南大沢駅

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[[Image:南大沢駅.jpg|400px|thumb|南大沢駅]] '''南大沢駅'''(みなみおおさわえき)は、[[東京都]][[八王子市]][[南大沢]]二丁目にある[[京王電鉄]][[京王相模原線|相模原線]]の[[鉄道駅|駅]]である。 == 歴史 == 南大沢駅を中心とする一帯は、[[多摩ニュータウン]]の[[東京都]]が施行する「西部地区」として開発されている。南大沢駅前の約20ヘクタールは、その西部地区の「地区センター」として駅と一体で整備された。 <gallery> Image:Minami-Osawa2009.JPG|南大沢駅前 ファイル:南大沢駅2.jpg|京王線南大沢駅 ファイル:Mitsui Outlet Park Tama Minami-Osawa.jpg|三井アウトレットパーク 多摩南大沢 </gallery> === 設置までの流れ === [[多摩ニュータウン]]開発計画に絡み京王帝都電鉄(当時)は、当初、[[京王相模原線|相模原線]]の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]延伸に際して途中駅を一か所設置することを計画で定め、「由木平駅」の設置を決定していた。その後、多摩ニュータウン開発の進捗に伴い、マスタープランの中で複数の開発住区に対する生活サービス施設を集積した「地区センター」の配置場所と定められた中間地点に、[[京王堀之内駅]]と[[多摩境駅]]の設置も追加で決定している。なお、当初計画の「由木平駅」は現在の南大沢駅に当たる。 なお、由木平駅設置に際して現在の場所が決定した理由は、[[京王多摩センター駅]]と[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]との中間地点に位置することと、ニュータウン計画で一帯が新住宅市街地開発事業地に定められ周辺に人家などがなく、白紙で駅を中心に「地区センター」とする大胆な街づくりが可能なことであった。また、当時の[[京王相模原線|相模原線]]計画では橋本延伸後に[[城山ダム#津久井湖|津久井湖]]方面に延伸する構想があったため、優等列車の追い抜きが可能な[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線設計で用地が確保された。 [[多摩センター駅|京王多摩センター]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]間の延伸工事のうち、当駅までの線路や駅の建設工事は比較的順調に進んでいたが、当駅と[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]間は用地買収などに手間がかかり全線開業が遅れることとなったため、同社はやむなく京王多摩センター - 当駅間を暫定開業させた。その最大の目的は、当駅南側の新住区で既に入居が始まっていて、代替の救済措置として暫定運行していた[[多摩センター駅]]までのバス連絡を一日も早く解消するためであった。 === 設置後 === [[1988年]](昭和63年)[[5月21日]]に南大沢駅は開業した。しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南の遠く離れたところに建設されていた。 その後、南北双方の新住区で[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学]](現・[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が誘致された。東京都立大学は当初、南大沢ではなく[[立川]]に移転する予定であったが、立川の用地が手狭で問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地が確保できる南大沢に移転することになった。また大規模商業施設「ガレリア・ユギ」を建設し[[総合スーパー]]・[[百貨店]]の進出があった。 しかし、誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]](平成9年)以降、同施設の増・改築や新規開発を実施し、新たなテナントのスーパーや[[アウトレットモール]]、[[シネマコンプレックス]]などを誘致した。この結果住民の営みを支える、市立の文化会館などの公共公益施設も建設され「地区センター」として相応しい街の様相を呈している。加えて、[[京王相模原線|相模原線]]の急行運転開始に伴い、当駅が急行停車駅となったことからも利用者数が増加している。なお、[[2001年]](平成13年)まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、[[2013年]](平成25年)に特急が復活した際には当駅も特急停車駅となった。 === 年表 === * [[1988年]]([[昭和]]63年)[[5月21日]] - 京王多摩センターからの暫定開業時に開業。