「八雲商会」の版間の差分

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'''八雲商会'''(やくもしょうかい)は、かつて[[北海道]]の[[山越郡]][[山越内村]]字遊楽部(のち[[二海郡]][[八雲村]])にあり、八雲村の産品を各地へ販売していた[[株式会社]]。[[角田弘業]]が頭取となり、設立当初は、支配人の大角勝四郎を[[名古屋]]から招聘して経営。大角は[[函館]]で八雲村の産品を売り、また函館で生活物資を仕入れて八雲村で住民向けに販売した。{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}
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'''八雲商会'''(やくもしょうかい)は、かつて[[北海道]]の[[山越郡]][[山越内村]]字遊楽部(のち山越郡[[八雲村]])にあり、同地の産品を各地へ販売していた[[株式会社]]。[[角田弘業]]が頭取となり、設立当初は、支配人の[[大角勝四郎]]を[[名古屋]]から招聘して経営。大角は[[函館]]で八雲村の産品を売り、また函館で生活物資を仕入れて八雲村で住民向けに販売した。{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}
  
 
設立の頃、[[片桐助作 (1851年生)|片桐助作]]の世話で[[名古屋]]から移住してきた[[鈴木信吉]]が[[小僧]]をしていた{{Sfn|都築|1917|pp=191-194}}。
 
設立の頃、[[片桐助作 (1851年生)|片桐助作]]の世話で[[名古屋]]から移住してきた[[鈴木信吉]]が[[小僧]]をしていた{{Sfn|都築|1917|pp=191-194}}。
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その後、大角は退社して[[十勝]]へ移り、代わって[[和合書院|和合塾]]出身の小川助二郎が支配人となった。一時期は商売が繁盛していたが、村が発展して他に商店が出来ると次第に欠損金を重ねるようになり、小川が着任した後、10余年で解散した。{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}
 
その後、大角は退社して[[十勝]]へ移り、代わって[[和合書院|和合塾]]出身の小川助二郎が支配人となった。一時期は商売が繁盛していたが、村が発展して他に商店が出来ると次第に欠損金を重ねるようになり、小川が着任した後、10余年で解散した。{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}
  
小川はその後、八雲村で酒屋を経営した{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}。
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小川はその後、八雲村で[[酒屋]]を経営した{{Sfn|都築|1917|p=189-191}}。
  
 
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2020年5月23日 (土) 14:21時点における最新版

八雲商会(やくもしょうかい)は、かつて北海道山越郡山越内村字遊楽部(のち山越郡八雲村)にあり、同地の産品を各地へ販売していた株式会社角田弘業が頭取となり、設立当初は、支配人の大角勝四郎名古屋から招聘して経営。大角は函館で八雲村の産品を売り、また函館で生活物資を仕入れて八雲村で住民向けに販売した。[1]

設立の頃、片桐助作の世話で名古屋から移住してきた鈴木信吉小僧をしていた[2]

その後、大角は退社して十勝へ移り、代わって和合塾出身の小川助二郎が支配人となった。一時期は商売が繁盛していたが、村が発展して他に商店が出来ると次第に欠損金を重ねるようになり、小川が着任した後、10余年で解散した。[1]

小川はその後、八雲村で酒屋を経営した[1]

付録[編集]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 都築 1917 189-191
  2. 都築 1917 191-194

参考文献[編集]

  • 都築 (1917) 都築省三『村の創業』実業之日本社、NDLJP 955971