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[[Image:JR東日本1.png|150px|right]][[ファイル:京葉線.jpg|400px|thumb|京葉線]]
 
[[Image:JR東日本1.png|150px|right]][[ファイル:京葉線.jpg|400px|thumb|京葉線]]
'''京葉線'''(けいようせん)は、[[東京都]][[千代田区]]の[[東京駅]]から[[東京湾]]湾岸沿いを経由して[[千葉県]][[千葉市]][[中央区 (千葉市)|中央区]]の[[蘇我駅]]を結ぶ、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。このほかに、千葉県[[船橋市]]の[[西船橋駅]]と[[南船橋駅]]の間および西船橋駅と[[市川市]]の[[市川塩浜駅]]の間に支線を持つ。
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'''京葉線'''(けいようせん)は、[[東京都]][[千代田区]]の[[東京駅]]から[[東京湾]]湾岸沿いを経由して[[千葉県]][[千葉市]][[中央区 (千葉市)|中央区]]の[[蘇我駅]]を結ぶ、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。このほかに、千葉県[[船橋市]]の[[西船橋駅]]と[[南船橋駅]]の間および西船橋駅と[[市川市]]の[[市川塩浜駅]]の間に支線を持つ。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''JE'''。(東京 - 千葉みなと間)このほかに、千葉県[[船橋市]]の[[西船橋駅]]と[[南船橋駅]]の間および西船橋駅と[[市川市]]の[[市川塩浜駅]]の間に支線を持つ。
  
 
支線は運転系統上[[武蔵野線]]直通に使われており、路線図や乗り換え案内では同線の一部とされているケースも見受けられる。
 
支線は運転系統上[[武蔵野線]]直通に使われており、路線図や乗り換え案内では同線の一部とされているケースも見受けられる。
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* 東京 - 南船橋 26.0km
 