各駅停車・[[京王相模原線#通勤快速|通勤快速]]の全列車が停車する(快速はこの時京王多摩センター折り返し)。 * [[1991年]]([[平成]]3年)[[4月6日]] - [[京王相模原線#快速|快速]]の停車駅となる。 * [[2001年]](平成13年)[[3月27日]] - 相模原線の[[京王相模原線#急行|急行]]運行開始に伴い、急行の停車駅となる。 * [[2007年]](平成19年)[[7月31日]] - 駅改良工事完了。「フレンテ南大沢」開業。 * [[2009年]](平成21年)[[12月3日]] - 地上5階建ての「フレンテ南大沢」新館が開業。 * [[2013年]](平成25年)[[2月22日]] - 相模原線の特急(2代目)運行開始に伴い、特急の停車駅となる(2001年まで走っていた初代特急は通過していた)。同時に通勤快速が[[京王相模原線#区間急行|区間急行]]に改称される。 === 駅名の由来 === [[江戸時代]]、現在の八王子市付近には二つの「大沢村」があり、当駅周辺は南にある大沢村であることから「'''南大沢'''」と名付けられた。相模原線延伸工事計画時の駅名仮称は「'''由木平'''」だったことは前記した。「由木」とはこの地域全体が八王子市に編入前、行政地名が「[[南多摩郡]][[由木村]]」であったことに由来する。 == 駅構造 == 土工により地形を整地した南面片側が[[切土|掘割]]式の[[プラットホーム#形状と配置|相対式ホーム]]2面2線を持つ[[地上駅]]で[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。元々、[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線設計で用地が確保されていたため、構内は広々としたつくりになっている。鉄骨造りの橋上駅構造としているが、[[バスターミナル]]のある駅前広場や、歩車を分離した[[歩行者専用道路]]のある地盤の同レベルに人工地盤とした駅舎改札口があるため、駅への出入りは平面の[[バリアフリー]]で行うことができる。 なお、駅舎には小規模な店舗施設が併設されていたが、歩行者専用道路のある人工地盤を挿んだ[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]寄りのプラットホーム線路上に、新たに店舗施設の建物がオープンした。 相模原線の橋本駅への延伸工事の際に、同駅周辺の用地買収の遅れが原因で、開業が遅れることになった。そのため、同駅開業までの間は当駅が始発・終着駅となり、橋本寄りの下り本線が折り返し用の[[引き上げ線]]に利用され、1番線に到着した当駅終着列車は引き上げ線で折り返して2番線の乗車用ホームへと入線した。橋本延伸後、[[分岐器#形状による分類|渡り線]]は非常時折り返し運転用に残してあるが、現行の営業用としては使われていない。 [[改札|改札口]]とホームとの間には[[エレベーター]]と[[エスカレーター]]が設置されている。エスカレーターは改良工事の際に上り方向のほか、下り方向のものも増設された。 [[便所|トイレ]]は駅舎内にあり、[[ユニバーサルデザイン]]の一環として「だれでもトイレ」も設置されている。 === のりば === {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先 |- ! 1 | {{color|#dd0077|■}}相模原線 | style="text-align:center" | 下り | [[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]方面 |- ! 2 | {{color|#dd0077|■}}相模原線 | style="text-align:center" | 上り | [[調布駅|調布]]・[[明大前駅|明大前]]・[[笹塚駅|笹塚]]・[[新宿駅|新宿]]・[[都営地下鉄新宿線|<span style="font-size:small">都営</span>新宿線]]方面 |} == 利用状況 == 2013年度の一日平均[[乗降人員]]は'''62,530人'''である。[[多摩ニュータウン]]の駅としては[[京王多摩センター駅]]に次いで第2位である<ref>[http://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/passengers/ 京王グループ 1日の駅別乗降人員]</ref>。 駅周辺に大規模商業施設の開設、都立4大学改組による[[首都大学東京]]の開設などにより、乗降人員数は増加傾向にある。[[2009年]]度には[[京王八王子駅]]を抜き、[[八王子市]]内の[[京王電鉄]]の駅としては第1位となった。また、乗換駅である[[京王稲田堤駅]]・[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]より多く、京王稲田堤駅とほぼ同等の増加率だった。 開業以降の一日平均乗降・[[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]の推移は下表のとおりである。 <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365(or366) で計算してあります--> {| class="wikitable" style="text-align:right;" |- !年度 !1日平均<br />乗降人員 !1日平均<br />乗車人員 !出典 |- |<ref>駅開設年度</ref> 1988年(昭和63年) |7,563 | | |- |1989年(平成元年) |10,816 | | |- |1990年(平成{{0}}2年) |13,216 |6,307 |<ref>東京都統計年鑑(平成2年)228ページ</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |21,328 |10,604 |<ref>東京都統計年鑑(平成3年)234ページ</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |26,488 | |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |28,769 |14,419 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |31,353 |15,710 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |33,460 |16,697 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |34,181 |17,052 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |35,805 |17,915 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1998年(平成10年) |38,113<!--京王電鉄が2000年度に発表した資料の数値。1999年度発表のものは、「38,401人」となっている。--> |19,255 |<ref>{{PDFlink|[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年) |39,414 |19,683 |<ref>{{PDFlink|[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年) |44,004 |22,104 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |46,207 |23,197 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |48,947 |24,597 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |50,554 |25,333 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |51,123 |25,633 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |51,585 |25,778 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |52,992 |26,430 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |56,238 |27,932 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |58,193 |28,915 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |60,501 |30,055 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |60,396 |29,970 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |60,097 |29,779 |<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |61,111 | | |- |2013年(平成25年) |62,530 | | |- |} == 駅周辺 == [[南大沢]]、[[別所 (八王子市)]]、[[上柚木]]、[[下柚木]]を参照。 === 北方面 === * [[首都大学東京]] 南大沢キャンパス * [[三井アウトレットパーク 多摩南大沢]] === 南方面 === * バスロータリー * [[警視庁]] [[南大沢警察署]] * 南大沢警察署 南大沢駅前交番 * 南大沢駅前[[郵便局]] * [[救急振興財団]] 事務局/東京研修所(エルスタ東京) * [[ガレリア・ユギ]] ** [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]南大沢店 ** [[ノジマ]] ** アバンティブックセンター * fabエンタテイメントスクエア ** [[TOHOシネマズ]]南大沢(旧・ヴァージンシネマズ南大沢) * パオレ * フレスコ南大沢 ** [[八王子市役所#南大沢・八王子駅前事務所|八王子市役所南大沢事務所]] ** 八王子市南大沢図書館 ** 八王子市保健福祉センター ** 八王子市南大沢生涯学習センター ** 八王子市南大沢市民センター ** 八王子市南大沢文化会館 ** [[東京法務局]] 八王子支局(10階・11階) ** クリニックゾーン(4階) * [[フレンテ南大沢]] * フレンテ南大沢新館 * プラザA(商業施設) * [[フォレストモール南大沢]] ** [[サンドラッグ]]南大沢店 ** [[カルチュア・コンビニエンス・クラブ|蔦屋書店]]南大沢店 * [[TOTO (企業)|TOTO]]八王子ショールーム * サザンウインズ南大沢(総合エンターテインメント施設[[オーヴァル (企業)|赤い風船]]) ** [[みずほ銀行]]南大沢支店 * 八幡神社 - [[例祭|例祭日]]は毎年8月26日。創建年代は不明だが古くから南大沢の[[鎮守神]]としてまつられてきた。境内のオオツクバネガシの巨木は、樹齢推定600年である<ref>[http://www.geocities.jp/yugisociety/ 由木地域研究会]</ref>。 * [[ヤマザキ動物看護短期大学]] * 南大沢中郷公園 '''(参考)'''駅周辺は、八王子市および南大沢警察署の「[[駐車#駐車を禁止する場所|違法駐車]]取り締まり重点地域」ならびに「[[オートバイ|自動二輪]]・[[原動機付自転車|原動機付バイク]]取り締まり重点地域」に指定されている。また路上喫煙禁止地区にも指定されている。 === バス路線 === [[京王バス南・南大沢営業所|京王バス南]]と[[神奈川中央交通多摩営業所|神奈川中央交通]]の2社の路線が乗り入れる。 ''路線の詳細は[[京王バス南・南大沢営業所]]・[[神奈川中央交通多摩営業所]]をそれぞれ参照。'' '''1番のりば''' * 京王・神奈中「南51」系統:大平公園先回り 南大沢団地循環(深夜バスあり) * 京王・神奈中「南52」系統:赤石公園先回り 南大沢団地循環 '''2番のりば''' * 京王・神奈中「堀03」系統:大平公園・長池小学校経由 京王堀之内駅行(平日のみ深夜バスあり) '''3番のりば''' * 京王「南60」系統:だいり谷戸公園経由 南大沢五丁目循環 * 京王「南60」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 南大沢五丁目循環 * 京王「南60」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 だいり谷戸公園行(深夜バス) * 京王「南61」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 多摩美術大学行 * 京王「南61」系統:だいり橋・南大沢五丁目経由 水浦団地入口行 * 京王「南62」系統:だいり谷戸公園経由 多摩美大前行 * 京王「NT01」系統:だいり橋・南大沢五丁目・だいり谷戸公園・多摩境駅経由 橋本駅行(深夜バス 多摩センター駅始発) '''4番のりば''' * 京王「北03」系統:殿ヶ谷戸経由 北野駅北口行(深夜バスあり) * 京王「八60」系統:殿ヶ谷戸・北野駅南口経由 八王子駅南口行 * 京王「八61」系統:中山・北野駅南口経由 八王子駅南口行 '''5番のりば''' * 京王      「桜80」系統:由木折返場経由 聖蹟桜ヶ丘駅行 * 京王・神奈中「桜84」系統:板橋・帝京大学入口経由 聖蹟桜ヶ丘駅行 * 京王・神奈中「桜84」系統:横井手・宮下経由 相模原北口行 '''6番のりば''' * 京王          「南63」系統:上柚木・多摩美大経由 橋本駅北口行 * 京王          「南64」系統:首都大北経由 京王堀之内駅行 * 京王・東京空港交通「成田多摩センター線」:成田空港行 * 京王・東京空港交通「羽田多摩センター線」:羽田空港行 * 京王:         「多摩河口湖線」:富士急ハイランド・富士山駅経由 河口湖駅行 * 京王:         「立川飯田線」:伊那インター・駒ヶ根インター経由 飯田駅行 '''その他''' * 新宿駅西口発橋本駅行きの深夜急行バスが設定されている。 == 多摩ニュータウン「西部地区」の開発 == 南大沢駅周辺は、[[多摩ニュータウン]]西部地区の中心として開発され、「西部地区センター」に位置づけられている。 [[東京都]]施行の[[新住宅市街地開発事業]]である「西部地区」では、[[1965年]]12月から山林部分の用地買収が行われ、[[1971年]]7月には当時の建設大臣から新住宅市街地開発事業の事業許可を得て、同年11月から集落部分の土地買収に着手した。