上杉隆

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上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年- )は福岡県出身のジャーナリスト東京都立広尾高等学校都留文科大学文学部英文科卒業。富士屋ホテルNHK報道局記者見習い、衆議院議員鳩山邦夫の公設秘書、1999年2002年ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者を経て、退社後フリーとなった。

2003年11月、「週刊新潮」に発表した「パチンコ業者から平沢勝栄代議士に渡った4000万円」で、元警察官僚の平沢が、朝鮮系パチンコ業者数社から併せて4000万円のウラ献金を受け取っていたことを記載。平沢はテレビやラジオで上杉を誹謗中傷した上で、東京地方裁判所に名誉毀損による損害賠償1億円を求めて告訴した。東京地裁は上杉と新潮社側の勝訴認定、東京高裁は敗訴。2005年、最高裁判決によって、上杉と新潮社側の敗訴が確定している。誌面で強く、対面に弱いと揶揄されている。

雑誌や書籍などでは、政治家など公人を厳しく指弾している。朝日新聞社社屋から生放送された自身が司会を務める朝日ニュースター番組「ニュースの深層」で中川昭一(当時農林水産大臣)がゲスト出演した回では、番組冒頭に朝日新聞が報道した安倍晋三と中川に対する疑惑であるNHK番組改編問題について、中川とレギュラーコメンテーター遠藤正武(朝日新聞)にその話を急に持ち出し、中川は堂々と受け応える一方、不意打ちをくらった形で、その件についてあまり知識のなかった遠藤を困惑させた。

麻生クーデター説

情報の流布

2007年自由民主党総裁選挙麻生包囲網の原因となった「麻生クーデター説」を週刊朝日でにおいて流布し、選挙に大きな影響を与えた。「麻生(太郎)に騙された」発言をマスメディアで最初に発言した張本人とも言われている。

日本文化チャンネル桜「良書紹介」(2007年9月21日放映)

 実際には、福田康夫陣営の片山さつき衆議院議員が自民党総裁選で福田陣営に有利な状況を作るために流したのが「麻生クーデター説」である。3週間前の週刊朝日(9月5日発売)で報じた上杉はその動きにはまったく絡んでいない。またその真偽についても確定したわけではない。麻生太郎幹事長はうつ病患者である安倍晋三首相の病室をわざわざ訪れ「クーデター」を否定させている。安倍首相は、自らの病状や辞任理由について再三嘘をついている病人である。加えて一方の当事者がもう一方の当事者に対して発言を強要している行為自体に信憑性は薄いともいえる。よって「騙された発言」そのものの真偽が検証されたとは言いがたい。


ニュースの深層 evolution (2007年9月12日)における平野貞夫(元参議院議員) との対談において
「ここまで速くなるとは思ってなかったが、麻生準備内閣を今回の改造内閣で着々と作っていたので、 いつでも自分のところに来る準備は出来ていたし、首相辞任後の総裁選の日程を決める対応も速く、麻生さんに有利になっている」

「総裁選日程を早く決定したのは、与謝野馨官房長官が総理代理に就いて総理の職務執行を代行する流れをなくす目的もあった。 そういう意味も含めて、このために着実に布石を打っていたと言うのは取材をしながらも充分伝わってきた。」

「先ほど平野さんが発言したように、安倍さんがインドから帰国して、はっきりとではないのですが『麻生さんに騙された』とこぼしているのは、 人事面・政策面・政治決定面など統治の分で、完全に麻生さんに好きな様にやられているという事に、随分遅いですが気付いたから。」

といった発言も行っている。

その後のコメント

日刊スポーツ(2007年9月20日)

私が前に聞いて(8月末~9月初め)報じた(三週前の週刊朝日)安倍首相の『裏切られた』発言が独り歩きし、今回、全く違う意味で権力闘争に使われた。(中略)2日前辞意を聞いたという麻生氏の発言がなければ、クーデター説は起きなかった。陰謀説を流す方も使われる方も使われる方。子供じみたけんかのようだ

週刊文春(2007年9月27日)P39

巷間流れるクーデター説の真偽は解らない。しかし、筆者(上杉の意)は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ。

週刊新潮(2007年9月27日)P29

「『麻生に騙された』という発言は、実は全く逆の意味で安倍さんが使ったことなんです」と『官邸崩壊』の著者、上杉隆氏が言う。 「遠藤農相辞任の折、自分が何も言わなくても麻生さんがやってくれる、という事を軽口を叩くような感じで安倍さんはある人物に語りました。ところが、これが途中で全く違うニュアンスに変えられてしまった。これを中川(秀直)氏があちこちで吹聴して廻り、麻生さんは一気に”裏切り者”にされてしまったのです」

週刊文春(2007年10月4日)

病気療養中の安倍晋三が緊急記者会見を開いたのは麻生の政治的汚名を晴らすために菅義偉井上義行秘書官が仕組んだものである。麻生クーデター説を流布したのは、井上義行であり、その背景は麻生と井上の対立があった。しかし、麻生よりも都合の悪い福田康夫が出馬すると、井上は陰謀説の火消しに躍起になり、神奈川県で影響力を持つ菅義偉の力を借りるために接近した。しかし、それでも陰謀説が消えないため、井上は「病人を使って否定させるという残酷な行為に走ったのだ。質疑応答は全てシナリオが書かれており、安倍の麻生への謝意はそれに従っただけだった。選挙管理委員長の臼井日出男が安倍を訪問したとき、安倍は判断能力が欠落した精神状態で、井上の傀儡でしかなかった。最終的に安倍は井上の言いなりとなって麻生に投票をした。 

主な著書

  • 石原慎太郎五人の参謀(小学館
  • 田中真紀子の恩讐(小学館
  • 田中真紀子の正体(草思社
  • 議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている(小学館
  • 小泉の勝利 メディアの敗北(草思社
  • 官邸崩壊 安倍政権迷走の一年(新潮社

外部リンク

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