* 東京 - 南船橋 26.0km
 
* 市川塩浜 - 西船橋 5.9km
 
* 市川塩浜 - 西船橋 5.9km
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== 歴史 ==
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京葉線の計画以前に、[[京成電鉄]]が京葉線とほぼ同じルートで自社線のバイパス路線の建設を計画していた(京成の免許申請区間は[[東陽町駅|東陽町]] - オリエンタルランド〈現在の[[舞浜駅|舞浜]]〉 - [[南船橋駅|船橋港]] - [[稲毛海岸駅|稲毛海岸]] - [[千葉みなと駅|千葉港]] - [[千葉寺駅|千葉寺]])。京成電鉄が浦安沖の砂州を埋め立てて開発をし、京成の社長が誘致した[[東京ディズニーランド]](当時の仮称は[[オリエンタルランド#沿革|オリエンタルランド]])は、この新規路線の沿線開発の一環であった。
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京成電鉄がその路線計画から手を引いた後、国鉄がそれまで計画していた汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物線([[東京外環状線]])として別途計画され、[[日本鉄道建設公団]](鉄建公団)により大都市交通線(D線)<ref group="注釈">[[武蔵野線]]・[[湖西線]]と同ランク</ref>として建設された路線が京葉線であり、後に旅客線化された。なお、京葉貨物線の旅客線化が決定する以前にも京葉貨物線沿線にある[[海浜ニュータウン]](検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](当時)[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]へ直通運転させる計画が存在した。
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[[ファイル:Musashi-Keiyo.jpg|200px|right|thumb|西船橋駅付近のデルタ線(三角線)]]
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高架の設計・建築は貨物扱いを前提としたもので、川崎製鉄(現在の[[JFEスチール]])千葉製鉄所内への乗り入れ分岐部分(元:[[都川信号場]])や[[千葉貨物ターミナル駅]](2000年廃止)の東京方発着分岐部分、京葉電車区(現在の京葉車両センター)脇の地平への分岐部分など、貨物列車用として用意された数多くの分岐の廃線部分および未完成部分が見受けられる。西船橋駅周辺の[[デルタ線]]もその名残りである。これらの構造を活用して、[[2000年]][[12月2日]]からこれまで[[総武本線|総武・新金]]・[[常磐線]]経由で武蔵野線へ走っていた[[京葉臨海鉄道]]発着の貨物列車が蘇我駅 - 西船橋駅間を経由するルートに変更された。
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新木場駅以東は、将来の[[複々線化]]が容易にできるような設計で建設された。例えば、二俣新町駅付近で西船橋方面と蘇我方面とを結ぶ支線が京葉線下り線を乗り越える箇所は、現在の下り線の北側(山側)に線路を増設できるような設計になっており、千葉県内では1978年に[[千葉県企業庁]]と鉄建公団との間で交わされた覚書に基づいて、千葉県企業庁が京葉線に沿って複々線化用地を確保していたが、その後、覚書は破棄され、千葉県企業庁はJR東日本に複々線化用地の買取りを打診したが、JRは買い取らなかったので、用地は[[東京湾岸道路]]の拡幅に転用されることとなった<ref>[http://response.jp/article/2015/02/25/245089.html 千葉県知事、複々線化は「有力な手段の一つ」…京葉線の輸送力増強] - レスポンス、2015年2月25日</ref>。
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なお、[[1975年]]の蘇我駅から千葉貨物ターミナル駅までの先行開業時には、蘇我駅から都川信号場までは川崎製鉄の[[専用鉄道|専用線]]を通り、千葉貨物ターミナル駅に向かっていた。
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また東京外環状線の計画段階では、新木場駅以西については[[国道357号]]沿いに直進して[[東京臨海副都心]]を経由し、東京湾横断後[[品川埠頭]]直下で南進、[[東京貨物ターミナル駅|東京貨物ターミナル]]に接続させる予定であった。計画変更時に新木場駅 - 東京貨物ターミナル間の軌道はほぼ完成していたため、既設設備を利用して[[東京臨海高速鉄道]][[東京臨海高速鉄道りんかい線|りんかい線]]が開業している。品川埠頭のトンネル内分岐点から南の区間は、当初接続予定であった東京貨物ターミナルの隣にある同社の[[東臨運輸区|八潮車両基地]]への回送線として使用されている。
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東京延伸開業時に[[高橋留美子]]デザインによる「'''マリン'''」というイメージキャラクターが登場した。[[オレンジカード]]、駅に飾る[[タペストリー]]、電車([[国鉄205系電車|205系]])の前面に装着する全線開通と「マリンです。どうぞよろしく」の2種類のヘッドマークなどが制作された。
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=== 年表 ===
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[[ファイル:L25_keyo209-31-HM_N5581-5.jpg|thumb|全線開業20周年記念ヘッドマークを付けた209系電車(2010年4月11日 蘇我駅)]]
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* [[1967年]]([[昭和]]42年)2月:塩浜操車場(現・[[川崎貨物駅]]) - 品川埠頭(仮称)間認可<ref name="RP527">{{Cite journal|和書 |author=丸山伸雄|date = 1990-05 |title=JR東日本京葉線東京開業|journal = [[鉄道ピクトリアル]] |volume = 40 |issue = 5号(通巻527号) |page = 44 |publisher = 電気車研究会 }}</ref>。
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* [[1971年]](昭和46年)6月:西船橋駅 - 蘇我駅間認可<ref name="RP527" />。
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* [[1973年]](昭和48年)10月:東海道貨物線 塩浜操車場 - [[東京貨物ターミナル駅]]間開業<ref name="RP527" />。
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* [[1974年]](昭和49年)3月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間認可<ref name="RP527" />。
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* [[1975年]](昭和50年)[[5月10日]]:蘇我駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が[[貨物線]]として開業。このうち蘇我駅 - 都川信号場間は川崎製鉄(現在のJFEスチール)専用線を借用。千葉貨物ターミナル駅が開業<ref name="RP527" />。
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* [[1978年]](昭和53年)9月:西船橋駅 - 蘇我駅間旅客化認可<ref name="RP527" />。
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* [[1980年]](昭和55年)11月25日:[[千葉県知事]]の[[川上紀一]]が、[[運輸大臣]]の[[塩川正十郎]]に対し、新東京国際空港(現・[[成田国際空港]])への航空燃料の貨車による輸送(暫定輸送)の期間延長を了承するとともに、これに対する見返りとして千葉県側が京葉線の旅客線化・東京駅乗り入れの早期実現を要求<ref name="inage1">{{Cite web |date=2005-06-03|url=http://www.chiba-shinbun.co.jp/0506_02.html |title=千葉の歴史検証シリーズ34  成田国際空港「血と涙の歴史」12 |publisher=稲毛新聞 |accessdate=2017-09-29}}</ref><ref>原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、242頁。</ref>。(→[[成田空港問題]])
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* [[1983年]](昭和58年)7月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間旅客化認可及び東京駅-新木場駅間(都心線)の追加認可<ref name="RP527" />。
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* [[1986年]](昭和61年)
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** [[1月21日]]:蘇我駅 - 都川信号場間の現行線供用開始。都川信号場が廃止。川崎製鉄専用線の借用運転解消。
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** [[3月3日]]:第1期線の西船橋駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が旅客線として開業<ref name="RJ233">{{Cite journal|和書 |date = 1986-06 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 20 |issue = 6 |page = 105 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>。起点が西船橋駅に変更。西船橋駅 - 千葉港駅間で旅客営業を開始<ref name="RJ233"/>。南船橋駅・新習志野駅・海浜幕張駅・検見川浜駅・稲毛海岸駅・千葉港駅(現・千葉みなと駅)が開業。
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** 同日:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に予定されていた鷺沼貨物駅<ref group="注釈">京葉線が貨物線として建設計画していた当時、着工を予定していた貨物ターミナル。</ref>の敷地<ref>長田寛 『鉄道ピクトリアル』1975年7月号 <特集 自動連結器一斉取替記念号> 電気車研究会 京葉線千葉貨物ターミナル=蘇我間開通 P53</ref>に、運用電車の常駐基地として津田沼電車区新習志野派出<ref>末次清 『鉄道ピクトリアル』2002年8月号 特集:JR武蔵野線・京葉線 電気車研究会 P66</ref>が開設<ref group="注釈">基地全体は鷺沼車両基地という通称名があり、「津田沼電車区鷺沼派出所」という向きもある。</ref>。
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** 9月1日:組織変更により、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)に改編<ref>{{Cite journal|和書 |date = 1987-07 |title=JR東日本の車両基地|journal = 鉄道ジャーナル 特集●未来へ羽ばたくJR東日本旅客鉄道 PART-1 |volume = 21 |issue = 8号(通巻248号) |page = 85 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>したため、車両基地の検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は[[蘇我運輸区|津田沼運転区新習志野派出所]]へと改称。
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* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が千葉貨物ターミナル駅 - 蘇我駅間の第二種鉄道事業者となる。
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* [[1988年]](昭和63年)[[12月1日]]:第2期の新木場駅 - 南船橋駅間、市川塩浜駅 - 西船橋駅間が開業し、JRで初めてATS-P型の本格運用を開始。千葉港駅 - 蘇我駅間の旅客営業を開始<ref group="注釈">同区間はこれまでは貨物線であり、線路ができていても貨物列車や回送列車、稀に団体列車や臨時列車が走るのみで、駅や車内、市販の時刻表では路線図に当日まで記載がなく、旅客運賃も千葉・蘇我方面へは西船橋経由で計算されていた。</ref>。武蔵野線からの乗り入れ開始。新木場駅・葛西臨海公園駅・舞浜駅・新浦安駅・市川塩浜駅・二俣新町駅が開業。
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* [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月10日]]:第3期の東京駅 - 新木場駅間が開業し全通。全線で[[列車集中制御装置]] (CTC) が導入。八丁堀駅・越中島駅・潮見駅が開業。工事時には「京葉都心線」とも称された。同時に快速の運転が開始。休日は快速「マリンドリーム」、快速「むさしのドリーム」(武蔵野線直通)という名前で運転。京葉電車区(2004年(平成16年)4月1日から[[京葉車両センター]])が発足。
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* [[1992年]](平成4年)[[3月14日]]:千葉港駅が千葉みなと駅に改称。なお、旧駅名も読みは同じ「ちばみなとえき」であった。近くに同じ字の“ちばこう”があり混同を避けるためである。