その際に、谷戸部分も出来るだけ事業区域に含んで計画されることになったが、強制買収を可能とする新住宅市街地開発事業といえども相当数の家屋を有する状態となっていて、このために、既存住民の移住先となる大量の「優先分譲地」を確保する計画となった。これを受け、まずは1971年頃から、工事用道路の整備に加えて優先分譲地の先行整備が始められた。そして、大方の家屋移転が完了した後の[[1978年]]度から、本格的な土地造成に着手することとなった。<ref name="tamant_archive1_p244-253">『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編-』 多摩ニュータウン学会、2010年、p.244-253。</ref> [[東京都]]と[[八王子市]]の協議では「多摩ニュータウン西部地区開発大綱」がまとめられ、これに沿って開発が進められた。そのなかで南大沢駅前には「西部地区センター」として20ヘクタール程度の土地が確保されることとなり、「商業業務施設や、その他公益的施設を整備する」ことが位置づけられた。そしてそのなかで[[京王相模原線]]は[[多摩センター駅]]から南大沢駅まで単に延ばすのではなく、一挙に[[横浜線]]の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]まで延ばすという考え方も示された。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> また同時に埋蔵文化財の調査では、勝手に発掘範囲が拡大されてたり、二重三重の発掘が始まって予想以上に時間がかかるなどし、土地造成に大きな支障がでる事態がいくつも発生していたことから、事前に遺跡の存在範囲を正確に確認するべく「基礎調査」が[[1976年]]から3か年にわたって行われた。結果、[[多摩ニュータウン]]全体で遺跡数883ヶ所、遺跡面積357ヘクタール、西部地区だけでも297ヶ所、100ヘクタールもの大量の遺跡が見つかり、いずれにしろ開発スケジュールの大幅なスローダウンは避けられないとして、新たに発見された遺跡のうち、重要そうで時間のかかりそうなところは土地利用変更で対処が行われることとなった。[[1977年]]から[[1978年]]の前半にかけて土地利用変更し、半年余りで建設大臣に「施行計画届出」が行われた。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> こういったイレギュラーな形の施行計画届出がされ、[[1983年]]3月には、小学校と中学校そして中層住宅1,018戸で西部地区の最初の入居が第14住区で果たされることになった。しかし道路は未完成で、住宅建設と道路建設が同時期になってしまい、現場では「今日はどこの道路を通って行けばいいんだよ」というやり取りが行われていた。鉄道も[[多摩センター駅]]までしか開通しておらず、[[多摩ニュータウン通り]]から多摩センター駅に向かうバスサービスで対応されていたが、その多摩ニュータウン通りも[[土地区画整理事業]]の遅れで一部が完成しておらず、片側だけでやっと通行できる状況だった。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> [[東京都立大学]](現:[[首都大学東京]])は当初、[[立川]]への移転が予定されていたが、立川の用地が手狭で大学内で問題となっていたことから[[多摩ニュータウン]]に移転することになった。<ref>北條 晃敬 『多摩ニュータウン開発の全貌 -私にとっての「多摩ニュータウン」-』 多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、144頁。</ref>この移転のため、西部地区の計画はさらなる見直しがされ、第20住区の「松木・日向緑地」を含めた約42ヘクタールの土地に用地が確保された。これに伴って住宅用地が減少するため、全体的に高層住宅の比率を上げることで、全体の住宅戸数を減らさない対応がなされた。さらに第16住区には「誘致業務施設用地を設定する」とされ、「東京都の中の福祉局や教育庁から要請があった老人福祉施設や身障者福祉施設や養護学校を配置する」ことが決定した。しかし[[八王子市]]側は大学誘致を全く歓迎しておらず、[[東京都]]は八王子市との交渉に難航する。最終的に八王子市からは市内にある[[富士森公園]]級の公園を市内にもう2か所作るという交換条件が出され、東京都側はしぶしぶ呑むこととなった。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> それから南大沢駅前の「西部地区センター」も見直しがされ、近隣公園をセンターエリアの南端に配置し、[[東京都立大学]]まで抜ける歩行者専用の「南北軸」を形成するという位置づけとなった。南大沢駅の南側には、商業施設や[[八王子市]]管理の公益施設を入れること、東京都立大学の手前には、大学関連の施設を入れるとともに住宅を乗せるといったことも計画された。[[1984年]]の最終的な見直しでは、[[京王相模原線]]と[[多摩ニュータウン]]通りを跨ぐ巨大な「南北ペデストリアンデッキ」に駅改札口が面するようにし、南端には駅前広場も設け、そのバス乗降場には雨除けのキャノピーを設けることとされた。