「仙台市」の版間の差分

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[[鎮守府]]兼[[陸奥]][[国府]]の[[多賀城]]の前身に当たる[[郡山城]]が置かれた。当時はまだ九州に[[大宰府]]は存在せず、郡山城は[[飛鳥]]の都に次ぐ“副首都格”の国府であった。簡単に言えば“もともと日本の副首都”であった。
 
[[鎮守府]]兼[[陸奥]][[国府]]の[[多賀城]]の前身に当たる[[郡山城]]が置かれた。当時はまだ九州に[[大宰府]]は存在せず、郡山城は[[飛鳥]]の都に次ぐ“副首都格”の国府であった。簡単に言えば“もともと日本の副首都”であった。
  
[[聖武天皇]]の時代、“七重の塔”を擁する[[陸奥国分寺]]と[[陸奥国分尼寺]]が置かれた。
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[[聖武天皇]]の時代、“七重の塔”を擁する[[陸奥国分寺]]と[[陸奥国分尼寺]]が造られた。
  
 
===「中世」===
 
===「中世」===

2011年9月15日 (木) 07:54時点における版

仙台市(せんだいし)は宮城県県庁所在地で、東北地方の中心都市である。

「古代」

鎮守府陸奥国府多賀城の前身に当たる郡山城が置かれた。当時はまだ九州に大宰府は存在せず、郡山城は飛鳥の都に次ぐ“副首都格”の国府であった。簡単に言えば“もともと日本の副首都”であった。

聖武天皇の時代、“七重の塔”を擁する陸奥国分寺陸奥国分尼寺が造られた。

「中世」

戦国大名・国分氏居城が置かれた。国分氏はやがて伊達氏の家臣となる。

「伊達政宗と仙台開府」

1601年、“奥州王”こと伊達政宗仙台城(通称・青葉城)と城下町・仙台をつくる。当時は江戸東京)に匹敵する規模を誇った。仙台藩62万石(実際には(実高は)200万石)の中心地であった。

1613年、伊達政宗は徳川家康から“外交権を取得”し、“西洋への日本初の外交使節”である慶長遣欧使節団を、スペインローマ法王庁などへ派遣した。このようなことができた大名は日本全国で伊達政宗の他にはおらず、これは伊達政宗が“副将軍格”であった事実を示す出来事である。

「幕末と明治初期」

幕末には“北海道の約半分”を領地とした。戊辰戦争奥羽越列藩同盟(同盟政府)の盟主となる。戦いに敗れて北海道の領地を没収されたうえ、領地を3分の1に削減される。戦後、北海道の開拓を行い、明治政府と共に札幌市を開拓し、単独で伊達市などを開拓した。

第二師団(第一師団は東京)が置かれた。同じく第二帝国大学(第一帝国大学は東京)が置かれた。

「現在」

現在の人口は100万人。政令指定都市でもある。

特産品・名物は、仙台平仙台箪笥堤人形仙台味噌笹かまぼこ仙台駄菓子牛タン焼き。フィギュアスケートと牛タンと冷やし中華の発祥の地。

プロ野球・楽天ゴールデンイーグルスの本拠地。サッカー・ベガルタ仙台の本拠地。バスケットボール・仙台エイティーナイラーズの本拠地。

2011年3月11日、東日本大震災で仙台市の若林区(太平洋側)が大津波の被害を受け、多数の死者・行方不明者をだした。


関連項目