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* [[1994年]](平成6年)12月3日:土曜・休日ダイヤ実施。土曜日も休日と同じダイヤとなる。
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* [[2000年]](平成12年)
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** 4月1日:千葉貨物ターミナル駅が廃止。
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** [[12月2日]]:日本貨物鉄道が西船橋駅 - 蘇我駅間の第二種鉄道事業者となり、[[貨物列車]]乗り入れ開始。それに伴い新港信号場が開設。旅客列車も武蔵野線が海浜幕張駅まで直通運転区間を延長し、京葉線にも同駅折り返し列車が設定される。快速列車が平日日中に千葉みなと駅に停車するようになる。
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* [[2002年]](平成14年)12月1日:開業以来初の白紙ダイヤ改正。土曜・休日に運行される快速「マリンドリーム」「むさしのドリーム」が廃止。南船橋駅と千葉みなと駅に京葉快速が終日停車。
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* [[2004年]](平成16年)[[10月16日]]:ダイヤ改正により、通勤快速が新木場駅停車。
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* [[2005年]](平成17年)[[11月18日]]:10両編成で水色の[[国鉄103系電車|103系]]電車がこの日で運用を終了。最後の編成となった302編成は、3日後の11月21日に廃車回送された<ref>鉄道ファン 2006年2月号 189頁</ref>。
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* [[2007年]](平成19年)
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** [[3月18日]]:ダイヤ改正により、一部の特急列車をのぞき特急列車が海浜幕張駅に停車。E331系の営業運転開始。
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** [[3月25日]]:全駅で発車メロディーが導入される。
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* [[2009年]](平成21年)
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** [[1月25日]]:千葉支社管内では初となる[[列車無線]]のデジタル運用開始。
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** [[7月30日]]:新木場駅 - 葛西臨海公園駅間を走行中の東京発蘇我行き各駅停車(205系10両編成)で車両の電気回路がショートし立往生、当該車両から越中島変電所に過電流が流れて火災が発生して送電不能になり、約7時間にわたって不通になる<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20090730/ JR京葉線:運転再開 11万8千人に影響] - [[毎日新聞]] 2009年7月30日</ref>。翌31日、[[国土交通省]][[関東運輸局]]はJR東日本に対して早期の原因究明と再発防止を求める警告文書を発出。
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* [[2010年]](平成22年)
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** 3月10日:全線開業20周年記念キャンペーンが開始され、海浜幕張駅で記念出発式が行われたほか、記念ヘッドマークを付けた電車の運転を開始(1年間)。
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** 7月1日:[[JR東日本E233系電車|E233系5000番台]]電車の営業運転開始<ref name="rf20100702" />。
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** 9月27日:[[上皇明仁|天皇]]・[[上皇后美智子|皇后]]の千葉県訪問(国体視察など)に伴う[[JR東日本E655系電車|E655系]](特別車両 E655-1 を含む6両編成)使用の[[お召し列車]]が、[[内房線]][[館山駅]]から京葉線経由で[[東京駅]]間に運転される<ref>[http://railf.jp/news/2010/09/28/184700.html E655系を使用したお召列車が内房線・京葉線で運転される] - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2010年9月28日</ref>。
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* [[2011年]](平成23年)
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** 3月11日:[[東日本大震災]]が発生し、地震直後から全線で運転見合わせとなった。翌日運転再開するも[[計画停電]]の影響もあり、特別ダイヤでの運行がしばらく続いた。
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** 6月20日:[[国鉄201系電車|201系]]電車がこの日で運用を終了。この日の運用は朝だけだった。これによりJR東日本から201系が消滅し、京葉線から長らく運転されていた水色の電車が姿を消した。
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** 7月25日:10両編成で赤帯の[[国鉄205系電車|205系]]電車がこの日で運用を終了。以後もしばらくは[[京葉車両センター]]で留置。
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* [[2012年]](平成24年)11月28日:二俣新町駅 - 南船橋駅を走行中に府中本町発海浜幕張行きの武蔵野線直通の各駅停車(205系8両M15編成)で車両の電気回路のヒューズが切れ立ち往生し、京葉線全線で4時間にわたって運休した<ref>[http://www.asahi.com/national/update/1128/TKY201211280360.html/ 京葉線、車両故障で4時間停止 1500人が線路を移動] - [[朝日新聞]] 2012年11月28日</ref><ref>[http://www.asahi.com/national/update/1128/TKY201211280813.html/ JR京葉線停止、原因はヒューズ切れ 車両の電気回路] - 朝日新聞 2012年11月28日</ref>。
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* [[2013年]](平成25年)
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** 3月16日:通勤快速をのぞいて朝通勤時間帯の快速の運転を取りやめすべて各駅停車での運転となる。また、武蔵野線直通列車も各駅停車となる。
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** 4月10日:府中本町発東京行き各駅停車のドアが西船橋駅で故障により閉まらなくなるというトラブルが発生。朝のラッシュアワーで代替電車の手配ができなかったため、開いたままのドアを黄色い布でふさいで運行するという異例の対応をとった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/04/11/kiji/K20130411005585480.html 京葉線 朝のラッシュ時ドア閉まらず全開走行]. スポニチ.(2013年4月11日).2015年4月6日閲覧。</ref>。<!-- 故障によるトラブルは掲載しないという方針であるが、対応が異例であるため、敢えて掲載しております。 --->
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* [[2015年]](平成27年):「京葉ベイサイドラインプロジェクト」を立ち上げ<ref name="jreast-chiba20150424" />。
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* [[2016年]](平成28年)9月25日:[[東京圏輸送管理システム]] (ATOS) 導入。
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* 2024年度中:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に新駅開業予定<ref name="sineki">[https://www.asahi.com/articles/ASL4N53B7L4NUTIL022.html JR京葉線、幕張新都心に新駅 イオンモールが半額負担] 朝日新聞、2018年4月20日</ref>。
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== 使用車両 ==
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=== 現在の使用車両 ===
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すべて[[電車]]で運転されている。通勤形車両は武蔵野線用を含め[[東日本旅客鉄道千葉支社|千葉支社]][[京葉車両センター]]所属、特急形車両は同[[幕張車両センター]]所属である。
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==== 特急 ====
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特急「[[さざなみ (列車)|さざなみ]]」「[[わかしお (列車)|わかしお]]」用に以下の車両が使用されている。
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* [[JR東日本E257系電車#500番台|E257系500番台]](10両編成または5両編成)
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* [[JR東日本255系電車|255系]](9両編成)
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ファイル:JR_East_255_Limited_Express_Sazanami.jpg|[[JR東日本255系電車|255系]]
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ファイル:JRE_E257_NB-01_Wakashio_Kasairinkai.jpg|[[JR東日本E257系電車|E257系]]500番台
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</gallery>
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==== 快速・各駅停車 ====
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すべて片側4ドアの車両であり、京葉線用車両は10両編成、武蔵野線からの乗り入れ車両は8両編成である。
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京葉線用ステンレス車両はラインカラーであるワインレッド({{Color|#C9242F|■}}、[[赤14号]])の帯を巻いている。[[2011年]]まで運用されていた[[国鉄201系電車|201系]]や[[2005年]]まで運用されていた[[国鉄103系電車|103系]]の車体色は、[[京浜東北線]]と同様のスカイブルー({{Color|#00B2E5|■}}、[[青22号]])だった。これは[[東京湾]]の海の色をイメージしたことと、同線に最初に投入された103系の半数以上が京浜東北線からの転入車だったこと、[[国鉄101系電車|101系]]を使用したワインレッドの試験塗装が思わしくなかったためである。新木場開業の頃には、[[習志野電車区]]から借り入れた[[黄5号]]の103系も運用されていたことがある。
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武蔵野線から乗り入れる車両はオレンジ色と茶色({{Color|#f15a22|■}} {{Color|#3C060F|■}})の帯を巻いている。かつて運用されていた103・201系はオレンジ一色であった。
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* [[JR東日本E233系電車#5000番台|E233系5000番台]](10両編成・6両編成+4両編成)
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** 2010年[[7月1日]]より運用が開始された現在の主力車両である<ref name="rf20100702">[http://railf.jp/news/2010/07/02/093000.html E233系5000番台が営業運転を開始] - 『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』[[交友社]] railf.jp鉄道ニュース 2010年7月2日</ref>。投入初期は10連貫通編成のみだったが、増備途中で6両+4両分割編成が製作され2011年[[3月7日]]より分割運用にも投入された。なお、E233系投入により、201系と205系の一部は廃車となり、209系500番台の一部は武蔵野線に転用された<ref>{{Cite journal|和書|year=2009|month=11|title=京葉線にE233系電車を来年から導入|journal=鉄道ピクトリアル|volume=59|issue=11|pages=p. 24|publisher=電気車研究会|issn=0040-4047}}</ref><ref>『鉄道ダイヤ情報 2009年11月号』[[交通新聞社]] P71</ref>。