そしてようやく[[1987年]]5月に京王相模原線「南大沢駅」が開設された。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/><!--しかし、駅開設直後は駅周辺には何もない[[宅地#更地|更地]]ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前の歩行者専用道路のデッキと雨避けの[[アーケード]]だけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以上離れていた。 その後、[[多摩ニュータウン]]の住宅建設が進捗し、[[東京都立大学]](現:[[首都大学東京]])や[[テンプル大学]]日本校(その後撤退)、[[八王子南郵便局]](現・南大沢駅前郵便局、集配機能は1999年に[[みなみ野シティ]]に新設した同名局に移転)が開設された。また[[1992年]]に[[総合スーパー]]・[[百貨店]]の入居する「ガレリア・ユギ」が開業した。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。誘致過程で駅勢人口が充分ではなく、百貨店や総合スーパーが相次いで撤退した時期もあったが、街のニーズや成熟度に従って[[1997年]]以降、同施設の増・改築や新規開発を実施し、新たなテナントのスーパーや[[アウトレットモール]]、[[シネマコンプレックス]]などが誘致され、街の賑わいを創出している。--> [[1991年]]に[[東京都立大学]]南大沢キャンパスが開設され、[[1992年]]には「[[そごう]]」のジュニアデパートと、スーパーの「[[忠実屋]]」がキーテナントの南大沢駅前で最初の商業ビル「ガリレア・ユギ」が開業した(現在の[[イトーヨーカドー]])。また[[八王子市]]が[[1996年]]4月に「フレスコ南大沢」という土地信託ビルを建設し、そこには八王子市の文化施設が併設されている。[[2000年]]9月には定期借地方式により[[三井不動産]]が、「ラ・フェット多摩」(現:[[三井アウトレットパーク]]多摩南大沢)を開業し、街の賑わいを創出している。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> 第15住区の建設においては、[[住宅都市整備公団|公団]]施行区域にて[[多摩センター駅]]周辺と一体で整備された落合・鶴牧地区で優れた景観計画が行われていたことから、それに触発される形で[[東京都]]側でも綿密な景観計画が実践されることになった。東京都と[[八王子市]]だけでなく、公団が大いに協力して進められることになり、これらで「15住区住宅企画会議」が組織され、その会議の場で景観計画上の調整を行うことが決められ、そのもとに実働部隊となる「景観等調整会議」を作ってスタートされた。その中心となる計画を担う専門家を1人置き、マスタープランの作成と全体の調整を行いながら実現を図っていったのが、のちに数々の賞を獲得する「ベルコリーヌ南大沢」となった。この住区の景観計画は、第20住区、21住区、16住区でも統一して実施され、相互に[[歩行者専用道路]](遊歩道)がネットワークされて、車道を一切横断することなく各住区から駅前までの移動を可能にしている。<ref name="tamant_archive1_p244-253"/> なお[[2001年]]、[[東京都住宅供給公社]]・[[都市再生機構]](旧[[住宅都市整備公団]])はともに分譲住宅の建設事業から撤退したため、今後は南大沢駅周辺を含む[[多摩ニュータウン]]の未開発用地において、民間の事業者による分譲マンション等が建設される計画である。 == 隣の駅 == '''京王相模原線''' :: {{color|deeppink|■}}特急・{{color|#f58735|■}}準特急・{{color|lightseagreen|■}}急行 ::: [[多摩センター駅|京王多摩センター駅]] (KO 41) - '''南大沢駅 (KO 43)''' - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]] (KO 45) :: {{color|olive|■}}区間急行・{{color|blue|■}}快速・{{color|gray|■}}各駅停車 ::: [[京王堀之内駅]] (KO 42) - '''南大沢駅 (KO 43)''' - [[多摩境駅]] (KO 44) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == * [http://www.keio.co.jp/train/station/46_minamiosawa/ 京王電鉄 南大沢駅] {{DEFAULTSORT:みなみおおさわえき}} [[Category:八王子市の鉄道駅|みなみおおさわ]] [[Category:日本の鉄道駅 み|なみおおさわ]] [[Category:京王電鉄の鉄道駅|みなみおおさわ]] [[Category:多摩ニュータウン]] [[Category:1988年開業の鉄道駅]]