千葉女子師範学校卒の元[[教員]]の母の長女として生まれる。9歳で疎開先の千葉県[[四街道市]]で敗戦を迎えた。中学校2年生で[[千葉市立末広中学校]]へ転校。ここで演劇クラブに入り、教師の岩上廣志から演劇の楽しさを教わる。[[千葉県立千葉高等学校]]に進学する。演劇部で活動し、伊藤貞助作の『村一番の大欅』で県大会に出場して個人演技賞を受賞した。
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[[千葉県]][[千葉市]]に、慶大経済卒の安田[[銀行員]](のちの[[富士銀行]]、[[みずほ銀行]])の父と[[千葉女子師範学校]]卒の元[[教員]]の母の長女として生まれる。9歳で疎開先の千葉県[[四街道市]]で敗戦を迎えた。中学校2年生で[[千葉市立末広中学校]]へ転校。ここで演劇クラブに入り、教師の岩上廣志から演劇の楽しさを教わる。[[千葉県立千葉高等学校]]に進学する。演劇部で活動し、伊藤貞助作の『村一番の大欅』で県大会に出場して個人演技賞を受賞した。
 
県立千葉高校卒業後、[[早稲田大学第二文学部]]入学、[[富士銀行]]に就職が決まっていたが演劇への思いが断ちがたく、劇団俳優座養成所に6期生として入所する。同期には[[近藤洋介]]、[[宮部昭夫]]、[[川口敦子]]、[[大山のぶ代]]、[[阿部百合子]]、[[阿部六郎]]、[[佐伯赫哉]]、[[山本清]]らがいた。
 
県立千葉高校卒業後、[[早稲田大学第二文学部]]入学、[[富士銀行]]に就職が決まっていたが演劇への思いが断ちがたく、劇団俳優座養成所に6期生として入所する。同期には[[近藤洋介]]、[[宮部昭夫]]、[[川口敦子]]、[[大山のぶ代]]、[[阿部百合子]]、[[阿部六郎]]、[[佐伯赫哉]]、[[山本清]]らがいた。
  

2021年1月3日 (日) 09:54時点における版

市原 悦子(いちはら えつこ、1936年1月24日 - 2019年1月12日、本名;塩見 悦子)は、日本の俳優。 千葉県千葉市出身。身長160cm、夫は舞台演出家の塩見哲


人物

千葉県千葉市に、慶大経済卒の安田銀行員(のちの富士銀行みずほ銀行)の父と千葉女子師範学校卒の元教員の母の長女として生まれる。9歳で疎開先の千葉県四街道市で敗戦を迎えた。中学校2年生で千葉市立末広中学校へ転校。ここで演劇クラブに入り、教師の岩上廣志から演劇の楽しさを教わる。千葉県立千葉高等学校に進学する。演劇部で活動し、伊藤貞助作の『村一番の大欅』で県大会に出場して個人演技賞を受賞した。 県立千葉高校卒業後、早稲田大学第二文学部入学、富士銀行に就職が決まっていたが演劇への思いが断ちがたく、劇団俳優座養成所に6期生として入所する。同期には近藤洋介宮部昭夫川口敦子大山のぶ代阿部百合子阿部六郎佐伯赫哉山本清らがいた。


早大二文卒業。

1990年、映画『黒い雨』の演技により第13回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。

2019年1月12日、逝去


紫綬褒章旭日中授賞