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* [[JR東日本209系電車|209系500番台]](10両・8両編成)
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** 2008年10月より、[[京浜東北線]]・[[根岸線]]に[[JR東日本E233系電車#1000番台|E233系1000番台]]が導入されるのに伴い、同線用209系500番台のうち4編成が京葉線に順次転入、2008年12月1日より運行を開始した<ref>[http://railf.jp/news/2008/12/03/090500.html 209系500番台,京葉線で営業運転を開始] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2008年12月3日</ref>。[[2010年]]3月から205系の東京延伸時から在籍している編成と共通運用になり、外房線千葉駅 - 上総一ノ宮駅間、内房線蘇我駅 - 上総湊駅間にも乗り入れる。
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** E233系投入により3編成が8両編成として武蔵野線用に転用され、直通電車として乗り入れている。
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* [[JR東日本E231系電車|E231系]](8両編成)
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** [[山手線]]へのE235系投入に伴うE231系500番台の中央・総武線各駅停車への転属に伴い、同線用E231系0番台の一部が武蔵野線に転入され<ref>[http://railf.jp/news/2017/09/20/173000.html 武蔵野線色となったE231系が京葉車両センターへ] 鉄道ファン(railf.jp) 2017年9月20日</ref>、2017年11月1日から運行を開始した<ref>[https://www.tetsudo.com/topics/8196/ E231系武蔵野線MU2編成 運転開始] - 鉄道コム、2017年11月1日</ref>。
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* [[国鉄205系電車|205系]]([[国鉄205系電車#0番台量産先行車|0]]・[[国鉄205系電車#武蔵野線向け(5000番台)|5000番台]])(8両編成)
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** 京葉線用の10両編成は2011年7月25日で運用を離脱しており(次節「[[#過去の使用車両|過去の使用車両]]」を参照)、武蔵野線用の8両編成が運用されている。この8両編成は、武蔵野線用に製作された先頭車前面の形状が従来と違うスタイルの編成と、後年[[中央・総武緩行線]]・[[山手線]]・[[南武線]]・[[埼京線]]からそれぞれ転入した車両が存在している。また、他線区から京葉線に転入後、再度武蔵野線に転用された車両もある。
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ファイル:E233 keiyou color.JPG|E233系5000番台
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ファイル:209系500番台ケヨ34編成.jpg|209系500番台
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ファイル:JR East e231 series Musashino Line 20171127.jpg|E231系<br>(武蔵野線直通車)
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ファイル:Musashino 209-500 M71.jpg|209系500番台<br>(武蔵野線直通車)
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ファイル:JRE 205 5000 musashino.JPG|205系5000番台<br>(武蔵野線直通車)
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ファイル:JR East 205 Musashino-style.jpg|205系5000番台<br>(武蔵野線直通車)
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=== 過去の使用車両 ===
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快速・各駅停車として、以下の車両が使用されていた。
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* [[国鉄103系電車|103系]](10両編成・8両編成・6両編成・4両編成)
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** 1986年3月の旅客営業開始当初、4両編成と6両編成を併結した編成が[[京浜東北線]]と[[横浜線]]より[[青22号]]に揃えて津田沼電車区に転入、日中6両編成、朝夕ラッシュ時10両編成で運行され、車両は同区所属で津田沼電車区新習志野派出に常駐していた。
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** 1986年9月から日中は4両編成化され、1988年12月の新木場・蘇我延伸開業から再び日中は6両編成に戻り、1990年3月の東京延伸開業時以降もその運用状態は変わらなかった。その後、1993年12月より京葉線内限定運用の編成は終日10両編成化された。
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** 原則として京葉線内限定運用であったが、201系投入までは6両+4両分割編成による京葉線から外房線勝浦と外房線経由で東金線成東に向かう分割併合運用も担当していた。
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** 津田沼電車区→習志野電車区配置の[[中央・総武緩行線]]用103系にも京葉線対応工事が施工された編成が存在し、東京開業までの間京葉線で営業運転を行うこともあった。
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**京葉線向けの水色の車両は、2005年11月18日をもって同線の定期運用を終了した。
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** 武蔵野線直通電車は当初6両編成であったが、1991年12月から1996年12月にかけて8両編成化された。
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** 8両編成の武蔵野線直通用に使用されていたE38編成が[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)に、E20 - 22・27編成のうちの各4両の計16両が[[インドネシア]]の鉄道会社(PT Kereta Api、[[KRLジャボタベック]]で使用)に売却されたほかは全廃された。
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** 10両編成の京葉線内限定運用のクハ103-713の車体は一部をカットして[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]で展示されている。
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* [[国鉄201系電車|201系]](10両編成・6両編成+4両編成)
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** 103系置き換え用として中央・総武緩行線から転入した車両が在籍していた。2007年には205系の転出分の穴埋めで[[中央線快速]]からも2本(元T32・T130編成)が改造の上で転入したが、209系500番台に置き換えられ非分割編成2本とともに2009年2月までに長野総合車両センターに廃車回送された<ref>[http://railf.jp/news/2009/02/05/130600.html 201系ケヨ72編成,長野へ] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年2月5日</ref>。また、試作車の900番台も京葉線で使用されていたが、こちらは山手線から転入した205系に置き換えられ[[2005年]]に廃車された。
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** 車両分割のある外房線・東金線直通運用では分割併合に対応した「51 - 54」+「K1 - K4」編成が最後まで残っていたが、2011年6月20日をもって運用を離脱した。
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* [[国鉄205系電車|205系]](10両編成)
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** 1990年の東京延伸開業にあわせ京葉線用に製作された先頭車前面の形状が従来と違うスタイルの編成と、後年103系置き換え用として中央・総武緩行線・山手線(量産先行車の4編成含む)からそれぞれ転入した車両が存在していた。なお、外房線・内房線直通列車は、原則として110km/h運転対応の、東京延伸時からの在籍車である先頭車の前面形状が違う編成が使用されていた。E233系投入により順次運用から離脱、2011年7月25日をもって同線での定期運用を終了した<ref>ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」2012年1月号記事「さよなら「田窓」電車205系量産先行車」参照</ref>。一部は4両編成に短縮、トイレ設置などの改造がなされ[[小山車両センター]]([[東北本線]]([[宇都宮線]])・[[日光線]])へ転出した。また一部は3両編成に短縮の上、[[富士急行]][[富士急行6000系電車|6000系]]として[[富士急行線|富士急行大月線・河口湖線]]に転属した。
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* [[国鉄165系電車|165系]]改造車3両編成<!--3両編成1本しか改造されていないため6両編成での運転はない-->(快速「[[シャトル・マイハマ]]」)
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** 東京開業からしばらくの間、東京ディズニーランドへの連絡輸送を目的とする快速列車「シャトルマイハマ」として東京駅 - 西船橋駅間で運行していたこともある。また、休日などごくわずかに[[内房線]]や[[外房線]]からも運行した。内装は[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]をイメージしたものになっていた。[[1995年]]に上沼垂運転区(現在の[[新潟車両センター]])に転出し、「アルファ」と改称され主に新潟地区で運用されたが、[[2001年]]に廃車された。
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* [[JR東日本E331系電車|E331系]](14両編成)
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** 試験的に投入された[[連接台車|連接車両]]で、1編成のみ存在した。14両編成で通常の列車の10両編成分と同じ長さである。
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** 2007年3月18日のダイヤ改正から土曜・休日のみの運用として営業運転を開始したが、後に部品の一部について改良が必要と判明し同年4月に営業運転から暫定的に離脱した。改良後、何度かの試運転を経て2008年12月23日より改めて土休日ダイヤでの営業運転を再開した<ref>{{PDFlink|[http://www.jrchiba.jp/news/pdf/20081219E331.pdf E331系の運転再開について]}} - 東日本旅客鉄道千葉支社プレスリリース 2008年12月19日</ref>。
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** ドアの位置が既存車両と異なるため、本系列独自の乗車口マークが各ホームに設置されたほか、[[発車標]]や一部駅の[[時刻表]]では本系列運用時に「14両」と表記された。
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** E233系への置き換え対象からは唯一外れE233系導入後も継続して京葉線で使用するとされたが、2011年10月1日の運用改訂で再度運用から外れた(実際には改訂以前より他車種による代走となっていた)。
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** 2014年4月2日付で廃車。
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ファイル:L25_Tc103-574_640.jpg|103系
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ファイル:JRE-201-EMU-KeiyouLine.jpg|201系
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ファイル:Keiyo-205.jpg|205系(新製導入車)
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ファイル:Keiyo-205_0.jpg|205系(山手線からの転入車)
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ファイル:JRE-EC165-Shuttle-Maihama.jpg|165系「シャトル・マイハマ」
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ファイル:JREast-E331.jpg|E331系
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== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2019年6月15日 (土) 20:02時点における版

JR logo (east).svg
京葉線

京葉線(けいようせん)は、東京都千代田区東京駅から東京湾湾岸沿いを経由して千葉県千葉市中央区蘇我駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。このほかに、千葉県船橋市西船橋駅南船橋駅の間および西船橋駅と市川市市川塩浜駅の間に支線を持つ。駅ナンバリングで使われる路線記号はJE。(東京 - 千葉みなと間)このほかに、千葉県船橋市西船橋駅南船橋駅の間および西船橋駅と市川市市川塩浜駅の間に支線を持つ。

支線は運転系統上武蔵野線直通に使われており、路線図や乗り換え案内では同線の一部とされているケースも見受けられる。

  • 東京駅 - 蘇我駅間 43.0km
  • 市川塩浜駅 - 西船橋駅間 5.9km(高谷支線)
  • 西船橋駅 - 南船橋駅間 5.4km(二俣支線)

鉄道要覧』では以下のように書かれている。

  • 西船橋 - 蘇我 22.4km
  • 東京 - 南船橋 26.0km
  • 市川塩浜 - 西船橋 5.9km

歴史

京葉線の計画以前に、京成電鉄が京葉線とほぼ同じルートで自社線のバイパス路線の建設を計画していた(京成の免許申請区間は東陽町 - オリエンタルランド〈現在の舞浜〉 - 船橋港 - 稲毛海岸 - 千葉港 - 千葉寺)。京成電鉄が浦安沖の砂州を埋め立てて開発をし、京成の社長が誘致した東京ディズニーランド(当時の仮称はオリエンタルランド)は、この新規路線の沿線開発の一環であった。

京成電鉄がその路線計画から手を引いた後、国鉄がそれまで計画していた汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物線(東京外環状線)として別途計画され、日本鉄道建設公団(鉄建公団)により大都市交通線(D線)[注釈 1]として建設された路線が京葉線であり、後に旅客線化された。なお、京葉貨物線の旅客線化が決定する以前にも京葉貨物線沿線にある海浜ニュータウン(検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、営団地下鉄(当時)有楽町線へ直通運転させる計画が存在した。

ファイル:Musashi-Keiyo.jpg
西船橋駅付近のデルタ線(三角線)

高架の設計・建築は貨物扱いを前提としたもので、川崎製鉄(現在のJFEスチール)千葉製鉄所内への乗り入れ分岐部分(元:都川信号場)や千葉貨物ターミナル駅(2000年廃止)の東京方発着分岐部分、京葉電車区(現在の京葉車両センター)脇の地平への分岐部分など、貨物列車用として用意された数多くの分岐の廃線部分および未完成部分が見受けられる。西船橋駅周辺のデルタ線もその名残りである。これらの構造を活用して、2000年12月2日からこれまで総武・新金常磐線経由で武蔵野線へ走っていた京葉臨海鉄道発着の貨物列車が蘇我駅 - 西船橋駅間を経由するルートに変更された。

新木場駅以東は、将来の複々線化が容易にできるような設計で建設された。例えば、二俣新町駅付近で西船橋方面と蘇我方面とを結ぶ支線が京葉線下り線を乗り越える箇所は、現在の下り線の北側(山側)に線路を増設できるような設計になっており、千葉県内では1978年に千葉県企業庁と鉄建公団との間で交わされた覚書に基づいて、千葉県企業庁が京葉線に沿って複々線化用地を確保していたが、その後、覚書は破棄され、千葉県企業庁はJR東日本に複々線化用地の買取りを打診したが、JRは買い取らなかったので、用地は東京湾岸道路の拡幅に転用されることとなった[1]

なお、1975年の蘇我駅から千葉貨物ターミナル駅までの先行開業時には、蘇我駅から都川信号場までは川崎製鉄の専用線を通り、千葉貨物ターミナル駅に向かっていた。

また東京外環状線の計画段階では、新木場駅以西については国道357号沿いに直進して東京臨海副都心を経由し、東京湾横断後品川埠頭直下で南進、東京貨物ターミナルに接続させる予定であった。計画変更時に新木場駅 - 東京貨物ターミナル間の軌道はほぼ完成していたため、既設設備を利用して東京臨海高速鉄道りんかい線が開業している。品川埠頭のトンネル内分岐点から南の区間は、当初接続予定であった東京貨物ターミナルの隣にある同社の八潮車両基地への回送線として使用されている。

東京延伸開業時に高橋留美子デザインによる「マリン」というイメージキャラクターが登場した。オレンジカード、駅に飾るタペストリー、電車(205系)の前面に装着する全線開通と「マリンです。どうぞよろしく」の2種類のヘッドマークなどが制作された。

年表

ファイル:L25 keyo209-31-HM N5581-5.jpg
全線開業20周年記念ヘッドマークを付けた209系電車(2010年4月11日 蘇我駅)
  • 1967年昭和42年)2月:塩浜操車場(現・川崎貨物駅) - 品川埠頭(仮称)間認可[2]
  • 1971年(昭和46年)6月:西船橋駅 - 蘇我駅間認可[2]
  • 1973年(昭和48年)10月:東海道貨物線 塩浜操車場 - 東京貨物ターミナル駅間開業[2]
  • 1974年(昭和49年)3月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間認可[2]
  • 1975年(昭和50年)5月10日:蘇我駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が貨物線として開業。このうち蘇我駅 - 都川信号場間は川崎製鉄(現在のJFEスチール)専用線を借用。千葉貨物ターミナル駅が開業[2]
  • 1978年(昭和53年)9月:西船橋駅 - 蘇我駅間旅客化認可[2]
  • 1980年(昭和55年)11月25日:千葉県知事川上紀一が、運輸大臣塩川正十郎に対し、新東京国際空港(現・成田国際空港)への航空燃料の貨車による輸送(暫定輸送)の期間延長を了承するとともに、これに対する見返りとして千葉県側が京葉線の旅客線化・東京駅乗り入れの早期実現を要求[3][4]。(→成田空港問題
  • 1983年(昭和58年)7月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間旅客化認可及び東京駅-新木場駅間(都心線)の追加認可[2]
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月21日:蘇我駅 - 都川信号場間の現行線供用開始。都川信号場が廃止。川崎製鉄専用線の借用運転解消。
    • 3月3日:第1期線の西船橋駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が旅客線として開業[5]。起点が西船橋駅に変更。西船橋駅 - 千葉港駅間で旅客営業を開始[5]。南船橋駅・新習志野駅・海浜幕張駅・検見川浜駅・稲毛海岸駅・千葉港駅(現・千葉みなと駅)が開業。
    • 同日:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に予定されていた鷺沼貨物駅[注釈 2]の敷地[6]に、運用電車の常駐基地として津田沼電車区新習志野派出[7]が開設[注釈 3]
    • 9月1日:組織変更により、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)に改編[8]したため、車両基地の検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は津田沼運転区新習志野派出所へと改称。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が千葉貨物ターミナル駅 - 蘇我駅間の第二種鉄道事業者となる。
  • 1988年(昭和63年)12月1日:第2期の新木場駅 - 南船橋駅間、市川塩浜駅 - 西船橋駅間が開業し、JRで初めてATS-P型の本格運用を開始。千葉港駅 - 蘇我駅間の旅客営業を開始[注釈 4]。武蔵野線からの乗り入れ開始。新木場駅・葛西臨海公園駅・舞浜駅・新浦安駅・市川塩浜駅・二俣新町駅が開業。
  • 1990年平成2年)3月10日:第3期の東京駅 - 新木場駅間が開業し全通。全線で列車集中制御装置 (CTC) が導入。八丁堀駅・越中島駅・潮見駅が開業。工事時には「京葉都心線」とも称された。同時に快速の運転が開始。休日は快速「マリンドリーム」、快速「むさしのドリーム」(武蔵野線直通)という名前で運転。京葉電車区(2004年(平成16年)4月1日から京葉車両センター)が発足。
  • 1992年(平成4年)3月14日:千葉港駅が千葉みなと駅に改称。なお、旧駅名も読みは同じ「ちばみなとえき」であった。近くに同じ字の“ちばこう”があり混同を避けるためである。
  • 1994年(平成6年)12月3日:土曜・休日ダイヤ実施。土曜日も休日と同じダイヤとなる。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月1日:千葉貨物ターミナル駅が廃止。
    • 12月2日:日本貨物鉄道が西船橋駅 - 蘇我駅間の第二種鉄道事業者となり、貨物列車乗り入れ開始。それに伴い新港信号場が開設。旅客列車も武蔵野線が海浜幕張駅まで直通運転区間を延長し、京葉線にも同駅折り返し列車が設定される。快速列車が平日日中に千葉みなと駅に停車するようになる。
  • 2002年(平成14年)12月1日:開業以来初の白紙ダイヤ改正。土曜・休日に運行される快速「マリンドリーム」「むさしのドリーム」が廃止。南船橋駅と千葉みなと駅に京葉快速が終日停車。
  • 2004年(平成16年)10月16日:ダイヤ改正により、通勤快速が新木場駅停車。
  • 2005年(平成17年)11月18日:10両編成で水色の103系電車がこの日で運用を終了。最後の編成となった302編成は、3日後の11月21日に廃車回送された[9]
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日:ダイヤ改正により、一部の特急列車をのぞき特急列車が海浜幕張駅に停車。E331系の営業運転開始。
    • 3月25日:全駅で発車メロディーが導入される。
  • 2009年(平成21年)
    • 1月25日:千葉支社管内では初となる列車無線のデジタル運用開始。
    • 7月30日:新木場駅 - 葛西臨海公園駅間を走行中の東京発蘇我行き各駅停車(205系10両編成)で車両の電気回路がショートし立往生、当該車両から越中島変電所に過電流が流れて火災が発生して送電不能になり、約7時間にわたって不通になる[10]。翌31日、国土交通省関東運輸局はJR東日本に対して早期の原因究明と再発防止を求める警告文書を発出。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月10日:全線開業20周年記念キャンペーンが開始され、海浜幕張駅で記念出発式が行われたほか、記念ヘッドマークを付けた電車の運転を開始(1年間)。
    • 7月1日:E233系5000番台電車の営業運転開始[11]
    • 9月27日:天皇皇后の千葉県訪問(国体視察など)に伴うE655系(特別車両 E655-1 を含む6両編成)使用のお召し列車が、内房線館山駅から京葉線経由で東京駅間に運転される[12]
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日:東日本大震災が発生し、地震直後から全線で運転見合わせとなった。翌日運転再開するも計画停電の影響もあり、特別ダイヤでの運行がしばらく続いた。
    • 6月20日:201系電車がこの日で運用を終了。この日の運用は朝だけだった。これによりJR東日本から201系が消滅し、京葉線から長らく運転されていた水色の電車が姿を消した。
    • 7月25日:10両編成で赤帯の205系電車がこの日で運用を終了。以後もしばらくは京葉車両センターで留置。
  • 2012年(平成24年)11月28日:二俣新町駅 - 南船橋駅を走行中に府中本町発海浜幕張行きの武蔵野線直通の各駅停車(205系8両M15編成)で車両の電気回路のヒューズが切れ立ち往生し、京葉線全線で4時間にわたって運休した[13][14]
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日:通勤快速をのぞいて朝通勤時間帯の快速の運転を取りやめすべて各駅停車での運転となる。また、武蔵野線直通列車も各駅停車となる。
    • 4月10日:府中本町発東京行き各駅停車のドアが西船橋駅で故障により閉まらなくなるというトラブルが発生。朝のラッシュアワーで代替電車の手配ができなかったため、開いたままのドアを黄色い布でふさいで運行するという異例の対応をとった[15]
  • 2015年(平成27年):「京葉ベイサイドラインプロジェクト」を立ち上げ[16]
  • 2016年(平成28年)9月25日:東京圏輸送管理システム (ATOS) 導入。
  • 2024年度中:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に新駅開業予定[17]

使用車両

現在の使用車両

すべて電車で運転されている。通勤形車両は武蔵野線用を含め千葉支社京葉車両センター所属、特急形車両は同幕張車両センター所属である。

特急

特急「さざなみ」「わかしお」用に以下の車両が使用されている。

快速・各駅停車

すべて片側4ドアの車両であり、京葉線用車両は10両編成、武蔵野線からの乗り入れ車両は8両編成である。

京葉線用ステンレス車両はラインカラーであるワインレッド(赤14号)の帯を巻いている。2011年まで運用されていた201系2005年まで運用されていた103系の車体色は、京浜東北線と同様のスカイブルー(青22号)だった。これは東京湾の海の色をイメージしたことと、同線に最初に投入された103系の半数以上が京浜東北線からの転入車だったこと、101系を使用したワインレッドの試験塗装が思わしくなかったためである。新木場開業の頃には、習志野電車区から借り入れた黄5号の103系も運用されていたことがある。

武蔵野線から乗り入れる車両はオレンジ色と茶色( )の帯を巻いている。かつて運用されていた103・201系はオレンジ一色であった。

  • E233系5000番台(10両編成・6両編成+4両編成)
    • 2010年7月1日より運用が開始された現在の主力車両である[11]。投入初期は10連貫通編成のみだったが、増備途中で6両+4両分割編成が製作され2011年3月7日より分割運用にも投入された。なお、E233系投入により、201系と205系の一部は廃車となり、209系500番台の一部は武蔵野線に転用された[18][19]
  • 209系500番台(10両・8両編成)
    • 2008年10月より、京浜東北線根岸線E233系1000番台が導入されるのに伴い、同線用209系500番台のうち4編成が京葉線に順次転入、2008年12月1日より運行を開始した[20]2010年3月から205系の東京延伸時から在籍している編成と共通運用になり、外房線千葉駅 - 上総一ノ宮駅間、内房線蘇我駅 - 上総湊駅間にも乗り入れる。
    • E233系投入により3編成が8両編成として武蔵野線用に転用され、直通電車として乗り入れている。
  • E231系(8両編成)
    • 山手線へのE235系投入に伴うE231系500番台の中央・総武線各駅停車への転属に伴い、同線用E231系0番台の一部が武蔵野線に転入され[21]、2017年11月1日から運行を開始した[22]
  • 205系05000番台)(8両編成)
    • 京葉線用の10両編成は2011年7月25日で運用を離脱しており(次節「過去の使用車両」を参照)、武蔵野線用の8両編成が運用されている。この8両編成は、武蔵野線用に製作された先頭車前面の形状が従来と違うスタイルの編成と、後年中央・総武緩行線山手線南武線埼京線からそれぞれ転入した車両が存在している。また、他線区から京葉線に転入後、再度武蔵野線に転用された車両もある。

過去の使用車両

快速・各駅停車として、以下の車両が使用されていた。

  • 103系(10両編成・8両編成・6両編成・4両編成)
    • 1986年3月の旅客営業開始当初、4両編成と6両編成を併結した編成が京浜東北線横浜線より青22号に揃えて津田沼電車区に転入、日中6両編成、朝夕ラッシュ時10両編成で運行され、車両は同区所属で津田沼電車区新習志野派出に常駐していた。
    • 1986年9月から日中は4両編成化され、1988年12月の新木場・蘇我延伸開業から再び日中は6両編成に戻り、1990年3月の東京延伸開業時以降もその運用状態は変わらなかった。その後、1993年12月より京葉線内限定運用の編成は終日10両編成化された。
    • 原則として京葉線内限定運用であったが、201系投入までは6両+4両分割編成による京葉線から外房線勝浦と外房線経由で東金線成東に向かう分割併合運用も担当していた。
    • 津田沼電車区→習志野電車区配置の中央・総武緩行線用103系にも京葉線対応工事が施工された編成が存在し、東京開業までの間京葉線で営業運転を行うこともあった。
    • 京葉線向けの水色の車両は、2005年11月18日をもって同線の定期運用を終了した。
    • 武蔵野線直通電車は当初6両編成であったが、1991年12月から1996年12月にかけて8両編成化された。
    • 8両編成の武蔵野線直通用に使用されていたE38編成が西日本旅客鉄道(JR西日本)に、E20 - 22・27編成のうちの各4両の計16両がインドネシアの鉄道会社(PT Kereta Api、KRLジャボタベックで使用)に売却されたほかは全廃された。
    • 10両編成の京葉線内限定運用のクハ103-713の車体は一部をカットして鉄道博物館で展示されている。
  • 201系(10両編成・6両編成+4両編成)
    • 103系置き換え用として中央・総武緩行線から転入した車両が在籍していた。2007年には205系の転出分の穴埋めで中央線快速からも2本(元T32・T130編成)が改造の上で転入したが、209系500番台に置き換えられ非分割編成2本とともに2009年2月までに長野総合車両センターに廃車回送された[23]。また、試作車の900番台も京葉線で使用されていたが、こちらは山手線から転入した205系に置き換えられ2005年に廃車された。
    • 車両分割のある外房線・東金線直通運用では分割併合に対応した「51 - 54」+「K1 - K4」編成が最後まで残っていたが、2011年6月20日をもって運用を離脱した。
  • 205系(10両編成)
    • 1990年の東京延伸開業にあわせ京葉線用に製作された先頭車前面の形状が従来と違うスタイルの編成と、後年103系置き換え用として中央・総武緩行線・山手線(量産先行車の4編成含む)からそれぞれ転入した車両が存在していた。なお、外房線・内房線直通列車は、原則として110km/h運転対応の、東京延伸時からの在籍車である先頭車の前面形状が違う編成が使用されていた。E233系投入により順次運用から離脱、2011年7月25日をもって同線での定期運用を終了した[24]。一部は4両編成に短縮、トイレ設置などの改造がなされ小山車両センター東北本線宇都宮線)・日光線)へ転出した。また一部は3両編成に短縮の上、富士急行6000系として富士急行大月線・河口湖線に転属した。
  • 165系改造車3両編成(快速「シャトル・マイハマ」)
    • 東京開業からしばらくの間、東京ディズニーランドへの連絡輸送を目的とする快速列車「シャトルマイハマ」として東京駅 - 西船橋駅間で運行していたこともある。また、休日などごくわずかに内房線外房線からも運行した。内装はディズニーをイメージしたものになっていた。1995年に上沼垂運転区(現在の新潟車両センター)に転出し、「アルファ」と改称され主に新潟地区で運用されたが、2001年に廃車された。
  • E331系(14両編成)
    • 試験的に投入された連接車両で、1編成のみ存在した。14両編成で通常の列車の10両編成分と同じ長さである。
    • 2007年3月18日のダイヤ改正から土曜・休日のみの運用として営業運転を開始したが、後に部品の一部について改良が必要と判明し同年4月に営業運転から暫定的に離脱した。改良後、何度かの試運転を経て2008年12月23日より改めて土休日ダイヤでの営業運転を再開した[25]
    • ドアの位置が既存車両と異なるため、本系列独自の乗車口マークが各ホームに設置されたほか、発車標や一部駅の時刻表では本系列運用時に「14両」と表記された。
    • E233系への置き換え対象からは唯一外れE233系導入後も継続して京葉線で使用するとされたが、2011年10月1日の運用改訂で再度運用から外れた(実際には改訂以前より他車種による代走となっていた)。
    • 2014年4月2日付で廃車。

脚注

  1. 千葉県知事、複々線化は「有力な手段の一つ」…京葉線の輸送力増強 - レスポンス、2015年2月25日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 丸山伸雄 (1990-05) 丸山伸雄 [ JR東日本京葉線東京開業 ] 鉄道ピクトリアル 40 5号(通巻527号) 電気車研究会 1990-05 44
  3. (2005-06-03) 千葉の歴史検証シリーズ34  成田国際空港「血と涙の歴史」12 稲毛新聞 2005-06-03 [ arch. ] 2017-09-29
  4. 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、242頁。
  5. 5.0 5.1 (1986-06) [ {{{title}}} ] 鉄道ジャーナル 20 6 鉄道ジャーナル社 1986-06 105
  6. 長田寛 『鉄道ピクトリアル』1975年7月号 <特集 自動連結器一斉取替記念号> 電気車研究会 京葉線千葉貨物ターミナル=蘇我間開通 P53
  7. 末次清 『鉄道ピクトリアル』2002年8月号 特集:JR武蔵野線・京葉線 電気車研究会 P66
  8. (1987-07) [ JR東日本の車両基地 ] 鉄道ジャーナル 特集●未来へ羽ばたくJR東日本旅客鉄道 PART-1 21 8号(通巻248号) 鉄道ジャーナル社 1987-07 85
  9. 鉄道ファン 2006年2月号 189頁
  10. JR京葉線:運転再開 11万8千人に影響 - 毎日新聞 2009年7月30日
  11. 11.0 11.1 E233系5000番台が営業運転を開始 - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年7月2日
  12. E655系を使用したお召列車が内房線・京葉線で運転される - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2010年9月28日
  13. 京葉線、車両故障で4時間停止 1500人が線路を移動 - 朝日新聞 2012年11月28日
  14. JR京葉線停止、原因はヒューズ切れ 車両の電気回路 - 朝日新聞 2012年11月28日
  15. 京葉線 朝のラッシュ時ドア閉まらず全開走行. スポニチ.(2013年4月11日).2015年4月6日閲覧。
  16. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「jreast-chiba20150424」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  17. JR京葉線、幕張新都心に新駅 イオンモールが半額負担 朝日新聞、2018年4月20日
  18. (2009) [ 京葉線にE233系電車を来年から導入 ] 鉄道ピクトリアル 59 11 電気車研究会 2009 11 0040-4047 p. 24
  19. 『鉄道ダイヤ情報 2009年11月号』交通新聞社 P71
  20. 209系500番台,京葉線で営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2008年12月3日
  21. 武蔵野線色となったE231系が京葉車両センターへ 鉄道ファン(railf.jp) 2017年9月20日
  22. E231系武蔵野線MU2編成 運転開始 - 鉄道コム、2017年11月1日
  23. 201系ケヨ72編成,長野へ - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年2月5日
  24. ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」2012年1月号記事「さよなら「田窓」電車205系量産先行車」参照
  25. E331系の運転再開についてPDF  - 東日本旅客鉄道千葉支社プレスリリース 2008年12月19日

関連項目


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